野ざらし
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著者名:豊島与志雄 

 所が、それから半年か……そうですね、一年とたたないうちに、彼女は雑誌記者として、ふいに僕の前に現われたのです。
「そうそう、中西さんの所でお目にかかりましたね。だが、雑誌記者たあ随分変ったものですね。」
 というような挨拶をして、それとなく、彼女の身の上を知ってみたいという好奇心が、僕のうちに萌しました。けれども彼女は当り障りのないことをてきぱきした言葉で述べながら――そのくせ、自分自身に関することについては妙に曖昧に言葉尻を濁しながら、僕の言葉をあらぬ方へ外らしてしまうんです。非常に明敏な頭を持ちながら、自分自身のことについてはまるで渾沌としてる……といった印象を僕は受けました。
 それから、来訪の用件に移ると、実は雑誌社にはいったばかりでまるで見当がつかないが、最初の原稿として何か面白いものを取って皆をあっと云わしてみたいから、神話に関する先生の原稿を是非頂きたい、と云うのです。僕が神話の研究者であることを、何処かで聞いていたとみえます。僕は承知するつもりで期日を聞きますと、一週間以内に是非と云うじゃありませんか。而もその一週間は、僕は学校の方の答案調べやなんかでとても隙がありません。
「それじゃお話して下さいませんかしら。私書きますから。」
 いつ? と尋ねると、只今、と云うんです。
 僕は苦笑しながら、兎に角話を初めました。フーシェンが山へ行って、恐ろしい姿のものを見て、石を掴んで投げつけると、その石が岩に当って火花を発し、その火が広い野原中に拡った、それがペルシャの拝火教のそもそもの火であるというようなことや、印度の火神アグニーは、枯木の材中に生命を得て来て、生れ出るや否や、自分の親である木材を食い尽そうとする、などというような、神話の起原と自然現象との分り易い関係の話を、少しばかりしてやりました。彼女は談話筆記は初めてだと云いながら、わりにすらすらと書き取っていましたが、一寸つかえると、僕が先へ話し進めるのをそのままにして、一言の断りもしないで、じっと僕の顔を見てるじゃありませんか。まるで女学校の生徒が先生の講義を筆記してるといった恰好です。僕は苦笑しながら、その引っかかってる所からまた話し直してやる外はなかったのです。
 用が済むと、彼女はさっさと帰って行きました。その後で僕は、彼女が団扇を手にしようともしなかったことと、暑いのに着物の襟をきちんと合してたことと、而も額には汗を少しにじましてたこととを、何故ともなく思い出したものです。
 僕がどうしてその日のことをこんなに詳しく覚えてるかは、自分でも不思議なくらいです。彼女が帰った後で、僕は非常に晴々とした気持になって、初めからのことを一々思い浮べてみた、そのせいかも知れません。
 が、こんなに細かく話してては、いつまでたっても話が終りそうにありませんから、これから大急ぎでやっつけましょう。その上、其後のことは僕の記憶の中でも、頗るぼんやりしていてこんぐらかっているんです。
 沢子が僕の談話を取っていってから、可なりたって、その雑誌社から雑誌を送ってきました。読んでみると、僕の話した事柄が、可なり要領よくそして伸びやかな筆致で書いてありました。これなら上乗だと僕は思いました。すると、丁度その翌日です。沢子が雑誌と原稿料とを持って飛び込んで来たものです。
「先生のお蔭で、私すっかり名誉を回復しましたわ。」
 何が名誉回復だか僕には分りませんでしたが、彼女の喜んでるのが僕にも嬉しい気がしました。雑誌は社から既に一部送って来てると云うと、でもこれは私から差上げるのだと云って、置いてゆきました。原稿料はあなたが書いたんだからあなたのものだと云うと、そんな機械的な仕事の報酬は社から貰ってると云って、それも置いてゆきました。
「私これからちょいちょい先生の所へ参りますわ。どんなお忙しいことがあっても、屹度引受けて下さいますわね。そうでないと、私ほんとに困るんですの。」
 そんな一人合点のことを云って、彼女は帰ってゆきました。それが却って僕の心に甘えたことを、僕は否み得ません。
 それから彼女は、殆んど毎月僕の所へやって来て、僕の談話を筆記してゆき、次に自分自身で雑誌と原稿料とを届けてきました。各国の神話の面白そうな部分々々の話は、婦人雑誌には可なり受けたものと見えます。彼女はいつも喜んでいました。それに彼女自身、国の女学校に居る時ギリシャ神話を大変愛読したとかで、僕の話に頗る興味を持ってくれました。長く話し込んでゆくことさえありました。そして僕の方では、月々同じものが二冊ずつたまってゆく雑誌を、嬉しい気持で眺めたものです。
 そういう風にして、僕達の間には、記者と執筆者という普通の関係以外に、友達……と云っちゃちと当りませんが、そう云った親しい馴々しい打解けた気分が、次第に深くなってきたのです。そして僕は彼女の時折の断片的な言葉をよせ集めて、彼女の身の上をほぼ知りました。
 彼女の家は、富山でも――越中の富山です――相当の家柄だったのが、次第に衰微して、彼女が女学校を卒業する頃には、可なり悲境に陥ったらしいのです。そして、或る伯父の策略から、彼女は金銭結婚の犠牲にされそうな破目になって、母親の黙許を得た上で、東京へ逃げ出してきたのです。勿論その間の事情は、僕にはよく分りません。が兎に角、彼女は東京に逃げ出してきて、前からいくらか名前を聞きかじってる――というのは、彼女はまあ云わば文学少女の一人だったのです――名前を聞きかじってる中西夫人の許へ、身を寄せたわけです。その頃僕は彼女と二三度花骨牌の仲間になったのです。そして中西の家でどういうことがあったか、或は恐らく何事もなかったのかも知れませんが、彼女は其処に居るのが嫌になって、と云った所で、国から仕送りを受けて勉強するという訳にもゆかず、女中奉公も気が利かず、仕方なしに、何とか伝手(つて)を求めて、雑誌社にはいったような始末です。けれど、中西の家だって雑誌社だって、結局は彼女に適した場所ではありません。彼女はどんな所に置いても大丈夫であると共に――どんなことをしても純な心を失う恐れがないと共に、また同じ程度に、どんな所にもあてはまらない――安住し得ない性質を持っています。空中にでも放り出しとくがいいような女です。君はそうは思いませんか。
 所で……どこまで話しましたかね。……そう、僕と沢子と可なり打解けた間柄になった。すると半年もたってからでしたか……そうです、年が改ってからです。松のうちに一度やって来て、殆んど一日遊んでいってから――後で僕は思い出したんですが、その半日以上もの間、彼女は殆んど僕の書斎で神話の書物をいじくってるきりで、子供や妻を相手にしようともしなかったのです、勿論彼女は僕の家庭に親しんではいなかったのですが――それから後は、やって来ることが急に少くなりました。その代りに、度々手紙をくれるようになりました。後になってから僕は、その一日のうちに、僕と彼女との間に、どういう話が交わされたか、またどういうことが起ったか、いろいろ考えてみましたが、よく思い出しません。ただ彼女が、ペルセウスとアンドロメダというライトンの絵の写真版を、いつまでもじっと眺めていたことが、変に頭に残っています。そんなつまらない絵を何で眺めてるのかと、不思議に思ったからでしょう。
