天津教古文書の批判
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著者名:狩野亨吉 

 三。象形文字と思はれるものが數多あるが、既にサと同知し得た は柵の象形なること明かで、 は荷、 は身、 は戸の象形であらう。此例に傚へば は田即ちタ、 は手即ちテ、 は目即ちメ、 は矢即ちヤ、 は輪即ちワなること一見して明かである。其他にも澤山ある樣に見えるが速斷しない。
 四。以上三段の結果を第二十九行及び第三十行の尊の名前に應用すれば はコヤ ミコト、 はフトタ ミコトとなり、 をネ、 をマとすれば完全なる名前となる。由つて はネ、 はマと同知する。
 五。第四文書第二枚第三行平群眞鳥署名の左傍の神代文字花押 はマト であるから はリと取つて間違なからう。即ち をリと同知する。
 六。第二行に とある中に 即ち十、 即ち萬年など入つてゐるところを見ると此組合は數字と思はれる、而して象形と取られる は葉、 は乳即ちハチを成立せしめる。又 も數字とすれば億を想はしめ、同時に は尾の象形なることが知られる。元來億はオクであるべきだが、神代に在つて自由に漢音を使ふ位であるからオヲの混同などは問題とならぬであらう。依て はハ、 はチ、 はヲと同知せしめる。
 七。第一行終より第二行にかゝりて とあるがヲ ミヤヲ クリテで、 は前後の關係からツと取るを自然とする。即ち をツと同知する。
 八。第八行第九行及び第十六行に と組合せてゐるが、是は ミ ミコトであるから、天津教のスミラミコトを想出させる。即ち をス、 をラと同知するのである。幸に此想像によつた同知は他に應用して支障を生じないから確定して置く。
 九。第三行第七行第十一行等に があり第十三行に がある。而して第二十行に此二つの連續がある。此中に知られてゐる字は唯 の二字であるが、直覺的に是はイザナギ、イザナミであらうと云ふことに想達する。而して は木、 は魚の象形と取ればよいので、此判讀の當つてゐることは疑ひない。即ち はイ、 はナ、 はキと同知する。
 十。第四行に 、第五行に とあるはイツイロ ト、イロ トとなり、五色人を想出させる。さう思付けば は如何にも火の象形と取られる。依て をヒと同知せしめる。
 十一。第十行末より十一行に亙り とあるは マテラスミコトにて、 をアとすれば天照らす尊となる。依て をアと決定する。
 十二。第一行に二ヶ所、其他にも現るる組合 はヲホとして大の意味に取れば意味通ずる。大は元來オホなれど天津教ではヲホで差支へないのである。故に をホと同知する。
 十三。第二十四行 はシタマフと爲すべき所なれどマは既に と同知せられてゐる故、天津教流に假名遣ひに頓着せずして、シタモフにて通ずるとなし、 をモと同知して置く。
 十四。第二十七行 の は野の象形でノ字なること明かである。是は隨所に現れてゐるが此推測の妥當なることが直に證明される。即ち はノと同知する。
 十五。第十五行 は前後の關係より加賀の白山と云ふと解すべきである。即ち はカ、 はイに當つべきも、イには既に が同知せられてあるから、 はユであらうと思はれる。蓋し此字は湯の象形である。此推斷の妥當なることは第七行の 、第九行の 、第十一行の に於ける の用例に照して明かである。
 十六。第五行及び第二十一行に現れる は明かに象形字であるが、これは龜の如き動物の背を形どりたるものと解しセとする。それにて意味が通ずる。
 十七。第五行第六行第七行第十三行等に現れる は前後に鑑みてヨとすれば意味が通ずる。即ち をヨと同知する。
 十八。第八行 、第十一行より第十二行に至る 、第十四行 、第二十五行 (本文 を脱す)等に於ける は數字を現はすものと推測せられる。ところで一(イチ/ヒトツ)二(ニ/フタツ)三(サン/ミツ)四(シ/ヨツ)五(コ/イツヽ)六(ロク/ムツ)七(シチ/ナナツ)八(ハチ/ヤツ)九(ク/ココノツ)十(シフ/トウ)百(ヒヤク/モモ)千(セン/チチ)萬(マン/ヨロツ)億(オク)と並べ見ると唯六の名稱に含まれてゐるムの字だけが殘されてゐるのである。即ち をムと取る。併しムを六として應用して見ると六六億萬年、一六六萬年、七六六萬年、八六六萬年等となり少しも意味を爲さない。然るに天津教ではモをムと訛る例は第四文書の根をムトと讀ませることで判つてゐるが、此所のムもモの訛と取ればムムもモモ即ち百と解せられる。而して意味は完全に通ずる。即ち をムとすることは正しい。
