藪の鶯
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著者名:三宅花圃 

     第一回

男「アハハハハ。このツー、レデースは。パアトナアばかりお好きで僕なんぞとおどっては。夜会に来たようなお心持が遊ばさぬというのだから。
甲女「うそ。うそばかり。そうじゃござりませんけれども。あなたとおどるとやたらにお引っ張り回し遊ばすものですから……あの目がまわるようでござりますんで。そのおことわりを申し上げたのですワ。
男「まだワルツがきまりませんなら願いましょうか。
ときれいにかざりたるプログレムを出して名を書きつける。
男「では今に」とこの男は踏舞の方へゆく。つづいてあまたの貴嬢たちは皆其方に行きたりしあとに残れる前のふたりのむすめ。
甲女「あなた今のお方御ぞんじ。
乙女「エーあの方は斎藤さんとおっしゃって。宅へもいらっしゃりました。
甲女「オヤさようでござりましたか。わたくしはこの間おけいこの時お名をはじめてしりましたよ。もとからよくおみかけ申す方でしたが。なんですか少し軽卒なお方ねえ。そうしてお笑い声などが馬鹿に大きゅうござりまして変な方ですねえ。
乙「デモあの方は学問もおあり遊ばして。なかなか磊落(らいらく)なよい方でござりますヨ。
と互いにかたらうこの二嬢(ふたり)は。数多(あまた)群集したる貴嬢中にて水ぎわのたちたる人物。まず細かに評せんには。一人は二八ばかりにして色白く目大きく。丹花の唇(くちびる)は厳恪(げんかく)にふさぎたれどもたけからず。ほおのあたりにおのずから愛敬ありて。人の愛をひく風情(ふぜい)。頭(かしら)にかざしたるそうびの花もはじぬべし。腹部はさのみほそからねども。洋服は着馴(きな)れたるとおぼし。されど少しこごみがちにてひかえめに見ゆるが。またひとしおの趣あり。桃色のこはくの洋服を着して。折々赤きふさの下りたる扇子にて。むねのあたりをあおいでいる。
 側(かたわら)に坐したるは。前の嬢(むすめ)にくらべては。二ツばかり年かさにやあらん。鼻たかくして眉秀(ひい)で。目は少しほそきかたなり。常におさんには健康を害すなどいいてとどめたまう。かの鉛の粉(こ)にても内々用いたまいしにやあらん。きわだちて色白く。頭(かしら)はえりあしよりいぼじり巻きに巻き上げて。テッペンにいちょうがえしのごとく束(つか)ねて。ヤケに切ったる前がみは。とぐろをまきて赤味をおびたり。白茶の西洋仕立ての洋服に。ビイツの多くさがりたるを着して。少しくるしそうにはみゆれど。腹部はちぎれそうにほそく。つとめて反身(そりみ)になる気味あり。下唇の出(い)でたるだけに。はたしておしゃべりなりとは。供待ちの馬丁(べっとう)の悪口。総じていわば。十人並みには過ぎたるかたなり。前の貴嬢は少しかんじたというようすにて。
乙「しの原さん。あなたのおあにい様も。モウお帰りが近づきましたねえ。
篠原「エエ夏ごろに帰るといってまいりましたけれど。わたくしゃアいやですワ。めんどくさくって。
乙「オヤなぜでしょう。あなたおたのしみでしょうにねえ。そうして学校のお下読みや何かしておいただき遊ばすにようござりましょう。
篠「ナニわたくしはもう学校へまいりません。アノ父が胃弱で当節は大そうよわりましたし。母は御存じのわからずやですから。家事も半ば私くしが指揮いたしますので忙がしくって。
乙「オヤ。では英学はどう遊ばしました。おやめではござりますまい。でもあなたぐらいコンバルゼイションがお出来になればよろしゅうござりますネ。
篠「どうして。私くしは充分英学を勉強したい気ですから。このごろではあの御存じでしょう。山中というあの人は。学力もありますからたのんできてもらいます。随分忙がしゅうござりますよ。毎日毎日英語のけいこもいたしますし。うちのことや何かなかなか大変でござりますが。どんなに忙がしゅうござりましても。キット踏舞には参りますわ。
乙「デモおとと様がおわるくてはいらっしゃられますまい。わたくしもうちで交際の一ツだと申して勧められますけれど。どうもまだ気味のわるいような心持がいたしまして。外国人とはよう踏(おど)られません。それに学校の方が忙がしゅうござりますから。めったに参りましたことがござりませんので。お近づきがまことにござりません。
篠「ナゼあなたそんなにお気がすすまないでしょう。私くしは宅にいてくさくさしても。ここへまいりますと。急に気がアクチブになりますよ。あの西洋じゃア踏舞をしない人を。ウォールフラワア(かべの花)と申していやしめますとサ。あなたもそのおなかまですか。オヤオヤ宮崎さんが久しぶりできていらっしゃりますヨ。あの方は御器量もよし。なんでもお出来になりますッてね。御きりょうのよいも人柄を直(ね)うちするもので御りっぱにみえますネ。あの方のパアトナアはどなたでしょう。大そうせいの低い。オヤいやなかっこうの洋服ですこと。日本人はせいがひくくってみすぼらしい上に。さぎが鰌(どじょう)をふむようなふうをして。あれですからきつけないと困ります。私くしはふだん洋服でおりますが。母がいつでも下にあるものを裾(すそ)でもって行くと申しますから。西洋では下へものはおきません。おくほうがわるいといつもけんかをいたしますワ。
乙「あなたは御格好がよろしゅうござりますから。よろしゅうござりますよ。あの宮崎さんのお妹(いもと)さんは。まことに西洋人のようでござりますヨ。私くしの学校中でも御きりょうが一番よいという評判でござります。
篠「オヤ。でもあの方のシスタアは。目が大きいからこわいというではござりませんか。ものもよく出来ますか。
乙「エエ今年お十四におなりあそばしたのですが。お年ににあわずなんでもよくお出来になります。
篠「あのあなたは御平生(ごふだん)もお洋服ですか。
乙「いいえ。ぜんたいふだんにきませんでは。軽便なこともわかりませんに。よそへ行く時にばかりだれもきますようになっておりますから。ただ華奢(かしゃ)にばかりながれて。田中屋の白木屋のと服の競争をするようなもので。わたくしもどうかきるならば。平生にきたいと存じますけれど。塾(じゅく)も日本造りでござりますから。思うように参りません」と咄(はな)しをしているうち。一曲の踏舞は終り。斎藤は宮崎とともにいできたり。
斎「じゃア浜子さん願いましょう」とかのいぼじり巻きの貴嬢を連れて行く。
宮「オヤ。ミス服部(はっとり)しばらくでした。
服「宮崎さんどう遊ばしました。
宮「少し不快で。毎度妹がお世話になります。あなたが朝夕おせわくださるので。このごろでは日曜も帰りたくないと申しています。
服「なに少しも行き届きません」と咄(はなし)の内はやまた曲のはじまりたれば。
宮「では久しぶりに願いましょうか。
服「どうか」とこれより立食などさまざまありて。午前一時ごろ馬車の先追う声いさましく。おのおの家路におもむきぬ。これはこれ鹿鳴館(ろくめいかん)の新年宴会の夜なりけり。

