地上
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著者名:島田清次郎 

 その日の夕暮、平一郎は学校の門前で彼を待つようにしている彼女に出遭った。和歌子は微笑した。それは自然に溢れ出る微笑であった。何か言おうとすると、彼女がすた/\歩みはじめた。もうかえろう、つまらない、何んだ女のために、と思って立ち止まると、和歌子が立ち止まってじいっと彼を待つようにした。そうして和歌子が何か言いたげに振り返って立ち止まると、今度は彼が不可抗な逡巡を感じて近づき得なかった。そうしたもどかしさを繰り返しつつ、平一郎は寂しい杉垣を廻らした邸町にまで引きずられて来ていた。そして、その町の彼方に野原の見えるはずれに近い家(そこは実にかの深井の隣家であったとは!)の前で和歌子が立ち止まった。そして振りむいた時の瞳の力強さ! 平一郎は恐ろしくて傍へ寄れなかった。が二人とも笑い合ったことは笑い合ったのだが。和歌子が生垣の門内に姿をかくしたらしかったので彼は思い切って家の正面まで行った。すると彼女は門口に身をひそめて彼を待っていた。
「ここですの、わたしの家は」
 彼女は真赤になってうなずくように顎を二、三度振って、そして鈴の音のする戸を開けて家の内へはいり、もう一度うなずいて戸を閉めてしまった。ああその後の寂しさともどかしさは嘗て恋した「身に覚えある」人でなくては知るまい。森(しん)とした夕景に物音一つしなかった。彼は家々に灯の点くまで前に佇んでいたが、心待たれる和歌子の声一つしなかった。彼はその夜、郊外の野原をさまよって家に帰ったのであったが、その日から彼には和歌子という少女が、忘れられない意識の中心位を占める人間となってしまったのであった。そうして、忘れられていた小学校の時分の和歌子に関する記憶が堪らない生気をもって甦って来るのだった。熱情を瞳いっぱいに燃えさした瞳、秀でた古英雄のもつような眉、弾力に充ちてふくらんだ頬、しなやかで敏捷で、重々しい肉体のこなし方――それは十分間の休み時間における控室の隅に、または微風に揺らぐ廊下のカーテンの傍に、運動場の青葉をつけた葉桜の木蔭に、ひっそりした放課後の二階の裁縫室の戸口に、またはオルガンの白い象牙の鍵をいじくっている四、五人の少女の群の中に、到るところ、いたる時に和歌子の美しさが彼に甦り圧倒して来た。殊に平一郎が自分と和歌子との恋は実に深いものであらねばならないと考えしめたのは、朝、始業の鐘の鳴らないうちは、小学六年生である彼は同級の少年達と控室で組み打ったり相撲したりして、空しい時の過ぎゆくのを充たしていたが、平一郎はいつも三、四人の少年を相手にしてその相手を捩じ伏せるのだったが、そうした折の朝の光を透して見える和歌子の賞讃と憧憬に充ちた瞳の記憶、また運動場の遊動円木に腰かけて、みんなして朗らかに澄んだ秋の大空に一斉に合唱するとき、平一郎の唱歌に聴きいる少女(和歌子だ)、その少女にあの「いろは」四十八字の歌を唄うとき、いろはにほへと、ちりぬるを、わかよたれそ、つねならむ……その「わかよ」のところを一と際高く唄った心持――平一郎には懐かしく思うのは自分のみではなく、和歌子もまた自分を懐かしく思ってくれているに違いないと考えられたのだ。そうして、学校の往き来に見交わすだけでは寂しさに堪えきれず、それとなく野原をさまよい歩いては、和歌子の家の前を胸を轟かして通って来るのをせめてものことと思うようになってからでさえ、すでに一年を経ているのであった。その大河平一郎にとって、深井が和歌子の隣邸であり、「あ、お和歌さんかい」という親密さであることは大した問題でなければならなかった。
「どうしたものだろうか」平一郎は飯を食い、バナナを食ったせいも加わって、机に頬杖ついたまま考え込むというよりも苛々(いらいら)しい心持で夢みつづけていた。外界はぽか/\と暖かい五月の陽春であった。庭の棗(なつめ)の白っぽい枝に日は輝き、庭の彼方の土蔵の高い甍に青空が浸みいっている。平一郎はこうした穏やかで恵み深い外界の中で、今、自分が堪らない苛立たしさに苦しまねばならないのが情けない気がした。耳を澄ましていると、裏土蔵の向うの廓の街からであろう、三味の音がぼるん/\と響いて来る。その三味の音は平一郎に母のことを連想させた。冬子姐(ねえ)さんの所へ行ってまだ帰らないのがまた不平で堪らなくなってくる。そうしてその底から和歌子のことがこみ上げてくる。彼は苦しくて堪らなかった。和歌子のことを想うと同時に深井のことが付き纏ってくるのだ。平一郎はまだ見習いの少女の弾くらしい三味のぼるん/\を聞きながら、自分の現在は到底母一人子一人の、他人の家の二階借りをしている貧乏人に過ぎないのだと考えた。それは分り過ぎるほど分り過ぎている事実ではある。しかもこの事実は世間的な解釈では一切の美と自由と向上とを奪われていることになるらしかったのだ。現に深井はいい家庭のお坊っちゃんである。そしてそのお邸を持っているという偶然の事実があの一年(いな、それよりももっと長い年月)以来荘厳な近寄り難いものとして来た和歌子と隣り合わせて、「ああ、お和歌さんかい」と言わしめているではないか。そうして更に考えてみれば、和歌子自身も父は今は退(ひ)いてはいるが二流と下らない立派な外交官である。とても自分などと比べものにはならない――この考えは常に平一郎にとって最も手ひどい打撃であるように、今の場合も致命的な打撃であった。自分が貧乏人であるという一事実のために、自分は自分の和歌子をただ黙して、なるがままに放って置かねばならないのだろうか。それは何ともいえない馬鹿らしい、しかも悲痛なことのような気がした。そんな訳がある筈がないという気がして来た。自分は恋しているのだ、和歌子を! この事実の方が貧乏である事実よりも更に有力で権威がなくてはならないはずだ。たとえお邸の坊っちゃんであろうとも、あの単に美少年で感情が優しいだけの深井に自分が和歌子を譲るわけは寸毫もない、と彼は考えて来た。平一郎は自分の心がどういう進み方を、どういう熱し方をして来ているかに気づかなかった。彼は常々「貧乏である」というだけのことで、世間が一切の自然な対等的な要求を踏み躙(にじ)ることを当然にしているような事実に反抗せずにはいられなかった。彼にはそれに反抗する、あの不可抗なる力を恵まれていたのだ。平一郎は長い間ぶる/\慄えながら考えていたが、もうじっとしている時でないという気がした。彼は手紙に自分の思う通りを書いて和歌子に送ろうと決心した。そうして、もし和歌子が返事をくれないか、冷淡なことをいってよこしたなら、もうあんな女一人位どうだっていい。自分は一生もう女のことは気にかけないで、その代り世界一の大偉人になってやるまでだ、という殺伐な気にさえ、彼は真剣になっていた。彼はペンでノートを切りさいた紙に書きはじめた。「小生は」と学校で習ったとおり書こうとしたが気にいらない、「私は」としても気にいらない、彼は平仮名で「ぼくは」と書きはじめた。
