野ざらし
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著者名:豊島与志雄 

「僕は泥坊の方で、いくら飲んでも酔わないんです。その代り、時によると非常に善良になってすぐ酔っ払うんです。」
「先生は酔うと眠っておしまいなさるんでしょう。」
「沢ちゃんを一度酔っ払わしてみたいもんだな。」
「そう。」と俊彦が愉快そうに叫んだ。「そいつは面白いですね。」
「大丈夫ですよ。私も泥坊になるから。」
 そんな他愛もない話が順々に続いていった。一瞬前の緊張した気持は、いつしか何処かへ飛び去ってしまっていた。年来の友であるような親しみが、落着いたやさしい親しみが、三人を包んでいた。昌作はふと、自分がどうしてこう俄に安易な気分になったか、自ら怪しんでみた。そして、そのことがまた彼の心に甘えてきた。
 けれど、そういう会話は長く続かなかった。派手なネクタイに金剛石(ダイヤ)入りのピンを光らしてる会社員風の男が一人、音もなく階段[#「階段」は底本では「躊段」]から現われてきて、煖炉の方をじろじろ眺めながら、暫く躊躇した後、向うの隅の卓子に腰を下して、しきりにこちらを窺い初めた。それを一番に不快がりだしたのは、俊彦らしかった。彼は次第に言葉少なになり、はては上半身を煖炉の方へねじ向けてしまった。洋服の男は、出て行った春子と懇意な者らしく、暫く冗談口を利いていた。その声が馬鹿に低くて、昌作の方へは聞き取れなかった。それから男は、一人で珈琲をなめながら、また執拗に昌作達の方を窺い初めた。今度は昌作までが不快を覚えた。男の方に背を向けてる沢子一人がぽつりぽつり口を利いていたけれど、やがて彼女も黙り込んでしまった。それからすぐに、役女が最も不機嫌になってきたらしかった。卓子の上に両肱を置いて、石のように固くなって動かなかった。
 やがて俊彦はふいに向き返った。
「少し外を歩きませんか。」
「そうですね……。」
 昌作は語尾を濁しておいて、何気なく沢子の顔に眼をやった。沢子は一寸眉根を動かしたきりで、やはりじっとしていた。その間に俊彦はもう立上っていた。そして彼が勘定を求めると、沢子は突然大きな声で――向うの男にも聞えるような声で――云った。
「今日のは宜しいんですわ。」
 彼女は唇の端を糸切歯の先でかみしめてきっとなった。そして、俊彦はつっ立ち昌作と沢子とは坐ったままで、一瞬間待った。昌作は何とかこの場を繕ろわねばならない気がした。
「沢ちゃん一人残して可哀そうね。」と彼は囁くように云った。
 沢子は眼を挙げて、昌作と俊彦とを同時に見た。その顔が今にも泣き出しそうなのを、昌作は深く頭に刻み込まれた。
「何れまた三人で話をしましょう。」
 俊彦はそう云い捨てて、帽子掛の方へ歩き出した。昌作も引きずられるように後へ続いた。階段の上から沢子が見送っていた。
 外に出ると俊彦は突然云った。
「僕はあの男に見覚えがあるんです。いつか、四五人一緒にやってきて、隣の卓子で、僕にあてこすりを云ったので……。」
 昌作には、俊彦がそれほど憤慨してるのを怪しむ余裕も、またその言葉に返辞をする余裕もなかった。泣き出しそうになっていた沢子の顔と、後で恐らく泣いてるかも知れない彼女の姿と、それから、俊彦に離れ得ないで犬のようにくっついてゆく自分の憐れな姿とが、彼の頭に一杯になっていた。
 空はどんより黝ずんでいたが、雨はもう霽れていた。屋根も並木も街路も、それから人通りさえ、凡てのものが雨に洗われて、空気の澄んだ寂寞とした通りを、少し気恥かしいほどの高い泥足駄で、二人はゆっくり歩いて行った。俊彦は暫くたってから、こんなことを云い出した。
「僕は何だか、運命といったものが信じられる気がしますよ。運命と云っても、人間自身の力でどうにもならない、所謂生れながら定まった宿命ではありません。自分の心と一緒に動く或る大きな力です。何か或る方向へ心を向けると、それと一緒に、同じ方へ、運命が動き出すように思えるのです。自分の信念の流れと運命の流れとが、一つになるといった気持です。それを思うと非常に僕は心強くなります。神の意志とでも、自然の反応とでも、人によっていろんな名前をつけるでしょうが、僕に云わすれば、天の交感ですね。その天の交感を、自分が荷ってるということが、はっきり感ぜられるようです。そして僕は、此度は反対に、その天の交感で……運命の動きで、自分の考えの正しいかどうかを見定めたいんです。心を或る方向へ向ける時、その向け方が本当のものである時には、岐度運命の同じ動きが感ぜられますし、向け方が間違ってる時には、それが少しも感ぜられないんです。正しいかどうかを問うんじゃなくて、本当か嘘かを問うんです。そして、そういう本当の心の方向へ進んでゆけば、結果はどうでも、常に悔いがないと僕は信じています。……君はそう思いませんか。」そして五六歩して、昌作の答えを待たないで、彼は俄に苛立った声で云い続けた。「勿論、先刻あすこから逃げ出した意向には、運命の動きなんか伴わなかったし、それかって、悔いも伴いはしませんが……。」
 昌作は我知らず微笑を洩した。
「けれどその反対に、あすこに残るとしましたら、その意向にもやはり、どちらも伴わないではないでしょうか。」
「そうです。腹を立てちゃ駄目ですね。」
 俊彦はじっと昌作の方を顧みて、五六歩すたすた足を早めた。それからまた足をゆるめながら云った。
「君は……僕は今晩沢子さんから聞いたんですが、九州の炭坑とかへ行こうか行くまいかと、迷ってるそうですね。」
「ええ。」
「そいつはどちらなんです?」
「どちらって?……」
「行く方と行かない方と、どちらに運命の動きが感じられますか。」
 昌作は答えに迷った。
「どちらにも感ぜられないんじゃないですか。」
「ええ。どちらにも感ぜられるようでもありますし、また感ぜられないようにも……。」
「それじゃあ、それも結局、柳容堂の二階に残ってるかどうかと、同じものですね。そして君も腹を立ててるという結論になるわけですね。」
 昌作は冷たいものを真正面からぶっかけられた心地がした。そして、凡てを一瞬間に失った心地がした。黙って唇をかんだ。それを知ってか知らずにか、俊彦は他のことを云い出した。
「腹を立てるのは止しましょう。……僕はね、これも運命の動きと同じ感じですが、初対面の人に対して、自分の友になれる人となれない人とを、はっきり感ずることがよくあるんです。君に対して僕は、失礼ですが、親しい友になれそうな気がするんです。……何処かで一杯やりませんか。」
「ええ。」と昌作は殆んど無意識的に答えた。
 俊彦は帯の間から、小さな銀側時計を引出して眺めた。昌作は何とはなしに、こんな場合に彼が時計を持ってるのが、不自然な気がした。
「もう遅いから駄目ですね。」そして俊彦は暫く考えていた。
「穢い家でも構いませんか、その代り酒は上等ですが。」
「どこでも構いません。」と昌作は答えた。何もかもなるようになれという心になっていた。
 電車通りを暫く行って、それから横町へ曲って、次に路次へ曲り込むと、みよしという小意気な行灯の出てる、繩暖簾の小さな家があった。狭い板の間に、大きい粗末な木の卓子が三つ並んでいて、銚子や皿の物を並べた膳を前に、洋服や和服の数人の客が散在していた。側の畳敷の、長火鉢の前に坐っている、黒繻子の襟の着物にお召の前掛をしめた、四十恰好のお上さんに、俊彦はいきなり言葉をかけた。
