邪宗門
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著者名:芥川竜之介 

途々通りちがう菜売りの女などが、稀有(けう)な文使(ふづか)いだとでも思いますのか、迂散(うさん)らしくふり返って、見送るものもございましたが、あの老爺(おやじ)はとんとそれにも目をくれる気色(けしき)はございません。
 この調子ならまず何事もなかろうと、一時は私の甥も途中から引き返そうと致しましたが、よもやに引かされて、しばらくは猶も跡を慕って参りますと、丁度油小路(あぶらのこうじ)へ出ようと云う、道祖(さえ)の神の祠(ほこら)の前で、折からあの辻をこちらへ曲って出た、見慣れない一人の沙門(しゃもん)が、出合いがしらに平太夫と危くつき当りそうになりました。女菩薩(にょぼさつ)の幢(はた)、墨染の法衣(ころも)、それから十文字の怪しい護符、一目見て私の甥は、それが例の摩利信乃法師だと申す事に、気がついたそうでございます。

        十七

 危くつき当りそうになった摩利信乃法師(まりしのほうし)は、咄嗟(とっさ)に身を躱(かわ)しましたが、なぜかそこに足を止めて、じっと平太夫(へいだゆう)の姿を見守りました。が、あの老爺(おやじ)はとんとそれに頓着する容子(ようす)もなく、ただ、二三歩譲っただけで、相不変(あいかわらず)とぼとぼと寂しい歩みを運んで参ります。さてはさすがの摩利信乃法師も、平太夫の異様な風俗を、不審に思ったものと見えると、こう私の甥は考えましたが、やがてその側まで参りますと、まだ我を忘れたように、道祖(さえ)の神の祠(ほこら)を後(うしろ)にして、佇(たたず)んでいる沙門の眼(ま)なざしが、いかに天狗の化身(けしん)とは申しながら、どうも唯事とは思われません。いや、反(かえ)ってその眼なざしには、いつもの気味の悪い光がなくて、まるで涙ぐんででもいるような、もの優しい潤いが、漂っているのでございます。それが祠の屋根へ枝をのばした、椎の青葉の影を浴びて、あの女菩薩の旗竿を斜(ななめ)に肩へあてながら、しげしげ向うを見送っていた立ち姿の寂しさは、一生の中にたった一度、私の甥にもあの沙門を懐しく思わせたとか申す事でございました。
 が、その内に私の甥の足音に驚かされたのでございましょう。摩利信乃法師は夢のさめたように、慌しくこちらを振り向きますと、急に片手を高く挙げて、怪しい九字(くじ)を切りながら、何か咒文(じゅもん)のようなものを口の内に繰返して、□々(そうそう)歩きはじめました。その時の咒文の中に、中御門(なかみかど)と云うような語(ことば)が聞えたと申しますが、それは事によると私の甥の耳のせいだったかもわかりません。元よりその間も平太夫の方は、やはり花橘の枝を肩にして、側目(わきめ)もふらず悄々(しおしお)と歩いて参ったのでございます。そこでまた私の甥も、見え隠れにその跡をつけて、とうとう西洞院(にしのとういん)の御屋形まで参ったそうでございますが、時にあの摩利信乃法師の不思議な振舞が気になって、若殿様の御文の事さえ、はては忘れそうになったくらい、落着かない心もちに苦しめられたとか申して居りました。
 しかしその御文は恙(つつが)なく、御姫様の御手もとまでとどいたものと見えまして、珍しくも今度に限って早速御返事がございました。これは私ども下々(しもじも)には、何とも確かな事は申し上げる訳に参りませんが、恐らくは御承知の通り御闊達な御姫様の事でございますから、平太夫からあの暗討(やみう)ちの次第でも御聞きになって、若殿様の御(ご)気象の人に優れていらっしゃるのを、始めて御会得(ごえとく)になったからででもございましょうか。それから二三度、御消息を御取り交(かわ)せになった後、とうとうある小雨(こさめ)の降る夜、若殿様は私の甥を御供に召して、もう葉柳の陰に埋もれた、西洞院(にしのとういん)の御屋形へ忍んで御通いになる事になりました。こうまでなって見ますと、あの平太夫もさすがに我(が)が折れたのでございましょう。その夜も険しく眉をひそめて居りましたが、私の甥に向いましても、格別雑言(ぞうごん)などを申す勢いはなかったそうでございます。

        十八

 その後(ご)若殿様はほとんど夜毎に西洞院(にしのとういん)の御屋形へ御通いになりましたが、時には私のような年よりも御供に御召しになった事がございました。私が始めてあの御姫様の、眩しいような御美しさを拝む事が出来ましたのも、そう云う折ふしの事でございます。一度などは御二人で、私を御側近く御呼びよせなさりながら、今昔(こんじゃく)の移り変りを話せと申す御意もございました。確か、その時の事でございましょう。御簾(みす)のひまから見える御池の水に、さわやかな星の光が落ちて、まだ散り残った藤(ふじ)の□(におい)がかすかに漂って来るような夜でございましたが、その涼しい夜気の中に、一人二人の女房を御侍(おはべ)らせになって、もの静に御酒盛をなすっていらっしゃる御二方の美しさは、まるで倭絵(やまとえ)の中からでも、抜け出していらしったようでございました。殊に白い単衣襲(ひとえがさね)に薄色の袿(うちぎ)を召した御姫様の清らかさは、おさおさあの赫夜姫(かぐやひめ)にも御劣りになりはしますまい。
 その内に御酒機嫌(ごしゅきげん)の若殿様が、ふと御姫様の方へ御向いなさりながら、
「今も爺(じい)の申した通り、この狭い洛中でさえ、桑海(そうかい)の変(へん)は度々(たびたび)あった。世間一切の法はその通り絶えず生滅遷流(せいめつせんりゅう)して、刹那も住(じゅう)すと申す事はない。されば無常経(むじょうきょう)にも『未四曾有三一事不レ被二無常呑一(いまだかつていちじのむじょうにのまれざるはあらず)』と説かせられた。恐らくはわれらが恋も、この掟ばかりは逃れられまい。ただいつ始まっていつ終るか、予が気がかりなのはそれだけじゃ。」と、冗談のように仰有(おっしゃ)いますと、御姫様はとんと拗(す)ねたように、大殿油(おおとのあぶら)の明るい光をわざと御避けになりながら、
「まあ、憎らしい事ばかり仰有(おっしゃ)います。ではもう始めから私(わたくし)を、御捨てになる御心算(おつもり)でございますか。」と、優しく若殿様を御睨(おにら)みなさいました。が、若殿様は益(ますます)御機嫌よく、御盃を御干しになって、
「いや、それよりも始めから、捨てられる心算(つもり)で居(お)ると申した方が、一層予の心もちにはふさわしいように思われる。」
「たんと御弄(おなぶ)り遊ばしまし。」
 御姫様はこう仰有って、一度は愛くるしく御笑いになりましたが、急にまた御簾(みす)の外の夜色(やしょく)へ、うっとりと眼を御やりになって、
「一体世の中の恋と申すものは、皆そのように果(はか)ないものでございましょうか。」と独り語(ごと)のように仰有いました。すると若殿様はいつもの通り、美しい歯を見せて、御笑いになりながら、
「されば果(はか)なくないとも申されまいな。が、われら人間が万法(ばんぽう)の無常も忘れはてて、蓮華蔵(れんげぞう)世界の妙薬をしばらくしたりとも味わうのは、ただ、恋をしている間だけじゃ。いや、その間だけは恋の無常さえ忘れていると申してもよい。じゃによって予が眼からは恋慕三昧(れんぼざんまい)に日を送った業平(なりひら)こそ、天晴(あっぱれ)知識じゃ。われらも穢土(えど)の衆苦を去って、常寂光(じょうじゃっこう)の中に住(じゅう)そうには伊勢物語をそのままの恋をするよりほかはあるまい。何と御身(おみ)もそうは思われぬか。」と、横合いから御姫様の御顔を御覗きになりました。

