山の手の子
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著者名:水上滝太郎 

 ふと私は木立を越した家の方で「新様新様」と呼ぶ女中の声に気がつくと始めて闇に取り巻かれうなだれて佇(たたず)む自分を見出して夜の恐怖に襲われた。息も出来ないで夢中に木立を抜けた私は縁側から座敷へ馳け上ると突然(いきなり)端近に坐っていた母の懐(ふところ)にひしと縋(すが)って声も惜しまずに泣いた。涙が尽きるまで泣いた。
 ああ思い出の懐かしさよ。大人になって、偉い人になって、遊びに行くと誓った私はお屋敷の子の悲哀(かなしみ)を抱いて掟(おきて)られ縛(いまし)められわずかに過ぎし日を顧みて慰むのみである。お鶴はどこにいるのか知らないが過ぎし日のはかなき美しき追想に私はお鶴に別れた夕暮、母の懐に縋って涙を流した心持をば、悲しくも懐かしくも嬉しき思い出として二十歳(はたち)の今日もしみじみと味わうことが出来るのである。




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