ああ玉杯に花うけて
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著者名:佐藤紅緑 

 涙はほおを伝うて滴々(てきてき)として足元に落ちた。足にはわらじをはいている。
「じゃね、そうしてくれるかね」と光一も涙をほろほろこぼしながらいった。
「いいや」と千三は頭をふった。
「いやなのかい」
「お志は感謝します。だが柳さん」
 千三はふたたび沈黙した。肩をゆする大きなため息がいくども起こった。
「わがままのようだけれどもぼくはお世話になることはできません」
「どうして?」
「ぼくはねえ柳さん、ぼくは独力でやりとおしたいんです、人の世話になって成功するのはだれでもできます、ぼくはひとりで……ひとりでやって失敗したところがだれにも迷惑をかけません、ぼくはひとりでやりたいのです」
「しかしきみ」
 光一は千三の手をきびしくにぎりしめてじっと顔を見詰めたが、やがて茫然(ぼうぜん)と手を放した。
「失敬した、きみのいうところは実にもっともだ、ぼくはなんにもいえない」
 庭の茂りのあいだから文子の声が聞こえた。
「兄さん! ご飯よ、今日(きょう)はコロッケよ」
「そんなことをいうものじゃない」と光一はしかるようにいった、文子の声はやんだ。
「どうか悪く思わないようにね」と千三がいった。
「いや、ぼくこそ失敬したよ」と光一はいった。
「いままでどおりにお願いします」
「ぼくもね」
 ふたりはふたたびかたい握手(あくしゅ)をした。
「コロッケがさめるわよ」と文子は窓から顔をだしていった。
「うるさいやつだな」と光一はわらった。
「さようなら」
 千三はおけをかついでふらふらと歩きだした。光一はだまって後ろ姿を見送ったが、両手を顔にあててなきだした。日は次第に暮れかけてうの花だけがおぼろに白く残った。
 翌日光一は学校へゆくと手塚がかれを待っていた。
「きみ、気をつけなきゃいけないよ、生蕃がきみを殺すといってるよ」
「なぜだ」
「きみの父(ファザー)がチビ公の伯父さんのさしいれ物をしたそうじゃないか」
「だれがそんなことをいったんだ」
「町ではもっぱら評判(ひょうばん)だよ」
「そんなことはぼくは知らん、よしんば事実にしたところで、生蕃がなにもぼくを殺すにあたらない話だ」
「ぼくもそう思うがね、あの問題はチビと生蕃のことから起こって、大人(おとな)同志の喧嘩になったんだからな」
「かまわんさ、ほっとけ、ぼくは生蕃をおそれやしないよ」
「きみはいつも傲慢(ごうまん)な面(つら)をしてるとそういってたよ」
「なんとでもいうがいい」
「しかし気をつけなけりゃ」
 手塚はいつも表裏(ひょうり)反覆(はんぷく)つねなき少年で、今日は西に味方し明日は東に味方し、好んで人の間柄をさいて喜んでるので、光一はかれのいうことをさまで気にとめなかった。
 そのころ生蕃は得意の絶頂にあった、かれが三年のライオンを征服してから驍名(ぎょうめい)校中にとどろいた。かれは肩幅を広く見せようと両ひじをつっぱり、下腹を前へつきだして歩くと、その幕下共(ばっかども)は左右にしたがって同じような態度をまねるのであった。とくにかれは覚平の一件があってから凶暴(きょうぼう)がますます凶暴を加えた。
 学校の小使いは廃兵(はいへい)であった。かれはらっぱをふくことがじょうずで、時間時間には玄関へでて腹一ぱいにふきあげる。それから右と左のろうかへふきこむと生徒がぞろぞろ教室をでる。それを見るとかれは愉快でたまらない。
「生意気なことをいってもおれのらっぱででたりはいったりするんだ、おまえたちはおれの命令にしたがってるんじゃないか」
 こうかれは生徒共にいうのであった。かれはもう五十をすぎたが女房(にょうぼう)も子もない、ほんのひとりぽっちで毎日生徒を相手に気焔(きえん)をはいてくらしている、かれは日清戦争(にっしんせんそう)に出征して牙山(がざん)の役(えき)に敵の大将を銃剣で刺(さ)したくだりを話すときにはその目が輝きその顔は昔のほこりにみちて朱(しゅ)のごとく赤くなるのであった。
「そのときわが鎌田聯隊長殿(かまだれんたいちょうどの)は、馬の上で剣を高くふって突貫(とっかん)! と号令をかけた。そこで大沢(おおさわ)一等卒はまっさきかけて疾風(しっぷう)のごとく突貫した。敵は名に負う袁世凱(えんせいがい)の手兵だ、どッどッどッと煙をたてて寄せくる兵は何千何万、とてもかなうべきはずがない」
「逃げたか」とだれかがいう。
「逃げるもんか、日本男児だ、大沢一等卒は銃剣をまっこうにふりかぶって」
「らっぱはどうした」
「らっぱは背中へせおいこんだ」
「らっぱ卒にも銃剣があるのか」
「あるとも、兵たる以上は……まあだまって聞け大沢一等卒は……」
「いまや小使いになってる」
 生徒は「わっ」とわらいだす、大抵(たいてい)このぐらいのところで軍談は中止になるのだが、かれはそれにもこりず生徒をつかまえては懐旧談をつづけるのであった。大沢一等卒がはたしてそれだけの武功があったかどうかは何人(なんぴと)も知らないことなのだが、生徒間ではそれを信ずる者がなかった。大沢小使いの一番おそれていたのは体操の先生の阪本少尉(さかもとしょうい)であった、かれは少尉の顔を見るといつも直立不動の姿勢で最敬礼をするのであった。
「小使い! お茶をくれ」
「はい、お茶を持ってまいります」
 実際大沢は校長に対するよりも少尉に対する方が慇懃(いんぎん)であった、生徒はかれを最敬礼とあだ名した。
 最敬礼のもっともきらいなのは生蕃であった、生蕃はいつもかれを罵倒(ばとう)した。生蕃は大沢一等卒が牙山(がざん)の戦いで一生懸命に逃げてアンペラを頭からかぶって雪隠(せっちん)でお念仏をとなえていたといった。それに対して大沢は顔を赤くして反駁(はんばく)した。
「見もしないでそんなことをいうものじゃない」
「おれは見ないけれども官報にちゃんとでていたよ」と生蕃がいった。
「とほうもねえ、そんな官報があるもんですか」
