地上
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:島田清次郎 

「小母さん、わたし、お別れして東京へ行かなくてはならないことになりましたの」
「――?」お光は恐ろしい戦慄に全身を寒くしていた。そして今、冬子の言葉を正当に了解できなかった。
「あの方」と冬子は眼で知らした。
「東京の方ですの。わたしあの方にお世話になることになりましたの。小母さんに御相談する暇がないほどに急でしたの」
「どなた、何という方?」とお光はたずねた。
「天野栄介という方」
「天野――?」お光は呟いた。(彼奴(あいつ)!)とお光の全存在が、四十年の生涯に秘められてある「埋れたる過去」が叫んだ。(十数年のむかし、自分の姉の綾子を、自分の亡夫から奪って行ったあの悪魔、天野め! そして彼奴は今また、冬子を奪って行くのか。)
「失礼します」とお光は冬子に一礼して転ぶように土蔵裏の室へかえって来た。意識の底深くに貯えられていた「埋れたる過去」が熱情を帯びて生きて来た。それは苦しかった。(あの天野が冬子を連れてゆく。何でも聞けば日本有数の大実業家だという。それは事実であろう。十数年前の「青年思想家の天野一郎」が、「日本の大実業家の天野栄介」になっていることは事実であろう。しかしあの姉の「きっと滅ぼしてみせます」と言って天野に連れられて行ったあの宣言は空しくなったのであろうか。現に天野は自分の前に堂々と立ったではないか。そして自分にとってかくことの出来ぬ三年来の深い馴染の冬子を唯の三日で永遠に奪って行くではないか? ……それに自分は、あの昔の北野家の富も地位も失った哀れな一裁縫女でしかない――)
 次の日の午後、冬子は天野に伴われて東京へ去った。冬子はお光の内生活に起きた深い大きな動乱や、その動乱の原因である天野とお光との過去の運命については少しも知らずに去ったのである。
「冬子も奪って行った、彼奴は!」お光はこう心から言った。こうお光は心から言わずにはいられないお光の生涯の「埋れたる過去」の事実は次の章に示されるであろう。人々はそこに人間の運命の恐ろしい相を見ることであろう。
[#改ページ]
     第五章  ――埋れたる過去――




 お光は金沢の市街から五里ばかり隔った平野の果ての、大川村という海近い村に生まれた。村は杉や樅や樫の喬木林によって囲まれ、烈しい冬の風雪や、真夏の灼熱した日光から、それらの樹木は村と村人とを護って来ていた。それはいつの頃から知ったともなしに、お光が十六、七の娘の時分には、この村の久しい昔からの成立や村とお光の生家との関係がはっきり会得されていた。大川村はお光が生まれない昔の頃は同じ加賀平野に存在しながら付近の村々から孤立して生活していた。千年も二千年もの昔、まだ村一帯が雪の深い曠原であった頃、(平家の残党であるともいう)一群の南方より漂泊(さすら)い来た人達が、この辺の曠野の広大さに、放浪の草鞋を脱ぎ捨てたのがこの村の草創(くさわけ)であった。耕すに比類のない豊かな処女地、処女地に潜む新鮮な生産力、――しかし何分にも一群の人数が少なすぎた。人間の数が一群には必要だった。人間に人間を創る方法は一つしか授けられていなかった。交通しあう部落は大川村の近くに見出されない、少数の男と女は新しい同族の出生に、自分達して努力するよりほかに道がなかった。長い放浪の旅は女性の数を少なくしていた。親と子、兄と妹、姉と弟、叔父と姪、叔母と甥、祖父母と孫、友人の妻、友人の夫、主人の妻、臣下の青年――どうにも仕方なかった。男性と女性でありさえすれば、そして二人の交わりが新しい生命を創り出しさえすればそれでよいとせられた。生めよ、殖えよ、大川村の野に充てよ、と一族の者は心から祈った。こうして労力を惜しまず土地を耕す者が殖やされ、血と血が恐ろしい複雑ないりくりを錯乱して、濁って行った。食う欲望、住む欲望、婬乱な野獣のような渇望、子が親を殺したり、妻が夫を殺したり、友が友を殺したり、そうしてその殺し合う仇敵の間の悪血の交流。そのようにして時が過ぎて行った。太陽は日々に東方より平野を照らし、星辰は夜々空に輝き、恐らく同じ地の上には歴史が他の人々によって生活されている間を、大川村の人達は大川村より外の世界を知らずに生活して来ていた。春、夏、秋の期節には恵まれた北国の野には快い労働と快い婬楽が人々の魂を痺(しび)らしたけれど、あの暗鬱な圧し下がる十二月の空から昼夜の別もなく重い氷雪が降りしきり、西比利亜(シベリア)嵐が吹きつける恐ろしい冬は常に人々を脅かした。人間よ、汝等の地上に栄えることを誰が許したか。滅びよ、滅びよ、滅びつくせよ、と冬は語った。樹木の色の見えない三、四カ月の後、再び春が廻り来る頃、潰れた村の家の中に凍死した村人の骸(なきがら)が毎年五十人を下らなかった。しかし滅ぼす力も自然なら、生み殖える力も自然であった。村の人達はいつとしもなく大川村という一つの社会を組織して、ある統一を成立していた絶妙さ。お光の生家である北野家の先祖が、大川村の中心人物となったのも丁度そうした統一が完成しかけた時であった。それは、その頃の村人達は何も知らなかったが、卑しい身分から身を起こした一平民が地方に分裂していた日本の勢力を統一して、歴史上の戦国時代を最期にせしめた頃であった。血と血が入り乱れた長い年月の間にある性格、ある才能、ある体格の特徴がこの小さい村の住民達の間に繰り返されているうちに、勝れたもろ/\の血が、ある一人の子に恵まれたのだ。その一人が恵まれた体力と智力とまた努力によって村人との間にある種の優越を現わしたのだ。そして彼は富を得た。貧乏な意気地なしが彼の前に屈服した。彼は村全体を征服したくなった。そしてそれは彼にとって容易なことであった。――北野家は大川村の宗家(そうけ)である――こう彼が宣言してから、大川村は一切の権威を北野家に与えねばならなくなった。幾代の間北野家は大川村の宗家であることを村人の頭脳に浸み入らせるためにお光の祖先の意思に順(したが)って努力したことだろう。大川村の人達はすべて北野と同一血統で、したがって村の富栄は北野家の富栄であるように北野家の富栄は大川村の富栄である。大川村の住民は当然のこととして北野家の永遠を希い、そのためにはいかな犠牲も拒んではならないという一種の道徳が権威を帯びて村人に浸潤して行った。そうしてその結果は村一切の滋養は北野一家に吸収され、村全体は貧窮に苦しむようになり、しかもそれが感謝すべき自然な状態であるとさえ思い込むようになってしまった。お光がまた幼かった頃、終日を野に出て労働して日が海に没してしまう頃村の入口へ帰って来た百姓達の群が、自分達の泥まみれの仕事着も饑(ひも)じい空腹も忘れ果てたように、白壁の煉塀を廻らした宏壮な北野家の邸を仰いでいるのをよく見た。彼女が城門のような門際に佇んでいるのを、一人一人が心からお愛想を言って行った。村人達にはたとえどれ程彼ら自身の生活が貧弱化されても、北野家の富と栄えとは十分な報償であるらしかった。恐ろしいことにはお光達自身――北野家の子孫がこうした村の状態の源は遠い祖先の政略であったことを忘れて、それが正しいことのように思い込んでしまったことであった。お光でさえが後にひどい生活の苦労に洗われるまでは、それがどれほど悪い気の毒なことであったかに気づかなかった程であった。