     第二回

 今川小路二丁目の横町を曲って三軒目の格子造り。表の大地は箒木目(ははきめ)立ちて塵(ちり)もなく。格子戸はきれいにふききよめて。おのずから光沢をおびたり。残ったる番手桶(ばんておけ)の水を撒(ま)きたるとおぼしき。沓(くつ)ぬぎのみかげ石の上に。二足ばかりしだらなくぬぎすてたるこま下駄(げた)も。小町という好み。二階には出窓ありて。竹格子にぬれ手ぬぐいのかかりあるは。下宿屋にもあらず。さりとて学校の外塾には無論なし。察するにこの二階は。主(あるじ)の死去したるかまたは旅行中にてあきたるがゆえ。日ごろ懇意なる人に。どろぼうの用心かたがた貸したるとおぼしけれど。これも少し無理こじつけの鑑定なるべし。この二階の食客(いそうろう)は。年ごろ二十七八にして。目鼻クッキリと少しけんはあれども。かかる顔だちをイキとやらたたえて。よろこべるむきの人もありとぞ。チョイと二ツにたたんだる嘉平(かへい)の袴(はかま)。紫のふろしきにつつんだる弁当箱など。まず出来星の官員ならんか。湯がえりとおぼしく。目のふちをほんのりあかくして。窓の上へ鏡をのせ。しきりに頭をかきつけていると。あだなる声にて。
女「アーあたしがそう申すよ」と二階をどんどんあがってきて。チョイと顔を出し。
女「オヤきれいにおつくりが出来ましたネ。たばこの火を持ってきました」と十のうを片手にもって。火鉢(ひばち)の傍へチョイと立てひざをしてすわる。年ごろは三十ばかり色浅黒くして鼻高く。黒ちりの羽織も少し右の袖口(そでくち)のきれかかりたるに。鹿(しか)がすりの着物えり善好みの京がのこも。幾度かいけあらいをしたという半襟(はんえり)をかけて。小前がみのあとのすこしはげたるを。松民(しょうみん)の蒔絵(まきえ)をした朱入りの櫛(くし)で。毛をよせてぐっと丸わげの下へさし込んでいる。ハテあやしやナアというけだもの。火を火鉢へとりながら。一心に巻きたばこの死がいを片づけている。年に似合わず口のきき方はあどけなきかたなり。
女「ネー山中さん。モーいいかげんにしてこっちをおむきなさいヨ。あのネさっき……あの今におたのしみ。
山中「ナゼ。
女「なぜッて大へんにいいことがあるのです。きかしましょうか。
山中「拝聴拝聴。
女「アノさっき私しが湯に行きましたろう。すると留守に黒鴨(くろがも)のこしらえでリッパな車夫がきて。あなたおうちかッて聞きましたッて。清(きよ)がるすだッていいましたら。では後ほどまた伺います。ぜひお目にかかりとうございますからッて。帰りましたッて。清がそういいましたよ。大へん品のいい西洋服のお嬢さんが。格子の外に車にのってまッていたッて。なんでもキットあの方にちがいないと思いますわ。
山「だれ。
女「おとぼけなさるなヨ。しれたこと。しの原さんのヨー」と少し鼻ごえで力を入れていう。
山「アアあのおてんばか。僕がしばらく行かなかったから。英書の質問に出かけてきたんだろう。あの西洋好きにも困るよ。傍へよるとなんだか毛唐人くさくって。
女「オヤいつ傍へよって。
山「そりゃアなにサ。毎日毎日けいこに行くから。あのちぢれっ毛の前がみをつきつけられつけていらア。
女「だけれどこうしていてもそんな別品がきちゃア気が気じゃアないワ」とすこしわらいながら。
 ほんとに姉女房は心配だワ。だけれどキットうしろぐらいことはないのエ。後暗いことは。エエ。
山「ナニあるもんか。
女「どうだか。
山「かつてなしだ。
女「フーン」と笑っている。下女のお清がバタバタ中だんまであがって来て。
清「御新(ごしん)さん御新さん。玉子屋がきましたヨ。
女「今日はいらないヨ。
清「でももうありませんヨ。
女「いらないヨ。
清「あれだもの。いつでも二階へあがると。ちょッくらちょいとおりてきやアしないよ」とぶつぶついいながら台所へきて。
清「おばアさん今日はいらないとヨ。
婆「ハイハイありがとうござります。またおねがい申します。
清「マアかけて一ぷくおのみヨ。
婆「じゃア少し休ましておもらい申そうかね。ドッコイショ。おめえさまはいつも身ぎれいにしていなさるネ。しの原様の女中衆(しゅ)とおめえさまばかりだ。身ぎれいにしているは。だが篠原さんのは洋服だからおかしい。
清「おやおまえ篠原さんへはいるの。
婆「アア行くどこじゃアない。いいお得意様サ。三日にあげず五六十ズツもかっておくんなさらア。
清「じゃアあの嬢さんもみたろう。美しい女だろう。
婆「いい女にゃアちげえねえけれど。わたしらが目には高島田のほうがいいのさネ。
清「あの嬢さんはうちの山中さんネ。
婆「ムムあのいい男か。
清「アアあの人に大あつあつヨ。
婆「だっておめえさんはこなえだ御新さんとへんだっていわしったじゃアないか。
清「アアどうも御新さんとも変にちがいないよ。一昨夜(おととい)の晩もよせへ行くと二人で出ていって。一時近くまでかえってこないから。ウトウトいねぶりをしていると。車の音がしたから。飛んで出て格子をあけて見ると。二人相のりでぐでんぐでんによって帰ってきなさったが。山中さんは男がよくって。口先がいいからだれでもまようヨ。だけれどあの人もネエかあいそうヨ。あの西郷の時におとっさんが陸軍の少尉とかを勤めていて。あっちで討死をしてしまって。その翌年にはおっかさんが病気で死んで。身より便(たよ)りもないものだから。うちの旦那(だんな)がまだ生きている内に。かあいそうがって商買(しょうばい)の手伝いをさしたり。何かして家へおいてやって。しぬ前に篠原さんへたのんで官員さんにしてやったのだが。少し横文字が出来て。口先がよくって。如才ないものだから。だんだんあがって。今は二十五円もお取りなさる。あの人はそういう如才ない人だし。内の御新さんももとが泥水社会(どろみずなかま)の人間だから。なかなか後家をたっちゃアいられないよ……。おや取次ぎがあるようだヨ。
婆「じゃアまたこんだお願がい申します」と玉子屋は帰り行く。お清はチョイとおもてをのぞいてみて。あたふた二階へ上りかかれば。ちょうど下りくる主人(あるじ)のお貞。
貞「だれー。
清「あのさっきの。
貞「じゃア二階へお通し申して。あのおよびなすっても聞えないといけないから。次の間についておいでよ」お清はたすきをはずしながら。
清「フーンとんだお張番だ。
貞「エ針箱がどうしたの。
清「ナニあたしの針箱が通りみちに。オヤまたよぶヨ聞えていらア。ドーレ。
○よくいえばわるくいわるる後家のかみ。とたれやらが口吟(くちずさ)みけん。後家(おんなやもめ)の世に処することぞ難かりける。むかしの慣習にて主の死去したる時は一途(いちず)にはやまりて松の操色かえじと。プッツリ思い切りかみも。ようやくのぶるにしたがいて。アアあのかみをかもじにして。今さら丸わげにも結われまいか。時たまは束髪か櫛巻きにしてみたいと。かえらぬ悔いのなきにもあらざるべし。むしろ女やもめに花をさかせて。あからさまによめ入らん方(かた)ぞしかるべき。泰西諸国(せいようくにぐに)にては。公然(おおやけ)に再縁してはじざるときくものを。何をくるしみてか。松ならぬ木を松めかして。時ならぬ寄生木(やどりぎ)の生(お)い出でけん折。色かえぬ操の名にも似ず。顔に紅葉(もみじ)するははずかしからずや。

