山の手の子
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著者名:水上滝太郎 

 お鶴は明日の日の幸福を確く信じて疑わない顔をして言った。平生(ふだん)よりも一層はしゃいで苦のない声でよく笑った。
「今度遊びに行っていいかい」
 と私が言ったのを、
「子供の癖に芸者が買えるかい」
 と囃(はや)し立てた子供連にまじってお鶴のはれた声も笑った。そしていつもよりも早く帰えると言い出して別れ際に、
「私を忘れちゃ厭(いや)だよ、きっと偉い人になって遊びに来ておくれ」
 と幾たびか頬擦りをしたあげくに野衾のように私の頬を強く強く吸った。「あばよ」と言って、蓮葉にカラコロと歩いて行く姿が瞭然(はっきり)と私に残った。
 悄然(しょうぜん)と黒門の内に帰った私は二度とお鶴に逢う時がなかった。忘れることの出来ないお鶴について私の追想はあまりにしばしば繰り返えされたので、もう幼かった当時の私の心持をそのままに記(しる)すことは出来ないであろう。私は長じた後の日に彩った記憶だと知りながら、お鶴に別れた夕暮の私を懐かしいものとして忘れない。
「お鶴は行ってしまうのだ」
 と思うと眼が霞(かす)んで何にも見えなくなって、今までにお鶴がささやいた断(き)れ断(ぎ)れの言葉や、まだ残っている頬擦りや接吻(くちづけ)の温(あたた)かさ柔かさもすべて涙の中に溶けて行って私に残るものは悲哀(かなしみ)ばかりかと思われる。堪(こら)えようとしても浮ぶ涙を紛らすために庭へ出て崖端に立った。「お鶴の家はどこだろう」傾く日ざしがわずかに残る、一様に黒い長屋造りの場末の町とてどうしてそれが見分けられよう。悲哀に満ちた胸を抱いてほしいままに町へも出られない掟と誡めとに縛られるお屋敷の子は明日にもお鶴が売られて行く遠い下町に限りも知らず憧(あこ)がれた。「子供には買えないという芸者になるお鶴と一日も早く大人になって遊びたい」
 見る見る落日の薄明(うすらあかり)も名残(なご)りなく消えて行けば、
「蛙(かえる)が鳴いたから帰えろ帰えろ」
 と子供の声も黄昏(たそが)れて水底(みなそこ)のように初秋の夕霧が流れ渡る町々にチラチラと灯(ともしび)[#ルビの「ともしび」は底本では「ともびし」]がともるとどこかで三味線の音が微(かす)かに聞え出した。ポツンポツンと絶え絶えに崖の上までも通う音色を私はどうしてもお鶴が弾くのだと思わないではいられなかった。そして何だかその絃(いと)に身も魂も誘われて行くようにいとせめて遣瀬ない思いが小さな胸に充分(いっぱい)になった。「お鶴は行ってしまうのだ」「一人ぼっちになってしまうのだ」とうら悲しさに迫り来る夜の闇の中に泣き濡(ぬ)れて立っていた。
 ふと私は木立を越した家の方で「新様新様」と呼ぶ女中の声に気がつくと始めて闇に取り巻かれうなだれて佇(たたず)む自分を見出して夜の恐怖に襲われた。息も出来ないで夢中に木立を抜けた私は縁側から座敷へ馳け上ると突然(いきなり)端近に坐っていた母の懐(ふところ)にひしと縋(すが)って声も惜しまずに泣いた。涙が尽きるまで泣いた。
 ああ思い出の懐かしさよ。大人になって、偉い人になって、遊びに行くと誓った私はお屋敷の子の悲哀(かなしみ)を抱いて掟(おきて)られ縛(いまし)められわずかに過ぎし日を顧みて慰むのみである。お鶴はどこにいるのか知らないが過ぎし日のはかなき美しき追想に私はお鶴に別れた夕暮、母の懐に縋って涙を流した心持をば、悲しくも懐かしくも嬉しき思い出として二十歳(はたち)の今日もしみじみと味わうことが出来るのである。




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