文学以前
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著者名:豊島与志雄 

      M

 吾々東洋の知性は、新旧の対立をはっきり感じている。そしてこの新と旧とについて、新たな検討探求に発足することを要求されている。
 このことについて私は或る一つのイメージを得た。書物に依ってである。――ショーレム・アッシュの大作「ナザレ人」という小説の日本語完飜が、「永遠の人」と題して発行されているのを、私は読み耽ったのである。この小説は云うまでもなく、キリスト伝としては最も注目すべき作品であるが、私は茲にその批評をする意志はない。ただ、この作品から得た上述のイメージを書き誌すだけに止める。
 キリストが出た当時のユダヤ民族、それは四方を多神教の異教徒等にとりまかれた唯一の一神教徒だった。すぐ近くのシドンやツロの町などでは、奴隷を酷使しながら、金属工業や機織工業などで繁栄を極め、さまざまな偶像を崇拝して風習は淫靡頽廃していた。ユダヤの地ゲデラの町でさえ、さまざまな偶像の社殿が立ち並んでいた。この中にあってユダヤ人等は、唯一のエホバ神のみを信仰していたが、それはただ在天の神で、如何なる形体をも取り得ないものであり、社殿の内部も簡素なものであった。聖地エルサレムの神殿も、世界各地のユダヤ人からの寄進により、金銀其他の豪華は燦然たるものであったが、神に関する偶像的装飾は何もなかった。
 このユダヤ人等は、政治的にはローマ総督と分封王との支配下にあり、宗教的にはエルサレムの祭司の支配下にあって、幾重もの苛税の下に呻吟していた。そして彼等の日常生活は、厳格なる道徳律によって制約されていた。そうした生活のなかで彼等は、昔のいろいろな予言者等の言葉を信じ、救世主の出現を待望し、それを告げる荒野の中の声に耳を澄していたのである。
 彼等の上層部には、祭司と教師の階級があって律法や誡命などの解釈に当っていた。そして彼等民衆の大多数は、道徳律を厳守してる所謂清浄な人々であったが、その下に、不浄とされてる人々がいた。それは一般に嫌悪軽蔑されてる人々で取税人、犯罪人、謀叛人、遊女、癩者、乞食などであって、普通の人交りは出来なかった。
 そうしたところへ、ナザレの大工ヨセフの子シュアが、救世主として立現われたのである。彼はおもに貧しい人々に話しかけた。不浄とされてる人々にも話しかけた。そして彼が説くところはすべて新らしい意味合を持ち、その行為も新味を持っていた。彼が好んで貧しい人々や所謂不浄な人々へ接近したのは、彼等がその悩みや悔恨の深さによって神へ近づいてることを示すためであった。憤怒と懲罰の面を主として見せていたエホバの神は、彼によって、慈愛憐愍の面を示してきた。救世主による民族救済から世界への君臨の夢想は、この救世主のため、人間苦の象徴たる「人の子」の運命の確立によって、人間救済から人類への君臨の思念と変ってきた。
 彼は幾度も繰返して云った、古き衣に新らしき補布をあてる者があろうかと、また、新らしき酒を古き革袋に入れる者があろうかと、これらの言葉はただ譬えなのである。然し、彼が貧しい人々や所謂不浄な人々と共に食卓に就いて、手を洗わずにパンを割いて食べたことは、食事の前に手を洗うという律令を破るものであって、この点で、彼は直接に祭司や教師の階級と衝突した。然し彼に云わすれば、信仰深き者にとっては口から入るものは凡て潔められるが、信仰浅き者の口から出るものこそ人を汚すのである。茲に於て彼は、律令や誡命などの解釈を飛び越えて、じかに神の許へ行った。彼に見らるる新らしさとか革新さとかいうものは、律令や誡命などの夥しい旧解釈を乗り越して、じかに神の許へ赴いたことにある。
 この新旧についてのイメージこそ、私が茲に提出したいものである。私はキリストのことを取上げたのではない。キリスト教の神のことを取上げたのでもない。夥しい旧解釈を乗り越えて神へじかに復帰することから来る新らしさを、答えとして持出したのである。
 文化の理念に於て、斯かる新旧のことを私は考えるのである。復帰すべき神性を持たない文化こそは憐れである。そこに萠す新らしいものは、旧なるものを打倒しなければならないと共に、それ自身はまだ根柢浅く、充分の成育はなかなか見通しがつき難いであろう。その上、斯かる新らしさは明日は直ちに旧さとなるやも知れない。天が下に新らしきもの無し、とは私は敢て云うまい。然しこの苛酷な言葉は掘り下げて考えられなければならない。
 万物は日々に新たなりということは、発展或は衰退の意味に於て、そして絶対新の理論的拒否に於て、理解されなければならない。然しながらまた更に、新たなものをはばむ旧の存在を充分に考慮することに於ても、理解される必要がある。斯かる理解の上で、万物は日々に新たである。然しその悠長さに任せてはおけない時代に吾々はある。東洋に一種の文芸復興というものが要望されるとしたならば、それは東洋が持つ神性なるものへ一躍復帰することによって、夥しく累積してる旧なるものを乗り越すことから発足し、更にこの発足を世界的規模にまで高めなければならない。
 これがどういうことを具体的に意味するかは、茲には云うまい。さし当って「永遠の人」のキリスト像によって得た新旧のイメージを凝視して、それを吾々自身のものともしたいのである。

