藪の鶯
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著者名:三宅花圃 

女「アラ斎藤さん下手(げす)の一寸ヨ。
斎「よくってよ。あんまりこもっているから。炭素を追い出してやるんだワ。
女「あんな口のへらないこと。
斎「口はへらなくってもおなかがへってヨ。なにかおしょうばんにあずかりたいこと。
女「ですからおよび申したの。
斎「および遊ばすからおいで遊ばしたのヨ……。ドレですコレ。お内からきたの。お包みを明けますヨ。オヤオヤ風月堂のカステイラに。落花生(らっかしょう)が一袋。この袋は五銭ばかりのふくろネー。この重箱の下は。オヤオヤお菜ネー。白魚とくわいのお手料理は。きっと奏任官の令夫人が。お浪(なみ)にたべさせたいとおこしらえ遊ばしたの。アア親の恩は海より深し。
女「斎藤さんしゃべってばかりいらっしゃると。みんなわたくしがいただいてしまいますヨ。
斎「ですがネー。わたくしは夕べおかしな夢を見てヨ。福ちゃんがネ女になって。私の兄のところへよめに来たいといいますから。そんなことをいわないでほんとの男になって。あたしのおむこさんにおなんなさい……。兄さんはネ。夜会でお目にかかるミス服部という人が大へんに好きですから。お気の毒様といったら福ちゃんがおこって。
女「ヨー斎藤さんもうおよしなさいヨ。サア」トかすていらをペンナイフで切って出す。「メネーメネー。サンキュー。ホワ。ユウワ。カインド」と片言の英語を囀(さいず)りながらチョイとつまんで「それからネー宮崎さん。
宮「モウおよしなさいヨ。あなたは磊落(らいらく)だからおかまいにならないけれど。ヨーもうよして頂戴。
斎「ヘイヘイ恐れ入りました。じゃア相沢さんをつれてきて。あたしは一しょにお咄しをするワ」とバタバタたべながらかけて行く。
宮「ほんとに。クイッキ、モーション(Quick motion)ナ人ネー。
服「ですけれどもあの方は兄さんによく似て。才はなかなかありますよ。いくらもアーいう人があるもんですヨ。
宮「だけれどほんとにいやなのはあのおなま(朋輩(ほうばい)生徒か)さんネー。いやに体裁ばかりつくって。何か自分の作文の点でもわるいと。ヤレいそがしかったからいけなかったなどといいわけばかりして。そのくせに西洋好きでいらっしゃって。内地雑居になるとどうだのこうだのとおっしゃるのヨ。私はあんまりくやしくなりましたけれども。いつかあなたの作文ネー。私は暗誦(あんしょう)しておりますヨ……。聖賢の教えも得手勝手に取りなして聞く時は。身を乱だすこともあるべし。いやしき賤(しず)が小歌も心をとめて聞く時は。おしえにならざるはなし。げにその地にあらざれば。これをううれども生ぜず。その人にあらざれば。これを語れども聞えず……。私は大へんこの作文が好きですから。お手本にしてだまっていましたワ。
服「お記憶のよいこと。私くしすらわすれてしまいました。そういえば篠原さんでもお兄様(あにいさま)がきのう御帰京になりましたとネ。
宮「オヤあの方はH(エッチ)じゃアないの。
服「Hですけれどエンゲイジばかりですから。はま子さんも兄様(にいさま)とおっしゃっていらっしゃいますヨ。
宮「そうしてどうするでしょう。あの不品行では到底お嫁になれますまいネー。
服「そんなことをおっしゃりますナ。あの方々はなかなか教育もありますから。そんなことはありません。それは世の浮説でしょう。このごろはみんなよい方は文明の国にまけないで。夜会の何のと御尽力ですが。またわれわれ下(しも)の人たちは。みたこともないことばかりですから。疎(うと)いことは疎んじたり賤(いや)しんだりするもので。チョイとめずらしいことがあると。尾に尾を付けてそれをわろくいって。何も知らぬ人にまで。いろいろな風説(うわさ)を皆いいますから。人の口ほどこわいものはござりません。私しのように引込み思案にしていてもいけませんが。マアまだ社会へ出ないで生徒でいるうちは。なるたけ引き込み過ぎるとも出過ぎない方がいいと存じます。
宮「ほんとにネー。あなたのおっしゃることは。よく私しの気にかないますヨ」折から以前の斎藤。相沢を追いかけてバタバタ走り来たり。
相沢「アアくるしいくるしい。
宮「どう遊ばして。
相「あの斎藤さんにスナッチされようとしたわ。あのお芋をネ。西村さんにもらってたべていたら。斎藤さんが来てとろうとするのだもの。いやな人ヨ。
斎「ダカラ私しがカステイラを御馳走(ごちそう)をして上げようから。とっかえこにしようといったのだワ。
相「オヤ斎藤さんがほんとのことをいったの。ここにカステイラがあるワ。じゃアこれを上げよう。
宮「ああら現金もんだこと。
相「だってサブスタンスを見ないでは。斎藤さんはライヤアだから。
斎「うそ。人を罵詈(ばり)してひどいこと。
宮「マアそんなことは閑話休題として。こちらへいらしってめしあがれヨー。
 女生徒らはたがいにむしゃくしゃたべながら。
相「オヤオヤもうなくなりそうだ。
斎「ナニよくってヨ。あしたは服部さんはお帰りなさるのだもの。なくなったってイイワ。
服「エエいくらでも召し上れ。私はあしたのレッソンのところを少しみておきとうござりますから。失礼ヨ。
相「およし遊ばせヨ。お休みになるのだから。みておかないでもいいじゃアありませんか。
宮「ホントニ服部さんのように勉強しては。体がつづかないでしょうネー。
斎「あたしなんざア。お休みするところは見たこともないワ。
相「だから試験前は大変に心配して。この間も二時ぐらいまでおきていて。そうしてあんな低い点ですもの。いやになっちまったワ。
宮「オヤオヤえらいことネー。
服「ですけれども。大変にお体にはお毒ですネー。女生徒は男生徒より大気(たいき)でないせえか。あんまりなまけませんてネ。ですからそんなに勉強を勧めてさせないでも。自分自身に相応に勉強して行きますとサ。でもこのごろは大変に女に学問をさせるのが一問題でござりますと。あんまり相沢さんのように。過度に勉強遊ばすと精神がよわって。よわい子が出来るそうです。
相「アラいやなこったワ。だれがお嫁なんかに行くもんか。