        十九

「されば恋の功徳(くどく)こそ、千万無量とも申してよかろう。」
 やがて若殿様は、恥しそうに御眼を御伏せになった御姫様から、私の方へ、陶然となすった御顔を御向けになって、
「何と、爺(じい)もそう思うであろうな。もっともその方には恋とは申さぬ。が、好物(こうぶつ)の酒ではどうじゃ。」
「いえ、却々(なかなか)持ちまして、手前は後生(ごしょう)が恐ろしゅうございます。」
 私が白髪(しらが)を掻きながら、慌ててこう御答え申しますと、若殿様はまた晴々と御笑いになって、
「いや、その答えが何よりじゃ。爺は後生が恐ろしいと申すが、彼岸(ひがん)に往生しょうと思う心は、それを暗夜(あんや)の燈火(ともしび)とも頼んで、この世の無常を忘れようと思う心には変りはない。じゃによってその方も、釈教(しゃっきょう)と恋との相違こそあれ、所詮は予と同心に極(きわ)まったぞ。」
「これはまた滅相な。成程御姫様の御美しさは、伎芸天女(ぎげいてんにょ)も及ばぬほどではございますが、恋は恋、釈教は釈教、まして好物の御酒(ごしゅ)などと、一つ際(ぎわ)には申せませぬ。」
「そう思うのはその方の心が狭いからの事じゃ。弥陀(みだ)も女人(にょにん)も、予の前には、皆われらの悲しさを忘れさせる傀儡(くぐつ)の類いにほかならぬ。――」
 こう若殿様が御云い張りになると、急に御姫様は偸(ぬす)むように、ちらりとその方を御覧になりながら、
「それでも女子(おなご)が傀儡では、嫌じゃと申しは致しませぬか。」と、小さな御声で仰有いました。
「傀儡(くぐつ)で悪くば、仏菩薩(ぶつぼさつ)とも申そうか。」
 若殿様は勢いよく、こう返事をなさいましたが、ふと何か御思い出しなすったように、じっと大殿油(おおとのあぶら)の火影(ほかげ)を御覧になると、
「昔、あの菅原雅平(すがわらまさひら)と親(したし)ゅう交っていた頃にも、度々このような議論を闘わせた。御身も知って居(お)られようが、雅平(まさひら)は予と違って、一図に信を起し易い、云わば朴直な生れがらじゃ。されば予が世尊金口(せそんこんく)の御経(おんきょう)も、実は恋歌(こいか)と同様じゃと嘲笑(あざわら)う度に腹を立てて、煩悩外道(ぼんのうげどう)とは予が事じゃと、再々悪(あ)しざまに罵り居った。その声さえまだ耳にあるが、当の雅平は行方(ゆくえ)も知れぬ。」と、いつになく沈んだ御声でもの思わしげに御呟(おつぶや)きなさいました。するとその御容子(ごようす)にひき入れられたのか、しばらくの間は御姫様を始め、私までも口を噤(つぐ)んで、しんとした御部屋の中には藤の花の□(におい)ばかりが、一段と高くなったように思われましたが、それを御座(おざ)が白けたとでも、思ったのでございましょう。女房たちの一人が恐る恐る、
「では、この頃洛中に流行(はや)ります摩利の教とやら申すのも、やはり無常を忘れさせる新しい方便なのでございましょう。」と、御話の楔(くさび)を入れますと、もう一人の女房も、
「そう申せばあの教を説いて歩きます沙門には、いろいろ怪しい評判があるようでございませんか。」と、さも気味悪そうに申しながら、大殿油(おおとのあぶら)の燈心をわざとらしく掻立(かきた)てました。

        二十

「何、摩利(まり)の教。それはまた珍しい教があるものじゃ。」
 何か御考えに耽っていらしった若殿様は、思い出したように、御盃を御挙げになると、その女房の方を御覧になって、
「摩利と申すからは、摩利支天(まりしてん)を祭る教のようじゃな。」
「いえ、摩利支天ならよろしゅうございますが、その教の本尊は、見慣れぬ女菩薩(にょぼさつ)の姿じゃと申す事でございます。」
「では、波斯匿王(はしのくおう)の妃(きさい)の宮であった、茉利(まり)夫人の事でも申すと見える。」
 そこで私は先日神泉苑の外(そと)で見かけました、摩利信乃法師(まりしのほうし)の振舞を逐一御話し申し上げてから、
「その女菩薩の姿では、茉利夫人とやらのようでもございませぬ。いや、それよりはこれまでのどの仏菩薩の御像(おすがた)にも似ていないのでございます。別してあの赤裸(あかはだか)の幼子(おさなご)を抱(いだ)いて居(お)るけうとさは、とんと人間の肉を食(は)む女夜叉(にょやしゃ)のようだとも申しましょうか。とにかく本朝には類(たぐい)のない、邪宗の仏(ほとけ)に相違ございますまい。」と、私の量見を言上致しますと、御姫様は美しい御眉(おんまゆ)をそっと御ひそめになりながら、
「そうしてその摩利信乃法師とやら申す男は、真実天狗の化身(けしん)のように見えたそうな。」と、念を押すように御尋ねなさいました。
「さようでございます。風俗はとんと火の燃える山の中からでも、翼に羽搏(はう)って出て来たようでございますが、よもやこの洛中に、白昼さような変化(へんげ)の物が出没致す事はございますまい。」
 すると若殿様はまた元のように、冴々(さえざえ)した御笑声(おわらいごえ)で、
「いや、何とも申されぬ。現に延喜(えんぎ)の御門(みかど)の御代(みよ)には、五条あたりの柿の梢に、七日(なのか)の間天狗が御仏(みほとけ)の形となって、白毫光(びゃくごうこう)を放ったとある。また仏眼寺(ぶつげんじ)の仁照阿闍梨(にんしょうあざり)を日毎に凌(りょう)じに参ったのも、姿は女と見えたが実は天狗じゃ。」
「まあ、気味の悪い事を仰有(おっしゃ)います。」
 御姫様は元より、二人の女房も、一度にこう云って、襲(かさね)の袖を合せましたが、若殿様は、愈御酒(いよいよごしゅ)機嫌の御顔を御和(おやわら)げになって、
「三千世界は元より広大無辺じゃ。僅ばかりの人間の智慧(ちえ)で、ないと申される事は一つもない。たとえばその沙門に化けた天狗が、この屋形の姫君に心を懸けて、ある夜ひそかに破風(はふ)の空から、爪だらけの手をさしのべようも、全くない事じゃとは誰も云えぬ。が、――」と仰有(おっしゃ)りながら、ほとんど色も御変りにならないばかり、恐ろしげに御寄りそいになった御姫様の袿(うちぎ)の背を、やさしく御さすりになりながら、
「が、まだその摩利信乃法師とやらは、幸(さいわ)い、姫君の姿さえ垣間見(かいまみ)た事もないであろう。まず、それまでは魔道の恋が、成就する気づかいはよもあるまい。さればもうそのように、怖がられずとも大丈夫じゃ。」と、まるで子供をあやすように、笑って御慰めなさいました。