 十九。第二行第十六行第二十五行に の言葉があるが第二十五行に於ける下の言葉との關係から即位に當るものと推定出來る。即ち はソと同知する。
 二十。以上四十四字の中三十九字を同知し得たから、殘るものは の六字となつた。而してイロハの側から見て同知されないものはヘヌルレウヰオケエヱの十字である。此等の十字を代る/\神代文字に當嵌め意味が通ずるや否やを見れば自ら同知が出來ることになるのである。同知の結果を云へば はウ、 はエ、 はオ、 はヘ、 はル、 はレである。これで文書中の文字は悉皆解つたのであるが、同時に又ケヌヰヱの四文字が文書内に現れてゐないことも判つたのである。
ア行 
カ行   
サ行 
タ行 
ナ行   
ハ行 
マ行 
ヤ行     
ラ行 
ワ行     
ン  
 右二十段の檢索による結果を五十音の表にすれば上の如くである。一見象形文字と想はれるものを摘出すれば 蚊、 木、 柵、 背、 田、 乳、 土、 手、 戸、 魚、 荷、 根、 野、 葉、 火、 屁、 穗、 眉、 身、 褓、 目、 藻、 矢、 湯、 輪、 尾、等が得られる。他も亦皆象形文字らしく想はれるも俄に決定し難い。偖て全部を象形であるとすれば、これ即ち形文字で、この形文字を念頭に置き、之に對して片假名を第四文書に於て見たる如く形假名と稱するに非ざるかと推測される。これは決して妥當の名稱とは思へないが、天津教でかく考へたのでなからうかと思ふのである。もしこの推測が當つてゐるなら、天津教は木に竹を接いだと評すべきである。
 第一、文體に就いて吟味するに、先づ以て部分的檢査より始める。
(イ)文字の右下方に位する小黒點は句讀點であるが、要らないと思ふところにあつたり、一個で十分であるのに二個打つたりしてある。第四行第七行第十一行第十三行第十五行第十六行第十七行等に其例がある。
(ロ)假名遣ひの誤は甚だ夥しい。オヲの混用は多くあるが意味を取違へる恐れもないから一々指摘しない。スをシとする頑強性は無論此所にも繼續する。第一行第十六字 は の誤、第四行第十二字 も亦 の誤、第六行第十字 及び第七行第三字 は の誤(此 は古言と取れば差支へない)、第二十四行第十三字 は の誤、第二十八行第三字 は の誤、第三十一行第十九字 は の誤とすべきである。
(ハ)全然關係を認めること出來ない字を使つたものに第二十四行第六字 がある。是は とすべきであるが、此文章なら でも我慢出來る。併し では全く意味を爲さない。
(ニ)脱字を掲ぐれば、第二行の の下に月の名が落ちてゐるが、何月を入れてよいか判らない。第三行第十二字と第十三字との間に の三字を補入せざればイサナキミフタカミで意味を爲さない。第七行第七字より始まる は脱字がありさうに思はれる。 の間に を入れると、是ヲバ一ニの意となり解かることになる。第十四行第十七字 の上に を補ふべきであると思ふ。それとも天津教用例で之を省略するを慣例としてゐるのかも知れない。第十六行第二字と第三字との間及び第二十六行第六字と第七字との間には第十行に於ける用例に從へば を入れるのであるが、是は孰れを是とすべきか判らないが、注意を要するため此所に記して置く。第二十三行第十五字の下に が脱してゐる。第二十五行第十字 の下に を拔かしてゐる。
(ホ)動詞の終止形を取るべき所に連用形を用ゐることは第四文書に於て見出されたのであるが、此第五文書の中にも現はれてゐる。本文中にもあるが、最も著しきは署名に伴つて現はれてゐる。このことは第四文書に於けると同じである。第二十五行以下第三十一行に至る が即ちそれである。
(ヘ)神代の言葉を以て記してある筈なるに、漢音の言葉が雜つてゐる。第二行 (即位八十八億萬年)、第三行 (サイシ)、及び (サイカンシヤウ)、第四行 (天)、第六行 (スイモン)、第八行 、 (天ヲ百億萬年)、第十一行より第十二行に亙り、 (百億五百萬年)、第十四行 (億)、及び (萬年)、第十六行 (即位)、及び (八)、第十六行 (萬年)、第十九行 (六十二)、第二十一行 (サイカンシヤウ)、及び (サイ)、第二十二行 (天)、 (フクサイ)、及び (サイクワンチヤウ此語は前にも出てゐるが綴方が異なつてゐる)、第二十五行 (即位八百萬年)、及び (一)、第三十二行 (六十三)等以て徴すべきものである。偖て脱字誤字等を補正すれば全文は下の如く讀まれる。―印を右傍に附したるは誤字、左傍に附したるは脱字である。
ニ.スミヲヤスミラヲホカミタマシヘタカラヲ.ヲホミヤヲツクリテ.ソクイハチシフハチヲクマンネン.  (不  明)マドムツヒ.サイシイサナキイサナミフタカミ.サイカンシヤウ.