 彼女の手紙にはいろんなことが書いてありました。忙しくてお伺い出来ないのが悲しい、といつも前置をしてから、次に、日常生活の些細なこと――誰の所へ行ってどういう目に逢った、社でどんな話が出た、宿のお上さんがこれこれの親切をつくしてくれた、雪が降って故郷のことを思い出す、泥濘(ぬかるみ)の中に何々を取落して困った、今日はこういう悲しい気持や嬉しい気持になってる……などと、まるで一日の労働を終えて晩飯の時に、兄弟にでも話しかけるような調子のものでした。そして僕は、彼女がそんな事柄を書きながら、或る一種の慰安を得てることを、はっきり感じました。で僕からも自分の日常生活の断片を書き送りました。それがやはり、僕にとっても一種の慰安でした。時によると、精神上の事柄を書き合って、互に力づけ合うようなことさえありました。そして僕は、二人が東京市内に住んでいて何時でも逢える身なのに、屡々手紙を往復してるという不自然な状態には、少しも自ら気付かなかったのです。ただ、彼女と逢ってみると――もう彼女は原稿なんかも手紙で頼んできて、滅多にやって来なかったですが、それでも二月に一度くらいはやって来ました――そして逢ってみると、手紙のことはお互に口に出せないのを、はっきり感じました。何でもないことを書き合ってたつもりでも、或は何でもない些細な事柄ばかり書き合ってたためか、それが二人の心を恋に結びつけてしまって、面と向っては何だか気恥かしい心地がしたものです。馬鹿げてると云えばそれまでですが、実は、其処から凡てのことが起ってきたのです。
 梅雨の頃……六月の初め、僕の妻は肺炎にかかりました。病院にはいるのを嫌がるものですから、家に臥(ね)かして看護婦をつけました。そして僕も出来るだけ看護したつもりです。その僕の看護については、妻は何とも云わなかったですが、子供達に対して――二つと五つの女の児です――それに対して、僕が母親の代りをも務めてくれる所か、非常に冷淡だったと、後になって彼女は不平を云いました。或はそうだったかも知れません。何しろ僕は、士官学校と明治大学とに教師をしていましたし、その方だけでも可なり忙しい上に、神話の研究という仕事があったものですから、そうそう病人や子供達ばかりを構ってはいられなかったのです。がそれはまあ兎も角として、妻の経過は案外良好で、六月の末にはもう医薬も取らないでよいほどになりました。僕もほっと安心しました。けれど、病後の容態――精神上の状態が、余りよくありませんでした。変に神経質にヒステリックになって、つまらないことにも腹を立てたり鬱ぎ込んだりする外に、軽い神経痛を身体の方々に感ずるのです。肺炎のために神経がひどい打撃を受けて、それがなかなか癒らなかったのでしょう。
 それで、七月の半ばから子供を連れて保養旁々、妻は房州の辺鄙な海岸へ行くことになりました。僕の身分で贅沢なことは云って居られませんから、百姓家の狭い離室(はなれ)を借りたのです。僕は士官学校がなお休暇にならないものですから――休暇は八月になってからです――東京に残っていました。そして、久しぶりに妻や子供と離れて、がらんとした家の中に寝そべってると、何とも云えぬ暢々(のびのび)とした気持になったものです。女中が一切の用は足してくれるし、煩わしい心使いは更にいらないし、避暑に行くよりよっぽど気楽でいいと思いました。八月になって士官学校が休暇の折にも、僕は房州へ一度も行きませんでした――それを妻は後で僕に責めたのですが……。
 妻や子供達の不在中に、僕は沢子の来訪を知らず識らず待っていたのです。二人でのんびりと他愛もない話に耽りたいと思ったのです。勿論妻が居たとて、別に僕は沢子へ対して疾しい心を懐いてるのではなかったのですから、妻の手前を憚る必要はない筈でしたが、それでも何となく気兼ねがされたのです。妻に気兼ねをするからには、疾しくないとは云え、やはり何かが其処にあったのでしょうね。実際の所、妻が房州へ行ってから、僕と沢子との手紙の往復は、ずっと数多くなりました。月に一回か二回だったのが、二三回になったと覚えています。けれど、沢子は妻の不在中一度も訪ねて来てくれませんでした。僕も明かに来てくれとは云ってやれなかったのです。或る時の彼女の手紙に、「お伺いしたいのですけれど、それをじっと押えてることを、御許し下さいましょうか。」という文句があったのを、僕は謎をでも解くような気持で、何度も心の中でくり返してみたことを、はっきり覚えています。
 八月の末になって、妻と子供達とは帰って来ました。その潮焼けのした顔を見て、僕は他人をでも見るような気でじっと見守ってやったものです。そして妻の身体は、前よりもずっと丈夫そうになっていましたが、神経は前より一層いけなくなっていました――少くとも僕はそう感じました。それは確かに僕の僻みばかりでもなかったのでしょう。……僕は間違ったのです。温泉か山にでもやればよかったのを、反対に海へやったために、彼女の神経は落着く所か、却って苛立ったに違いありません。
 妻が帰って来て間もなく、沢子がふいにやって来ました。その時、僕は変にうろたえたものです。子供を相手に絵本の話をしてやってる所でしたが、女中が彼女の名刺を取次ぐと、僕はいきなり玄関へ出て行って、どうぞお上りなさい、と云って、それからまたふいに子供達の所へ戻ってきて、初めの慌て方を取返しでもするような気で、話の続きを終りまでしてやって、それからゆっくりと、意識的にゆっくりと、二階の書斎へ上っていったものです。我ながら滑稽でした。けれどそれが妙に真剣だったのです。座についても、煙草をふかしたり、眼鏡を拭いたり、机の上の書物を片付けたりして、変に落着かないのを、更にまた自ら苛立ってるという心地なんです。そういう僕の様子を、沢子はじっと見ていましたが、やがてこんなことを云ったのです。
「奥様はお丈夫におなりなさいまして?」
 僕は答えました。
「ええすっかり丈夫に……真黒になっています。」
 それが不思議なことには、何だかこう遠い無関係な女のことをでも話してるような調子に、僕の心へは響いたのです。それから突然、沢子の眼は悲しい色を浮べました。それで初めて凡てがはっきりしました――凡てがと云って、何の凡てだかは自分にも分りませんが、兎に角、自分の心が家庭というものから離れて宙に浮いてる、といったようなことなんです。
 沢子は、神話の話や雑誌の話などを少し持出しましたが、ともすると僕達は沈黙に陥りがちでした。実際長い間黙ってることもありました――口を利くこともないといった風に、或は、口を利くのが恐ろしいといった風に……。そして彼女はやがて帰ってゆきました。
 それを僕は玄関まで送っていって、それからまた二階の書斎へ上ったのですが、何かが気になって、また階下(した)へ下りてきたのです。すると、妻がいきなりこう云いました。
「まあ、嬉しそうにそわそわしていらっしゃること!」
 妻の皮肉な眼付とその言葉とが、僕の胸を鋭くつき刺したのは勿論のことです。
 そして僕はいつとはなしに、ぼんやり書斎に引籠って、妻のことなんかは頭の隅っこに放り出して、沢子の若々しい面影を眼の前に描き出してる自分自身を、屡々見出すようになりました。