      N

 何かの機縁で――それがどういうものだったか今は忘れたほどのごく些細な機縁で――私は亀を飼うようになった。庭の隅に低い囲いをし、小池をあしらった、二坪ほどの地面で、固より大きな海亀などを飼えようわけはなく、ごく普通の亀で、今では、いし亀とくさ亀とが十匹ばかりいるきりである。そのいし亀とくさ亀にしても、初めは、甲羅が美しく均勢のとれたものを吟味して集めたのだが、長く飼養しているうちに、徐々にではあるが勝手な成長をし、また汚れはてて、ごく平凡なものとなってしまった。――その代りよく人に馴れて、手を差出せば指先をしゃぶって、食餌を請求するほどになった。人間にばかりでなく、猫にも馴れてきた。家に二匹の猫がいて、漆黒の親猫の方は、もう亀などを見向きもしないが、純白の仔猫の方は、しばしば亀の囲いの中にはいりこんで、珍らしそうに亀たちをからかっていたが、遂には互に馴れてきて、魚の生肉などを與える[#「與える」は底本では「興える」]時には、同じ皿のものを仔猫と亀と仲よく食べてる始末である。
 無心で亀を眺めるのは楽しい。あの重い甲羅を背負って、水中を泳いだり地上を匐ったりしてる時、その緩慢な動作のうちには、少しも齷齪焦躁の気はなく、ひどく悠然たるものがある。だが、日光の直射にじっと甲羅を干しながら、頸を長く伸ばして四辺を眺め、やがてその頸をひっこめて静まり返る時、その熱せられた甲羅の内側には、如何なる夢想がはぐくまれることであろうか。亀を眺める人の方でも、いつしかうつらうつらとして、怪しい夢想に陥ってゆくのである。――斯かる夢想の本体はなかなか捉え難い。それはもはや超俗の哲理である。
 通俗には、亀について三様の見解があるようである。三様の寓話がそれを象徴する。

 第一の寓話――
 イソップ物語の中のもので、兎と亀の競争として世界的に有名である。日本でも特殊の完成した形態を取り、一般に知られている。
 亀は兎から歩みのおそいのをあざけられまして、それでは競走をしてみようと申込みました。兎は笑って取合いませんが、亀が強いて云いますので、競走をすることになりました。兎は走り出しましたが、途中で、遊んだり居眠りしたりしました。亀はゆっくりとたゆまず歩き続けました。兎がやがて気がついて、決勝点に駆けつけてきますと、亀はもうそこへ到着していました……。
 私見――この話の中の亀は、随分気の強い自惚者か、または相手の性質を見通してる賢者かである。結果としては、勤勉が怠惰に勝つのであるが、亀は果して勤勉かどうか疑問で、ただのそのそ歩き続けてるところだけが亀なのである。

 第二の寓話――
 支那のものとされているが、ドイツの兎と針鼠の話と同様なものである。
 広い河のふちで、亀と烏とが仲よしになりました。ところで、年下の方は年上の方を敬わねばなりませんが、さてどちらが年上かさっぱり分りませんでした。すると亀は、この河を向う岸まで早く渡りついた方を年上にしようと、云いだしました。もとより、烏は空中を飛んでゆき、亀は水中を泳いでゆくのです。そんな競争を、烏は笑いましたが、亀が云い張りますので、とうとうやってみることになりました。二人は岸にならんで、いちどに、烏は飛びだし、亀は泳ぎだしました。烏はまもなく向う岸について、「亀さん、まだかい、」と叫びました。すると、近くの草のなかから、亀が首をだして、「もうここに着いてるよ、」と云いました。――烏はひどくびっくりして、も一度やってみようと云いました。そしてまた競争をしましたが、烏が向う岸について、「亀さん、まだかい、」と叫びますと、近くの草のなかから、亀が首をだして、「もうここに着いてるよ、」と云いました。――烏はなおびっくりして、も一度、これきりも一度、競争をやりなおしてみようと云いました。そしてこんどは、烏は河の真中ほどまで飛んだ時、そこで翼をやすめて、「亀さんまだかい、」と叫びました。すると、河の両方の岸に、同じような亀の首がでて、「もうここに着いてるよ、」と同時に云いました。そして烏から見られると、両方とも、眼をぱちくりやって、首をちぢこめ、こそこそと水の中に隠れてしまいました……。
 私見――この話のなかで、亀は狡猾な者となっているが、その狡猾さも一種ユーモラスな気味に包まれ、相手を見くびった不敵な大愚とでも云うべきものが目立つのは、亀がおのずから持つ徳の然らしむる所であろうか。結果から見れば策略の失敗だが、他から見て相似た二匹の亀であるところに、失敗は救われているのである。

