金の目銀の目
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著者名:豊島与志雄 

「昨日見せてもらった鉄の馬車(ばしゃ)ですね、あのことを、人に話したところが、あれはもう古くて役に立たないと、みんな言ってますよ」
 メーソフは目玉をぐるっと動かしました。
「あの馬車はすっかりさびついていて、動きはしないと、みんな言ってますよ」
 メーソフはまた目玉をぐるっと動かしました。
「あの馬車はただの飾りもので、引き出せば、ばらばらにこわれてしまうと、みんな言ってますよ」
 メーソフはまた目玉をぐるっと動かしました。
「あんな馬車を、さも大事そうに飾りたてとくなんて、メーソフはとんだインチキやろうだと、みんな言っていますよ」
 メーソフは、また目玉をぐるっと動かしました。
「ぼくがいくら弁解しても、誰もしょうちするものがありません。ぼくはくやしくてたまらないんです。だから、今日一日(いちんち)、あの馬車(ばしゃ)を貸してください。あれに馬をつけてあちこち駆けまわって、どうだい、メーソフさんの馬車はこのとおり立派じゃないかと、みんなに見せつけてやりたいんです。今日一日、貸してください」
 太郎の話を聞いて、メーソフはふんがいしていました。
「よろしい、みんながそんなことを言ってるなら、うんと見せつけてやってください。メーソフの馬車は飾りものじゃない」
 そこで、倉から馬車を引っぱり出して、ふくやら、磨くやら、油をさすやら大変働きました。
 馬車はすっかりきれいになりました。
 太郎はホテルに戻って、キシさんにわけを話し、馬車を占領(せんりょう)してしまう手はずを決めました。前から買っておいた二頭の栗毛の馬を引いてきて、馬車につけました。一包みのお金をメーソフにあずけて、安心させました。
 馬に鞭(むち)をあてると、馬車は勢いよく走りだしました。それを、メーソフは笑顔で見送りました。

 馬車は、夕方になっても、夜になっても、戻ってきませんでした。メーソフは、心配し始めました。
 あくる朝早く、メーソフは起きあがりました。そしておもてをあけてみると、馬車がそこにありましたので、駆けよって行くとおどろきました。
 馬車の中には、変な人が三人乗っていました。白と黒との市松(いちまつ)の服をつけ、尖(とが)った三角の帽子をかぶっている大男、それはキシさんです。五色の縞(しま)の服をつけ、ふさのついた大きな帽子をかぶってる少年、それは太郎です。紫の服に白い羽の帽子をかぶっている少女、それはチヨ子です。チヨ子のひざには、まっ白な金の目銀の目の猫が抱かれています。そして三人は、パンや、焼肉や、果物などをまん中にならべて、食事をしているのです。
 そればかりではありません。馬車(ばしゃ)のかたすみには、かばんや毛布、大きな毬(まり)や金輪(かなわ)や、ナイフや棒など、いろんなものが積み重なっています。それに、馬車には馬も二頭ついていて、いつ駆けだすかわからないありさまです。
 メーソフはあきれかえって、目をみはりました。
 メーソフの姿を見て、太郎は笑いながら飛び出してきました。それから、両腕を組み、首をかしげて、いばりくさったようすで言いました。
「メーソフさん、この馬車はなかなかいいですね。すっかり気に入りました。どうか売ってください。ぼくたちは、このとおり、じつは奇術師(きじゅつし)なんです。これから、満州(まんしゅう)中を、いや世界中を、旅して歩かなければなりません。それには、ぜひとも馬車がいるんです。あなたが売ってくださるまでは、いく日でも、この中に泊りこむ覚悟をしてるんです。食べものもたくさんあるし、毛布もあるし、ピストルだって持っていますよ。さあどうです、売ってくれますか、いやですか。売ってくれなければいつまでも、死ぬまで、この馬車の中にがんばってみせますよ」
 メーソフが怒りだすかと思って、太郎は内心びくびくしていましたが、メーソフはしばらく太郎のようすをながめて、それから、髭(ひげ)だらけの顔にしわをよせて大きく笑いました。
「ほう、あんたがたは、奇術師(きじゅつし)だったのか。そして、この馬車(ばしゃ)が、そんなに気に入ったんですか。よろしい、わたしの負けだ、売ってあげましょう。きのう、あずかった金がいくらだかわからないが、あれだけでよろしい。そのかわりに、この馬車をあげましょう。この馬車なら、世界中まわったって大丈夫(だいじょうぶ)だ。安心していらっしゃい」
「え、本当、本当ですか」
 メーソフは何度もうなずきました。太郎はその胸にすがりつきました。キシさんも馬車から出てきて、メーソフとしっかり握手(あくしゅ)しました。

