河童
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:芥川竜之介 

 矜誇(きょうか)[#ルビの「きょうか」は「きょうこ」の誤か]、愛欲、疑惑――あらゆる罪は三千年来、この三者から発している。同時にまたおそらくはあらゆる徳も。
        ×
 物質的欲望を減ずることは必ずしも平和をもたらさない。我々は平和を得るためには精神的欲望も減じなければならぬ。(クラバックはこの章の上にも爪(つめ)の痕(あと)を残していました。)
        ×
 我々は人間よりも不幸である。人間は河童(かっぱ)ほど進化していない。(僕はこの章を読んだ時思わず笑ってしまいました。)
        ×
 成すことは成し得ることであり、成し得ることは成すことである。畢竟(ひっきょう)我々の生活はこういう循環論法を脱することはできない。――すなわち不合理に終始している。
        ×
 ボオドレエルは白痴になった後(のち)、彼の人生観をたった一語に、――女陰の一語に表白した。しかし彼自身を語るものは必ずしもこう言ったことではない。むしろ彼の天才に、――彼の生活を維持するに足る詩的天才に信頼したために胃袋の一語を忘れたことである。(この章にもやはりクラバックの爪の痕は残っていました。)
        ×
 もし理性に終始するとすれば、我々は当然我々自身の存在を否定しなければならぬ。理性を神にしたヴォルテエルの幸福に一生をおわったのはすなわち人間の河童よりも進化していないことを示すものである。

        十二

 ある割合に寒い午後です。僕は「阿呆(あほう)の言葉」を読み飽きましたから、哲学者のマッグを尋ねに出かけました。するとある寂しい町の角(かど)に蚊のようにやせた河童(かっぱ)が一匹、ぼんやり壁によりかかっていました。しかもそれは紛れもない、いつか僕の万年筆を盗んでいった河童なのです。僕はしめたと思いましたから、ちょうどそこへ通りかかった、たくましい巡査を呼びとめました。
「ちょっとあの河童を取り調べてください。あの河童はちょうど一月(ひとつき)ばかり前にわたしの万年筆を盗んだのですから。」
 巡査は右手の棒をあげ、(この国の巡査は剣(けん)の代わりに水松(いちい)の棒を持っているのです。)「おい、君」とその河童へ声をかけました。僕はあるいはその河童は逃げ出しはしないかと思っていました。が、存外落ち着き払って巡査の前へ歩み寄りました。のみならず腕を組んだまま、いかにも傲然(ごうぜん)と僕の顔や巡査の顔をじろじろ見ているのです。しかし巡査は怒(おこ)りもせず、腹の袋から手帳を出してさっそく尋問にとりかかりました。
「お前の名は?」
「グルック。」
「職業は?」
「つい二三日前までは郵便配達夫をしていました。」
「よろしい。そこでこの人の申し立てによれば、君はこの人の万年筆を盗んでいったということだがね。」
「ええ、一月ばかり前に盗みました。」
「なんのために?」
「子どもの玩具(おもちゃ)にしようと思ったのです。」
「その子どもは?」
 巡査ははじめて相手の河童へ鋭い目を注ぎました。
「一週間前に死んでしまいました。」
「死亡証明書を持っているかね?」
 やせた河童は腹の袋から一枚の紙をとり出しました。巡査はその紙へ目を通すと、急ににやにや笑いながら、相手の肩をたたきました。
「よろしい。どうも御苦労だったね。」
 僕は呆気(あっけ)にとられたまま、巡査の顔をながめていました。しかもそのうちにやせた河童は何かぶつぶつつぶやきながら、僕らを後ろにして行ってしまうのです。僕はやっと気をとり直し、こう巡査に尋ねてみました。
「どうしてあの河童をつかまえないのです?」
「あの河童は無罪ですよ。」
「しかし僕の万年筆を盗んだのは……」
「子どもの玩具にするためだったのでしょう。けれどもその子どもは死んでいるのです。もし何か御不審だったら、刑法千二百八十五条をお調べなさい。」