        二十一

 それから一月ばかりと申すものは、何事もなくすぎましたが、やがて夏も真盛りのある日の事、加茂川(かもがわ)の水が一段と眩(まばゆ)く日の光を照り返して、炎天の川筋には引き舟の往来(ゆきき)さえとぎれる頃でございます。ふだんから釣の好きな私の甥は、五条の橋の下へ参りまして、河原蓬(かわらよもぎ)の中に腰を下しながら、ここばかりは涼風(すずかぜ)の通うのを幸と、水嵩(みかさ)の減った川に糸を下して、頻(しきり)に鮠(はえ)を釣って居りました。すると丁度頭の上の欄干で、どうも聞いた事のあるような話し声が致しますから、何気なく上を眺めますと、そこにはあの平太夫(へいだゆう)が高扇(たかおうぎ)を使いながら、欄干に身をよせかけて、例の摩利信乃法師(まりしのほうし)と一しょに、余念なく何事か話して居(お)るではございませんか。
 それを見ますと私の甥は、以前油小路(あぶらのこうじ)の辻で見かけた、摩利信乃法師の不思議な振舞がふと心に浮びました。そう云えばあの時も、どうやら二人の間には、曰(いわ)くがあったようでもある。――こう私の甥は思いましたから、眼は糸の方へやっていても、耳は橋の上の二人の話を、じっと聞き澄まして居りますと、向うは人通りもほとんど途絶えた、日盛りの寂しさに心を許したのでございましょう。私の甥の居(お)る事なぞには、更に気のつく容子(ようす)もなく、思いもよらない、大それた事を話し合って居(お)るのでございます。
「あなた様がこの摩利の教を御拡(おひろ)めになっていらっしゃろうなどとは、この広い洛中で誰一人存じて居(お)るものはございますまい。私(わたくし)でさえあなた様が御自分でそう仰有(おっしゃ)るまでは、どこかで御見かけ申したとは思いながら、とんと覚えがございませんでした。それもまた考えて見れば、もっともな次第でございます。いつぞやの春の月夜に桜人(さくらびと)の曲を御謡いになった、あの御年若なあなた様と、ただ今こうして炎天に裸で御歩きになっていらっしゃる、慮外ながら天狗のような、見るのも凄じいあなた様と、同じ方でいらっしゃろうとは、あの打伏(うちふし)の巫子(みこ)に聞いて見ても、わからないのに相違ございません。」
 こう平太夫(へいだゆう)が口軽く、扇の音と一しょに申しますと、摩利信乃法師はまるでまた、どこの殿様かと疑われる、鷹揚(おうよう)な言(ことば)つきで、
「わしもその方に会ったのは何よりも満足じゃ。いつぞや油小路(あぶらのこうじ)の道祖(さえ)の神の祠(ほこら)の前でも、ちらと見かけた事があったが、その方は側目(わきめ)もふらず、文をつけた橘の枝を力なくかつぎながら、もの思わしげにたどたどと屋形の方へ歩いて参った。」
「さようでございますか。それはまた年甲斐もなく、失礼な事を致したものでございます。」
 平太夫はあの朝の事を思い出したのでございましょう。苦々しげにこう申しましたが、やがて勢いの好(よ)い扇の音が、再びはたはたと致しますと、
「しかしこうして今日(こんにち)御眼にかかれたのは、全く清水寺(きよみずでら)の観世音菩薩の御利益(ごりやく)ででもございましょう。平太夫一生の内に、これほど嬉しい事はございません。」
「いや、予が前で神仏(しんぶつ)の名は申すまい。不肖(ふしょう)ながら、予は天上皇帝の神勅を蒙って、わが日の本に摩利(まり)の教を布(し)こうと致す沙門の身じゃ。」

        二十二

 急に眉をひそめたらしいけはいで、こう摩利信乃法師(まりしのほうし)が言(ことば)を挟みましたが、存外平太夫(へいだゆう)は恐れ入った気色(けしき)もなく、扇と舌と同じように働かせながら、
「成程さようでございましたな。平太夫も近頃はめっきり老耄(おいぼ)れたと見えまして、する事為す事ことごとく落度(おちど)ばかりでございます。いや、そう云う次第ならもうあなた様の御前(おまえ)では、二度と神仏の御名(みな)は口に致しますまい。もっとも日頃はこの老爺(おやじ)も、余り信心気(しんじんぎ)などと申すものがある方ではございません。それをただ今急に、観世音菩薩などと述べ立てましたのは、全く久しぶりで御目にかかったのが、嬉しかったからでございます。そう申せば姫君も、幼馴染のあなた様が御(ご)無事でいらっしゃると御聞きになったら、どんなにか御喜びになる事でございましょう。」と、ふだん私どもに向っては、返事をするのも面倒そうな、口の重い容子(ようす)とは打って変って、勢いよく、弁じ立てました。これにはあの摩利信乃法師も、返事のしようさえなさそうにしばらくはただ、頷(うなず)いてばかりいるようでございましたが、やがてその姫君と云う言(ことば)を機会(しお)に、
「さてその姫君についてじゃが、予は聊(いささ)か密々に御意(ぎょい)得たい仔細(しさい)がある。」と、云って、一段とまた声をひそめながら、
「何と平太夫、その方の力で夜分なりと、御目にかからせてはくれまいか。」
 するとこの時橋の上では、急に扇の音が止んでしまいました。それと同時に私の甥は、危く欄干の方を見上げようと致しましたが、元より迂闊(うかつ)な振舞をしては、ここに潜んでいる事が見露(みあらわ)されないものでもございません。そこでやはり河原蓬(かわらよもぎ)の中を流れて行く水の面(おもて)を眺めたまま、息もつかずに上の容子へ気をくばって居りました。が、平太夫は今までの元気に引き換えて、容易に口を開きません。その間の長さと申しましたら、橋の下の私の甥(おい)には、体中の筋骨(すじぼね)が妙にむず痒(がゆ)くなったくらい、待ち遠しかったそうでございます。
「たとい河原とは申しながら、予も洛中に住まうものじゃ。堀川の殿がこの日頃、姫君のもとへしげしげと、通わるる趣も知っては居(お)る。――」
 やがてまた摩利信乃法師は、相不変(あいかわらず)もの静かな声で、独り言のように言(ことば)を継(つ)ぐと、
「が、予は姫君が恋しゅうて、御意(ぎょい)得たいと申すのではない。予の業欲(ごうよく)に憧るる心は、一度唐土(ひとたびもろこし)にさすらって、紅毛碧眼の胡僧(こそう)の口から、天上皇帝の御教(みおしえ)を聴聞(ちょうもん)すると共に、滅びてしもうた。ただ、予が胸を痛めるのは、あの玉のような姫君も、この天地(あめつち)を造らせ給うた天上皇帝を知られぬ事じゃ。されば、神と云い仏(ほとけ)と云う天魔外道(てんまげどう)の類(たぐい)を信仰せられて、その形になぞらえた木石にも香花(こうげ)を供えられる。かくてはやがて命終(めいしゅう)の期(ご)に臨んで、永劫(えいごう)消えぬ地獄の火に焼かれ給うに相違ない。予はその事を思う度に、阿鼻大城(あびたいじょう)の暗の底へ逆落しに落ちさせらるる、あえかな姫君の姿さえありありと眼に浮んで来るのじゃ。現に昨夜(ゆうべ)も。――」
 こう云いかけて、あの沙門はさも感慨に堪えないらしく、次第に力の籠って来た口をしばらくの間とざしました。