ぼくは大河平一郎です。あなたはきっと知っていらっしゃるでしょう。それでぼくはそれについては何も書きません。ぼくはあなたを知っています。ぼくはいつもあなたのことを思っています。苦しい程思っています。昨日も今日もぼくはあなたの家の近くを廻って歩きました。まる一年近くになります。あなたはあの小学校の談話会のことを憶えていらっしゃるだろうか。ぼくはあなたの話を今でもはじめからしまいまで暗誦することが出来ます。ぼくはあなたともっと仲よくなりたくてなりません。このままではぼくはやりきれません。あなたはどう思いますか、仲よくすることを望みませんか。ぼくは貧乏で母とぼくと二人暮しです。あなたはぼくのようなものと仲よくするのを恥だと思いますか。もしそうならそうだと言って下さい。しかしぼくは貧乏でもただの貧乏人ではないつもりです。ぼくはきっと貧乏でも偉くなります。きっとです。ぼくはあなたと仲よくしたいのです。仲よくしてくれれば、ぼくはもっと勉強します。そうして偉くなってあなたをよろこばします。どうぞ返事を下さい。日曜日の朝ぼくの家の前の電信柱のところに来ていて下さい。
大河平一郎    吉倉和歌子様


 彼は書き終って読み返すことを恐れて、そのまま封筒に入れて大きく習字の時のように楷書で「吉倉和歌子様、親展」と書いた。すると重荷を下ろして一休みする時のような澄みわたった気持がした。それは少年ではあるが一歩踏み出したときの自己感の強味であった。同時に未知に踏み出した臆病と不安が湧かないでもなかった。彼はどうしてこの手紙を渡そうかしらと、やがて考えはじめた。明日の朝和歌子に路で会えば渡せないこともなかったが、遇うかどうかは分らなかった。今夜にでも和歌子の家の前へ行くことも会えるかどうか分らなかった。しかし彼はじっとしておれない気がした。彼は今まで脱がずにいた小倉の制服を飛白(かすり)の袷(あわせ)に着替え、袴を穿(は)いて、シャツのポケットの中へ手紙を二つ折りにして入れたまま戸外(そと)[#ルビの「そと」は底本では「そよ」]へ出た。彼は和歌子の家へゆくつもりであった。戸外はもう夕暮近くで、空には茜(あかね)色の雲が美しくちらばっていた。彼は明らかに興奮していたが、路の途中まで来ると、また深井のことが彼に迫って来た。自分は深井に対してすまないことをしている。それに深井に秘密でこの手紙をやることはいかにも卑怯で面白くないという気がしきりにした。「それに――」と彼はある自分の心の中に発見をして、「自分は深井にある友情を、和歌子とは別な、友情を感じている」と叫ばずにいられなかった。そしてその友情の性質は非常に誇りの高い、盗犬のように、こっそり和歌子に手紙をやることを許さないものであった。「どうしたものか」と彼は十字街に立って考えこまずにいられなかった。十分間も彼は佇んでいた。路の正面は和歌子の家のある邸町へ、右へ下る坂は母がまだいるであろう、冬子のいる春風楼のある廓町へ、左手の坂は大通りへ通じていた。彼は往き来の人を見送り見迎えていた。すると電光のようにある悦ばしい考えが「踴躍」という言葉そっくりの感情と共に現われて来た。それは、深井自身に平一郎が自分の恋を打ち明けて、そうして自分の手紙を深井によって和歌子に渡して貰うことであった。「それがいい、それがいい……」平一郎は自分の家へ引き返しながら、それがいかに男らしい態度であるかに想い及んで嬉しくてならなかった。
「それがいい、それがいい、自分は和歌子を恋している、また自分は深井にも醜くありたくない。そうだ、これがいい、これで和歌子が自分よりも深井を選べば、もしくは選んでいるなら、自分は残念だが――」(思い切る)とまでは自分に明言できなかった。しかし自分が醜いことをしなくてもすむという心安さはあったのだ。
 平一郎が家へ帰っても母のお光はまだ帰っていなかった。彼はいつもひとりであるときするようにランプの掃除をして、薄暗い三分芯に灯をともして、そうして明日の代数の予習をはじめた。五月の日はとっぷり暮れてしまった。裏の廓の方からは、さっきとはちがった冴えた三味の調べがりょうりょうとしめやかな哀れ深いうちにもりんとした芸道の強味を響かせて聞えて来た。平一郎は何故か「偉くなる、偉くなる、きっと偉くなる」と呟かずにいられなかった。母を待つときの寂しさがやがて少年の胸に充ちて来た。
 夜がかなりに更けても母のお光は帰らなかった。そうして灯の下で夕飯も食べないで母を待っている平一郎には、いつも母の帰りの晩(おそ)いとき感じる、あの忌わしい、実に言葉に発表出来ない、鋭い本能的な疑惑を感じはじめて来た。恥かしいことであると思った。母が帰って来て穏やかな顔を見せてくれれば、すぐに消えてしまう、そしてすまないと考える忌わしい疑念。そうした恐ろしい疑念を現在自分の母に対して起こさなくてすむ人は幸福である。平一郎は刃のように寒く鋭くなる疑念を制し切れないままで、自分の「貧乏」を悲痛な念で反省せずにいられなかった。
 貧乏、貧乏! ああ貧乏であることがどれ程まだ十五の少年である彼のすなおに伸びようとする芽を抑制し、蹂み躙り、また鍛錬して来たであろうか。彼が自分の「貧」ということを身に沁みて感じたのは彼が十二の初夏のことであった。その頃までは彼にも自分の家というものがあった。この金沢の市街を貫き流れるS河の川べりに、塀をめぐらした庭園の広い二階建の家が自分の家として存在していた。無論自分の家ではあるが自分達の住む部屋は前二階の二室(ま)きりで、奥二階にも店の間にも幾多の家族が借りていたのだ。それでも自分の家であることにかわりはなかった。小学校の五年あたりまでは裕福でないまでも、彼はのんびり育って来ていた。川瀬の音がすぐ真下に聞かれる庭園の梅の樹や杏の樹や珊瑚樹の古木を、彼はどんなに愛したか知れない。父のいないということ、父が三つのとき亡くなったということ、その淋しさは無論彼に迫ったが、しかし父の生活していた家がこの家であるという自覚、父はこの辺りでも有力な貿易商であり、また町中での人望家であったということ、などがその淋しさを補わないでもなかった。息(やす)まず限りなく流れるS河の水音がそうした彼の感情に常に和していたことは言うまでもない。しかし、平一郎にも苦しむべき時がやって来ねばならなかったのだ。母のお光が彼の三つの時から十年近い年月を女一人の力で亡き夫の家に居据ったまま暮して来たことは、並大抵の苦労ではなかった。しかし人力もそう続くものではなく、ある限度を越えれば運命に負けねばならない。平一郎が成長するにつれ生活費もかさまり、また彼の前途に控えている「教育費」の心配も予めして置かねばならなかった。お光は十幾年住みなれた亡夫の唯一の遺産である「家」を売ったのである。そして平一郎は「父のない、そうして家のない」少年となったのである。平一郎は悲しい「零落の第一日」をよく憶えていた。梅雨上りの夕景の街は雨にぬれて空気は爽(さわ)やかであった。うるんだ空に五色の虹の光輪がかかっていた。家財とても荷車に積んでみるとそんなになかった。平一郎は三度目の、そして最後の移転車(ひっこしぐるま)のあとについて歩いた。零落したという感じ、もう家がないのだという心細さ、世間が急に狭く圧迫を強めて来るような淋しい感じ、それがその時の空にかかる虹を見ながら歩いた平一郎の実感だった。移転してしまってからも、長い間、平一郎は新しい家になじめなかった。あまりに前の家との相違がはげしかった。大きなS河のたゆみない流れの音の代りに廓の裏手から三味線の音が響いて来た。広い自分の家の代りに、八畳と四畳の二階借り、しかも階下は芸娼妓の紹介を仕事にしている家族であり、これまで手持ぶさたにしていた裁縫を、母は本気に仕事としてはげまなくてはならなくなっていた。