 しかしお光が北野家の先人達のうちでやや詳しく知っているのはお光にとっては祖父にあたる伝右衛門の晩年以後からであった。伝右衛門が五十を過ぎた頃、その頃は大きな改革の波が日本を洗いかけている時代であった。彼はどんな改革が日本に起ころうとも彼自身の大川村における根底は深く揺るがないものだとの自信を抱いていた。政治上の実権が天子に返上されたとき五十八歳の彼は平気な顔をしていたが、暫くして彼はもう大川村の庄屋ではない。庄屋という役目さえもなくなったと聞いたときには、永久であるかのように信じていた自分の地位を一片の布告によって消滅せしめる新しい政府を不思議な眼で見ない訳に行かなかった。彼自身の立場がわりに浅いように思われて来た。彼は六十であった。人間としての活力は衰えかけていたが、ある種の知恵は老熟していた。彼は夢からさめたように全体を見廻した。どうにかしなくてはならないと彼は思った。彼は大川村の住民達があまりに貧しいのに驚いた。貧しいことはよいが、そのためにやがて他の村々との交通が開けるにつれて北野家への信従を失ってはいけないと彼は考えた。彼は最後の精力を振盪(しんとう)して清酒醸造の事業をはじめた。彼の計画は見事に的中して、新しい生気が村中に溢れて来た。村外れの空地に大きい酒蔵が建てられ、白壁がきら/\日光に輝く下で、若い村の青年が、かん、かん、かんと酒桶に輪を入れる音を響かしていた。多少の金廻りは村人の心を動揺させないために有効であった。「うまくいった。うまくいった、北野家の伝統の岩をゆるがし得るものがこの地上(よ)にあろうはずがない」伝右衛門は悦んだ。そうしてその悦びと共に、明治五年の春、伝右衛門は死んだのであった。
 伝右衛門には容太郎という一人の男子があった。彼は二十六の青年で、伝右衛門の先妻の子であった。容太郎の母は同じ村の青木という百姓の娘で、伝右衛門との間に容太郎を生んだきり子がなかった。容太郎が十五、六歳のとき母は子宮癌で苦しみ通して死んでしまった。しっかりした女手がなくなったために、青木の家の末の妹(容太郎の母の妹)が北野家へ来て家事の世話をすることになった。お信(のぶ)は細身ないつもは蒼白い顔で頼りない寂しい風をしていたが、何かの機会には情熱に燃えて美しく頬を染め出す女であった。伝右衛門はそうしたお信を美しいと思わぬでもなかったが、直接どうしようとする意思もなかった。そうした行為が生み出す不幸を知り過ぎている彼の聡明は静かに彼の欲念に打ち克って来ていたが、彼が清酒の醸造をはじめるようになってからは、彼は仕事のためにどうしても身肉を委ねての内助者が必要であった。彼はお信に結婚を強いた。どうしてそれがお信に断り得られよう! 五十八の伝右衛門と三十二のお信は結婚した! 恐ろしい悲痛はこの結婚によって育まれねばならなかった。誰も知らないうちに六つ年上の叔母のお信に恋する心を止め得なかったのは――伝右衛門の一子、お光の父容太郎であった。薄暗い土蔵の二階の冷たい静けさ。蒼白い肉体を内からの熱情で輝かすお信の美しさ。憂鬱な瞳の奥に閃く燐光のような気配の可愛さ。容太郎にはお信が忘れられなくなってしまった。気象の猛烈な容太郎は秘密な恋愛を嫌って、幾度となく伝右衛門に打ち明けようと焦るのをどうにか宥(なだ)めて来ていた時に、お信は、容太郎の父であり実姉の夫である伝右衛門と結婚しなくてはならなくなったのである。お信が伝右衛門の後添になってから、幾度容太郎は薄暗い湿った土蔵の中で彼女を捻じ伏せ擲りつけたか知れない。お信を殺すほどの痴(おろか)にもなれず、父を殺すだけの狂気も持てず、ずる/\お信の肉体に引きずられ、彼はやはり苦しい土蔵の秘密を秘密とする哀れな破廉恥な自分を見つめて二年の年月を送った。あるときはお信が懐妊して三月足らずで流産したとき、容太郎はその闇から闇へ往く生命が誰の子であるかを考えて狂いそうに悩みつづけた。「あなたの子よ。容太郎さん」お信のささやきを彼はぶちこわすように、「罰だ、罰だ! 誰の子だか分るものか」と考えた。そして同じお信の口から父の伝右衛門に、「旦那様、可哀いいことをいたしました」と言っている様子を想像すると堪らなくなった。こうした暗いじめ/\した恋であったが、何も知らずに伝右衛門が死んだ後に、容太郎とお信は忌わしい体感とともに残されたのであった。伝右衛門の死は二人に恐ろしい罪を犯していることの恐ろしさを、ひし/\と身にこたえしめた。一人にとっては実の父であり、一人にとっては実の夫であり、またその一人一人が実の叔母と甥である二人がこうまで愛し合わずには生きていられない事実。
 伝右衛門の死後何よりも容太郎の結婚問題が北野家に燃え上った。伝右衛門の遺書にはお信の兄であり、容太郎の母の兄である青木の家の二女のお里を貰ってくれとあった。そしてその第一の主張者はお信自身であったとは。
「お里さんを貰った方がようございましょう」
「それは本気だろうか。それで俺とお信さん、あなたとの間はどうするつもり」
「今まで通りでいいでしょう」
「馬鹿な!」
「どうして?」
「お信さんは一生土蔵の薄暗いところで俺と会うつもりかな」
 お光は、彼女の父母である容太郎とお信のこうしたシーンの心持を思いやって父母の苦しい心に息づまるような思いがした。
「そうでないとね、いつか二人の間が村の人に知れるか、どんなに用心していてもわたしに子でも出来てごらん、そうすれば二人は死ぬより外に道はなくなるでしょう」
「それじゃどうしろと言うのだ」
「それよりかお里さんを貰って村の衆達を納得させて置いてから、わたしをほんのあなたの召使のようにお傍に置いて下さったらよいでしょう。わたしは一生人に謗(そし)られて日影で暮すことを何とも思やしません。容さんの身分でわたし一人を世話する位は、お里さんを貰ったあとなら誰も見逃してくれることですから」そう言って辛そうに泣いたお信の切なさは一生お光にはわかるような気がした。
 お里は肉付のいい快活な田舎娘で、北野家に嫁入りしたことを一生の誉と思って、一日中快く働いた。お信を、「叔母さん、叔母さん」と母に仕えるように大切にした。しかしお信が次の年、どうにも妊娠をかくし切れなくなったとき、お里は初めお信の相手が誰であるか理解できなかったほどに単純な心の主であった。ある夜、恋しい夫である容太郎からお信の相手が実に彼自身であることを打ち明けられて、「仲よくしてくれ、な、お里」と言われたときのお里の世界が火焔を吹いて燃え上ったような感じは、お光が年とってからも涙ぐまずにいられないいじらしさをもって迫って来た。彼女は悲しい涙の味を知ったであろう。そして次の朝から世界は別な深味をまして彼女を迎えたであろう。田舎娘の単純な質朴さはお信に憎しみよりも妬(ねた)みを感ぜしめた。しかし妬んでも仕方がないと知ったとき、彼女は哀れ深い様子をして召使のような従順さでお信に奉仕した。お里のいじらしい心を見て、罪深い二人は深い溜息を漏すより外に道はなかった。しかも容太郎は新鮮な果実のようなお里の心や肉体よりも、廃(すた)りかけた蒼白な馴染深いお信の魂と体を愛さずにいられなかった。
 お信が中年の苦しい初産で生み落した嬰児は、頭ばかり青ぶくれな身体の小さい、泣声のひひひという汚ない男の児であったという。それがお光の兄にあたるのであった。お光はお光が生まれない以前のあるひとときを想像することが好きであった。それは丁度秋十月の末頃であらねばならなかった。一年の辛労の報償を暮れ易い秋の日に取り入れなくてはならない百姓達は晩(おそ)くまで野に働いていた。地は一面に誇らしい黄金色の稲穂の波をうねらせている野面が北野家の奥座敷から木の間隠れに見わたされる。
