お月様の唄
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著者名:豊島与志雄 

「王子様のもてなしに、みんな出て来て踊っておくれ」
 すると、どこからともなく芝地の上に、さっきのような森の精が一人飛び出してきました。薔薇(ばら)の花を一つ頭にかぶっていました。そして次のように歌いながら、くるりと廻りました。
ひいとつ ひとつ
くるりと廻って、まーた出ろ。
 すると、菊(きく)の花をつけた森の精が出て来ました。それから二人でまた歌って踊りました。
ふうたつ、ふたつ、
くるくる廻って、まーた出ろ。
 牡丹(ぼたん)の花をつけた森の精が出て来ました。
みいっつ、みっつ、
くるくる、くーるり、まーた出ろ。
 梅(うめ)の花をつけた森の精が出て来ました。
よーっつ、よっつ、
くるくる、くるくる、まーた出ろ。
 桜(さくら)の花をつけた森の精が出て来ました。
いーつつ、いつつ、
いっしょにみんな、とんで出ろ。
王子様のもてなしに、
わあそび、こそび、
くるりと廻って、くるくるり。
 すると、眼の前の芝地(しばち)は森の精でいっぱいになりました。みんな頭には、いろんな草や木の花を一つずつつけていました。そして手をつないで、円(まる)く輪になっておもしろい唄を歌いながら踊りました。
 王子はそれを見て、夢のような心地(ここち)になられました。森の精の踊りはいつまでも続きました。いくら続いても飽(あ)きないほどのおもしろい踊りでありました。
「お時間じゃ、お時間じゃ。御殿(ごてん)のしまるお時間じゃ」と、どこからかふいに声がしました。すると今まで踊っていた森の精達が、一度に高く飛び上がったかと思うと、地面に落ちつく時にはもう姿がなくなっていました。
 王子はびっくりして、あたりを見廻されますと、千草姫(ちぐさひめ)はやはり微笑(ほほえ)んだまま立っていました。そして王子に言いました。
「もう遅くなりますから、今晩はこれきりにいたしましょう。またお迎えをあげますから、その時に来て下さいませ」
 王子はもっとそこにいたく思われましたが、姫からそう言われて仕方なしに帰られました。いつのまにか、矢車草(やぐるまそう)の花をつけた森の精が出て来て、王子を城の庭まで送って来ました。