「遅くなってから済みませんが、二階の室を貸して貰えませんか。」
「まあ、宮原さん、」とお上さんは云った、「ほんとにお久し振りでしたこと。……ええ、散らかってますけれど、どうぞ。今片付けますから。」
 狭苦しい梯子段を上りきった所に、四畳半の室が一方に開いていた。室の中は散らかってる所か、殆んど何にもなくてがらんとしていた。後からお上さんがやって来て、足の頑丈な餉台や、火鉢や、座布団を並べながら、俊彦と二三人の人の噂を話していった。暫くすると、からすみ、このわた、蟹、湯豆腐、鮪のぶつ切り、など誂えの料理が、錫の銚子を添えて持って来られた。天井と畳が煤けて古ぼけてるわりに、障子の紙だけが真白だった。
「どうです、どうせ裏路なんですけれど、柳容堂の二階とは随分感じが違いますね。」
 そう云う俊彦の顔を、昌作はぼんやり見守った。彼の眼に俊彦は、柳容堂の時とは全く別人のように写った。
「何だか、変な気がしますね。」
 俊彦は黙って杯を取上げた。昌作も黙ってその通りにした。可なり更けたらしい静かな晩だった。膝頭から寒さがぞくぞく伝わってきた。二人共しつこく黙り込んで、杯の数を重ねた。俊彦は突然肩を震わした。
「全く変な気がする晩ですね。」
 余り長い間を置いてだったので、昌作はびっくりして、彼の眼を見入った。その時、古い見覚えがあるような眼付をまた見出して、はっと心を打たれた。俊彦はその眼付を、膝のあたりに落して云った。
「僕は打明けて云ってしまいましょう。実は、君をどうしてくれようかと迷っていたんです。どうしてくれようかって……つまり、君の味方になるか敵になるかということです。初め僕はあすこで、非常に素直な気持で君に逢えて嬉しかったんです。所が、あの嫌な男がやって来た時、ふとその一寸前の気分が――君が窓の所へ立っていった時の変梃な気分です……君にも分るでしょう……あの気分が妙にこじれて戻って来たんです。僕があの男に腹を立てたのも、そのためです。それから僕は、運命の動きなんてものを持出して、君が深く悩んでいる九州行きに結びつけて、一寸悪戯をやってみたのです。その上君をこんな所へ引張ってきて、僕は全く自分でどうかしていました。けれど、あの運命に対する信念と、人に対する最初の印象とは、僕の本当の考えです。云わば自分の信条で君をいじめてみたようなものです。」
 俊彦は深く眉根をしかめて、じっと考え込んだ。昌作は初めて彼の心へ本当に触れた気がした。凡てのことがぼんやり分りかけてきた。俊彦が今でもなお、沢子を愛していること、その愛に自ら悩んでいること、などが分ってきた。
 ややあって、俊彦はふいに顔を挙げた。眼が輝いて、いやに真剣な様子だった。昌作も自ずと襟を正すような心地になった。
「君は沢子さんをどう思います?」
 昌作は息をつめて返辞が出来なかった。俊彦はそれでも平静な調子で云った。
「僕にはあの女のことが、どうもはっきり分りません。何処か少し足りない所があるか、それとも何処か非凡な所があるか、そのどちらかでしょうね。」
「そうですね。」と昌作は漸く答えた。「そして、考え方が、突然意外なものに飛んでゆくので、私は喫驚するようなことがあります。」
「そんな所がありますね。……それから、君は沢子さんを、処女だと思いますか。」
 昌作は大抵のことは予期していたけれど、それはまた余りに意外な言葉だった。それに対する自分の考えをまとめるよりも、相手の気持を測りかねて、黙っていた。
「え、君はどう思います? 本当の所は……。」
「そうですね、私は……。」そして昌作は自分でも不思議なほどの努力で云った。「まだ処女だと思っています。」
 俊彦は深く息をついた。
「君がそう信じてるんでしたら、僕達の物語をお話しましょう。なぜなら、沢子さんを処女だと信じてる人にしか、この話は理解出来ないような気がするんですから。……僕はまだこんなことを誰にも話したことはありませんし、今後も恐らくないでしょうが、君にだけは、妙に話したくなったんです。ただ、誓って、君の胸の中だけにしまっといて下さいよ。」
 昌作はそれを誓った。俊彦は話しだした。そして初めから、二人共不思議に心が沈んできて、暗い憂鬱な気分に閉されたのだった。勿論俊彦の話は、その内容が理知的なにも拘らず、非常に早口になったり、一語々々言葉を探すようにゆるくなったり、前後入り乱れたり、間を飛び越して先へ進んだりして、可なり乱雑なものだったが、その大要は次の通りである。

     四――宮原俊彦の話

 今から二年半ばかり前のことでした。団扇(うちわ)を使ってたから、たしか夏の……初めだったと思います。その暑い午後に、婦人雑誌記者の肩書を刷り込んだ小さな名刺を、女中が僕の書斎へ持って来ました。僕はその橋本沢子という行書(ぎょうしょ)の字体をぼんやり眺めながら、客を通さしました。そして派手な服装(みなり)をした若い女――何故かその時僕は、記者にしては余りに若すぎると感じたのです、そんな理屈はないんですがね――その若い記者が、遠慮なく座布団の上に坐ってお辞儀をした時、僕も一寸会釈をしながら、「初めて……」と挨拶したものです。すると、彼女は頓狂な顔をして、僕をじっと見てるじゃありませんか。僕は変な気がして、「何です?」という気味合いを見せたのです。
「だって、私先生にはもう二三度お目にかかったことがありますもの。」
 そう云った彼女の顔を僕は見守りながら、その広い額と下細(しもぼそ)りの顔の輪廓と尻下りの眉の形とで、前に逢ったことを思い出したのです。それは間接の友人の中西の所でした。その頃僕の友人達の間に、花骨牌(はながるた)が可なり流行っていて、僕も時々仲間に引張り込まれたものです。それが大抵中西の家で行われた――というのは、中西の細君が、新らしい婦人運動やなんかに関係していて、まあハイカラな現代の新婦人で、男の連中と遊ぶのが好きだった――と云っちゃ変ですが、兎に角社交的な開けた性質なんですね。それで、友人と二人くらいで、外で晩飯を食って、詰らなくなって退屈でもしてくると、自然中西の家へ僕まで引張ってゆかれて、主人夫妻と一緒に花をやるといった工合です。僕もそういう風にして、何度か中西の家へ行ったものです。すると或る時、中西の細君が、「人数がも少し多い方が面白い、」と云って、階下(した)から女学生らしい女を呼んできました、それが沢子だったんです。勿論僕はその時、彼女に紹介されもしなければ、彼女の名前を覚えもしなかったですが――と云って、「今度は沢子さんの番よ、」などと云う言葉を耳にしたには違いないんですが、それが頭にも残らないほど、彼女の態度は……存在は、控え目で、そして遊びにも興なさそうだったのです。そんなことで二三度彼女に逢ったわけですが、そのうちに僕は自然忙しくもなるし、花にも興味を持たなくなるし、元々中西とは、花骨牌の席ででもなければ、殆んど逢うこともないくらいの間柄だったものですから、いつしか連中から遠退いて、従って、沢子に逢うことも無くなったし、彼女の存在をも忘れてしまったのです。