        二十三

「昨晩(ゆうべ)、何かあったのでございますか。」
 ほど経て平太夫(へいだゆう)が、心配そうに、こう相手の言(ことば)を促しますと、摩利信乃法師(まりしのほうし)はふと我に返ったように、また元の静な声で、一言(ひとこと)毎に間を置きながら、
「いや、何もあったと申すほどの仔細はない。が、予は昨夜(ゆうべ)もあの菰(こも)だれの中で、独りうとうとと眠って居(お)ると、柳の五つ衣(ぎぬ)を着た姫君の姿が、夢に予の枕もとへ歩みよられた。ただ、現(うつつ)と異ったは、日頃つややかな黒髪が、朦朧と煙(けぶ)った中に、黄金(こがね)の釵子(さいし)が怪しげな光を放って居っただけじゃ。予は絶えて久しい対面の嬉しさに、『ようこそ見えられた』と声をかけたが、姫君は悲しげな眼を伏せて、予の前に坐られたまま、答えさえせらるる気色(けしき)はない。と思えば紅(くれない)の袴の裾に、何やら蠢(うごめ)いているものの姿が見えた。それが袴の裾ばかりか、よう見るに従って、肩にも居(お)れば、胸にも居る。中には黒髪の中にいて、えせ笑うらしいものもあった。――」
「と仰有っただけでは解(げ)せませんが、一体何が居ったのでございます。」
 この時は平太夫も、思わず知らず沙門(しゃもん)の調子に釣り込まれてしまったのでございましょう。こう尋ねました声ざまには、もうさっきの気負った勢いも聞えなくなって居りました。が、摩利信乃法師は、やはりもの思わしげな口ぶりで、
「何が居ったと申す事は、予自身にもしかとはわからぬ。予はただ、水子(みずご)ほどの怪しげなものが、幾つとなく群って、姫君の身のまわりに蠢(うごめ)いているのを眺めただけじゃ。が、それを見ると共に、夢の中ながら予は悲しゅうなって、声を惜まず泣き叫んだ。姫君も予の泣くのを見て、頻(しきり)に涙を流される。それが久しい間続いたと思うたが、やがて、どこやらで鶏(とり)が啼いて、予の夢はそれぎり覚めてしもうた。」
 摩利信乃法師がこう語り終りますと、今度は平太夫も口を噤(つぐ)んで、一しきりやめていた扇をまたも使い出しました。私の甥はその間中鉤(はり)にかかった鮠(はえ)も忘れるくらい、聞き耳を立てて居りましたが、この夢の話を聞いている中は、橋の下の涼しさが、何となく肌身にしみて、そう云う御姫様の悲しい御姿を、自分もいつか朧げに見た事があるような、不思議な気が致したそうでございます。
 その内に橋の上では、また摩利信乃法師の沈んだ声がして、
「予はその怪しげなものを妖魔(ようま)じゃと思う。されば天上皇帝は、堕獄の業(ごう)を負わせられた姫君を憐れと見そなわして、予に教化(きょうげ)を施せと霊夢を賜ったのに相違ない。予がその方の力を藉りて、姫君に御意得たいと申すのは、こう云う仔細があるからじゃ。何と予が頼みを聞き入れてはくれまいか。」
 それでもなお、平太夫はしばらくためらっていたようでございますが、やがて扇をつぼめたと思うと、それで欄干を丁(ちょう)と打ちながら、
「よろしゅうございます。この平太夫はいつぞや清水(きよみず)の阪の下で、辻冠者(つじかんじゃ)ばらと刃傷(にんじょう)を致しました時、すんでに命も取られる所を、あなた様の御かげによって、落ち延びる事が出来ました。その御恩を思いますと、あなた様の仰有(おっしゃ)る事に、いやと申せた義理ではございません。摩利(まり)の教とやらに御帰依なさるか、なさらないか、それは姫君の御意次第でございますが、久しぶりであなた様の御目にかかると申す事は、姫君も御嫌(おいや)ではございますまい。とにかく私の力の及ぶ限り、御対面だけはなされるように御取り計らい申しましょう。」

        二十四

 その密談の仔細を甥の口から私が詳しく聞きましたのは、それから三四日たったある朝の事でございます。日頃は人の多い御屋形の侍所(さむらいどころ)も、その時は私共二人だけで、眩(まば)ゆく朝日のさした植込みの梅の青葉の間からは、それでも涼しいそよ風が、そろそろ動こうとする秋の心もちを時々吹いて参りました。
 私の甥はその話を終ってから、一段と声をひそめますと、
「一体あの摩利信乃法師(まりしのほうし)と云う男が、どうして姫君を知って居(お)るのだか、それは元より私にも不思議と申すほかはありませんが、とにかくあの沙門(しゃもん)が姫君の御意を得るような事でもあると、どうもこの御屋形の殿様の御身の上には、思いもよらない凶変でも起りそうな不吉な気がするのです。が、このような事は殿様に申上げても、あの通りの御気象ですから、決して御取り上げにはならないのに相違ありません。そこで、私は私の一存で、あの沙門を姫君の御目にかかれないようにしようと思うのですが、叔父さんの御考えはどういうものでしょう。」
「それはわしも、あの怪しげな天狗法師などに姫君の御顔を拝ませたく無い。が、御主(おぬし)もわしも、殿様の御用を欠かぬ限りは、西洞院(にしのとういん)の御屋形の警護ばかりして居(お)る訳にも行かぬ筈じゃ。されば御主はあの沙門を、姫君の御身のまわりに、近づけぬと云うたにした所で。――」
「さあ。そこです。姫君の思召しも私共には分りませんし、その上あすこには平太夫(へいだゆう)と云う老爺(おやじ)も居りますから、摩利信乃法師が西洞院の御屋形に立寄るのは、迂闊(うかつ)に邪魔も出来ません。が、四条河原の蓆張(むしろば)りの小屋ならば、毎晩きっとあの沙門が寝泊りする所ですから、随分こちらの思案次第で、二度とあの沙門が洛中(らくちゅう)へ出て来ないようにすることも出来そうなものだと思うのです。」
「と云うて、あの小屋で見張りをしてる訳にも行くまい。御主(おぬし)の申す事は、何やら謎めいた所があって、わしのような年寄りには、十分に解(げ)し兼ねるが、一体御主はあの摩利信乃法師をどうしようと云う心算(つもり)なのじゃ。」
 私が不審(ふしん)そうにこう尋ねますと、私の甥はあたかも他聞を憚(はばか)るように、梅の青葉の影がさして居る部屋の前後へ目をくばりながら、私の耳へ口を附けて、
「どうすると云うて、ほかに仕方のある筈がありません。夜更けにでも、そっと四条河原へ忍んで行って、あの沙門の息の根を止めてしまうばかりです。」
 これにはさすがの私もしばらくの間は呆れ果てて、二の句をつぐ事さえ忘れて居りましたが、甥は若い者らしい、一図に思いつめた調子で、
「何、高があの通りの乞食(こつじき)法師です。たとい加勢の二三人はあろうとも、仕止めるのに造作(ぞうさ)はありますまい。」
「が、それはどうもちと無法なようじゃ。成程あの摩利信乃法師は邪宗門(じゃしゅうもん)を拡めては歩いて居ようが、そのほかには何一つ罪らしい罪も犯して居らぬ。さればあの沙門を殺すのは、云わば無辜(むこ)を殺すとでも申そう。――」
「いや、理窟はどうでもつくものです。それよりももしあの沙門が、例の天上皇帝の力か何か藉(か)りて、殿様や姫君を呪(のろ)うような事があったとして御覧なさい。叔父さん始め私まで、こうして禄を頂いている甲斐がないじゃありませんか。」
 私の甥は顔を火照(ほて)らせながら、どこまでもこう弁じつづけて、私などの申す事には、とんと耳を藉しそうな気色(けしき)さえもございません。――すると丁度そこへほかの侍たちが、扇の音をさせながら、二三人はいって参りましたので、とうとうこの話もその場限り、御流(おながれ)になってしまいました。