宮「あんなことをおっしゃるヨ。先生になってもお嫁に行く方がいいって。
相「ナニ先生になれば男なんかにひざを屈して。仕(つこ)うまつッてはいないわネー。
服「ですからこのごろは学者たちが。女には学問をさせないで。皆な無学文盲にしてしまった方がよかろうという説がありますとサ。少し女は学問があると先生になり。殿様は持たぬといいますから。人民が繁殖しませんから。愛国心がないのですとサ。明治五六年ごろには。女の風俗が大そうわるくなって。肩をいからしてあるいたり。まち高袴(たかばかま)をはいたり。何か口で生いきな慷慨(こうがい)なことをいって。誠にわるい風だそうでしたが。このごろ大分直ってきたと思うと。また西洋では女をたっとぶとか何とかいうことをきいて。少し跡もどりになりそうだということですから。今の女生徒は大責任があるのでござりますと。あのセクスピアが顔の皮の厚い女は。男の女らしいのと同じことで。好ましくないものだと申しましたし。また第一ナポレオンは。仏国を改良するには善良の母だと申しました。だから女にもしも学問をさせなければ。なかなか善良の母も出来ますまいし。学問をさせれば。厚顔(あつかお)なおしのつよい女が出来ますから。何でも一つの専門をさだめて。それをよく勉強して。人にたかぶり生いきの出ないようにして。温順な女徳をそんじないようにしなければいけません。そうすれば子孫も才子才女が出来て。文明各国に恥じない新世界が出来ましょうと。ある方がおっしゃいました。
斎「アアいやだワいやだワ。あたしはそんなことを聞くと。ほんとにいやになってしまアー。一生懸命で学問しても。奥様になりゃア仕事をしたり。めんどくさくっていやだワ。わたしゃア独立して美術家になるわ。画かきになるワ。美術の内で。歌舞音曲その他一二を除いて。源は皆な画ですとサ。だから画は美術の King。オヤ。フェミニンの方かしらん。じゃア Queen だワ……。あたしはきっときっと画かきになるワ。
相「オヤ斎藤さんが画工(えかき)になるって。こんなめんどくさがりのくせにネ。
服「斎藤さんだとて一心一到ですもの。画かきになれますワ。
相「オヤオヤ。じゃアあたしも一心一到だから。この間理科で高点をとったから。それを規模にして理学者になろうか。あなたハ。
宮「私しはこの学校を卒業すれば奥様になるワ。お浪さんあなたもそうでしょう。
服「ソウネー。私しは文学が好きですから。文学士か何かのところへいって。御夫婦ともかせぎにするワ。
斎「オヤお仲のよいこと。あたしは亭主なんぞは。ほんとにほんとにもちたくないワ。
宮「じゃアお浪さんは。うちの兄さんのところへお嫁にいらっしゃるといいこと。そうだと嬉(うれ)しいけれど。
相斎「ほんとだワ」とまだあどけなき娘気の。人の心を計りかね。思わずいえばもろともに。いいはやされて今さらに。よしなきことをいいけりと。咄の絶ゆる折しもあれ。
 カチカチカチ。オヤお昼飯(ひる)の柝(たく)でしょう。サア行きましょう。(かけだす音)バタバタバタ

     第七回

 二人曳(び)きの車は朝夕に出入りて。風月堂の菓子折。肴籠(さかなかご)などもて来たる書生体のもの車夫など。門前にひきもきらず。これは篠原子爵の邸なれど。このほどより主はよほどの重体にて。某(なにがし)とよばるるドクトルも小首をかたむくるほどなれば。家中(やうち)の混雑一方ならず。このごろ養子勤(つとむ)が帰朝以来。「こう忙がしくってはたまらん」など。取次ぎの書生の苦情もかしまし。今日しも少しよきようなれば。と上下(かみしも)ともに心安うおぼえて。いつしかにおさんの笑い声も耳だつほどとなりぬ。
 山中はいつものごとく御看病と称(とな)えて。なにか浜子のへやにてしきりに咄しさい中なり。勤は帰朝以来何か感ずるところありて。懊悩(おうのう)として心楽しまず。机に向えばただただ神経の作用のみはげしくなりて。ますます思い乱るる妄想(もうぞう)をやるにところなし。散歩は至極適当の療治法なりと思えど。養父の病気中には傍(はた)の思わくもあれば。ほしいままに外(と)に出(い)づべくもあらず。さるほどに浜子の部屋または勝手などに折々聞ゆる笑い声も。なかなかにかんしゃく玉の発裂(はれつ)するもととなり。ともすれば天井と睨(にら)めくらをして。にがりに苦りて言葉なし。アアこの神経というものはおそろしきものなり。折にふれては鬼神妖怪(ようかい)の眼(ま)の当りにおそいきたるかとみれば。いつしか嬋娟(せんけん)たるたおやめの側(かたわら)に立つかと思うなど。千変万化さまざまにうつり行く。げに物思う折の現(うつつ)はまた一場の夢なりかし。ややありてすこし夢のさめしようなる風情にて。あくび二ツ三ツして。やおら立ちあがりて障子を明け。庭へ出でて花壇のまわりを三べんばかりあてどもなくあるきながら。わざと浜子の部屋のあたりをさけて。おもての方へおもむろにあゆみきたれば。馬丁(べっとう)部屋の方にあたりて。ささやきかたらう声笑う声聞えけり。下ざまのことになれざる耳には。いとめずらしくおぼえられてや。やおら立ちよりて聞かんとすれば。主の足音をしりてかけ来たる大いなる猟犬の。媚(こび)をささげて足元にまつわるを眼もて制し。小腰をかがめてそが頭(かしら)をかいなでつつ聞けば。
車夫「エエオイ。こねえだはの。おいらアほんとにむねくそがわるくっての。
馬丁「どうしたのだ。
車夫「どうしたってこうしたって。お前(めえ)のめえだがの。おめえのとこのおはねさんがの。例の後家の内へきやアがって。今きている山中というやツをさそい出して。向島(むこうじま)までおしのびという寸法で。一しょに出かけたと思いねえ。初手(しょて)はおいらア正直だからきていに思うた。後家とおつだという噂(うわさ)があるのに。敵手(あいかた)がちがっているのはへんだなと思っているとの。花時分たアちがって人通りもすくねえだろう。スルト野郎め。おはねさんの車へ相乗りと出かけて。テケレッパだろうじゃアねえか。しかたがねえ泣く子と地頭だ。馬鹿なつらアしておいらアからッ車を曳いて跡から行くと。奥の植半(うえはん)へいってお昼飯(まんま)ヨ。あんまりいめえましいから。せめて円助もせしめてやろうとおもったら。如才(じょせえ)なく先へ廻って半助よ。フーン人をつけ。半助ぐらいでおたまりこぼしがあるものかだ。おめえの前(めえ)だがおらアむねきでならなかった。