      匪賊(ひぞく)のなかへ

 いよいよ金銀廟(きんぎんびょう)に向かっての旅です。
 始めのうちは、のんきでした。奇術師(きじゅつし)といっても、それはひと目をごまかすためのもので、時々奇術のまねごとみたいなことをやるだけで、旅を急ぎました。キシさんが二頭の馬を御(ぎょ)し、太郎とチヨ子とは、馬車の箱の中で、白猫のチロと遊びながら、奇術のけいこでもするだけでした。馬車の中には、用心のために、食べものもたくさん積んでありますし、武器もありました。太郎が持ってる不思議な地図をたよりに、町から町へ、村から村へと、進んでいきました。ところが、十日たち、二十日たつうちに、旅はしだいに困難になってきました。
 村がだんだんなくなってきます。見渡す限りひろびろとした荒野(こうや)の中や、いつ通りぬけられるかわからない森の中などに、いくにちも迷いこんだり、けわしい山のすそを遠くまわったり、雨が降って旅ができなかったり、いろんなことがあるうえに、夜はいつも馬車(ばしゃ)の中に寝なければなりませんでした。けれどもみんな、チロも馬も元気でした。キシさんは歌をうたったり、おかしな話をしたりして、太郎とチヨ子を笑わせました。
 それから、カラマツの森の中に、また迷いこんで、四―五日も出られなかった時は、さすがのキシさんも弱ったようでした。一番困るのは、水がなかなか見つからないことでした。そしてある夕方、思いがけなくその森から出ると、すぐそこに、ひとかたまりの家がありまして、その先には、青々とした野原が広がっていました。
「村だ、村だ」と、キシさんは叫びました。
 馬を駆けさせて、村にはいりました。
 村といっても、十二―三軒の家だけで、その家はみんな、低い土壁(つちかべ)に瓦屋根(かわらやね)をのせて、入口が一つついているきりでした。そして不思議なことには、その入口はみな、がんじょうな戸が締めきってありました。
 キシさんは馬車から下りて、家の戸を一つ一つ叩いてまわりましたが、誰も開けてくれる者はなく、返事もなく、家の中には人のけはいもありませんでした。
「おかしい。誰もいない」
 太郎も馬車から下りて、家の戸を叩いてまわりました。
「どこにも、誰もいませんね。どうしたんでしょう」
 キシさんと太郎とは、なお村の中を見てまわりましたが、やっぱり人の気配(けはい)はしませんでした。それから村の横手には、大きなにごり池がありまして、その岸に、亀(かめ)が幾匹かいて、きょとんと頭をあげて空を見ていました。
「はっはっは……」
 キシさんは笑いました。
「人間のかわりに亀がいる」
 亀はその声に驚いたように、どぶん、どぶんと、池の中に滑りこんでいきました。その時、太郎はふと思いだしました。一郎のおじさんが持っていた剥製(はくせい)の鳥のこと、その二つのくちばしの鳥と亀の話……それがどうやら、この池であったことかもしれません。こんな北の国に亀(かめ)がいるのは珍しいことです。
 太郎はキシさんを引っぱっていって、馬車(ばしゃ)に戻りました。そして、一郎のおじさんからもらった不思議な地図をだし、眼鏡(めがね)をのぞいて調べました。すると、鳥と亀とが書いてあるところがあって、しかもそれが金銀廟(きんぎんびょう)のすぐ近くなのです。
「あ、これだ、これだ」
 キシさんも眼鏡でのぞきました。
「おう、金銀廟は近いぞ」
 チヨ子も、眼鏡でのぞきました。そしてにっこり笑いました。
 確かに、二つのくちばしの鳥と亀との話の池です。金銀廟もそう遠くはありません。みんな急に元気になりました。
 人のいない、変な村……そんなことはもうどうでもよくなりました。
 夕方でしたから、食事をして、その夜はそこで、馬車(ばしゃ)の中ですごすことにしました。

