天津教古文書の批判
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著者名:狩野亨吉 

假名違、脱字、誤字等正に亂脈と稱すべきに、更に御母親伊弉那美尊の御名の大半を書落したる如き麁相の責任を一體誰に歸せしめようとするのであるか。こゝに想到したら天津教は宜しく反省悔悟して深く謹愼すべきである。抑もかゝる亂脈は書手の頭の惡いのか若くは取急いだための過失に由るものと取るが最も穩當の解釋であることは反對する人もあるまいが、之に加へて天津教に於て事實をこゝに至らしめたる特殊の事情も進んで推定出來ると思ふ。即ち天津教では平群眞鳥の記録を神代文字の記録の飜譯であると稱するのであるが、事實は正反對で神代文字の記録は平群眞鳥の記録の飜譯であるのである。かゝる特殊の事情の存在の下に飜譯を取急いだため、古語の穿鑿も行屆かず、いやが上に誤謬を犯すに至つたものと解すべきである。
 以上文體の考察を約言すれば、此文書は神代文字で記してゐるが、他の文書と同じく近頃のもので、其作製は第五文書より後るるものと推斷される。
 第二、書體に就いて吟味するに、文字は象形と取るべきもので書とも畫とも着かぬながらに又兩性的の性質を認めなければならぬ。即ち書畫一致の見方を應用して、氣韻如何を探して見るに、何所か生硬なるものがあつて餘り善い感じを與へない。技巧の上から見ても單なる熟練はあつても苦心に因る精練を認めることが出來ない。併しながら此點先入の連想が働き過ぎる恐れがあるから多くを語らない。筆者の同知に關しては尚更ら臆して判斷を差控へる。
 私は所謂神代文字の豫備知識が無かつたため、此等文書の調査を始めた時には天津教の神代文字は讀めようとは想はなかつたが、丁附の數字に不圖氣附いてから奮發して凡そ一ヶ月を費して全部が讀めた。後に友人の渡邊大濤氏から近頃某氏の著した神代文字の本の中に此文字を説いてゐることを聞かされ、自分の寡聞を恥づると同時に、世間には又迷信者もあるものと思つた。此時ふと上記(ウヘツブミ)に使用した神代文字も此文字でなかつたかと想ひ、調べて見ると果して其通りである。是で天津教の素性はすつかり判つたのであるが、此文字は上記と獨立して數ヶ所で發見されたので、國學者中には上記を疑ひつゝも此文字だけは確かなものと信じた人もあつた。併しこれは植附を見破ることの出來ないために生じた錯覺で、無論此文字は上記の作者の手に成つたものに相違なく、斷じて神代のものではない。かゝる生硬の新文字は却て製作に大なる努力を要しない性質のもので、云はば朝飯前にも出來ると云ふもの、勿論判讀には手掛りの如何に應じて相當の時間を要するのである。今植附と云ふことを暗示したが、是は欺瞞を覆ふ爲めに都合の好い事物を、關係の無いと想はるる如き所に作設し、人をして發見せしめる樣に仕向けることで、廣汎に行はれる手段である。此植附には學者もサクラと成つたり、ヂュープとされたりする相當難しいものがある。即ち數百年經つて初めて暴露され、千年經つても尚ほ疑問視されてゐるものもあり得る。これが宗教界に殊に多いのは歎はしい事實で注意に値する。どの道研究家の興味を唆る性質のものであるが、舊い所は時效にかかつた如くに思はれ、また作爲者が餘り成效した場合にはどうにもならぬことも頗る多い。然るに近頃聞く所に由れば世間でしきりに異質のピラミッドや新規な神代遺跡などを發見し、孰れも天津教の所説を裏書する樣に解せられるさうであるが、其所が即ち疑ふべき所で、かうした植附は天津教の爲めにも愼んだ方が善からうと思はれる。
 以上書體の考察を約言すれば、神代の文字と見ても餘り上手な書神の手とは取れず。結局此文字は後世の文字で、瞞著を化粧する第二の瞞著に過ぎないものであるとの判斷に歸着する。
 第三、内容に就いて吟味するに。形式的に見て記事の精麁宜しきを得ず、此點先づ疑ふべきものがある。神代のことは正史にも記載されてゐるが、空々漠々捕捉し難いのである。故に水戸で大日本史を編纂するに當り義公の英斷で神代を削去つたことが傳へられてゐる。併しこの空漠の背景を利用して更に景を盛り輪をかけた臺帳を作り大芝居を打つことが跡を絶たない。孰れも殊勝に見せかけて居るが必ず眉唾ものである。此文書を實質的に見て天津教も亦此種類の惡巧であることを斷定するに餘りがある。此文書第十一行より第十五行へ讀續けると「コシネナカニエヤトトノヲヤマ」と云ふがある。是は越中國新川郡の立山を指すものと想はれるが、ニエヤは婦負とも取れる。さうだとすると立山の所屬が違ふことになる。又是より重大なることは此所の記事に伊弉那美尊は伊弉那岐尊より後に御隱れになつたことにしてあるが、是は正史と反對である。かうした正史を無視することは前にも例があるので珍しくもないから、一つ變つた矛盾を演繹してみよう。第七行より第十二行に至る敍述に伊弉那岐尊は百億萬年にして御位を天照太神に讓るとあり、第二十五行に天照太神即位八百萬年の日附がある。即ち此文書作製の時、日本は既に百億八百萬年の舊國である。そこで此間に神口の増加幾何なりしやと問ふのである。神代に於ける生殖に關するあらゆる條件を今日に比し如何に不利益に見ても百億八百萬年の間には夥しき神々を生産し、時々神退治が行はれない限り、右日附の當時には地球上陸となく海となく一平方メートル毎に何百萬といふ神を宿さなければならなかつたらうと思はれる。勿論これは胸算用で稍□精密の計算も出來ないではないが、必要もないから旁□極く内場に見積つての話であるが、此問題を天津教では何と片附けるであらう。定めし神は天にいませば地上の廣狹など問ふところでないと説明するかも知れない。然らば第一行より第七行に至る記述に伊弉那岐伊弉那美二尊の時代に造られた大宮のことがあるが、この建築物は何處に在つたか。記事の前の部分を缺いてゐるから判然しがたい所もあるが、續く所によれば「五色人ハイレス(中略)越根能登ノ西浦水門ヨリ唐イカヘル」とあり、推察するに越中國神明村に在つたとしたのでないかと想はれる。して見るとこの大宮は日本の土地に在り、伊尊二柱を始め奉り八百萬神も代々日本の土地に御住居あらせられたと拜察する外はない。我々もそれで宜しいと思ふ。而して又越根中大宮の規模大ならずして、五色人を收容し兼ねたことは甚だ遺憾であつたと思ふ。何故に百億萬年に相應して、せめて八百萬里四方の摩天樓でも準備して置かなかつたかと言ひたくなる。是を以て之を見るに此文書に於て説くところ全く數の觀念を缺き、常識的の思想を離れ、而して正史に反する記述を敢てして憚らない。實に總ゆる點より見て人困らせの虚妄を言振らしてゐるに過ぎないのである。
 以上内容の考察を約言すれば、此文書は荒唐無稽全く信を置くに足らない。
 上述の理由に由り、大日本天皇太古代上々代神代文字之卷は近年の僞作にして、しかも此種類の神代文字の文書は所謂形假名唐文字の第五文書の種類の後に成れるものと判斷する。