マツリス.イツイロヒトハヘレス..テンヲ.ミコトシ.ヲンヘタチ.イタノクニノ.イタルネクニムリセヨトアリ.イロヒト.イト
マシテ.オノレノクニイ.コシネノドノ.ニシウラスイモン.ヨリカライカヘル.コヲイチニアメヨリアマクタリトユフ..イサナキスミラミコトテンヲ.ムムヲクマンネンサナヘツキタツイチヒ.ミコトバヲアメマツリスミラミコトヲユヅ
リコト.アネノアマサカリヒニモカツヒミアマテラスミコトニ.ユツリワタシ..イサナキカミムムヲクイツムムマンネン.フクミツキ.マドヨツヒ.コシネナカ.ニエヤ.
トトノヲヤマ.ヨリ.カミサリ.イサナミカミ..ムムヲクマンネ ン.カナメツキツコモリムツヒニ.
カミサリ.トコロ、カカノシラヤマトユフ..アマサカリヒニモカツヒミスミラミコトテンヲ.ソクイハチムムマンネン.ムツヒツキ.タツイチヒ.ニ.ムトフミクライシノシヲヲツカミヲホネノカミヨリ
                 ロクシフニ
イサナキイサナミフタカミ.マデオ.フミシテ.
アワセマツリ.サイカンシヤウシ.マツリ.サイシ.
テンヲ.フクサイシ.シサノヲミコト.サイクワンチヤウ
ヲモイカネ.コヤネ.フトタマ.ヤホヨロヅカミ.
ミコト.ツトノテマツリシタモウ.
 ソクイハチムムマンネンムツヒツキタツイチヒニフミシ
                 テンヲフ
  アマサカリヒニモカツヒミスミラミコト シ
                 サイシミ
                    フ
        ツキモカツスサノヲミコト シ
                    ミ
                    フ
            ヲモイカネミコト シ
                    ミ
     クニヲ             フ
   マ ヒトヲ リ カミ  コヤネミコト シ
     ミイヲ             ミ
                    フ
             フトタマミコト シ
                    ミ
 スミヲヤスミラヲホカミタマヤノタマシヘニシ
             ロクシフサン
 此文の終に天照太神即位八百萬年正月元日の日附にて御署名があり、之につゞき素盞烏尊、天思兼命、天兒屋命、天太玉命の副署がある。即ち此文書は神樣の御書であり、假令模寫であつたとしても國寶の資格は十二分である。然しながら文章の口調から觀てどうして之が神代のものと考へられよう。幼童の數へ歌にさへ古い呼方を傳へてゐる數字を此文書では殆ど皆漢音で讀んでゐる。剩へ年、即位、勸請、水門等の語も漢音にて出現する。而して昔を偲ばせる目出度い語句は更に見當らず、年月日の鵺的讀方などは以て證とするに足らないのみか却て打毀しである。故に此文章は一見して近頃のもので、しかも拙劣の書振りであることが頷かれる。勿論天津教では是は神代の原稿であると主張し、其主張の前提として漢音など皆日本より創つたと言ふであらう。何事でも日本より創つたといふ負惜みの考方は獨り天津教に限らず、昔からよく耳にするところで、世間普通のこととして聞流して置いても差支へもないが、先に部分的に指摘して置いた此文の缺點は見逃し難い。假名違、脱字、誤字等正に亂脈と稱すべきに、更に御母親伊弉那美尊の御名の大半を書落したる如き麁相の責任を一體誰に歸せしめようとするのであるか。こゝに想到したら天津教は宜しく反省悔悟して深く謹愼すべきである。抑もかゝる亂脈は書手の頭の惡いのか若くは取急いだための過失に由るものと取るが最も穩當の解釋であることは反對する人もあるまいが、之に加へて天津教に於て事實をこゝに至らしめたる特殊の事情も進んで推定出來ると思ふ。即ち天津教では平群眞鳥の記録を神代文字の記録の飜譯であると稱するのであるが、事實は正反對で神代文字の記録は平群眞鳥の記録の飜譯であるのである。かゝる特殊の事情の存在の下に飜譯を取急いだため、古語の穿鑿も行屆かず、いやが上に誤謬を犯すに至つたものと解すべきである。