 巡査はこう言いすてたなり、さっさとどこかへ行ってしまいました。僕はしかたがありませんから、「刑法千二百八十五条」を口の中に繰り返し、マッグの家(うち)へ急いでゆきました。哲学者のマッグは客好きです。現にきょうも薄暗い部屋(へや)には裁判官のペップや医者のチャックや硝子(ガラス)会社の社長のゲエルなどが集まり、七色(なないろ)の色硝子のランタアンの下に煙草(たばこ)の煙を立ち昇(のぼ)らせていました。そこに裁判官のペップが来ていたのは何よりも僕には好(こう)つごうです。僕は椅子(いす)にかけるが早いか、刑法第千二百八十五条を検(しら)べる代わりにさっそくペップへ問いかけました。
「ペップ君、はなはだ失礼ですが、この国では罪人を罰しないのですか?」
 ペップは金口(きんぐち)の煙草の煙をまず悠々(ゆうゆう)と吹き上げてから、いかにもつまらなそうに返事をしました。
「罰しますとも。死刑さえ行なわれるくらいですからね。」
「しかし僕は一月(ひとつき)ばかり前に、……」
 僕は委細を話した後(のち)、例の刑法千二百八十五条のことを尋ねてみました。
「ふむ、それはこういうのです。――『いかなる犯罪を行ないたりといえども、該(がい)犯罪を行なわしめたる事情の消失したる後は該犯罪者を処罰することを得ず』つまりあなたの場合で言えば、その河童(かっぱ)はかつては親だったのですが、今はもう親ではありませんから、犯罪も自然と消滅するのです。」
「それはどうも不合理ですね。」
「常談(じょうだん)を言ってはいけません。親だった河童も親である河童も同一に見るのこそ不合理です。そうそう、日本の法律では同一に見ることになっているのですね。それはどうも我々には滑稽(こっけい)です。ふふふふふふふふふふ。」
 ペップは巻煙草をほうり出しながら、気のない薄笑いをもらしていました。そこへ口を出したのは法律には縁の遠いチャックです。チャックはちょっと鼻目金(はなめがね)を直し、こう僕に質問しました。
「日本にも死刑はありますか?」
「ありますとも。日本では絞罪(こうざい)です。」
 僕は冷然と構えこんだペップに多少反感を感じていましたから、この機会に皮肉を浴びせてやりました。
「この国の死刑は日本よりも文明的にできているでしょうね?」
「それはもちろん文明的です。」
 ペップはやはり落ち着いていました。
「この国では絞罪などは用いません。まれには電気を用いることもあります。しかしたいていは電気も用いません。ただその犯罪の名を言って聞かせるだけです。」
「それだけで河童は死ぬのですか?」
「死にますとも。我々河童の神経作用はあなたがたのよりも微妙ですからね。」
「それは死刑ばかりではありません。殺人にもその手を使うのがあります――」
 社長のゲエルは色硝子(いろガラス)の光に顔中紫に染まりながら、人なつこい笑顔(えがお)をして見せました。
「わたしはこの間もある社会主義者に『貴様は盗人(ぬすびと)だ』と言われたために心臓痲痺(まひ)[#「痲痺」は底本では「痳痺」]を起こしかかったものです。」
「それは案外多いようですね。わたしの知っていたある弁護士などはやはりそのために死んでしまったのですからね。」
 僕はこう口を入れた河童(かっぱ)、――哲学者のマッグをふりかえりました。マッグはやはりいつものように皮肉な微笑を浮かべたまま、だれの顔も見ずにしゃべっているのです。
「その河童はだれかに蛙(かえる)だと言われ、――もちろんあなたも御承知でしょう、この国で蛙だと言われるのは人非人(にんぴにん)という意味になることぐらいは。――己(おれ)は蛙かな? 蛙ではないかな? と毎日考えているうちにとうとう死んでしまったものです。」
「それはつまり自殺ですね。」
「もっともその河童を蛙だと言ったやつは殺すつもりで言ったのですがね。あなたがたの目から見れば、やはりそれも自殺という……」
 ちょうどマッグがこう言った時です。突然その部屋(へや)の壁の向こうに、――たしかに詩人のトックの家に鋭いピストルの音が一発、空気をはね返すように響き渡りました。