 なにかにつけて大沢と生蕃は喧嘩した、それがある日らっぱのことで破裂した。大沢が他の用事をしているときに生蕃がらっぱをぬすんでどこかへいってしまった。これは大沢にとってゆゆしき大事であった。大沢は血眼(ちまなこ)になってらっぱを探した、そうしてとうとう生蕃があめ屋にくれてやったことがわかったのでかれは自分の秘蔵(ひぞう)している馬の尾で編んだ朝鮮帽をあめ屋にやってらっぱをとりかえした。
「助役のせがれでなけりゃ口の中へらっぱをつっこんでやるんだ」とかれは憤慨(ふんがい)した。
 生蕃の素行についてはしばしば学校の会議にのぼったが、しかしどうすることもできなかった。英語の先生に通称カトレットという三十歳ぐらいの人があった、この先生は若いに似ずいつも和服に木綿(もめん)のはかまをはいている、先生の発音はおそろしく旧式なもので生徒はみんな不服であった。先生はキャット(ねこ)をカットと発音する、カツレツをカトレットと発音する。
「先生は旧式です」と生徒がいう。
「語学に新旧(しんきゅう)の区別があるか」と先生は恬然(てんぜん)としていう。
「しかし外国人と話をするときに先生の発音では通じません」
「それだからきみらはいかん、語学をおさめるのは外人と話すためじゃない、外国の本を読むためだ、本を読んでかれの長所を取りもってわが薬籠(やくろう)におさめればいい、それだけだ、通弁になって、日光(にっこう)の案内をしようという下劣な根性のものは明日(あす)から学校へくるな」
 生徒は沈黙した。生徒間には先生の言は道理だというものがあり、また、頑固(がんこ)で困るというものもあった、が結局先生に対してはなにもいわなくなった、英語の先生とはいうものの、この朝井(あさい)先生は猛烈な国粋主義者(こくすいしゅぎしゃ)であった、ある日生徒は英語の和訳を左から右へ横に書いた。それを見て先生は烈火のごとくおこった。
「きみらは夷狄(いてき)のまねをするか、日本の文字が右から左へ書くことは昔からの国風である、日本人が米の飯を食うことと、顔が黄色であることと目玉がうるしのごとく黒く美しいことと、きみに忠なることと、親に孝なることと友にあつきことと先輩をうやまうことは世界に対してほこる美点である、それをきみらは浅薄な欧米の蛮風を模倣(もほう)するとは何事だ、さあ手をあげて見たまえ、諸君のうちに目玉が青くなりたいやつがあるか、天皇にそむこうとするやつがあるか、日本を欧米のどれいにしようとするやつがあるか」
 先生の目には憤怒(ふんぬ)の涙が輝いた、生徒はすっかり感激してなきだしてしまった。
「新聞の広告や、町の看板にも不心得千万(ふこころえせんばん)な左からの文字がある、それは日本を愛しないやつらのしわざだ。諸君はそれに悪化されてはいかん、いいか、こういう不心得(ふこころえ)なやつらを感化して純日本に復活せしむるのは諸君の責任だぞ、いいか、わかったか」
 この日ほどはげしい感動を生徒にあたえたことはなかった。
「カトレットはえらいな」と人々はささやきあった。
 光一はこのほかにもっとも尊敬していたのは校長の久保井先生であった。元来光一は心の底から浦和中学を愛した。とくに数多(あまた)の先生に対しては単に教師と生徒の関係以上に深い尊敬と親しみをもっていた。校長は修身を受け持っているので、生徒は中江藤樹(なかえとうじゅ)の称(しょう)をたてまつった。校長の口ぐせは実践躬行(じっせんきゅうこう)の四字であった、かれの訓話にはかならず中江藤樹がひっぱりだされる、世界大哲人の全集を残らず読んでもそれを実地におこなわなければなんの役にもたたない、たとえばその……こう先生はなにか譬喩(ひゆ)を考えだそうとする。先生は譬喩がきわめてじょうずであった、謹厳そのもののような人が、どうしてこう奇抜な譬喩がでるかとふしぎに思うことがある、たとえばその、ぼたもちを見て食わないと同じことだ、ぼたもちは目に見るべきものでなくして、口に食すべきものだ、書籍は読むべきものでなくして行ないにあらわすべきものだ、いもは浦和の名産である、だが諸君、同じ大きさのいもの重さが異(こと)なる所以(ゆえん)を知っているか、量においては同じである。重さにおいて一斤(きん)と二斤の差があるのは、肥料の培養法(ばいようほう)によってである、よき肥料と精密な培養はいもの量をふやしまた重さをふやす、よき修養とよき勉強は同じ人間を優等にすることができる、諸君はすなわちいもである。
 この訓話については「人を馬鹿にしてる。おれ達をいもだといったぜ、おい」と不平をこぼした者もあった。
 普通の教師は学校以外の場所では中折帽(なかおれぼう)をかぶったり鳥打帽(とりうちぼう)に着流しで散歩することもあるが、校長だけは年百年中(ねんびゃくねんじゅう)学校の制帽(せいぼう)で押し通している、白髪のはみだした学帽には浦和中学のマークがいつも燦然(さんぜん)と輝いている。校長のマークもぼくらのマークも同じものだと思うと光一はたまらなくうれしかった。
 とここに一大事件が起こった。ある日学校の横手にひとりのたい焼き屋が屋台をすえた。それはよぼよぼのおじいさんで銀の針のような短いひげがあごに生(は)え、目にはいつも涙をためてそれをきたないてぬぐいでふきふきするのであった。まずかまどの下に粉炭(こなずみ)をくべ、上に鉄の板をのせる。板にはたいのような形が彫(ほ)ってあるので、じいさんはそれにメリケン粉をどろりと流す、それから目やにをちょっとふいてつぎにあんを入れその上にまたメリケン粉を流す。
 最初はじいさんがきたないのでだれも近よらなかったが、ひとりそれを買ったものがあったので、われもわれもと雷同(らいどう)した、二年生はてんでにたい焼きをほおばって、道路をうろうろした、中学校の後ろは師範学校(しはんがっこう)である、由来いずれの県でも中学と師範とは仲(なか)が悪い、前者は後者をののしって官費(かんぴ)の食客だといい、後者は前者をののしって親のすねかじりだという。
