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著者名:芥川竜之介 

 この話は、たちまち幾百里の山河(さんが)を隔てた、京畿(けいき)の地まで喧伝(けんでん)された。それから山城(やましろ)の貉が化(ば)ける。近江(おうみ)の貉が化ける。ついには同属の狸(たぬき)までも化け始めて、徳川時代になると、佐渡の団三郎と云う、貉とも狸ともつかない先生が出て、海の向うにいる越前の国の人をさえ、化かすような事になった。
 化かすようになったのではない。化かすと信ぜられるようになったのである――こう諸君は、云うかも知れない。しかし、化かすと云う事と、化かすと信ぜられると云う事との間には、果してどれほどの相違があるのであろう。
 独り貉ばかりではない。我々にとって、すべてあると云う事は、畢竟(ひっきょう)するにただあると信ずる事にすぎないではないか。
 イェエツは、「ケルトの薄明(うすあか)り」の中で、ジル湖上の子供たちが、青と白との衣(きもの)を着たプロテスタント派の少女を、昔ながらの聖母マリアだと信じて、疑わなかった話を書いている。ひとしく人の心の中に生きていると云う事から云えば、湖上の聖母は、山沢(さんたく)の貉と何の異る所もない。
 我々は、我々の祖先が、貉の人を化かす事を信じた如く、我々の内部に生きるものを信じようではないか。そうして、その信ずるものの命ずるままに我々の生き方を生きようではないか。
 貉を軽蔑すべからざる所以(ゆえん)である。
(大正六年三月)



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