馬丁「どうりでこねえだは珍らしく日本服で出かけるとおもったぜ。
車夫「親指はしらねえのか。
馬丁「ナアニしれッこなしよ。どいつもこいつも。金ぐつわをはめられて。ねえしょねえしょサ」とひそめきながら乗りが来て。思わず声高にはなすを。勤は立ち聞きて。さい前よりまゆのあたりに幾たびもいなびかりをさせて聞きいたりしが。たちまちせわしく立たんとして。またおもいかえす由ありてか。なおも伺いいたりけり。
馬丁「だがの考えて見りゃア珍らしくもねえやつよ。おれっちが行くとこはみんな位(くれい)のいいうちだが。大げえはなんかしらなんくせつきだ。
車夫「一体それが西洋がっているやつにおおいじゃアねえか。
馬丁「ナアニそれりゃアまだ世がひらけねえからだとよ。何てッだって。今晩はとシチンの帯かなんかぶらさげた腰ッぺたを。いつの間にかチャボのけつのようにおっ立てやがって。すましている時節だろうじゃアねえか。この間舌長(したなが)さんがうめいことをいッたぜ。今の時代は道楽時代という時代だとヨ。女といちゃつきたい時は西洋風を持ち出すし。権妻(ごんさい)を置きたい時には昔風を持ちだすし。かたでらちくちゃアありゃアしねえとよ。だがお互いのようにレコがなくッちゃア。道楽時代もあてになりゃアしねえアハハ」何たわいなき咄しの内勝手の方に。
「山中さんのお立ちですよ」勤はいそぎ立ち上り。それかあらぬかさまざまに。くるう心のこま下駄も。音たてさせじと忍び足。庭の方(かた)へぞかえりける。

     第八回

 暑さは金(かね)をとかすともいうべきほどの水無月(みなづき)に、遊船宿と行燈(あんどう)にしるせる店へ。ツト入り来たりし男年ごろ二十四五なるべく。鼻筋とおり色白く。目もとは尋常に見ゆれども。どこともなくするどきところありて。いわゆる岩下の電(いなずま)ともいわまほし。口はむしろ小さすぎたるほどなるに。いささか八の字の鬚(ひげ)をたくわえたり。身長(みたけ)は人並みすぐれたるが。縞(しま)フラネルの薄きもて仕立てし。ジャケットに同じき色のズボンをはき。細きステッキを手にもちて。パナマハットの大形なるを頂き。わざと蝙蝠傘(こうもりがさ)はもたざりけり。
女房「オヤマア駿河台(するがだい)の若殿様。お久しぶりでございます。この間御洋行からお帰りになりましたと。宮崎さんから伺いましたが。ようまア。
篠原「十日ばかりあとにもどったが。きょうはあんまりあついから。その宮崎と涼みに出かける約束だから今にくるだろう。屋根を一艘(そう)仕度(したく)してくんな」
女房「御酒(ごしゅ)はいりますか。お肴(さかな)は。
篠原「ストックを三本ばかりと。肴は三通りばかり見つくろって。いずれどこへか上るのだから。たんとはいらない」という折りから。宮崎は斎藤とともに入り来たり。
斎藤「や。先に来るつもりだったが」という間に。船も出来たれば一同それにのりうつりたり。
宮崎「五年というと久しいようだったが。こうなって見ればはやいものだ。洋行中にはいろいろの咄しもあろうし。君のことだから学術上には発明の説もあろうから。お尋ね申しゆっくりお聞き申したいと思っていたが。尊大人(そんたいじん)のとかくおすぐれなさらないので。御混雑の様子ゆえはばかりまして御無沙汰(ごぶさた)サ。
斎藤「僕も同様。しかし昨今はいかがでござります。
篠原「僕もご同感さ。君輩(きみはい)のごとき同窓の友を会して。ゆるゆるお咄しがしたいけれど。親父(おやじ)があの様子ゆえ。外へも出られない始末だから。おもうようにはいかないのサ。二三日跡からめっきり様子がいいから。今日お誘い申したのサ。
宮崎「御洋行中は毎度御書を下さいましたが。例の筆無性(ふでぶしょう)で三度に一度の御返事もあげませんでしたが。僕が東京の現況を新聞体にて御報道致した御返事に。日本人はメスメリズムにばかされた人のように。西洋人の指先次第。いろいろなまねをするとの御論でしたが。伺っていた御持論とは大層ちがいました。世の人は洋行すると西洋好きになるが。君には嫌(きら)いになったのかと。お知己の人たちは怪しみました。
篠原「なるほどお怪しみもござりましょう。僕が五年の洋行で得るところ。とはちと大げさのようだが。マアそこのところばかりサ。オオなんだ氷が解けてもう残りずくなになった。マア一杯やりたまえ。オイ船頭どこへか附けて氷を二斤ばかり買ってくれんか。
宮崎「ときに篠原君。君が帰朝の後は早速何のお咄しだろう。ネー斎藤君。御同前に祝筵(しゅくえん)にあずかろうとたのしみにしているのだが。尊大人の御所労でまだそこどこではないのかネ。
斎藤「実に君はあやかりものだ。尊大人は従前の勲功とはいいながら。華族に列せらるるし。レディは才色兼備の上に。近ごろは英語もお出来なさるし。ピヤノなどはことにお得意。ダンシングから何から。貴女連中との交際でも恥かしくない。実に君とは連璧(れんぺき)だ。と朋友中の評判ですぜ。
篠原「そういえばそうかもしれないが。僕は何分にも面白くないから。婚姻のところはどうしようかと思っているのサ。これも両君のことだから。僕のシクレットを打(ぶ)ちまけていうのだが。ごぞんじの通り僕は五ツ六ツの歳からそだてられて。両親もあれにめあわせて家をゆずろうという志願なればこそ。大金をも出して欧州留学もさせてくれたわけだから。今さら台女(だいじょ)を嫌っては。内に顧みてはなはだ道徳に恥ずるわけサ。そうしてあの家を出れば。今までの恩を無にするわけと。いろいろ考えて見ると。実は岐路(きろ)に彷徨(ほうこう)しておるようなわけで。婚儀のことは親父の病気を幸いにずるずるとのばしているようなわけで。
斎藤「これは意外なことです。洋行して君の議論はよっぽどかわったが。シテ見ると議論ばかりじゃアありませんネ。人もうらやましがる縁辺を。なんのかんのとはがてんがいかない。アーよめた。西洋はきらいになったぞといって。実は何ですネ。この節の流行のゴオールデンヘヤの令嬢と契約したというようなわけで。今にそれがやって来るという……。