 僕は妻を愛していたのでしょうか? 妻は僕を愛していたのでしょうか?……勿論僕達二人は、普通の意味では愛し合っていました。けれど、何かが、本当の切実な生活感が、深い所に潜んでるもの――それは後で申しましょう――それに対する自覚が、欠けていたのです。
 僕と妻とは結婚当初から可なりよく融和して、凡そ夫婦というものが愛し合う位の程度には愛し合いました。僕は大した深酒ものまず、道楽もせず、一種の学究者でして、生活が華やかでない代りに、至って真面目だったのです。妻は所謂良妻賢母といった型(タイプ)の女で、几帳面に家事を整えてくれました。で僕達はまあ幸福な家庭を作ったわけです。所が、お互に性格の底まで触れ合うくらいに馴れ親しみ、それから次には、夫婦の鎹(かすがい)と世間に云われてる子供が出来、生活が複雑になってくるに従って、妙な工合になってきたのです。妻の生活の中心は子供となり、僕の生活の中心は自分の勉強となって、而もその両方が、まるで別々の世界かの観を呈したものです。妻は子供を偶像として押立て、僕は自分の仕事を偶像として押立て、そして互に領分争いみたいな調子になってきたのです。
 現代の婦人の生活は、結婚して子供が出来ると共に、自分の生活であることを止めて、全く奉仕の生活となります。子供に奉仕するのです。凡てのことは子供を中心に割り出されます。良人の仕事なんかはどうでもいいのです。良人はただ、子供の立派な成育に必要なだけの金と地位とを得てさえくれれば、それで十分なんです。――それから第二に、彼女の精神的進歩はぴたりと止ってしまいます。否却って精神的に退歩してきます。善良なる保母、それが彼女の理想となります。――第三に、彼女は良人を十重二十重に縛り上げて、自分の従順な奴隷にしようとします。献身的な愛を要求します。
 所が、男の方から云えば、それらの凡てが間違ったものに見えます。勿論、自分自身に見切りをつけて、子供の生長にのみ望を嘱するといったような、隠退的な心境にはいった者は別ですが、そうでない者、まだ自分自身を第一に置いて考えてる者は、妻のそういう態度が心外なものに思われます。第一に、妻が真向に押立ててる偶像――子供――に対して一種の反抗心を起します。第二に、精神的に退歩してゆく妻を、愚劣な女だと軽蔑します。第三に、自分を身動き出来ないようにとする妻へ反抗して、あくまでも自由でありたいと希います。――而も一方に、彼は第一義的な自分の仕事というものを持っています。そして、その仕事に理解のあるやさしい女性の魂を必要とします。そういう女性の魂を欠いた彼の生活は、如何に落寞たるものでしょう? 所謂悟道徹底した者ででもなければ、その落寞さに堪え得ません。大抵の者は、淋しい魂の彷徨者となります。
 結婚に次いで来る幻滅(デスイリュージョン)――それが男の大なる躓きです。この躓きを無事に通り越す者は幸です。
 然しこんな議論はもう止しましょう。それは理屈では分らないことです。一々切り離して眺むれば全く無意味なような、日常の些細な事柄が、積りに積ってくる――その全体の重量を背に荷った人でなければ、分るものでありません。――君は、豊島与志雄氏の理想の女という小説を読んだことがありますか。何なら読んでごらんなさい。この間の消息が可なり詳しく、執拗すぎると思われる位の筆つきで書かれていますから。
 で、要するに、その頃僕の心は、可なり妻から離れて、或るやさしい魂を求めていたことだけは、君にもお分りでしょう。
 そういう心で僕は妻を眺めてみて――今迄よく見なかったものを初めてしみじみと眺める、といった風な心地で眺めてみて、喫驚したのです。何という老衰でしょう! 髪の毛は薄くなって、おまけに黒い艶がなくなっています。昔はくっきりとした富士額だったその生え際が、一本々々毛の数を数えられるほどになっています。顎全体がとげとげと骨張っていて、眼の縁や口の隅に無数[#「無数」は底本では「無新」]の小皺が寄っています。或る時彼女が庭に立って、真正面から朝日の光を受けてるのを見た時、僕はまるで別人をでも見るような気がしました。昼間の明るい光の中に出てはいけない! そう僕は咄嗟に感じたのです。……けれど、それらのことや、少し背を屈み加減にして肩を怒らしてることや、長火鉢の隅にかじりついてる時が多くなったことや、なかなか腰を立てない無精な癖がついたことや、怒りっぽい苛立たしい気分になったことや、手足の筋肉がこちこちに硬ばってきたことや……そんな無数の事柄は、肺炎の衰弱から原因してると一歩譲って考えても、どうにも我慢の出来ないのは、彼女の全体――身体と精神との全体に、一種の冷やかな威厳を帯びてきたことです。僕と意見が合おうが合うまいが、そんなことに頓着なく自分の意見を主張し、家の中を冷然と監視し、その言葉付から挙動から態度に至るまで、少しの余裕もない厳粛さを示してるのです。やさしみとかゆとりとか濡いとか柔かみとかいったようなものは、つゆほども見えないのです。一体彼女は表情の少い至極善良な――この善良ということは、鈍重ということと一歩の差ではないでしょうか――その善良な女だったのですが、それが、僕の気付かぬまに、冷やかな威厳の域へまで変化して――向上してきたわけです。
 そういう妻を見出した僕が、いくら自ら抑えても、沢子の方へ心惹かれていったのは、当然ではないでしょうか。殊に、沢子をよく知っている君には、僕が沢子へ惹きつけられていったことは、よくお分りでしょう。そして僕は、益々妻に対しては冷淡になってきました。
 それになおいけないのは……これは一寸話しにくいことですが……僕の性慾が可なり弱かった――友人等にそれとなく聞き合して比較してみると、非常に弱かったということです。生理的の欠陥があるとは自分で思ってはしませんが、兎に角、僕は普(なみ)外れて性慾が弱いようです。所が、夫婦生活には、この性慾ということが可なり重大な条件らしいのです。大抵の女は、性慾の飽満を与えらるれば、それで自分は愛せられてるのだと思うものです。
 所で……こういう風に停滞していては仕末に終えませんから、物語だけをぐんぐん進めましょう。
 妻は僕と沢子との間を、ひそかに窺いすましていたらしいです。沢子から手紙が来ると、「あなたの恋人から……、」などと云い出したものです。「手紙よりも、じかに逢っていらっしゃい、許してあげますから、」などと云い出したものです。「馬鹿!」と僕は一言ではねつけましたが、彼女の眼付がいやに真剣になってるのを感じました。
 そのうちに、馬鹿げたことが起ったのです。僕達はごく稀に、絵画展覧会や音楽会などへ行くことがありました。そして……十一月でしたか――丁度昨年の今頃です――僕は何の気もなく或る音楽会の切符を、妻と二人分だけ前以て買いました。考えてみると、妻が肺炎になってから後二人で出歩くのは、それが初めてだったのです。その前日から丁度、道子――長女の道子が、感冒の様子で少し熱を出していました。然し大したことでもなさそうだし、折角切符まで買ってあるのだからというので、女中によく道子のことを云い含めて、僕達は出かけたのです。音楽会は、ピアノとヴァイオリンとで、演奏者の顔も相当によく揃っていて、可なり成功の方でした。