 所が、それから半年か……そうですね、一年とたたないうちに、彼女は雑誌記者として、ふいに僕の前に現われたのです。
「そうそう、中西さんの所でお目にかかりましたね。だが、雑誌記者たあ随分変ったものですね。」
 というような挨拶をして、それとなく、彼女の身の上を知ってみたいという好奇心が、僕のうちに萌しました。けれども彼女は当り障りのないことをてきぱきした言葉で述べながら――そのくせ、自分自身に関することについては妙に曖昧に言葉尻を濁しながら、僕の言葉をあらぬ方へ外らしてしまうんです。非常に明敏な頭を持ちながら、自分自身のことについてはまるで渾沌としてる……といった印象を僕は受けました。
 それから、来訪の用件に移ると、実は雑誌社にはいったばかりでまるで見当がつかないが、最初の原稿として何か面白いものを取って皆をあっと云わしてみたいから、神話に関する先生の原稿を是非頂きたい、と云うのです。僕が神話の研究者であることを、何処かで聞いていたとみえます。僕は承知するつもりで期日を聞きますと、一週間以内に是非と云うじゃありませんか。而もその一週間は、僕は学校の方の答案調べやなんかでとても隙がありません。
「それじゃお話して下さいませんかしら。私書きますから。」
 いつ? と尋ねると、只今、と云うんです。
 僕は苦笑しながら、兎に角話を初めました。フーシェンが山へ行って、恐ろしい姿のものを見て、石を掴んで投げつけると、その石が岩に当って火花を発し、その火が広い野原中に拡った、それがペルシャの拝火教のそもそもの火であるというようなことや、印度の火神アグニーは、枯木の材中に生命を得て来て、生れ出るや否や、自分の親である木材を食い尽そうとする、などというような、神話の起原と自然現象との分り易い関係の話を、少しばかりしてやりました。彼女は談話筆記は初めてだと云いながら、わりにすらすらと書き取っていましたが、一寸つかえると、僕が先へ話し進めるのをそのままにして、一言の断りもしないで、じっと僕の顔を見てるじゃありませんか。まるで女学校の生徒が先生の講義を筆記してるといった恰好です。僕は苦笑しながら、その引っかかってる所からまた話し直してやる外はなかったのです。
 用が済むと、彼女はさっさと帰って行きました。その後で僕は、彼女が団扇を手にしようともしなかったことと、暑いのに着物の襟をきちんと合してたことと、而も額には汗を少しにじましてたこととを、何故ともなく思い出したものです。
 僕がどうしてその日のことをこんなに詳しく覚えてるかは、自分でも不思議なくらいです。彼女が帰った後で、僕は非常に晴々とした気持になって、初めからのことを一々思い浮べてみた、そのせいかも知れません。
 が、こんなに細かく話してては、いつまでたっても話が終りそうにありませんから、これから大急ぎでやっつけましょう。その上、其後のことは僕の記憶の中でも、頗るぼんやりしていてこんぐらかっているんです。
 沢子が僕の談話を取っていってから、可なりたって、その雑誌社から雑誌を送ってきました。読んでみると、僕の話した事柄が、可なり要領よくそして伸びやかな筆致で書いてありました。これなら上乗だと僕は思いました。すると、丁度その翌日です。沢子が雑誌と原稿料とを持って飛び込んで来たものです。
「先生のお蔭で、私すっかり名誉を回復しましたわ。」
 何が名誉回復だか僕には分りませんでしたが、彼女の喜んでるのが僕にも嬉しい気がしました。雑誌は社から既に一部送って来てると云うと、でもこれは私から差上げるのだと云って、置いてゆきました。原稿料はあなたが書いたんだからあなたのものだと云うと、そんな機械的な仕事の報酬は社から貰ってると云って、それも置いてゆきました。
「私これからちょいちょい先生の所へ参りますわ。どんなお忙しいことがあっても、屹度引受けて下さいますわね。そうでないと、私ほんとに困るんですの。」
 そんな一人合点のことを云って、彼女は帰ってゆきました。それが却って僕の心に甘えたことを、僕は否み得ません。
 それから彼女は、殆んど毎月僕の所へやって来て、僕の談話を筆記してゆき、次に自分自身で雑誌と原稿料とを届けてきました。各国の神話の面白そうな部分々々の話は、婦人雑誌には可なり受けたものと見えます。彼女はいつも喜んでいました。それに彼女自身、国の女学校に居る時ギリシャ神話を大変愛読したとかで、僕の話に頗る興味を持ってくれました。長く話し込んでゆくことさえありました。そして僕の方では、月々同じものが二冊ずつたまってゆく雑誌を、嬉しい気持で眺めたものです。
 そういう風にして、僕達の間には、記者と執筆者という普通の関係以外に、友達……と云っちゃちと当りませんが、そう云った親しい馴々しい打解けた気分が、次第に深くなってきたのです。そして僕は彼女の時折の断片的な言葉をよせ集めて、彼女の身の上をほぼ知りました。
 彼女の家は、富山でも――越中の富山です――相当の家柄だったのが、次第に衰微して、彼女が女学校を卒業する頃には、可なり悲境に陥ったらしいのです。そして、或る伯父の策略から、彼女は金銭結婚の犠牲にされそうな破目になって、母親の黙許を得た上で、東京へ逃げ出してきたのです。勿論その間の事情は、僕にはよく分りません。が兎に角、彼女は東京に逃げ出してきて、前からいくらか名前を聞きかじってる――というのは、彼女はまあ云わば文学少女の一人だったのです――名前を聞きかじってる中西夫人の許へ、身を寄せたわけです。その頃僕は彼女と二三度花骨牌の仲間になったのです。そして中西の家でどういうことがあったか、或は恐らく何事もなかったのかも知れませんが、彼女は其処に居るのが嫌になって、と云った所で、国から仕送りを受けて勉強するという訳にもゆかず、女中奉公も気が利かず、仕方なしに、何とか伝手(つて)を求めて、雑誌社にはいったような始末です。けれど、中西の家だって雑誌社だって、結局は彼女に適した場所ではありません。彼女はどんな所に置いても大丈夫であると共に――どんなことをしても純な心を失う恐れがないと共に、また同じ程度に、どんな所にもあてはまらない――安住し得ない性質を持っています。空中にでも放り出しとくがいいような女です。君はそうは思いませんか。
 所で……どこまで話しましたかね。……そう、僕と沢子と可なり打解けた間柄になった。すると半年もたってからでしたか……そうです、年が改ってからです。松のうちに一度やって来て、殆んど一日遊んでいってから――後で僕は思い出したんですが、その半日以上もの間、彼女は殆んど僕の書斎で神話の書物をいじくってるきりで、子供や妻を相手にしようともしなかったのです、勿論彼女は僕の家庭に親しんではいなかったのですが――それから後は、やって来ることが急に少くなりました。その代りに、度々手紙をくれるようになりました。後になってから僕は、その一日のうちに、僕と彼女との間に、どういう話が交わされたか、またどういうことが起ったか、いろいろ考えてみましたが、よく思い出しません。ただ彼女が、ペルセウスとアンドロメダというライトンの絵の写真版を、いつまでもじっと眺めていたことが、変に頭に残っています。そんなつまらない絵を何で眺めてるのかと、不思議に思ったからでしょう。