 師範の生徒は中学生がたい焼きを食っているのを見て手をうってわらった。わらったのが悪いといって阪井生蕃(さかいせいばん)が石の雨を降らした。逃げ去った師範生は同級生を引率(いんそつ)してはるかに嘲笑(ちょうしょう)した。
「たい焼き買って、あめ買って、のらくらするのは浦中(うらちゅう)ちゅう、ちゅうちゅうちゅう、おやちゅうちゅうちゅう」
 妙な節でもってうたいだした。すると中学も応戦してうたった。
「官費じゃ食えめえ気の毒だ、あんこやるからおじぎしろ、たまには、たいでも食べてみろ」
 このさわぎを聞いた例のらっぱ卒は早速(さっそく)校長に報告した。校長はだまってそれを聞いていたがやがておごそかにいった。
「たい焼き屋に退却(たいきゃく)を命じろ」
 いかになることかとびくびくしていた生徒共は校長の措置(そち)にほっと安心した、たい焼き屋はすぐに退却した、だが哀(あわ)れなるたい焼き屋! 一時間のうちに数十のたいが飛ぶがごとく売れるような結構な場所はほかにあるべくもない。かれは翌日またもや屋台をひいてきた。それと見た校長は生徒を校庭に集めた。
「たい焼きを食うものは厳罰に処すべし」
 生徒は戦慄(せんりつ)した、とその日の昼飯時である。生徒はそれぞれに弁当を食いおわったころ、生蕃は屋台をがらがらと校庭にひきこんできた。
「さあみんなこい、たい焼きの大安売りだぞ」
 かれはメリケン粉を鉄の型に流しこんで大きな声でどなった。人々は一度に集まった。
「おれにくれ」
「おれにも」
 焼ける間も待たずに一同はメリケン粉を平らげてしまった。これが校中の大問題になった。じじいが横を向いてるすきをうかがって足を引いてさかさまにころばし、あっと悲鳴をあげてる間に屋台をがらがらとひいてきた阪井の早業(はやわざ)にはだれも感心した。
 わいわいなきながらじじいは学校へ訴(うった)えた。たい焼きを食ったものはわらって喝采(かっさい)した、食わないものは阪井の乱暴を非難した。だがそれはどういう風に始末をつけたかは何人(なんぴと)も知らなかった。
「阪井は罰を食うぞ」
 みながこううわさしあった、だが一向なんの沙汰(さた)もなかった。それはこうであった。阪井は校長室によばれた。
「屋台をひきずりこんだのはきみか」
「はい、そうです」
「なぜそんなことをしたか」
「たい焼き屋がきたためにみなが校則をおかすようになりますから、みなの誘惑(ゆうわく)を防ぐためにぼくがやりました」
「本当か」
「本当です」
「よしッ、わかった」
 阪井が室をでてから校長は歎息(たんそく)していった。
「阪井は悪いところもあるが、なかなかよいところもあるよ」
 しかし問題はそれだけでなかった、ちょうどそのときは第一期の試験であった、試験! それは生徒に取って地獄(じごく)の苦しみである、もし平素善根(ぜんこん)を積んだものが死んで極楽にゆけるものなら、平素勉強をしているものは試験こそ極楽の関門である、だがその日その日を遊んで暮らすものに取っては、ちょうどなまけ者が節季(せっき)に狼狽(ろうばい)すると同じもので、いまさらながら地獄のおそろしさをしみじみと知るのである。
 浦和中学は古来の関東気質(かんとうかたぎ)の粋(すい)として豪邁不屈(ごうまいふくつ)な校風をもって名あるが、この年の二年にはどういうわけか奇妙な悪風がきざしかけた。それは東京の中学校を落第して仕方なしに浦和へきた怠惰生(たいだせい)からの感染(かんせん)であった。孔子(こうし)は一人(いちにん)貪婪(どんらん)なれば一国(いっこく)乱(らん)をなすといった、ひとりの不良があると、全級がくさりはじめる。
 カンニングということがはやりだした、それは平素勉強をせない者が人の答案をぬすみみたり、あるいは謄写(とうしゃ)したりして教師の目をくらますことである、それには全級の聯絡(れんらく)がやくそくせられ、甲(こう)から乙(おつ)へ、乙から丙(へい)へと答案を回送するのであった、もっと巧妙な作戦は、なにがしの分はなにがしが受け持つと、分担を定める。
 この場合にいつもぎせい者となるのは勉強家である。怠惰(たいだ)の一団が勉強家を脅迫(きょうはく)して答案の回送を負担せしめる。もし応じなければ鉄拳(てっけん)が頭に雨(あま)くだりする。大抵(たいてい)学課に勉強な者は腕力が弱く怠(なま)け者は強い。
 カンニングの連中にいつも脅迫されながら敢然(かんぜん)として応じなかったのは光一であった。もっともたくみなのは手塚であった。
 この日は幾何学(きかがく)の試験であった。朝のうちに手塚が光一のそばへきてささやいた。
「きみ、今日(きょう)だけ一つ生蕃を助けてやってくれたまえね」
「いやだ」と光一はいった。
「それじゃ生蕃がかわいそうだよ」
「仕方がないさ」
「一つでも二つでもいいからね」
「ぼくは自分の力でもって人を助けることは決していといはせんさ、だが、先生の目をぬすんでこそこそとやる気持ちがいやなんだ、悪いことでも公明正大にやるならぼくは賛成する、こそこそはぼくにできない、絶対にできないよ」
「偽善者(ぎぜんしゃ)だねきみは」と手塚はいった。
「なんとでもいいたまえ、ぼくは卑劣(ひれつ)なことはしたくないからふだんに苦しんで勉強してるんだ、きみらはなまけて楽をして試験をパスしようというんだ、その方が利口かも知らんがぼくにはできないよ」
「きみは後悔(こうかい)するよ、生蕃はなにをするか知れないからね」
 光一は答えなかった。光一の席の後ろは生蕃である、光一が教室にはいったとき、生蕃は青い顔をしてだまっていた。
 幾何学(きかがく)の題は至極(しごく)平易なのであった、光一はすらすらと解説を書いた、かれは立って先生の卓上(たくじょう)に答案をのせ机(つくえ)と机のあいだを通って扉口(ドアぐち)へ歩いたとき、血眼(ちまなこ)になってカンニングの応援を待っているいくつかの顔を見た。阪井は頭をまっすぐに立てたまま動きもしなかった。手塚は狡猾(こうかつ)な目をしきりに働かせて先生の顔を、ちらちらと見やっては隣席の人の手元をのぞいていた。
「気の毒だなあ」