篠原「とんでもない御嫌疑(ごけんぎ)だ。実に何にもありはしないが。ツマリいやになったというわけは。一生苦楽をともにしようという目的がたたないからサ。しかし君たちのいうのもうそでない。なるほど僕の心事は一変した。欧州に遊歴して見ると。なかなかここで想像して書籍中にもとめたとは。大いにちがったところがある。実に豁然(かつぜん)通悟したところがあって。なんでも人間は道徳が大事だということにきがついた。
斎「ハテネそうして。
篠「ところが帰朝してみると。親父が例の洋癖家だろう。またそれに仕こまれたものだから。やれ今では巴里(ぱり)ではどんなかみの風が流行(はやる)の。どんな服製がはやるのと。そんなことばかり聞きたがるのサ。僕は西洋の学問と芸術には感心するが。風俗には決して心酔はしない。男女だかれあって蹈舞(とうぶ)するなんどは。あまりみともいいことでもない。それに少男少女のいまだ婚姻しないものなら。婚姻の手段の一端にて。支那(しな)にいわゆる仲春会二男女一(ちゅうしゅんなんにょをかいす)という工合もあろう。それでもマア淫風(いんぷう)ならずとはいいにくい。野蛮風俗の居残りサネ。その上夫ある婦人は。その夫と蹈舞することを許さないというのはなぜだろう。千代(ちよ)をちぎって一身も同じとまでいう夫婦だから。夫婦同士(どし)だきついておどってこそ。面白くも楽しくもありそうなものなのに。ぜひ他人とおどらなければならないというのは。その極点をいって見たらどうだろう。まおとこをしなければつまらない。という論理になるではないか。コセットで胸をつかね衛生にかかわらず。ひとえに俗眼の好むところにしたがうなども。支那で足をしばって小さくすると五十歩百歩の論サ。こんなことをいいたてればいくらもあるサ。そこで僕は西洋の風俗には感心しない。この間も親父の看病をしながら。とかくに西洋風俗のはなしがでるから。われしらず道徳論をかつぎだして。蹈舞のことなどをこなしたところが。親父はそこらが交際のごく親密なところでよいではないかというから。病人に逆らうのも。とだまっていたが。兄さんは洋行した甲斐もなく。やっぱり支那風の七歳男女不レ同レ席(なんにょせきをおなじゅうせず)という腐れ論をおっしゃるヨ。フーンと鼻で笑われたが。そのフーンが骨身に透(とお)ってぞっとした心持がして。それから急にいやになったのだが。親父には義理も恩もあるから。いやだっていやともいえないし。実に胸を痛めているのサ。
斎「それだっても世間での評判に。あの娘ならどんな官員のマダームといっておしだしても。交際ができるというくらい。そんな短気は……。
篠「斎藤君のいうことだが。僕はその官員が嫌いになった。官員になったとって。社会にどれほどの利益を与えることができると思いたまう。僕は話聖東(わしんとん)よりもフランクリンを景慕するヨ。フランクリンも官員でないとはいえないが。話聖東がボストンに義旗を翻がえし。三十余州を一致し。亜米利加(あめりか)に連邦を創立し。今は欧州各国と比肩して恥じざる国とまでにしたのは。えらいことはえらいけれども。ただ一ツの国がごうぎに強くなったというまでで。すこしも世界に利益を与えない。フランクリンは電気を発明して。それから電信機も出来。電気燈も出来。世界幾百の邦土。幾億の民生がみんなその利によることとは。またえらいことではないか。現今の世の中でも。ビスマークよりはレセップに指を屈します。ビスマークは仏蘭西(ふらんす)の鼻を折(くじ)いて。わが国の索漏生(ふろいせん)王をして日耳曼(ぜるまん)一統の帝とし。今では欧州で牛耳を執るというまでにて。よそほかの国にはなんの利益もない。レセップはそうではない。シュエスのカナールを掘り割りて。世界万国交通の便を開いたはどうでしょう。このうえはパナマの掘割まで出来ようとするは。実にえらいじゃアないか。北亜米利加合衆国が出来なかったとて。わが日本などは何の不自由も何もなかろう。電信機がなかったらソラどんなに不便だろう。日耳曼が帝国にならないとて。日本では屁でもないが。シュエスの掘割がなかったら。交通貿易にもどのくらいの不利を感じるかしれん。日本ばかりではない。どこでもそうにちがいない。だから僕は官員になっての功名は。たかがしれたことと悟って。なんでもフランクリンやレセップにならおうとおもう。
宮「ヒヤヒヤもっとも賛成だ。
篠「それだから交際上手の女房などは。すこしも望まんのサ。僕が好みの女房は。まんざら文盲でも困るが。婦人の美徳と称する従順の徳があって。少しく文字も読め斉家(せいか)の道に勉力してもらいたい。弾(は)ねた性質に世界の酸素を交ぜて。おてんばという化合物になったのなんざア好まない。いわば蹈舞の上手より毛糸あみの手内職をして。僕が活計を助けるというようなのがほしい。
斎宮「ナニ僕の活計だと。華族様などはとかくけちなことをいいたがるものだ。アハハハハ。
 一同笑いになりたるとき。
船頭「八百松屋(やおまつや)アー。
 桟橋(さんばし)に茶やの女の下駄の音カラコロカラコロ。
女「おはようござりました。

     第九回

 篠原勤は英国ケンブリジの学校に螢雪(けいせつ)の功を積み。ついに技芸士の称号を得。なお帰途(みちすがら)欧州各国に歴遊し。五カ年の星霜を経てようやく帰朝せしに。養父は思いがけなく華族に列せられ。家の面目この上もなき重ね重ねのめでたさに。何不足なき身ながらも。かねてより結婚の約束ある。浜子のそぶりに何となく心がかりのこと多く。かなたにもとかくにうしろめだき風情ありておのれをはばかるさまあるは。何ようのことわけのありてかと。心をつけし折も折。ゆくりなく耳に入りし馬丁(べっとう)車夫の噂咄(うわさばな)し。胸とどろくまで驚かれ。さてはと心づきたるに。なおさまざまのこと耳目に触れて疑いの種を生長(おいたた)しむるのみか。浜子は父の病の見とりもせで。とかくに外出(そとで)がちなるなどますます心にかなわざれば、いよいよ離縁して身を退くべしとその志を決しつつ。二三の親しき朋友には。その思うふしをそれとなく洩(も)らしたるほどなれど。さすがに幼少の時よりして、ともにそだちし筒井筒(つついづつ)。