        十三

 僕らはトックの家へ駆けつけました。トックは右の手にピストルを握り、頭の皿から血を出したまま、高山植物の鉢植(はちう)えの中に仰向(あおむ)けになって倒れていました。そのまたそばには雌(めす)の河童が一匹、トックの胸に顔を埋(うず)め、大声をあげて泣いていました。僕は雌の河童を抱き起こしながら、(いったい僕はぬらぬらする河童の皮膚に手を触れることをあまり好んではいないのですが。)「どうしたのです?」と尋ねました。
「どうしたのだか、わかりません。ただ何か書いていたと思うと、いきなりピストルで頭を打ったのです。ああ、わたしはどうしましょう? qur-r-r-r-r, qur-r-r-r-r」(これは河童の泣き声です。)
「なにしろトック君はわがままだったからね。」
 硝子(ガラス)会社の社長のゲエルは悲しそうに頭を振りながら、裁判官のペップにこう言いました。しかしペップは何も言わずに金口(きんぐち)の巻煙草(まきたばこ)に火をつけていました。すると今までひざまずいて、トックの創口(きずぐち)などを調べていたチャックはいかにも医者らしい態度をしたまま、僕ら五人に宣言しました。(実はひとりと四匹(しひき)とです。)
「もう駄目(だめ)です。トック君は元来胃病でしたから、それだけでも憂鬱(ゆううつ)になりやすかったのです。」
「何か書いていたということですが。」
 哲学者のマッグは弁解するようにこう独(ひと)り語(ごと)をもらしながら、机の上の紙をとり上げました。僕らは皆頸(くび)をのばし、(もっとも僕だけは例外です。)幅の広いマッグの肩越しに一枚の紙をのぞきこみました。
「いざ、立ちてゆかん。娑婆界(しゃばかい)を隔つる谷へ。
 岩むらはこごしく、やま水は清く、
 薬草の花はにおえる谷へ。」
 マッグは僕らをふり返りながら、微苦笑といっしょにこう言いました。
「これはゲエテの『ミニヨンの歌』の剽窃(ひょうせつ)ですよ。するとトック君の自殺したのは詩人としても疲れていたのですね。」
 そこへ偶然自動車を乗りつけたのはあの音楽家のクラバックです。クラバックはこういう光景を見ると、しばらく戸口にたたずんでいました。が、僕らの前へ歩み寄ると、怒鳴(どな)りつけるようにマッグに話しかけました。
「それはトックの遺言状(ゆいごんじょう)ですか?」
「いや、最後に書いていた詩です。」
「詩?」
 やはり少しも騒がないマッグは髪を逆立(さかだ)てたクラバックにトックの詩稿を渡しました。クラバックはあたりには目もやらずに熱心にその詩稿を読み出しました。しかもマッグの言葉にはほとんど返事さえしないのです。
「あなたはトック君の死をどう思いますか?」
「いざ、立ちて、……僕もまたいつ死ぬかわかりません。……娑婆界(しゃばかい)を隔つる谷へ。……」
「しかしあなたはトック君とはやはり親友のひとりだったのでしょう?」
「親友? トックはいつも孤独だったのです。……娑婆界を隔つる谷へ、……ただトックは不幸にも、……岩むらはこごしく……」
「不幸にも?」
「やま水は清く、……あなたがたは幸福です。……岩むらはこごしく。……」
 僕はいまだに泣き声を絶たない雌(めす)の河童(かっぱ)に同情しましたから、そっと肩を抱(かか)えるようにし、部屋(へや)の隅(すみ)の長椅子(ながいす)へつれていきました。そこには二歳か三歳かの河童が一匹、何も知らずに笑っているのです。僕は雌の河童の代わりに子どもの河童をあやしてやりました。するといつか僕の目にも涙のたまるのを感じました。僕が河童の国に住んでいるうちに涙というものをこぼしたのは前にもあとにもこの時だけです。
「しかしこういうわがままの河童といっしょになった家族は気の毒ですね。」
「なにしろあとのことも考えないのですから。」
 裁判官のペップは相変わらず、新しい巻煙草(まきたばこ)に火をつけながら、資本家のゲエルに返事をしていました。すると僕らを驚かせたのは音楽家のクラバックのおお声です。クラバックは詩稿を握ったまま、だれにともなしに呼びかけました。
「しめた! すばらしい葬送曲ができるぞ。」
 クラバックは細い目をかがやかせたまま、ちょっとマッグの手を握ると、いきなり戸口へ飛んでいきました。もちろんもうこの時には隣近所の河童が大勢、トックの家の戸口に集まり、珍しそうに家の中をのぞいているのです。しかしクラバックはこの河童たちを遮二無二(しゃにむに)左右へ押しのけるが早いか、ひらりと自動車へ飛び乗りました。同時にまた自動車は爆音を立ててたちまちどこかへ行ってしまいました。
「こら、こら、そうのぞいてはいかん。」
 裁判官のペップは巡査の代わりに大勢の河童(かっぱ)を押し出した後(のち)、トックの家の戸をしめてしまいました。部屋(へや)の中はそのせいか急にひっそりなったものです。僕らはこういう静かさの中に――高山植物の花の香に交じったトックの血の匂(にお)いの中に後始末(あとしまつ)のことなどを相談しました。しかしあの哲学者のマッグだけはトックの死骸(しがい)をながめたまま、ぼんやり何か考えています。僕はマッグの肩をたたき、「何を考えているのです?」と尋ねました。
「河童の生活というものをね。」
「河童の生活がどうなるのです?」
「我々河童はなんと言っても、河童の生活をまっとうするためには、……」
 マッグは多少はずかしそうにこう小声でつけ加えました。
「とにかく我々河童以外の何ものかの力を信ずることですね。」