彼は母に自分達はそれ程急に貧乏したのか、と尋ねたことがあった。母は「お前さんはこのさき中学校へはいり、高等学校へはいり、大学へはいって偉い人にならなくてはならないのです。それにはお金がいりますでしょう。だから今のうちになるべく倹約して置かなくてはいけませぬ」と言ってくれた。母は又、こうして廓の傍へ来たのは、する仕事(裁縫)の値がいいからで、お前は廓のそばにいても立派に勉強してくれなくてはいけないとも言ってきかした。平一郎はほんとに自分は偉くならなくてはならないと考えた。この精神が彼を小学校を首席で卒業させ、またこの精神が彼を単なる意気地なしの代名詞である優等生たらしめることなく、またこの精神が今彼をして男らしく和歌子に自分の真情を打ち明けようといたさしめていた。この精神はいずこより来たか。亡き父の意志よりか、母のお光の献身的な愛よりか、あるいは貧しい寂しい境遇の自覚よりか。そのいずれもであるには相違ない。しかしその根源にいたっては誰人(たれ)も知ることは出来ない。それを知るものは平一郎の内なる平一郎を生みたる宇宙の力そのものである。そしてそれは人間の言葉としては表現出来ないものである。
 九時近くになってから母のお光は帰って来た。彼女は方々お得意先へお礼旁々廻って、仕事を集めていて遅くなったと言って、路であんまり甘そうなお饅頭があったので買って来たといって、卵形の饅頭を拡げて自分から先に食べるのであった。平一郎はその母の穏やかな様子を見ると、いままで忌わしい疑念を抱いていたことを恥じ恐れずにはいられなかった。彼は嬉しくなって、自分のために夜遅くまで仕事を集めに歩いている母の苦労が思われて、すまない気と、嬉しい気でいっぱいになった。彼は饅頭を食べながらもう少しで和歌子のことを打ち明けてしまうところだった。それ程彼は歓ばされていたのだ。
「ことによるとわたし達は冬子さんのいる春風楼へゆくことになるかも知れませんよ。あすこの離室(はなれ)が空いているから、そこをお前の勉強室なり、寝室なりにしておいてね」
「で、母さんは何をするのです」
「あすこの家のお仕事(裁縫)を一手ですることになるかも知れませんよ」
 こう寝しなにお光は平一郎に話した。次いで平和で健康な眠りが来た。

 平一郎母子(おやこ)が借りている家の階下(した)は芸娼妓の紹介を業としている人であった。遊郭の裏街、莨店(たばこみせ)や駄菓子屋や雑貨化粧品店や受酒屋や[#「受酒屋や」はママ]などが廃頽したごみ臭い店を並べている間に、古びた紅殻格子の前に「芸娼妓紹介業、中村太兵衛」と看板がぶら下げてあった。主人の太兵衛は生まれつき体格が逞しく力があって、青年時代は草相撲の関取であったというが、そして女と酒と博奕と喧嘩のために少しあった資産もなくしてしまった三十の頃、今の主婦さんに惚れられて世帯をもったのだというが、しかし今はもう五十を越して早衰した老爺にすぎなかった。芸娼妓紹介の仕事も、もと芸妓であった主婦さん一人でやっていた。主婦さんがお光に、もし今の亭主が自分から惚れた男でなかったなら、そして亭主を捨てることが昔羨しがらせた朋輩やお客の手前がなかったなら、そして亭主の巨大であった筋肉を奪い、聴覚を犯し、眼を悪くした悪い病気に対して多少の責任を自分に感じないなら、とうの昔に捨てて新しい生活の道を選んだろうと言ったことがあった。実際お光よりは三つ四つ若い主婦さんにとって、昔強かった時分のつもりで一日中怒鳴りちらして暮らしている亭主は重荷であるらしかった。お光は偶然ではあるが、こうした家へ住居を定めたことを後悔することも度々であったが、またこうした家の二階を借りたことがお光の生活に、また平一郎の生活に、二人にとって実に重大な、運命の力を感じしめることになろうとは後にいたって思いあたることであった。それは「冬子」とお光母子とを結びつけた偶然な事実であった。
 お光母子が芸娼妓紹介の家の二階に移り住んではじめての秋十月のことだった。お光は夕飯をすまして、食器を薄暗い台所で洗っていた。階下の茶の間ではその日午過ぎから高声で主婦さんが嗄(か)れた声の男と話している何かの話のつづきをまだ喋っていた。此家(ここ)へ来てからまだ五月とたたないのであったが、誘惑されて来たらしい色の黒い田舎娘を坐らせて置いて、
「九十六カ月の年期で五百円より出せぬ」
「いや、これで玉は上玉だあね、八百円出しても損はしない」
「――冗談でしょう。こんな代物に八百円出せとはそれあ無理でさあね」
「それじゃ七百七十円まで負けましょうや」
「どうして! 五百円が精いっぱいでさあね。お前さんだってそう骨折って育てた子供という訳じゃありますまいし、なんだね、思い切りの悪い。さんざ初物の御馳走を吸いつくしたかすをなげ出すからってさ!」
「御冗談でしょう。それじゃまあ六百円――」
「ええ、しかたがありませんや、もう五十両で手を打ちましょうや」
 こうして一人の女の五百五十円で売られてゆくような事実を幾度となく見せつけられている彼女は、またそうした話であろうと胸を痛めつつ聞かないようにしていた。何のあてどもなく田舎から出て来て行先に困った若い女、そうした女を再び浮かぶ望みのない深淵へ引きずり下すのみでなく、そうした深淵に生きる女達が、ふとした不注意から、思いがけぬ不意な熱情の迸(ほとばし)りから、また自然の苛酷な皮肉から、主の知れない呪われた子を生み下すとき、その不幸な子供を若干の金で貰い受けて、そしてじり/\餓え死にさせるようなこともするらしかった。大抵の嬰児は結核か梅毒で死んでしまった。死なねば、乳もやらずに放って置けば消えるように萎びて死んでしまった。――お光が聞くまいと努めても話し声は聞えて来た。それは自分の無力を自覚している彼女にとって、どうかしてやりたいという同情がおきるだけ、それだけ辛いことであった。
「それあもう万事わたしの胸の中にありますよ、そういうことにぬかりはありやしません」
「え、そりゃぁ主婦さんのことですから、それでもまあ念には念を入れろっていいますからな。えっ、はっはっはっは」
 お光は食器を洗い終えてしまってからも、悲しい忌わしい人達に会うのに気を兼ねて、暫く土間の薄暗がりに立っていたが、話し声はぴったりしなくなった。彼女は思い切って茶の間に出た。すると主婦さんと人相の卑しい四十男とひとりの女とが、赤暗い電燈の光に照らされているのを見た。白味のかったセルの単衣に毛繻子(けじゅす)に藤紫と紅のいりまじった友禅をうちあわせた帯をしめている、ほっそりした身体つきが、お光には卑しい身分でないことを知らしめた。お光が水にぬれた手を前掛で拭いつつ土間の片隅から上りかけると、隅に女のらしい水色の洋傘がよせてあった。傍を通るとき男は「いや、どうもすみません」と少し背を曲げるようにした。そのとき女はそっと顔をもたげて黙礼した。非常に美しいとはいえなかった。少し蒼味の勝った顔全体には、無愛想な精神的な上品さと、初心な純一さと、苦労して来たらしい淋しい神経質な陰鬱さが現われていた。女は何気なく黙礼したらしかったが、そこに予期しないお光を見出してはっと竦(すく)んだらしかった。赤くなるより青く沈む質(たち)であるらしかった。お光は二階へ上って、またひとりの女が深淵へ堕ちてゆくのだと思うといい気がしなかった。そして自分の無力が恨めしかった。平一郎ひとりを立派な人間に育てあげること一つさえ全力をつくして足りない自分がみす/\多くの人の堕落して行くのを見すごしていなければならない自分を悲しく思った。もっと世の金力、智力がこうした人間を助けることに用いられなくてはならない気がした。彼女は平一郎が昼の疲れで早く寝てしまったあとで、仕事する気になれず寝てしまった。疲労は彼女に熟睡を与えるに十分であった。