かたすぐるまでくらべこし。緑の黒髪花の顔。姿かたちもうるわしく。学問才知も人並みには立ちまさりたる浜子なれば。今さら棄(す)つるに忍びかねて。色好むとにはあらねども。拾わぬ先の珠としも思いきられず。また二つには幼少よりそだてられたる養父母の恩愛と義理にそむきがたく。独り心を苦しめしが。今は養父の大病にて。見とりにその身いとまなければ。それなりにして打ち過ぎしに。通方(みちかた)は世に国手とよばれたるくすしのみか。独逸(どいつ)国より来朝せるベルツ博士にまで診察を請い。療治に愚かなかりしかど。いささか見直すところありとみしは。いわゆる返照(なかなおり)というものなりしが。勤が納涼よりかえりし宵(よ)よりにわかに容子変りきて。その翌日かえらぬ旅に赴(おもむ)きぬ。勤らのなげきはさらなり。よき人をうしないたりとて。惜しまぬ人はなかりしとぞ。されど勤はその跡を相続せしが。忌みもはてなば浜子と婚姻の式をあげさせんと。母をはじめ親戚(しんせき)朋友のかれこれといいすすむるに。勤は余義なくてありし次第を打ちあけて述べたるに。もとよりあらぬ濡衣(ぬれぎぬ)にもあらざれば。誰もしからんにはとの答えのみなれば。勤は養父が鞠育(きくいく)の恩義を忘れず。すでに華族の爵を継ぐ上は。世襲財産だけ譲り受くべきも。余の遺産は残らず浜子に渡し。心にかないたる中なればとて。さりぬべき媒(なかだち)をたのみて山中正(まさし)に嫁(とつ)がせしめ。家に仕えし老僕某(なにがし)を始め下女など数多(あまた)付き添わせ。近き渡りにしかるべき家屋ありしを求めて。これに住居させ。残るところなく世話をせしかば。人みなその処置のよろしきを得しをたたえしとなん。正は浜子をめとりてにわかに分限となりし心地はしたれど。入婿子(いりむこ)同じことにて。浜子は主人のごとくなれば。その才とその色とに不足あるにはあらねど。いままで食客にてありしを。かえりて気楽なりとおもうところもありぬべし。
女「ゆうべのおはなしで。すっぱりおまえさんの気もしれたから。今じゃアヤットおちついたがネ。婆アさんにあきがきて。かしをかえてしまったのかと。どんなにきをもんだかしりゃアしないヨ。
男「そうだろう。一体あすこの親指の口入れで官途にもありついたし。万端ひいきになるもんだから。お鬚の塵をはらっていて損のないとおもうとこから。せいいっぱい勤めていた内。あいつに英語を教えてやれということで……。マアなんだったのだが。これも御機嫌を損じてはと……。
女「イイヨたくさんだヨ。
男「そう咄しの腰をおるからいけない。それでとうとうこんだのやくそくも出来て。にわかに大尽になるようになるはなしだけれど。向(さき)はどうだかしらないが。
女「イイヨうるさい。
男「こっちには気にそまないだが。それ夕べも咄した通りのわけで。この一幕がかんじんの狂言で。マアチョトおまえに遠ざかって。
女「サアそこはわかっているヨ。いよいよおまえがその気なら。わたいも悪婆の本性をあらわして。音羽屋のお伝という一幕を出しもしようが。おまえの気がきまらなくって。からを蹈んだ日には馬鹿を見るからネー。
男「うたぐりも人にこそよれだ。ヒーヒーたもれに人ヲつけ。
女「あぶないもんだ。そうはいうものの。むこうは面がいいのにおまえさんが面喰いだから。
男「馬鹿な。
女「ソンナラ大丈夫かえ。
男「当りまえよ。耳をかしな」と声をひそめて。両人がしばしささやきいたりけり。これ新橋ステイションの側(かたわら)なる。新橋楼(しんきょうろう)という待合の奥二階に。さしむかいの男女は。山中正にお貞なり。正は時計を出して見て。もう刻限だぜドレ。と立ち出でながら。
正「今度の湯治は大丈夫か。男の連れがあるのじゃアないか。
貞「お前じゃアあるまいし。何の因果で浮気なんぞをするものかネ。疑ぐるなら汽車に乗るところまでついてくるがいい。お清のほかにゃア牡猫(おねこ)だッていやアしない。
と戯(たわぶ)れながらステイションに近づけば。発車のしらせチリリンチリリン。

     第十回

 かかえの車夫にやあらん。玄関の馬車まわしの小砂利の上へ。しきりに水を撒(ま)いている。この体裁からみると。やすくふんでも奏任二三等ぐらいの住居とみゆるは。山中正が家にして。その実は篠原浜子の財産もて買い入れたる家なりけり。されば家事その他世の交際にいたるまでも。全権は浜子一人に帰して。女尊主義を主張し。自身はお手車で飛び走(ある)けども。旦那様は腰弁当にて毎朝毎朝出かけて行き。還(かえ)りには観音坂下まで。五銭の飛びのりがまず大快楽(おおたのしみ)なり。車夫は水をまきはてて夕方のけしきをうっかりと見ている目の前へ。ガラガラガラと走(は)せくる一輛(りょう)の人力車。
女「若い衆(しゅ)さんここでいいよ」とおりて。この車夫にチョットあいさつをし。
女「あの篠原さんのお嬢さんのお宅はこちらで……。あのやどがあがっておりますそうでござりますが。今日はおりますか。
車夫「どっからおいでなすったか。わっちはしりません。勝手へいってお聞きなさい。
女「デハこの塀(へい)につきまして曲りますので。わかりましたありがとうござります。
 勝手にはおさんが香の物をきっていたりしが。御免なさいのこえを聞き。錠口をあけて。
下女「どちらから。
女「あの山中から出ましてござりますが。やどが長々お世話になりましてありがとうござります。今朝私しも帰りまして。宅も明けましてござりますから。すぐに帰りますようおっしゃって。
下女「オヤ山中は手前でござりますが。今日はどなたもおいでにはなりません。
女「デハ篠原の嬢様のおうちではござりませんか。
下女「イエこちらでございます。
女「お嬢様におめにかかればわかりますでござりましょう。あの山中のさだでござりますが。ちょっとお目通りを願いとうござりますと。おとり次ぎを願います。
 おさんはふしぎそうな顔をして。じろじろみながら奥へきたり。
下女「あの奥様。三十ばかりの待合茶屋のお神さんみたような人がまいりまして。ちょっとお目通りを願いたいと申します。
 浜子は窓にうでをかけて。女学ざっしを読みいたりしが。
浜子「どんな人。