     第三回

 巍々(ぎぎ)たる高閣雲に聳(そび)え。打ち繞(めぐ)らしたる石垣(いしがき)のその正面には。銕門(てつもん)の柱ふとやかに厳(いか)めしきは。いわでもしるき貴顕の住居(すまい)。主人(あるじ)の公(きみ)といえるは。西南某藩(それはん)の士(さむらい)にして。維新の際(とき)人に勝(すぐ)れたる勲功のありし由は。門に打ちたる標札に。従三位(じゅさんみ)子爵某(なにがし)と昨日今日墨黒(すみぐろ)に書きたるにても知りぬべし。さればその昔し尊王を唱え攘夷(じょうい)を説き。四方に奔走せし折は。西洋文明の国々をも。醜夷と卑しめ黠虜(かつりょ)と罵(ののし)りし癖の。いま開明の世運に際するも。まだぬけかねたるを。同じ藩士にて。今内閣に時めきたる親しき人々が。かくてはついに世の風潮に後(おく)るべし。官職を帯びて洋行し。西洋各国を巡視せば。必ず悟るところあるべしとの勧めにより。一歳(ひととせ)欧州に遊歴せしに。帰朝の後は打って変りたる洋癖家となり。わが国の食物は衛生に害ありとて。もっぱら西洋の割烹(りょうり)を用い。家屋(すまい)も石造玻窓(はそう)にかぎり。衣服は筒袖□布(らしゃ)ならでは着するを厭(いと)い。家の婢僕(ひぼく)に至るまでも。わが国振りの衣服を着せしめず。皆洋服の仕為着(しきせ)を用いしむるまでにして。一も西洋二も西洋と。かの風俗(てぶり)をのみまなぶこととなりぬ。これなん第一回にいでし。篠原浜子の父通方(みちかた)なり。年は五十をこしたれども。男子(なんし)なくただ一人の女子(にょし)浜子のみなりければ。愛に溺(おぼ)るるとにはあらざれど。おのずからしつけもおろそかなるに。西洋の風とさえいえば何事もよしとして。西洋の娘子(むすめ)は交際をもっぱらとし。芝居見物。夜会。踏舞と昼も夜も遊びくらすものなりなどといえる咄しさえききかじりて。学校の修業などは二の次として。ピヤノ。バイオリンなどの稽古(けいこ)にのみ身をよせさせつ。またかの家庭の訓(おし)えは母親にありというなるに。そが母は元よりの田舎(いなか)そだちにて。一と通りの読み書きさえもおぼつかなきゆえに。浜子はいとど見落しつつ。教育なき女子は仕方なしなどと。口に出(いだ)していうほどなれば。もとよりそのいうことをきくべきようはなし。されば一家の内にありては。浜子はわれ一人のごとくふるまいおるも。誰一人とがむるものなければ。こころあるものはひそかに爪(つま)はじきしてそしりあいしとかや。
中働き下女「オヤお前はどうしたのだ。まだお嬢様のお帰りのないのに。そんなに寝そべってサ。
下女「ナニもう十二時ではございませんか。男でさえそう夜ふかしはしませんのに。なんぼだってもネ。
中働き「またそんなことをおいいだ。殿様がお聞きならじきニ大眼玉だヨ。西洋というところでは。夜会では夜明かしになるのはあたりまえのようなものだから。娘の子なんぞは朝はいつでも十一時か十二時まではおきないと。ふだんおっしゃッて。日本もはやくそういう風俗にしたいなんどと。おっしゃッてではないか。
下女「それでもどこのうちもそうならいいけれども。こなたなどでは夜おそいばかり。朝はやっぱりお隣やお向うでおきる時分にはおきなければならないから。ツイねむくなるの。
中働き「そうサ。それはわたしたちばかりではない。奥様でも随分西洋風にはお困りサ。いつかもどうもたべつけたものだから沢庵(たくあん)がたべたいとッて。上ったことがあったが。その時いた書生さんが悪口に。令夫人は殿様にかくして。沢庵とまおとこをなさったといったことがあったよ。アハアハ。それはいいがお嬢さんがお帰りでも。なかなかすぐにはおよらないで。今日はだれさんと一しょにおどったとか。まただれさんがこういったとか。いつでもしまいには。あの山中さんののろけをうけさせられるのがつらいの。
下女「ソレデモあの洋行していらっしゃる若様が。殿様の遠いお続きとやらで。お嬢様のお婿様だというではないか。それにあんなことをおっしゃってもいいのかネ。
中働き「そこが開化とやらで。おまえのような旧弊をいってはいけない。なにもあやしいわけがなければ。男と女の附合いはアア開けた風でなければいけないと。いつも殿様がおっしゃるよ。
という折から馬車のおとガラガラガラ。馬丁(べっとう)の声「お嬢様おかえり……。

     第四回

 九段坂より堀伝えに。ほおの木歯(きば)の足駄をガラガラ。と学校の帰りにやあらん。年ごろはおのおの十五ばかりなる二三人の少年。一人は白き帆木綿(ほもめん)のかばんをこわきにかい込み。毛糸織りの大黒頭巾(だいこくずきん)を戴(いただ)きたる。身柄いやしとはみえねど。他の二人にくらぶれば。幾分か麁末(そまつ)なるところあるがごとし。少ししまがらのはでに過ぎたるめんめいせんの綿入れも。あかづきたとにはあらねど。つぎめ肩のあたりにしるくて。随分きからしものとみえたり。
△「君きょうのレッソンはデフィガルトだったねえ。
□「アーだけれど僕は昨日ブラザアに下読みをしてもらったから。すこぶるイージーだったゼ。
○「僕もおやじにしてもらったヨ。松島君はだれも下読みをしてくれてがないから。どうしても講堂じゃア出来ないけれど。そのわりにゃア試験に好結果を得るから希代(きたい)だヨ。
□「松島君のうちゃア姉さんばかりでよく月謝に困らないネー。どこから金が出るのだ。
○「それやアあし男(お)くんの姉さんが。なかなかえらいもんだっサ。この間僕の父(おやじ)が一番町の宮崎さんへいったら。あっちの長屋にお秀という娘があるが。毛糸編みの内職をして弟の学費に充(あ)てるといったとサ。公債証書ももっているけれど。姉さんが少しも手をつけんとサ。
□「そうかあし男君ほんとか。
葦「ウウン。僕はそんなことはしりゃアしない。失敬。
○「ヤアここから別れるのか。じゃア君あすさそうゼ。
葦「ナニさそってくれんでもいい。
○□「グードバイ。
○□「君きゃつはかくしているゼおかしいやア」という声をあとに残して。チョッいまいましいという顔色。口をムグムグやりながら坂をあがって。三丁目谷のとあるうちまで一さんにかけてきて。格子をガラリバタリ。どたどたとあがる。
秀「オヤ葦男さん。今日は大そうおそかったネ。おっかさまの御命日で。お茶の御ぜんを焚(た)いたから。お肚(なか)がへったら。おむすびにでもしてあげようか。
葦「ナニ何もいらない」と帽子と弁当をほうり出す。
秀「オヤオヤいけませんネー。あたしはこのショールを一つあむと。糀町(こうじまち)の毛糸屋へいってこないではなりませんから。いつものように机を出して一遍さらっておいで。そして今におしえて下さい。
葦「アア。姉さんもう来月はおとっさまの三年になるねえ。りっぱにしたいねえ配り物でもして。
秀「だって御生前(ごしょうぜん)の御知己でお配り物でもするようなおうちがあるといいけれど。お国から出ると一昨年(おととし)去年と引き続いて。おとっ様もおっか様もおなくなりになるし。国には遠い親類もあるけれど。国へかえればおまえもあたしも。ほんとの無学文盲になるから。なんでもあたしが一生けん命になって。東京でお前をえらいものにしたいと思っていますから。そのつもりで勉強して下さいヨ。あの宮崎さんはいろいろおせわにもなるし。親切にお店(たな)ちんまでやすくして下さるから。御命日にはおはぎでもこしらえて。もっていってもらおうと思っています。
葦「アア。そうして宅(うち)の公債証書はどのくらいあるノ。
秀「そうネー。千五百円ばかりあります。もっともおっかさまがお死去(なくなり)なすった時。おとむらいだのなんかによっぽどつかいましたが。もうもうあればかりはそっととっておいて。お前もあたしも身のかたまる時の大事な資本です。
葦「だけれどネねえさん。僕はもうじきに大学の官費生にはいるから。もう三年ばかりのところ。あのお金を出してつかって。姉さんも塾にはいッて。二人とも勉強した方がいいじゃアないか。
姉「イイエそういうけれど。今つかってしまっては。せっかくおとっ様のおほね折りも水の泡(あわ)になりますヨ。あたしがこうして内職をして。月々のこったのを。三銭五銭ぐらいずつ郵便局へあずけたのが。二円五十銭ばかりになりますから。ほしいものでもあるならそれでお買いなさい。
葦「ほしい物なんざアちっともないけれど。学問好きのねえさんが。毎日毎日毛糸あみばかりしていて。僕はなんだか気の毒だもの。
秀「イイエ学問はお前が学校でならってきたところを。よく覚えておしえて下さるから。学校へいって勉強するも同じこってす。あたしを気の毒とお思いなら。早くりっぱな人になって下さいヨ。なかなかお前の今の学力では。大学へ入校もどうだかしれません。こんど宮崎さんへあがったら。あの方は文学士で大学の助教もなさるそうだから。よッくお前の志操(おもうこと)を咄してお願い申しておいでなさい。
葦「アア。だけれど僕アくやしくってたまらんもの」とうるみごえになる。
秀「ナニガ。ぜんたい神経質(くろうしょう)でくだらないことを気になさるヨ。どうしたの。
葦「だって僕のことを。ねえさんの毛糸編みの内職の金で勉強するいくじなしだ。姉さんのすねかじりはめずらしいというもの。みんなは両親があるからいいけれど。
秀「ですから両親ほど大切なものはありません。お死去(なくなり)なすってから。いくら孝行をしたいとおもってもおッつかない。そんな愚痴はおやめにして。御仏壇へお線香でもあげておいでナ。オヤおかしな人涙ぐんで。そんなきのせまいことではいけませんネ。つれづれ草にもありましょう。心をもちいること少しきにしてきびしき時はものにさかう。というじゃアありませんか。なんでも気をおおきくもって。そんなことをいった人に後来(すえ)をみせて。赤い顔をさせておやんなさい。
 まだ十七の乙女(おとめ)には。めずらしきまでさとりたる顔はすれども。しかすがに弟の心。亡(な)き親のことを思えば。思わずもそらにしられぬ袖の雨。顔をそむくる折も折。
「ヘイ今日は。豆腐屋でござい。
葦「姉さん豆腐屋が来たヨ。
「豆腐屋でござい。
葦「姉さん聞えないの豆腐……。
秀「きこえましたヨ。
 ようように顔をなおし。
秀「きょうはいりませんヨ。