「お信さん、どんな工合ですかね」
「大分いいようですよ」お信は蒼白い痩せた頬にすまないような寂しい微笑を湛(たた)えて、お里が抱いている嬰児を見向きもしない。
「ちっとも自分の子のように可愛いい気のしない子だよ。その子はお前さんの子ですのね」
「そうして戴けたら、わたし嬉しいですけれど――いい子だこと」
 お里は青ぶくれのした嬰児の頬に自分の赤らんだぽた/\した頬をすりあてていた。
「おかしいのよ。ちっとも自分の子が可愛くないのだから――傍へよると何だかむさい匂いがするじゃないの?」
「ひどいお母さんだわね。わたしが可愛がってあげますから。容一郎さんというの、北野家の大切の大切のお世嗣(よつ)ぎですのね」お里は容一郎をあやしているうちに泣きたい気がして来た。お信も涙をにじませていた。庭園の立木を透して降りそそぐ秋の夕日は寂しく二人を照した。
「ほんとにその子をお里さんにあげましょうか」
「ええ、ええ、容一郎さんはわたしの子ですのよ」二人は憎み合えないだけ、それだけ胸の痛手を深く秘めて寂しがっていなくてはならなかった。もう叔母と姪でなく、女と女、一人の恋しい男を守る二人の女であった。
「お里さんにも一人出来てもよさそうなものですのに」
「ええ」お里は恥と口惜しさで俯(うつむ)いて心では祈っていた。しかしお里には子は授からなかった。
 次の年お信はまた生んだ。そうしてその出産はお信の生命の奪い手でもあった。しっかりと抱きあった、まる/\肥った健康らしい女の双児は、生まれ出るためにあまりに多くの血を母より奪ったのであった。忌わしい恋のために一生を捧げたお信は「あ」と言って閉じた双の瞳にちらと青白い燐光を燃やして息を引き取ったという。双児の一人は綾子であり、一人はお光なのであった。三十近くなっていた容太郎にとってお信の死は、忌わしい恋愛よりの解放であった。彼はまだ若かった。北野家に遺伝される善い素質が彼を彼の父が残した事業へ向かわしめた。彼はそうして救われるべきであった。彼一人はそうして救われるとしても、彼が犯した罪業の塊、あの年若い甥一人のために一生を捧げてそのためにはいかな罪悪も秘密も忍び終えたお信の血は、容一郎と綾子とお光との三人の生児として北野家に残されてあった。幸いにもお里は子がなかった。子のない女の寂しさは三人の子供を親身の母のように愛育した。お光は後に、お信がお里を北野家へ迎えようと主張したことを思い合わせて、何ともいえない微妙さを味わうことがあった。
 しかしお光が物心がつきはじめる頃の父の容太郎の印象はそうした前生涯を通って来た人とは思われないほどに功利的でより実業的(マアチャント)であった。容太郎はお信の死後、再生したといってよかった。長い間の奇怪な幽鬱な肉欲と蒼白な魂の感化から解放された彼に、抑制されていた英雄的な物質主義が生きて来た。憂鬱はお信のもので、彼自身のものでなかった。精悍な体躯と容貌をお光はよく記憶していた。百畳は十分敷ける広大な茶の間(天井のないその部屋の高い屋根裏を橋梁のように太い梁が走り、片隅の一間四方の囲炉裡には純銀の茶釜が黒ずんだ自在にぶら下げてあった)の正面に坐って来客に応対している父のどっしり落着いた態度はお光に忘られなかった。大抵の来客は、ひっそりした広い部屋内の静けさと、容太郎の態度とに脅かされて半分の力も使えないらしかった。「あはっはっはっ……」と何かの拍子に彼に一つ哄笑されるともう大抵の者は逃げ帰ってしまうらしかった。そうした風になりきった容太郎はかつては彼の父の伝右衛門が熱中したように、事業欲に熱したのであった、酒の醸造、大仕掛の漁猟、付近の村や町との取引――という風に、明治も十四、五年になる頃は、彼の威勢は付近の村々にも鳴り響いていた。そうして彼の家庭の内部を一切しめくくったものは哀れな生まず女のお里であった。お光は幼い時分のことを想うごとに柔しいお里の生涯に感謝せずにはいられなかった。
 お光が彼女の兄姉やお里に関する最初の記憶は妙に一生忘られない暗示に充ちたものであった。冷たい感触の漂う奥の仏室で、まだ五つになるかならずの彼女は姉の綾子(双児ではあったがお光は妹分にされていた、それは一生そうであった)と二人で紅椿の花で飯事(ままごと)をして遊んでいた。障子に薄日が薄赤く射していた。綾子に対しては何故か受動的であるお光は綾子の言うままに花弁(はなびら)を一枚一枚揃えていたのだ。綾子はお光の揃えた花弁を糸でつなぎあわしていた。すると後ろで不意に綾子を擲りつけるものがあった。それは兄の容一郎が、青ぶくれのした大きい頭を重そうによち/\歩みよって、お光だと思って綾子を擲りつけたのであった。しかし次の瞬間容一郎はそれが綾子であったことを発見して蒼くなって立ち竦(すく)んでしまった。お光に対して生来強者である彼は綾子に対してはまるで弱者であったのだ。彼はお光の穏やかな哀れを乞うような涙の代りに、綾子の恐ろしい侮蔑の眼光を得ねばならなかった。「容一郎の馬鹿!」それはお光が年とってからも忘られなかったほどに恐ろしかった。無論容一郎は力を限りに泣き出したのであった。こうした三人の子供を育てて行かねばならないお里も可哀そうであった。お光はよく奥の薄暗い納戸の蔭でお里がしょんぼり涙ぐんでいるのを見た。お光が年をとってからお里が「お前さんの父はわたしを一度でも本気に愛したことがあるのだろうかしら。一度でもあるならわたしだって一度位は自分の子を生んでもよさそうなものだのに――」と言ったことがあった。「お信さんは生んでくれたのだわね。わたしは育てる方の役目らしいのね。ほんとにお前さん達は母親を二人もった果報者というわけだったのね」と言ったこともあった。そしてそうした事を言う程にお里が三人のうちでお光を誰よりも愛したことも事実であった。お光はまた、父の容太郎が急がしい事業に暇々に虚弱な、我儘で、小心な容一郎が泣いてぐずっているのを「ああ、北野家も己限りかなあ」という風にじっと見守っている寂しそうな姿も覚えていた。生まれた子の劣悪を非難できない父の心中を思いやるとお光は淋しく、そうして自分の肉心にめぐる血に異様な恐ろしさを感じずにいられなかった。父はお光をも愛したが、勝気で男勝りな、強い綾子の、豊麗な少女と成長して行くのにある希望を見出していた。
 三人の兄妹が七、八つになった時分、隣村にはじめて小学校のようなものが創立された。誰一人村では通わそうというもののないその学校へ容太郎は召使をつけて毎日三人を学校へ通わした。お光には知らない他所の子供達と一緒に椅子に腰かけて、年老いた先生から難しい漢文や算数を習うことが厭でたまらなかった。どうかして学校へ行きたくないものだと、その頃お光はどんなに思ったろう。それに引きかえ容一郎と綾子は学校へ行くことを喜んだ。容一郎の学問に対する進境の速かなことは学校の先生を驚かした。彼は家へ帰ってからも一人黙って書物をいじくって日を暮らすようになった。豊かな黒い髪、豊麗な肉付、切れ目の長い瞳、透き徹った骨の硬い鼻筋、品のいいふっくらとした鼻付、肥えた下唇、緩やかな顎、血色のうるわしい耳房――人々はお光と綾子を瓜二つのような美しいお嬢さまと言ったが、お光自身は自分が綾子のように美しい少女であるとは信じられなかった。学校でお光は他人と話するのが辛いために部屋の隅に隠れているにもかかわらず、綾子は十日も経たないうちに三十人近い年上の生徒達をいつしか自分の身辺に集めて「綾子さん、綾子さん」と皆に崇拝されていた。お光も内心綾子を崇拝していた。しかしお光には学校は面白くなかった。春になると彼女は学校への道の中途で忘れ物をして来たと嘘をついて、麗(うらら)かな春の日の照っている菜の花畑で、雲雀の声を聞きながら、幸福な春の半日を静かな野に送るのを常としていた。