「恥さらしめが!」
 胸苦しい悪夢にうなされているお光の夢を声が醒ました。夢ではないかと首をもたげると硝子戸越しに下弦の月が寒く照っていた。
「年甲斐もない、今のざまになっていながら、よくもまあこんなことが出来るものだね、お前さんは!」たしかに階下の主婦さんの声である。
「うう、汝(われ)の知ったことかい」
「知るも知らんもありゃしない。せっかく納得して自分からゆこうと思い立った大切な女(ひと)に、お前さんが今夜のようなことをしかけちゃ、このさきどんなことがあるかも知れないという気になってしまうじゃないかい。なんぼわたしが毎日毎日欠かさず御飯を食べさしているからって、そうおかしな色気を出してもらっちゃ商売が出来ませんよ。女が欲しかったら下店(したみせ)へ五十銭もって行ってくるといいんだよ――ねえさん、気を悪くしないで下さいよ、ほんとにしょうがないのですから」
「黙っていろ! この己を耄碌(もうろく)扱いする気だな、貴様は」親爺が立ち上ったらしかった。主婦さんの甲高い声が聞えた。「あ、何を――」という慎しみを忘れないうちにも全力的な悲鳴に似た女の声がして、やがて、けたたましく階段をのぼって来た。細帯のままのさっきの女が、はげしい動悸と、恐怖と、怒りを、抑制しつつお光の傍へよって来た。お光は床に起き直った。秋の月の光がかすかに射し入っていた。
「こちらへいらっしゃい」
「は、どうも相すみません」
 女はしょんぼりそこに坐って慄えていたが、恐ろしさよりも怒りの方が勝っているらしかった。何もかもがあまりに明らかに判りすぎている事実であった。お光は自分の枕をずらし、座蒲団を円めて枕の形にして、自分の床の傍をあけて、「こちらへはいって、おやすみなさい」と言った。女は「すみません」と小声で言いながら、お光のわきに小さくかがまり横になった。お光も横になった。そして階下の物音に耳を澄ました。しかし階下はひっそりして、主婦さんも親爺も静まりかえってしまった。お光は女のほっそりした肩先の止め得ない戦慄を感じていた。偶然ではあったが、お光はこの時女と自分との心がぴったり融合し合っているのを感じないわけにゆかなかった。ああ、哀れな女よ、やがて戦慄の波が大きく刻みはじめてすすり泣きになった。お光も一緒に泣きそうになってしかたがなかった。お光は肩のあたりをさすってやった。「わたしは、不仕合です、ほんとに、ほんとに……」女は涙をこらえようとしてその度に一言ずつ呟いて、また泣いた。
 しかし涙は悲しみを温める力をもっている。泣くだけ泣けばあとには雨上りのような、はれやかさが生まれ出る。お光はそれを自分の体験で知っていた。
「さ、こっちをお向きなさいな、泣くのはよして。どうせ今夜は眠られないのだから、こっちを向いて話でもしましょう」
 女はやがて泣き止んでそっと寝返りをうった。お光は涙にぬれた蒼ざめた、品のある、淋しい女の顔と勝気な瞳とを見た。そして、二人は互いに深いところで了解し合っていることも確かめられた。女は二十歳であった。母は七つの時、父は今年の夏死んでしまったと言った。家は能登の輪島の昔からの塗師であるのだが、父の死後一人の兄がなまじっかな才気に累(わずら)わされて、輪島塗を会社組織にしようと思い付いて会社を創立したが、その株金を使いこんで、もしその金が無い時には監獄へ入れられる――つまり、その金をこしらえるために嫁入前の身体を芸妓に売ろうとするのだと女は言った。女は三味線も琴も生花も茶も娘の頃に習い覚えているし、ことに鼓(つづみ)に対しては興味もあり、自信もあり、修行ももっと積みたいと言った。最後に、自分はどうかして真実に芸ばかりで、芸妓としての生活を送りたいと言った。お光には女が本当に処女であるらしいことははじめから会得されていた。態度に一種の落着きのあるのは女の素質と知恵と教養の影響であって、「男を知った」すれっからしの故でないことも知ることが出来た。兄のために金をこしらえたい、という願い、その願いを身を売るということで充たす、そしてその芸妓稼業を芸ばかりで勤め上げたいという意気組、そこにはある厳粛な精神はあったが、同時に世間を知らない生気さがあった。お光は深い溜息をもらさずにいられなかった。女は次いで、自分の名は冬子であり、明日からこの裏手の廓の春風楼へ出ることを打ち明けた。
「冬子さん」とお光は言わずにいられなかった。「わたしは今、あなたをそういう商売をさせたくなさで胸いっぱいですが、しかしそれはどうにも仕方がありません。あなたの芸一つでやって行こうというお志は本当に好いことだと存じます。どうぞその志を捨てないでやって下さい。たとえ芸一つでやってゆけない破目になろうとも、そのお心さえ堅くもっていらっしゃれば――そりゃぁもう死ぬほど辛いことが多い――辛いことばかりでしょうよ。わたしも丁度あなたのお年の時分から苦労をしつづけで来ておりますが、肝心なことはやはりそうした一念を忘れないということが何よりの頼りになることではありますが――」
 お光は平一郎のこと、自分のこと、どうにか平一郎の成長を祈っていることを話した。そして、冬子に住居も近いことだから親身の叔母とはゆかなくとも、他人でない小母がいると思って訪ねて来てくれ、出来るだけのことはしましょうと言わずにいられなかったのである。二人は寒い下弦の月の暁近く濃霧にうるむ頃まで語り明かし、次の朝、冬子は春風楼へ「芸妓になる可く」行ってしまった。
 その夜から三年の時が過ぎていた。三年の時はあらゆる一切の万象に過ぎていた。平一郎をして中学三年生で恋愛の悩みを知るようにならしめた力は、冬子をして廓でも名妓の一人として立たしめていた。娘の時代に仕込み入れた人間としての教養と、天稟(てんぴん)のしとやかな寂しいうちに包んだ凛然(りんぜん)たる気象は、彼女をただのくだらない肉欲の犠牲者とのみはしておかなかった。芸ばかりで立ってみせる、ひとかどの名妓となってみせる、という意志が彼女を引き緊め、彼女の持つ真価値を十分に生かすことに力があった。彼女は無論「芸ばかり」で勤めることは不可能であった。朝、寝乱れ姿でお光のところへ「小母さん」と駈け込んで、仕立物に精出しているお光の膝に俯伏して初めてなめた地獄の苦痛を訴えたことも遠い時の彼方のこととなってしまった。ただ彼女にとってはそれは官能の満足とならずに精進の鞭撻となった。彼女は唄うことは上手でなかったが、三味線、琴、踊り、ことに鼓は、師匠も名人の素質があると賞め、彼女自身にも自信があった。彼女は辛い勤めのあとの悲しい想いを、凛然たる、は、おえ、よお! の懸声と森厳な鼓の音色とによって解脱することが出来た。そしてお光も針仕事には慣れて、街の人々にもなじみが深くなって来ていた。お光と冬子とのあの夜以来結ばれた交りは肉親の叔母と姪でない代りに、精神上の母子よりも深い仲となって来ていた。二人は互いに互いの苦しみを苦しみ合い、互いの楽しみを楽しみ合うことを悦ばずにいられなかった。平一郎にとってこのすぐれた女二人――母と冬子との愛が彼を培うに役立ったことは言うまでもない。そうして三年前にお光の寝床を唯一の避難所とした冬子は、「名妓」と言われるようになった今、お光のためにはよき生活上の相談相手となり得ていた。