        一四

 僕に宗教というものを思い出させたのはこういうマッグの言葉です。僕はもちろん物質主義者ですから、真面目(まじめ)に宗教を考えたことは一度もなかったのに違いありません。が、この時はトックの死にある感動を受けていたためにいったい河童の宗教はなんであるかと考え出したのです。僕はさっそく学生のラップにこの問題を尋ねてみました。
「それは基督教(キリストきょう)、仏教、モハメット教、拝火教(はいかきょう)なども行なわれています。まず一番勢力のあるものはなんといっても近代教でしょう。生活教とも言いますがね。」(「生活教」という訳語は当たっていないかもしれません。この原語は Quemoocha です。cha は英吉利(イギリス)語の ism という意味に当たるでしょう。quemoo の原形 quemal の訳は単に「生きる」というよりも「飯を食ったり、酒を飲んだり、交合(こうごう)を行なったり」する意味です。)
「じゃこの国にも教会だの寺院だのはあるわけなのだね?」
「常談(じょうだん)を言ってはいけません。近代教の大寺院などはこの国第一の大建築ですよ。どうです、ちょっと見物に行っては?」
 ある生温(なまあたた)かい曇天の午後、ラップは得々(とくとく)と僕といっしょにこの大寺院へ出かけました。なるほどそれはニコライ堂の十倍もある大建築です。のみならずあらゆる建築様式を一つに組み上げた大建築です。僕はこの大寺院の前に立ち、高い塔や円(まる)屋根をながめた時、なにか無気味にさえ感じました。実際それらは天に向かって伸びた無数の触手(しょくしゅ)のように見えたものです。僕らは玄関の前にたたずんだまま、(そのまた玄関に比べてみても、どのくらい僕らは小さかったのでしょう!)しばらくこの建築よりもむしろ途方もない怪物に近い稀代(きだい)の大寺院を見上げていました。
 大寺院の内部もまた広大です。そのコリント風の円柱の立った中には参詣(さんけい)人が何人も歩いていました。しかしそれらは僕らのように非常に小さく見えたものです。そのうちに僕らは腰の曲がった一匹の河童(かっぱ)に出合いました。するとラップはこの河童にちょっと頭を下げた上、丁寧(ていねい)にこう話しかけました。
「長老、御(ご)達者なのは何よりもです。」
 相手の河童もお時宜(じぎ)をした後(のち)、やはり丁寧に返事をしました。
「これはラップさんですか? あなたも相変わらず、――(と言いかけながら、ちょっと言葉をつがなかったのはラップの嘴(くちばし)の腐っているのにやっと気がついたためだったでしょう。)――ああ、とにかく御丈夫らしいようですね。が、きょうはどうしてまた……」
「きょうはこの方(かた)のお伴をしてきたのです。この方はたぶん御承知のとおり、――」
 それからラップは滔々(とうとう)と僕のことを話しました。どうもまたそれはこの大寺院へラップがめったに来ないことの弁解にもなっていたらしいのです。
「ついてはどうかこの方の御案内を願いたいと思うのですが。」
 長老は大様(おおよう)に微笑しながら、まず僕に挨拶(あいさつ)をし、静かに正面(しょうめん)の祭壇を指さしました。
「御案内と申しても、何もお役に立つことはできません。我々信徒の礼拝(らいはい)するのは正面の祭壇にある『生命の樹(き)』です。『生命の樹』にはごらんのとおり、金と緑との果(み)がなっています。あの金の果を『善の果』と言い、あの緑の果を『悪の果』と言います。……」
 僕はこういう説明のうちにもう退屈を感じ出しました。それはせっかくの長老の言葉も古い比喩(ひゆ)のように聞こえたからです。僕はもちろん熱心に聞いている容子(ようす)を装っていました。が、時々は大寺院の内部へそっと目をやるのを忘れずにいました。
 コリント風の柱、ゴシック風の穹窿(きゅうりゅう)、アラビアじみた市松(いちまつ)模様の床(ゆか)、セセッションまがいの祈祷机(きとうづくえ)、――こういうものの作っている調和は妙に野蛮な美を具(そな)えていました。しかし僕の目をひいたのは何よりも両側の龕(がん)の中にある大理石の半身像です。僕は何かそれらの像を見知っているように思いました。それもまた不思議ではありません。あの腰の曲った河童(かっぱ)は「生命の樹」の説明をおわると、今度は僕やラップといっしょに右側の龕の前へ歩み寄り、その龕の中の半身像にこういう説明を加え出しました。
「これは我々の聖徒のひとり、――あらゆるものに反逆した聖徒ストリントベリイです。この聖徒はさんざん苦しんだあげく、スウェデンボルグの哲学のために救われたように言われています。が、実は救われなかったのです。この聖徒はただ我々のように生活教を信じていました。――というよりも信じるほかはなかったのでしょう。この聖徒の我々に残した『伝説』という本を読んでごらんなさい。この聖徒も自殺未遂者だったことは聖徒自身告白しています。」
 僕はちょっと憂鬱(ゆううつ)になり、次の龕(がん)へ目をやりました。次の龕にある半身像は口髭(くちひげ)の太い独逸(ドイツ)人です。
「これはツァラトストラの詩人ニイチェです。その聖徒は聖徒自身の造った超人に救いを求めました。が、やはり救われずに気違いになってしまったのです。もし気違いにならなかったとすれば、あるいは聖徒の数(かず)へはいることもできなかったかもしれません。……」
 長老はちょっと黙った後(のち)、第三の龕(がん)の前へ案内しました。