        二十五

 それからまた、三四日はすぎたように覚えて居ります。ある星月夜(ほしづくよ)の事でございましたが、私は甥(おい)と一しょに更闌(こうた)けてから四条河原へそっと忍んで参りました。その時でさえまだ私には、あの天狗法師を殺そうと云う心算(つもり)もなし、また殺す方がよいと云う気もあった訳ではございません。が、どうしても甥が初の目ろみを捨てないのと、甥を一人やる事がなぜか妙に気がかりだったのとで、とうとう私までが年甲斐もなく、河原蓬(かわらよもぎ)の露に濡れながら、摩利信乃法師(まりしのほうし)の住む小屋を目がけて、窺(うかが)いよることになったのでございます。
 御承知の通りあの河原には、見苦しい非人(ひにん)小屋が、何軒となく立ち並んで居りますが、今はもうここに多い白癩(びゃくらい)の乞食(こつじき)たちも、私などが思いもつかない、怪しげな夢をむすびながら、ぐっすり睡入(ねい)って居(お)るのでございましょう。私と甥とが足音を偸(ぬす)み偸み、静にその小屋の前を通りぬけました時も、蓆壁(むしろかべ)の後(うしろ)にはただ、高鼾(たかいびき)の声が聞えるばかり、どこもかしこもひっそりと静まり返って、たった一所(ひとところ)焚き残してある芥火(あくたび)さえ、風もないのか夜空へ白く、まっすぐな煙(けぶり)をあげて居ります。殊にその煙の末が、所斑(ところはだら)な天の川と一つでいるのを眺めますと、どうやら数え切れない星屑が、洛中の天を傾けて、一尺ずつ一寸ずつ、辷る音まではっきりと聞きとれそうに思われました。
 その中に私の甥は、兼ねて目星をつけて置いたのでございましょう、加茂川(かもがわ)の細い流れに臨んでいる、菰(こも)だれの小屋の一つを指さしますと、河原蓬の中に立ったまま、私の方をふり向きまして、「あれです。」と、一言(ひとこと)申しました。折からあの焚き捨てた芥火(あくたび)が、まだ焔の舌を吐いているそのかすかな光に透かして見ますと、小屋はどれよりも小さいくらいで、竹の柱も古蓆(ふるむしろ)の屋根も隣近所と変りはございませんが、それでもその屋根の上には、木の枝を組んだ十文字の標(しるし)が、夜目にもいかめしく立って居ります。
「あれか。」
 私は覚束(おぼつか)ない声を出して、何と云う事もなくこう問い返しました。実際その時の私には、まだ摩利信乃法師を殺そうとも、殺すまいとも、はっきりした決断がつかずにいたのでございます。が、そう云う内にも私の甥が、今度はふり向くらしい容子(ようす)もなく、じっとその小屋を見守りながら、
「そうです。」と、素っ気なく答える声を聞きますと、愈太刀(いよいよたち)へ血をあやす時が来たと云う、何とも云いようのない心もちで、思わず総身がわななきました。すると甥は早くも身仕度を整えたものと見えて、太刀の目釘を叮嚀に潤(しめ)しますと、まるで私には目もくれず、そっと河原を踏み分けながら、餌食(えじき)を覗う蜘蛛(くも)のように、音もなく小屋の外へ忍びよりました。いや全く芥火の朧げな光のさした、蓆壁にぴったり体をよせて、内のけはいを窺っている私の甥の後姿は、何となく大きな蜘蛛のような気味の悪いものに見えたのでございます。

        二十六

 が、こう云う場合に立ち至ったからは、元よりこちらも手を束(つか)ねて、見て居(お)る訳には参りません。そこで水干(すいかん)の袖を後で結ぶと、甥の後(うしろ)から私も、小屋の外へ窺(うかが)いよって、蓆の隙から中の容子を、じっと覗きこみました。
 するとまず、眼に映ったのは、あの旗竿に掲げて歩く女菩薩(にょぼさつ)の画像(えすがた)でございます。それが今は、向うの蓆壁にかけられて、形ははっきりと見えませんが、入口の菰(こも)を洩れる芥火(あくたび)の光をうけて、美しい金の光輪ばかりが、まるで月蝕(げっしょく)か何かのように、ほんのり燦(きら)めいて居りました。またその前に横になって居りますのは、昼の疲れに前後を忘れた摩利信乃法師(まりしのほうし)でございましょう。それからその寝姿を半蔽(なかばおお)っている、着物らしいものが見えましたが、これは芥火に反(そむ)いているので、噂に聞く天狗の翼だか、それとも天竺(てんじく)にあると云う火鼠(ひねずみ)の裘(けごろも)だかわかりません。――
 この容子を見た私どもは、云わず語らず両方から沙門(しゃもん)の小屋を取囲んで、そっと太刀の鞘(さや)を払いました。が、私は初めからどうも妙な気おくれが致していたからでございましょう。その拍子に手もとが狂って、思わず鋭い鍔音(つばおと)を響かせてしまったのではございませんか。すると私が心の中で、はっと思う暇(いとま)さえなく、今まで息もしなかった菰だれの向うの摩利信乃法師が、たちまち身を起したらしいけはいを見せて、
「誰じゃ。」と、一声咎(とが)めました。もうこうなっては、甥を始め、私までも騎虎(きこ)の勢いで、どうしてもあの沙門を、殺すよりほかはございません。そこでその声がするや否や、前と後と一斉に、ものも云わずに白刃(しらは)をかざして、いきなり小屋の中へつきこみました。その白刃の触れ合う音、竹の柱の折れる音、蓆壁の裂け飛ぶ音、――そう云う物音が凄じく、一度に致したと思いますと、矢庭に甥が、二足三足後(うしろ)の方へ飛びすさって、「おのれ、逃がしてたまろうか。」と、太刀をまっこうにふりかざしながら、苦しそうな声でおめきました。その声に驚いて私も素早く跳(は)ねのきながら、まだ燃えている芥火の光にきっと向うを透かして見ますと、まあ、どうでございましょう。粉微塵になった小屋の前には、あの無気味な摩利信乃法師が、薄色の袿(うちぎ)を肩にかけて、まるで猿(ましら)のように身をかがめながら、例の十文字の護符(ごふ)を額にあてて、じっと私どもの振舞を窺っているのでございます。これを見た私は、元よりすぐにも一刀浴びせようとあせりましたが、どう云うものか、あの沙門(しゃもん)の身をかがめたまわりには、自然と闇が濃くなるようで、容易に飛びかかる隙(すき)がございません。あるいはその闇の中に、何やら目に見えぬものが渦巻くようで、太刀の狙(ねら)いが定まらなかったとも申しましょうか。これは甥も同じ思いだったものと見えて、時々喘(あえ)ぐように叫びますが、白刃はいつまでもその頭(かしら)の上に目まぐるしくくるくると輪ばかり描(か)いて居りました。