 その夜遅く、太郎は目をさましました。馬車の屋根がきいきい鳴るような気がしたのでした。何か変ったことがある時には、馬車の屋根がきいきい鳴ると、そう聞いていたからかもしれませんし、また実際に鳴ったのかもしれません。そして太郎が目をさましてみると、チロが起きあがって、肩をいからし、馬車のそとにじっと気をくばっていました。
 太郎は耳をすましました。あちこちの家の戸口にかすかな音……それから人の足音……そんなのが聞こえるようです。馬車の屋根がきいきい鳴ってるような気もします。
 太郎は、そっとキシさんを起こしました。
「人の足音がしますよ」
 キシさんも耳をすましました。
「うむ何か音がしてる」
 昼間は、誰もいなかった村です。それがこの夜中に……確かに音がしています。キシさんはピストルを手にとりました。そして馬車の窓を引きあけると同時に、叫びました。
「誰だ?」
 外は、しーんとして、もう何の音もしませんでした。
 しばらくすると、キシさんはあわててあかりをつけて、出ていきました。そしてすぐ、木の下につないでおいた二頭の馬を引っぱってきて、馬車(ばしゃ)につけました。
「馬を盗まれたら大変だった。こうしておけばだいじょうぶだ」
 そしてキシさんはまた眠ってしまいました。奇術師(きじゅつし)になりすましてはいますが、やはりだいたんな李伯将軍(りはくしょうぐん)です。太郎もチヨ子も、それに安心してやすみました。

 それから長くたって、馬車が激しくゆれて、みんな目をさましました。馬が足で地面をしきりに蹴っていました。
 キシさんはむっくり起きあがって、窓を開きました。外はほの白く、夜が明けかかっていました。そしてすぐそこに、まるい帽子をかぶった大きな男がふたりじっと立っています……。
 向こうも黙っていました。こちらも黙っていました。黙ってにらみあっていました。
 やがて、ふたりの男の内のひとりが、まっすぐに手を上げて、森の方を指しながら言いました。
「すぐに立ちのけ」
「なぜですか」
と、キシさんはとぼけたように言いました。
「すぐたちのくんだ」
と、男はくり返しました。
「何かあるんですか」
「なんでもよろしい。すぐ立ちのけ」
と、男はくり返しました。
 そのようすにも、声のちょうしにも、なにか力強いものがこもっていて、命令するのと同じでした。
 しかたがありません。キシさんは御者台(ぎょしゃだい)に上りました。馬は走りだしました。
 けれども、キシさんが馬を進めたのは、男から指し示めされた森の方へではなく野原の方へでした。そちらが金銀廟(きんぎんびょう)のほうにあたるのです。
 そして野原の中を、三十分ばかり進んで、それから馬車(ばしゃ)をとめて、みんな外に出て、朝の食事を始めました。

