幻覚記
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著者名:豊島与志雄 

      一

 筑後川右岸の、平坦な沃野である。消く水を湛えた川べりに、高い堤防があって、真直に続いている。堤防の両側には、葦や篠笹が茂っていて、堤防上の道路にまで蔽いかぶさり、昼間も薄暗く[#「薄暗く」は底本では「薄晴く」]、夜は不気味である。
 その堤防の上を、まだ夜明け前の頃、私は母と二人で歩いていた。私は七八歳だったが、別に恐さも不気味さも感ぜず、自分の村から半里余りも来たろうというのに、足も弱っていなかった。母と二人で、急いで歩いていった。
 肺病でねている父のために、薬を買いに行くのである。四里ほどはなれた或る町に、肺病に特効の秘薬があって、その薬をのめば、体内の病毒悪血を忽ちに排出してしまうのだ。然し父は、その薬の服用を承諾しない。母と私とは、父に内証でその薬を買いに行くので、夜中に出かけて、午頃までには帰って来なければならない。
 川の堤防にさしかかった頃、もう夜が明けそうだった。道を急がねばならなかった。
 人通りもなく、風もなく、生きものの気配もなかった。堤防の一方は深い川で一方は広い水田であるが、それらは目に見えず、葦や篠笹の茂みの中は、トンネルのようだった。茂みの葉先がさらさらと袖に触れ、時々、蜘蛛の糸が顔にかかる。でも私は、母と一緒なので恐くなかった。提灯もつけず、ぼーとした星明りをたよりに、道を急いだ……。
 そのことが、ただそれだけのことが、私の脳裡にはっきり刻みこまれていて、時々思い出されるのである。
 然し、事実は違うようだ。肺病の秘薬のことなど、先年帰国の折、人に聞いたが分らなかった。また父は、私の七八歳の頃には健康で、肺病になったのはずっと後年である。第一、母と二人で薬買いに夜中に出かけることが、既におかしい。
 それならば、私は右のことを、夢にみたのであろうか、くり返し夢にみたのであろうか。或は幾つもの夢が集まって、右のような幻覚が出来上ったのであろうか。
 葦や篠笹の茂った堤防は、現実に存在する。私の生れた農村から半里余りのところに、平野の中に真直に長く続いている。昼間もあまり人通りがなく、何か兇事の噂でも起りそうなほど、淋しい場所である。
 其処を、父のために母と二人で歩いていたということが、私の心を惹くのである。父も母も既に世に存しない時になって、父母のことを偲べば、心の底に澱んでくるものは結局、父のために、そして、母と一緒に、とそれだけに要約される。如何なる人も、何等かの意味で、夜明け前の薄暗い堤防の上を、父のために歩いたことがあるだろう、更に一層、母と二人きりで歩いたことがあるだろう。この感懐、単なる感傷ではない。兄弟姉妹のない一人児の私にとっては、殊にそうである。