 その帰り途です。寒い風が軽く吹いて、月が輝っていました。濠に沿った寂しい道を、僕達は少し歩きました。晴着をつけお化粧をしてる妻と並んで歩くのが、僕には変に珍らしく不思議だったのです。暫く黙って歩いていましたが、妻は急に慴えたような声で、「道子はどうしてるでしょう?」と云ったものです。その時、僕の心のうちに、非常な変動が起りました。何かしらもやもやとしたものが消えてしまって、凡てがまざまざと浮んできたという感じです。自分が如何に勝手なことをしていたか、彼女を如何に苦しめていたか、彼女と自分とが如何に遠く離れてしまったか、というようなことを、しみじみと感じたのです。僕の胸は涙ぐましい思いで一杯になりました。僕は低い声で、自分自身に云ってきかせるかのように云いました。
「節子、何もかも許してくれ。僕がみんな悪かったのだ。僕はどんなにお前を苦しめたろう! そしてまたどんなに自分自身を苦しめたろう! 僕の心は誤った方向へ迷ってたのだ。今僕には何もかもはっきり分った。僕はお前を本当に愛してる。あの……沢子さんと交際するのがお前につらいなら、僕はこれから断然交際を止めてしまおう。それが本当なのだ。もう往き来もしなければ、手紙も出すまい。僕はそれを誓う。誓って絶交してみせる。ねえ、これで何もかも許してくれ。節子、二人だけの途を進もうじゃないか。」
 妻は泣いていました。僕も涙ぐんでいました。そして何かに感謝したい心で一杯になっていました。
 僕は後で考えてみて、どうしてその時そう感傷的な心地になったのか、自分でも不思議なくらいです。実際、それから家に帰ってきて、すやすやと眠ってる道子を見出して、ほっと安心した気持で妻と顔を見合した時、僕は自分でも変に気恥かしかったのです。とは云え、その感傷的な心地のうちにこそ、僕の本当の魂があったのかも知れません。
 けれどもそのことから、事情は急に険悪になったのです。宛もそうなるのが運命ででもあるように、一歩々々破綻へ押し進んでいったのです。そして僕自身は、余りにうっかりしていました。
 僕は妻へ誓いはしたものの、どうしても沢子のことを忘れる――心の外へ追い出すことが出来なかったのです。その上、妻と僕との間は、また以前通りの冷たいものになってしまったのです。あの音楽会の晩は、云わば燃えつきる蝋燭の最後の焔みたいなものでした。そのために却って、僕達の間は一層陰鬱になったのです。そして僕はそれを元へ引戻そうとは努めずに、沢子の面影へばかり心を向けたのです。
 僕は妻へ内密(ないしょ)で手紙を書きました。勿論内容は何でもないことばかりを選んだのですが、度数は前より多くなりました。沢子からも年内に一度手紙が来ました。一度は自身で訪ねてきました。そして、神話の原稿も可なり続いたから、正月号から暫く休むという社の意向だと、済まなさそうに僕へ告げました。僕が妙に黙り込んでるので、暫くして帰って行きました。
「神話の原稿も当分いらないそうだから、これで沢子さんとの交渉も絶えるわけだよ。」
 そんな白々しいことを、いくらかてれ隠しの気味もあって、僕は妻へ云ったものです。妻は僕の方をじろりと見て、「そうですか、」と冷淡に云っただけでした。
 それから正月になって、僕は手紙を書いてる現場を妻から押えられたのです。霙交りの風が物凄く荒れてる夜でした。風の音に聞入りながら沢子のことを考えてると、何とも云えない悲愴な気持になって、こまこまと而も要所を外した文句で手紙を書き初めました。その時妻がふいに僕を襲ったのです。恐らく彼女は虫が知らしたとでもいうのでしょう。いつもは子供を口実に早くから寝てしまって、夜遅く僕の書斎へやって来るなどということは、殆んどなかったものです。所がその晩に限って嵐の音に乗じて夜更けに僕を襲った――そういう風に僕は感じたのです。襖の開く気配に振返ってみると、何かを狙いすますような眼付で、足音も立てずに僕の方へ守って来るじゃありませんか。僕は喫驚して……或る神秘的な恐怖を感じて、いきなり立上ったものです。その様子がまた、彼女には異様に思われたに違いありません。彼女は一瞬のうちに凡てを悟ったらしいのです。いきなり書きかけの手紙を掴んで、これは何です? と聞いたのです。僕はどうすることも出来ませんでした。
 それから、痛ましい場面が起りました。妻は口惜し泣きに泣きながら、僕へがむしゃらにつっかかってきました。わざわざ年賀状まで出しておいてすぐに……と云うんです。実は、僕は沢子へ年賀の葉書を書いて、これだけはいいだろうと妻へ見せたのでした。つまらない技巧を弄したものです。それから、妻は僕の手紙の文句を一々切り離して、例えば「この荒凉たる冬のように私の心も淋しい……春の柔かな息吹きを望んでいます……ともすると生活が嫌になります……理解ある友情が人生に於ての慰安です……」などという言葉……前後の文脈にうまく包み込まれてはいるが、僕の切ない心が影から覗いてるような言葉、それだけを一々取上げて、僕を責め立てるんです。次には、音楽会の帰りに自分から誓っておいて! ……あれも私を瞞着するためのお芝居だったのでしょう、と云うんです――その点に彼女は最も力を入れていました。それから始終隠れて逢ったり文(ふみ)をやりとりしていらしたに違いない、などと……。其他、僕は一々覚えてはしません。彼女は恐ろしく興奮していましたし、僕も非常に興奮していました。そして、いきり立った彼女の前に、僕は何という醜い卑怯な態度を取ったことでしょう! 反抗の心がむらむらと起ってくるのを強いて押えつけて、ありもしない涙まで搾り出して、彼女の前に奴隷のように哀願したのです。今後の行いで証(あかし)を立てると誓ったのです。
 其場はそれきりに終りました。僕はそのために、何とか片をつけなければならない事情にさし迫ったのを、はっきり感じました。そして、片をつけるためと称しながら、とんでもない途へ進んでいったのです。
 僕は妻の目を偸んで、沢子へ長い手紙を書きました。――私はあなたへ一切を告白しなければならない、というのを冒頭にして、いつとはなしに彼女を愛していたこと、彼女の面影が自分の心に深く刻みつけられてること、その彼女は、遠くを見つめるような澄み切った眼でいつも自分を見つめていて、理解のあるやさしい心で自分を包んでくれる、晴々とした自由な純潔な少女――この少女というのが大切なんです――少女であること、そして、自分は妻と二人の子供まである身でありながら、不自然だとは知りながら、そして妻を愛していながら、どうしても彼女の面影を払いのけ得ないこと、などを長々と書きました。次に、妻との間が気まずくなってることを少し書きました。それから、けれど自分は今長い苦しみの後に、或る晴々とした所へ出られた、危険の恐れなしにあなたと交際し得られる自信がついてる、やがては妻の心も解けて、あなたのお友達になるかも知れないと思う、というようなことを書き、但し当分のうちだけは訪問を止してほしい、そして士官学校宛に手紙を頂きたい、と述べておいて、けれども私の告白があなたに不快ならば、あなたに苦しみをかけるならば、このままお別れするか否かは、あなたの自由にしてほしい、と手紙を結んだものです。
