長彦と丸彦
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著者名:豊島与志雄 

 そして、ふたりはしばらくにらみあっていましたが、夜叉王は、地面に倒れている男をさしていいました。
「その男をもらっていくから、こちらにわたせ」
「わたさないぞ。ほしかったら、腕ずくでとってみろ」
 そういって、丸彦は鞭(むち)を捨て、両手を広げてつっ立ちました。夜叉王(やしゃおう)も、腰(こし)の大きな刀をそこにおき、両手をひろげてつっ立ちました。
 二人は、やっと組みついて、互いにあいてをねじ伏せようとしました。
 丸彦はおどろきました。夜叉王の強いことといったら、まるで地面からはえぬいた岩のようで、押しても引いても手ごたえがありません。うんうんもみあっているうちに、丸彦は下におさえつけられました。
 ところが、夜叉王はそれから丸彦ののどを[#「丸彦ののどを」は底本では「丸彦のどを」]しめつけようとしましたので、丸彦はそのすきをねらって、はねかえし、夜叉王の足をすくって、うまく夜叉王をおさえつけました。
 丸彦はけんめいに夜叉王を押さえつけながら、頬をふくらまして、息のかぎり、法螺(ほら)の貝の音のまねを口で吹きならしました。
 先ほどからの騒ぎと、今また、法螺の貝のまねの音を、聞きつけて、下男たちが出て来ました。
 顔長の長彦も出て来ました。そしてとうとう、おおぜいで、夜叉王をしばりあげてしまいました。
 気を失って倒れている男も、息をふきかえさしてしばりあげました。この男こそ、先日、野原で馬をつれて酒をのんでいたやつでした。
 さて、こうなってみると、夜叉王も、さすがに覚悟がよく、すらすらと白状しました。――鞍馬(くらま)の夜叉王は、鞍馬山のおくにいる賊(ぞく)のかしらでした。堅田(かただ)の観音様(かんのんさま)の像のことをきいて、悪いことをたくらみました。それは、観音様を盗み出し、足に泥をぬってもとにもどし、そして手下共にいいつけて、いろいろなことをいいふらし、たくさんおさいせんが集まったところを、盗んでしまおうと考えたのでした。
 ところが、夜叉王(やしゃおう)は、ゆっくりしておられないことになりました。京の都の大臣の所から盗んできた馬を、顔丸の丸彦にうばいとられてしまいましたし、その馬のことをよく知っている坂(さか)の上(うえ)の朝臣(あそん)が、堅田(かただ)にやって来られるそうでした。坂の上の朝臣は、もうすぐ来られるはずでしたから、どうあっても、その夜のうちに、馬を取り返し、おさいせんも盗んでしまうつもりで、だいたんにも手下とふたりきりで、忍びこんで来たのです。
「ひどいやつだ。うち殺してしまいましょう」と顔丸の丸彦はいいました。
「いや、まちなさい 私に[#「まちなさい 私に」はママ]考えがあるから……」と顔長の長彦はいいました。
 そして、鞍馬(くらま)の夜叉王とその手下は、堅田の兄弟の所につなぎとめられました。