      第七 結語

 以上數節に於いて試みた批判を要約すれば、天津教が天下の至寶として誇示する天照太神、後醍醐天皇、長慶天皇の御眞筆及び平群眞鳥、竹内宗義等の眞筆と稱するものは、第一に文章は揃ひも揃つて下手であり、肝心な語法語調も億萬年を通して不變なるのみならず、誤謬は頑強に保持せられて共通永存してゐる。第二に筆蹟は孰れも見事ならず、著しく近代風を帶びたる上に類似の點多く、一々別人の手に成るものと取れない。第三に所説は正史と矛盾するばかりか、明治以後漸く知れ亙つた如きことを平然として述べてゐる。依て追次此等の文書に就き、其文體、其書體及び其内容の檢討を遂げ、悉く最近の僞造であることを暴露せしめたのである。此上疑問として殘る變態性は之を稱明し得たところで、僞造の事實を動かすことは出來ない。故に天津教は五つの致命傷を蒙り完全に生息の道を絶たれたに等しいのである。もし更に文書の原物及び古器物を見ることを爲さば彌□益□不都合を露現し、もし更にその依據と爲す上記乃至西洋の傳説との比較調査を行はば剽竊炙直しの狡計を剔抉するを得べきも、要らない努力を拂つて死屍に鞭つ愚を演ずべきでない。顧ふに天津教の言説は虚妄であるが、今迄その宣傳に當つて、類似の宗教的運動に見る如き副作用を伴はざるため、害毒は比較的輕微であると思はれる。此點偶然の結果と云へ、恕すべきものがある。かるが故に又かの如何はしき説教を以てする上に更に如何はしき副作用を以て人を釣り、陶醉迷溺せしめ、其虚に乘じて、成效を獲得した族に比すれば、天津教の境遇は貧弱で、氣の毒にも思ふ。此點當然の結果とは云へ、同情に値するものがある。此際私は漫りに天津教を惡口するものではない。我側らに迷へるものと迷はんとするものとを見て、其覺醒を促すための言を述べるに過ぎないのである。望むらくは天津教も亦反省悔悟して其妄を棄て、速に皇道の正しきに復歸せんことを。




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