 その時、向こうの地平線のあたりから、何かぽつりと黒いものが出てきました。見ているうちに、それがだんだん大きくなります。近寄ってきます……。馬にのった一隊の人々です。銃や剣が朝日にきらきら光っています。全速力でやってきます……。
 キシさんをまっ先に、太郎もチヨ子も立ち上がりました。そして馬車に乗りましたけれど、もう逃げるひまはありませんでした。
 百人あまりの匪賊(ひぞく)でした。風のように襲(おそ)ってきました。十人ばかりの者が、銃や剣をさしつけて、馬車をとりまきました。ほかのものは、叫び声をあげ、ひとかたまりになって、向こうの村へ進んでいきました。
 人のいないひっそりした村のようでしたが、村人達は家の中にひそんでいたのでしょう。そこへ、襲いかかったのです。そしてもう、激しい銃声(じゅうせい)がおこっていました。
 その遠い銃声を聞きながら、十人ばかりの匪賊(ひぞく)に囲まれて、キシさんと太郎とチヨ子は、馬車(ばしゃ)の中にじっと息をこらしていました。ただチロだけが、チヨ子の膝の上にきょとんとしています……。
 匪賊共は、馬車をとり巻いたまま、中のようすをうかがっていました。
 やがて、匪賊のひとりが声をかけました。
「お前達は、何者だ」
「ごらんのとおりのものです」と、キシさんが落ちつきはらって答えました。
 二、三人の匪賊が、そっと馬車の中をのぞきこんで、みんなのようすをじろじろ眺めました。
「ほほう、手品(てじな)か奇術(きじゅつ)でも使うのか」
「そうです、手品もやれば奇術もやります」
と、キシさんは言いました。
「あちこち旅してまわっているうちに、道に迷って、困っているとこです。どこか金もうけができるところへ案内してくださいませんか。手品や奇術にかけては、世界一の名人ですよ」
 匪賊たちはしばらく、互いに何か相談しあいました。
「よろしい。それでは、おれたちのところへ来い。おれたちはな、金銀廟(きんぎんびょう)の玄王(げんおう)の手下の者だ。安心してついて来るがいい」
 キシさんはもとより、太郎もチヨ子も、内心はっとしました。金銀廟の玄王……チヨ子の父、李伯将軍(りはくしょうぐん)キシさんの主人……その玄王をたずねて、苦しい長い旅をしてるのです。けれど、玄王は、匪賊にうち負けて、行くえがわからなくなっているとのことですし、今こやつたちは玄王(げんおう)の手下だと言っていますし、どうも不思議でなりません。
 キシさんは、太郎とチヨ子にめくばせしました。そして匪賊(ひぞく)たちに答えました。
「金銀廟(きんぎんびょう)の玄王……噂(うわさ)に聞いたことがあるようです。それでは、そこへ案内してください」
 匪賊が案内してくれるので、道に迷う心配はありませんでした。そのかわり、山坂になってる野原を駆け続けるので、つらい旅でした。そして二日目の夕方、金銀廟の城につきました。
 キシさんとチヨ子にとっては、なつかしい故郷でした。白い塔はもとより、山にも木にも草にも、あらゆるものに見覚えがありました。
 馬車のまま城の中にはいって、長く待たされて、それから広間に通されました。
 荒くれた人たちがおおぜい、酒盛をしていました。
 正面にあぐらをかいてる、首領(かしら)らしい男が、大きなさかずきをおいて、三人のほうをじっとにらんで、いいました。
「手品(てじな)とか奇術(きじゅつ)とかをやるというのは、お前達か。ひとつやってみせろ」
 キシさんは、ていねいではあるが、きっぱりしたちょうしでたずねました。
「あなたが玄王(げんおう)というお方でございますか」
「なに、玄王だと……玄王はいま病気だ」
「それじゃあ、奇術はまあやめましょう。金銀廟の玄王のところへといって、連れてこられたのですから、玄王の前でまずやらなければ、奇術の神様が怒ります」
「奇術(きじゅつ)の神様とはなんだ」
「奇術の神様です。私共の奇術は、その神様からさずかった、とうとい術ばかりです。神さまにうそをつくようなことをしてはいけません」
 匪賊(ひぞく)の首領(かしら)は、言葉につまってうなりました。そしておこりました。
「ふらちなことをいう奴だ。よし、奇術をしないというなら、ちょうど、五十人ばかりの捕虜(ほりょ)がきているから、明日の朝、その首きりの役をさせるぞ」
 キシさんは考えこみました。
 ところが、キシさんのかわりに、ニャーオと……猫が鳴きました。太郎が上着の中にかくして抱いていたチロが、外に出たくて鳴きだしたのです。そしてあばれだしたのです。しかたがないので、太郎はチロを出してやりました。チロは喜んで、広間の中を駆けまわりました。
 匪賊たちはびっくりしたようでした。それから、不思議そうにチロをながめて、ささやきあいました。
「まっ白な猫だ」
「金目銀目(きんめぎんめ)だ」
「金銀廟(きんぎんびょう)に祀ってあるのとそっくりだ」
 太郎はチロを追っかけました。
「チロ、チロ……おいで、チロ……」
 匪賊の首領はチロにひどく心を引かれたらしく、立ち上がってきてチロを捕まえようとしました。太郎はすばやくチロを胸に抱きあげました。
「いやだよ、これ、ぼくたちの大事な猫だよ」と、太郎は言いました。
「奇術(きじゅつ)の神様のお使いだよ。そまつにすると、ひどい罰があたるよ」
 首領(かしら)は座(ざ)に戻って、腕を組んで、三人の奇術師のようすをながめました。
「どうも、不思議なやつらだ。とにかく、明日の朝、首きりの役を言いつけるぞ」
 キシさんは平然(へいぜん)と答えました。
「ひきうけましょう。奇術でやってみましょう。五十人の首ぐらい、またたくまに打ち落としてみせますし、お望みなら、その首をまたつなぎあわしてもみましょう」