      二

 それから王子は、月のある晩はたいてい白樫(しらがし)の森の中に行って、森の精達と遊ばれました。その上千草姫からいろんなことを教えられました。森の精達は、もとは野原に住んでいる野の精でありましたが、野原が開かれてたんぼにされてしまいましたので、今では森の中に隠れてしまって、森の精となったのでした。そして千草姫は、新しい森の精と元からの森の精との女王となっているのでした。それで姫は元の野原のことも、今のたんぼのことも、前からすっかり知っていました。今年の夏にはひでりがあるとか、秋には洪水(こうずい)があるとか、そういうことを前から言いあてました。王子はそれを聞かれると、いちいち父の国王に申し上げました。国王は笑われましたが、王子があまり何度も申されますので、おしまいには試(こころ)みにその用心をされました。
 夏にひでりがしましても、山奥の泉から水が引いてありましたので、百姓達は少しも困りませんでした。秋のはじめに洪水(こうずい)が出ましても、前から川の堤(つつみ)が高く築かれていましたので、少しも田畑を荒しませんでした。そして王子の言葉がいちいち当たるので、王様はじめ御殿(ごてん)中の者は皆、大変に驚きました。いつとはなく、「王子は神様の生まれ変わりだ」という評判が国中に広まりました。王様はどうして先のことを知ることが出来るのか、いろいろ王子にたずねられましたが、王子は千草姫(ちぐさひめ)から堅く口止めをされていましたので、何とも答えられませんでした。そして遂には王様まで、自分の子は神の生まれ変わりではないかと思われるようになりました。
 けれど、王子にも、ただ一つ自分の思うようにならないことがありました。それは毎晩月を出すことが出来ないことでありました。月が輝いた晩でなければ、千草姫は迎えにきてくれませんでした。
 宵(よい)に月が出る時は、いつも矢車草(やぐるまそう)の森の精が御殿の庭まで迎えに来てくれました。王子は千草姫の所に行って、御殿の戸がしまる十時少し前に帰って来られました。
 ところがある晩、いつものように白樫(しらがし)の森の中の芝地(しばち)へ王子が行かれますと、千草姫は非常に悲しそうな顔をして立っていました。またその晩は、森の精さえ一つも出て来ませんでした。王子は何となく胸をどきどきさせながら、姫にたずねられました。
「今晩はどうなされたのです」
「今に悲しいことが起こって参(まい)ります」と千草姫は答えました。王子はいろいろたずねられましたが、千草姫はどうしてもわけを言いませんでした。ただ「今にわかります」と答えるきりでした。
 王子と千草姫(ちぐさひめ)とは黙って芝地(しばち)の上に坐っていました。月の光りが一面に落ちて来て、草の葉や花びらや木の葉をきらきらと輝かしていました。やがて千草姫はほっと溜息(ためいき)をついて言いました。
「もうお目にかかれないかも知れません」
 それをきくと、王子は急に悲しくなりました。
「お時間じゃ、お時間じゃ、御殿(ごてん)のしまるお時間じゃ」と、うしろで歌う声が聞こえました。
 見ると、いつのまにか矢車草(やぐまるそう)の森の精がうしろに立っていました。それでも王子は帰ろうとされませんでした。けれど千草姫は、むりに王子を慰(なぐさ)めて帰らせました。
 王子にはどうしても、千草姫に逢えないというわけがわかりませんでした。そして「千草姫は自分の亡くなったお母様ではないかしら」と、ふと思われました。それで、たずねてみようと思ってふり返られると、もう千草姫はそこにいませんでした。
 王子は御殿の庭に立ったまま、も一度千草姫に逢わなければならないと決心されました。