 お信が苦しい恋愛の胎内から生み下した三人の児は、北野家の勢威とお里の愛のうちに長閑(のどか)な平和な日を育って行った。悩みというも、悲しみというも、平和な大海の面に騒ぐ小波にすぎなかった。幸福なうちにお光達の青春がやって来ていた。お光は彼女の青春が来ない少女の時代に対してはそう大した記憶がなかった。
「ほんとにお前さんと綾さんとはよく似ていましたよ。二人が眠っている寝顔を見るとどちらがどちらか分らない位でした。でも、そんなときにはどっちか一人を起こせば分りました。お前さんであれば起こされてはじめはぼんやりしているが、わたしだと分れば穏やかに笑ったけれど、綾子さんだと厳しく怒るように瞳をみはって、それからひきつったように顔を歪めましたっけ」とお里がお光に二人の少女時代の話をした。
 少女時代にお光が唯一つ忘られない事実がないでもなかった。それは村の貧しい小作人の一人(背の低い陰鬱な、貧乏のために結婚をせずに一生いた男だという)がある夏の夜、村の娘を無理に関係をつけてしまった。娘は月足らずの男の児を生んだ。その児を仕方なしにその男が育て上げねばならなかった。成長するにつれてその少年はどこか普通の少年と異常で、何よりも労働を嫌がった。野良へ追い出しても草原に寝そべって青い空に吸われるように見入っていて草一つ□(むし)ろうとしない。彼が十六の年、彼の親の小作人は「乾鰮(ほしか)のように」黒く瘠せ枯れて死んでしまった。親が死んでから彼は小さな家に閉じ籠って仕事をしようとしなかった。村の人達が行っていろいろ意見するが、恐ろしい顔をして「馬鹿!」と怒鳴りつけて寄せつけない。村の人達の話によれば、次のような会話が幾度となく取り交されたというのだ。
「どうしてお前はそんなに怠けているのだ。親爺が死んだらお前が親爺のあとをついで家を立ててゆかなくちゃなるまい、え。お前の親爺はいい働き手やった。その子のお前じゃないか。働いて大きうなって嫁を貰って一家を立てて行かなくちゃならんではないか」
「誰が働くものか!」
「働きとうなくても、吾々のような貧乏人は働かなくては食えないのだ。そこを諦めて働かなくてどうする」
「厭だ! 働いて親爺のように黒い乾鰮のように瘠せて死んでしまうのは俺は厭だ」
「働かずにどうして生きておれる」
「嘘を言え!」
「ど、どうして嘘を言うものか」
「そんなら北野様御一家はどうしてあの贅沢をして食っているのだ!」
 村の人達はこう言われて恐ろしい禁制を犯したような危険を感じて、この一少年によって表現された言葉の意味を考えようと試みたが分らなかった。そこで彼等は容太郎にこのことを告げて「意見」を頼んだのであった。
「今夜でもいってやろう」と容太郎が言った。お光はそれを傍に居(お)って聞いていた。夕方彼女は父について家を出た。村のはずれの小さい小屋のような家の前で父は「太一いるか」と言った。
「誰だ!」
「わしだ。なぜ灯をとぼさんのだ」
「油がないからだ!」そう言って戸をあけて出て来た、瘠せた、眼はある種の権威に輝いている薄汚い少年を、お光は忘られない人の一人として一生思い出した。
「北野の旦那様ですかい。何の用があって来たのだ。俺は親爺の残して行ったほんの少しの零(こぼ)れ米で食っているのだ。働こうと働くまいとお前さんの知ったことであるまい。帰ってくれ! さっさと帰ってくれ!」
「何を言う□」
「大盗賊(おおどろぼう)! 俺の親爺を乾鰮のように干乾しにして殺した大盗人! この俺までを干乾しにしようとするのかい! くそッ、その手にのるもんかい! 大盗人」そう言って彼はさも忍耐できないという風に大きくしゃくりあげてすすり泣いた。容太郎は暫くぼんやり立っていたが、おぼろげに彼が何を言おうとしているかが分って来た。もう許して置けなかった。身内に何代もの祖先の血が逆行した。彼は泣いている少年の頬を力まかせに擲りつけた。すると少年は泣くのをぴたりと止めた。
「う、う、やったな。仇討だ! 覚悟をしろ!」
「身の程知らずめ!」
「うう」
 薄暗い戸口で格闘がはじまった。何といっても容太郎が強かった。彼は少年を捻じ伏せて後ろ手に帯で縛り上げてしまった。そしてお光に村の者を呼んで来いと言った。お光はそう言われてはっとした。彼女はその瞬間、彼女は少年が勝ってくれるようにと無意識に少年に同情していたことを知ったからであった。彼女は父にすまない気がした。しかし少年のために祈ったことも事実であった。彼女は村の人を呼びに行った。村の人が来ると容太郎は「こいつは気が狂(ふ)れたらしい。家の裏手の灰小屋をあけて、あの中へ閉じ込めて下され」月光が白く村一面に降りそそいでいる夜であった。村の人達は少年の灰小屋の一つに押し込めてしまった。
「盗人! 村の血を吸いとる大盗人! うう、うう、村の衆の大馬鹿! うう、うう、己を縛りあげるとは、うう、大馬鹿! 大盗人! うう、今に見ろ! 今に見ろ!」
 必死の唸きが春の夜を月に吠える病犬の叫びのようにいつまでも吠えてやまなかった。灰小屋の中で灰に塗(ぬ)れて「焼け焦げの乾鰮」のようになって、この哀れな叛逆者は、三日三晩叫び続けて死んでしまった。
 村の人達は相変らず黒く湿った土を耕すために薄暗いうちから野へ出て、堅い土を耕し、田植の賑やかな忙しさを送ればすぐに水廻りや、草□りや、虫送りを迎え、さて秋の激烈な取り入れという風に、一年を通じて日の出から日の入りまでの労働に骨身を惜まなかった。彼等が死なないのが不思議な位であった。彼等は頑強らしく見えたが、それは太陽の直射と荒い風のためにそう見えるので、その実、瘠せ衰えて病気に罹りやすい抵抗力の弱い身体をもてあまさねばならなかった。苦痛を逃れられないものとする宿命観と暗夜の泥塗れの淫蕩、そうして貧乏。しかしそれは大川村の人達のことであった。北野家には幸福と平和のみがあるべきであった。
 お光は二十の夏まで不幸、真に人生の不幸というものを知らずに生きて来ていた。しかし遂に彼女をして涙の味わいを知らしめる時が来た。それは忘れもしないお光が二十の夏、日本の年号でいえば明治二十五年の七月のことであった。
 その日は朝からじり/\焼け爛(ただ)れそうな日であった。これほど熱烈に明徹に燃焼した日が地上にあり得ようかと思われた。地上の物象が燃え上らないのがお光には不思議に思われた。この日は、二、三年前から兄の容一郎が英語を勉強するために金沢の市街(まち)へ往復するようになってから親しくなったその市街の大きい商人の一人息子である大河俊太郎が、新造の和船を北海道の方から廻航して来る道すがら、大川村の浜へ寄るはずになっていた。俊太郎は兄の容一郎とは気が合うというものか、彼から泊りがけに来ることもあり、容一郎が俊太郎の家へ泊りがけに行くこともあった。そうして彼と綾子とが恋し合っていることは兄もお光も認識し、また好意をもって許しあっている事実でもあった。そうした俊太郎が二十四の青年でありながら、一隻の船を廻航してわざわざ大川村の浜へ寄ることは容一郎兄妹にとっては嬉しいことであった。容一郎とお光は浜への焼けた村道を歩いて行った。綾子は誘われたが来なかった。そうして彼女の来ないところに彼女と俊太郎との恋があった。容一郎とお光はそうした綾子の心を思いやっていた。