 彼女の手紙にはいろんなことが書いてありました。忙しくてお伺い出来ないのが悲しい、といつも前置をしてから、次に、日常生活の些細なこと――誰の所へ行ってどういう目に逢った、社でどんな話が出た、宿のお上さんがこれこれの親切をつくしてくれた、雪が降って故郷のことを思い出す、泥濘(ぬかるみ)の中に何々を取落して困った、今日はこういう悲しい気持や嬉しい気持になってる……などと、まるで一日の労働を終えて晩飯の時に、兄弟にでも話しかけるような調子のものでした。そして僕は、彼女がそんな事柄を書きながら、或る一種の慰安を得てることを、はっきり感じました。で僕からも自分の日常生活の断片を書き送りました。それがやはり、僕にとっても一種の慰安でした。時によると、精神上の事柄を書き合って、互に力づけ合うようなことさえありました。そして僕は、二人が東京市内に住んでいて何時でも逢える身なのに、屡々手紙を往復してるという不自然な状態には、少しも自ら気付かなかったのです。ただ、彼女と逢ってみると――もう彼女は原稿なんかも手紙で頼んできて、滅多にやって来なかったですが、それでも二月に一度くらいはやって来ました――そして逢ってみると、手紙のことはお互に口に出せないのを、はっきり感じました。何でもないことを書き合ってたつもりでも、或は何でもない些細な事柄ばかり書き合ってたためか、それが二人の心を恋に結びつけてしまって、面と向っては何だか気恥かしい心地がしたものです。馬鹿げてると云えばそれまでですが、実は、其処から凡てのことが起ってきたのです。
 梅雨の頃……六月の初め、僕の妻は肺炎にかかりました。病院にはいるのを嫌がるものですから、家に臥(ね)かして看護婦をつけました。そして僕も出来るだけ看護したつもりです。その僕の看護については、妻は何とも云わなかったですが、子供達に対して――二つと五つの女の児です――それに対して、僕が母親の代りをも務めてくれる所か、非常に冷淡だったと、後になって彼女は不平を云いました。或はそうだったかも知れません。何しろ僕は、士官学校と明治大学とに教師をしていましたし、その方だけでも可なり忙しい上に、神話の研究という仕事があったものですから、そうそう病人や子供達ばかりを構ってはいられなかったのです。がそれはまあ兎も角として、妻の経過は案外良好で、六月の末にはもう医薬も取らないでよいほどになりました。僕もほっと安心しました。けれど、病後の容態――精神上の状態が、余りよくありませんでした。変に神経質にヒステリックになって、つまらないことにも腹を立てたり鬱ぎ込んだりする外に、軽い神経痛を身体の方々に感ずるのです。肺炎のために神経がひどい打撃を受けて、それがなかなか癒らなかったのでしょう。
 それで、七月の半ばから子供を連れて保養旁々、妻は房州の辺鄙な海岸へ行くことになりました。僕の身分で贅沢なことは云って居られませんから、百姓家の狭い離室(はなれ)を借りたのです。僕は士官学校がなお休暇にならないものですから――休暇は八月になってからです――東京に残っていました。そして、久しぶりに妻や子供と離れて、がらんとした家の中に寝そべってると、何とも云えぬ暢々(のびのび)とした気持になったものです。女中が一切の用は足してくれるし、煩わしい心使いは更にいらないし、避暑に行くよりよっぽど気楽でいいと思いました。八月になって士官学校が休暇の折にも、僕は房州へ一度も行きませんでした――それを妻は後で僕に責めたのですが……。
 妻や子供達の不在中に、僕は沢子の来訪を知らず識らず待っていたのです。二人でのんびりと他愛もない話に耽りたいと思ったのです。勿論妻が居たとて、別に僕は沢子へ対して疾しい心を懐いてるのではなかったのですから、妻の手前を憚る必要はない筈でしたが、それでも何となく気兼ねがされたのです。妻に気兼ねをするからには、疾しくないとは云え、やはり何かが其処にあったのでしょうね。実際の所、妻が房州へ行ってから、僕と沢子との手紙の往復は、ずっと数多くなりました。月に一回か二回だったのが、二三回になったと覚えています。けれど、沢子は妻の不在中一度も訪ねて来てくれませんでした。僕も明かに来てくれとは云ってやれなかったのです。或る時の彼女の手紙に、「お伺いしたいのですけれど、それをじっと押えてることを、御許し下さいましょうか。」という文句があったのを、僕は謎をでも解くような気持で、何度も心の中でくり返してみたことを、はっきり覚えています。
 八月の末になって、妻と子供達とは帰って来ました。その潮焼けのした顔を見て、僕は他人をでも見るような気でじっと見守ってやったものです。そして妻の身体は、前よりもずっと丈夫そうになっていましたが、神経は前より一層いけなくなっていました――少くとも僕はそう感じました。それは確かに僕の僻みばかりでもなかったのでしょう。……僕は間違ったのです。温泉か山にでもやればよかったのを、反対に海へやったために、彼女の神経は落着く所か、却って苛立ったに違いありません。
 妻が帰って来て間もなく、沢子がふいにやって来ました。その時、僕は変にうろたえたものです。子供を相手に絵本の話をしてやってる所でしたが、女中が彼女の名刺を取次ぐと、僕はいきなり玄関へ出て行って、どうぞお上りなさい、と云って、それからまたふいに子供達の所へ戻ってきて、初めの慌て方を取返しでもするような気で、話の続きを終りまでしてやって、それからゆっくりと、意識的にゆっくりと、二階の書斎へ上っていったものです。我ながら滑稽でした。けれどそれが妙に真剣だったのです。座についても、煙草をふかしたり、眼鏡を拭いたり、机の上の書物を片付けたりして、変に落着かないのを、更にまた自ら苛立ってるという心地なんです。そういう僕の様子を、沢子はじっと見ていましたが、やがてこんなことを云ったのです。
「奥様はお丈夫におなりなさいまして?」
 僕は答えました。
「ええすっかり丈夫に……真黒になっています。」
 それが不思議なことには、何だかこう遠い無関係な女のことをでも話してるような調子に、僕の心へは響いたのです。それから突然、沢子の眼は悲しい色を浮べました。それで初めて凡てがはっきりしました――凡てがと云って、何の凡てだかは自分にも分りませんが、兎に角、自分の心が家庭というものから離れて宙に浮いてる、といったようなことなんです。
 沢子は、神話の話や雑誌の話などを少し持出しましたが、ともすると僕達は沈黙に陥りがちでした。実際長い間黙ってることもありました――口を利くこともないといった風に、或は、口を利くのが恐ろしいといった風に……。そして彼女はやがて帰ってゆきました。
 それを僕は玄関まで送っていって、それからまた二階の書斎へ上ったのですが、何かが気になって、また階下(した)へ下りてきたのです。すると、妻がいきなりこう云いました。
「まあ、嬉しそうにそわそわしていらっしゃること!」
 妻の皮肉な眼付とその言葉とが、僕の胸を鋭くつき刺したのは勿論のことです。
 そして僕はいつとはなしに、ぼんやり書斎に引籠って、妻のことなんかは頭の隅っこに放り出して、沢子の若々しい面影を眼の前に描き出してる自分自身を、屡々見出すようになりました。