 実際僕は、他愛もないことを空想していたのです。自分の愛を葬ってしまって、彼女と普通の交際を続け、やがては妻をも加えて、三人で親しい友達になる、というのです。そして、士官学校では手紙を自宅へ回送しないで取って置いてくれるものですから、そちらへ手紙を貰うことにしたのです。……それから、僕の心持のうちには、自縄自縛する気もあったでしょうし、凡てを彼女の手中に託して捨鉢になる気もあったでしょうし、其他何だか自分にも分りはしません。
 やがて彼女から返事が来ました。――私は先生をなつかしいやさしい方として、兄のように、叔父のように、……いえやはり先生といった気持で、おしたいしていたのですが、それが、自分の不注意から、奥様の御心を害(そこな)ったのを、しみじみと恥じられ悔いられてなりません。お許し下さいませ。これから御交際を続けるかどうかについては、随分考えましたけれど、先生も危険がないと仰言いますし、私の方も危険なんか感じられませんから、やはりお交りしても差支えないだろうと存じます。奥様を偽ることは悲しいけれど、やはりこれまで通り、先生として親しまして下さいませ。……と云った要領の手紙でした。
 僕はそれを読んで、一種の不満を覚えました。何故かは分りませんが、恐らく僕は、彼女が僕の手紙を読んで、実は私もあなたを恋していました、もう苦しさに堪えきれません、と云ったような返事をくれることと、心の奥で待っていたのでしょう。馬鹿げています。が兎に角、彼女の返事によって、僕は急に前途が開けてきたような気になりました。空想が実際となって現われるかも知れないと思いました。そして僕は二度ばかり彼女へ、輝かしいとか晴れやかとか光明とかいう文字をやたらに使った、若々しい手紙を書いたものです。
 所が、或る晩、妻はまた僕の書斎へ押寄せてきたのです。彼女の様子で、僕はただごとでないと直様察しました。果して彼女は、糞落着きに落着き払った態度で、僕へ肉迫してきました。
「あなたにこの字がお読めになりまして?」
 そう云いながら彼女は、一枚の新らしい吸取紙を差出しています。それを見ると僕は息がつまりそうな気がしました。沢子様という僕の文字がありありと現われてたのです。
 呪われたる吸取紙哉です。吸取紙からいろんな秘密が暴露することは、西洋の小説なんかにはよくありますね。レ・ミゼラブルにも吸取紙が重大な役目をしてる所がありましたね。実際秘密な手紙を書く折には、ペンでなしに毛筆に限ります。慌ててる余りに、吸取紙へまでは気がつきませんからね。而も日本の手紙のように、宛名を最後に書く場合には、その名前が一番吸取紙に残り易いものです。おまけに封筒までついてる始末です。
「私こんなに踏みつけにされて、そして捨てられるまで待つよりは、自分から出て行ってしまいます。」
 そう云ったきり、妻は石のように黙り込んでしまいました。僕はもうすっかり狼狽して、哀願や威嚇や誓いやを、自分で何を云ってるか分らないでくり返しました。僕の言葉が終ると、彼女は冷やかに云いました。
「見事に証(あかし)をお立てなさいましたわね。」
 その時僕はかっとなったものです。突然調子を変えて云ってやりました。
「じゃあどうしようと云うんだ? こんなに云っても分らなけりゃ、勝手にするがいいさ。ただ一言云っておくが、変なことでもしたら、もう二度と取返しはつかないから、そう思ってるがいい。」
「私にも考えがあります。」
 それだけの言葉を交わしてから、僕達はほんとに石のように黙り込んでしまったのです。僕はもう万事が終ったという気がしました。
 然しその時、僕はまだ分別を失いはしませんでした。いろんなことを正しく……そうです、正しく考え廻したのです。妻は僕を愛していたのです。僕は結婚してからも何回か、つい友達に誘われて、待合なんかへ泊ってきたこともありますが、そんな時妻は、軽い嫉妬をしたきりで、大した抗議も持出しませんでした。然し此度は、彼女は僕の心を他の女に奪われたのです。僕の肉体上の過失は許し得ても、僕の心が他へ奪われることを許し得ない彼女の気持に、僕は理解が持てました。その上僕と沢子とのことは、病後のヒステリックな彼女の精神へ、殆んど焼印のように刻み込まれていたのです。僕は可なり激しい自責の念を覚えました。長年僕の影になって苦労してきた彼女、まだ幼い二人の子供、輝かしい前途を持ち得る沢子、それから自分の地位や身分……そんな下らないことまで考えて、僕はもうじっとしておれなかったのです。前にお話したような妻へ対する不満なんかは、忘れてしまったのです。その時の僕の心は、恐らく最もヒューメンだったに違いありません。
 妻がなお家の中にじっとしてるのを見て、僕はその間に一切の片をつけたいと思いました。沢子とも別れて自分一人の生活を守ってゆこう! そう決心しました。そして沢子と別れるために僕はまた馬鹿な真似をしたのです。せずにはいられなかったのです。
 僕はその翌朝、沢子へ簡単な手紙を速達で出しました。――明後日午後一時に、東京駅でお待ちしてる。半日ゆっくり郊外でも歩きながらお話したい。けれど、あなたの気持によっては、来るとも来ないとも自由にしてほしい。……と云ったような、まるで不良青年でも書きそうな手紙です。
 僕には沢子が必ずやって来るとの直覚がありました。その日は学校をも休んでしまって、十一時半項から東京駅へ行って、待合所の片隅に蹲ったものです。そして彼女へ何と話したものか、何処へ行ったものか、そんなことを考えていました。そのうちに、僕は何だか眠くなってきました。それほど僕の精神は弱りきってぼんやりしていたのです。
 一時よりは二十分ばかり前に沢子はやって来ました。僕は夢から覚めたようにして、彼女の絹の肩掛の藤色の地へ黒い線で薔薇の花の輪廓だけが浮出さしてあるのを、珍らしそうに眺めました。すると、「先生、どこかへ参りましょう、」と彼女の方から促したのです。その眼を見て僕は、彼女が事情を察してることを、何か決心してることを、瞬時に読み取ったのです。
 初め僕は、大森辺かまたはずっと遠く鎌倉や逗子あたりへ行くつもりだったですが、その方面には沢子の知っていそうな文士がいくらも居るらしいのを思い出して、急に方向を変えて電車で吉祥寺まで行きました。そして井ノ頭公園とは反対の方へ、田圃道を当てもなく歩き出したのです。
 不思議なことには、妻に関する言葉は一言も僕達の口へ上らなかったのです。全く忘れはてたかのようでした。それから僕の告白の手紙についても同様でした。僕達は全く無関係な取留めない事柄を、ぽつりぽつり話したものです。どんなことだったか覚えていませんが、ただ、気象学では雲を十種に区別してるけれど、僕にはその二三種きり見分けきれない、ということや、水蒸気が空中で凝結して雨になるまでの経路が、専門家にもまだはっきり分っていないそうだ、というようなことを、僕は彼女へ話したのを覚えています。というのは、北の空から薄い雲が徐々に拡がりかけていたからです。また彼女の方では、壁の中から爺さんと婆さんとが杖ついて出てくるという石川啄木の歌を読んで、童話を書きたくなったということを、僕に話したのを覚えています。
 そういう風に、何ということもなく歩いてるうちに――三月の末のわりに日脚の暖い日でした――僕は次第に或る焦燥――というほどでもないが、何かこう落着かない気分になりました。彼女もしきりに、洋傘(こうもり)を右や左へ持ちかえていましたが、ふいに云い出したのです。
