一世お鯉
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著者名:長谷川時雨 

       八

 そんなこんなで麻布を引払い、大井の方へ移った。大井の里の家は、かなり手広なのと、すこしはなれて、梅や桃を多く植廻(うえまわ)した小家との一軒をもっていた。狭い方のへ老母たちが住(すま)い、広い方へ子供とお鯉と、秋田から出京したしげ子とが住んだ。
「姉は子供が好きだったので、みんな慕っていましたが、今では三人とも手離してしまって、淋しいのを紛らすために六歳になる女の子を貰(もら)って育てています」
「柳橋から来ていた大きいのは縁附きました。も一人の女の子は十二の時に、桂二郎さんに引とられこの間それも縁附きました。その子は幼少(ちいさ)いうちから手塩(てしお)にかけたので、わたしを何処までも母だと思っているのです。二郎さんのところへ訪ねていったら、あたしの事を、あちらの御夫婦へ大層気兼(きがね)するので、気が痛んで来て、それから行かないようにしましたの。あれを手離した時のさびしさといったら……」
 暗然と、聞くものの胸にもにじむものがある。
「男の子は安藤の家督にしてあるのですけれど、その子の母に連合(つれあい)があって、生みの母の縁から深く附合(つきあ)うようになったところ、なにしろその子の義父(ちち)だというので、何かと家の事へも手を出したがるし口も出すのです。それやこれやの迷惑は一通りじゃなかったので、種々(いろいろ)と世間からもあたしが誤解されたり、大井の広い家も売ってしまうようになって、そのかわりに、家ごとその子も先方へ持っていったのです」
「五万円のうち一万二千円ずつ三人の子につけて渡したのですからあまったのは幾らもありはしません。それで桂さんの死後、ざっと十年たらず今日まで過して来たのですね。もう今は残っていません、何にもなくなったから商業(しょうばい)をはじめたのですね、ねえ、姉さん」
「母もなくなりますし、残っていた養母も去年なくなりました。木からおちた柿のように、ほんとの一人ぼっち――けれど此妹(これ)がいてくれたので……」
 暫時(しばし)、三人は黙した。ケンチャンが白いものを着て、髪の毛にも櫛(くし)の歯を見せて、すましかえって熱い珈琲(コーヒー)をはこんで来た。三人はだまって角砂糖を入れて掻廻(かきまわ)した。
「姉の考えでは、残しておいて下さったもののあるうちは、何にもしないで、旦那の余光で暮してゆこうとしていたらしかったのです。そうだとは言いませんが、どうもそういう考えらしかったのです。何にもなくなった時に、その時にお鯉にかえるのだと思っていたのだと思います」
「あたし、みんなに生別れたり死別れたりして、何もかもなくなってしまった時に、今日から自分の生活になるのだと、しみじみと思いましたよ。けれど、待合(まちあい)や、料理店をはじめると、分明(はっきり)した区別がないので、あんな風になったと思われますから、はじめるならいっそ、みんなから見張ってもらっているこんな商業(しょうばい)の方が好いと思って、ここの株式の専務ということになりました」
「貞操を守れの、守らせるの、いや守れないのといったって、姉の所行はわたしは見て来ています。こうして立派に過して来たのですから」

 しげ子さんは客が来て中座した。そのおりをよき時と、そこにいられては聞きにくいことをきいた。
 四谷(よつや)で生れていまもあの辺に住んでいる女から、お鯉の生家は、いま三河屋(みかわや)という牛肉屋のある向角(むこうかど)であったということを聞いたことがあったので、さまざまに取沙汰(とりざた)されている、この女の生れを聞定(ききさだ)めようとした。そしてしげ子さんのことも――。するとその事が本当であって、三河屋が親切にその家のあとも引取ってくれたのだといった。
「家の退転時(ほろびるとき)が来たのでしょうか、漆屋というものは、漆のあわせかたがむずかしいもので、秘伝のようになっていたそうです。わたしを生ませた父が養子に来て死ぬころまでに、数代つづいたますやの店もいけなくなりました。妹の父が来ても家をゆずらなければならなくなって、わたしは安藤へ養女にやられ、妹は両親と、秋田の鉱山へいってしまったのです。後に母が病身になったと聞いたのでわたしの方へ母を引取りましたのです。秋田には多勢の子供がありますから、あたしにはたった一人の妹を無理に貰って、実家の片岡の方の家をつがせることにしました。おかげさまと、どうやらこの店もやってゆけます。株式をやめて、わたくしの店にしてしまうような相談もあります。一、二年もしてやってゆけば、妹に譲って、わたしはわたしの何か仕事をはじめようと思っています」
 長椅子の方へ来て、くつろいでこんな打明けばなしをしてから、御免なさいといって、はじめて巻煙草(まきタバコ)の一本をつまんだ。
 お鯉さんのこれからの生活は、かなり色の褪(あせ)た、熱のないものであろうとその時わたしは思った。彼女は羽左衛門と、三下(さんさが)り、また二上(にあが)りの、清元(きよもと)、もしくは新内(しんない)、歌沢(うたざわ)の情緒を味わう生活をもして来た。巨頭宰相の寵愛(ちょうあい)を一身にあつめ、世の中に重く見られる人たちをも、価値なきものと見なすような心の誇りも知って来た。いかなるものが現われ来て、この後の彼女を満足させるほどその生活を豊富にするであろうか? それは疑問だ。何にしても彼女の過去が、あんまり光彩がありすぎた。あざやかすぎた。
 とはいえそれを救うのは、純潔なる魂の持主、熱烈な情熱と、愛情でなければならない。彼女が、生来まだかつて知らぬ、清純な恋そのものでなくてはならない。が、悲しいことに、いたずらに費消された彼女の情熱は、真純さを失って、彼女の外見のかたちよりは若さを消耗している。
 彼女が子供好きで、子供がなくてはさびしくていられないという心持ちは察しることが出来る。子供ほど彼女の複雑な気持ちを害さないものはないであろう。彼女の真の慰安は――友達は、無邪気な子供よりほかないであろう。

 お鯉さんとはなしをしているうちに、その声に、いろいろと苦労をした人だと思わせられる響きを感じた。美人と境遇と声音(こわね)――これもこの後心附けなければいけないと思った。それから、お鯉さんには、わたしが気にかける二本の横筋が咽喉(のど)にあった。ほんにこの筋のある美女で苦労を語らない人はない。
 考えると人生はさびしい。そしてむやみに果敢(はか)なくなる。
――大正十年一月――
昭和十年附記 昨年赤坂田町の待合「鯉住」の女将として、お鯉さんが某重大事件の、最初の口火としての偽証罪にとわれ、未決に拘禁されたのは世人知るところであり、薙髪(ちはつ)して行脚(あんぎゃ)に出た姿も新聞社会面を賑(にぎ)わした。おお! 何処までまろぶ、露の玉やら――



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