 僕は妻を愛していたのでしょうか? 妻は僕を愛していたのでしょうか?……勿論僕達二人は、普通の意味では愛し合っていました。けれど、何かが、本当の切実な生活感が、深い所に潜んでるもの――それは後で申しましょう――それに対する自覚が、欠けていたのです。
 僕と妻とは結婚当初から可なりよく融和して、凡そ夫婦というものが愛し合う位の程度には愛し合いました。僕は大した深酒ものまず、道楽もせず、一種の学究者でして、生活が華やかでない代りに、至って真面目だったのです。妻は所謂良妻賢母といった型(タイプ)の女で、几帳面に家事を整えてくれました。で僕達はまあ幸福な家庭を作ったわけです。所が、お互に性格の底まで触れ合うくらいに馴れ親しみ、それから次には、夫婦の鎹(かすがい)と世間に云われてる子供が出来、生活が複雑になってくるに従って、妙な工合になってきたのです。妻の生活の中心は子供となり、僕の生活の中心は自分の勉強となって、而もその両方が、まるで別々の世界かの観を呈したものです。妻は子供を偶像として押立て、僕は自分の仕事を偶像として押立て、そして互に領分争いみたいな調子になってきたのです。
 現代の婦人の生活は、結婚して子供が出来ると共に、自分の生活であることを止めて、全く奉仕の生活となります。子供に奉仕するのです。凡てのことは子供を中心に割り出されます。良人の仕事なんかはどうでもいいのです。良人はただ、子供の立派な成育に必要なだけの金と地位とを得てさえくれれば、それで十分なんです。――それから第二に、彼女の精神的進歩はぴたりと止ってしまいます。否却って精神的に退歩してきます。善良なる保母、それが彼女の理想となります。――第三に、彼女は良人を十重二十重に縛り上げて、自分の従順な奴隷にしようとします。献身的な愛を要求します。
 所が、男の方から云えば、それらの凡てが間違ったものに見えます。勿論、自分自身に見切りをつけて、子供の生長にのみ望を嘱するといったような、隠退的な心境にはいった者は別ですが、そうでない者、まだ自分自身を第一に置いて考えてる者は、妻のそういう態度が心外なものに思われます。第一に、妻が真向に押立ててる偶像――子供――に対して一種の反抗心を起します。第二に、精神的に退歩してゆく妻を、愚劣な女だと軽蔑します。第三に、自分を身動き出来ないようにとする妻へ反抗して、あくまでも自由でありたいと希います。――而も一方に、彼は第一義的な自分の仕事というものを持っています。そして、その仕事に理解のあるやさしい女性の魂を必要とします。そういう女性の魂を欠いた彼の生活は、如何に落寞たるものでしょう? 所謂悟道徹底した者ででもなければ、その落寞さに堪え得ません。大抵の者は、淋しい魂の彷徨者となります。
 結婚に次いで来る幻滅(デスイリュージョン)――それが男の大なる躓きです。この躓きを無事に通り越す者は幸です。
 然しこんな議論はもう止しましょう。それは理屈では分らないことです。一々切り離して眺むれば全く無意味なような、日常の些細な事柄が、積りに積ってくる――その全体の重量を背に荷った人でなければ、分るものでありません。――君は、豊島与志雄氏の理想の女という小説を読んだことがありますか。何なら読んでごらんなさい。この間の消息が可なり詳しく、執拗すぎると思われる位の筆つきで書かれていますから。
 で、要するに、その頃僕の心は、可なり妻から離れて、或るやさしい魂を求めていたことだけは、君にもお分りでしょう。
 そういう心で僕は妻を眺めてみて――今迄よく見なかったものを初めてしみじみと眺める、といった風な心地で眺めてみて、喫驚したのです。何という老衰でしょう! 髪の毛は薄くなって、おまけに黒い艶がなくなっています。昔はくっきりとした富士額だったその生え際が、一本々々毛の数を数えられるほどになっています。顎全体がとげとげと骨張っていて、眼の縁や口の隅に無数[#「無数」は底本では「無新」]の小皺が寄っています。或る時彼女が庭に立って、真正面から朝日の光を受けてるのを見た時、僕はまるで別人をでも見るような気がしました。昼間の明るい光の中に出てはいけない! そう僕は咄嗟に感じたのです。……けれど、それらのことや、少し背を屈み加減にして肩を怒らしてることや、長火鉢の隅にかじりついてる時が多くなったことや、なかなか腰を立てない無精な癖がついたことや、怒りっぽい苛立たしい気分になったことや、手足の筋肉がこちこちに硬ばってきたことや……そんな無数の事柄は、肺炎の衰弱から原因してると一歩譲って考えても、どうにも我慢の出来ないのは、彼女の全体――身体と精神との全体に、一種の冷やかな威厳を帯びてきたことです。僕と意見が合おうが合うまいが、そんなことに頓着なく自分の意見を主張し、家の中を冷然と監視し、その言葉付から挙動から態度に至るまで、少しの余裕もない厳粛さを示してるのです。やさしみとかゆとりとか濡いとか柔かみとかいったようなものは、つゆほども見えないのです。一体彼女は表情の少い至極善良な――この善良ということは、鈍重ということと一歩の差ではないでしょうか――その善良な女だったのですが、それが、僕の気付かぬまに、冷やかな威厳の域へまで変化して――向上してきたわけです。
 そういう妻を見出した僕が、いくら自ら抑えても、沢子の方へ心惹かれていったのは、当然ではないでしょうか。殊に、沢子をよく知っている君には、僕が沢子へ惹きつけられていったことは、よくお分りでしょう。そして僕は、益々妻に対しては冷淡になってきました。
 それになおいけないのは……これは一寸話しにくいことですが……僕の性慾が可なり弱かった――友人等にそれとなく聞き合して比較してみると、非常に弱かったということです。生理的の欠陥があるとは自分で思ってはしませんが、兎に角、僕は普(なみ)外れて性慾が弱いようです。所が、夫婦生活には、この性慾ということが可なり重大な条件らしいのです。大抵の女は、性慾の飽満を与えらるれば、それで自分は愛せられてるのだと思うものです。
 所で……こういう風に停滞していては仕末に終えませんから、物語だけをぐんぐん進めましょう。
 妻は僕と沢子との間を、ひそかに窺いすましていたらしいです。沢子から手紙が来ると、「あなたの恋人から……、」などと云い出したものです。「手紙よりも、じかに逢っていらっしゃい、許してあげますから、」などと云い出したものです。「馬鹿!」と僕は一言ではねつけましたが、彼女の眼付がいやに真剣になってるのを感じました。
 そのうちに、馬鹿げたことが起ったのです。僕達はごく稀に、絵画展覧会や音楽会などへ行くことがありました。そして……十一月でしたか――丁度昨年の今頃です――僕は何の気もなく或る音楽会の切符を、妻と二人分だけ前以て買いました。考えてみると、妻が肺炎になってから後二人で出歩くのは、それが初めてだったのです。その前日から丁度、道子――長女の道子が、感冒の様子で少し熱を出していました。然し大したことでもなさそうだし、折角切符まで買ってあるのだからというので、女中によく道子のことを云い含めて、僕達は出かけたのです。音楽会は、ピアノとヴァイオリンとで、演奏者の顔も相当によく揃っていて、可なり成功の方でした。