      六

 坂の上の朝臣は、はたして、堅田にやって来られました。堅田の顔長の長彦とは前からのしりあいでした。
 朝臣は、堅田の観音様(かんのんさま)のふしぎなうわさをきかれて、顔長の長彦を疑われたわけではありませんが、いろいろ怪(あや)しいことのある世の中でしたから、じっさいのようすを見とどけに来られたのでした。そしておどろかれたことには、京の大臣の所で悪者に盗まれたあのりっぱな馬が、とりおさえられていましたし、うわさのたかい鞍馬の夜叉王がつかまえられていました。
 それについて、顔長の長彦の話を聞かれて、坂(さか)の上(うえ)の朝臣(あそん)が満足されたことは、申すまでもありません。そしてこれから先のことについても、ことごとく、長彦の考えに賛成されました。
 あの観音(かんのん)様の像は、またどういうことで、悪者どものために、よくないことに使われるかわからないから、琵琶湖(びわこ)に捧げて沈めることにしよう、というのです。観音様のうちにも、魚籃観音(ぎょらんかんのん)というのがあって、水に関係のふかいかたがあるし、また、水天(すいてん)という水の中の神さまもあることだし、あの観音様に琵琶湖の護(まも)り主となっていただこう、というのです。
 さて、その日になりますと、ありがたい観音様が、琵琶湖の護り主となって、水にはいられるというので、おおぜいの人たちが湖水(こすい)のふちに集まりました。そこの岸には、紫色のはっぴをきた水夫たちが、洗いきよめた船を用意していました。その船の方へ観音様は進(すす)んでいかれました。
 まっ先に、三井寺(みいでら)から迎えられたお坊さんが行き、次に、観音様をせおっている鞍馬(くらま)の夜叉王(やしゃおう)がつづき、堅田(かただ)の顔丸の丸彦がうしろから見はりをし、そのあとに、堅田の顔長の長彦と、坂の上の朝臣がならび、さいごに、めしつかいの男や女がしたがいました。
 人々はどよめきました。
 お婆さんが、地べたにかがんで、観音様をふしおがみました。船頭のおやかたが膝(ひざ)まずいて、観音様にそっと手をふれてお祈りをしました。それから、多くの人たちが、観音様をそっとなでて、それぞれになにか祈りました。
 するうちに、観音さまをせおっている夜叉王が、しだいに苦しそうな息づかいをし、汗をながしました。観音様がだんだん重くなっていくようでした。
 夜叉主(やしゃおう)としては、こんなにみんなから敬(うやま)いあがめられている観音様(かんのんさま)を、わるだくみのたねに使ったことが、とてもくやまれてならないからでした。
 そして船の近くまで来ると、夜叉王は心の苦しみにたまりかねて、ばったり倒れました。その時、額(ひたい)をうって、傷をうけ、黒い血がだらだら流れました。
 夜叉王はまた起きあがりました。額からはもう、赤い血が出ていました。そして、泣きながら顔長の長彦に頼みました。
「私も、観音様といっしょに、水にはいらせてください。観音様のおともをして、いつまでも、この湖水(こすい)を護(まも)りとうございます」
 それは、真心のこもった言葉でした。長彦はじっと夜叉王のようすを見、深くうなずいていいました。
「今日は、そういうわけにはいかないが、お前のことは、私が考えておいてあげよう。私にまかせておくがよい」
 そうして、一同はめしつかいたちを残して、船にのりこみました。
 船は沖へこぎだしました。沖の深い所までいくと、そこで、観音様はしずかに水へはいられました。

 坂(さか)の上の朝臣(あそん)のはからいで、鞍馬(くらま)の夜叉王のことは、すっかり顔長の長彦にまかせられ、京の大臣の馬は、顔丸の丸彦がもらいうけました。
 鞍馬の夜叉王は、もうまったく、よい心にたちかえっていました。そして、丸彦にとらえられている手下の心も改めさせ、つづいて、鞍馬山のおくに残っていた手下どもも、心を改めさせました。
 顔長の長彦は、夜叉王(やしゃおう)がためていたお金を、貧しい人たちにくばってやりました。
 それから、観音様(かんのんさま)に集まっているおさいせんをもとにし、じぶんもお金を出し、ほかからもお金をきふしてもらって、夜叉王のために大きな船をこしらえてやり、その船で、琵琶湖(びわこ)じゅうをあちこち、客をはこんだり荷物をはこんだりさせました。
 そのために、琵琶湖は大変便利になりました。そして、どんな暴風雨(あらし)の時にも、夜叉王の船はびくともしませんでしたし、また、あの観音様が水にはいられた所には、波が少しも立たなかったということであります。




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