「先生、私もっと遠くへ行ってみたい気がしますの、一度も行ったことのない遠くへ……。」
 それだったのです、僕が何かをしきりに求めながら、それが自分でも分らずにじれていた、その何かは、そのことだったのです。僕は嬉しくて飛び上りました。ほんとに愉快な浮々した……そしてどこかぼんやりした気持になりました。
 僕達は吉祥寺駅へ引返し、可なり長く待たされてから汽車に乗り、立川まで行きました。汽車の中には、気の早い観桜客(はなみきゃく)らしいのが眼につきました。
 立川へ行くと、意外に早く日脚が傾いて、もう夕食の時刻になっていました。季節外れではありましたけれど、川の岸にある小さな家へはいって、有り合せのものでよろしければというその夕食を取ることにしました。そして、ひっそりした二階の隅っこの室に通って、すぐ眼の下の川を眺めました。河原の中を僅かな水がうねり流れてるのを見て、「これが多摩川ですの……小さいんですのね、」と云う沢子の言葉に、僕はすっかり気がのびやかになったものです。そして夢をでも見てるような心地になったのです。現実かしら? 夢かしら? そう考えてるうちに、妻のことも家のことも、東京のことも、遠くへぼやけて消えてゆきました。世界のはてへでも来たという気持です。
 それから、夕食をしたためて、ぼんやりして、雨が少し降り出して、雨の音を楽しく聞きながら、ぽつりぽつり話をしたり、顔を見合って他愛もなく微笑んだりして、女中がお泊りですかって聞きに来たのへ、平気で首肯いて、別々の床へはいって、安らかに眠ってしまったのです。
 こう簡単に云ってしまうと、君はそれが本当でないように思われるでしょう。然し実際にその通りだったのです。僕はこう思います、妻子のある相当年配の男が恋をする場合には、その恋は極めて肉的な淫蕩なものであるか、或は極めて精神的な清浄なものであるか、そのどちらかだと。そして僕のは、全く後者だったのです。その上僕の眼には、沢子がごく無邪気な少女のように映じていたのです。前に云ったように、ごく晴れやかな娘だったのです。僕はその晩彼女と対座していながら、どうして自分はこんな若い娘に恋したのかと、幾度自ら怪しんだことでしょう。そしてその時の僕の気持は、恋ではなくて、可愛いくてたまらないといったような、そして親しいしみじみとした愛だったのです。彼女の方でも、全く信頼しきった、何一つ濁りや距てのない、清らかな澄みきった眼で、僕をじっと見ていたのです。僕達は何もかもうち忘れて、うっとり微笑まずにはいられませんでした。恋と云うには、余りに親しすぎるなつかしい感情だったのです。
 それは、一時の幻だったのでしょうか?
 翌朝、起き上って、前日来のことがはっきり頭に返ってきた時――妙に顔を見合わせられない気持で相並んで、曇り空の下の河原の景色を眺めた時、深い底知れぬ悲しみが胸を閉ざしてきて、僕は手摺につかまったまま、ほろほろと涙をこぼしたのです。沢子もしめやかに泣き出していました。暫く泣いていてから、彼女はふと顔を挙げて、「先生……」と云いました。僕もすぐに、「沢子さん……」と答えました。そして二人は、初めて唇を許し合ったのです。
 その後の僕の気持は、君の推察に任せましょう。僕達は恐ろしい罪をでも犯したもののように、慌だしくその家を飛び出して、急いで東京へ帰って来ました。その時僕の眼前の彼女は、もう可愛い無邪気な少女ではなかったのです。自由な溌溂とした若々しい一人前の女、として彼女は僕の眼に映じました。そして東京へ近づくに従って、僕は妻のことを、自分を束縛してる醜い重苦しい肉塊のように感じ出したのです。一方が若い香ばしい女性を象徴してるとすれば、一方は老衰しひねくれ悪臭を立ててる女性を象徴していたのです。……沢子はきっと口を結び眼を空に定めて端正と云えるほどの顔付で、じっと僕の横に坐っていました。飯田町駅で汽車から下りて、云い合わしたように左右へ別れる時、僕達は許し合った眼付をちらと交わしてから、まるで他人のようなお辞儀をし合ったものです。
 僕は真直に家へ帰りました。再び雨が落ちてきそうな陰鬱な空合でした。僕の心は捨鉢になっていました。玄関から大跨に飛び込んで、「昨夜は遅くなって三浦君の家へ泊ってきた、」と怒鳴るように妻へ云ったものです。妻は何とも答えませんでしたが、何かをその瞬間に直覚したらしくじっと僕を見つめました。その眼が一切の決算を求めてる、というように僕は感じました。
 そして、それが最後でした。
 翌日僕は士官学校で、沢子の手紙を手にしました――先生、もう致し方ございませんわ、私は先生を愛しております。とただその三行だけの、名前も宛名もない中身でした。僕はその文句を、幾度口の中でくり返したことでしょう。
 それから三日目に、妻は僕の不在中に出て行ったきり、二人の子供まで置きざりにして、もう帰って来ませんでした。
 僕は気がつかずにいましたが、妻はあの音楽会の晩以来、或はもっと前から、蛇のような執拗さで、僕のあらゆることを探索していたらしいのです。後で分ったのですが、僕がでたらめに口へ上せた三浦の家へも、果して僕がその晩泊ったかどうかを聞き合したのです。それからまた、僕は沢子からの手紙を本箱の抽出のいろんなノートの下にしまって、抽出の鍵は鴨居の上の額掛の後ろに隠しておいたものです。所が、彼女が出て行った翌日の晩、ふとその抽出をあけてみると、沢子からの手紙がみなずたずたに引裂いてあったのです。最後の三行の手紙も勿論でした。
 手紙を引裂いたというその仕打が、沈みかけていた僕の心を一時に激怒さしたのです。それから暫くたって後、彼女の代理としてやって来たその叔父とかに当る男が、いやに人を軽蔑した口調で、更に僕を怒らしたのです。そのうちに僕は、変に皮肉な落着いた気持になりました。そうなった時は、もう彼女と別れるの外はないと胸の底まで感じていました。それからのことはお話するにも及ばないでしょう。いろんな嫌な交渉があって、結局僕は正式に妻と別れてしまいました。思えば不運な女です、彼女には何の咎もなかったのですから。けれど僕に云わすれば、彼女も何とか他に取るべき態度が――勿論初めのうちに、あったろうと思われます。
 妻とはもう別れるの外はないと徹底的に感じだすと共に、一方に僕は、全く反対のことを感じだしたのです。三歳と六歳との二人の女の児の面倒を、女中と共にみてやってるうちに、僕はその時になって初めて、僕のこれまでの生活は、僕一人の生活ではなかったこと、僕と妻と二人の生活だったこと、僕と妻と二人で築き上げてきた生活だったこと、それが巌のように厳として永久に存在すること、……などをひしと感じたのです。ああ、それをも少し早く感じていましたら!……然しもうどうにも出来ませんでした。その生活はぷつりと中断されたのです。そして僕は、僕達のそういう生活の上へ、僕と沢子との生活をつぎ合せることが、僕にとって如何なるものであるかを、そして子供達……そうです、子供達にとって如何なるものであるかを、ずしりと胸に感じたのです。僕は何も、再婚だとか継母だとか、そういうことを云ってるのではありません。それも勿論ありますが、それよりももっと重大なこと……何と云ったらいいでしょうか……この生活の接木ということ、一方に節子が生きているのに、そして僕達の――僕と節子とです――僕達の生活が生々しい截断面を示しているのに、それへ他のものをつぎ合せるということ、それが許さるべきかどうかを、僕は泣きながら魂のどん底まで感じたのです。