 その日、歩いてゆく二人の上に光った空はぴり/\顫え、一面の青田から陽熱に蒸された若い稲の強烈な匂いがお光達の感覚を圧迫した。曠野の中に細く立った無常堂の錆びた煙突も赤く輝いていた。お光と兄は黙って歩いて行ったが、お光には容一郎がこうした強烈な自然の光景を見まいとするように眼を閉じるのを知っていた。曠野の涯の松林を越えると道は熱砂の砂丘に高まっていた。薄赤い昼顔が砂上に夢のように咲き乱れていた。そうして陽熱と地熱の照り返し合う砂丘へ満々と湛えた碧藍の海から微風がそよ/\と吹いて来た。
「ああ、いい気持!」と兄はお光を顧みて叫んだのであった。限りない充実を静かにゆるみなく漲らした偉大な海の前に立って、お光もいつものことながら兄の叫びに同じたのであった。
 誰一人いない浜の砂丘に立って、二人は暫く海の深い気配、明暗、拡がり光り燃焼する空の面に見とれていたが、人並はずれて大きい頭からたら/\汗をながして、女のお光よりも少し低い位の身体を苦しそうに喘いでいた兄の容一郎は突然「お光」と呼びかけた。お光はそうしたことはしば/\あったので、それにお光はその頃兄を学者として尊敬していたので、何かしらと耳をかたむけた。
「今地球は廻っているのだよ、お光」そう言った兄の顔は非常に苦しいものであった。
「己は今、いい気持になってうっとりしかけたのだが――己はすんでのことで大変なことをしかけたのだ。自然、この見渡す限りの自然がどうして己にとってうっとりするほどの恩寵に充ちた世界だろうか。コペルニクスという人、西洋の学者は地球は廻っているということを教えてくれたが――それが真理であることを知るまでは誰も知り得ないという人間でしかない……自然は決してうっとりするような恵み深いものでないのだ。己が今うっとりしかけたのは己の心に油断が生じたからなのだ。もし自然が恩寵深いものなら、第一、己のこの肉体の醜悪で、虚弱なのは何と言ってよいのだろうかな。どうしたって己は自然は残酷なものと断定しないわけにはゆかない。そうじゃないか、お光。無論お前は美しいから己に反対するかも知れないが――」
 お光は、じり/\焼け爛れた日中に寂しそうに立っている、頭ばかり大きい、胴の短く細い、脚の短い兄の姿を正面から見る気になれなかった。幾度となく聴かされる兄の呪いではあるが、さてどうといって慰めようもないことであった。
「己は何のために生まれて来たものだろうか。この血の気のない萎(しな)びた皮膚、青白い細い手足、肋骨の一本一本見えすく胴、五尺に足らぬ躯幹、それから、あはははは、南瓜のような頭――これほど揃いも揃って醜悪に作らなくてもよさそうなものじゃないかね。どう考えても己は生まれない前から呪われている! 太閤が生まれたときには母親は太陽を夢みたというし、西洋の耶蘇(ヤソ)が生まれたときには空の星辰が一時に輝いて祝福したというが、己の生まれたときには恐らく蟇(がま)か蚯蚓(みみず)が唸ったかも知れやしない!」
 お光は静かに兄の流れ出す言葉を聴いていた。一生懸命聴くことがせめてもの彼女の出来ることであった。二人は波打際の伝馬船の蔭に腰を下していた。
「己が北野家の嫡子に生まれたことが第一皮肉じゃないかしら。この、重い石塊一つ持てない肉体、うまい魚を少し食いすぎればもう吐き出す胃袋、それが北野家の長男だからおかしいじゃないか。なるほど己は学問が好きだ。天地の道理を知る歓びは己の一つの傲(おご)りである。しかし己が北野家の長男であるが故に、家を出て思う存分勉強出来ないじゃないか。また勉強できたところが、己のこの呪われた身体では知るだけで実行出来ないじゃないか。あはははは。要するに己は呪われているのさ。己は北野家の富と地位を守る番人としても碌な奴でないし、学問しても碌な学者にはなれないし、あははははは。親爺はえらい厄介なものを生んでくれたものだ。生んだものはまだいいが、生まれて来た己は災難じゃないかね」兄は暫く眼を閉じていたが、言い出した平常の苦悶は最後まで言い切らなければ止められなかった。
「親爺の容太郎は己にもの一言いわないようにしている。自分で自分が嫌になる位の己自身の有様だから、親爺の身になってみれば無理もないかもしれないが、あの冷淡な、早く死んでくれというような眼差しはどうだろう。何んでそんなに見づらい己を何故生ましたのだ。己は親爺にいつ生んでくれと頼んだことがあるか。勝手に生んだのではないか。生まれて来た己に何の罪がある。しかも一切の罪業の罰が己に呪いとなって積み重なってくるのだから苦しいじゃないか――え、お光、お前はどう思う。お里は己達にとって生みの母でないことは確かだが、一体己達には何にあたるだろう。親爺にとっても従妹、己にとっても従妹、己の生母は親爺の叔母、己には母でそうして大伯母――どうしたことだ! こりかたまった罪業の罰が己の不幸な生涯に負いかかって来ているのを感じるのが己の誤りだろうか」
 お光は兄の蒼ぶくれの顔に辛そうな涙のにじんで来るのを見た。お光は兄を慰めたくてならなかった。しかしどう言って慰めてよいか分らなかった。綾子であるなら「兄さん、お止しなさいな、めそ/\言うことは大嫌い!」という風に兄の心を引き立てもするのだが、お光にはできなかった。お光はただ心で同情しているより仕方がなかった。お光は仕方なしに瞳を海の方へ向けた。ゆったり湛えた海面一杯に日は照り返し、白い波頭が入り乱れていた。そうして今まで見えなかった一隻の和船が純白な帆に風を孕ませて海岸近く走せてくるのが見えた。ああ、それを見たときの嬉しさはお光に一生忘られないものの一つであった。
「兄さん、俊太郎さんの船が見えましてよ」
「おう。そうらしいね」兄もさすがに嬉しそうに立ち上がった。兄の唯一の親友であり、兄との内面的交渉の深い、常に兄を光明的に力づけている俊太郎であることを知っているお光は、そうした場合兄以上に嬉しかった。ああ、漫々たる大海原を白鳥のように乗り切って来る愛すべき奴よ! 船首に翻る真赤な旗の間から船頭の逞しい裸体の動作が見え、やがて船首が海岸の方へ真正面に向き変った。お光達には腕を拱(こま)ぬいて立っている大河俊太郎の姿がはっきり見えた。兄はたまらないように「おうい」と叫んだ。
「おうい!」弾力のある俊太郎の声が海の微風に送られて響いて来た。
 やがて船の進行が止まって新しい錨がぎらり青い光を閃かして海に投げ入れられた。海は新しい船を軽々と白鳥のように浮べたままゆらりゆらり波をうねらせていた。海上に下された一艘の伝馬が俊太郎を乗せて近づいて来た。
「よう、ありがとう」
「おう」と俊太郎と容一郎の手を握り合った瞬間、容一郎の眼には涙がにじみ出ていた。
「わざ/\すまなかった。お光さんも来て下さって!」という簡素な言葉と真から懐かしげにしげしげ見下している清らかな黒目勝ちな眼には、兄妹に対する明るい愛が現われているのをお光は知った。
「いい景気だったよ! とても松前の景気を見て来るとこの辺は死んでいるようなものだあね」睫毛をしば/\させる俊太郎の細身に見える程に引きしまった筋肉を日はたら/\と照した。容一郎は見上げるようにして、
「いい船だ、思ったよりいい船だね」と言った。
「どうしてしっかりしている。佐渡の近くで不意な暴風にでっくわしてもびくともしなかったっけ――どうも暑い! 船へ行こう。船上は帆の影で涼しい」
 容一郎は黙っていた。俊太郎はお光に尋ねるように、「またふさぎの虫がついたのじゃないかな。それとも学者らしく納まったのかね、え」そうは言ったが、眼色は心からの心配と友情を表わしていた。お光はそれが嬉しかった。