 光一の胸に憐愍(れんびん)の情が一ぱいになった。かれは自分の解説があやまっていないかをたしかめるために控(ひか)え席(せき)へと急いだ。
 ひとりひとり教室からでてきた、かれらの中には頭をかきかきやってくるものもあり、また大功名をしたかの如くにこにこしてくるものもあり、あわただしく走ってきてノートを開いて見るものもあった、人々は光一をかこんで解説をきいた、そうして自分のあやまれるをさとってしょげかえるものもありまた、おどりあがって喜ぶものもあった、この騒(さわ)ぎの中に阪井が青い顔をしてのそりとあらわれた。
「どうした、きみはいくつ書いた」と人々は阪井にいった。
「書かない」と阪井は沈痛にいった。
「一つもか」
「一つも」
「なんにもか」
「ただこう書いたよ、援軍(えんぐん)きたらず零敗(れいはい)すと」人々はおどろいて阪井の顔を見詰(みつ)めた、阪井の口元に冷ややかな苦笑が浮かんだ。
「だれかなんとかすればいいんだ」と手塚がいった。
「ぼくは自分のだけがやっとなんだよ」とだれかがいった。
「一番先にできたのはだれだ」と手塚がいった。
「柳だよ」「そうだ柳だ」
「柳は卑劣だ、利己主義(りこしゅぎ)だ」
 声がおわるかおわらないうちに阪井は弁当箱(べんとうばこ)をふりあげた。光一はあっと声をあげて目の上に手をあてた、眉と指とのあいだから血がたらたらと流れた。血を見た阪井はますます狂暴になっていすを両手につかんだ。
「よせよ、よせ、よせ」人々は総立ちになって阪井をとめた。
「あんなやつ、殺してしまうんだ、とめるな、そこ退け」
 阪井は上衣(うわぎ)を脱(ぬ)ぎ捨てて荒れまわった、このさわぎの最中に最敬礼のらっぱ卒がやってきた、かれは満身の力でもって阪井を後ろからはがいじめにした。「このやろう、今日(きょう)こそは承知ができねえぞ、さああばれるならあばれて見ろ、牙山(がざん)の腕前を知らしてやらあ」

         四

 阪井が柳を打擲(ちょうちゃく)して負傷させたということはすぐ全校にひびきわたった。上級の同情は一(いつ)に柳に集まった。
「阪井をなぐれなぐれ」
 声はすみからすみへと流れた。
「この機会に阪井を退校さすべし」
 この説は一番多かった。ある者は校長に談判しようといい、ある者は阪井の家へ襲撃(しゅうげき)しようといい、ある者は阪井をとらえて鉄棒(かなぼう)にさかさまにつるそうといった。憤激(ふんげき)! 興奮(こうふん)! 平素阪井の傲慢(ごうまん)や乱暴をにがにがしく思っていたかれらはこの際徹底的(てっていてき)に懲罰(ちょうばつ)しようと思った。二時の放課になっても生徒はひとりも去らなかった。ものものしい気分が全校にみなぎった。
 なにごとか始まるだろうという期待の下に人々は校庭に集まった。
「諸君!」
 大きな声でもってどなったのはかつて阪井と喧嘩をした木俣ライオンであった。
「わが校のために不良少年を駆逐(くちく)しなければならん、かれは温厚なる柳を傷(きず)つけた、そうして」
「わかってる、わかってる」と叫ぶものがある。
「おまえも不良じゃないか」と叫ぶものがある。
 木俣はなにかいいつづけようとしたが頭を掻いて引込んだ。人々はどっとわらった。これを口切りとして二、三人の三年や四年の生徒があらわれた。
「校長に談判しよう」
「やれやれ」
「徹底的にやれ」
 少年の血潮は時々刻々に熱した。
「待てッ、諸君、待ちたまえ」
 五年生の小原(こはら)という青年は木馬の上に立って叫んだ。小原は平素沈黙寡言(ちんもくかげん)、学力はさほどでないが、野球部の捕手として全校に信頼されている。肩幅が広く顔は四角でどろのごとく黒いが、大きな目はセンターからでもマスクをとおしてみえるので有名である、だれかがかれを評して馬のような目だといったとき、かれはそうじゃない、おれの目は古今東西の書を読みつくしたからこんなに大きくなったのだといった。
 身体(からだ)が大きくて腕力もあるが人と争うたことはないので何人(なにびと)もかれと親しんだ、木馬の上に立ったかれを見たとき、人々は鳴りをしずめた。小原の黒い顔は朱(しゅ)のごとく赤かった、かれは両手を高くあげてふたたび叫んだ。
「諸君は校長を信ずるか」
「信ずる」と一同が叫んだ。
「生徒の賞罰(しょうばつ)は校長の権利である、われわれは校長に一任して可(か)なりだ、静粛(せいしゅく)に静粛にわれわれは決してさわいではいかん」
「賛成賛成」の声が四方から起こった。狂瀾(きょうらん)のごとき公憤(こうふん)の波はおさまって一同はぞろぞろ家へ帰った。
 そのとき職員室では秘密な取り調べが行なわれた。職員達はどれもどれもにがい顔をしていた。当時その場にいあわせた重(おも)なる生徒が五、六人ひとりずつ職員室へよばれることになった。一番最初に呼ばれたのは手塚であった、手塚はいつも阪井の保護を受けている、いつか三年と犬の喧嘩のときに阪井のおかげで勝利を占めた、かれはなんとかして阪井を助けてやりたい、そうして一層(いっそう)阪井に親しくしてもらおうと思った。
「柳の方から喧嘩をしかけたといえばそれでいい」
 かれはこう心に決めた、が職員室へはいるとかれは第一に厳粛(げんしゅく)な室内の空気におどろいた。中央に校長のまばらに白い頭と謹直(きんちょく)な顔が見えた、その左に背の高いつるのごとくやせた漢文の先生、それととなりあって例の英語の朝井先生、磊落(らいらく)な数学の先生、右側には身体のわりに大きな声をだす歴史の先生、人のよい図画の先生、一番おわりには扉口(とぐち)に近く体操の先生の少尉(しょうい)がひかえている。
「あとをしめて」と少尉がどなった。手塚はあわてて扉をしめた。
「阪井はどうして柳をうったのか」と少尉がいった。
「ぼくにはわかりません」
「わからんということがあるかッ」
 少尉はかみつくようにどなった。
「知ってるだけをいいたまえ」と朝井先生がおだやかにいった。
「幾何(きか)の答案をだして体操場へゆきますと柳がいました。そこへ阪井がきました、それから……」