「三番目にあるのはトルストイです。この聖徒はだれよりも苦行をしました。それは元来貴族だったために好奇心の多い公衆に苦しみを見せることをきらったからです。この聖徒は事実上信ぜられない基督(キリスト)を信じようと努力しました。いや、信じているようにさえ公言したこともあったのです。しかしとうとう晩年には悲壮な□(うそ)つきだったことに堪(た)えられないようになりました。この聖徒も時々書斎の梁(はり)に恐怖を感じたのは有名です。けれども聖徒の数にはいっているくらいですから、もちろん自殺したのではありません。」
 第四の龕の中の半身像は我々日本人のひとりです。僕はこの日本人の顔を見た時、さすがに懐(なつか)しさを感じました。
「これは国木田独歩(くにきだどっぽ)です。轢死(れきし)する人足(にんそく)の心もちをはっきり知っていた詩人です。しかしそれ以上の説明はあなたには不必要に違いありません。では五番目の龕の中をごらんください。――」
「これはワグネルではありませんか?」
「そうです。国王の友だちだった革命家です。聖徒ワグネルは晩年には食前の祈祷(きとう)さえしていました。しかしもちろん基督教よりも生活教の信徒のひとりだったのです。ワグネルの残した手紙によれば、娑婆苦(しゃばく)は何度この聖徒を死の前に駆りやったかわかりません。」
 僕らはもうその時には第六の龕(がん)の前に立っていました。
「これは聖徒ストリントベリイの友だちです。子どもの大勢ある細君の代わりに十三四のクイティの女をめとった商売人上がりの仏蘭西(フランス)の画家です。この聖徒は太い血管の中に水夫の血を流していました。が、唇(くちびる)をごらんなさい。砒素(ひそ)か何かの痕(あと)が残っています。第七の龕の中にあるのは……もうあなたはお疲れでしょう。ではどうかこちらへおいでください。」
 僕は実際疲れていましたから、ラップといっしょに長老に従い、香(こう)の匂(にお)いのする廊下伝いにある部屋(へや)へはいりました。そのまた小さい部屋の隅(すみ)には黒いヴェヌスの像の下に山葡萄(やまぶどう)が一ふさ献じてあるのです。僕はなんの装飾もない僧房を想像していただけにちょっと意外に感じました。すると長老は僕の容子(ようす)にこういう気もちを感じたとみえ、僕らに椅子(いす)を薦(すす)める前に半ば気の毒そうに説明しました。
「どうか我々の宗教の生活教であることを忘れずにください。我々の神、――『生命の樹(き)』の教えは『旺盛(おうせい)に生きよ』というのですから。……ラップさん、あなたはこのかたに我々の聖書をごらんにいれましたか?」
「いえ、……実はわたし自身もほとんど読んだことはないのです。」
 ラップは頭の皿(さら)を掻(か)きながら、正直にこう返事をしました。が、長老は相変わらず静かに微笑して話しつづけました。
「それではおわかりなりますまい。我々の神は一日のうちにこの世界を造りました。(『生命の樹(き)』は樹というものの、成しあたわないことはないのです。)のみならず雌(めす)の河童(かっぱ)を造りました。すると雌の河童は退屈のあまり、雄(おす)の河童を求めました。我々の神はこの嘆きを憐(あわ)れみ、雌の河童の脳髄(のうずい)を取り、雄の河童を造りました。我々の神はこの二匹の河童に『食えよ、交合せよ、旺盛(おうせい)に生きよ』という祝福を与えました。……」
 僕は長老の言葉のうちに詩人のトックを思い出しました。詩人のトックは不幸にも僕のように無神論者です。僕は河童ではありませんから、生活教を知らなかったのも無理はありません。けれども河童の国に生まれたトックはもちろん「生命の樹」を知っていたはずです。僕はこの教えに従わなかったトックの最後を憐れみましたから、長老の言葉をさえぎるようにトックのことを話し出しました。
「ああ、あの気の毒な詩人ですね。」
 長老は僕の話を聞き、深い息をもらしました。
「我々の運命を定めるものは信仰と境遇と偶然とだけです。(もっともあなたがたはそのほかに遺伝をお数えなさるでしょう。)トックさんは不幸にも信仰をお持ちにならなかったのです。」
「トックはあなたをうらやんでいたでしょう。いや、僕もうらやんでいます。ラップ君などは年も若いし、……」
「僕も嘴(くちばし)さえちゃんとしていればあるいは楽天的だったかもしれません。」
 長老は僕らにこう言われると、もう一度深い息をもらしました。しかもその目は涙ぐんだまま、じっと黒いヴェヌスを見つめているのです。
「わたしも実は、――これはわたしの秘密ですから、どうかだれにもおっしゃらずにください。――わたしも実は我々の神を信ずるわけにいかないのです。しかしいつかわたしの祈祷(きとう)は、――」
 ちょうど長老のこう言った時です。突然部屋(へや)の戸があいたと思うと、大きい雌の河童が一匹、いきなり長老へ飛びかかりました。僕らがこの雌の河童を抱きとめようとしたのはもちろんです。が、雌の河童はとっさの間(あいだ)に床(ゆか)の上へ長老を投げ倒しました。
「この爺(おやじ)め! きょうもまたわたしの財布(さいふ)から一杯やる金(かね)を盗んでいったな!」
 十分ばかりたった後(のち)、僕らは実際逃げ出さないばかりに長老夫婦をあとに残し、大寺院の玄関を下(お)りていきました。
「あれではあの長老も『生命の樹』を信じないはずですね。」
 しばらく黙って歩いた後、ラップは僕にこう言いました。が、僕は返事をするよりも思わず大寺院を振り返りました。大寺院はどんより曇った空にやはり高い塔や円屋根(まるやね)を無数の触手のように伸ばしています。なにか沙漠(さばく)の空に見える蜃気楼(しんきろう)の無気味さを漂わせたまま。……