 以上文體の考察を約言すれば、此文書は神代文字で記してゐるが、他の文書と同じく近頃のもので、其作製は第五文書より後るるものと推斷される。
 第二、書體に就いて吟味するに、文字は象形と取るべきもので書とも畫とも着かぬながらに又兩性的の性質を認めなければならぬ。即ち書畫一致の見方を應用して、氣韻如何を探して見るに、何所か生硬なるものがあつて餘り善い感じを與へない。技巧の上から見ても單なる熟練はあつても苦心に因る精練を認めることが出來ない。併しながら此點先入の連想が働き過ぎる恐れがあるから多くを語らない。筆者の同知に關しては尚更ら臆して判斷を差控へる。
 私は所謂神代文字の豫備知識が無かつたため、此等文書の調査を始めた時には天津教の神代文字は讀めようとは想はなかつたが、丁附の數字に不圖氣附いてから奮發して凡そ一ヶ月を費して全部が讀めた。後に友人の渡邊大濤氏から近頃某氏の著した神代文字の本の中に此文字を説いてゐることを聞かされ、自分の寡聞を恥づると同時に、世間には又迷信者もあるものと思つた。此時ふと上記(ウヘツブミ)に使用した神代文字も此文字でなかつたかと想ひ、調べて見ると果して其通りである。是で天津教の素性はすつかり判つたのであるが、此文字は上記と獨立して數ヶ所で發見されたので、國學者中には上記を疑ひつゝも此文字だけは確かなものと信じた人もあつた。併しこれは植附を見破ることの出來ないために生じた錯覺で、無論此文字は上記の作者の手に成つたものに相違なく、斷じて神代のものではない。かゝる生硬の新文字は却て製作に大なる努力を要しない性質のもので、云はば朝飯前にも出來ると云ふもの、勿論判讀には手掛りの如何に應じて相當の時間を要するのである。今植附と云ふことを暗示したが、是は欺瞞を覆ふ爲めに都合の好い事物を、關係の無いと想はるる如き所に作設し、人をして發見せしめる樣に仕向けることで、廣汎に行はれる手段である。此植附には學者もサクラと成つたり、ヂュープとされたりする相當難しいものがある。即ち數百年經つて初めて暴露され、千年經つても尚ほ疑問視されてゐるものもあり得る。これが宗教界に殊に多いのは歎はしい事實で注意に値する。どの道研究家の興味を唆る性質のものであるが、舊い所は時效にかかつた如くに思はれ、また作爲者が餘り成效した場合にはどうにもならぬことも頗る多い。然るに近頃聞く所に由れば世間でしきりに異質のピラミッドや新規な神代遺跡などを發見し、孰れも天津教の所説を裏書する樣に解せられるさうであるが、其所が即ち疑ふべき所で、かうした植附は天津教の爲めにも愼んだ方が善からうと思はれる。
 以上書體の考察を約言すれば、神代の文字と見ても餘り上手な書神の手とは取れず。結局此文字は後世の文字で、瞞著を化粧する第二の瞞著に過ぎないものであるとの判斷に歸着する。
 第三、内容に就いて吟味するに。形式的に見て記事の精麁宜しきを得ず、此點先づ疑ふべきものがある。神代のことは正史にも記載されてゐるが、空々漠々捕捉し難いのである。故に水戸で大日本史を編纂するに當り義公の英斷で神代を削去つたことが傳へられてゐる。併しこの空漠の背景を利用して更に景を盛り輪をかけた臺帳を作り大芝居を打つことが跡を絶たない。孰れも殊勝に見せかけて居るが必ず眉唾ものである。此文書を實質的に見て天津教も亦此種類の惡巧であることを斷定するに餘りがある。此文書第十一行より第十五行へ讀續けると「コシネナカニエヤトトノヲヤマ」と云ふがある。是は越中國新川郡の立山を指すものと想はれるが、ニエヤは婦負とも取れる。さうだとすると立山の所屬が違ふことになる。又是より重大なることは此所の記事に伊弉那美尊は伊弉那岐尊より後に御隱れになつたことにしてあるが、是は正史と反對である。かうした正史を無視することは前にも例があるので珍しくもないから、一つ變つた矛盾を演繹してみよう。第七行より第十二行に至る敍述に伊弉那岐尊は百億萬年にして御位を天照太神に讓るとあり、第二十五行に天照太神即位八百萬年の日附がある。