     第五回

葦「御免なさいまし。
母「オオ葦男さん。なんだえすぐお通りナ。今日は一郎も家にいますし。斎藤さんも来ておいでだ」というは。本卦(ほんけ)がえりにモウ二ツ三ツという年ごろ。頭は切下げにして。少し小肉のある気さくそうな婆さんは。葦男姉弟(きょうだい)の借住居せし長屋のあるじ。宮崎一郎の母なりけり。
 葦男はズット通り。宮崎斎藤に挨拶(あいさつ)し。またその母にむかい。
葦「あの今日は亡父の三回忌に当りますので。わざと志の牡丹餅(ぼたもち)を拵(こし)らえましたが。姉の手でござりますから。うまくはござりますまいが。どうか召し上ってくださいまし」と手に携さえし重箱に。袱(ふくさ)をかけて差し出せば。
母「なるほどそうでござりました。お早いものでござります。斎藤さんはたしかお宗旨違いだったが。一郎ご覧おいしそうなこと。
宮「葦男さん学校は御出精かね。斎藤さんが今も。大そう進歩が早い。才童の評判がある。といってほめなすってであッた」この斎藤というは葦男の通学する。学校の教員なるべし。
母「ほんとうにこの仏様も。草葉の影でお悦(よろこ)びでござりましょう。それに斎藤さんお聞きなさい。この子の姉さんが実に感心でござります。少しはおとっさんのお蓄(たくわ)えもあって。今でも公債の利子が。月々八九円はいるそうですが。それをへらしてはならないとって。なんでも毛糸編みをして。それで姉さんがお飯(まんま)まで炊いて。その上この子の学資を……。
葦「お伯母さんうそでござります。そんなことはござりません。
宮「葦男さん。お前は姉さんが内職をするなんということを。恥とでも思ってお隠しかしらんが。それは恥じることではない。自慢していい咄だ。人は己(おの)れの力で食わなければならない。姉さんなんぞはほんとにえらいもんだ。と僕のうちでは陰でほめているのサ。ネー斎藤さん。
斎「それは実に感心なわけだ。
母「そしてそればかりではない。自分では学校へ通うことが出来ないからといって。この子が帰って来ると。すぐとその稽古しただけはうつしてもらうところが。器用なたちで覚えがよいから。今ではこの子が下読みをしてもらうくらいになったとネ。葦男さん。
葦「それはほんとでござります。わたくしの忘れたところはみんなねえさんに……。
宮「そうか。国語学では葦男さんは年に似合わずよく出来るとのことだが。そうして見れば姉さんの力かネ。
葦「ハイ亡父のおりました時に。姉は始終下田歌子さんのところへ通学致しまして。歌などの稽古をしたり。書(ほん)を読んだりしましたので。一通りは私も姉からおそわりました。
宮「なるほど。英語はどうだネ。
葦「第四リーダーと万国史を読んでおります。
斎「それりゃアえらいこった。才童といわれるもそのはずだ。僕は化学の方ばかりだから。まだあし男さんにはお近づきにならなかった。
葦「さようでござりますか。私くしの方ではよく先生を存じております。
母「そうだろうネ。そんなによく出来たら。今にいい官員さんにおなりだろう。
宮「おっかさん。そんなことを子供にいい聞かせると。とんだ間違いの種になります。葦男さん。学問は官員になって月給を取るためではない。この社会に利益を与える人になるためにするのだ。斎藤君。今の大学でも政事や法律で卒業する者は。いずれ官員になるのだが。文学や工学で卒業するものに比しては。皆(みんな)学問は出来ないのがおおいというと。御同前の田へ水を引くようだ。アハハハ。それだから葦男さんも。官員なんぞという文字は脳中にないようにして。世のためになることをしようとお心がけなさい。
斎「官員といえば山中はどうしたろう。この節は役所のはぶりがいいとかで。等も進んだそうだ。仕方のない男だが。あんなのが人気(じんき)にあうのサ。まア僕らの学術上で分析すれば。ゴマカシュム百分の七十に。オペッカリュム百分の三十という人物だ。アハハハハ。
宮「あれでかれこれ御同前の三分の二ぐらい月給をとるのだから。官員は名誉にも何にもならない。
斎「そうだがこのごろはどんなソサヤジーにも面(つら)を出して。高等官の中間(なかま)にでもはいったように威張っているそうだ。
宮「ナニサあれは篠原子(し)と。ことに例のがひいきして引っ張り廻すからサ。
斎「例のとなんだかおかしな咄を聞いたが。
宮「それは決してあるまい。あっちが顔のいい上にあんなにはねッかえりで、瓜田李下(かでんりか)の嫌疑(けんぎ)なんぞにかまわないところへ。こっちがおかしくべたべたするたちだから。おかやきがやかましいのサ。そういえば君はあの女学校も兼勤だったね。篠原のは退校したとか。
斎「退校したが全体ピヤノなにかはよく出来たが。跡のことは容子ほどにはいかないから。来年の卒業もどうかと思っていたくらいだ。退校もよかろう。しかし英語だけは山中が始終おしえにいって。近ごろ少し出来てきたということだが。篠原のは親父のおかげもあるし。むやみに交際に出かけるから。女学校で一時評判にはなったけれど。末頼もしい生徒はマア学校にはなしサ。しかしあの服部のは私塾にいるが。温順で怜悧(れいり)で生いき気がないから感心サ。
宮「ソウサ僕の妹も同塾でよく毎度せわになりますが。年に似合わず親切には感心します。
葦「さようなら。
母「オヤだしぬけにおかえりか。ねえさんによろしく。