 平一郎が和歌子への手紙を深井によって伝えようと決心した日の次の日の午後、彼は一事を敢行したことの英雄的な傲(おご)りを感じながら靴音高くかえって来た。なぜ靴音が高いか。彼は「こと」を敢行したからだ。朝、学校での運動場の芝生で深井に会ったとき深井は優しい感謝の微笑を送ったが、話をする勇気は持たないらしかった。彼自身もポケットの手紙を握りしめながらつい口一つ利(き)けなかった。一時間目の国語の間じゅう彼は自分の卑怯を責めつづけていた。そしてノートに「吉倉和歌子」の名を五十あまりも書いてしまったのに驚いた。機会は四時間目の体操の時についに来た。彼は鐘の音につれて校舎の方へ走り去ろうとする群の中の一人を「深井君」と呼びとめた。
「え?」と深井は頬をほてらした。
「ちょっと君に話したいことがありますから」さすがに彼も胸が鳴り響いた。彼は運動場を横ぎって、寄宿舎の横手の、深い竹藪に接した芝生に来た。そしてそこの木馬に腰かけて思い切って言ったのだ。
「君は――吉倉の和歌子さんを知っていると言ったね」
「ええ――」と深井はいぶかしそうに、また、彼の内なる和歌子を護(まも)るような目付をした。
「これをね」平一郎はポケットから二つに折った手紙を取り出して木馬の背の上に置いた。「和歌子さんに渡してくれないか?」
 深井は雨にさらされて白くなった木馬の背の手紙を見つめていたが、暫くして耳の根まで紅くなった。平一郎はそれを認めるともう勝つか負けるかどっちかだというような気になった。
「僕は和歌子さんと仲よくなりたいと以前から思っているのだ。ね、渡してくれないか。僕は君の家が和歌子さんの家と隣り合っていることは知らなかったのだ。お願いだから渡してくれないか? ――それとも」彼はさすがに身慄いがした。祈りに似た感情が彼の内部に脈うつのだった。
「君は和歌子さんと仲よくしているのかい」
「いいえ」と深井は目を輝かしてきっぱり言った。
「渡しましょう」
「きっとだね!」
「ええ!」
「ありがとう!」平一郎は深井の手を握って、そして嬉しさは彼に、「僕はね、君ともこれから仲よくしてゆきたいと思っているのだ!」と言わしてしまった。深井の瞳に美しい火が燃えた。それはひとたびゆいてかえらぬ生命の炬火(たいまつ)の美しさだった。ああ、何という悦び! 愛するものを獲たのではないか! 和歌子と深井を獲たのではないか! 彼は靴音高く家へ帰って来たのである。
 家にはお光と冬子が待っていた。霽(は)れた晩春の青空から穏やかな陽が二人に射していた。
「やっぱり平一郎さんでしたこと」こう冬子がついていた右手でそっと、さらさらした豊かな鬢の毛をかきあげて、緋縮緬の長襦袢に紫がかった襟をつけようとこつ/\針を運んでいるお光を見上げた。平和な静けさがお光と冬子の微笑によって破られた。
「只今!」と彼はカバンを投げ出し、洋服を着替えて、いつものように大急ぎで膳に向わずにいられなかった。冷めた豆腐汁も彼にはうまかった。彼は、横向きになっているやや浅黒い引き緊った冬子の顔と艶々した島田髷とを見ながら、髪を結いにいった帰りだなと考えながら、襟頸から肩の辺りへの柔軟な線の美しさに引きつけられ、こうした女(ひと)が自分の姉のように親しくしていることを(それはいつも感じることだったが)誇らしく感じた。
「今日は遅かったじゃないかい」とお光は留針をしながら言った。
「今日は博物の寄り合いがあったのです」と彼は嘘を言って、すまない気のしただけ和歌子のことを思った。そして冬子に、「踊りのおさらいはまだなんですか」とたずねた。
「今月の二十八日ですよ。今度はわたしが出ますからいらっしゃいな」
「ええ」と平一郎が飯をかきこむのをお光は、「踊りや歌が好きだからおかしいですね」と冬子に言う。そうして、話はまた、お光と冬子に移ってしまった。
「お酒はやはりなるべくなら飲まない方がいいですわね」
「でも、お座敷に出ている時に、生きていることが少しもいいことでない、生きていることは実にたまらない、害のあることだというような気のする時に、盃洗にいっぱいぐうッと飲むと、そうするとすこし胸がすっきりしますの。それでなけりゃ、縁側へでも出て、鼓をさらえばまあそうですけれど――」
「それはもうそうでしょうともね。わたしもそういう気のするときはもう何度あったかもしれないけれど、しかしわたしにはまあ、平一郎(あれ)がいたものだからどうにかやっては来たものの――」
「それでも小母さんの方がわたしなんかよりか余っ程いいという気がしますわ」
「そうでしょうか」
「でも、小母さんも随分のお骨折だったという気がしますわ。十二年、そうでしょう、小母さん、乳を呑んでいた赤ちゃんが中学校で威張る位になるのですものね。でもこれからよ、小母さんの苦労甲斐が現われて来るのは。本当に羨ましい」
「さあ――」とお光は淋しそうに笑った。「貧乏のせいか何んだか、その平一郎(あれ)の一人前になる日に会われないような気がしきりにしましてね」
「そんなこと、小母さん!」冬子は本気で言った。「わたしだってこのままのわたしを小母さんに見せているだけでは小母さんに対してもすまないのですわ!」
 お光はにこやかに微笑みつつ、心からの歓びをかくしきれないように、
「今のままだってわたしは十分結構ですの。ほんとにあれからでさえもう三年経(た)ちましたっけ。随分あなたも立派な女になったものですよ。冬子さん」
「いけません、小母さん、冷やかしちゃ」冬子は顔を曇らせて苦いものを含んだように、切れ目の長い瞳を青い空に向けた。そして、「青い空ですこと――小母さんはまだお花見にいらっしゃらなかったはずね」
「ええ、仕事に追われてまだですよ」
「わたしも今年は行きたくなくて行きませんでした――ほんとに青い空」そして冬子はふいに言った。
「わたしのようなものでも、もし子供を持ちたいと思えば子供を授かることが出来るものでしょうか」
「――?」お光は冬子を見つめて黙っていた。
「子供を授かることを罪のように警戒しているわたし達にでも、心から子を授かりたいと思えば授かれるのでしょうか。それとも罰で一生子供は生まれないのでしょうか」
「あの方の子供ならと一心に想うような方が出来なすったの、冬子さん」
「いいえ、まだ、この方の子供ならどうしてでもいいから授かりたいと思うような人には一度も会いませんの。会う人も会う人もこうした人の子供を生んだら大変だと思うような人ばかり。でもわたしは一生に一人はこの人の子をどうか授けて下さいと祈るような方にあってみたいと思いますわ。たとえそうしたときがあっても、今迄の罰で、とても子供は授からないのではないでしょうか」
「それはわたし達には分るものじゃないでしょう。しかしわたしは、もしそういう時にあなたが一心にさえなればきっと子供が授かるような気がしましてよ。――わたしのようなものでさえが、どうにか平一郎(あれ)を育ててやって来ていることから考えてみましてもね」
