正覚坊
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著者名:豊島与志雄 

 そう言って平助は、正覚坊の頭を撫(な)でながら、沖の方へ放してやりました。正覚坊は何度もお辞儀(じぎ)をして、後ろをふり返りふり返り泳いで行きました。その姿が波の向こうに見えなくなってからも、平助はぼんやりそこに立っていました。
 やがて、早くも夜が明け放(はな)れて、村の人達は沼狩(ぬまが)りを始めました。しかしもう正覚坊がいなくなった後のことです。いくら狩り立てても取れません。一同は諦めて帰って行きました。
 それからというものは、平助はまるで気抜けのようになりました。そして、毎日沼のほとりに出ては、かの大石を正覚坊の姿に刻(きざ)み始めました。平助が正覚坊に憑(つ)かれたという噂(うわさ)がぱっと村中に広がりました。しかし平助は、実は真面目で一生懸命だったのです。
 正覚坊の像がいよいよでき上がった夕方、平助は村の網元(あみもと)の家へ行って、そこの御隠居(ごいんきょ)に、一部始終(しじゅう)のことをうち明けました。御隠居はびっくりしました。なおその上びっくりしたことには、翌朝平助は死体となって沼に浮かんでいました。酒に酔ったあまり溺(おぼ)れ死んだのか、あるいは身を投げて死んだものか、誰にもわかりませんでした。けれども、その前の晩、正覚坊(しょうかくぼう)の像にもたれてしくしく泣いていた平助の姿を、月の光りで見たという者がありました。
 村の人達は、網元(あみもと)の御隠居(ごいんきょ)から平助の話をきかせられて、大変気の毒がりました。そして、平助の死体を沼の岸に埋めてやり、その上に正覚坊の石像をのせて祭りました。
 今では、その沼を正覚坊沼と言っていまして、平助が刻(きざ)んだという正覚坊の石像も残っています。沼の魚はみんなその石像に供(そな)えたものとして、誰も取らないことになっています。海で大漁がありますと、村の人達はそこに集まって大漁祝いをいたします。




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