 手塚はさっと顔を赤めてだまった。
「それからどうした」と少尉(しょうい)がうながした。
「喧嘩をしました」
「ごまかしちゃいかん」と少尉はどなった。「どういう動機で喧嘩をしたか、男らしくいってしまわんときみのためにならんぞ」
「カンニングのその……」
「どうした」
「柳が阪井に教えてやらないので」
「それで阪井がうったのか」
「はい」
「一番先に答案ができたのは柳だ、それに柳が阪井を救わずに教室を出たのは卑怯(ひきょう)だ、利己主義(りこしゅぎ)だといったのはだれか」
「ぼくじゃありません」と手塚はしどろになっていった。
「きみでなければだれか」
「知りません」
「知らんというか」
「多分桑田でしょう」
「桑田か」
「はい」
「きみもカンニングをやるか」
「やりません」
「きみは一番うまいという話だぞ」
「それは間違いです」
「よしッ帰ってもよい」
 手塚はねずみの逃ぐるがごとく室(へや)をでてほっと息をついた。雑嚢(ざつのう)を肩にかけて歩きながら考えてみると阪井を弁護しようと思ったはじめの志と全然反対にかえって阪井の不利益をのべたてたことになっている。
「これが阪井に知れたら、どんなめにあうかも知れない」
 怜悧(れいり)なる手塚はすぐ一策(さく)を案じて阪井をたずねた、阪井は竹刀(しない)をさげて友達のもとへいくところであった。
「やあきみ、大変だぞ」と手塚は忠義顔にいった。
「なにが大変だ」と阪井はおちついていった。
「先生も校長も非常におこってきみを退校させるといってる」
「退校させるならさせるがいいさ、片(かた)っ端(ぱし)からたたききってやるから」
「短気を起こすなよ、ぼくがうまくごまかしてきたから多分だいじょうぶだ」
「なんといった」
「柳の方から喧嘩を売ったのです。柳は生蕃に向かっておまえはふだんにいばってもなんにもできやしないじゃないかといっても生蕃はだまっていると……」
「おい生蕃とはだれのことだ」
「やあ失敬」
「それから?」
「柳が生……生……じゃない阪井につばをはきかけたから阪井がおこってたちあがると柳は阪井の顔を打ったので阪井は弁当をほうりつけたのです」
「うまいことをいうな、きみはなかなか口がうまいよ」
「そういわなければ弁護のしようがないじゃないか」
「だがおれはいやだ、おれはきみと絶交(ぜっこう)だ」と阪井は急にあらたまっていった。
「なぜだ」
「ばかやろう! おれは人につばを吐(は)きかけられたらそやつを殺してしまわなきゃ承知しないんだ、つばを吐きかけられたとあっては阪井は世間へ顔出しができない、うそもいい加減(かげん)に言えよばかッ」
 阪井はずんずん急ぎ足で去った、手塚はうらめしそうにその方を見やった。
「どっちがばかか、おれがしょうじきに白状(はくじょう)したのも知らないで……いまに見ろ退校させれるから」
 かれはこうひとりでいって角(かど)を曲がった。
「だが先生達の顔色で見ると、柳の方へつく方が利益だ、そうだ、柳の見舞いにいってやろう」
 学校では職員会議がたけなわであった。阪井の乱暴については何人(なんぴと)も平素憤慨(ふんがい)していることである。人々は口をそろえて阪井を退校に処(しょ)すべき旨(むね)を主張した。
「試験の答案に、援軍きたらず零敗すと書くなんて、こんな乱暴な話はありません」と幾何学(きかがく)の先生がいった。
「しかし」と漢学の先生がいった、「阪井は乱暴だがきわめて純な点があります、うそをつかない、手塚のように小細工をしない、おだてられて喧嘩をするが、ものの理屈がわからないほうでもない、無論今度のことは等閑(とうかん)に付(ふ)すべからざることですが、退校は少しく酷(こく)にすぎはしますまいか」
「いや、あいつは破廉恥罪(はれんちざい)をおかして平気でいます、人の畑のいもを掘る、駄菓子屋(だがしや)の菓子をかっぱらう、ついこのごろ豆腐屋の折詰(おりづめ)を強奪(ごうだつ)してそのために豆腐屋の親父(おやじ)が復讐(ふくしゅう)をして牢獄(ろうごく)に投ぜられた始末、私がいくども訓戒したがききません、かれのために全校の気風が悪化してきました、雑草を刈(か)り取らなければ他の優秀な草が生長をさまたげられます、これはなんとかして断固(だんこ)たる処分にでなければなりますまい、いかがですか校長」
 朝井先生がこういったとき、一同の目が校長に注がれた。校長は先刻から黙然として一言もいわずにまなこを閉(と)じていたがこのときようやくまなこをみひらいた。涙が睫毛(まつげ)を伝うてテーブルにぽたりぽたりこぼれた。
「わかりました、諸君のいうところがよくわかりました、実は私はこのことあるを憂(うれ)いて、前後五回ほど阪井の父をたずねて忠告したのです、それにかかわらずかれの父はかれを厳重にいましめないのです、これだけに手を尽くしても改悛(かいしゅん)せず、その悪風を全校におよぼすのを見ると、いまは断固たる処置をとらなきゃならない場合だと思います。しかしながら諸君、しかしながら……」
 校長の語気は次第に熱してきた。
「キリストの言葉に九十九のひつじをさしおいても一頭の迷える羊(ひつじ)を救えというのがあります、あれだけ悪い家庭に育ってあれだけ悪いことをする阪井は憎(にく)いにちがいないが、それだけになおかわいそうじゃありませんか、あんな悪いことを働いてそれが悪いことだと知らずにいる阪井巌をだれが救うてくれるでしょうか、善良なひつじは手をかけずとも善良に育つが、悪いひつじを善良にするのはひつじかいの義務ではありますまいか、いまここで退校にされればかれは不良少年としてふたたび正しき学校へ行くことができなくなり、ますます自暴自棄(じぼうじき)になります、そうすると、ひとりの男をみすみす堕落(だらく)させるようなものです、救い得る道があるなら救うてやりたいですな」
「いかにもなア」
 感嘆(かんたん)の声が起こった、人々は校長が生徒を愛する念の深きにいまさらながらおどろいた。