「そうでしょうか」そして二人は淋しそうに沈黙してしまった。平一郎は飯をすまして暫く火鉢のところに坐っていたが、母と冬子の話が途切れたので、立って長四畳の机の方へ行こうとした。すると冬子が同じように立ち上って、「平一郎さん、ちょっとわたしの傍へ立ってごらん」と言った。平一郎は傍に立った。冬子は髪を結っているので高かったが、実際は一寸も違わなかった。「もうじきわたし位に成長(おお)きくなってしまうわね」と冬子は母と顔を見合わした。平一郎は(そうさ)というように壮快に笑って、冬子もすてきに美しいと思いながら机に向った。彼は、和歌子への手紙を深井に託したことの歓喜のあとに、異常な沈着さを感じて、代数の問題を考えていた。すると明日の日曜の朝の待遠しさが悪寒のように起きて来た。そして恥かしいことには、もし返事をくれなかったらという懸念さえが時々起こって仕様がなかった。
 夕方、冬子は淋しそうに「さようなら」を言って帰っていった。彼女は母のお光に、彼女のいる春風楼の今いる裁縫師がお盆限り止めるので、その代りにお光が来たらどうかしらという話をしていった。そして母と何かひそ/\話しながら、「そう、それがいいわね」などと言っていたのだ。冬子に対して何故か傲慢じみた態度に出てしまう平一郎は冬子が去ったあとでは、いつもなくてはならぬものを失ったような淋しさを感じるのだった。この日も夕暮のあの悲しい薄闇で、母に子供らしく甘えかかりたい気持になりかけていると、階下で主婦さんが「平一郎さん!」と呼ぶ声がした。階下の主婦さんが呼ぶことは珍しくなかった。平一郎は何か珍しいものでもくれるのか、郵便でも来たのかと考えて階下へ下りた。すると主婦さんは、
「誰だか呼んでいますよ」と言った。平一郎は何の予期もなしに戸をあけて外へ出ると、門口に深井が立っていた。
「深井君じゃないか、はいりたまえな」深井は涙ぐんだような瞳で彼を視つめながら黙って立っていた。そして、戸外の方を示すようにそっと顧みた。それは無言の紹介であらねばならなかった。次の瞬間平一郎は、家の前の電柱の下に少女が背をもたせて立っているのを見出した。和歌子だった。一切が了解された。彼は深井を見た。
「和歌子さんだね」と彼は深井に精いっぱいの声で言った。全身が、歓喜、驚き、恐怖、羞恥に震撼した。彼は電柱の傍まで駆けていったが三尺ばかりのところでぴったり立ち止まってしまった。柱に背をもたせていた和歌子は、身体を真っ直ぐにして、懐からそっと(ああ、その指先の透明で美しかったこと)水色の封筒を取り出して、平一郎に見せて、輝かに笑ったのである。どうしたものだろう。三尺ばかりの間を平一郎はどうしてもそばへ進むことが出来なかった。彼女の輝かな笑いが彼の情熱をせきとめてしまったのだ。熱情は身内に渦巻いて全身が異様に慄えて来た。すると深井が彼の前に来て軽く帽子をとって、「僕、失敬します」と言った。そして和歌子の方へはにかむような顔を見せて小走りに彼は去ってしまった。平一郎は自分の腑甲斐なさに堪えられない気がした。そしていかに自分が和歌子のために自分の全部を占有されているかをつくづく感じた。とにかく彼は自分の力の萎縮を認めた。すると彼は全身の熱情が悦ばしい羞恥となって顔面にのぼってくるのを制止できなかった。
「明日まで待っていられなかったのでしてよ」と和歌子も真赤になって言った。そして二人は同時に笑いあうことが出来た。その笑いが凍ったような「凝結」をゆるめさした。大河平一郎が解放された。彼は「ついでおいで!」と言ってすたすた歩き出した。晩春の夕暮の戸外はまだ明るくて、空には夕映が深い美しさを現わしていた。彼は狭い十字街を右に下りて、野原へ出ようと考えていた。一年もの間、彼女を偲(しの)んでさまよったなじみの深い野に、この最初の日の自分と彼女とを見せてやりたかった。紅殻格子をはめた宏壮な廓の家々を通りすぎると街は川べりに出た。彼は後ろを振り返ってみると、彼女がすぐ後ろに生き生きしてついて来ているのに驚かされ、ある圧迫と動乱とさえを得た。路は静かに流れに沿ってひろびろした耕地の間に展(ひら)けていた。彼は立ち止まった。和歌子の息づかいが聞え感じられるほど彼女は近くよりそって来た。二人はもう一緒に生まれた人間のように親わしさを感じていた。
「吹屋の丘へゆきましょうか」
「ええ!」
 ああ、またしても湧きくる、魂をゆるがす微笑よ。水流は無限のうねりをつくりつつ路に沿って流れていた。右手には田植を終えた耕地が、ひろびろしい曠野のはてにまでつらなり、村々の森が、日に蔭って黒ずんで見え、太陽はいつもより大きく、真っ紅に燃えていた。路は緩(ゆる)い傾斜をのぼって草原の丘に伸びてゆく。その丘は何んでも平一郎の父の友人のある商人が、日露戦争後の起業熱のはげしい折に、鋳鉄業を創(はじ)めた失敗のあとであった。生い茂った雑草の間には石ころや柱のくさったのや、錆びた金属の破片などが残っていて、それが平一郎には淋しい空想の種となった。春、夏、秋、冬、平一郎が和歌子を忘られなくなってから、彼は幾度この丘に立って寂しい自分の心をいとおしがったであろう。また幾度、涙にぬれて、「偉くなる!」と叫んだことであろう。河縁には楢(なら)の木が密生して、百舌鳥(もず)が囀(さえず)っていた。平一郎は丘の上にのぼって、さて草原に腰を下した。和歌子も側に坐って、二人は幸福なこの夕暮の野の空気にひたっていた。ゆるやかにも流れひびく永遠の水の音よ、大空にじっと動かない白雲よ、ようやく迫る夕べの気配に、薄暗さを増した曠野の豊かな土の色調よ、ああ、しなやかに二人のためにしとねとなる草原の草よ、楢の木林の蔭を、市街の裏手をよぎる鉄道馬車のラッパの音よ。さては今しも地平の彼方に没落しようとして、たゆとうている爛然たる、真紅の晩春の太陽よ――。和歌子はそっとさっきの水色の封筒を取り出した。
「今日、学校から帰ると深井の坊っちゃまがあなたのお手紙を下さいましてよ」
(深井の坊っちゃま)その坊っちゃまという言葉だけが今のこの世界でいけないと平一郎は思った。そして水色の封筒を受取った。手が慄えた。
「あとで読んで下さいましね」
「ええ」彼は言われるままにふところにしまった。
「お手紙には明日の朝と書いてあったけれど、わたし明日まで待っていられませんでしたの――それで、深井の坊っちゃまにあなたのお家を教えていただいたのよ」
 平一郎は不思議な気さえして仕様がなかった。美しく、気高く、荘厳で、しかもいい家の娘で、とても自分などは一生、話さえするおりを持つことは出来そうもないという懸念を持っていた和歌子、実に、その和歌子が自分に話しかけていることを信じていいのか。
「平一郎さん」と彼女は熱情的に昂奮して来たらしかった。「あなた、あの去年の同窓会のあの時のことを覚えていて下さって? わたし、あれからも時々学校へ行って控室にかけてある卒業記念のお写真を拝見していましたのよ」
(和歌子も覚えていたのだ)平一郎は考えると嬉しくて堪らなくなった。彼も熱情をぶちまけるように昂奮して来た。
「それじゃね、それじゃね、小学校にいるときのあの鏡ね、鏡のことを覚えている?」
「覚えていますわ! ほんとに、あの校長さんが永い間話をしていて鏡をふさいでいるときには、腹が立ってしょうがなかったのですわ。そのほか、ほんとに、わたしあなたとのことならどんな小さいことでも一つ一つみんな覚えていましてよ」
「――僕だって」と彼は呟いて熱い涙が眼ににじみ出るのをこらえていた。
「昨日は深井の坊っちゃまを助けておあげなすったのですってね」