 僕はもう理屈を云いますまい。このことは実感しなければ分らないことです。……そう、僕は此処へ来る途中で、運命の動き――運命の共鳴、というようなことを云いましたね。平たく云えばあれです。節子と再び一緒になることにも、沢子と一緒になることにも、どちらにも僕は自分の運命の共鳴を感じなかったのです。僕は一人で子供達と共に暮してゆこうと決心しました。そして、母を失った子供達が、多少神経衰弱……もしくは神経過敏らしくなってるのを見て、また、その未来を考えてみて、僕はどんなに悲痛な気がしましたでしょう! 然し致し方もありません。
 僕は沢子に逢って、自分の心をじかに話しました。彼女は泣きました。そして僕の心を理解してくれたらしいのです。それから長い苦しみの後に、僕達は只今のような平静な友情の域へぬけ出したのです。沢子が他に恋を得て、その人と結婚でもするまでは、僕は彼女の親しい友人として、彼女と交際を続けるでしょう。
 君は……人は、僕を卑怯だと思うかも知れません。然し卑怯だか勇敢だかは、外的な事柄できめられるものではありません。と云って僕は、勇者にも怯者にもなりたいのではありません。ただ僕の所謂天は――僕自身の天は、澄みきっていると共に変に憂鬱です。

     五

 宮原俊彦の話は、佐伯昌作に、大きな打撃――と云うより寧ろ、大きな刺戟を与えた。昌作はその晩、何かに魅せられたような心地で、ただ機械的に下宿へ帰っていって、冷たい布団を頭から被って寝てしまったが、翌朝八時頃に眼を覚して起き上った。そんなに早く起き上ることは、彼としては全く近頃にないことだった。
 起き上って、珍らしく温い朝飯を食って、さて何をしていいか分らないで、火鉢にかじりついて煙草を吸い初めた時、急にはっきりと前晩のことが見えてきた。――俊彦は話し終ってから、何かを恐れるもののように黙り込んだのだった。長い話の後に突然落かかってきたその深い沈黙が、一種の威圧を以て迫ってきて、昌作も口が利けなかった。それから俊彦はふいに眼を輝かして、「子供達が待ってるに違いない、」と云いながら立上った。昌作も後に従った。俊彦は非常に重大な急用でも控えてるかのように、馬鹿々々しく帰りを急いでいた。足早に電車道をつき切って、タクシーのある所まで行ってそれに乗った。昌作も途中まで同乗した。二人は別れる時碌々挨拶も交さなかった。夜は更けていた。
 それらのことを眼前に思い浮べながら、彼はじっとしておれない心地になって、表に飛び出した。雨後の空と空気と日の光とが、冷たく冴えていた。彼は帽子の縁を目深く引下げ外套の襟を立てて、当てもなく歩き出した。歩きながら考えた。
 然し彼の考えは、長く一つの事柄にこだわってるかと思うと、それと全く縁遠い事柄へ飛んでいったりして、少しもまとまりのないものだった。がそのうちで、幾度も戻ってきて彼を深く揺り動かす事柄が一つあった。
 彼は宮原俊彦の話を、可なり自然にはっきりと受け容れることが出来たが、その終りの方、沢子と一緒になれないという所が、どうもよく分らなかった。生活の接木などという変な言葉を俊彦は用いたが、そんな深い重大なことではなく、何かごく平凡な――常識的な事柄が、彼を支配してたのであって、それへ無理に理屈をつけたもののように、昌作には思えるのだった。そしてその平凡な常識的な事柄がまた、昌作には、自分の想像もつかないことであるような気がした。非常に平凡で非常に曖昧だった。而も一方には、その平凡な曖昧なものの上に、俊彦自身が云ったように、彼の運命が重くのしかかってるらしかった。――そしてそのことが、昌作を或る暗い所へ引きずり込んでいった。彼は何だか形体(えたい)の知れない壁にぶつかったようで、息苦しさまで覚えた。「つきぬけなければならない、つきぬけることが必要だ、」そう彼は心で叫んだ。それと共に、沢子に対する愛情が激しく高まってきた。彼にとっては、宮原俊彦こそ、沢子へ縋りつこうとする自分を距てる毒虫のように思えた。――けれど、不思議にも、宮原俊彦に対するそういう反感は、昼間の明るい光の中でこそしっかりしているが、夜にでもなって、何か一寸した変化でもあれば、すぐにわけなく消え去っていって、全く反対のものになりそうなことを、彼は心の奥の方で感じたのである。――昌作はどうしても落着けなかった。何とかしなければならなかったが、それが分らなかった。
 彼は考え込みながら、ぶらりぶらり歩いた。そのうちに何もかも投げ出したい気持になって、わりに呑気になった。空腹を覚えたので、見当り次第の家で一寸昼食(ランチ)を取って、それから、全く知らない碁会所へはいり込んで、日当りの悪いがらんとした広間で、主人と手合せをやった。それにも倦いて、四時頃表へ出て、またぼんやり歩き出した。そしてふと彼は足を止めた。晩秋の淋しい光が、くっきりとした軒並の影で、斜め上から街路を蔽いつくしていた。彼は急いで下宿に帰ってみた。昨日の今日だから、或は沢子から手紙なり電話なり来てるかも知れないと、突然そんな気がしたのである。
 下宿で彼を待ち受けていたのは、沢子からの便りではなくて片山からの電話だった。朝から二度ばかりかかってきたと女中が云った。
 昌作は約束の四五日が今日でつきることを思い出した。然し彼にとっては、その四五日が如何に長い時日だったろう。彼は遠い昔のことをでも思い出すように、五日前の片山夫妻との約束を考えた。そして、九州へ行かないことにいつしか決定してる自分の心に気付いて、自ら喫驚した。自然に決定されたのだ、という気がした。
「何とでもその場合に応じて断ってやれ。」
 そう捨鉢に心をきめて、彼は片山の家へ行ってみた。今から行けば丁度夕飯時分で、夫妻といつものように会食するということが一寸気にかかったけれど、構うものかとまた思い返した。
 禎輔は不在で達子が一人だった。昌作は何故ともなく安堵の思いをした。達子は彼の姿を見て、待ちきれないでいたという様子を示した。
「佐伯さん、一体どうしたの? あんなに電話をかけたのに……。昨日も今日も五六回の上もかけたんですよ。するといつも居ない、居ないって、まるで鉄砲玉みたいに、何処へあなたが行ったか分らないんでしょう。私ほんとに気を揉んだのよ。変に自棄(やけ)にでもなって、何処かで酔いつぶれでもしてるのじゃないかと、そりゃあ心配したんですよ。……でも、宿酔のようでもないようね。一体どうしたんです? 電話をかけたらすぐに来て下さいって、あんなに頼んどいたのに……。」
 黒目の小さな輝いた眼がなおちらちら光って、受口(うけぐち)の下唇をなお一層つき出してるその顔を、昌作は不思議そうに見守った。
「あなたも御存じじゃありませんか、私は此頃はわりに謹直になって、酒なんか余り飲みはしません。ただ、一寸用事が出来たものですから、その方に駈けずり廻っていたんです。」
「でも昨日はあんなに雨が降ったのに、その中を……?」
「雨くらい平気ですよ。」
「嘘仰言い、懶惰(ものぐさ)なあなたが!……それじゃ、やはりあのことで?」