下女「あの通し小紋の羽おりを着て。大そういきな人で。何かいろいろ申しましたがわかりませんでした。
浜「せんに殿様のおせわになったおさださんじゃアないか。
下「なんでも貞とかなんとか申しました。
浜「アーあの人にちがいないよ。ここへ通しておくれ。
下「お逢い遊ばすの」とふしぎそうに出て行きしが。やがて案内をして連れきたれば。
浜「オヤどうも久しぶりで。
貞「まことにご無さたを申し上げました。しばらく用事かたがた見物に。大坂の方へまいっておりましたので。
浜「さようでござりましたとネ。いいご保養を遊ばしましたネー。
貞「あのまたやどが久しゅうおせわになっておりましておそれ入りました。
浜「オヤどなたが。
貞「あのやどがしばらくおせわになっておりまして。私しがるすでさびしいと申して。宅をしめきりてあがっておるそうでござります。まことにありがとうござります。
浜「私しは今の旦那様は存じませんが。どなたでござりますか。
貞「オホホホごじょう談ばかりおっしゃります。あのご存じの山中正で。
浜「何ですとえ。オホホホホホおかしい。
貞「なぜでござります。
浜「なぜだッてオホホホホホ。
 お貞はわざとまじめになりて。
貞「なぜお笑いなさいます。
浜「なぜッて山中正は私しの何で。宅の主人ですものを。
 お貞はわざとびっくりせし風にて。
貞「何でございます。アノお邸の……。それはほんとうでございますか。
浜「アラいやなネー。ほんとうにおききなさるの。ツイこないだ婚礼をしまして……。
貞「何ですとえ。婚礼……。オヤオヤマアどうもあきれッちまいますネー。あたくしゃアちっともそんなことは夢にも……。
浜「オヤそうでしたか。その婚礼もネ。少し取込みがありまして。まだ公(おもてむき)にはいたしませんがネ。一夫一婦の大礼もあげ。私しの財産でこの家も買いましたし。召仕いの者も皆里から連れて参りましたのです。
 お貞はこの話をきかぬふりにて独語(ひとりごと)のように。
貞「マアどうも実にあきれちまうよ。だからいわないこッちゃアない。篠原の嬢さんのそぶりがおかしいから。だまかされちアいけないといッたんだものを。
浜「なんですって。私しがいつ人を詐譌(さぎ)するようなことをいたしました。
貞「さぎだか烏(からす)だかしりませんが。人の男をたらしこんで。イケシャアシャアとしたお嬢さんだ。
 はま子は呆(あき)れてお貞の顔を打ちまもれど。かなたはますます声高に。
貞「こんだ大坂から帰ってきたら。おもてむきせんの旦那のしってる人に。仲人(なこうど)をしてもらうつもりの咄しになっているのですよ。今さらお嬢さんにねとられましたからって。あっけらかんとしていられやアしません。ともかくも山中を出して下さい。当人にききゃアわかるこってす。サア早く旦那を出して下さい。
浜「そんなことをいったて今はここにいやアしません。お前さんがそう罵詈(ばり)なさると。さも私しのわるいようで。人の手前もありますし。みっともないから……。
貞「ナニいばるッて。ヘンいばるというのは。金があると思ッてしたい放題のことをする奴(やつ)のことです。留守のうちに亭主を盗んで。イケシャアシャアとしていられちゃア。面目(めんぼく)なくってくやしくってたまりゃアしない。早く旦那をだしてください。
浜「ぬすんだとはなんです。そう人をざんぼうなさッては。法律に触れましょう。仮にも華族の名義もありますから。
貞「オヤオヤはじめて伺いました。ひしゃくとかしゃくしとかのお姫さんは。人の男をどろぼうしても。御法にはふれないのですか。
浜「私しはどろぼうなんどということは存じません。とにかく山中は私しの殿様でござります……。早くだれか来てこの狂人(きちがい)をおもてへ出しておしまい。
貞「きちげえとはなんだ。はばかりながらしらきちょうめんの人間だ。こんなわからずやに咄しをしているとらちくちがあかない。巡査でもだれでもよんできておくんなさい。
とだんだんいい募れども。浜子はもと深窓に生いたちて。かかるかけ合いなどは夢にも聞きたることすらなければ。ただただ同じことのみいい。ついにはなき出でぬべきけしきなれば。執事の三太夫はとんで出できたり。
三太「どこのお神さんだか失礼な方だ。もうもうお姫様おなき遊ばしますな。なおつけあがりますから。エおかみさん。今は殿様も御不在だし。わけがわからんから。また御在宅の時においでなさるがよい。わが輩が委細の趣は申し上げるから。
 これにてようようお貞もしずまり。ここまでこぎつけておけば。あとはゆるゆるが上策なりと思いてか。三太夫になだめらるるを幸いに。じゃじゃばりながら帰り行く。
 はま子はあとになき声をふるわせながら。
浜「だれでもはやくおむかいにいッておくれ。ヨウ早く。
 かくてお貞はその夜きたれるのみか。朝に夕にきたりて悪口雑言をいいののしれど。浜子もおろかならねば。家来にもいいふくめて。ただるすとのみことわりていたりしが。その後より山中の様子もうってかわり。三日にあげずいずかたへか泊りきたり。ついにははま子のしらぬまに。うでわ。ゆびわその他はま子の身につきたるものも。いつのまにや持ち出でたれば。ようやくはま子も心づきて様子をさぐるに、全くお貞とはもとより夫婦同様になしいたれど。はま子の恋慕を幸いに婚礼なし。その財産を押領(おうりょう)なすべきたくみなれば。ついにはあの方にのみ多くありて。物見遊山なども相のりをなして。これみよかしとわが家の前を通行なすなど。浜子はくやしさやるかたなきものから。もとはおのれがなせしわざと。さとればさすが里方篠原家への聞えもはばかり。執事はじめ付きそえきたりしはしたまでに。口留めをなしおきたれど。隠れたるより顕(あら)わるるはなく、とく勤にも聞えければ、なお委(くわ)しく調べたるに。家屋敷までもいつのまにや。抵当とやらんに質入れし。大金を借り出(いだ)したるなどのことまでしれたれども。正ははやくも官を辞し。とくにお貞を伴ないて。いずかたへかちくてんしたり。浜子はなまじいに交際ひろがりしより。かかる評判も随(したが)いてたかければ。今さらほぞをかむのみにて。日々に涙にくれいたり。

     第十一回