      三

 それから王子は、月のある晩はいつも庭に出て、森の精を待たれました。けれど森の精は一向(いっこう)迎えに来てくれませんでした。王子は悲しそうにお城の裏門の方を眺められました。その鉄の戸は厳しく閉め切ってありまして、いくら王子の身でも、それを夜分(やぶん)に開かせることは出来ませんでした。
 王子はいろいろ思い廻された上、遂にお守役(もりやく)の老女(ろうじょ)にわけを話して、白樫(しらがし)の森に行けるような手段(てだて)を相談されました。老女は大層(たいそう)王子に同情しまして、いいことを一つ考えてくれました。
 ある日王様が庭を散歩していられます所へ、王子と老女とが出て参(まい)りました。老女はこう王様に申し上げました。
「このお庭は、月夜の晩はそれはきれいでございますけれど、あまり淋しすぎます。お月見の時に一晩だけお城の門をすっかり開いて、城下の人達を自由にはいらせて、皆で踊らせたらどんなにかおもしろいことでございましょう」
 王子も傍(そば)から申されました。
「それはおもしろい。お父様、そういたそうではございませんか」
 二人がしきりにすすめますものですから、王様も承知なさいました。そしてすぐに、その用意を家来(けらい)に言い付けられました。
 その晩は大変な騒ぎでありました。王様は櫓(やぐら)に上がって、大勢(おおぜい)の家来達と酒宴(しゅえん)をなされました。お城の門は表も裏もすっかり開け放されて、城下の人達が大勢はいって来ました。皆美しく着飾(きかざ)って、お城の庭で踊りを致しました。方々でいろいろな音楽も奏(そう)されました。晴れた空には月が澄みきっていました。燈火(あかり)は一切ともすことが許されませんでした。お城全体が、月の光りと音楽と踊りといい香(にお)いとで湧(わ)き返るようでした。
 王子はお守役の老女と二人で、そっと裏門から忍び出られました。そして老女を白樫(しろかし)の森の入口に待たせて、自分一人森の中にはいってゆかれました。
 ところが例の空地(あきち)の所まで行かれましても、誰も出て来ませんでした。
 あたりはしいんとして、高い木の梢(こずえ)から月の光りが滴(したた)り落ちているきりでした。お城の中の賑(にぎ)やかな騒ぎが、遠くかすかにどよめいていました。
 王子は長い間待っていられました。眼に涙をためて、「千草姫(ちぐさひめ)、私です!」とも叫ばれました。けれども姫も森の精も姿さえ見せませんでした。
 とうとう王子は涙を拭(ふ)きながら、思い諦めて戻ってゆかれました。森の入口で待っていた老女が何かたずねても、王子はただ悲しそうに頭を振られるのみでした。
 王子は考えられました。なぜ千草姫は出て来てくれないのであろう。悲しいことが起こると言われたがそれはどんなことだろう。姫は亡くなられたお母様のような気がするが、ほんとにそうだろうか。なぜ私に何にも教えてはくれないのかしら。
 そのうちに、悲しいことというのが実際に起こって来ました。城下のある金持が、白樫(しらがし)の森の木をすっかり切り倒して材木にし、その跡を畑にしてしまうというのです。城下にはだんだん人がふえてきまして、新たに家を建てる材木がたくさんいりますし、五穀(ごこく)を作る田畑もたくさんいるようになったのです。誰も反対する者がなかったので、王様も金持の願いを許されました。
 王子はそれを聞かれて非常にびっくりされ、いろいろ王様に願われましたが、もう許してしまったことだからといって、王様は聞き入れられませんでした。
 王子は悲しくて悲しくて、毎日ふさいでばかりいられました。けれどもそんなことには頓着(とんちゃく)なく、白樫の森は一日一日と無くなってゆきました。
 ただ不思議なことには、森の大きな木が切り倒される度(たび)に、いろんな声がどこからともなく響きました。――鳥、鳥、赤い色――鳥、鳥、青い色――鳥、鳥、紫――鳥、鳥、緑色――鳥、鳥、白い色……そしてその度ごとに、赤や青や紫や白や黒や黄やその他いろんな色の鳥が、森から飛んで逃げました。王子は森の側に立って、鳥の飛んでゆく方を悲しそうに眺められました。
 けれども、きこり共にはそれらの声が少しも聞こえませんでしたし、また彼等は、いろんな色の鳥を見ても別に怪しみもしませんでした。森の木はずんずんなくなってゆきました。
 いよいよ、森の奥の空地(あきち)の近くまで木がなくなった時、王子はもうじっとしていることが出来なくなられました。その日の晩は、ちょうど満月で、いつもより月の光りが美しく輝いていました。
 王子は一人で、お城の裏門の所まで忍び寄られましたが、門は堅く閉め切ってありました。王子は、口惜(くや)し涙にくれて、誰か門を開いてくれるまでは、夜通しでもそこを動くまいと、強い決心をなされました。
 その時、不思議にも、門の戸がすうっと独(ひと)りでに開きました。王子は夢のような心地(ここち)で、そこから飛び出してゆかれました。