     第六回

 夜具戸棚(とだな)に隣りたる一間の床の間には。本箱と箪笥(たんす)と同居して。インキのこぼれたる跡ところどころにあり。箪笥の前にはブリッキの小さなかなだらいの中に。くせ直しのきれ丁寧にたたんではいっている。その側(わき)に二三本のけすじたてに。びんぐしが横たわりてあれども。あたりはさすがに秩序整いて。取りちらしたるものもなし。今使いがもち来たりしとみゆる包みを前におきて。窓によりかかりたる一人の生徒。ふじびたいのはえぎわへ。邪見に手をつっこんで。前髪の下りたるを幾たびかなで上げながら。西施(せいし)のひそみにならえるか。靄々(あいあい)たる眉(まゆ)のあたりに。すこししわをよせて。口の中で手紙をよんでいるところへ。来かかりたる女生徒。目は大きやかなれどどこにか愛敬あるが。そっと障子を明けて。
女生徒「服部さん。あなた今日はお帰りにならないの。
服「エエ今この手紙が来まして。今日は帰るなといってきました。
女「そう。にぎやかでいいこと。あの英和字彙(じい)があるならお貸し遊ばしてちょうだい。
服「サアサアお持ち遊ばせ。今何かもたせてよこしましたから。マアはいってめし上がっていらっしゃいナ。
女「ありがとう。ではあの斎藤さんもおよび申しましょう。斎藤さん斎藤さん」と隣の部屋の口から呼ぶ。
斎藤「なにー。私は今日ねむくってしょうがないのヨ。そのくせ夕べは八時ごろに講堂でいねむりをして。相沢さんにおこされて。びっくりしてお部屋へかえって。寝巻もきかえないでねてしまった。アー」と大あくびをしながら。バタリと障子をしめて入り来たる。
女「アラ斎藤さん下手(げす)の一寸ヨ。
斎「よくってよ。あんまりこもっているから。炭素を追い出してやるんだワ。
女「あんな口のへらないこと。
斎「口はへらなくってもおなかがへってヨ。なにかおしょうばんにあずかりたいこと。
女「ですからおよび申したの。
斎「および遊ばすからおいで遊ばしたのヨ……。ドレですコレ。お内からきたの。お包みを明けますヨ。オヤオヤ風月堂のカステイラに。落花生(らっかしょう)が一袋。この袋は五銭ばかりのふくろネー。この重箱の下は。オヤオヤお菜ネー。白魚とくわいのお手料理は。きっと奏任官の令夫人が。お浪(なみ)にたべさせたいとおこしらえ遊ばしたの。アア親の恩は海より深し。
女「斎藤さんしゃべってばかりいらっしゃると。みんなわたくしがいただいてしまいますヨ。
斎「ですがネー。わたくしは夕べおかしな夢を見てヨ。福ちゃんがネ女になって。私の兄のところへよめに来たいといいますから。そんなことをいわないでほんとの男になって。あたしのおむこさんにおなんなさい……。兄さんはネ。夜会でお目にかかるミス服部という人が大へんに好きですから。お気の毒様といったら福ちゃんがおこって。
女「ヨー斎藤さんもうおよしなさいヨ。サア」トかすていらをペンナイフで切って出す。「メネーメネー。サンキュー。ホワ。ユウワ。カインド」と片言の英語を囀(さいず)りながらチョイとつまんで「それからネー宮崎さん。
宮「モウおよしなさいヨ。あなたは磊落(らいらく)だからおかまいにならないけれど。ヨーもうよして頂戴。
斎「ヘイヘイ恐れ入りました。じゃア相沢さんをつれてきて。あたしは一しょにお咄しをするワ」とバタバタたべながらかけて行く。
宮「ほんとに。クイッキ、モーション(Quick motion)ナ人ネー。
服「ですけれどもあの方は兄さんによく似て。才はなかなかありますよ。いくらもアーいう人があるもんですヨ。
宮「だけれどほんとにいやなのはあのおなま(朋輩(ほうばい)生徒か)さんネー。いやに体裁ばかりつくって。何か自分の作文の点でもわるいと。ヤレいそがしかったからいけなかったなどといいわけばかりして。そのくせに西洋好きでいらっしゃって。内地雑居になるとどうだのこうだのとおっしゃるのヨ。私はあんまりくやしくなりましたけれども。いつかあなたの作文ネー。私は暗誦(あんしょう)しておりますヨ……。聖賢の教えも得手勝手に取りなして聞く時は。身を乱だすこともあるべし。いやしき賤(しず)が小歌も心をとめて聞く時は。おしえにならざるはなし。げにその地にあらざれば。これをううれども生ぜず。その人にあらざれば。これを語れども聞えず……。私は大へんこの作文が好きですから。お手本にしてだまっていましたワ。
服「お記憶のよいこと。私くしすらわすれてしまいました。そういえば篠原さんでもお兄様(あにいさま)がきのう御帰京になりましたとネ。
宮「オヤあの方はH(エッチ)じゃアないの。
服「Hですけれどエンゲイジばかりですから。はま子さんも兄様(にいさま)とおっしゃっていらっしゃいますヨ。
宮「そうしてどうするでしょう。あの不品行では到底お嫁になれますまいネー。
服「そんなことをおっしゃりますナ。あの方々はなかなか教育もありますから。そんなことはありません。それは世の浮説でしょう。このごろはみんなよい方は文明の国にまけないで。夜会の何のと御尽力ですが。またわれわれ下(しも)の人たちは。みたこともないことばかりですから。疎(うと)いことは疎んじたり賤(いや)しんだりするもので。チョイとめずらしいことがあると。尾に尾を付けてそれをわろくいって。何も知らぬ人にまで。いろいろな風説(うわさ)を皆いいますから。人の口ほどこわいものはござりません。私しのように引込み思案にしていてもいけませんが。マアまだ社会へ出ないで生徒でいるうちは。なるたけ引き込み過ぎるとも出過ぎない方がいいと存じます。
宮「ほんとにネー。あなたのおっしゃることは。よく私しの気にかないますヨ」折から以前の斎藤。相沢を追いかけてバタバタ走り来たり。
相沢「アアくるしいくるしい。
宮「どう遊ばして。
相「あの斎藤さんにスナッチされようとしたわ。あのお芋をネ。西村さんにもらってたべていたら。斎藤さんが来てとろうとするのだもの。いやな人ヨ。
斎「ダカラ私しがカステイラを御馳走(ごちそう)をして上げようから。とっかえこにしようといったのだワ。
相「オヤ斎藤さんがほんとのことをいったの。ここにカステイラがあるワ。じゃアこれを上げよう。
宮「ああら現金もんだこと。
相「だってサブスタンスを見ないでは。斎藤さんはライヤアだから。
斎「うそ。人を罵詈(ばり)してひどいこと。
宮「マアそんなことは閑話休題として。こちらへいらしってめしあがれヨー。
 女生徒らはたがいにむしゃくしゃたべながら。
相「オヤオヤもうなくなりそうだ。
斎「ナニよくってヨ。あしたは服部さんはお帰りなさるのだもの。なくなったってイイワ。
服「エエいくらでも召し上れ。私はあしたのレッソンのところを少しみておきとうござりますから。失礼ヨ。
相「およし遊ばせヨ。お休みになるのだから。みておかないでもいいじゃアありませんか。
宮「ホントニ服部さんのように勉強しては。体がつづかないでしょうネー。
斎「あたしなんざア。お休みするところは見たこともないワ。
相「だから試験前は大変に心配して。この間も二時ぐらいまでおきていて。そうしてあんな低い点ですもの。いやになっちまったワ。
宮「オヤオヤえらいことネー。
服「ですけれども。大変にお体にはお毒ですネー。女生徒は男生徒より大気(たいき)でないせえか。あんまりなまけませんてネ。ですからそんなに勉強を勧めてさせないでも。自分自身に相応に勉強して行きますとサ。でもこのごろは大変に女に学問をさせるのが一問題でござりますと。あんまり相沢さんのように。過度に勉強遊ばすと精神がよわって。よわい子が出来るそうです。
相「アラいやなこったワ。だれがお嫁なんかに行くもんか。
宮「あんなことをおっしゃるヨ。先生になってもお嫁に行く方がいいって。
相「ナニ先生になれば男なんかにひざを屈して。仕(つこ)うまつッてはいないわネー。
服「ですからこのごろは学者たちが。女には学問をさせないで。皆な無学文盲にしてしまった方がよかろうという説がありますとサ。少し女は学問があると先生になり。殿様は持たぬといいますから。人民が繁殖しませんから。愛国心がないのですとサ。明治五六年ごろには。女の風俗が大そうわるくなって。肩をいからしてあるいたり。まち高袴(たかばかま)をはいたり。何か口で生いきな慷慨(こうがい)なことをいって。誠にわるい風だそうでしたが。このごろ大分直ってきたと思うと。また西洋では女をたっとぶとか何とかいうことをきいて。少し跡もどりになりそうだということですから。今の女生徒は大責任があるのでござりますと。あのセクスピアが顔の皮の厚い女は。男の女らしいのと同じことで。好ましくないものだと申しましたし。また第一ナポレオンは。仏国を改良するには善良の母だと申しました。だから女にもしも学問をさせなければ。なかなか善良の母も出来ますまいし。学問をさせれば。厚顔(あつかお)なおしのつよい女が出来ますから。何でも一つの専門をさだめて。それをよく勉強して。人にたかぶり生いきの出ないようにして。温順な女徳をそんじないようにしなければいけません。そうすれば子孫も才子才女が出来て。文明各国に恥じない新世界が出来ましょうと。ある方がおっしゃいました。
斎「アアいやだワいやだワ。あたしはそんなことを聞くと。ほんとにいやになってしまアー。一生懸命で学問しても。奥様になりゃア仕事をしたり。めんどくさくっていやだワ。わたしゃア独立して美術家になるわ。画かきになるワ。美術の内で。歌舞音曲その他一二を除いて。源は皆な画ですとサ。だから画は美術の King。オヤ。フェミニンの方かしらん。じゃア Queen だワ……。あたしはきっときっと画かきになるワ。
相「オヤ斎藤さんが画工(えかき)になるって。こんなめんどくさがりのくせにネ。
服「斎藤さんだとて一心一到ですもの。画かきになれますワ。
相「オヤオヤ。じゃアあたしも一心一到だから。この間理科で高点をとったから。それを規模にして理学者になろうか。あなたハ。
宮「私しはこの学校を卒業すれば奥様になるワ。お浪さんあなたもそうでしょう。
服「ソウネー。私しは文学が好きですから。文学士か何かのところへいって。御夫婦ともかせぎにするワ。
斎「オヤお仲のよいこと。あたしは亭主なんぞは。ほんとにほんとにもちたくないワ。
宮「じゃアお浪さんは。うちの兄さんのところへお嫁にいらっしゃるといいこと。そうだと嬉(うれ)しいけれど。
相斎「ほんとだワ」とまだあどけなき娘気の。人の心を計りかね。思わずいえばもろともに。いいはやされて今さらに。よしなきことをいいけりと。咄の絶ゆる折しもあれ。
 カチカチカチ。オヤお昼飯(ひる)の柝(たく)でしょう。サア行きましょう。(かけだす音)バタバタバタ