「ごもっともです」と朝井先生はいった。「校長の情け深いお説に対してはもうしあげようもありません、しかし教育者は一頭のひつじのために九十九の羊を捨てることはできません、ひとりのコレラ患者(かんじゃ)のために全校の生徒を殺すことはできません、阪井については師範校からも苦情がきております、かれの父はかれよりも凶悪です、しかも政党の有力者であり助役であるところからしてその子がどんな悪いことをしても罰することができないのだと世間で学校を嘲笑(ちょうしょう)しています、学校の威厳が一(ひと)たびくずれると生徒が決してわれわれの訓戒をきかなくなります。かたがたこの場合断固たる処置をとられることを希望致します」
「よろしい、きめましょう、一週間の停学にしましょう、それでもだめだったら退校にしましょう、どんな罪があろうと、その罪の一半(いっぱん)は私の徳(とく)の足らないためだと私は思います、私も深く反省しましょう、諸君もより以上に注意してください、悪い親を持った一少年を学校が見捨てたら、もうそれっきりですからなあ」
 寛大すぎるとは思ったが朝井先生は校長の美しい心に打たれて反対することができなくなった、人々は沈黙した。そうしてしずかに会議をおわった。
「こんなにありがたい校長および職員一同の心持ちが阪井にわからんのかなア」と少尉は涙ぐんでいった。
 停学を命ずという掲示が翌日掲げられたとき、生徒一同は万歳を叫んだ。だがそれと同時に阪井は退校届けをだした。校長はいくども阪井の家を訪(と)うて退校届けの撤回(てっかい)をすすめたがきかなかった。
 校長はまたまた柳の見舞いにいった。光一の負傷は浅かったが、なにかの黴菌(ばいきん)にふれて顔が一面にはれあがった。かれの母は毎日見舞いの人々にこういって涙をこぼした。
「阪井のせがれにこんなにひどいめにあわされましたよ」
 それを見て父の利三郎は母をしかりつけた。
「愚痴(ぐち)をいうなよ、男の子は外へ出ると喧嘩をするのは仕方がない、先方の子をけがさせるよりも家の子がけがするほうがいい」
 そのころ町々は町会議員の選挙で鼎(かなえ)のわくがごとく混乱(こんらん)した、あらゆる商店の主人はほとんど店を空(から)にして奔走(ほんそう)した。演説会のビラが電信柱や辻々(つじつじ)にはりだされ、家々は運動員の応接にせわしく、料理屋には同志会専属のものと立憲党専属のものとができた。
 阪井猛太は巌の父である、昔から同志会に属しその幹部として知られている、その反対に柳利三郎は立憲党であった、そういう事情から両家はなんとなく不和である、のみならずこのせわしい選挙さわぎの最中に阪井の息子が柳の息子の額(ひたい)をわったというので、それを政党争いの意味にいいふらすものもあった。
 次第次第に快復(かいふく)に向かった光一は聞くともなしに選挙の話を聞いた。
「私は商人だからな、政党にはあまり深入りせんようにしている」
 こういつもいっていた父が、急に選挙に熱してきたことをふしぎに思った、選挙は補欠選挙(ほけつせんきょ)であるから、たったひとりの争奪(そうだつ)である、だがひとりであるだけに競争がはげしい。政党のことなんかどうでもかまわないと思った光一も、父が熱し親戚(しんせき)が熱し出入りの者どもが熱するにつれて、自然なんとかして立憲党が勝てばよいと思うようになった。
 選挙の期日が近づくにしたがって町々の狂熱がますます加わった。ちょうどそのときだれが言うとなく、豆腐屋の覚平(かくへい)が出獄するといううわさが拡まった。
「おもしろい、覚平がきっと復讐するにちがいない」と人々はいった。
 ある日光一は覚平を見た、かれはよごれたあわせに古いはかまをはいて首にてぬぐいをまいていた、一月の獄中生活でかれはすっかりやせて野良犬(のらいぬ)のようにきたなくなり目ばかりが奇妙に光っていた、かれは非常に鄭重(ていちょう)な態度で畳(たたみ)に頭をすりつけてないていた。
「ご恩は決してわすれません、きっときっとお返し申します」
 かれはきっときっとというたびに涙をぼろぼろこぼした。
「もういいもういいわかりました、だれにもいわないようにしてな、いいかね、いわないようにな」
 と父はしきりにいった。
「きっと、きっと!」
 覚平(かくへい)はこういって家をでていった、光一ははじめて例のさしいれものは父であることをさとった。その翌日から町々を顛倒(てんとう)させるような滑稽(こっけい)なものがあらわれた。懲役人(ちょうえきにん)の着る衣服と同じものを着た覚平は大きな旗をまっすぐにたてて町々を歩きまわるのである。旗には墨痕淋漓(ぼっこんりんり)とこう書いてある。
「同志会の幹事(かんじ)は強盗(ごうとう)の親分である」
 かれは辻々に立ち、それから町役場の前に立ち、つぎに阪井の家の前に立ってどなった。
「折詰(おりづめ)をぬすんだやつ、豆腐をぬすんだやつ、学校を追いだされたやつ、そのやつの親父(おやじ)は阪井猛太だ」
 巡査が退去を命ずればさからわずにおとなしく退去するが、巡査が去るとすぐまたあらわれる、町の人々はすこぶる興味を感じた、立憲党の人々はさかんに喝采した、ときには金や品物をおくるのであったが、覚平は一切拒絶した。
 これがどれだけの効果があったかは知らぬが選挙はついに立憲党の勝利に帰した。覚平は町々をおどり歩いた。
「ざまあ見ろ阪井のどろぼう!」
 もう光一は学校へ通うようになった、とこのとき校内で悲しいうわさがどこからとなく起こった。
「校長が転任する」
 このうわさは日一日と濃厚(のうこう)になった、生徒の二、三が他の先生達にきいた。
「そんなことはありますまい」
 こう答えるのだが、そういう先生の顔にも悲しそうな色がかくしきれなかった。生徒の主なる者がよりよりひたいをあつめて協議した。
「本当だろうか」
 このうたがいのとけぬ矢先(やさき)に手塚はこういう報告をもたらした。
「校長が立憲党のために運動したので諭旨免官(ゆしめんかん)となるんだそうだ」
 これは生徒にとってあまりにふしぎなことであった。
「どういうわけだ」