 やがて三人は伝馬に運ばれて新しい船に乗り移った。新しい木の香がすが/\しかった。俊太郎は甲板を踏みならして、「面倒くさいことがあったらここへ来るといいですよ。支那へでも南洋へでも君を乗せて行って、君はここで好きな本を読んでいたらいいじゃないかね。海の上へ出ると気がまたからりと換(かわ)るものだから」そして「おおい! ここへ茣蓙(ござ)を敷いて、栗の罐詰と酒を持って来てくれないか」と彼はどなった。主檣(メインマスト)の周囲の空所に三人は坐りこんだのだ。お光は半ば恐ろしく半ば壮快に見渡す大海原を眺めていた。すると兄が「実はさっきから地球は今廻っているのだと考えていたので」と言って笑った。船頭が酒をもって来た。お光は兄と俊太郎に酌をしつつ、ほがらかな幸福を感じていた。二人ともそんなに飲める方ではなかった。
「くよ/\するのは無理もありません。しかしそのくよ/\にもくよ/\がありますよ。ひょっと考えてみりゃぁ天地は広大ではないだろうか。君の真価値をそんなに誰でもが知ったらそれこそ迷惑さ。君の身体は弱い。君の容貌はなる程醜い。しかし君の内なる魂の偉大はそうしたものを内から輝かしているはずだあね」
(君の身体は弱い、君の容貌は醜い)と兄の前ではっきり言い得るだけの人間は俊太郎一人であった。お光はそうした瞬間には俊太郎に親身の兄のような愛を感じた。そうして事実彼は綾子の夫として将来彼女の兄となるべき筈でもあった。
「それは淋しくて切ないことだ。しかし、それは既にどうにもならない自然の運命。恨むのはいいが、恨むことに囚われて自由な路を見失うのは愚だ――君の親爺はどうして君を愛さないものか。ただ君の内なる親爺自身を見出すのが辛いから、自分を恐れて君につらく無情らしくあたるのに相違ないのさ。それよりか己の親爺と来たら、ほんとに考えても涙がこぼれる。酒は飲む、博奕は打つ、ああ己が七つ八つの時分から朝の暗いうちから起きて飯を焚いて、味噌汁をこしらえて、それから親爺様御飯が出来ましたと言って起こして行くまで床にいて起きなかったのだからね。勿論己の嘗(な)めて来た苦しみと君の嘗めなくてはならぬ苦痛とはまるで本質が違うことはちがう。君のは何と言ったらいいだろう――前世の業だね!」お光はぴりりと神経にこたえたが、兄は存外しずかに、罐詰の栗を、「うまい」と言って食べた。
「うまいだろう。この沖合で君と一杯やろうと思って用意して来たのだから。この沖へ来たときには大きい男の胸がわく/\したからね! ――それはそうとこの頃何を読んでいるのかね。この前会ったときはダアウィンの進化論で己を煙に捲いていたっけが」
「この頃は何も読まない。頭が重いし、暑さが身体にこたえて」
 二人は浅い酒の酔いに頬をほてらしていた。お光も小さい盃に一杯注がれて身体中の血を熱くして来た。船頭のうたう出雲節がきれぎれに、
西が黒けれあ雨とやあら、東が紅(あか)けれあ風とやあら、
千石積んだる船でさえ、風があわねばはせもどうる……
と海の微風と共に送られて来た。
「綾子さんはたっしゃですか」と俊太郎が暫くしてたずねた。
「あいつはいつも元気で、家中自分のものにしていますよ。そうして――」
「そうして?」
「あはははは、君のことを言うときだけはおとなしくなるから妙です」
「そうか」と俊太郎はお光を見て微笑(ほほえ)んだ。嬉しいのだとお光は思っていた。
「お光さんもたっしゃらしくて結構ですな」お光はただ微笑むより返事の仕様がなかった。
「君は実際いい妹さんをもって結構だよ」と彼は言った。
「さあ――しかし妹なんていらないと思うね。ことに綾子の己を馬鹿にしきっていることは!」
「綾子さんか、そんなに邪魔なら僕がもらおうかしら」
 三人はいつしかお互いに全心の力で緊張し合わねばならなかった。
「それはもう! 綾子も君のこととなると特別なんだから! ――君の方から直接僕の親爺の方へ申込んでくれるといいのだが」
「そうかしら」
 そして三人ともほっとしたのであった。
 ――伝馬は暫くたってお光達を陸へ戻してくれた。夕焼の燃えたつ海上を新しい船が帆をあげて出てゆく情景は美しいものだった。お光と兄は静かに寂しい夏の入日を背にして野道をかえったのであった。路々兄は言った。
「お前はどう思う。綾子の夫として恥かしくない男じゃないか」
「ええ、そうですとも!」
「お前は少しあとになっても辛抱してくれろな」
 村近くで、虫の鳴く音がしきりにしていた。昼の余炎はまださめ切らなかったが、野面をわたる風は寒かった。お光も容一郎もまた俊太郎も、また実に綾子も、俊太郎の妻となるべきものは綾子であると信じきっていたこの日のことが、わずかの日のうちに、お光が俊太郎に嫁がねばならなくなるような異変が起ころうとは、少しも夢みさえしなかった事実であった。
 その頃金沢の市街に「自由社」という学術上の青年の結社があった。最初は当時の中央政界で志を得なかったY氏が故郷に退いて静かに力を蓄えつつ自由民権の思想を青年に浸潤させようために結ばれた政治結社だったが、明治二十三年に憲法が発布され国民議会が召集されY氏がその第一回議員に選ばれると、自由社を見捨ててしまった。Y氏が去ったあとにも自由社は残ったが、純然たる学術上の青年結社となったのであった。そうして毎年夏にはこの社の総会があって、中央の思想界の名士を招待して講演をしてもらう慣例となっていた。北野容一郎も実にその頃の自由社の青年達の間では有力な一人であったのだ。そうしてこの年の講演会には大学教授で有名な法律学者のO博士と、その頃あまり一般的ではなかったが『洪水』という月刊雑誌を出して一部の青年に自由と力と熱とを解放せよと宣伝し在来の権威を破ろうとしている青年思想家の天野一郎とを招待することになっていた。
 お光と容一郎が大川村の浜辺で俊太郎に会ってから(俊太郎は山陰の米子港まで行くはずだった)二日経ったある朝のことであった。お光が門際に立って村の入口の森林に射す日の光を浴びていると郵便屋が電報を持って来た。兄あての電報であった。兄の特別あつらえの書斎は土蔵の後ろに建てられた新しい二階建であった。お光は胸に異様な動悸を感じながら、ぎし/\音のする階段を昇って行くと、窓から射す日光が浅黄の蚊帳の糸に美しくもつれていた。静かであった。彼女は兄が眼をさましていてくれればいいと考えていた。兄は床の中で眼を開いていた。
「綾子かい」
「いいえ、わたし」
「お光かい」
「ええ」
「綾子かと思った。あいつ大河のことを話すと妙に女らしくなるからおかしい」
「電報が来ました」
 彼はお光から電報を受取った。そしてむっくりお光が驚いたほど元気よく跳ね起きた。
「今から金沢へ行って来る。自由社の講演会が今日になったのだ!」
 すると力の籠った足音がして、黒い艶々した量の豊かな髪を銀杏に結って、服綸更紗(フクリンさらさ)の前掛をしめて淡紅色のたすきを片方だけ外した綾子がはいって来た。すばらしい美しさであった。お光よりか少し背が高くすんなりと伸びて、充溢する光輝が彼女の全身を力強く活気立たせていた。
「はやく御飯をしまわなくちゃ、じゃまでしょうがない」と彼女が言った。
「今から金沢へ行くのですって」お光は兄が黙っているので言った。
「何しに?」
「自由社の講演会に」そう言ってお光は電報を見せた。そうして三人は階段を下りて、長い縁側の廊下を通って茶の間へ行くと、髪の毛の白くなった容太郎がただ一人瞑目して坐っていた。そのときの父と三人の子が坐って向いあったときの森厳な平和はお光に一生忘られなかった。容一郎がじり/\に燃えて来る野の道を金沢の方へ出て行くのを綾子とお光は見送ったのである。

