貝殻追放
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著者名:水上滝太郎 

 自分は涙の出る程なさけない心持で、古本屋のおやぢと先刻の若僧を憎んだ。なんだかしらないが、彼(あ)の若僧が故意にけちをつけて、自分の買はうとする心持を碎き、その後でまんまとせしめてしまつたやうに思はれて爲方が無かつた。けれどもそれは恐らくは自分のひがみであらう。あんな奴がそれ程に「笈摺草紙」に焦れてゐるとは想像出來ないから。
 未練らしく蓙の上の古雜誌を、もしやと思つて幾度も探してゐる自分を、古本屋のおやぢはさげすむやうに見た。
 自分は其後泉先生及び永井荷風先生の作品の出てゐる古雜誌は一切云ひ値で買ふ事にしたが、他日、「笈摺草紙」を手に入れてから十年以上もたつてゐる今日に到つて、未だ彼の神田の夜店の古本屋のおやぢの姿を、憎惡の念を抱かずに思ひ出す事は出來ないのである。
 或時或席で右の「笈摺草紙」を買ひそこなつた話をした。すると其處にゐた友人梶原可吉君は、その話に誘はれて、彼の購書苦心談を彼一流の高調子で始めた。その中で泉先生の「日本橋」についての一節を、自分は此處に傳へようと思ふ。
 梶原君は常に若々しい心を失はない熱情家で、且社會改良に熱心な理想家である。當然の歸結としてその愛好する藝術は或種の傾向の著しいものに限られてゐる。泉鏡花先生の作品に現れてゐる道徳――ありふれた世間の血の氣の無い道徳ではなく、先生の熱情に育くまれた道徳――は彼が隨喜し、先生の主張される義理人情の世界、戀愛至上主義は即ち彼が涙を流して渇仰するところである。
 大正三年の秋彼は滿洲大連で、面白くも無い殖民地の人間に圍まれて、面白くも無い月給取の生活を送つてゐた。一日の勞務が終ると、寄食してゐる叔父の家に歸り、入浴して晩餐の卓にむかふのであるが、恰も殖民地に特有なもののやうに思はれる苛々(いら/\)した心状を免れる事は出來なかつた。彼は夕暮を待つ蝙蝠のやうに、日が沈むと家を出て散歩するのが癖になつた。
 夕暮の早い大連の町には初秋の霧のかかる頃であつた。大通のアカシヤの並樹の下を、彼は街燈の灯に照らされながら町の方へ歩くのがおきまりだつた。
 目的の無い散歩ではあつたが、毎日々々同じ道を歩くうちに彼が必ず立寄る處が出來た。それは或る町角の本屋である。
 元來好き嫌ひの色彩の鮮明な梶原君は、いつたん惚れたとなると、その惚れた相手方を最上級に祭り上げなければ承知しない人間である。さうして彼には學校時代からお馴染の三田通りの福島屋といふ惚れ込んだ本屋があつて、東京に居る時は勿論、神戸にゐても大連にゐても、遙々注文して其の店から送つて貰ふ事になつてゐたから、大連の町角の本屋では別段買物をするのではなかつた。ただ女の人が呉服屋の窓の前に立てば目の色が變るやうに、彼は本屋の前に立つて胸の躍るのを覺える種類の人間だつたのである。
 或晩彼は其の町角の本屋の店に入つて新刊の本を一巡見て居た時、泉鏡花先生の新作「日本橋」を他のがらくた本の間に見出した。彼は迂濶にも「日本橋」の出版の豫告を知らなかつたので、菊判帙入の美本を手に取上げる迄は、それが眞實(ほんと)に泉先生の新作であるかどうかを疑つた。其晩直ぐに福島屋に注文状を出したのは勿論である。
 今日は來るか明日は屆くかと、毎日「日本橋」を待暮したが、一週間たつても十日たつても屆かない。由來福島屋は上品なおかみさんと大樣(おほやう)な若旦那の經營する氣持のいい店ではあるが、勘定を取りに來ないのと、記帳落(つけおち)の多いのと、注文の品をなかなか持つて來ないので聞えてゐる。「日本橋」の發送も勿論惡氣は無いが等閑(なほざり)にされてゐたのに違ひ無い。
 その間に梶原君の町角の本屋に通ふ事は一日も止まなかつた。一刻も早く讀み度いと思ふ心がどうしても彼を落着かせなかつた。毎日毎日店頭に立ちながら、曾て買物をしない自分に向けられる小僧の視線を不愉快に思ひながら、幾度手に取上げて「日本橋」を開いて見たかわからない。