     第七回

 二人曳(び)きの車は朝夕に出入りて。風月堂の菓子折。肴籠(さかなかご)などもて来たる書生体のもの車夫など。門前にひきもきらず。これは篠原子爵の邸なれど。このほどより主はよほどの重体にて。某(なにがし)とよばるるドクトルも小首をかたむくるほどなれば。家中(やうち)の混雑一方ならず。このごろ養子勤(つとむ)が帰朝以来。「こう忙がしくってはたまらん」など。取次ぎの書生の苦情もかしまし。今日しも少しよきようなれば。と上下(かみしも)ともに心安うおぼえて。いつしかにおさんの笑い声も耳だつほどとなりぬ。
 山中はいつものごとく御看病と称(とな)えて。なにか浜子のへやにてしきりに咄しさい中なり。勤は帰朝以来何か感ずるところありて。懊悩(おうのう)として心楽しまず。机に向えばただただ神経の作用のみはげしくなりて。ますます思い乱るる妄想(もうぞう)をやるにところなし。散歩は至極適当の療治法なりと思えど。養父の病気中には傍(はた)の思わくもあれば。ほしいままに外(と)に出(い)づべくもあらず。さるほどに浜子の部屋または勝手などに折々聞ゆる笑い声も。なかなかにかんしゃく玉の発裂(はれつ)するもととなり。ともすれば天井と睨(にら)めくらをして。にがりに苦りて言葉なし。アアこの神経というものはおそろしきものなり。折にふれては鬼神妖怪(ようかい)の眼(ま)の当りにおそいきたるかとみれば。いつしか嬋娟(せんけん)たるたおやめの側(かたわら)に立つかと思うなど。千変万化さまざまにうつり行く。げに物思う折の現(うつつ)はまた一場の夢なりかし。ややありてすこし夢のさめしようなる風情にて。あくび二ツ三ツして。やおら立ちあがりて障子を明け。庭へ出でて花壇のまわりを三べんばかりあてどもなくあるきながら。わざと浜子の部屋のあたりをさけて。おもての方へおもむろにあゆみきたれば。馬丁(べっとう)部屋の方にあたりて。ささやきかたらう声笑う声聞えけり。下ざまのことになれざる耳には。いとめずらしくおぼえられてや。やおら立ちよりて聞かんとすれば。主の足音をしりてかけ来たる大いなる猟犬の。媚(こび)をささげて足元にまつわるを眼もて制し。小腰をかがめてそが頭(かしら)をかいなでつつ聞けば。
車夫「エエオイ。こねえだはの。おいらアほんとにむねくそがわるくっての。
馬丁「どうしたのだ。
車夫「どうしたってこうしたって。お前(めえ)のめえだがの。おめえのとこのおはねさんがの。例の後家の内へきやアがって。今きている山中というやツをさそい出して。向島(むこうじま)までおしのびという寸法で。一しょに出かけたと思いねえ。初手(しょて)はおいらア正直だからきていに思うた。後家とおつだという噂(うわさ)があるのに。敵手(あいかた)がちがっているのはへんだなと思っているとの。花時分たアちがって人通りもすくねえだろう。スルト野郎め。おはねさんの車へ相乗りと出かけて。テケレッパだろうじゃアねえか。しかたがねえ泣く子と地頭だ。馬鹿なつらアしておいらアからッ車を曳いて跡から行くと。奥の植半(うえはん)へいってお昼飯(まんま)ヨ。あんまりいめえましいから。せめて円助もせしめてやろうとおもったら。如才(じょせえ)なく先へ廻って半助よ。フーン人をつけ。半助ぐらいでおたまりこぼしがあるものかだ。おめえの前(めえ)だがおらアむねきでならなかった。
馬丁「どうりでこねえだは珍らしく日本服で出かけるとおもったぜ。
車夫「親指はしらねえのか。
馬丁「ナアニしれッこなしよ。どいつもこいつも。金ぐつわをはめられて。ねえしょねえしょサ」とひそめきながら乗りが来て。思わず声高にはなすを。勤は立ち聞きて。さい前よりまゆのあたりに幾たびもいなびかりをさせて聞きいたりしが。たちまちせわしく立たんとして。またおもいかえす由ありてか。なおも伺いいたりけり。
馬丁「だがの考えて見りゃア珍らしくもねえやつよ。おれっちが行くとこはみんな位(くれい)のいいうちだが。大げえはなんかしらなんくせつきだ。
車夫「一体それが西洋がっているやつにおおいじゃアねえか。
馬丁「ナアニそれりゃアまだ世がひらけねえからだとよ。何てッだって。今晩はとシチンの帯かなんかぶらさげた腰ッぺたを。いつの間にかチャボのけつのようにおっ立てやがって。すましている時節だろうじゃアねえか。この間舌長(したなが)さんがうめいことをいッたぜ。今の時代は道楽時代という時代だとヨ。女といちゃつきたい時は西洋風を持ち出すし。権妻(ごんさい)を置きたい時には昔風を持ちだすし。かたでらちくちゃアありゃアしねえとよ。だがお互いのようにレコがなくッちゃア。道楽時代もあてになりゃアしねえアハハ」何たわいなき咄しの内勝手の方に。
「山中さんのお立ちですよ」勤はいそぎ立ち上り。それかあらぬかさまざまに。くるう心のこま下駄も。音たてさせじと忍び足。庭の方(かた)へぞかえりける。