「校長はね、柳の家へしばしば出入りしたのを見た者があるんだよ」
 と手塚がいった。「それで阪井の親父(おやじ)が校長排斥(はいせき)をやったんだ」
「それは大変な間違(まちが)いだ」と光一は叫んだ。「先生がぼくの家へきたのは二度だ、それは学校で負傷させたのは校長の責任だというので校長自身でぼくの父にあやまりにきたのと、いま一つはぼくの見舞いのためだ、先生はぼくの枕元(まくらもと)にすわってぼくの顔を見つめたままほかのことはなんにもいわない、ぼくの父とふたりで話したこともないのだ」
「そりゃ、そうだろうとも」と人々はいった。
「もしそれでも校長が悪いというなら、われわれはかくごを決めなきゃならん」と捕手の小原がいった。
「無論だ、学校を焼いてしまえ」とライオンがいった。
「へんなことをいうな」と捕手はライオンをしかりつけて、「こんどこそはだぞ、諸君! 関東男児の意気を示すのはこのときだ、いいか諸君! 天下広しといえども久保井(くぼい)先生のごとき人格が高く識見があり、われわれ生徒を自分の子のごとく愛してくれる校長が他にあると思うか、この校長ありてこの職員ありだ、どの先生だってことごとくりっぱな人格者ばかりだ、久保井先生がいなくなったら第一カトレット先生がでてゆく、三角先生もでてゆく、山のいも先生も、ナポレオン先生……」
「最敬礼も」とだれかがいった。
「まじめな話だよ」と捕手は怫然(ふつぜん)としてとがめた、そうしてつづけた。
「いいか諸君、久保井先生がなければ学校がほろびるんだぞ、ぼくらはなんのために漢文や修身や歴史で古今の偉人の事歴を学んでるのだ、『士(し)はおのれを知るもののために死す』だ、いいかぼくらは久保井先生のため浦和中学のため、死をもってあたらなきゃならん」
「それでなければ男じゃないぞ」と叫んだものがある。
 その日学校の広庭に全校の生徒が集まった、そうして一級から三人ずつの委員を選定して事実をたしかめることにした、もしそれが事実であるとすれば、全校連署(れんしょ)のうえ県庁へ留任を哀願しようというのである。光一は二年の委員にあげられた。
 光一は悲しかった、かれの心は政党に対する憤怒(ふんぬ)に燃えていた。どういう理由か知らぬが、校長がぼくの家へ見舞いにきただけで政党が校長を排斥するのはあまりに陋劣(ろうれつ)だ。
 小原のいうごとく久保井先生のようなりっぱな校長はふたたび得られない。いまの先生方のようなりっぱな先生もふたたび得られない。それにかかわらず学校がめちゃめちゃになる、それではぼくらをどうしようというんだろう、政党の都合がよければ学校がどうなってもかまわないのだろうか。
 そんなばかな話はない、これは正義をもって戦えばかならず勝てる、父に仔細(しさい)を話してなんとかしてもらおう。
 いろいろな感慨(かんがい)が胸にあふれて歩くともなく歩いてくると、かれは町の辻々(つじつじ)に数名の巡査が立ってるのを見た、町はなにやら騒々しく、いろいろな人が往来し、店々の人は不安そうに外をのぞいている。
「なにがはじまったんだろう」
 こう考えながら光一は家の近くへくると、向こうから伯父さんの総兵衛が急ぎ足でやってきた、かれはしまの羽織(はおり)を着てふところ一ぱいなにか入れこんで、きわめて旧式な山高帽(やまたかぼう)をかぶっていた。伯父さんはいつも鳥打帽(とりうちぼう)であるが、葬式や婚礼のときだけ山高帽をかぶるのであった、ほていさんのようにふとってほおがたれてあごが二重にも三重にもなっている、その胸のところにはくまのような毛が生えている、光一は子どものときにいつも伯父さんにだかれて胸の毛をひっぱったものだ。
「伯父さんどこへいってきたの」と光一はきいた。
「ああ光一か、おれは今町会傍聴(ぼうちょう)にいってきた、おもしろいぞ、うむ畜生(ちくしょう)! おもしろいぞ、畜生め、うむ畜生」
 おもしろいのに畜生よばわりは光一に合点(がてん)がゆかなかった。
「なにがおもしろいの?」
「なにがっておまえ、くそッ」伯父さんはひどく興奮(こうふん)していた。
「どろぼうめが、畜生」
「どろぼうがいたの?」
「どろぼうじゃねえか、一部の議員と阪井とがぐるになって、道路の修繕費をごまかして選挙費用に使用しやがった、それをおまえ大庭(おおば)さんがギュウギュウ質問したもんだから、困りやがって休憩(きゅうけい)にしやがった、さあおもしろい、お父さんがいるか」
「ぼくはいま学校の帰りですから知らない」
「知らない? ばかッ、そんならそうとなぜ早くいわないのだ、そんな風じゃ出世しないぞ」
 伯父さんはぶりぶりして足を急がせたが、なにしろふとってるので頭と背中がゆれる割合(わりあい)に一向(いっこう)足がはかどらなかった。
 そういう政党の争いは光一にとってなんの興味もなかった、かれが家へはいると、もう伯父さんの大きな声が聞こえていた。
「どろぼうのやつめ、畜生ッ、さあおもしろいぞ」
 父はげらげらわらっていた、母もわらっていた、伯父さんが憤慨すればするほど女中達や店の者共に滑稽(こっけい)に聞こえた。伯父さんはそそっかしいのが有名で、光一の家へくるたびに帽子を忘れるとか、げたをはきちがえるとか、ただしはなにかだまって持ってゆくとかするのである。
 光一は父と語るひまがなかった、父は伯父さんと共に外出して夜晩(おそ)く帰った、光一は床(とこ)にはいってから校長のことばかりを考えた。
「停学された復讐(ふくしゅう)として阪井の父は校長を追いだすのだ」
 こう思うとはてしなく涙がこぼれた。
 翌日学校へいくとなにごともなかった、正午の食事がすむと委員が校長に面会をこう手筈(てはず)になっている。
「堂々とやるんだぞ、われわれの血と涙をもってやるんだ、至誠もって鬼神を動かすに足(た)るだ」
 と小原が委員を激励した。
 委員はそこそこに食事をすまして校長室へいこうとしたとき、突然最敬礼のらっぱがひびいた。
「講堂へ集まれい」と少尉(しょうい)が叫びまわった。
「なんだろう」