 ちとおかけなさい。一ぷくあがっていらっしゃい。とよぶ女の声。こなたの角にはかけ合いに。万年働くかーめのっこ。きくはいのかめのこよりどったよりどった。とよぶ声いともかしましき。滝の川の秋の暮。人もようよう散れかかる紅葉(もみじ)のかげのかけ茶屋に。しばしやすらう二人の男。人品いやしからざるが。立ち上りながら。
男「篠原君すこし向うの方へブラブラしちゃアどうだ。君は尊大人のおなくなりなすってからは。めっきりどうも体がよわったようで。気が引き立たぬからいけない。そりゃア気のすまぬところもあろうが。どうもなったことならしかたがないサ。はま子さんも断然さとって。実に今は後悔のようだ。僕も昨日横浜に用があったからおたずね申したら。実に面目ないといって涙ぐんでの咄しも。実に真成のクリスチャンになりきってしまって。もとのような様子はすっかりなくなったヨ。
篠「あれは全く妹がわるい。当人も実に心得違いをしたと。しんに後悔をして。ああしておとなしくしていても。母に公然と逢いに来るわけにもゆかず。かんがえると実にふびんサ。
男「ソリャアもっともだけれど。君は養父母の義理を思っているからだが。君がそうふさいでいて。肺病にでもなってはなお不孝です。こんなことをいうとおかしいが。僕もずいぶん気の小さい方で。少しくだらんことが気になると。いてもたってもいられないようだったが。斎藤が無理やりに母に進めて。あの服部の浪子を妻(さい)にしてから。うちへかえってもかんがえるようなことはないのさ。何か読書でもしていて気の尽きる時には。琴を弾(ひ)かせたり茶を入れさせたり。少しは文学の相談もしたり。よほど気の晴れることがある。君なんぞは御養母(おっかさん)もああいう風だし。気のむすぼれるももっともです。干渉するようだが僕がせわをしようから。レディ篠原をこしらえ給えナ。
篠「実にあの浜子の一件の時分は激して。あれに優(まさ)る妻をとも思ったが。今ではただ気のどくだ不便(ふびん)だということばかり脳にあって。ちっともそんなことはかんがえん。アーなんだか咄しが理に落ちたじゃアないか。
男「ムーン。サア行こう。ヤアヤアなんだか書きちらかしてある。発句かネ。
 紅葉みにくる人もみな赤い顔。
 アハハハハ。くだらないことを。こういうところには和歌はまれだネ。
篠「まち給えヨ。あすこにおちているが和歌かしらん。おや鉛筆でもきれいにかいてあるヨ。
 いたずらに散りやはつらん紅葉(もみじば)も。まことの色をみる人のなみ。
 へんに慷慨(こうがい)な歌だネエ。どんな人がかいたのかしらんが。歌はイイネ。実に高尚(こうしょう)ないいものだ。
男「おばアさん。こりゃアどんな人がかいたのかしるまいネエ。多い中だから。
婆「どれでござります。アアそれは大方今十五ばかりのお坊さんと。一しょに休んでおいでなすった。お嬢さんのでございましょう。
篠「エ女……。なるほど女の手のようだ。これやア貫之風(つらゆきふう)だ。しかし歌というものは実に美術の一つで。なくっちゃアならないものサ。このごろの西洋家は玩弄物(がんろうぶつ)のようにいう人もあるそうだが。実にそういうものじゃアない。そうして歌をよみつけると。簡短に意味の深い文章がかけてくるし。幾分か気が高尚になる。一体女学校なんザア。和歌の一科をいれてもいいのサ」ト咄しながら向うのきしにさしかかれば。こなたにやすめる松島葦男。目早くみとめて。
葦「ねえさんねえさん宮崎さんが。
秀「オヤオヤ。どうも誠にその後はお目にかかりませんで。
宮「ヤアこりゃアいいところでお目にかかって。お二人ぎりかネ。
葦「あの姉があまり内にばかりいますから。すすめて同道いたしました。
宮「ソリャアいいご保養だ。篠原君僕のよくお咄し申した。松島の秀子さんです。お秀さんこの方は久しく洋行をなすって。こんだ技芸士の栄号を得て帰朝なすった。僕の親友で篠原さんとおっしゃるお方です。ちょっとお近づきに」秀子は近くへ進みより。おみしりおかれても口の内。ようようその人をみあぐれば。まゆ秀で鼻高く。口もと尋常にして愛きょうあり。留学をさえしたりとなれば。その学問のほどおしはかられて。いよいよ気高くみゆ。仇心(あだごころ)なき身ながらも。その様子の高尚なると。学術のほどのしたわれて。われしらず鼻じろむなるべし。勤もかねて聞き伝え。こうもやなど思いつる予想(おもい)のほかのおとなしさ。雪のように白き顔少しはじらいて。ほおのあたり淡紅(うすくれない)をおびたる。髪は束髪にたばねて。つまはずれの尋常なる衣服(こそで)は。すこしじみ過ぎし七ツ下りの縞縮緬(しまちりめん)。紫繻子(じゅす)とゆうぜんいりのかんこ縮緬の腹合せの帯をしめ。けんちゅうのくろき羽織をきたるみなりゆかし。勤は日ごろ欝々(うつうつ)としてたのしまざりしも。この活ける花をみては。紅葉の色もけたるるばかり。おなじようにはなじろみて言葉なし。さるぞとはしらぬ葦男はまめまめしく。サアこちらへ。とすすむれば。宮崎は腰をかけ。
宮「篠原君おかけなさいな……。お秀さん。あのあっちの紅葉の下に落ちていましたが。この歌はもしあなたのお詠(えい)ではござりませんか。
秀「オヤマアどうして」と少しはじらう風情あり。
宮「実に今までこのくらいに和歌のお出来なさることはしらなかったが。あなたなどは実に教育も充分あるし。家庭のおしえは自分みずからおさめておいでなさるから。こうしておいでなさるは実に何ですけれど。人にも知られんで散らしてしまうようなことはない。千里の馬も伯楽(はくらく)がどうとやらといいます。ネエ篠原君。
篠「実にそうサ。なんでもひそんでいる方がおくゆかしい。
宮「ソリャそうだが。あまり自分で自分を。いやしいもんだ何も出来ないもんだ。と卑下し過ぎてもいけないが。いく分か自分の気を高尚にもっていて。そうして自負せず。生意気にならないようにするのが学問の力サ。ネエーお秀さん。
秀「誠にさようでござりましょうネエ。私も学問を致して道理とやらがしりとうござりますけれど。
宮「イヤどうも欲の深いお秀さんだワ……。
秀「オヤお咄しを伺がっておりましたうちに。いつか日がくれかかりました。私どもはお先へご免をいただきます。葦男さん参りましょう。
