女人禁制
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著者名:豊島与志雄 

      二

 銀座通りはおかしなところで、夜の十一時頃からがらりと様子が変る。今まで賑やかで華やかで浮々していたのが、すーっと陰にこもってくる。饗宴の室に一時に防音装置をしたような……顔の紅や白粉を俄に洗い落したような……笑ってる最中に歯が一枚ぬけ落ちたようなものである。戸を閉めた商店の間々に、まだ戸の開いてるのはしいんと静まり返り、歩道の夜店はしまいかけている。なお人通りはあるが、どの顔も佗しげで、兇悪の相さえ帯びている。享楽の滓が幽鬼となって、そこいらの物影にひそんででもいるのだろうか。
 そういうところを歩くのは、殊に微酔をおびて歩くのは、悪くはない。私は好きだ。けれど彼女は、どうしたのか、へんに慴えてるようだ。慴えてるだけならよいが、なんだか寒そうで、貧相で、見すぼらしい。その敏活な清い眼は、もう凍りついて動かない。そのふくよかな色艶は、もう皮膚の下に沈みこんでいる。そのやさしい香りは、もう消え失せてしまっている。そして肩をすぼめ、身体を硬ばらして、とっとっと足早に歩く。時々、急に寄りそってくるし、またつと離れる。勿論口など利かない。そうなってくると、何のために歩いてるのか分らなくなる。一体銀座通りは、目当てなしに急いでつき切るべき処ではなく、ぶらりぶらりと歩くべき処だ。コーヒーの香りかビールの泡に身を任せておくべき処だ。それを彼女は、木で出来た人形のようにぎごちなく、而も足早に歩いていく。私もしたがって足を早める。だが、身体は追いついても、心は後れる。もう見ず識らずの他人だ。他人のあとについてゆくくらいばかげたことはない。
 もう十一時過ぎなのか。だが十一時を過ぎても、他の場所だったら、たとえしんしんとした神社の中でも、淋しい野の中でも、彼女は何かしら生々としたものを、血の通ってるものを、示してくれるだろう。ところが銀座では、彼女は血の通わない自動人形だ。なぜだろう。もうこんなところを一緒に歩くものではない。そこで、私の心は更に後れ、身体まで後れてくる。然し彼女は知らん顔で、とっとっと歩いてゆくのだ。

      三

 東京湾で舟を乗りまわすのは面白い。乗りまわすといっても、和舟にモーターのついた、舟宿から出してくれるあれだ。
 冬は鴨猟。夜のひき明けがよいので、少し寒いが五時頃、薄暮いうちから出かけるのである。御猟場の近くには、何度あらしても、また鴨が出てきている。対岸の木更津付近には、何万という鴨がついている。鴨に交って、鵜や鷺や雁もいる。鴎は禁鳥だ。昔はモーターの音を嫌ったものだが、近頃では却って帆影を恐れ、モーターの音には馴れている。わりに近くまで寄せられる。ぱっと飛び立つところを打つのだが、たといそれても、朝の海上にターンと響く銃声だけでも爽快だ。
 夏は投網。御台場の近くから、更に先方、或は江戸川口の方へと、それは潮加減による。ぱっと網が空を切って、円く拡がって水面におちると、速力をゆるめながら舟をくるりとまわすのだ。鱸、鯖、太刀魚、鯔、其他雑魚まで、数時間でバケツ四五杯はとれる。時には、魚群の上に全速力で舟をやると、魚の方から舟の中にとびこんでくる。
 凡ては船頭任せだ。私たちはただ寝ころんで、空を眺め、海を眺め、煙草をふかし、雑談にふけり、鳥か魚かを珍らしがり、手で弄び、或は即席に料理して酒の肴にするのもよい。
 然るに、元気だった彼女が、いつしか黙りこんで神妙にひかえている。獲物は固より、空の雲にも遠い帆影にも、もう興味をもたなくなったらしい。気分でも悪いのかといえば、そうでもない。腹でも痛いのかといえば、そうでもない。茶もサイダーも口にせず、いやにつんと澄しかえっている。何か彼女の機嫌でも害したことがあるのだろうか。だが、そんなことにかまってはいられない。広々とした空と海とのなかだ。些細な事柄は微風が吹き払ってくれる。
 彼女の機嫌はいつまでもなおらない。そして、つんと上品に澄していたのが、急に、もじもじ身をくねらして、顔をほんのり赤らめて、「あのう……先生、」或は、「ねえ……××さん。」
 そうこられると、こちらはちょっと面喰うのであるが、それがなんのこと、おしっこなのだ。子供や男のおしっこならよいけれど、女人方のは大変だ。舟を海岸に走らせ、而もそこいらに用を足せる場所があるかないか。そうなってくると、晴れやかな朗かな海上の興趣もふっとんでしまって……ああ、何の因果ぞや。




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