      二

 私の生家は筑後川流域の農村にあり、親戚は多く福岡市内に散在している。私は親戚の家に寄寓して、市内の中学に通い、休暇の間だけ生家に帰った。
 田舎では、人は殆んど散歩ということを知らない。日常生活が既に自然の中に営まれていて、戸外の大気に接する必要もないし、外に出ても、珍しい物はないのである。ところが、都会からの客があると、田舎の人は俄に自然に対して眼を覚すかのように、飲食や談話などより先ず、野に連れ出し、農作物を見せ、川の土手を歩かせ、夕陽を眺めさせる。都会からの来客を機縁に、自然の中の宝玉が輝き出すのである。
 都会の中学生たる私は、生家に帰ると、もう半ば都会人になっていた。しきりに散歩をした。自然の中のどんなささやかな事物にも、幼時の思い出を伴うので猶更、心惹かるるのだった。時折、都会からの来客があって大勢で外を歩くのが、私には嬉しかった。
 それらの客のうちに、私の好きな叔母さんがあった。美しい人で、言葉つきから挙措物腰まで静かで、笑顔までしとやかだった。何だか清く脆いという感じの人だった。――そういう印象を受けた中学生の私は、その人が大好きだった。
 その叔母さんと、小学生の娘と、私の母と、四人で、晴朗な午後、自然の中を歩くのである。先ず八幡様と地蔵様とにお詣りをし、それから広い河原に行く。清い流れには小鮎や鮠がはねている。河原には、丸い小石のところもあれば、きらきらした砂のところもある。
 叔母さんと母とは、即ち大人たちは、相並んで歩きながら、何の話もせず、黙ったままでいる。大人というものは、どうしてこう、黙って歩くのだろうと、それが私には不思議なのである。千代子――叔母さんの娘――に目くばせをすると、千代子も同感の目くばせを返す。少しおきゃんな気のかった、そして細そり痩せている娘なのだ。
「駆けっこしようか。」
「しましょう。」
 ジャンケン……何のためかジャンケンをして、私たちは駆け出していく。
 もう大人たちは、遠く後れて、見えなくなってしまう。私と千代子とは、駆けたり、草の上に転がったり、水にはいったり、疲れると千代子は私におぶさり、笑い戯れる……。それからまた大人たちと一緒になって、家に帰ってゆく。
 家に帰って気付いたのだが、私は千代子と笑い戯れてるうちに、大事な時計を落してしまった。ぴかぴか光っている美しい銀時計で、私には大変貴重なものだった。
 その時の印象が、今でもはっきり頭に残っている。然し不思議なのは、当時私はそういう時計を持ってたかどうか疑問である。少くとも私は、それを探しに河原へ行った覚えはない。他の凡ては事実であるが、時計のことだけが不確実で、而もその印象が最も鮮明なのである。
 時計だけを夢にみたのであろうか。
 千代子は後に結婚したが、もう此世にいない。時計のことは、誰に語る由もない。

      三

 聖パウロは、ダマスクスへ行く途中の街道で、復活せるキリストに逢った。パスカルは、初冬の深夜、神と対面した。十九世紀の中葉、十三の少女は、ルールドの洞窟の中で、聖母の姿を見た――白衣をまとい、青い帯をしめ、念珠を帯にさげ、異様な光輝にかこまれていた。
 そういう話は多々ある。ところで私は――。
 もとの一高――今の農科大学と、帝大との間の狭い通りは、どうしてか非常に埃が多く、それに自動車の通行が頻繁だから、余り気持のよいところではない。けれども、どういう加減か、時あって、自動車の通行がとだえ、人通りもとぎれ、地面もしっとりと濡い、空気が爽かになごんで、塀にはさまれたあの短い通りが、夢想の境にふさわしくなる瞬間がある。
 そういう瞬間の一つであったろう。当時大学生だった私は、和服の着流しで、ぶらりと、あの通りにさしかかった。弥生町の方から、ゆるやかな傾斜を上っていった。
 その傾斜が、俄に、急な坂道に変って、坂の上から、一人の女がやって来るのである。背の高いすらりとした姿で、そのうえ高下駄をはき、黒いコートを着て、音もなく滑るようにやって来るのである。
 その顔を一目見て、私は惘然と立止ってしまった。年齢は三十歳くらいの感じで、黒のコートにつつまれた姿は絶対的均勢を保ち、ふっくらした束髪にかこまれた顔には、理想的な女性美を示している。――女性美の理想は、人の嗜好によって異るものであって、彼女は要するに、私の理想的な美人だったのである。
 驚くべきことには、彼女は全身、異様な光輝にとりまかれていた。私はその光輝と美貌とに眩惑して、石のように佇んだ。彼女は時間の経過そのもののように移り動き、私に近寄り、私の傍を通りすぎた。私は振向いて見ることも出来なかった。心身とも甘美な恍惚状態にあったのである。
 やがて我に返ると、私の眼の正面には、燦然と黄金色に輝く夕陽が宙にかかっていた。私は眼をしばたたきながら、その夕陽の光にしみじみと浴した。
 その時の彼女を、私は今でもはっきり覚えている。いつまでも忘れることはあるまい。恐らくそれは私の永遠の恋人なのかも知れない。
 彼女がどんな顔立であるか、よく分っていながら、全然云えないのである。それは既に一種の幻影である。ヴェルレーヌも、その夢想の女が、金髪であるか褐色の髪であるか知らないと云う。ただやさしい名前で、彫像のような眼差で、今は黙してるなつかしい声の響きを持っていると云う。それはモナ・リザの微笑のように捉え難いものである。
 彼女の姿は時折私の瞼の中に浮んでくる。永く変らぬ愛というものがもしあるならば、それはまた同時に永く満されない愛であり、理想の幻に対する愛であろう。私は彼女に一つの名前を欲するのであるが、如何なる名前もぴったりとあてはまることがないのである。