 蒸し暑い風の淀んだ次の日の夜であった。地平にひろごる残光は暗い空と黒藍の海に吸われて、闇が平野一面に這い拡がっていた。曇った鈍い空には月光が層雲の間から射すのみで月は見えなかった。血を騒がす異様な蒸し暑さが充ちる夜であった。お光は門口に立って戸外を眺めていた。彼女は綾子が夕頃から見えなくなったのが何故か心配であった。昨日の夕方晩く、兄の容一郎が勝利を得た将軍のように金沢から帰って来た。彼は実にその時の講師の一人である青年思想家天野一郎を同道して来たのであった。お光は少なくとも三十四、五の人物を予期していたのに未だ三十前の青年であった。しかも、その男性的な容貌と態度の立派さ! 威圧するような泰然とした静坐の仕様、静かではあるが熱と力に充ちた話し振り、父の容太郎に広い茶の室で容一郎が紹介したときの、あの父さえも一と呑みにしてしまったような自由な悠々たる身のこなしよう、まるでこの北野家というものが何の価値もないようなゆったりした態度、それは兄にとっては崇拝の念を喚び起こし、お光には恐ろしい気持を抱かせ、そうして綾子には「何を!」という反感と敵愾心(てきがいしん)を起こさしめていた。お光は綾子が凄まじい憎悪に緊張しながら彼を睨みつけていた、昨日から今日の様子を思い浮かべつつ、綾子が夕方頃見えなくなると共に、彼、天野一郎も見えなくなったのが心配でならなかった。
「憎ったらしい!」と綾子はその日の午後お光に言った。「人を見下したようなあの態度はどうでしょう。兄や父は何をあんなに珍重(めずらし)がる必要があるんでしょう。追い出してしまえばいいじゃないの□」その言葉からお光は綾子の苛々(いらいら)した、自分を傷つけられたものの悲しみを聞いた。同時に天野の注意が特に綾子に向けられていることも彼女は気づいていた。お光は一時間近くも門際に立って何を待つともなく待っていた。もう日は沈み、真暗であった。そうして真暗な夜に、星が村々の樹木に照り返っていた。ふと気づくと、すらりと背の高い男の姿が大股に緩やかに鎮守の森の方から歩いて来るのが見えた。天野であった。
「お光さんかね」耳の近くで囁くように言って、彼は悠然と門の内へはいっていった。入りしなにじいっと吸い込むように見下した深い眼光には超人間的な恐ろしさがあった。お光はほっとした。すると同じ森の方からとぼ/\と歩んでくる黒い影が見えた。綾子に違いないとお光は思った。綾子であった。
「綾子さん」そう呼びかけたとき見合わした綾子の眼の複雑な恐ろしさ。燃ゆる熱火を厳粛な冷やかさでじっと制している刃のような凄さが身に迫って来た。
「お光さん」
「――?」
「ちょっと来て頂戴」綾子は邸の横手の人の通らない小径に身をひそめた。お光は動悸をおさえて綾子について行った。
「お光さん、これはわたしがあなたへの一生に一度のお願いですよ」と綾子の声はやや顫えていたが、冷たい厳粛さが底にあった。
「わたしは復讐をしなくてはならない身になりました。わたしの二十年の生涯の誇りも美しさも清さも、一切のわたしを蹂み躙った人間に、一生をもって復讐しなくてはならなくなりました――」お光はぎょっとした。綾子はつづけた。
「お光さん、わたしは明日、あの憎い天野一郎とこの家を永久に駈落ちしますよ。みんなはわたしが彼奴(あいつ)に惚れて逃げたと言うでしょう。しかしお光さん、お前さんだけは、わたしが一生涯かかって今日のこの屈辱の復讐をするために仇敵(かたき)を逃がさないように、仇敵と共に逃げたことを知っていて下さい。そして、あの大河さんのところへはあなたがわたしの身代りに行って下さいよ。分って? ええ、お光さん、わたしが一生の願いですよ」綾子は空を見上げるようにして唸った。
「無礼な! 兄や父を丸め込んで、それで足りないでこのわたしまでを征服しようとしたって……このわたしの身体を征服したって、この本当のわたしをどうできるものでしょう! 本当のわたしはいつまでも俊太郎さんのもの! ――憎い奴、憎い奴だ! 天野一郎の畜生! この日を覚えているがいい! きっと復讐はする! 一生かかって復讐する! ――お光さん、わたしは天野と結婚します。そうして十分わたしの美しい肉体で酔わしてやりましょう。しかし十年二十年のうちに、きっと今日のこの復讐をして、あの力に充ちた天野を滅ぼしてみせます! お光さん、お前さんは俊太郎さんへ行って下さいよ。そしてこのことはお前さん一人の一生の秘密ですのよ」
 次の日天野が出発した。そしてその夜綾子が家出をしてしまった。汽車の中からとして兄と父あてに「天野と夫婦になるために」逃げたと書いてよこした。皆はそう信じてしまった。父も兄も綾子を浮気ものだと怒った。殊に父はいよ/\自分の罪の報いが来たように眉を顰(しか)めた。どうにでも勝手にしろ! と彼は言った。綾子のそうしたことも知らずに大河俊太郎が結婚を申し込んで来たとき、お光は自分でもよろしければどうぞと頼んだのであった。容易に話は纏らなかったが、お光の本気が皆のいろ/\な感情を柔らげるに力があった。お光が大河俊太郎に嫁入ったときの心持はむしろ悲壮であった。

 容太郎はお光が嫁入った翌年死んでしまった。そしてその年の秋にはお里も死んでしまった。北野家には容一郎一人が残されたのであったが、その容一郎も、決して幸福に人間の寿命を生きたわけではなかった。北野家の滅亡すべき時が来ていたのであった。しかし滅亡したとて惜しむわけはないのだ。とお光は後に思った。もと/\何一つないのがあたりまえの北野家であった。大きな邸宅や財宝のあるのが間違いであった。しかもその滅亡が北野家の総領である容一郎自身の死と意思によって実行されたことは、むしろ北野家のために祝福すべきであるのかも知れない。お光が大河に嫁して三年目の春五月、胃癌で患っていた容一郎は土蔵の(この土蔵は容太郎とお信の恋の廃墟であった)二階で縊死したのだ。しかも、遺書には全財産を大川村全体にお返しすると書いてあった。
 全財産を大川村へ返却する! ああ自分の弱いことに悩みつづけていた容一郎の最後の人生への贈物はこの一事であった。人々は狂気したのではないかと言ったが、狂気の証跡はどこにもなかった。北野家は滅びてしまった。しかし容一郎の精神は永遠に生きるであろう。俊太郎はお光に「偉い、偉い! とう/\実行した! お前の兄貴は偉い!」と言ったが、その俊太郎の知己の言であることも、俊太郎の死後、年とってからようやく分ったことであった。
 北野家が亡びた翌年、お光は平一郎を生んだのであった。そうして平一郎が三つの春、俊太郎は死んだのであった。俊太郎の死後、お光は平一郎一人のために彼女の後半生を捨てて、生活して来たのであった。ああ、その間の長い苦労よ。
 このお光の生涯の一大転機はあの天野が綾子を「奪った」ことに原因しているのである。天野が綾子を辱しめなかったなら、綾子は真の恋人の大河俊太郎に嫁いだであろう。そしてそれは俊太郎にとっても綾子にとっても幸福であったろう。そしてお光もこうした苦艱な運命を受けないですみ、北野家もあるいはあれほど惨めに亡びなくてもよかったであろう。一切の運命の狂いの原因は、むかしの天野一郎、いまの天野栄介一人にある! ああ、しかもその忘れてはならぬ大悪魔の天野は冬子をも奪って行ったのである。
 お光は合掌し祈るような敬虔な心で、ひとり子平一郎の成長を見まもらずにいられなかった。(天野に勝ち得る者は平一郎より外にない!)