     第八回

 暑さは金(かね)をとかすともいうべきほどの水無月(みなづき)に、遊船宿と行燈(あんどう)にしるせる店へ。ツト入り来たりし男年ごろ二十四五なるべく。鼻筋とおり色白く。目もとは尋常に見ゆれども。どこともなくするどきところありて。いわゆる岩下の電(いなずま)ともいわまほし。口はむしろ小さすぎたるほどなるに。いささか八の字の鬚(ひげ)をたくわえたり。身長(みたけ)は人並みすぐれたるが。縞(しま)フラネルの薄きもて仕立てし。ジャケットに同じき色のズボンをはき。細きステッキを手にもちて。パナマハットの大形なるを頂き。わざと蝙蝠傘(こうもりがさ)はもたざりけり。
女房「オヤマア駿河台(するがだい)の若殿様。お久しぶりでございます。この間御洋行からお帰りになりましたと。宮崎さんから伺いましたが。ようまア。
篠原「十日ばかりあとにもどったが。きょうはあんまりあついから。その宮崎と涼みに出かける約束だから今にくるだろう。屋根を一艘(そう)仕度(したく)してくんな」
女房「御酒(ごしゅ)はいりますか。お肴(さかな)は。
篠原「ストックを三本ばかりと。肴は三通りばかり見つくろって。いずれどこへか上るのだから。たんとはいらない」という折りから。宮崎は斎藤とともに入り来たり。
斎藤「や。先に来るつもりだったが」という間に。船も出来たれば一同それにのりうつりたり。
宮崎「五年というと久しいようだったが。こうなって見ればはやいものだ。洋行中にはいろいろの咄しもあろうし。君のことだから学術上には発明の説もあろうから。お尋ね申しゆっくりお聞き申したいと思っていたが。尊大人(そんたいじん)のとかくおすぐれなさらないので。御混雑の様子ゆえはばかりまして御無沙汰(ごぶさた)サ。
斎藤「僕も同様。しかし昨今はいかがでござります。
篠原「僕もご同感さ。君輩(きみはい)のごとき同窓の友を会して。ゆるゆるお咄しがしたいけれど。親父(おやじ)があの様子ゆえ。外へも出られない始末だから。おもうようにはいかないのサ。二三日跡からめっきり様子がいいから。今日お誘い申したのサ。
宮崎「御洋行中は毎度御書を下さいましたが。例の筆無性(ふでぶしょう)で三度に一度の御返事もあげませんでしたが。僕が東京の現況を新聞体にて御報道致した御返事に。日本人はメスメリズムにばかされた人のように。西洋人の指先次第。いろいろなまねをするとの御論でしたが。伺っていた御持論とは大層ちがいました。世の人は洋行すると西洋好きになるが。君には嫌(きら)いになったのかと。お知己の人たちは怪しみました。
篠原「なるほどお怪しみもござりましょう。僕が五年の洋行で得るところ。とはちと大げさのようだが。マアそこのところばかりサ。オオなんだ氷が解けてもう残りずくなになった。マア一杯やりたまえ。オイ船頭どこへか附けて氷を二斤ばかり買ってくれんか。
宮崎「ときに篠原君。君が帰朝の後は早速何のお咄しだろう。ネー斎藤君。御同前に祝筵(しゅくえん)にあずかろうとたのしみにしているのだが。尊大人の御所労でまだそこどこではないのかネ。
斎藤「実に君はあやかりものだ。尊大人は従前の勲功とはいいながら。華族に列せらるるし。レディは才色兼備の上に。近ごろは英語もお出来なさるし。ピヤノなどはことにお得意。ダンシングから何から。貴女連中との交際でも恥かしくない。実に君とは連璧(れんぺき)だ。と朋友中の評判ですぜ。
篠原「そういえばそうかもしれないが。僕は何分にも面白くないから。婚姻のところはどうしようかと思っているのサ。これも両君のことだから。僕のシクレットを打(ぶ)ちまけていうのだが。ごぞんじの通り僕は五ツ六ツの歳からそだてられて。両親もあれにめあわせて家をゆずろうという志願なればこそ。大金をも出して欧州留学もさせてくれたわけだから。今さら台女(だいじょ)を嫌っては。内に顧みてはなはだ道徳に恥ずるわけサ。そうしてあの家を出れば。今までの恩を無にするわけと。いろいろ考えて見ると。実は岐路(きろ)に彷徨(ほうこう)しておるようなわけで。婚儀のことは親父の病気を幸いにずるずるとのばしているようなわけで。
斎藤「これは意外なことです。洋行して君の議論はよっぽどかわったが。シテ見ると議論ばかりじゃアありませんネ。人もうらやましがる縁辺を。なんのかんのとはがてんがいかない。アーよめた。西洋はきらいになったぞといって。実は何ですネ。この節の流行のゴオールデンヘヤの令嬢と契約したというようなわけで。今にそれがやって来るという……。
篠原「とんでもない御嫌疑(ごけんぎ)だ。実に何にもありはしないが。ツマリいやになったというわけは。一生苦楽をともにしようという目的がたたないからサ。しかし君たちのいうのもうそでない。なるほど僕の心事は一変した。欧州に遊歴して見ると。なかなかここで想像して書籍中にもとめたとは。大いにちがったところがある。実に豁然(かつぜん)通悟したところがあって。なんでも人間は道徳が大事だということにきがついた。
斎「ハテネそうして。
篠「ところが帰朝してみると。親父が例の洋癖家だろう。またそれに仕こまれたものだから。やれ今では巴里(ぱり)ではどんなかみの風が流行(はやる)の。どんな服製がはやるのと。そんなことばかり聞きたがるのサ。僕は西洋の学問と芸術には感心するが。風俗には決して心酔はしない。男女だかれあって蹈舞(とうぶ)するなんどは。あまりみともいいことでもない。それに少男少女のいまだ婚姻しないものなら。婚姻の手段の一端にて。支那(しな)にいわゆる仲春会二男女一(ちゅうしゅんなんにょをかいす)という工合もあろう。それでもマア淫風(いんぷう)ならずとはいいにくい。野蛮風俗の居残りサネ。その上夫ある婦人は。その夫と蹈舞することを許さないというのはなぜだろう。千代(ちよ)をちぎって一身も同じとまでいう夫婦だから。夫婦同士(どし)だきついておどってこそ。面白くも楽しくもありそうなものなのに。ぜひ他人とおどらなければならないというのは。その極点をいって見たらどうだろう。まおとこをしなければつまらない。という論理になるではないか。コセットで胸をつかね衛生にかかわらず。ひとえに俗眼の好むところにしたがうなども。支那で足をしばって小さくすると五十歩百歩の論サ。こんなことをいいたてればいくらもあるサ。そこで僕は西洋の風俗には感心しない。この間も親父の看病をしながら。とかくに西洋風俗のはなしがでるから。われしらず道徳論をかつぎだして。蹈舞のことなどをこなしたところが。親父はそこらが交際のごく親密なところでよいではないかというから。病人に逆らうのも。とだまっていたが。兄さんは洋行した甲斐もなく。やっぱり支那風の七歳男女不レ同レ席(なんにょせきをおなじゅうせず)という腐れ論をおっしゃるヨ。フーンと鼻で笑われたが。そのフーンが骨身に透(とお)ってぞっとした心持がして。それから急にいやになったのだが。親父には義理も恩もあるから。いやだっていやともいえないし。実に胸を痛めているのサ。
斎「それだっても世間での評判に。あの娘ならどんな官員のマダームといっておしだしても。交際ができるというくらい。そんな短気は……。
篠「斎藤君のいうことだが。僕はその官員が嫌いになった。官員になったとって。社会にどれほどの利益を与えることができると思いたまう。僕は話聖東(わしんとん)よりもフランクリンを景慕するヨ。フランクリンも官員でないとはいえないが。話聖東がボストンに義旗を翻がえし。三十余州を一致し。亜米利加(あめりか)に連邦を創立し。今は欧州各国と比肩して恥じざる国とまでにしたのは。えらいことはえらいけれども。ただ一ツの国がごうぎに強くなったというまでで。すこしも世界に利益を与えない。フランクリンは電気を発明して。それから電信機も出来。電気燈も出来。世界幾百の邦土。幾億の民生がみんなその利によることとは。またえらいことではないか。現今の世の中でも。ビスマークよりはレセップに指を屈します。ビスマークは仏蘭西(ふらんす)の鼻を折(くじ)いて。わが国の索漏生(ふろいせん)王をして日耳曼(ぜるまん)一統の帝とし。今では欧州で牛耳を執るというまでにて。よそほかの国にはなんの利益もない。レセップはそうではない。シュエスのカナールを掘り割りて。世界万国交通の便を開いたはどうでしょう。このうえはパナマの掘割まで出来ようとするは。実にえらいじゃアないか。北亜米利加合衆国が出来なかったとて。わが日本などは何の不自由も何もなかろう。電信機がなかったらソラどんなに不便だろう。日耳曼が帝国にならないとて。日本では屁でもないが。シュエスの掘割がなかったら。交通貿易にもどのくらいの不利を感じるかしれん。日本ばかりではない。どこでもそうにちがいない。だから僕は官員になっての功名は。たかがしれたことと悟って。なんでもフランクリンやレセップにならおうとおもう。
宮「ヒヤヒヤもっとも賛成だ。
篠「それだから交際上手の女房などは。すこしも望まんのサ。僕が好みの女房は。まんざら文盲でも困るが。婦人の美徳と称する従順の徳があって。少しく文字も読め斉家(せいか)の道に勉力してもらいたい。弾(は)ねた性質に世界の酸素を交ぜて。おてんばという化合物になったのなんざア好まない。いわば蹈舞の上手より毛糸あみの手内職をして。僕が活計を助けるというようなのがほしい。
斎宮「ナニ僕の活計だと。華族様などはとかくけちなことをいいたがるものだ。アハハハハ。
 一同笑いになりたるとき。
船頭「八百松屋(やおまつや)アー。
 桟橋(さんばし)に茶やの女の下駄の音カラコロカラコロ。
女「おはようござりました。

