旧聞日本橋
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著者名:長谷川時雨 

 芝居の話と伝さんの娘の話をして、さんざい袋をもらってかえる。と、入れちがいに、
「へえ、伝さんが来ましたか?」
と女中さんと話ながら清(せい)さんが入って来た。伝さんとおなじの、黒い、麻の着物の尻(しり)はしょりをおろして、手ぬぐいで、麻裏草履を穿(は)いて来た足前(つまさき)をはたいて、上って来て、キチンとお辞儀をした。
「お暑うございますな。」
 茶献上(ちゃけんじょう)の帯の背にはさんだ白扇をとって、煽(あお)ぎながら、畳んだ手拭の中をかえして頸(くび)を拭(ふ)いた。小判形の団扇(うちわ)が二本、今戸名物、船佐(ふなさ)の佃煮(つくだに)の折が出される。
「川崎屋までまいりましたから、これは私のわざっとお土産(みやげ)で。」
 清さんの兄貴は、川崎屋権十郎の古い男衆だった。
 こういう人たちは、中村座が閉場(あけ)ば中村座の何屋へ、新富座ならば何処(どこ)と、三、四軒の芝居茶屋を助けもするが、歌舞伎の梅林(ばいりん)とか三洲屋とか、一、二の茶屋で顔のうれている男衆たちだった。
「毎年是真(ぜしん)さんでござんすから、今年は河竹さんのにお頼みいたしまして――」
 それは団扇の絵のことだった。河竹さんとは、本所(ほんじょ)に住む黙阿弥翁(もくあみおう)のことで、二人娘の妹さんが絵をかき、姉さんはお父さんの脚本のお手伝いをした。
 おしょさんの家(うち)には、そうした団扇に虫がつかないように、細い磨竹(みがきだけ)に通して、室(へや)の隅に三角に、鴨居(かもい)へ渡してあった。
「おしょさん、今年のお浴衣(そろい)は、大層好(い)いっておはなしですから、夜(よ)芝居で、お浴衣(ゆかた)見物でございますから、ひとつどうぞ、御見物を――」
 おしょさんは、今年も船で納涼の催しをと考えていたのをやめて、自慢の、その頃ではめずらしい素鼠地(すねずみじ)の、藤の揃い浴衣で見物することにきめる。
 二絃琴を拡(ひろ)めようとする気持ちと、おしょさんの派手ずきとから、引幕(ひきまく)を贈ることもあった。藤の花の下に緋(ひ)の敷もの、二絃琴を描いてあとは地紙(じがみ)ぢらしにして名とりの名を書いたりした。
 お坊さんのお婆さんは、――伊藤凌潮(いとうりょうちょう)という軍談読みの妻君になって、おしょさんや、おしょさんの姉さんで、吉原で清元で売った芸者――古帳面屋のお金ちゃんの義母(おっか)さんや、末の妹の、その時分には死んでしまってたが、阪東百代(ばんどうももよ)という踊りの師匠のお母さんになったのだ。おしょさんが若かった時、太政官の参内の馬車の腰かけの下へかくれていったと、やかましく噂(うわさ)された事もあったそうだ。お若い××様が御巡幸の時、百代と二人ならんだ姿をお見詰めになって――たしかにお目にとまったのだが、まだお歯黒をおつけになって、お童様(ちごさま)だったから――なんて話もきくともなくきいた。




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