[#改ページ]
     第六章




 粛然とした闇の夜である。仲秋近い真夜中の冷気は津々と膚に寒い。暗い地上の物象は暗に吸い込まれて、ただ夜露が湿っぽく下りていた。六百人近い少年が身を潜めて整列していた。そこは広い高台の運動場である。露に湿れた草生(くさふ)が靴の下にあった。水中のように澄みわたった闇である。現世と思われない静けさが、六百の少年の心に浸み入ってくる。時折靴のすれる音、教師達の遠慮深げに歩む音、囁く音より外に断れぎれな蟋蟀(こおろぎ)の鳴く声がするのみである。
 引き緊った静寂が、夜空をわたる幅の広い大砲の音で破られた。闇に人の動く気配がして運動場の正面にあたるところに二つの篝火(ががりび)がぱっと焔を揺らめかし燃えはじめた。火花を散らし燃ゆる篝火の焔の間に質素な祭壇が、光と暗の間に見えた。
「気をつけえ!」
 少年は森厳な気におされて、心から身を引きしめ不動の姿に唇を閉じた。焔が夜風に煽られてゆら/\と流れる。黒い影が静かに祭壇に榊をささげる。教師が一人一人捧げる。生徒総代が同じく榊をささげる。その静黙の夜空を遠く大砲の音が、どおん、どおんと響いて来た。
「最敬礼!」闇に六百の少年は長い敬虔な敬礼を行なった。そして頭を挙げたときには、もう篝火の火は消えて、余燼が闇に散らばっているに過ぎなかった。寂しくて厳粛であった。一同は一人一人夜露に湿れた草原を通って裏門から街の方へ去りはじめた。平一郎もその中の一人であった。彼は幾度も空を仰いだが、彼の好きな星は一つも見えなかった。群集におされて街中へ出ると、両側の家々には黒い幔幕が引きまわされ、黒い章のついた提灯が軒並に吊されてあった。この夜の午前零時を合図に行なわれた御大葬の式の御亡骸(おんなきがら)を遥かに見送り奉るため、一般市民は公園の広場に集まるのであった。平一郎は寂しくなっていた。去った冬子のことや、自分の運命の貧しさのことや、また和歌子のことや、遂には死ななくてはならない自分達であることやを考えて、誰一人高声で話すものもなしに街上を一杯に溢れて歩いて行く群衆の中に交って歩いて行った。大砲の音はどおん、どおんと響いた。彼が自分の家に近いS川の大橋近くへ来たとき、彼は橋詰に佇んでいる一人の女学校の生徒を見出した。髪の結い方や、少し腰を折って佇んでいる姿が和歌子に相違なかった。彼は嬉しくてならなかった。本当にこうした、死の厳粛と森厳と恐ろしさに充ちた夜に、愛する和歌子に会うことは何というすばらしい生甲斐、歓喜であろう。
「和歌子さん!」
「あらっ! 平一郎さん! わたしね、きっといらっしゃると思って待っていたのよ」
「ありがとう――河べりに沿ってS橋の方から行こう」
「ええ」
 二人は橋詰から、枝垂れ柳の生えた川岸を、流れに沿って下りかけた。誰も通るものはなかった。水流が黒藍のうねりを光らせつつ十五の平一郎と十六の和歌子の歩みを流れて行った。平一郎は片方の手をズボンの袋(ポケット)に突込んで、右手で和歌子の手を握っていた。微かな温かみ、その温かみこそ僅かに秋の夜中の寂寥と冷気とから二人を元気づけていた。
「僕達は運動場で篝火の燃えるのを見て最敬礼をして、それだけだったのです」
「わたし達だってそうでしてよ――でも何んだかこう気味が悪くなって来たのよ」
「僕だってそうさ。葬式なんて考えるだけでも厭だ」
「厭でも死ねば仕方がないのじゃなくって」
「それあ仕方ないさ。仕方ないったって、和歌子さんだって死ぬのは厭だろう」
「厭ですわ! 死ぬなんて!」
 二人は堅く手を握り合って、足下を流れる水流を見つめていた。平一郎は亡き父のことを想い浮かべていた。和歌子は虎に食われて死んだという亡き母のことを考えていた。もく/\と流水は絶えず同じ瀬を作って流れて行った。
「何を考えているのだい」
「わたし? わたし亡くなった母さんのことを考えていましたの」
「僕も亡くなった父さんのこと考えかけたところだ」
 二人はまた黙っていた。今度は和歌子が話し出した。
「平一郎さん」
「何?」
「めおとってどんなことか平一郎さん知っていて?」
「知っているさ」
「どんなことなの?」
 平一郎は大きく言った。
「僕達はいまにきっとめおとになるんだよ! ね! 和歌子さん!」
「――」
「いまに僕は偉くなるんだからね。僕は貧乏さ。それでも僕は勉強していまに第一流の政治家になってこの世の生活をもっといいものにして見せるからね。僕は和歌子さんとめおとになっても恥かしくないようにきっとなるからね――」
「ほんとう?」
「僕がうそを言うものか。いつだって僕は手紙にそう書いているじゃないかね」
 和歌子は深い溜息を漏らした。少女の熱情で瞳は輝いて来た。そして、平一郎の右手を両手でおさえて、じっと胸に当てて放さなかった。
「吹屋の丘へ行こうか。和歌子さん」
「ええ。ようござんすわ」
 二人は嬉しかった。このまま別れてしまう気がしなかった。昼のうちに寝ているので眠くはなかった。橋を渡って、寂しい暗い街を小走りに、午前二時頃の、黒い幔幕をはった廓の一部を通り抜けて、二人は広漠とした夜の野原に出た。
次ページ
ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:355 KB

担当:undef