 或夕方、又行くのは羞しいなと心の中では思ひながら本屋を訪れたが、その日迄は二册並んでゐた「日本橋」がいつもの場所に一册しか見えなかつた。失敗(しま)つた。誰かに買はれたなと、自分の祕藏の物を奪はれたやうな嫉妬を感じた。けれどもまだ一册殘つてゐるのを少しばかりの慰めにして、彼は又それを手に取つて見たが、心なしか小村雪岱氏の纖細な筆で描かれた綺麗な表紙も何時(いつ)の間にか手擦れ垢じみて來たやうに思はれた。
「自分の手垢で汚したのかもしれないが、その時はなんだか他人(ひと)も自分のやうに『日本橋』に思ひをかけてゐるやうに思はれて爲方がなかつた。」
 と此話をした時に、梶原君は附加へて説明した。
 彼は毎日徒らに手に取上げては又もとの書棚にかへす「日本橋」に不思議な愛着を感じて來た。あてにならない福島屋の送本を待つてる間に、殘つた一册も賣れてしまつたらどんなに寂しいだらうと考へた。大連みたやうな下等極まるところにも我が泉先生の作品を讀む奴がゐるのだから油斷は出來ない。どうしてもこれは自分が買つてしまはうと思つた。本は必ず福島屋ときめてはゐるのだが、そんな事は云つてゐられない位殘りの一册は彼の心を離れなくなつてゐた。
 さうだ買はうと決心した時、梶原君は懷中殆んど無一文だつたなさけない事實を思ひ出した。
「どうしてあれ程貧乏だつたのか、兎に角五十錢もなかつた。」
 と羞しがりの梶原君は、今でも顏を赤くして云ふのである。
 幾度見直しても定價金一圓二十錢といふ奧附は變らなかつた。此時程無駄づかひを悔いた事はなかつた。勿論乏しい月給ではあるが、貰つた其日に殆どすべて飛んでしまつた事を思ふと殘念で堪らなかつた。それからそれと自分の平生の生活から、大連なんかに來てゐる身の上迄考へながら、アカシヤの並木の下を彼は悄然として叔父の家に歸つた。
 福島屋に宛ては早速催促状を出したが、町角の本屋へ通ふ事は矢張り止められなかつた。晝の間會社の事務室の机にむかつても、誰かが「日本橋」の殘りの一册を自分から奪つて行く不安が胸中を往來した。どうせ遲くとも福島屋から送つて來るには違ひないと考へても、いつたん執心を掛けた町角の本屋の「日本橋」を、自分の讀まないうちに先きに誰かに讀まれてしまふ事が面白くなかつた。
 福島屋からの送本は何時來るだらう。一圓二十錢の金が欲しい、月給日が早く來てくれればいいといふ事を繰返し繰返し考へながら、毎日彼は町角の本屋に通つた。その道筋の川にかかつてゐる橋の名の日本橋といふのさへ自分を嘲笑する爲めに名づけられたもののやうに思はれた。
 本屋の店頭に立つて、まだ殘りの一册が無事に書棚の上のがらくた本の間に積まれてゐるのを見て一先づ安心して家に引返へすのも、二週間過ぎ三週間過ぎ、たうとう一月(ひとつき)近くなつた或日、彼は漸く福島屋から送つて來た「日本橋」を受取つたが、それと同時に待焦れてゐた月給日も到來した。
 幾枚かの札の入つてゐる一封を受取ると、梶原君は直ぐに町角の本屋に驅けつけて、此の幾日の間毎日毎日寂しい懷をなげきながら眺めてゐた「日本橋」を手に入れた。福島屋からの一册は現に手に持つてゐるのだけれど、あれ程迄に自分が思ひを寄せた一册を、何處の誰だかわかりもしない他人の手に委ねる事は情に於て忍びなかつたのださうである。
「その時の嬉しさつたらなかつた。」
 と梶原君は目も鼻もなくなした嬉しさうな顏をして話を結んだ。
「笈摺草紙」を手に入れそこなつた自分の失敗談を冒頭(まくら)にふつて、梶原君が「日本橋」を手に入れた一事を購書美談として世の人に傳へようと思ふ。(大正七年七月七日)
――「三田文學」大正七年八月號



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