        二十七

 その中に摩利信乃法師(まりしのほうし)は、徐(おもむろ)に身を起しますと、十文字の護符を左右にふり立てながら、嵐の叫ぶような凄い声で、
「やい。おのれらは勿体(もったい)なくも、天上皇帝の御威徳を蔑(ないがしろ)に致す心得か。この摩利信乃法師が一身は、おのれらの曇った眼には、ただ、墨染の法衣(ころも)のほかに蔽うものもないようじゃが、真(まこと)は諸天童子の数を尽して、百万の天軍が守って居(お)るぞよ。ならば手柄(てがら)にその白刃(しらは)をふりかざして、法師の後(うしろ)に従うた聖衆(しょうじゅ)の車馬剣戟と力を競うて見るがよいわ。」と、末は嘲笑(あざわら)うように罵りました。
 元よりこう嚇(おど)されても、それに悸毛(おぞけ)を震う様な私どもではございません。甥と私とはこれを聞くと、まるで綱を放れた牛のように、両方からあの沙門を目蒐(めが)けて斬ってかかりました。いや、将(まさ)に斬ってかかろうとしたとでも申しましょうか。と申しますのは、私どもが太刀をふりかぶった刹那に、摩利信乃法師が十文字の護符を、一しきりまた頭(かしら)の上で、振りまわしたと思いますと、その護符の金色(こんじき)が、稲妻のように宙へ飛んで、たちまち私どもの眼の前へは、恐ろしい幻が現れたのでございます。ああ、あの恐しい幻は、どうして私などの口の先で、御話し申す事が出来ましょう。もし出来たと致しましても、それは恐らく麒麟(きりん)の代りに、馬を指(さ)して見せると大した違いはございますまい。が、出来ないながら申上げますと、最初あの護符が空へあがった拍子に、私は河原の闇が、突然摩利信乃法師の後だけ、裂け飛んだように思いました。するとその闇の破れた所には、数限りもない焔(ほのお)の馬や焔の車が、竜蛇のような怪しい姿と一しょに、雨より急な火花を散らしながら、今にも私共の頭上をさして落ちかかるかと思うばかり、天に溢れてありありと浮び上ったのでございます。と思うとまた、その中に旗のようなものや、剣(つるぎ)のようなものも、何千何百となく燦(きらめ)いて、そこからまるで大風(おおかぜ)の海のような、凄じいもの音が、河原の石さえ走らせそうに、どっと沸(わ)き返って参りました。それを後に背負いながら、やはり薄色の袿(うちぎ)を肩にかけて、十文字の護符をかざしたまま、厳(おごそか)に立っているあの沙門(しゃもん)の異様な姿は、全くどこかの大天狗が、地獄の底から魔軍を率いて、この河原のただ中へ天下(あまくだ)ったようだとでも申しましょうか。――
 私どもは余りの不思議に、思わず太刀を落すや否や、頭(かしら)を抱えて右左へ、一たまりもなくひれ伏してしまいました。するとその頭(かしら)の空に、摩利信乃法師の罵る声が、またいかめしく響き渡って、
「命が惜しくば、その方どもも天上皇帝に御詫(おわび)申せ。さもない時は立ちどころに、護法百万の聖衆(しょうじゅ)たちは、その方どもの臭骸(しゅうがい)を段々壊(だんだんえ)に致そうぞよ。」と、雷(いかずち)のように呼(よば)わります。その恐ろしさ、物凄さと申しましたら、今になって考えましても、身ぶるいが出ずには居(お)られません。そこで私もとうとう我慢が出来なくなって、合掌した手をさし上げながら、眼をつぶって恐る恐る、「南無(なむ)天上皇帝」と称(とな)えました。

        二十八

 それから先の事は、申し上げるのさえ、御恥しいくらいでございますから、なる可く手短に御話し致しましょう。私共が天上皇帝を祈りましたせいか、あの恐ろしい幻は間もなく消えてしまいましたが、その代り太刀音を聞いて起て来た非人(ひにん)たちが、四方から私どもをとり囲みました。それがまた、大抵(たいてい)は摩利(まり)の教の信者たちでございますから、私どもが太刀を捨ててしまったのを幸に、いざと云えば手ごめにでもし兼ねない勢いで、口々に凄じく罵り騒ぎながら、まるで穽(わな)にかかった狐(きつね)でも見るように、男も女も折り重なって、憎さげに顔を覗きこもうとするのでございます。その何人とも知れない白癩(びゃくらい)どもの面(おもて)が、新に燃え上った芥火(あくたび)の光を浴びて、星月夜(ほしづくよ)も見えないほど、前後左右から頸(うなじ)をのばした気味悪さは、到底この世のものとは思われません。
 が、その中でもさすがに摩利信乃法師(まりしのほうし)は、徐(おもむろ)に哮(たけ)り立つ非人たちを宥(なだ)めますと、例の怪しげな微笑を浮べながら、私どもの前へ進み出まして、天上皇帝の御威徳の難有(ありがた)い本末(もとすえ)を懇々と説いて聴かせました。が、その間も私の気になって仕方がなかったのは、あの沙門の肩にかかっている、美しい薄色の袿(うちぎ)の事でございます。元より薄色の袿と申しましても、世間に類(たぐい)の多いものではございますが、もしやあれは中御門(なかみかど)の姫君の御召し物ではございますまいか。万一そうだと致しましたら、姫君はもういつの間にか、あの沙門(しゃもん)と御対面になったのでございましょうし、あるいはその上に摩利(まり)の教も、御帰依なすってしまわないとは限りません。こう思いますと私は、おちおち相手の申します事も、耳にはいらないくらいでございましたが、うっかりそんな素振(そぶり)を見せましては、またどんな恐ろしい目に遇わされないものでもございますまい。しかも摩利信乃法師の容子(ようす)では、私どももただ、神仏を蔑(なみ)されるのが口惜(くちお)しいので、闇討をしかけたものだと思ったのでございましょう。幸い、堀川の若殿様に御仕え申している事なぞは、気のつかないように見えましたから、あの薄色の袿(うちぎ)にも、なるべく眼をやらないようにして、河原の砂の上に坐ったまま、わざと神妙にあの沙門の申す事を聴いて居(お)るらしく装いました。
 するとそれが先方には、いかにも殊勝(しゅしょう)げに見えたのでございましょう。一通り談義めいた事を説いて聴かせますと、摩利信乃法師は顔色を和(やわら)げながら、あの十文字の護符を私どもの上にさしかざして、
「その方どもの罪業(ざいごう)は無知蒙昧(もうまい)の然らしめた所じゃによって、天上皇帝も格別の御宥免(ごゆうめん)を賜わせらるるに相違あるまい。さればわしもこの上なお、叱り懲(こら)そうとは思うて居ぬ。やがてはまた、今夜の闇討が縁となって、その方どもが摩利の御教(みおしえ)に帰依し奉る時も参るであろう。じゃによってその時が参るまでは、一先(ひとまず)この場を退散致したが好(よ)い。」と、もの優しく申してくれました。もっともその時でさえ、非人たちは、今にも掴みかかりそうな、凄じい気色を見せて居りましたが、これもあの沙門の鶴の一声で、素直に私どもの帰る路を開いてくれたのでございます。
 そこで私と甥とは、太刀を鞘におさめる間(ま)も惜しいように、□々(そうそう)四条河原から逃げ出しました。その時の私の心もちと申しましたら、嬉しいとも、悲しいとも、乃至(ないし)はまた残念だとも、何ともお話しの致しようがございません。でございますから河原が遠くなって、ただ、あの芥火の赤く揺(ゆら)めくまわりに、白癩どもが蟻(あり)のように集って、何やら怪しげな歌を唄って居りますのが、かすかに耳へはいりました時も、私どもは互の顔さえ見ずに、黙って吐息(といき)ばかりつきながら、歩いて行ったものでございます。