 その帰り途です。寒い風が軽く吹いて、月が輝っていました。濠に沿った寂しい道を、僕達は少し歩きました。晴着をつけお化粧をしてる妻と並んで歩くのが、僕には変に珍らしく不思議だったのです。暫く黙って歩いていましたが、妻は急に慴えたような声で、「道子はどうしてるでしょう?」と云ったものです。その時、僕の心のうちに、非常な変動が起りました。何かしらもやもやとしたものが消えてしまって、凡てがまざまざと浮んできたという感じです。自分が如何に勝手なことをしていたか、彼女を如何に苦しめていたか、彼女と自分とが如何に遠く離れてしまったか、というようなことを、しみじみと感じたのです。僕の胸は涙ぐましい思いで一杯になりました。僕は低い声で、自分自身に云ってきかせるかのように云いました。
「節子、何もかも許してくれ。僕がみんな悪かったのだ。僕はどんなにお前を苦しめたろう! そしてまたどんなに自分自身を苦しめたろう! 僕の心は誤った方向へ迷ってたのだ。今僕には何もかもはっきり分った。僕はお前を本当に愛してる。あの……沢子さんと交際するのがお前につらいなら、僕はこれから断然交際を止めてしまおう。それが本当なのだ。もう往き来もしなければ、手紙も出すまい。僕はそれを誓う。誓って絶交してみせる。ねえ、これで何もかも許してくれ。節子、二人だけの途を進もうじゃないか。」
 妻は泣いていました。僕も涙ぐんでいました。そして何かに感謝したい心で一杯になっていました。
 僕は後で考えてみて、どうしてその時そう感傷的な心地になったのか、自分でも不思議なくらいです。実際、それから家に帰ってきて、すやすやと眠ってる道子を見出して、ほっと安心した気持で妻と顔を見合した時、僕は自分でも変に気恥かしかったのです。とは云え、その感傷的な心地のうちにこそ、僕の本当の魂があったのかも知れません。
 けれどもそのことから、事情は急に険悪になったのです。宛もそうなるのが運命ででもあるように、一歩々々破綻へ押し進んでいったのです。そして僕自身は、余りにうっかりしていました。
 僕は妻へ誓いはしたものの、どうしても沢子のことを忘れる――心の外へ追い出すことが出来なかったのです。その上、妻と僕との間は、また以前通りの冷たいものになってしまったのです。あの音楽会の晩は、云わば燃えつきる蝋燭の最後の焔みたいなものでした。そのために却って、僕達の間は一層陰鬱になったのです。そして僕はそれを元へ引戻そうとは努めずに、沢子の面影へばかり心を向けたのです。
 僕は妻へ内密(ないしょ)で手紙を書きました。勿論内容は何でもないことばかりを選んだのですが、度数は前より多くなりました。沢子からも年内に一度手紙が来ました。一度は自身で訪ねてきました。そして、神話の原稿も可なり続いたから、正月号から暫く休むという社の意向だと、済まなさそうに僕へ告げました。僕が妙に黙り込んでるので、暫くして帰って行きました。
「神話の原稿も当分いらないそうだから、これで沢子さんとの交渉も絶えるわけだよ。」
 そんな白々しいことを、いくらかてれ隠しの気味もあって、僕は妻へ云ったものです。妻は僕の方をじろりと見て、「そうですか、」と冷淡に云っただけでした。
 それから正月になって、僕は手紙を書いてる現場を妻から押えられたのです。霙交りの風が物凄く荒れてる夜でした。風の音に聞入りながら沢子のことを考えてると、何とも云えない悲愴な気持になって、こまこまと而も要所を外した文句で手紙を書き初めました。その時妻がふいに僕を襲ったのです。恐らく彼女は虫が知らしたとでもいうのでしょう。いつもは子供を口実に早くから寝てしまって、夜遅く僕の書斎へやって来るなどということは、殆んどなかったものです。所がその晩に限って嵐の音に乗じて夜更けに僕を襲った――そういう風に僕は感じたのです。襖の開く気配に振返ってみると、何かを狙いすますような眼付で、足音も立てずに僕の方へ守って来るじゃありませんか。僕は喫驚して……或る神秘的な恐怖を感じて、いきなり立上ったものです。その様子がまた、彼女には異様に思われたに違いありません。彼女は一瞬のうちに凡てを悟ったらしいのです。いきなり書きかけの手紙を掴んで、これは何です? と聞いたのです。僕はどうすることも出来ませんでした。
 それから、痛ましい場面が起りました。妻は口惜し泣きに泣きながら、僕へがむしゃらにつっかかってきました。わざわざ年賀状まで出しておいてすぐに……と云うんです。実は、僕は沢子へ年賀の葉書を書いて、これだけはいいだろうと妻へ見せたのでした。つまらない技巧を弄したものです。それから、妻は僕の手紙の文句を一々切り離して、例えば「この荒凉たる冬のように私の心も淋しい……春の柔かな息吹きを望んでいます……ともすると生活が嫌になります……理解ある友情が人生に於ての慰安です……」などという言葉……前後の文脈にうまく包み込まれてはいるが、僕の切ない心が影から覗いてるような言葉、それだけを一々取上げて、僕を責め立てるんです。次には、音楽会の帰りに自分から誓っておいて! ……あれも私を瞞着するためのお芝居だったのでしょう、と云うんです――その点に彼女は最も力を入れていました。それから始終隠れて逢ったり文(ふみ)をやりとりしていらしたに違いない、などと……。其他、僕は一々覚えてはしません。彼女は恐ろしく興奮していましたし、僕も非常に興奮していました。そして、いきり立った彼女の前に、僕は何という醜い卑怯な態度を取ったことでしょう! 反抗の心がむらむらと起ってくるのを強いて押えつけて、ありもしない涙まで搾り出して、彼女の前に奴隷のように哀願したのです。今後の行いで証(あかし)を立てると誓ったのです。
 其場はそれきりに終りました。僕はそのために、何とか片をつけなければならない事情にさし迫ったのを、はっきり感じました。そして、片をつけるためと称しながら、とんでもない途へ進んでいったのです。
 僕は妻の目を偸んで、沢子へ長い手紙を書きました。――私はあなたへ一切を告白しなければならない、というのを冒頭にして、いつとはなしに彼女を愛していたこと、彼女の面影が自分の心に深く刻みつけられてること、その彼女は、遠くを見つめるような澄み切った眼でいつも自分を見つめていて、理解のあるやさしい心で自分を包んでくれる、晴々とした自由な純潔な少女――この少女というのが大切なんです――少女であること、そして、自分は妻と二人の子供まである身でありながら、不自然だとは知りながら、そして妻を愛していながら、どうしても彼女の面影を払いのけ得ないこと、などを長々と書きました。次に、妻との間が気まずくなってることを少し書きました。それから、けれど自分は今長い苦しみの後に、或る晴々とした所へ出られた、危険の恐れなしにあなたと交際し得られる自信がついてる、やがては妻の心も解けて、あなたのお友達になるかも知れないと思う、というようなことを書き、但し当分のうちだけは訪問を止してほしい、そして士官学校宛に手紙を頂きたい、と述べておいて、けれども私の告白があなたに不快ならば、あなたに苦しみをかけるならば、このままお別れするか否かは、あなたの自由にしてほしい、と手紙を結んだものです。