 第三の寓話――
 印度のものであるが、内容はイソップの亀と鷹の話や狐と烏の話などと相通ずるものである。
 小さな池に住んでいました一匹の亀が、その池に時々来る二羽の鸛(こうのとり)から、いろいろ旅の面白い話をきかされて、自分でも空を飛んでみたくなりました。そこで、鸛にむりに頼みまして、木の枝を一本もってきてもらい、自分はその真中を口でくわえてぶら下り、枝の両端をそれぞれ鸛がくわえて、そうして空中の旅をすることになりました。「地上におりるまで決して口をあけてはいけませんよ、」と鸛はくれぐれも注意しておきました。――そのようにして、亀は二羽の鸛の間に木の枝に口でぶら下りながら、すばらしい空中の旅を楽しみました。ところが、ある都会の上にさしかかりますと、その珍らしい空の旅人たちを、大勢の人々が見つけて、ひどい騒ぎになりました。――「おかしな亀だ。」――「ふざけた亀だ。」――「亀の王様だな。」――「そうだ、亀の王様だな。」――わいわい騒いでる声が、亀のところまで聞えますし、やがて亀にも、みんなから笑われてることが分りました。亀はとうとう辛抱しきれなくなりまして、「そうだよ、俺は亀の王様だよ、どうして王様ではいけないんだ!」と叫んでやるつもりでしたが、その最初の一言を云うために口をあけたとたんに、木の枝から離れ、まっすぐに地面に落ちて、甲羅もなにもかもくしゃくしゃに砕けてしまいました……。
 私見――この話のなかの亀は、無謀な野心家で、遂には亀らしくもない短気のために身を亡ぼしてしまったが、それはどうでもよく、あの重い身体で空中旅行を夢みるところだけが真実である。その夢想は、小池のふちの石の上で甲羅を干してる折などに、熱くはぐくまれるもので、たとえ身が亡びてもそれだけは残存するであろう。

 私見は、普通の説とは少し距りがあるかも知れない。それも、私が亀を愛するからであろうか。
 亀を静かに見ていると、私自身も亀の仲間入りをした気持になってくる。亀には少しも人を反撥させるものがないのだ。そして私は、今庭にいる以外のもの、少くも東洋近傍にいるものをみな飼いたくなる。まる亀ややま亀やしな亀は固より、海に住む大きなもの、あか海亀やあお海亀をも飼いたく、美しいたいまいをも飼いたい。亀を愛する気持からして、私が今かけてる眼鏡のふちは、たいまいの甲羅からとれる鼈甲にしている。
 すっぽんだけは少し危い。鋭い歯を具えていて、喰いついたなら雷が鳴らなければ離さないと云われている。だが、このすっぽんの親方について、日本にはいろいろの面白い民話がある。その中で一つ、柳田国男氏が書かれているのを、茲に大略借用すれば――

 昔、美濃の大垣から一里ほど東の中津という村で、古池の水をほして、非常に大きなすっぽんを捕ったことがあります。その人が之を肩に荷うて、大垣の町の魚屋へ売りに行きましたところ、途中である大池の堤を通る時、池の中から大きな声で、おい何処へ行くぞいと云うものがありました。すると背中の籠の中から、今日は大垣へ行くわいと答えました。するとまた池の中から、同じ声で、いつ帰るぞと問いました。これにも籠の中から返事をして、いつまでいるものぞ、明日はじきに帰るわいと、大きな声で云いました。男はびっくりして、こういうのが池の主というものであろうかと思いましたが、ここで弱気をだしては大変と考えて、とうとう魚屋へ行って売ってしまいました。そして翌日、また町に行って、魚屋へなにげない顔で立寄ってみますと、そこの主人の話では、あのすっぽんは恐ろしいものであった、刄物がなくては人間でも破れない生簀のなかから、どうして出て行ったか、見えなくなってしまったそうであります。これが恐らくすっぽんの親方であったろうという話であります。

 この話、なんだか本当にありそうな話で、すっぽんと限らず、年経た亀一般にありそうな話である。――私の庭の亀は口は利かないが、食餌を持って行ってやる時など、大きな古いいし亀は、キーキーと細い声で鳴く。亀としては言葉を発してるつもりなのかも知れない。
 亀を愛する気持は、生物の秘奥に一脈相通ずる気持であり、また超俗の気持であり、更に、日向ぼっこをしてる亀に親しむ気持は、熱い夢を静にはぐくむ気持である。――斯く云うこともまた、亀に類した愚かな夢想であろうか。




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