伝吉の敵打ち
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著者名:芥川竜之介 

「じゃが己(おれ)は卑怯(ひきょう)なことは云わぬ。いかにもおぬしの云う通り、おぬしの父親(てておや)は己の手にかけた。この腰抜けでも打つと云うなら、立派(りっぱ)に己は打たれてやる。」
 伝吉は短い沈黙の間(あいだ)にいろいろの感情の群(むら)がるのを感じた。嫌悪(けんお)、憐憫(れんびん)、侮蔑(ぶべつ)、恐怖、――そう云う感情の高低(こうてい)は徒(いたずら)に彼の太刀先(たちさき)を鈍(にぶ)らせる役に立つばかりだった。伝吉は浄観を睨(にら)んだぎり、打とうか打つまいかと逡巡(しゅんじゅん)していた。
「さあ、打て。」
 浄観はほとんど傲然(ごうぜん)と斜(ななめ)に伝吉へ肩を示した。その拍子(ひょうし)にふと伝吉は酒臭い浄観の息を感じた。と同時に昔の怒のむらむらと心に燃え上るのを感じた。それは父を見殺しにした彼自身に対する怒だった。理が非でも仇(あだ)を打たなければ消えることを知らない怒だった。伝吉は武者震(むしゃぶる)いをするが早いか、いきなり浄観を袈裟(けさ)がけに斬った。……
 伝吉の見事に仇を打った話はたちまち一郷(いちごう)の評判になった。公儀(こうぎ)も勿論この孝子には格別の咎(とが)めを加えなかったらしい。もっとも予(あらかじ)め仇打ちの願書(がんしょ)を奉ることを忘れていたから、褒美(ほうび)の沙汰(さた)だけはなかったようである。その後(ご)の伝吉を語ることは生憎(あいにく)この話の主題ではない。が、大体を明かにすれば、伝吉は維新(いしん)後材木商を営み、失敗に失敗を重ねた揚句(あげく)、とうとう精神に異状を来した。死んだのは明治(めいじ)十年の秋、行年(ぎょうねん)はちょうど五十三である。(註六)しかしこう云う最期(さいご)のことなどは全然諸書に伝わっていない。現に「孝子伝吉物語」は下(しも)のように話を結んでいる。――
「伝吉はその後(のち)家富み栄え、楽しい晩年を送りました。積善(せきぜん)の家に余慶(よけい)ありとは誠にこの事でありましょう。南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)。南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)。」
(大正十二年十二月)



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