        一五

 それからかれこれ一週間の後、僕はふと医者のチャックに珍しい話を聞きました。というのはあのトックの家(うち)に幽霊の出るという話なのです。そのころにはもう雌(めす)の河童(かっぱ)はどこかほかへ行ってしまい、僕らの友だちの詩人の家も写真師のステュディオに変わっていました。なんでもチャックの話によれば、このステュディオでは写真をとると、トックの姿もいつの間(ま)にか必ず朦朧(もうろう)と客の後ろに映っているとかいうことです。もっともチャックは物質主義者ですから、死後の生命などを信じていません。現にその話をした時にも悪意のある微笑を浮かべながら、「やはり霊魂というものも物質的存在とみえますね」などと註釈めいたことをつけ加えていました。僕も幽霊を信じないことはチャックとあまり変わりません。けれども詩人のトックには親しみを感じていましたから、さっそく本屋の店へ駆けつけ、トックの幽霊に関する記事やトックの幽霊の写真の出ている新聞や雑誌を買ってきました。なるほどそれらの写真を見ると、どこかトックらしい河童が一匹、老若男女(ろうにゃくなんにょ)の河童の後ろにぼんやりと姿を現わしていました。しかし僕を驚かせたのはトックの幽霊の写真よりもトックの幽霊に関する記事、――ことにトックの幽霊に関する心霊学協会の報告です。僕はかなり逐語的にその報告を訳しておきましたから、下(しも)に大略を掲げることにしましょう。ただし括弧(かっこ)の中にあるのは僕自身の加えた註釈なのです。――
 詩人トック君の幽霊に関する報告。(心霊学協会雑誌第八千二百七十四号所載)
 わが心霊学協会は先般自殺したる詩人トック君の旧居にして現在は××写真師のステュディオなる□□街第二百五十一号に臨時調査会を開催せり。列席せる会員は下(しも)のごとし。(氏名を略す。)
 我ら十七名の会員は心霊協会会長ペック氏とともに九月十七日午前十時三十分、我らのもっとも信頼するメディアム、ホップ夫人を同伴し、該(がい)ステュディオの一室に参集せり。ホップ夫人は該ステュディオにはいるや、すでに心霊的空気を感じ、全身に痙攣(けいれん)を催しつつ、嘔吐(おうと)すること数回に及べり。夫人の語るところによれば、こは詩人トック君の強烈なる煙草(たばこ)を愛したる結果、その心霊的空気もまたニコティンを含有するためなりという。
 我ら会員はホップ夫人とともに円卓をめぐりて黙坐(もくざ)したり。夫人は三分二十五秒の後(のち)、きわめて急劇なる夢遊状態に陥り、かつ詩人トック君の心霊の憑依(ひょうい)するところとなれり。我ら会員は年齢順に従い、夫人に憑依せるトック君の心霊と左のごとき問答を開始したり。
 問 君は何ゆえに幽霊に出(い)ずるか?
 答 死後の名声を知らんがためなり。
 問 君――あるいは心霊諸君は死後もなお名声を欲するや?
 答 少なくとも予(よ)は欲せざるあたわず。しかれども予の邂逅(かいこう)したる日本の一詩人のごときは死後の名声を軽蔑(けいべつ)しいたり。
 問 君はその詩人の姓名を知れりや?
 答 予は不幸にも忘れたり。ただ彼の好んで作れる十七字詩の一章を記憶するのみ。
 問 その詩は如何(いかん)?
 答「古池や蛙(かわず)飛びこむ水の音」。
 問 君はその詩を佳作なりとなすや?
 答 予(よ)は必ずしも悪作なりとなさず。ただ「蛙(かわず)」を「河童(かっぱ)」とせんか、さらに光彩陸離(こうさいりくり)たるべし。
 問 しからばその理由は如何(いかん)?
 答 我ら河童はいかなる芸術にも河童を求むること痛切なればなり。
 会長ペック氏はこの時にあたり、我ら十七名の会員にこは心霊学協会の臨時調査会にして合評会(がっぴょうかい)にあらざるを注意したり。
 問 心霊諸君の生活は如何?
 答 諸君の生活と異なることなし。
 問 しからば君は君自身の自殺せしを後悔するや?
 答 必ずしも後悔せず。予は心霊的生活に倦(う)まば、さらにピストルを取りて自活すべし。
 問 自活するは容易なりや否や?
 トック君の心霊はこの問に答うるにさらに問をもってしたり。こはトック君を知れるものにはすこぶる自然なる応酬(おうしゅう)なるべし。
 答 自殺するは容易なりや否や?
 問 諸君の生命は永遠なりや?
 答 我らの生命に関しては諸説紛々(ふんぷん)として信ずべからず。幸いに我らの間にも基督教(キリストきょう)、仏教、モハメット教、拝火教(はいかきょう)等の諸宗あることを忘るるなかれ。
 問 君自身の信ずるところは?
 答 予は常に懐疑主義者なり。
 問 しかれども君は少なくとも心霊の存在を疑わざるべし?
 答 諸君のごとく確信するあたわず。
 問 君の交友の多少は如何?
 答 予の交友は古今東西にわたり、三百人を下らざるべし。その著名なるものをあぐれば、クライスト、マインレンデル、ワイニンゲル……
 問 君の交友は自殺者のみなりや?
 答 必ずしもしかりとせず。自殺を弁護せるモンテェニュのごときは予が畏友(いゆう)の一人(いちにん)なり。ただ予は自殺せざりし厭世(えんせい)主義者、――ショオペンハウエルの輩(はい)とは交際せず。
 問 ショオペンハウエルは健在なりや?
 答 彼は目下(もっか)心霊的厭世主義を樹立し、自活する可否を論じつつあり。しかれどもコレラも黴菌病(ばいきんびょう)なりしを知り、すこぶる安堵(あんど)せるもののごとし。
 我ら会員は相次いでナポレオン、孔子(こうし)、ドストエフスキイ、ダアウィン、クレオパトラ、釈迦(しゃか)、デモステネス、ダンテ、千(せん)の利休(りきゅう)等の心霊の消息を質問したり。しかれどもトック君は不幸にも詳細に答うることをなさず、かえってトック君自身に関する種々のゴシップを質問したり。
 問 予(よ)の死後の名声は如何(いかん)?
 答 ある批評家は「群小詩人のひとり」と言えり。
 問 彼は予が詩集を贈らざりしに怨恨(えんこん)を含めるひとりなるべし。予の全集は出版せられしや?
 答 君の全集は出版せられたれども、売行きはなはだ振わざるがごとし。
 問 予の全集は三百年の後(のち)、――すなわち著作権の失われたる後、万人(ばんにん)の購(あがな)うところとなるべし。予の同棲(どうせい)せる女友だちは如何?
 答 彼女は書肆(しょし)ラック君の夫人となれり。
 問 彼女はいまだ不幸にもラックの義眼なるを知らざるなるべし。予が子は如何?
 答 国立孤児院にありと聞けり。
 トック君はしばらく沈黙せる後、新たに質問を開始したり。
 問 予が家は如何?
 答 某写真師のステュディオとなれり。
 問 予の机はいかになれるか?
 答 いかなれるかを知るものなし。
 問 予は予の机の抽斗(ひきだし)に予の秘蔵せる一束(ひとたば)の手紙を――しかれどもこは幸いにも多忙なる諸君の関するところにあらず。今やわが心霊界はおもむろに薄暮に沈まんとす。予は諸君と訣別(けつべつ)すべし。さらば。諸君。さらば。わが善良なる諸君。
 ホップ夫人は最後の言葉とともにふたたび急劇に覚醒(かくせい)したり。我ら十七名の会員はこの問答の真なりしことを上天の神に誓って保証せんとす。(なおまた我らの信頼するホップ夫人に対する報酬(ほうしゅう)はかつて夫人が女優たりし時の日当(にっとう)に従いて支弁したり。)