宮「そうですか。なるほどあまり遅くなるは。若い人にはよくありますまい。さようならちとお遊びにおいでなさい。そしてこの篠原様へもちっとあがって。西洋風俗や学問のお高論(はなし)をお伺いなさい。こんどおつれ申しましょう。
秀「どうか願いとうござります。誠に失礼を致しました。さようなら。
篠「さようなら」ともろともにおしき袂(たもと)を分ちけり。アアこの佳人才子の出会こそ。月老氷人(むすぶのかみ)のなかだちで。好(こう)えんを結ばせ給うならめと。ただもろともにいとおしと。思う心を色にも出さず。心にしめて別れ行く。なかなかに傍(はた)の見る目もゆかしかるべし。
宮「どうですお気に入ったようですネ。君のお説にかなっている婦人でしょう。僕は他にあのくらいな感心なのはあるまいと信ずるヨ。
篠「エ。そうさネエ。
宮「そう冷淡なのがお気に入った証拠だ。どうです伯楽になっては。
篠「どうして向うの気位が高いから。
「ナアニ願ったりかなったりです」と出しぬけにいわれてふりかえれば。滝の川帰りの商人二人。
「それじゃア扇屋としましょう。
 宮崎は打ち笑い。
「ナンダ夕飯(ゆうめし)の相談か。しかし末広の扇屋とはうれしかろう。エ篠原君は……。

     第十二回

 所は芝の公園地。小高き岡に結構せし紅葉館と聞えしは。貴顕富豪宴游(えんゆう)の筵(むしろ)を開くそのためには。この東京に二とは下らぬ。普請の好み料理の手ぎわは一きわなるに。今日は祝いの席(むしろ)とて。四時過ぎころより入り来る馬車人力車は。さすがに広き玄関前もところせきまでつらなりたり。こは篠原子爵が宮崎一郎の媒(なかだち)にて。松島秀子と新婚の祝宴を開くなり。故子爵が世にあらば鹿鳴館などにて西洋風の饗応(きょうおう)をひらかるべきなれど。勤には養母が好まぬと。秀子がいまだ洋風の交際になれざるのみか。親戚朋友の内には。いまだテイブルのまわりにたかりて。立ちながらの飲食いよりも。吸物膳(すいものぜん)に坐りたるをうれしとする人多かれば。わざと世におくれてここに筵を開きしなり。
宮崎一郎「お前様誠におめでとうござります。
篠原母「ほんにお蔭様でよい嫁をとりまして。誠に安心致しました」と口にはいえど目元には。どこやらうるみの見ゆるもことわりなりと。一郎はことほぎ詞(ことば)も深くはいわず。すべり出でたるその跡より一座の人々誰彼とおのがまにまに祝いを述べつ。例の斎藤はほろ酔(え)い気げんの高調子。
斎藤「オイなみ子さんじゃなかった。ミスセス宮崎。あなたとあの浜子さんとは。随分仲をよくしていたようだったが。あんなことになってしまい。今日なんぞはなんでも第一の上客というはずだのに。つまらないじゃアないか。浪子「さようでござります」と挨拶のみ。跡を何ともいわざるは。上座におわす篠原の女隠居に遠慮あるゆえとは斎藤心づかなく、またそろ勤に向い。
「コレ勤君あの山中というやつは。あんなわるいことをする度胸なんぞのある奴ではないが。ただ一生懸命に故大人(こたいじん)の御気げんをとろうというところから。ソレ浜子さんは御愛嬢だから。竈(かまど)に媚(こ)びるという主義から。おべっかりがあんまり過ぎて。とうとうソレ……。だがそれもしかたがない。君があれまでにしてやったのに。あいつも例のシャーつくで。結構この上もない華族様の婿がねと。大きなつらをしたっても。実はこうだ。と僕初めいうものがあるものか。そうすれア人の噂も七十五日。いつかは消えてしまうのに。あの悪婆にそそのかされて。馬鹿ナ……。とんだことをやらかしたのだ。全体あの仕事はあいつの体にない役だ。一体色悪(いろあく)というよりは。むしろつッころばしという役の方が適当で。根っからいくじのないのサ。初めから目的もなんにもなしで。初手は故大人の御気嫌をとろうということばッかりで。浜子さんを一番だまかそうという気があったでは決してない。あの婆々(ばば)アの方だっても。向うの閨淋(ねやさび)しいところから何とか言われたので。前方から世話になっていて。まさかに恥もかかせられないとかいう。ひょんな人情ずくもその内の一分子サ。だがちょっと手を出したからには。モウあの悪婆に制せられて。トントン拍子にあれまでの仕事をしたのサ。一体人間というものは。己れに守るところがなくって。ただ外物に従って周旋すると。心にもない大悪事をしでかすもので。山中もマアそんなものサ。大きくいえば漢の荀□(じゅんいく)が曹操(そうそう)におけるがごとしともいおうかネ。あの西郷も僕にいわすれば。やっぱりそうだ。薩摩(さつま)の壮士に擁せられ。義理でもない義理にからまれて。心にもなく叛賊(はんぞく)の汚名を流したは。守るところを失なったといわざるを得ずだ」少し小声にて m(エム) も大分持ち出したそうだ。このごろは婆々にめしあげられて。いよいよつきだされたかもしれない。そうしてみると浜子さんはいよいよかあいそうだ。と場しらずの物語に。人々は目と目を見合わするのみ。いらえさえするものなければ。ようやくに心づきごまかしかたがた酒興に乗じ。かねて覚えの謡曲(うたい)一節(ひとふし)うたい出でたるおりから。
宮崎「実に姻縁(いんえん)は不思議なもので。愚妻などもかねてより近くは致しおりましたが、こうなろうともおもいませず。また君には……。ウーンあんなこんなかねて期せざる御縁辺はお互いにネ。
勤「さよう今までのことをかんがえると随分小説めくで。今夜の祝宴なんぞは。かのめでたしめでたしとやるところだ」と語る声斎藤の耳に入りたれば。大きな声にてめでたしめでたし。
 附けて言う。松島葦男はその後大学に入り。工学を修め。卒業の後。ある一大土木の工を督し。人に名を知らるるに至り。後に宮崎一郎の妹と婚姻を結びしとぞ。斎藤の妹松子と相沢品子とは。その後師範学校に入りて。いずれも才学をもって名を知られたりしが。かねてかたれる志のごとく。女学士にて夫をも持たず。一生を送りしや否や。その将来は知るによしなし。
 山中正とお貞の行末はたしかならねど。斎藤が推察に違(たが)わぬ結果なるべしと。人々はいえりとぞ。




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