 昌作は自分の心が憂鬱になってくるのを覚えた。達子が沢子のことを云ってるのだとは分ったが、それを今話したくなかった。そして言葉を外らした。
「何か僕に急な御用でも出来たんですか。」
 達子は眼を見張った。
「急な用ですって?……あなたはもう忘れたの?……四五日うちに返事をするって約束したじゃありませんか。あれから今日で幾日になると思って? 丁度五日目ですよ。まあ、馬鹿々々しい! 当のあなたが平気でいるのに、私達だけで心配して……。あなたくらい張合いのない人はないわ。片山はね、あなたがあんまり心をきめかねてるのを見て、何か岐度他に心配があるに違いないと云うんでしょう。私あなたの言葉もあったけれど、実はこうらしいって、あなたが話したあのことを打明けたんですよ。すると片山は長く考えていましたっけ。そして、そういうことなら、その方はお前が引受けて、まとまるものならまとめてやるがいい、何も九州へ行くことが是非必要というのじゃないから、他に東京で就職口を探してやろうと、そう云うんですよ。それから、一体佐伯君が恋してるっていうその女は、どういう種類の女かって、しつこく聞かれたものですから、私よく分らないけれど、お友達の妹さんかなんか、そんな風な、ハイカラな女学生風の令嬢らしいと、そう云ってしまったんですが、……どう? そうじゃなくって?」
「女学生風の令嬢だなんて、どうしてそんなことに……。」
「なりますとも。だってあなたは、その女が自分にとっては、光明だとか太陽だとか、そんなことをくり返し云ってたでしょう。あなたのように、玄人(くろうと)の女をよく知ってる人で……そうじゃありませんか、盛岡のことだって、またその後のことだって、考えてごらんなさいな……そういう人で、相手が芸者だの……珈琲店(カフェー)の女だのの場合に、それが私にとっては光明だの太陽だのと、そんなことを云うものですか。そんなことを云うからには、相手は若いハイカラな……令嬢というにきまってるわ。ね、当ったでしょう。……何もそんなに喫驚しなくったっていいわよ。」
 然し昌作が呆気(あっけ)にとられたのは、彼女のいつもの早急な一人合点からとはいいながら、女学生なんかは大嫌いだと平素彼が云ってた言葉を忘れてしまって、どこかのハイカラな女学生風の令嬢だと勝手にきめてる、そのことに就いてだった。そしてそのことから、彼の気分は妙に沈んできて、ただ自分一人の心を守りたいという気になった。
「ねえ、もうこうなったら、仕方ないから、何もかも仰言いよ。……何処の何という人? 私出来るだけのことはしてあげるわ。」
「もう暫く何にも聞かないでおいて下さい。」と昌作は眼を伏せたまま云った。「私はまだ何にも云いたくないんです。あなたの仰言るような、そんな普通の恋じゃないんです。恋……といっていいかどうかも分りません。何だかこう……私自身が駄目になってしまいそうなんです。いろんなことがごたごたしていて、とんでもないことになりそうです。……私はもう少し考えてみます。考えさして下さい。私の心が……事情がはっきりしてきたら、すっかりお話します。是非お力をかりなければならなくなるかも知れません。けれど、今は、今の所は、自分一人だけのことにしておきたいんです。……馬鹿げた結果になるかも知れません。下らないつまらないこと、になるかも知れません。……まるで分らないんです。はっきりしてからお話します。」
「だって私、何だか心配で……。」
「私一人だけのことなんです。私一人だけのことが、どうしてそんなに……。」
「心配になりますとも!」と達子はふいに大きな声を出した。「私あなたのことなら、何でも気にかかるんだから、そう思っていらっしゃいよ。お前はどうしてそう佐伯君贔屓にするかって、片山もよく云うんですが、ええ、贔屓にしますとも! あなたのことなら何でもかでも気にかかって、一生懸命になってみせますよ。私あなたを弟のような気がしてるから……私にも片山にも弟なんかないから、あなたを弟と思ってるから、気を揉むのは当り前ですよ。」
 昌作には、何で彼女が腹を立ててるのか訳が分らなかった。けれど何故となく、非常に済まないという気がした。彼女を怒らしたのを、非常に大きな罪のように感じた。彼は突然涙ぐみながら云った。
「済みません。僕が悪かったんです。」
「悪いとか悪くないとかいうことではありません……。」そう云っておいて達子は、長く――昌作が待ちきれなく思ったほど長く、黙っていた。そして静に云い続けた。「実際私は気を揉んだんですよ。四五日とあなたが約束したでしょう、そして一方に、そういう女の人があるでしょう、そしてそのまま音沙汰なしですもの、あなたがどんなにか苦しんでるだろうと思って、自分のことのように心配したのよ。それに、片山はああ云うし、そのことも早くあなたに伝えたいと思って、昨日から幾度電話をかけたでしょう。片山はまた片山で、何だかあなたに逢うことを非常に急いでいたんです。東京にいい口があるのかも知れませんよ。私には何とも云わないで、ただ話があると云うきりですが……。そうそう、あなたがいらしたら、会社の方へ電話をかけてくれって云っていました。一寸待っていらっしゃい、今かけてみますから。」
 達子が立上って電話をかける間、昌作は変な気持でぼんやり待っていた。ハイカラな女学生風の令嬢だの、九州へは行かないでもよいだの、弟だの、禎輔から急な話があるだの、そんないろんなことが、まるで見当違いの世界へはいり込んだ感じを彼に起さした。そして、電話口から戻って来た達子の言葉は、更に意外な感じを彼に起さした。
「あの、あなたにすぐ武蔵亭へ来て貰いたいんですって。片山はあすこで二三人の人と会食することになっていて、今出かける所だと云っています。けれど、食事をするだけだから、そして、何だか嫌な人達だから、あなたが来て下されば、逃げ出すのによい口実になるから、なるべく早く来て下さいって。……丁度いいじゃありませんか。うんと御馳走さしておやりなさいよ。武蔵亭、御存じでしょう。片山の会社のすぐ近くの西洋料理屋。……私も一緒に行きたいけれど、お前が来ちゃあ都合が悪いって、人を馬鹿にしてるわ。」
 達子が平気でそう云うのを見て、昌作はまた一寸変な気がした。彼の頭に、その瞬間に、或る漠然とした疑惑が生じたのだった。禎輔の胸の中に何かがあるのではないかしら? 昌作は先日の禎輔の様子を思い出した。
 暫く考えてから彼は、達子の言葉に従って、兎も角も武蔵亭へ行ってみようと決心した。何かを得らるればそれでよいし、得られなければ上等の洋酒でも沢山飲んでやれ、とそんな気になった。そして、今からではまだ早いと達子が云うのを、下宿に一寸寄って行くからと断って、慌だしく辞し去った。
 彼が立上ると、達子は後から送って来ながら云った。
「後で、明日にでも、どんな話だったか、私に聞かして下さいよ。私一寸気になることがあるから。」
 昌作は振返った。然し彼女は先を云い続けていた。
「でも、何でもないことかも知れないわ。案外いい話かも知れないわ。……それから、その女の人のことね、気持がきまったら聞かして下さいよ。その方は私の受持だから。
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