「僕う? ええ、深井君が話していましたか」
「ええ――わたしは深井の坊っちゃまからあなたの学校の様子をいろ/\随分前からきいていましたの」
「僕のことも?」
「ええ、あなたのことも。でも、そんな風はしないでですよ。あなたの級長のことも、弁論会で演説をなさったことも、野球の級(クラス)試合に出て負けなすったことも」そして彼女は堪えきれないように情熱的に笑って、ふさ/\と頬にふりかかる髪の毛を後ろへのけるように、顔をそむけて、頭を強くゆすぶった。その荘厳で深刻な美しさ。
「僕は深井君も愛します」こう彼は宣言した。
「わたしも、愛しますわ」と彼女が言った。
 楢の木林の向うを痩せこけた馬が黄色な馬車をひいて走るのが、ごおっという音で分った。馬車の窓に落日が血のように射していた。二人には小さい馬車の様子が哀れでもあり、おかしくもあった。
「ああ、汝旧時代の遺物たる馬車よ」こう平一郎は突然に演説口調で喋ったのが、彼自身にもおかしくて、二人は涙の出るまで哄笑した。
「あなたは母さんおひとり?」
「僕う? 僕は母ひとりきりですよ。家もないしお金だってありませんや」
「でも母さんがあって結構ですわ。わたしには母さんはないのよ」
「ああ、そうでしたね、虎に食われてなくなりなすったそうでしたね!」
 太陽が没してしまったとき、二人は丘を下りて野の道を街の方へ帰って来た。路で、平一郎が和歌子の封筒のことを想い出して、懐から出して「ひらいてみようかしら」と言ったとき、「いけません、平一郎さん、いけません」と封筒を開かせまいと努めたときの彼女のひや/\した髪の感触は忘られないものである。
「明日は返事をもって来ますよ」
「ええ、きっとですよ」
 二人は坂をのぼりつめた十字街で別れた。平一郎はもっと言わねばならぬ重大なことを一つも言わなかったような気がした。それが何であったかを反省すると、まるで頭脳が空虚だった。それは「混沌たる充実の空虚」であった。
 夜、彼は自分の机に書物を展(ひら)いた上に水色の封筒をのせて、惜しい気のするのを思い切って、封を切った。
今日わたしは学校から帰って庭に出てあなたのことを考えていました。今日はどうしてか学校からの帰り道でお会いしなかったのが気が悪くて仕方がございませんでした。すると隣りの深井の坊っちゃんがわたしをよびなさったのです。
わたしは何もかも存じております。ほんとうにわたしはすみません。でもわたしにはどうしてよいか分らなかったのでございますもの。ほんとにわたしはあなたのあれでございます。わたしは今、うれしくてじっとしておれないのです。わたしは仲よくしていただきたいのです。でもわたしはそんなに仲よくしていただけるのかしら。
気がせいて思うことが書けません。母は(わたしのほんとの母ではありませんのよ)じきに何をしているかのぞきに来ますのです。平一郎さま、わたしは今、あなたに会いたくてならなくなりました。今夜はわたし眠られないでしょう、きっと。以前も眠られないときはあなたのことをいつも思っておりましたのよ。あなたは御存じないかも知れませんが、わたしはよく深井の坊っちゃまからあなたのことを承っておりました。わたしは今ほんとにどうしたらよいのでございましょう
吉倉和歌子   なつかしき
     大河平一郎様
[#改ページ]
     第二章




 春はすでに行き過ぎて、梅雨期の曇った空が北国の街に垂れ下がっていた。十五の大河平一郎は伸びゆく樹木のように健やかに成長して行った。母の献身的な愛のうちに、美しくて立派な冬子の愛のうちに成長して来た彼は、さらに愛する和歌子と深井とを獲た程に成長(おお)きくなったのだった。彼は習字や図画の手先の学科こそ並はずれて下手だったが、他の理論的な、もしくは情意的な学科には大きな能力の芽を現わすことが出来た。奔放な想像は外国地理の時間に、地球全体を自分の意志で調和あらしめ、和歌子が王妃で自分が帝王であったら実にいいと熱した。歴史の時間には時代興亡のあと、勝れた人格の生活のあとを自分の身に比べて、ある戦慄を止めることが出来なかった。あのように常に彼をして味気ない淋しさに堕す「貧乏」「家なし」「親なし」という哀れな境遇が彼には、大自然が自分にある使命を齎(もた)らしたしるしであるとさえ勇気づけられた。「自分は貧乏だ。しかしそのために自分は、自分本来の精神の伸びゆくさきを曲げるわけは毫もない!」彼は巨大な肉体の所有者でなかったので、無論選手級ではなかったが、野球も柔道も剣道もやった。
 しかし、お光母子には未だ数しれぬ試練が与えられねばならないのであろう。悲しいことには、お光には彼女一人の手で二人の生活費と平一郎の学費とを与えてゆくことが出来なくなって来ていた。亡き夫の唯一の遺品であった家を売った金も、もう残り少なになってしまっていた。どうにかしなくてはならなかった。先の見えすくのに、その不幸の来るのを待っているほど自棄な気持になるにはお光はあまりに平一郎の未来を信じ、祝福し、重大視していた。彼女は冬子に打ち明けた。冬子は春風楼の裁縫師が止めたから来てはどうかと言った。母子二人が食事して、月五円の手当だと言った。お光はどうしようかと長い間考えずにいられなかった。遊廓の近くに移って来たことさえが平一郎のためによいことでないと思えたのに、そうした廓の娼家に住むことが決してよい感化を与えないことは分りきったことのように考えられた。しかし、現在のままで生活することは残り少ない貯金を更に短い間に消費してしまうことでしかなかった。彼女は仕方がないと思った。また彼女の生きて来た生涯の体験に照してみて、たとえ娼家の一隅に生活しようともそれによって平一郎の人格が動揺するようでは頼母(たのも)しくないとも考えられた。冒険ではあった。しかし彼女はとにかく住みこんでみようと決心した。悪ければ悪いでどうにかしよう、少なくともこのまま滅亡するのを待っているよりはよい、と。そうしてこの生活の闘いと独り子の心配とが彼女の生来の娼婦や淫売に対する本能的な嫌悪と同情とを忘却せしめた。傍見をしているひまのない厳粛な生活だったのだ。相談相手を持たない彼女は平一郎に一応打ち明けた。
「僕はいやだ、僕は行くもんか!」こう平一郎はお光に家をかわることを打ち明けられたとき狂人のようにわめいた。(僕がもしそんな娼家に住居したら、和歌子や深井はどう考えるだろう。彼等は自分をもう相手にしないにきまっている!)そう彼は咄嗟に考えたのだ。お光もはじめは平一郎の反対の猛烈なのがもっともなのに当惑した。しかしもう事はきまってしまっていた。お光は平一郎に数字で示さないまでもいかに自分達母子の境遇がかわって来ているか、逼迫(ひっぱく)しているかを静かに語りきかせた。また、そうした娼家に住むといっても女達と一緒にいるわけでなく、また自分さえ勉強に一心であるなら、どこに住むも同じであるとも言ってきかした。平一郎は母の言葉をききながらも、言葉をとおして迫る「貧」の圧迫と痛さに堪えられなかった。しかし、ああ、彼に恵まれている彼自身の力は「娼家の軒」に日を送ろうと悲しくも決心させた。
(自分は和歌子にも深井にもその通り打ち明けよう。自分が貧乏でしかたなく替ったことを、どんなところに住もうと、この自分の精神は旺盛で健全で、かわらないことを、そして、自分は君達を愛し君達も自分を愛してくれることを!)