     第九回

 篠原勤は英国ケンブリジの学校に螢雪(けいせつ)の功を積み。ついに技芸士の称号を得。なお帰途(みちすがら)欧州各国に歴遊し。五カ年の星霜を経てようやく帰朝せしに。養父は思いがけなく華族に列せられ。家の面目この上もなき重ね重ねのめでたさに。何不足なき身ながらも。かねてより結婚の約束ある。浜子のそぶりに何となく心がかりのこと多く。かなたにもとかくにうしろめだき風情ありておのれをはばかるさまあるは。何ようのことわけのありてかと。心をつけし折も折。ゆくりなく耳に入りし馬丁(べっとう)車夫の噂咄(うわさばな)し。胸とどろくまで驚かれ。さてはと心づきたるに。なおさまざまのこと耳目に触れて疑いの種を生長(おいたた)しむるのみか。浜子は父の病の見とりもせで。とかくに外出(そとで)がちなるなどますます心にかなわざれば、いよいよ離縁して身を退くべしとその志を決しつつ。二三の親しき朋友には。その思うふしをそれとなく洩(も)らしたるほどなれど。さすがに幼少の時よりして、ともにそだちし筒井筒(つついづつ)。かたすぐるまでくらべこし。緑の黒髪花の顔。姿かたちもうるわしく。学問才知も人並みには立ちまさりたる浜子なれば。今さら棄(す)つるに忍びかねて。色好むとにはあらねども。拾わぬ先の珠としも思いきられず。また二つには幼少よりそだてられたる養父母の恩愛と義理にそむきがたく。独り心を苦しめしが。今は養父の大病にて。見とりにその身いとまなければ。それなりにして打ち過ぎしに。通方(みちかた)は世に国手とよばれたるくすしのみか。独逸(どいつ)国より来朝せるベルツ博士にまで診察を請い。療治に愚かなかりしかど。いささか見直すところありとみしは。いわゆる返照(なかなおり)というものなりしが。勤が納涼よりかえりし宵(よ)よりにわかに容子変りきて。その翌日かえらぬ旅に赴(おもむ)きぬ。勤らのなげきはさらなり。よき人をうしないたりとて。惜しまぬ人はなかりしとぞ。されど勤はその跡を相続せしが。忌みもはてなば浜子と婚姻の式をあげさせんと。母をはじめ親戚(しんせき)朋友のかれこれといいすすむるに。勤は余義なくてありし次第を打ちあけて述べたるに。もとよりあらぬ濡衣(ぬれぎぬ)にもあらざれば。誰もしからんにはとの答えのみなれば。勤は養父が鞠育(きくいく)の恩義を忘れず。すでに華族の爵を継ぐ上は。世襲財産だけ譲り受くべきも。余の遺産は残らず浜子に渡し。心にかないたる中なればとて。さりぬべき媒(なかだち)をたのみて山中正(まさし)に嫁(とつ)がせしめ。家に仕えし老僕某(なにがし)を始め下女など数多(あまた)付き添わせ。近き渡りにしかるべき家屋ありしを求めて。これに住居させ。残るところなく世話をせしかば。人みなその処置のよろしきを得しをたたえしとなん。
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