      チロの国

 その夜、奇術師に化(ば)けてる三人は、城の中のせまい一室に、とめおかれました。
 三人は、ひそひそ相談しあいました。いろいろ危急(ききゅう)なことがかさなっています。そしてまず第一に、玄王(げんおう)のことをさぐりださねばなりません。
 夜遅く、城の中の匪賊(ひぞく)達が寝しずまったころ、太郎とチヨ子は起きあがって部屋から出ていきました。チヨ子は城の中のことをよく知っていますので先に立って進みました。
 奥の方の部屋に行って、大きな声でチヨ子はいいました。
「もしもし、金目銀目(きんめぎんめ)の猫が、どこかへ行ってしまいました。こちらに来ませんでしたか」
「チロ、チロ、チロや……」
と、太郎は呼びました。
 そして二人で、部屋の中を探しました。
「うるさいな。猫なんかいないよ。ほかを探してこい」
 二人は、ほかの部屋に行きました。
「もしもし、金目銀目(きんめぎんめ)のネコが来ませんでしたか」
「チロ、チロ、チロや……」
 寝ていた匪賊(ひぞく)達は目をさましました。
「うるさいな。ネコなんかいないよ」
 そして二人は、あちらこちら探しまわりました。
 奇術師(きじゅつし)の子供達が猫を探しているので、誰も怪(あや)しむものはありませんでした。
 けれどじつは、玄王(げんおう)のことを探偵(たんてい)しているのでした。
 あちらこちらはいりこんで、それから、金銀廟(きんぎんびょう)の方へ行ってみました。
「もしもし、金目銀目の猫が来ませんでしたか」
 小さなランプのついてるきりの、うす暗い中から、二―三人の男が[#「二―三人の男が」は底本では「二|三人の男が」]起きあがりました。
「うるさいな。猫なんかいないよ。病人がいるきりだ」
「いいえ、確かにチロが、こっちへ逃げて来たんです」
 ふたりはどしどし、中にはいっていきました。
 奥の方に祭壇があって、金銀の厨子(ずし)の中に、猫の像が金目銀目を光らしており、いろんな不思議な器物が並んでいました。そしてその前に、病人らしい男が寝ていました。
 その病人の側に、チヨ子は立ち止まって、じっとその顔を見ていましたが、石のようにかたくなって、それから、ぶるぶる震えだし、そこにかがみこんでしまいました。
 そのとき、病人はふいに、はね起きました。
「猫のことは、私が知っている。みんなしばらく外に出ていてくれ」
 それを聞いて、ほかの男たちは、外に出ていきました。太郎は入口の見張りをしました。
 そして、太郎がふり向くと、病人とチヨ子とはもうしっかりと抱きあって、泣いていました。病人はそのやせた手で、チヨ子の頭や背中をなでさすり、チヨ子は病人の胸に顔をおしあてて、どちらも黙ったまま、涙を流しています……。
 その病人こそ、玄王(げんおう)だったのです。チヨ子の父だったのです。おたがいに話したいことが、どんなにたくさんあったことでしょう。また、どんなに涙が流れたことでしょう。
 太郎は両腕をくんで、脇の方を向いて、じっと立っておりました。
 金銀廟(きんぎんびょう)の中の部屋で、あたりは、しーんとしていました。