        一六

 僕はこういう記事を読んだ後(のち)、だんだんこの国にいることも憂鬱(ゆううつ)になってきましたから、どうか我々人間の国へ帰ることにしたいと思いました。しかしいくら探(さが)して歩いても、僕の落ちた穴は見つかりません。そのうちにあのバッグという漁夫(りょうし)の河童の話には、なんでもこの国の街(まち)はずれにある年をとった河童が一匹、本を読んだり、笛(ふえ)を吹いたり、静かに暮らしているということです。僕はこの河童に尋ねてみれば、あるいはこの国を逃げ出す途(みち)もわかりはしないかと思いましたから、さっそく街はずれへ出かけてゆきました。しかしそこへ行ってみると、いかにも小さい家の中に年をとった河童どころか、頭の皿も固まらない、やっと十二三の河童が一匹、悠々(ゆうゆう)と笛を吹いていました。僕はもちろん間違(まちが)った家へはいったではないかと思いました。が、念のために名をきいてみると、やはりバッグの教えてくれた年よりの河童に違いないのです。
「しかしあなたは子どものようですが……」
「お前さんはまだ知らないのかい? わたしはどういう運命か、母親の腹を出た時には白髪頭(しらがあたま)をしていたのだよ。それからだんだん年が若くなり、今ではこんな子どもになったのだよ。けれども年を勘定すれば生まれる前を六十としても、かれこれ百十五六にはなるかもしれない。」
 僕は部屋(へや)の中を見まわしました。そこには僕の気のせいか、質素な椅子(いす)やテエブルの間に何か清らかな幸福が漂っているように見えるのです。
「あなたはどうもほかの河童よりもしあわせに暮らしているようですね?」
「さあ、それはそうかもしれない。わたしは若い時は年よりだったし、年をとった時は若いものになっている。従って年よりのように欲にも渇(かわ)かず、若いもののように色にもおぼれない。とにかくわたしの生涯はたといしあわせではないにもしろ、安らかだったのには違いあるまい。」
「なるほどそれでは安らかでしょう。」
「いや、まだそれだけでは安らかにはならない。わたしは体(からだ)も丈夫(じょうぶ)だったし、一生食うに困らぬくらいの財産を持っていたのだよ。しかし一番しあわせだったのはやはり生まれてきた時に年よりだったことだと思っている。」
 僕はしばらくこの河童(かっぱ)と自殺したトックの話だの毎日医者に見てもらっているゲエルの話だのをしていました。が、なぜか年をとった河童はあまり僕の話などに興味のないような顔をしていました。
「ではあなたはほかの河童のように格別生きていることに執着(しゅうじゃく)を持ってはいないのですね?」
 年をとった河童は僕の顔を見ながら、静かにこう返事をしました。
「わたしもほかの河童のようにこの国へ生まれてくるかどうか、一応父親に尋ねられてから母親の胎内を離れたのだよ。」
「しかし僕はふとした拍子に、この国へ転(ころ)げ落ちてしまったのです。どうか僕にこの国から出ていかれる路(みち)を教えてください。」
「出ていかれる路は一つしかない。」
「というのは?」
「それはお前さんのここへ来た路だ。」
 僕はこの答えを聞いた時になぜか身の毛がよだちました。
「その路があいにく見つからないのです。」
 年をとった河童は水々しい目にじっと僕の顔を見つめました。それからやっと体(からだ)を起こし、部屋(へや)の隅(すみ)へ歩み寄ると、天井からそこに下がっていた一本の綱(つな)を引きました。すると今まで気のつかなかった天窓が一つ開きました。そのまた円(まる)い天窓の外には松や檜(ひのき)が枝を張った向こうに大空が青あおと晴れ渡っています。いや、大きい鏃(やじり)に似た槍(やり)ヶ岳(たけ)の峯もそびえています。僕は飛行機を見た子どものように実際飛び上がって喜びました。
「さあ、あすこから出ていくがいい。」
 年をとった河童はこう言いながら、さっきの綱を指さしました。今まで僕の綱と思っていたのは実は綱梯子(つなばしご)にできていたのです。
「ではあすこから出さしてもらいます。」
「ただわたしは前もって言うがね。出ていって後悔しないように。」
「大丈夫(だいじょうぶ)です。僕は後悔などはしません。」
 僕はこう返事をするが早いか、もう綱梯子をよじ登っていました。年をとった河童の頭の皿をはるか下にながめながら。