        二十九

 それ以来私どもは、よるとさわると、額を鳩(あつ)めて、摩利信乃法師(まりしのほうし)と中御門(なかみかど)の姫君とのいきさつを互に推量し合いながら、どうかしてあの天狗法師を遠ざけたいと、いろいろ評議を致しましたが、さて例の恐ろしい幻の事を思い出しますと、容易に名案も浮びません。もっとも甥(おい)の方は私より若いだけに、まだ執念深く初一念を捨てないで、場合によったら平太夫(へいだゆう)のしたように、辻冠者どもでも駆り集めたら、もう一度四条河原の小屋を劫(おびやか)そうくらいな考えがあるようでございました。所がその中に、思いもよらず、また私どもは摩利信乃法師の神変不思議な法力(ほうりき)に、驚くような事が出来たのでございます。
 それはもう秋風の立ち始めました頃、長尾(ながお)の律師様(りっしさま)が嵯峨(さが)に阿弥陀堂(あみだどう)を御建てになって、その供養(くよう)をなすった時の事でございます。その御堂(みどう)も只今は焼けてございませんが、何しろ国々の良材を御集めになった上に、高名(こうみょう)な匠(たくみ)たちばかり御召しになって、莫大(ばくだい)な黄金(こがね)も御かまいなく、御造りになったものでございますから、御規模こそさのみ大きくなくっても、その荘厳を極めて居りました事は、ほぼ御推察が参るでございましょう。
 別してその御堂供養(みどうくよう)の当日は、上達部殿上人(かんだちめてんじょうびと)は申すまでもなく、女房たちの参ったのも数限りないほどでございましたから、東西の廊に寄せてあるさまざまの車と申し、その廊廊の桟敷(さじき)をめぐった、錦の縁(へり)のある御簾(みす)と申し、あるいはまた御簾際になまめかしくうち出した、萩(はぎ)、桔梗(ききょう)、女郎花(おみなえし)などの褄(つま)や袖口の彩りと申し、うららかな日の光を浴びた、境内(けいだい)一面の美しさは、目(ま)のあたりに蓮華宝土(れんげほうど)の景色を見るようでございました。それから、廊に囲まれた御庭の池にはすきまもなく、紅蓮白蓮(ぐれんびゃくれん)の造り花が簇々(ぞくぞく)と咲きならんで、その間を竜舟(りゅうしゅう)が一艘(いっそう)、錦の平張(ひらば)りを打ちわたして、蛮絵(ばんえ)を着た童部(わらべ)たちに画棹(がとう)の水を切らせながら、微妙な楽の音(ね)を漂わせて、悠々と動いて居りましたのも、涙の出るほど尊げに拝まれたものでございます。
 まして正面を眺めますと、御堂(みどう)の犬防(いぬふせ)ぎが燦々と螺鈿(らでん)を光らせている後には、名香の煙(けぶり)のたなびく中に、御本尊の如来を始め、勢至観音(せいしかんのん)などの御(おん)姿が、紫磨黄金(しまおうごん)の御(おん)顔や玉の瓔珞(ようらく)を仄々(ほのぼの)と、御現しになっている難有(ありがた)さは、また一層でございました。その御仏(みほとけ)の前の庭には、礼盤(らいばん)を中に挟(はさ)みながら、見るも眩(まばゆ)い宝蓋の下に、講師読師(とくし)の高座がございましたが、供養(くよう)の式に連っている何十人かの僧どもも、法衣(ころも)や袈裟(けさ)の青や赤がいかにも美々しく入り交って、経を読む声、鈴(れい)を振る音、あるいは栴檀沈水(せんだんちんすい)の香(かおり)などが、その中から絶え間なく晴れ渡った秋の空へ、うらうらと昇って参ります。
 するとその供養のまっ最中、四方の御門の外に群って、一目でも中の御容子(ごようす)を拝もうとしている人々が、俄(にわか)に何事が起ったのか、見る見るどっとどよみ立って、まるで風の吹き出した海のように、押しつ押されつし始めました。

        三十

 この騒ぎを見た看督長(かどのおさ)は、早速そこへ駈けつけて、高々と弓をふりかざしながら、御門(ごもん)の中(うち)へ乱れ入った人々を、打ち鎮めようと致しました。が、その人波の中を分けて、異様な風俗の沙門(しゃもん)が一人、姿を現したと思いますと、看督長はたちまち弓をすてて、往来の遮(さまたげ)をするどころか、そのままそこへひれ伏しながら、まるで帝(みかど)の御出ましを御拝み申す時のように、礼を致したではございませんか。外の騒動に気をとられて、一しきりざわめき立った御門の中が、急にひっそりと静まりますと、また「摩利信乃法師(まりしのほうし)、摩利信乃法師」と云う囁き声が、丁度蘆(あし)の葉に渡る風のように、どこからともなく起ったのは、この時の事でございます。
 摩利信乃法師は、今日も例の通り、墨染の法衣(ころも)の肩へ長い髪を乱しながら、十文字の護符の黄金(こがね)を胸のあたりに燦(きらめ)かせて、足さえ見るも寒そうな素跣足(すはだし)でございました。その後(うしろ)にはいつもの女菩薩(にょぼさつ)の幢(はた)が、秋の日の光の中にいかめしく掲げられて居りましたが、これは誰か供のものが、さしかざしてでもいたのでございましょう。
「方々(かたがた)にもの申そう。これは天上皇帝の神勅を賜わって、わが日の本に摩利の教を布(し)こうずる摩利信乃法師と申すものじゃ。」
 あの沙門は悠々と看督長(かどのおさ)の拝に答えてから、砂を敷いた御庭の中へ、恐れげもなく進み出て、こう厳(おごそか)な声で申しました。それを聞くと御門の中は、またざわめきたちましたが、さすがに検非違使(けびいし)たちばかりは、思いもかけない椿事(ちんじ)に驚きながらも、役目は忘れなかったのでございましょう。火長(かちょう)と見えるものが二三人、手に手を得物提(えものひっさ)げて、声高(こわだか)に狼藉(ろうぜき)を咎めながら、あの沙門へ走りかかりますと、矢庭に四方から飛びかかって、搦(から)め取ろうと致しました。が、摩利信乃法師は憎さげに、火長たちを見やりながら、
「打たば打て。取らば取れ。但(ただし)、天上皇帝の御罰は立ち所に下ろうぞよ。」と、嘲笑(あざわら)うような声を出しますと、その時胸に下っていた十文字の護符が日を受けて、眩(まぶし)くきらりと光ると同時に、なぜか相手は得物を捨てて、昼雷(ひるかみなり)にでも打たれたかと思うばかり、あの沙門の足もとへ、転(まろ)び倒れてしまいました。
「如何に方々。天上皇帝の御威徳は、ただ今目(ま)のあたりに見られた如くじゃ。」
 摩利信乃法師は胸の護符を外して、東西の廊へ代る代る、誇らしげにさしかざしながら、
「元よりかような霊験(れいげん)は不思議もない。そもそも天上皇帝とは、この天地(あめつち)を造らせ給うた、唯一不二(ゆいいつふじ)の大御神(おおみかみ)じゃ。この大御神を知らねばこそ、方々はかくも信心の誠を尽して、阿弥陀如来なんぞと申す妖魔(ようま)の類(たぐい)を事々しく、供養せらるるげに思われた。」
 この暴言にたまり兼ねたのでございましょう。さっきから誦経(ずきょう)を止めて、茫然と事の次第を眺めていた僧たちは、俄(にわか)にどよめきを挙げながら、「打ち殺せ」とか「搦(から)め取れ」とかしきりに罵り立てましたが、さて誰一人として席を離れて、摩利信乃法師を懲(こら)そうと致すものはございません。