 何もかもすっかり、はっきりしました。
 匪賊(ひぞく)の首領(かしら)は、玄王(げんおう)のふいを襲って、その城をのっとりましたが、負傷した玄王を人質(ひとじち)にとって、金銀廟の中におしこめ、自分は玄王に仕えてる者だ、と、勝手にいって、ふきんの土地を治め、やがてはその王になるつもりでした。けれど、玄王の部下たちがあちらこちらにいて、なかなか思うようになりませんでした。
 しじゅう戦いがおこりました。けれど玄王(げんおう)の部下達も、玄王が人質(ひとじち)になっているので、思いきって攻め寄せることもできませんでした。
 そのことを知っていますので、匪賊(ひぞく)達も、玄王をそまつにはあつかいませんでした。玄王のきずはなおりました、けれども、次には病気で寝つきました。それでも匪賊のうちには、だんだん玄王になついてくるものが出てきました。金銀廟(きんぎんびょう)で玄王の側についてる者たちは、今ではもう玄王の味方でした。
 そこへ、チヨ子が来たのです。玄王は力がつきました。そのうえ、どんな病気にもきくという薬を、太郎がすぐに飲ませておきました。まもなくじょうぶになるに違いありません。
 キシさんは、おどりあがって喜びました。
 朝早く、キシさんは大きな刀を打ち振り、太郎はピストルをポケットにしのばして、捕虜(ほりょ)の首きり役に出かけました。だけど、捕虜というのは、みな玄王の味方の者です。どうするつもりなのでしょうか。
 城の中の広場です。匪賊の首領(かしら)は数人の手下をつれて、見物に出てきました。向こうには五十人ばかりの捕虜(ほりょ)が、荒縄(あらなわ)で縛られ、棒杭(ぼうくい)に結びつけられて、もう覚悟を決めたらしく、うなだれていました。あの不思議なふたりの男も、その中に交っていました。
「見事にやってみせるか」と、首領はキシさんに言いました。
「奇術(きじゅつ)の法でやってみます」と、キシさんは答えました。
「目にも止まらぬ早技(はやわざ)です」
 キシさんは静かに進んでいきました。そして捕虜達の側に立ち止まって、大きな刀を二―三度打ち振りました。その時にはもう、奇術(きじゅつ)師のみなりこそしていますが、目は鋭く輝やき、勇気が全身に、みちみちて、勇ましい李伯将軍(りはくしょうぐん)に変っていました。
 匪賊(ひぞく)達は、何かはっとして、ものにおびえたようでした。
「えー、やーあ……」
 腹の底から、恐ろしい声を立てて、キシさんは刀を振りかぶりました。その刀がひらりと動いたかと思うと、一人の捕虜(ほりょ)の縄(なわ)が、ぱらりとたち切れていました。キシさんはおどりたちました。見事な手練(しゅれん)と早技とで、捕虜達をしばっている荒縄を、ぶつりぶつりとたち切りました。
 匪賊達はどよめきました。混乱がおこりました。
 キシさんは、つっ立って叫びました。
「匪賊ども、静かにしろ。今こそ名乗ってやる。玄王(げんおう)のもとの部下、李伯将軍とはおれのことだ。降参すれば命は助けてやる。さもなければ、みな殺しだ。覚悟して、返事をしろ」
 太郎もピストルをとりだしました。
 捕虜達は李伯将軍の名を聞いて、一度に、わーっと歓声(かんせい)を上げました。たちどころに、匪賊の数人は打ち倒されました。
 匪賊の首領(かしら)は、ただ、あっけにとられていましたが、やがて、うなだれて、地面に両手をつきました。
「すみませんでした。ぞんぶんにしていただきましょう」
 さすがに首領です。立派な覚悟でした。そこへ玄王が現われました。太郎の妙薬(みょうやく)で病気も治ったらしく、晴れやかな気高い顔をしていました。側にチヨ子がついており、前からつきしたがっていた匪賊達が、後にひかえていました。
 キシさんは走りよりました。
「おう、李伯(りはく)か」
「玄王(げんおう)、御無事で……」
 あとは言葉もなく、玄王は頭を垂れ、李伯将軍は膝まずき、互いに手をとりあって涙にくれました。

 匪賊(ひぞく)の首領(かしら)は降参して、心から玄王に仕えることになりました。が、まだあちこちに、玄王の元の部下もおれば、匪賊達もいます。李伯将軍が万事(ばんじ)指図をして、それらをみな治めることになりました。
 チヨ子は、父玄王の国を見せるために、太郎を金銀廟(きんぎんびょう)の塔の上につれて行きました。太郎はチロを抱いて、チヨ子の後について、高い塔の中の、うす暗い階段を昇って行きました。塔の一番上のところは、せまい部屋になっていて、四方に窓がありました。
 遠くまで、目のとどくかぎり、見渡すことができました。山があり、森があり、野原があり、川があります。野放しにした羊や馬なども、遊んでいます。
「そんなに悪いところではないでしょう」と、チヨ子は言いました。
 太郎は黙って、淋しそうな顔をしていました。九州のおじいさんのことや、大連(だいれん)の松本さんや一郎のことがなつかしく思いだされるのでした。チヨ子にもその気持ちがよくわかりました。
「ねえ、帰っていっちゃ、いけませんよ」
 太郎はふり向いて、微笑(ほほえ)んで、チヨ子の手を握りしめました。
「そうだ、不思議な地図があったろう、あれを便りに、この国を立派なものにしていこうよ」
「ええ、立派な国にしましょう。そして、チロの国と名をつけましょうよ」
 ふたりは一緒に金目銀目(きんめぎんめ)のチロを抱きかかえて、かたく握手をしました。




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