軽井沢で
著者名:芥川竜之介
黒馬に風景が映(うつ)つてゐる。
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朝のパンを石竹(せきちく)の花と一しよに食はう。
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この一群(ひとむれ)の天使たちは蓄音機(ちくおんき)のレコオドを翼にしてゐる。
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町はづれに栗の木が一本。その下にインクがこぼれてゐる。
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青い山をひつ掻(か)いて見給へ。石鹸(せつけん)が幾つもころげ出すだらう。
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英字新聞には黄瓜(かぼちや)を包め。
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誰かあのホテルに蜂蜜を塗つてゐる。
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M夫人――舌の上に蝶(てふ)が眠つてゐる。
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Fさん――額(ひたひ)の毛が乞食(こじき)をしてゐる。
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Oさん――あの口髭(くちひげ)は駝鳥(だてう)の羽根だらう。
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詩人S・Mの言葉――芒(すすき)の穂は毛皮だね。
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或牧師の顔――臍(へそ)!
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レエスやナプキンの中へずり落ちる道。
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碓氷(うすひ)山上の月、――月にもかすかに苔(こけ)が生えてゐる。
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H老夫人の死、――霧は仏蘭西(フランス)の幽霊に似てゐる。
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馬蝿(うまばへ)は水星にも群(むらが)つて行つた。
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ハムモツクを額に感じるうるささ。
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雷(かみなり)は胡椒(こせう)よりも辛(から)い。
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「巨人(きよじん)の椅子(いす)」と云う岩のある山、――瞬(またた)かない顔が一つ見える。
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あの家は桃色の歯齦(はぐき)をしてゐる。
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羊の肉には羊歯(しだ)の葉を添へ給へ。
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さやうなら。手風琴(てふうきん)の町、さようなら、僕の抒情詩(ぢよじやうし)時代。
(大正十四年稿)
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