        三十一

 すると摩利信乃法師(まりしのほうし)は傲然と、その僧たちの方を睨(ね)めまわして、
「過てるを知って憚(はばか)る事勿(ことなか)れとは、唐国(からくに)の聖人も申された。一旦、仏菩薩の妖魔たる事を知られたら、□々(そうそう)摩利の教に帰依あって、天上皇帝の御威徳を讃(たた)え奉るに若(し)くはない。またもし、摩利信乃法師の申し条に疑いあって、仏菩薩が妖魔か、天上皇帝が邪神か、決定(けつじょう)致し兼ぬるとあるならば、いかようにも法力(ほうりき)を較(くら)べ合せて、いずれが正法(しょうぼう)か弁別申そう。」と、声も荒らかに呼ばわりました。
 が、何しろただ今も、検非違使(けびいし)たちが目(ま)のあたりに、気を失って倒れたのを見て居(お)るのでございますから、御簾(みす)の内も御簾の外も、水を打ったように声を呑んで、僧俗ともに誰一人、進んであの沙門の法力を試みようと致すものは見えません。所詮は長尾(ながお)の僧都(そうず)は申すまでもなく、その日御見えになっていらしった山の座主(ざす)や仁和寺(にんなじ)の僧正(そうじょう)も、現人神(あらひとがみ)のような摩利信乃法師に、胆(きも)を御挫(くじ)かれになったのでございましょう。供養の庭はしばらくの間、竜舟(りゅうしゅう)の音楽も声を絶って、造り花の蓮華にふる日の光の音さえ聞えたくらい、しんと静まり返ってしまいました。
 沙門はそれにまた一層力を得たのでございましょう。例の十文字の護符をさしかざして、天狗(てんぐ)のように嘲笑(あざわら)いますと、
「これはまた笑止千万な。南都北嶺とやらの聖(ひじり)僧たちも少からぬように見うけたが、一人(ひとり)としてこの摩利信乃法師と法力を較べようずものも現れぬは、さては天上皇帝を始め奉り、諸天童子の御神光(ごしんこう)に恐れをなして、貴賤老若(ろうにゃく)の嫌いなく、吾が摩利の法門に帰依し奉ったものと見える。さらば此場において、先ず山の座主(ざす)から一人一人灌頂(かんちょう)の儀式を行うてとらせようか。」と、威丈高(いたけだか)に罵りました。
 所がその声がまだ終らない中に、西の廊からただ一人、悠然と庭へ御下りになった、尊げな御僧(ごそう)がございます。金襴(きんらん)の袈裟(けさ)、水晶の念珠(ねんず)、それから白い双の眉毛――一目見ただけでも、天(あめ)が下(した)に功徳無量(くどくむりょう)の名を轟かせた、横川(よかわ)の僧都(そうず)だと申す事は疑おうようもございません。僧都は年こそとられましたが、たぶたぶと肥え太った体を徐(おもむろ)に運びながら、摩利信乃法師の眼の前へ、おごそかに歩みを止めますと、
「こりゃ下郎(げろう)。ただ今もその方が申す如く、この御堂(みどう)供養の庭には、法界(ほっかい)の竜象(りゅうぞう)数を知らず並み居られるには相違ない。が、鼠に抛(なげう)つにも器物(うつわもの)を忌(い)むの慣い、誰かその方如き下郎(げろう)づれと、法力の高下を競わりょうぞ。さればその方は先ず己を恥じて、□々(そうそう)この宝前を退散す可き分際ながら、推して神通(じんずう)を較べようなどは、近頃以て奇怪至極(きっかいしごく)じゃ。思うにその方は何処(いずこ)かにて金剛邪禅(こんごうじゃぜん)の法を修した外道(げどう)の沙門と心得る。じゃによって一つは三宝の霊験(れいげん)を示さんため、一つはその方の魔縁に惹(ひ)かれて、無間地獄(むげんじごく)に堕ちようず衆生(しゅじょう)を救うてとらさんため、老衲(ろうのう)自らその方と法験(ほうげん)を較べに罷(まか)り出(いで)た。たといその方の幻術がよく鬼神を駆り使うとも、護法の加護ある老衲には一指を触るる事すらよも出来まい。されば仏力(ぶつりき)の奇特(きどく)を見て、その方こそ受戒致してよかろう。」と、大獅子孔(だいししく)を浴せかけ、たちまち印(いん)を結ばれました。

        三十二

 するとその印を結んだ手の中(うち)から、俄(にわか)に一道の白気(はっき)が立上(たちのぼ)って、それが隠々と中空(なかぞら)へたなびいたと思いますと、丁度僧都(そうず)の頭(かしら)の真上に、宝蓋(ほうがい)をかざしたような一団の靄(もや)がたなびきました。いや、靄と申したのでは、あの不思議な雲気(うんき)の模様が、まだ十分御会得(ごえとく)には参りますまい。もしそれが靄だったと致しましたら、その向うにある御堂(みどう)の屋根などは霞んで見えない筈でございますが、この雲気はただ、虚空(こくう)に何やら形の見えぬものが蟠(わだか)まったと思うばかりで、晴れ渡った空の色さえ、元の通り朗かに見透かされたのでございます。
 御庭をめぐっていた人々は、いずれもこの雲気に驚いたのでございましょう。またどこからともなく風のようなざわめきが、御簾(みす)を動かすばかり起りましたが、その声のまだ終らない中に、印を結び直した横川(よかわ)の僧都(そうず)が、徐(おもむろ)に肉(しし)の余った顎(おとがい)を動かして、秘密の呪文(じゅもん)を誦(ず)しますと、たちまちその雲気の中に、朦朧とした二尊の金甲神(きんこうじん)が、勇ましく金剛杵(こんごうしょ)をふりかざしながら、影のような姿を現しました。これもあると思えばあり、ないと思えばないような幻ではございます。が、その宙を踏んで飛舞(ひぶ)する容子(ようす)は、今しも摩利信乃法師(まりしのほうし)の脳上へ、一杵(いっしょ)を加えるかと思うほど、神威を帯びて居ったのでございます。
 しかし当の摩利信乃法師は、不相変(あいかわらず)高慢の面(おもて)をあげて、じっとこの金甲神(きんこうじん)の姿を眺めたまま、眉毛一つ動かそうとは致しません。それどころか、堅く結んだ唇のあたりには、例の無気味(ぶきみ)な微笑の影が、さも嘲りたいのを堪(こら)えるように、漂って居(お)るのでございます。するとその不敵な振舞に腹を据え兼ねたのでございましょう。横川(よかわ)の僧都は急に印を解いて、水晶の念珠(ねんず)を振りながら、
「叱(しっ)。」と、嗄(しわが)れた声で大喝しました。
 その声に応じて金甲神(きんこうじん)が、雲気と共に空中から、舞下(まいくだ)ろうと致しましたのと、下にいた摩利信乃法師が、十文字の護符を額に当てながら、何やら鋭い声で叫びましたのとが、全く同時でございます。この拍子に瞬く間、虹のような光があって空へ昇ったと見えましたが、金甲神の姿は跡もなく消え失せて、その代りに僧都の水晶の念珠が、まん中から二つに切れると、珠はさながら霰(あられ)のように、戞然(かつぜん)と四方へ飛び散りました。
「御坊(ごぼう)の手なみはすでに見えた。金剛邪禅(こんごうじゃぜん)の法を修したとは、とりも直さず御坊の事じゃ。」
 勝ち誇ったあの沙門は、思わずどっと鬨(とき)をつくった人々の声を圧しながら、高らかにこう罵りました。その声を浴びた横川(よかわ)の僧都が、どんなに御悄(おしお)れなすったか、それは別段とり立てて申すまでもございますまい。もしもあの時御弟子たちが、先を争いながら進みよって、介抱しなかったと致しましたら、恐らく満足には元の廊へも帰られなかった事でございましょう。その間に摩利信乃法師は、いよいよ誇らしげに胸を反(そ)らせて、
「横川(よかわ)の僧都は、今天(あめ)が下(した)に法誉無上(ほうよむじょう)の大和尚(だいおしょう)と承わったが、この法師の眼から見れば、天上皇帝の照覧を昏(くら)まし奉って、妄(みだり)に鬼神を使役する、云おうようない火宅僧(かたくそう)じゃ。されば仏菩薩は妖魔の類(たぐい)、釈教は堕獄の業因(ごういん)と申したが、摩利信乃法師一人の誤りか。さもあらばあれ、まだこの上にもわが摩利の法門へ帰依しょうと思立(おぼした)たれずば、元より僧俗の嫌いはない。何人(なんびと)なりともこの場において、天上皇帝の御威徳を目(ま)のあたりに試みられい。」と、八方を睨(にら)みながら申しました。
 その時、また東の廊に当って、
「応(おう)。」と、涼しく答えますと、御装束の姿もあたりを払って、悠然と御庭へ御下(おお)りになりましたのは、別人でもない堀川の若殿様でございます。(未完)(大正七年十一月)



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