即ち此文書作製の時、日本は既に百億八百萬年の舊國である。そこで此間に神口の増加幾何なりしやと問ふのである。神代に於ける生殖に關するあらゆる條件を今日に比し如何に不利益に見ても百億八百萬年の間には夥しき神々を生産し、時々神退治が行はれない限り、右日附の當時には地球上陸となく海となく一平方メートル毎に何百萬といふ神を宿さなければならなかつたらうと思はれる。勿論これは胸算用で稍□精密の計算も出來ないではないが、必要もないから旁□極く内場に見積つての話であるが、此問題を天津教では何と片附けるであらう。定めし神は天にいませば地上の廣狹など問ふところでないと説明するかも知れない。然らば第一行より第七行に至る記述に伊弉那岐伊弉那美二尊の時代に造られた大宮のことがあるが、この建築物は何處に在つたか。記事の前の部分を缺いてゐるから判然しがたい所もあるが、續く所によれば「五色人ハイレス(中略)越根能登ノ西浦水門ヨリ唐イカヘル」とあり、推察するに越中國神明村に在つたとしたのでないかと想はれる。して見るとこの大宮は日本の土地に在り、伊尊二柱を始め奉り八百萬神も代々日本の土地に御住居あらせられたと拜察する外はない。我々もそれで宜しいと思ふ。而して又越根中大宮の規模大ならずして、五色人を收容し兼ねたことは甚だ遺憾であつたと思ふ。何故に百億萬年に相應して、せめて八百萬里四方の摩天樓でも準備して置かなかつたかと言ひたくなる。是を以て之を見るに此文書に於て説くところ全く數の觀念を缺き、常識的の思想を離れ、而して正史に反する記述を敢てして憚らない。實に總ゆる點より見て人困らせの虚妄を言振らしてゐるに過ぎないのである。
 以上内容の考察を約言すれば、此文書は荒唐無稽全く信を置くに足らない。
 上述の理由に由り、大日本天皇太古代上々代神代文字之卷は近年の僞作にして、しかも此種類の神代文字の文書は所謂形假名唐文字の第五文書の種類の後に成れるものと判斷する。

      第七 結語

 以上數節に於いて試みた批判を要約すれば、天津教が天下の至寶として誇示する天照太神、後醍醐天皇、長慶天皇の御眞筆及び平群眞鳥、竹内宗義等の眞筆と稱するものは、第一に文章は揃ひも揃つて下手であり、肝心な語法語調も億萬年を通して不變なるのみならず、誤謬は頑強に保持せられて共通永存してゐる。第二に筆蹟は孰れも見事ならず、著しく近代風を帶びたる上に類似の點多く、一々別人の手に成るものと取れない。第三に所説は正史と矛盾するばかりか、明治以後漸く知れ亙つた如きことを平然として述べてゐる。依て追次此等の文書に就き、其文體、其書體及び其内容の檢討を遂げ、悉く最近の僞造であることを暴露せしめたのである。此上疑問として殘る變態性は之を稱明し得たところで、僞造の事實を動かすことは出來ない。故に天津教は五つの致命傷を蒙り完全に生息の道を絶たれたに等しいのである。もし更に文書の原物及び古器物を見ることを爲さば彌□益□不都合を露現し、もし更にその依據と爲す上記乃至西洋の傳説との比較調査を行はば剽竊炙直しの狡計を剔抉するを得べきも、要らない努力を拂つて死屍に鞭つ愚を演ずべきでない。顧ふに天津教の言説は虚妄であるが、今迄その宣傳に當つて、類似の宗教的運動に見る如き副作用を伴はざるため、害毒は比較的輕微であると思はれる。此點偶然の結果と云へ、恕すべきものがある。かるが故に又かの如何はしき説教を以てする上に更に如何はしき副作用を以て人を釣り、陶醉迷溺せしめ、其虚に乘じて、成效を獲得した族に比すれば、天津教の境遇は貧弱で、氣の毒にも思ふ。此點當然の結果とは云へ、同情に値するものがある。此際私は漫りに天津教を惡口するものではない。我側らに迷へるものと迷はんとするものとを見て、其覺醒を促すための言を述べるに過ぎないのである。望むらくは天津教も亦反省悔悟して其妄を棄て、速に皇道の正しきに復歸せんことを。




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