        一七

 僕は河童(かっぱ)の国から帰ってきた後(のち)、しばらくは我々人間の皮膚の匂(にお)いに閉口しました。我々人間に比べれば、河童は実に清潔なものです。のみならず我々人間の頭は河童ばかり見ていた僕にはいかにも気味の悪いものに見えました。これはあるいはあなたにはおわかりにならないかもしれません。しかし目や口はともかくも、この鼻というものは妙に恐ろしい気を起こさせるものです。僕はもちろんできるだけ、だれにも会わない算段をしました。が、我々人間にもいつか次第に慣れ出したとみえ、半年ばかりたつうちにどこへでも出るようになりました。ただそれでも困ったことは何か話をしているうちにうっかり河童の国の言葉を口に出してしまうことです。
「君はあしたは家(うち)にいるかね?」
「Qua」
「なんだって?」
「いや、いるということだよ。」
 だいたいこういう調子だったものです。
 しかし河童の国から帰ってきた後、ちょうど一年ほどたった時、僕はある事業の失敗したために……(S博士(はかせ)は彼がこう言った時、「その話はおよしなさい」と注意をした。なんでも博士の話によれば、彼はこの話をするたびに看護人の手にもおえないくらい、乱暴になるとかいうことである。)
 ではその話はやめましょう。しかしある事業の失敗したために僕はまた河童の国へ帰りたいと思い出しました。そうです。「行(ゆ)きたい」のではありません。「帰りたい」と思い出したのです。河童の国は当時の僕には故郷のように感ぜられましたから。
 僕はそっと家(うち)を脱け出し、中央線の汽車へ乗ろうとしました。そこをあいにく巡査につかまり、とうとう病院へ入れられたのです。僕はこの病院へはいった当座も河童の国のことを想(おも)いつづけました。医者のチャックはどうしているでしょう? 哲学者のマッグも相変わらず七色(なないろ)の色硝子(いろガラス)のランタアンの下に何か考えているかもしれません。ことに僕の親友だった嘴(くちばし)の腐った学生のラップは、――あるきょうのように曇った午後です。こんな追憶にふけっていた僕は思わず声をあげようとしました。それはいつの間(ま)にはいってきたか、バッグという漁夫(りょうし)の河童が一匹、僕の前にたたずみながら、何度も頭を下げていたからです。僕は心をとり直した後(のち)、――泣いたか笑ったかも覚えていません。が、とにかく久しぶりに河童の国の言葉を使うことに感動していたことはたしかです。
「おい、バッグ、どうして来た?」
「へい、お見舞いに上がったのです。なんでも御病気だとかいうことですから。」
「どうしてそんなことを知っている?」
「ラディオのニウスで知ったのです。」
 バッグは得意そうに笑っているのです。
「それにしてもよく来られたね?」
「なに、造作(ぞうさ)はありません。東京の川や掘割りは河童には往来も同様ですから。」
 僕は河童(かっぱ)も蛙(かえる)のように水陸両棲(りょうせい)の動物だったことに今さらのように気がつきました。
「しかしこの辺には川はないがね。」
「いえ、こちらへ上がったのは水道の鉄管を抜けてきたのです。それからちょっと消火栓(しょうかせん)をあけて……」
「消火栓をあけて?」
「旦那(だんな)はお忘れなすったのですか? 河童にも機械屋のいるということを。」
 それから僕は二三日ごとにいろいろの河童の訪問を受けました。僕の病はS博士(はかせ)によれば早発性痴呆症(そうはつせいちほうしょう)ということです。しかしあの医者のチャックは(これははなはだあなたにも失礼に当たるのに違いありません。)僕は早発性痴呆症患者ではない、早発性痴呆症患者はS博士をはじめ、あなたがた自身だと言っていました。医者のチャックも来るくらいですから、学生のラップや哲学者のマッグの見舞いにきたことはもちろんです。が、あの漁夫(りょうし)のバッグのほかに昼間はだれも尋ねてきません。ことに二三匹いっしょに来るのは夜、――それも月のある夜です。僕はゆうべも月明りの中に硝子(ガラス)会社の社長のゲエルや哲学者のマッグと話をしました。のみならず音楽家のクラバックにもヴァイオリンを一曲弾(ひ)いてもらいました。そら、向こうの机の上に黒百合(くろゆり)の花束がのっているでしょう? あれもゆうべクラバックが土産(みやげ)に持ってきてくれたものです。……
 (僕は後ろを振り返ってみた。が、もちろん机の上には花束も何ものっていなかった。)
 それからこの本も哲学者のマッグがわざわざ持ってきてくれたものです。ちょっと最初の詩を読んでごらんなさい。いや、あなたは河童の国の言葉を御存知になるはずはありません。では代わりに読んでみましょう。これは近ごろ出版になったトックの全集の一冊です。――
 (彼は古い電話帳をひろげ、こういう詩をおお声に読みはじめた。)

――椰子(やし)の花や竹の中に
  仏陀(ぶっだ)はとうに眠っている。

  路(みち)ばたに枯れた無花果(いちじゅく)といっしょに
  基督(キリスト)ももう死んだらしい。

  しかし我々は休まなければならぬ
  たとい芝居(しばい)の背景の前にも。

  (そのまた背景の裏を見れば、継ぎはぎだらけのカンヴァスばかりだ?)――

 けれども僕はこの詩人のように厭世的(えんせいてき)ではありません。河童たちの時々来てくれる限りは、――ああ、このことは忘れていました。あなたは僕の友だちだった裁判官のペップを覚えているでしょう。あの河童は職を失った後(のち)、ほんとうに発狂してしまいました。なんでも今は河童の国の精神病院にいるということです。僕はS博士(はかせ)さえ承知してくれれば、見舞いにいってやりたいのですがね……。
(昭和二年二月十一日)



ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:83 KB

担当:undef