「冬子さん、何とした縁でしょう。ほんとに何とした不思議な縁でしょう」とお光は平一郎もどうにか承諾していよ/\相談が双方にまとまったとき、彼女の平常に似ず、涙ぐんだ感激で冬子に言った。
「小母さん、わたしこそですわ。もしも小母さんがいらっしゃらなかったら、わたしはどうなっていたでしょう。きっと今よりもずっとずっと悪いわたしになっていたに相違ありませんわ――今のままだってわたし小母さんにしょっちゅうすまない気がしていますのよ」と冬子は言った。
 六月中旬のある日曜日の朝早くから、お光は冬子と雇い男に手伝われながら、荷造りや掃除をどうにかすました。唯一つ残っている黒い漆塗りの箪笥と長持を人夫が車に運ぶのを見ていると何故か涙がにじみ出て来た。苦い流浪の悲苦とでも言おうか。最後の移転車に冬子がつきそっていったあと、道具の取り払われた荒廃した室内を見ることは彼女をしてとうとう泣かしてしまった。言いようのない頼りなさであった。夫の俊太郎の死後、後家としての彼女に深く浸みいる人生の孤独と淋しさとであった。彼女は「ほんとに人生はひとり生まれ、ひとり死ぬものだ」と思うと涙がわいて来た。そうしたところへ薄水色のネルの単衣にたすきがけに手拭を姉さんかぶりにした冬子が、今丁度春風楼の主人が起きているし、店の妓達はまだ眠っていて都合がよいから早く行こうと、急ぐようにはいって来たのが、お光には嬉しかった。二人は淋しいながら新しい昂奮を感じて、十字街を右へ折れて緩い坂を下りた。この市外の廓でも春風楼は第一流の家であった。宏壮の古めかしい家並の中ほどに、杉の森のこんもり茂った八幡宮の境内にとなりあって、三層の古代風の破風造りが聳えていた。その家の紅殻格子の扉の前に立ったときお光はいまさらのように全身がひきしまるのを覚えた。色硝子をはめた中戸の内部には高価な下駄や足駄や雪駄の類が、裏返しになったり、横に転がったり、はねとばされたりしていっぱいに乱れていた。
 主人というのは五十あまりの赤く禿げあがった頭顱(とうろ)に上品な白髪をまばらに生やした、油ぎった顔色の男であった。三尺四方の囲炉裡を控えた横座に坐って、熱く燗した卵酒を呷(あお)りながら主人は、細かいことはあとで家内が起きたら訊いてくれろ、心安い気で自分の家のようにして、家内の相談相手にもなってやってほしい、一人の息子さんがおありのようだが、土蔵の裏の離室(はなれ)が空いているから、そこを勉強室にした方がよかろう、と言った。思ったよりも苦労人らしい主人の言葉はお光には嬉しかった。隣の社の境内から朝日が静かに射しているのも嬉しいことの一つだった。
「それじゃ小母さん、離室へいきましょう。荷物はもうすっかり片付いていますから」
 広い台所の板敷、中庭の木立を通る長廊下、土蔵の前を折れて横手の薄闇を白壁に沿って薄暗くなる。「小母さん、そこは湯殿よ」紅や紫や橙色の色硝子の横手の細い板敷へ、明るみが微かに射していた。陽光は躑躅(つつじ)や南天の茂みをあしらった庭から射し、庭に面して離室があった。
「ここですのよ、小母さん!」
 お光は青壁の十畳敷に不調和に置かれた火鉢や棚や平一郎の机を見廻しつつ、ある淋しさと不安とありがたさをしみじみ感じずにいられなかった。
「これからは小母さんと始終住まえてわたしうれしい」と冬子は言った。「ほんとにはじめて小母さんを知ったとき、こうして一つ家に住もうと思ったでしょうか」
「ほんとに不思議な縁ですのね」とお光は悠久なある力に触れたような気がしきりにした。そして、永遠であり、不可知であり、一切の悦び、一切の悲しみの泉である生命の未来を仰ぎみるのであった。日はうららかに照って来た。
「わたし眠くなって来ました。小母さん、失礼ですがわたし一眠りして来ましてよ」と冬子は笑いながら去った。まだ春風楼にとっては真夜中であるべき午前八時であった。

 春風楼の茶の間の正面に懸けられてある大時計が、午前十時の音をごおん/\と響かせた。家のいっぱいに混沌とした濁った眠りが暗鬱にとざされている。さっき中途で眼を醒まして卵酒でいっぱい引っかけていた主人も快い朝の酔いをそのまま、昨夜晩くなって眠りほうけている女将の横にしがみついて寝入ってしまった。電燈は消滅して家中が薄暗く、そして静寂だった。灯の下に動いていた夜の華やかさは、何処に見出されようもなかった。表の細かい格子目の硝子越しに真夏近いじり/\と強烈さの増してくる太陽の光が、電燈の消えた店の部屋に射し入り、照らし出していた。女達はその朝の光に浮かぶように眠れる姿をあらわしていた。部屋いっぱいに並んだ八つの寝床、枕元近い板敷に並んだ鏡台、壁際に総桐の四台の箪笥、その上に二間の吊棚があって、使いこなした、くな/\の平常(ふだん)の帯らしいものが赤い下着と一緒に垂れ下っている。脱ぎすてたままの着物が幾重ねも、赤い裏を裏がえしにし、襟垢や白粉のついた黒い生繻子の襟がべと/\に光ったまま棚に押しこめてある。蔽を被せることを忘れた一台の鏡の面が照り返す白光が、その一枚の上にじっと止まって動かない。静かだった。すう/\と寝息がする。時々ううと唸るものもある。
 この朝のように八つも寝床が敷かれてあることは稀であった。いつの夜も三、四人か四、五人しか自分の寝床で泊るものはなかった。いかなるところで、いかなる人間と、いかなる夜を過すであろうかは分りすぎた事実である。午前十時の時計の音に眼を醒された冬子は、光に照らされた珍しくそろった朋輩の眠れる姿を床の中より見廻さずにいられなかった。
 壁際に水色の軽やかな夏蒲団を正しく身体半身にまとって、左枕に壁の方を向いて平静に眠っているのは冬子より二つ年下のお幸だった。寝化粧をすることを忘れない彼女の艶々した島田髷に日は照り、小刻みな規則正しい息づかいが髪の根を細かに揺がしている。背はやや低く小造りな身体だが、引き緊った円やかな肉付と、白く透きとおった肌理(きめ)の精密な皮膚とをお幸はもっていた。お幸は東京の生まれであった。彼女の母は東京柳橋でも名妓といわれた女だったが三十を越してから運が悪くなった。唯一の後援者であった政治家が死んだとき、そのまま芸者稼業をしているにはあまりに全盛期の我儘が敵をつくりすぎていた。お幸の母は廃れてゆく容色や、肉身の若さを感じはじめると、名人に今一歩だといわれた自分の芸道(踊り)で生活しようと金沢の街へ来たのだった。
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