      四

 木が無くなった森の跡は、ちょうど墓場(はかば)のようでした。大きな木の切株(きりかぶ)は、石塔(せきとう)のように見えました。王子はその中を飛んでゆかれました。まだ木立(こだち)が残ってる奥の方の空地の所まで来て、王子はほっと立ち止まられました。見るとそこには誰もいませんでした。「千草姫(ちぐさひめ)!」と王子は叫ばれました。何の答えもありませんでした。
 しばらくすると、王子のすぐ側でやさしい声が響きました。
「王子様!」
 王子はびっくりされて、今まで垂れていた頭を上げて見られると、そこに千草姫(ちぐさひめ)が立っていました。王子はいきなり姫にすがりつかれました。
「よく来て下さいました。とうとうお別れの時が参(まい)りました」と姫は言いました。
 王子は嬉しいやら悲しいやらで、口も利(き)けないほどでありましたが、しばらくすると、いろいろなことを一緒に言ってしまわれました。
「なぜお別れしなければならないのですか。なぜ私をちっとも迎えに来て下さらなかったのですか。お月見の晩にここに来ましたのに、なぜ逢って下さらなかったのですか。あなたは亡くなられたお母様ではありませんか。言って下さい。私に聞かして下さい。私はもう側を離れません。お城の中にも帰りません」
 千草姫は何とも答えませんでした。そして王子の手を取ったまま、芝生(しばふ)の上に坐りました。
「私はあなたのお母様ではありません。けれど私を母のように思われるのは、悪いことではありません。私達は、あらゆるものを生み出す大地の精なのですから。ただ悲しいことには、いつかは私達の住む場所がなくなってしまうような時が参(まい)るでしょう。私達は別にそれを怨(うら)めしくは思いませんが、このままで行きますと、かわいそうに、あなた方人間は一人ぽっちになってしまいますでしょう」
 王子はその言葉を聞かれると、何故(なぜ)ともなく非常に淋しく悲しくなられました。そして二人は長い間黙ったまま、悲しい思いに沈んでいました。月がだんだん昇ってきて、ちょうど真上になりました。
 その時、千草姫(ちぐさひめ)はふと頭を上げて月を見ました。「もうお別れする時が参(まい)りました。これを記念にさし上げますから、私と思って下さいまし」
 そう言って、千草姫は片方の腕輪(うでわ)を外(はず)して王子に与えました。
 その時、どこからともなくいろんな色の小鳥が出て来て、千草姫のまわりを飛び廻りました。王子はびっくりしてその小鳥を眺められました。
「これでお別れいたします」
 そういう声がしましたので、王子はふり返って見られると、もう千草姫の姿は見えないで、そこにまっ黒な大きい鳥がいました。くちばしに千草姫の片方の腕輪をくわえて、羽は皆百合(ゆり)の花びらの形をしていました。
 その鳥は王子の方へ一つ頭を下げたかと思うと、もう翼を広げて飛び上がりました。王子は一生懸命にその尾(お)にすがりつかれますと、尾だけがぬけ落ちて王子の手に残りました。あたりの小鳥は悲しい声で鳴き立てましたが、もう森の精ではなくて鳥になっていますので、その意味は王子にわかりませんでした。
 王子はぼんやり立っていられますと、どこからか矢車草(やぐるまそう)の花をつけた森の精が出て来まして、腕輪と黒い鳥の尾とを手にしていられる王子を、お城の中へ送り返してくれました。
 その後、白樫(しらがし)の森はすっかり切り倒されて畑になり、城下には立派な町が出来ました。けれどもどうしたことか、月が毎晩曇(くも)って少しも晴れませんでした。そして次のような唄が、城下の子供達の間にはやり出しました。
お月様の中で、
尾(お)のない鳥が、
金の輪をくうわえて、
お、お、落ちますよ、
お、お、あぶないよ。
 月の光りが少しもさしませんので、国中の田畑の物はよく成長しませんでした。草木が大きくなるには露と月の光りとが大切なのです。国中は貧乏になり、人々は陰気(いんき)になりました。それで王様も非常に困られて、位(くらい)を王子に譲(ゆず)られました。
 王子は、白樫(しらがし)の森の跡に、木を植えさして小さな森を作られ、その中に宮を建てて、千草姫(ちぐさひめ)からもらった腕輪と鳥の尾とを祭られました。それからは急に月が晴れ、五穀(ごこく)がよく実り、国中の者が喜び楽しみました。そして満月の度ごとに、お城の門をすっかり開いて城下の者も呼び入れ、月見の会が催(もよお)されました。

 今でもその神社と森とは残っています。森の中にはいろんな色の小鳥がたくさん住んでいます。これは神社の前で小鳥の餌(え)を売ってる婆さんの話です。婆さんはその話をすると、いつもおしまいには小さな声で「お月様の唄」を歌ってきかせてくれます。




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