 実際僕は、他愛もないことを空想していたのです。自分の愛を葬ってしまって、彼女と普通の交際を続け、やがては妻をも加えて、三人で親しい友達になる、というのです。そして、士官学校では手紙を自宅へ回送しないで取って置いてくれるものですから、そちらへ手紙を貰うことにしたのです。……それから、僕の心持のうちには、自縄自縛する気もあったでしょうし、凡てを彼女の手中に託して捨鉢になる気もあったでしょうし、其他何だか自分にも分りはしません。
 やがて彼女から返事が来ました。――私は先生をなつかしいやさしい方として、兄のように、叔父のように、……いえやはり先生といった気持で、おしたいしていたのですが、それが、自分の不注意から、奥様の御心を害(そこな)ったのを、しみじみと恥じられ悔いられてなりません。お許し下さいませ。これから御交際を続けるかどうかについては、随分考えましたけれど、先生も危険がないと仰言いますし、私の方も危険なんか感じられませんから、やはりお交りしても差支えないだろうと存じます。奥様を偽ることは悲しいけれど、やはりこれまで通り、先生として親しまして下さいませ。……と云った要領の手紙でした。
 僕はそれを読んで、一種の不満を覚えました。何故かは分りませんが、恐らく僕は、彼女が僕の手紙を読んで、実は私もあなたを恋していました、もう苦しさに堪えきれません、と云ったような返事をくれることと、心の奥で待っていたのでしょう。馬鹿げています。が兎に角、彼女の返事によって、僕は急に前途が開けてきたような気になりました。空想が実際となって現われるかも知れないと思いました。そして僕は二度ばかり彼女へ、輝かしいとか晴れやかとか光明とかいう文字をやたらに使った、若々しい手紙を書いたものです。
 所が、或る晩、妻はまた僕の書斎へ押寄せてきたのです。彼女の様子で、僕はただごとでないと直様察しました。果して彼女は、糞落着きに落着き払った態度で、僕へ肉迫してきました。
「あなたにこの字がお読めになりまして?」
 そう云いながら彼女は、一枚の新らしい吸取紙を差出しています。それを見ると僕は息がつまりそうな気がしました。沢子様という僕の文字がありありと現われてたのです。
 呪われたる吸取紙哉です。吸取紙からいろんな秘密が暴露することは、西洋の小説なんかにはよくありますね。レ・ミゼラブルにも吸取紙が重大な役目をしてる所がありましたね。実際秘密な手紙を書く折には、ペンでなしに毛筆に限ります。慌ててる余りに、吸取紙へまでは気がつきませんからね。而も日本の手紙のように、宛名を最後に書く場合には、その名前が一番吸取紙に残り易いものです。おまけに封筒までついてる始末です。
「私こんなに踏みつけにされて、そして捨てられるまで待つよりは、自分から出て行ってしまいます。」
 そう云ったきり、妻は石のように黙り込んでしまいました。僕はもうすっかり狼狽して、哀願や威嚇や誓いやを、自分で何を云ってるか分らないでくり返しました。僕の言葉が終ると、彼女は冷やかに云いました。
「見事に証(あかし)をお立てなさいましたわね。」
 その時僕はかっとなったものです。突然調子を変えて云ってやりました。
「じゃあどうしようと云うんだ? こんなに云っても分らなけりゃ、勝手にするがいいさ。ただ一言云っておくが、変なことでもしたら、もう二度と取返しはつかないから、そう思ってるがいい。」
「私にも考えがあります。」
 それだけの言葉を交わしてから、僕達はほんとに石のように黙り込んでしまったのです。僕はもう万事が終ったという気がしました。
 然しその時、僕はまだ分別を失いはしませんでした。いろんなことを正しく……そうです、正しく考え廻したのです。妻は僕を愛していたのです。僕は結婚してからも何回か、つい友達に誘われて、待合なんかへ泊ってきたこともありますが、そんな時妻は、軽い嫉妬をしたきりで、大した抗議も持出しませんでした。然し此度は、彼女は僕の心を他の女に奪われたのです。僕の肉体上の過失は許し得ても、僕の心が他へ奪われることを許し得ない彼女の気持に、僕は理解が持てました。その上僕と沢子とのことは、病後のヒステリックな彼女の精神へ、殆んど焼印のように刻み込まれていたのです。僕は可なり激しい自責の念を覚えました。長年僕の影になって苦労してきた彼女、まだ幼い二人の子供、輝かしい前途を持ち得る沢子、それから自分の地位や身分……そんな下らないことまで考えて、僕はもうじっとしておれなかったのです。前にお話したような妻へ対する不満なんかは、忘れてしまったのです。その時の僕の心は、恐らく最もヒューメンだったに違いありません。
 妻がなお家の中にじっとしてるのを見て、僕はその間に一切の片をつけたいと思いました。沢子とも別れて自分一人の生活を守ってゆこう! そう決心しました。そして沢子と別れるために僕はまた馬鹿な真似をしたのです。せずにはいられなかったのです。
 僕はその翌朝、沢子へ簡単な手紙を速達で出しました。――明後日午後一時に、東京駅でお待ちしてる。半日ゆっくり郊外でも歩きながらお話したい。けれど、あなたの気持によっては、来るとも来ないとも自由にしてほしい。……と云ったような、まるで不良青年でも書きそうな手紙です。
 僕には沢子が必ずやって来るとの直覚がありました。その日は学校をも休んでしまって、十一時半項から東京駅へ行って、待合所の片隅に蹲ったものです。そして彼女へ何と話したものか、何処へ行ったものか、そんなことを考えていました。そのうちに、僕は何だか眠くなってきました。それほど僕の精神は弱りきってぼんやりしていたのです。
 一時よりは二十分ばかり前に沢子はやって来ました。僕は夢から覚めたようにして、彼女の絹の肩掛の藤色の地へ黒い線で薔薇の花の輪廓だけが浮出さしてあるのを、珍らしそうに眺めました。すると、「先生、どこかへ参りましょう、」と彼女の方から促したのです。その眼を見て僕は、彼女が事情を察してることを、何か決心してることを、瞬時に読み取ったのです。
 初め僕は、大森辺かまたはずっと遠く鎌倉や逗子あたりへ行くつもりだったですが、その方面には沢子の知っていそうな文士がいくらも居るらしいのを思い出して、急に方向を変えて電車で吉祥寺まで行きました。そして井ノ頭公園とは反対の方へ、田圃道を当てもなく歩き出したのです。
 不思議なことには、妻に関する言葉は一言も僕達の口へ上らなかったのです。全く忘れはてたかのようでした。それから僕の告白の手紙についても同様でした。僕達は全く無関係な取留めない事柄を、ぽつりぽつり話したものです。どんなことだったか覚えていませんが、ただ、気象学では雲を十種に区別してるけれど、僕にはその二三種きり見分けきれない、ということや、水蒸気が空中で凝結して雨になるまでの経路が、専門家にもまだはっきり分っていないそうだ、というようなことを、僕は彼女へ話したのを覚えています。というのは、北の空から薄い雲が徐々に拡がりかけていたからです。また彼女の方では、壁の中から爺さんと婆さんとが杖ついて出てくるという石川啄木の歌を読んで、童話を書きたくなったということを、僕に話したのを覚えています。
 そういう風に、何ということもなく歩いてるうちに――三月の末のわりに日脚の暖い日でした――僕は次第に或る焦燥――というほどでもないが、何かこう落着かない気分になりました。彼女もしきりに、洋傘(こうもり)を右や左へ持ちかえていましたが、ふいに云い出したのです。