      四

 ユーゴーは「レ・ミゼラブル」の中に、人は屡々高声に物を考えると書いている。それは誰でも日常経験することである。吾々が物を考えるのは言葉によってであって、その言葉が、或は心象となって沈黙し、或は低い呟きとなり、或は高声の叫びとなるのであろう――固より、脳裡に於てであるが。高声に物を考えるのは、多くは情意の昂奮している場合であろうが、然し情意の状態の如何に拘らず自然にそうなるような場所もある。
 往年、私は屡々、有楽橋から呉服橋までの河岸ぷちを、深夜、歩くようになっていた、というより、歩くようにしていた。
 夜遅くなると、あの河岸ぷちの方には殆ど人影がない。反対側の歩道は、ちょいちょい人通りがあり、その先は日本橋裏通りの賑やかな場所であるが、わざわざ掘割の岸を歩く者はないと見える。
 歩道は狭く、柳の並木があり、低い手摺の外はじかに掘割であって、満潮の折には水が深々と寂寥を湛える。其処を歩いていると、電車路を走る自動車の音も耳を煩わさない。対岸には、小さな社宅か寄宿舎らしい粗末な建物があり、それが人間生活の玩具箱のように見え、東京駅の大ドームが、空洞な廃墟のように思われる。――但し昼間のことは知らない。
 私はその河岸ぷちを歩くのが好きで、銀座あたりで夜が更けても、わざわざ足を運ぶのだった。そして其処では、おのずから高声に物を考えるのだった。
 ドン・ファンが深夜、河岸ぷちを歩いていると、悪魔が出て来た。「悪霊」のスタヴローギンが深夜、河岸ぷちを歩いていると、懲役人のフェージカが出て来た。だが有楽橋から呉服橋へかけたあの河岸ぷちには、深夜と雖も、悪魔も懲役人もいない。垂れさがってるしなやかな柳絮が、さらさらと帽子をなでるだけである。そしてただ、何故となく、私は高声に物を考えるのである。
 歩きながら高声に物を考えるのは、一のリズムに身を投ずることである。私の心意も肉体も一のリズムに乗って、そのリズムが、或は紆余曲折しながら、或は飛躍しながら、進んで行く。然しそれには、何かの伴奏か、反響か、手応えが、ある筈である。
 そうだとか、そうでないとか、諾否の返答が、どこからか響く筈である。好意か敵意かを含むゼスチュアーが、どこかに見られる筈である。向うの柳の木影に、或はそこの電柱の影に、何かが佇んでる筈である。掘割の底から何かの泡がたつ筈である。
 然し、何物もない。私は冷たい鉄の手摺にもたれて、眼を閉じる。もう脳裡の思考もとぎれて、何物もない……。
 都会のうちに真空の場所があるとすれば、恐らく、深夜のあの河岸ぷちがそうであろう。人の頭脳の空な廻転があるとすれば、恐らく、あの時の私の頭脳がそうであろう。然し、あの時の私の期待、周囲に何かのゼスチュアーを求めた期待は、今でもまざまざと覚えている。それについて、超現実的な明瞭な感覚がある。
 それは、夢の名残の感覚であろうか。或は幻覚であろうか。――こんど、深夜あの河岸ぷちを歩くことがあったら、掘割の濁水に帽子を投り込んでやろう。




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