「先生、私もっと遠くへ行ってみたい気がしますの、一度も行ったことのない遠くへ……。」
 それだったのです、僕が何かをしきりに求めながら、それが自分でも分らずにじれていた、その何かは、そのことだったのです。僕は嬉しくて飛び上りました。ほんとに愉快な浮々した……そしてどこかぼんやりした気持になりました。
 僕達は吉祥寺駅へ引返し、可なり長く待たされてから汽車に乗り、立川まで行きました。汽車の中には、気の早い観桜客(はなみきゃく)らしいのが眼につきました。
 立川へ行くと、意外に早く日脚が傾いて、もう夕食の時刻になっていました。季節外れではありましたけれど、川の岸にある小さな家へはいって、有り合せのものでよろしければというその夕食を取ることにしました。そして、ひっそりした二階の隅っこの室に通って、すぐ眼の下の川を眺めました。河原の中を僅かな水がうねり流れてるのを見て、「これが多摩川ですの……小さいんですのね、」と云う沢子の言葉に、僕はすっかり気がのびやかになったものです。そして夢をでも見てるような心地になったのです。現実かしら? 夢かしら? そう考えてるうちに、妻のことも家のことも、東京のことも、遠くへぼやけて消えてゆきました。世界のはてへでも来たという気持です。
 それから、夕食をしたためて、ぼんやりして、雨が少し降り出して、雨の音を楽しく聞きながら、ぽつりぽつり話をしたり、顔を見合って他愛もなく微笑んだりして、女中がお泊りですかって聞きに来たのへ、平気で首肯いて、別々の床へはいって、安らかに眠ってしまったのです。
 こう簡単に云ってしまうと、君はそれが本当でないように思われるでしょう。然し実際にその通りだったのです。僕はこう思います、妻子のある相当年配の男が恋をする場合には、その恋は極めて肉的な淫蕩なものであるか、或は極めて精神的な清浄なものであるか、そのどちらかだと。そして僕のは、全く後者だったのです。その上僕の眼には、沢子がごく無邪気な少女のように映じていたのです。前に云ったように、ごく晴れやかな娘だったのです。僕はその晩彼女と対座していながら、どうして自分はこんな若い娘に恋したのかと、幾度自ら怪しんだことでしょう。そしてその時の僕の気持は、恋ではなくて、可愛いくてたまらないといったような、そして親しいしみじみとした愛だったのです。彼女の方でも、全く信頼しきった、何一つ濁りや距てのない、清らかな澄みきった眼で、僕をじっと見ていたのです。僕達は何もかもうち忘れて、うっとり微笑まずにはいられませんでした。恋と云うには、余りに親しすぎるなつかしい感情だったのです。
 それは、一時の幻だったのでしょうか?
 翌朝、起き上って、前日来のことがはっきり頭に返ってきた時――妙に顔を見合わせられない気持で相並んで、曇り空の下の河原の景色を眺めた時、深い底知れぬ悲しみが胸を閉ざしてきて、僕は手摺につかまったまま、ほろほろと涙をこぼしたのです。沢子もしめやかに泣き出していました。暫く泣いていてから、彼女はふと顔を挙げて、「先生……」と云いました。僕もすぐに、「沢子さん……」と答えました。そして二人は、初めて唇を許し合ったのです。
 その後の僕の気持は、君の推察に任せましょう。僕達は恐ろしい罪をでも犯したもののように、慌だしくその家を飛び出して、急いで東京へ帰って来ました。その時僕の眼前の彼女は、もう可愛い無邪気な少女ではなかったのです。自由な溌溂とした若々しい一人前の女、として彼女は僕の眼に映じました。そして東京へ近づくに従って、僕は妻のことを、自分を束縛してる醜い重苦しい肉塊のように感じ出したのです。一方が若い香ばしい女性を象徴してるとすれば、一方は老衰しひねくれ悪臭を立ててる女性を象徴していたのです。……沢子はきっと口を結び眼を空に定めて端正と云えるほどの顔付で、じっと僕の横に坐っていました。飯田町駅で汽車から下りて、云い合わしたように左右へ別れる時、僕達は許し合った眼付をちらと交わしてから、まるで他人のようなお辞儀をし合ったものです。
 僕は真直に家へ帰りました。再び雨が落ちてきそうな陰鬱な空合でした。僕の心は捨鉢になっていました。玄関から大跨に飛び込んで、「昨夜は遅くなって三浦君の家へ泊ってきた、」と怒鳴るように妻へ云ったものです。妻は何とも答えませんでしたが、何かをその瞬間に直覚したらしくじっと僕を見つめました。その眼が一切の決算を求めてる、というように僕は感じました。
 そして、それが最後でした。
 翌日僕は士官学校で、沢子の手紙を手にしました――先生、もう致し方ございませんわ、私は先生を愛しております。とただその三行だけの、名前も宛名もない中身でした。僕はその文句を、幾度口の中でくり返したことでしょう。
 それから三日目に、妻は僕の不在中に出て行ったきり、二人の子供まで置きざりにして、もう帰って来ませんでした。
 僕は気がつかずにいましたが、妻はあの音楽会の晩以来、或はもっと前から、蛇のような執拗さで、僕のあらゆることを探索していたらしいのです。後で分ったのですが、僕がでたらめに口へ上せた三浦の家へも、果して僕がその晩泊ったかどうかを聞き合したのです。それからまた、僕は沢子からの手紙を本箱の抽出のいろんなノートの下にしまって、抽出の鍵は鴨居の上の額掛の後ろに隠しておいたものです。所が、彼女が出て行った翌日の晩、ふとその抽出をあけてみると、沢子からの手紙がみなずたずたに引裂いてあったのです。最後の三行の手紙も勿論でした。
 手紙を引裂いたというその仕打が、沈みかけていた僕の心を一時に激怒さしたのです。それから暫くたって後、彼女の代理としてやって来たその叔父とかに当る男が、いやに人を軽蔑した口調で、更に僕を怒らしたのです。そのうちに僕は、変に皮肉な落着いた気持になりました。そうなった時は、もう彼女と別れるの外はないと胸の底まで感じていました。それからのことはお話するにも及ばないでしょう。いろんな嫌な交渉があって、結局僕は正式に妻と別れてしまいました。思えば不運な女です、彼女には何の咎もなかったのですから。けれど僕に云わすれば、彼女も何とか他に取るべき態度が――勿論初めのうちに、あったろうと思われます。
 妻とはもう別れるの外はないと徹底的に感じだすと共に、一方に僕は、全く反対のことを感じだしたのです。三歳と六歳との二人の女の児の面倒を、女中と共にみてやってるうちに、僕はその時になって初めて、僕のこれまでの生活は、僕一人の生活ではなかったこと、僕と妻と二人の生活だったこと、僕と妻と二人で築き上げてきた生活だったこと、それが巌のように厳として永久に存在すること、……などをひしと感じたのです。ああ、それをも少し早く感じていましたら!……然しもうどうにも出来ませんでした。その生活はぷつりと中断されたのです。そして僕は、僕達のそういう生活の上へ、僕と沢子との生活をつぎ合せることが、僕にとって如何なるものであるかを、そして子供達……そうです、子供達にとって如何なるものであるかを、ずしりと胸に感じたのです。僕は何も、再婚だとか継母だとか、そういうことを云ってるのではありません。
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