 人々はたがいにあやしみながら講堂へ集まった、講堂にはすでに各先生が講壇の左右にひかえていた、どれもどれも悲痛な顔をしてこぶしをにぎりしめていた。もっとも目にたつのは漢文の先生であった、ひょろひょろとやせて高いその目に涙が一ぱいたまっていた。
「あの一件だぞ」と委員達は早くもさとった、そうして委員は期せずして一番前に腰をかけた。ざわざわと動く人波がしずまるのを待って少尉はおそろしい厳格な顔をして講壇に立った。
「諸君もあるいは知っているかもしらんが、こんど久保井校長が東京へ栄転さるることになりました、ついては告別のため校長から諸君にお話があるそうですから謹聴なさるがいい、決して軽卒なことがないように注意をしておく」
 この声がおわるかおわらないうちに講堂は潮のごとくわきたった。
「なぜ校長先生がこの学校をでるのですか」
「栄転ですか、免官ですか」
「先生がぼくらをすてるんですか」
「先生を追いだすやつがあるんですか」
 小さな声大きな声、バスとバリトンの差はあれども声々は熱狂にふるえていた、実際それは若き純粋な血と涙が一度に潰裂(かいれつ)した至情の洪水(こうずい)であった。
「諸君?[#「?」はママ]」
 小原捕手(こはらキャッチャ)は講壇の下におどり出して一同の方へ両手をひろげて立った。
「校長先生が諸君に告別の辞をたまわるそうだが、諸君は先生とわかれる意志があるか、意志があるなら告別の辞を聴くべしだ、意志のない者は……どうしても先生とわかれたくないものはお話を聴く必要がないと思うがどうだ」
「そうだ、無論だ」
 講堂の壁がわれるばかりの喝采と拍手が起こった。
「小原、おねがいしてくれ、先生におねがいしてくれ」
 だれかがすきとおる声でこういった。校長はまっさおになってこの体(てい)を見ていた。自分が手塩にかけて教育した生徒がかほどまで自分を信じてくれるかと思うと心の中でなかずにはいられなかった。
「先生!」
 小原は校長の方へ向きなおっていった、そのまっ黒な顔に燃ゆるごとき炎(ほのお)がひらめいた、広い肩と太い首が波の如(ごと)くふるえている。
「先生!」
 かれはふたたびいったが涙が喉につまってなにもいえなくなった。
「校長先生!」
 こういうやいなやかれは急に声をたててすすりあげ、その太い腕(かいな)を目にあててしまった。講堂は水を打ったようにしずまった、しぐれに打たるる冬草のごとくそこここからなき声が起こった、とそれがやがてこらえきれなくなって一度になきだした。漢文の先生は両手で顔をかくした、朝井先生は扉(ドア)をあけて外へでた、他の先生達は右に傾き左に傾いて涙をかくした。
 校長はしずかに講壇に立った。低いしかも底力のある声は、くちびるからもれた。
「諸君! 不肖(ふしょう)久保井克巳(くぼいかつみ)が当校に奉職してよりここに六年、いまだ日浅きにかかわらず、前校長ののこされた美風と当地方の健全なる空気と、職員諸氏の篤実とによって幸いに大瑕(たいか)なく校長の任務を尽くし得たることを満足に思っています、今回当局の命により本校を去り諸君とわかれることになったことは実に遺憾(いかん)とするところでありますが事情まことにやむを得ません。おもうに離合集散(りごうしゅうさん)は人生のつね、あえて悲しむに足らざることであります、ただ、諸君にして私を思う心あるなら、その美しき友情をつぎにきたるべき校長にささげてくれたまえ、諸君の一言一行にしてもし道をあやまるようなことがあれば、前校長の久保井は無能者であるとわらわれるだろう、諸君の健全なる、剛毅果敢(ごうきかかん)なる、正義にあつく友情に富める、この気風を失わざればそれはやがて久保井克巳の名誉である、私は諸君が、いかに私を愛してくれるかを知っている、諸君もまた私の心を知っているだろう、雲山煙水(うんざんえんすい)相(あい)隔(へだ)つれども一片の至情ここに相許せば、わかれることはなんでもない、私を思うなら、しずかにしずかに私をこの地から去らしめてくれたまえ、私も諸君を思えばこそこの地を去るのだ……」
 声はしずかなしずかな夕波が岸を打つかのごとくであったが、次第に興奮して飛沫(しぶき)がさっと岩頭にはねかかるかと思うと、それをおさえるごとく元のしずかさに返るのであった、一同は大鳥の翼(つばさ)にだきこまれた雛鳥(ひなどり)のごとく鳴りをしずめた。
「もし諸君にして私を思うあまりに軽卒な行動をとると、私が六年間この浦和町につくした志は全然葬(ほうむ)られてしまうことになる、諸君は学生の分を知らなければならん、学生は決して俗世界のことに指を染(そ)めてはならん、ただ、私は諸君にいう、ジョン・ブライトは『正しきを踏(ふ)んでおそるるなかれ』といった、私はこの格言を諸君に教えた、私が去るのもそれである、諸君もまたこの格言をわすれてはならぬ、五年生は来年だ、一年生も五年の後には卒業するだろう、そのときにはまた会える、はるかに浦和の天をながめて諸君の健全を祈(いの)ろう、諸君もまたいままでどおりにりっぱに勉強したまえ」
 小原はぐったりと頭をたれてだまった、もう何人(なんぴと)もいうものがない、校長がいかにも悲しげに一同を見おろして一礼した、生徒はことごとく起立しておじぎをした。そうしてそのままふたたびなきだした。
 後列の方から扉口(とぐち)へくずれだした、いとしめやかな足取り、葬式のごとく悲しげに一同は講堂をでた。
「だめかなア」
 光一は人々とはなれてひとりなきたいと思った、かれは夢のごとく町を歩いた、かれは自分の背後からいそがしそうにあるいてくる足音を聞いた、足音は次第に近づいた、そうして光一を通りすごした。
「青木君」かれは呼びとめた。
「ああ柳さん」
「どこへゆく?」
 光一はチビ公が豆腐おけもかつがないのをふしぎに思った。
「ぼくのおじさんを見ませんか」と千三はうろうろしていった。
「いや、見ない」
「ああそうですか、今朝(けさ)から家をでたきりですからな、また阪井の家へどなりこみにいったのではないかと思ってね」
 千三はなきだしそうな顔をしていた。
「心配だろうね、ぼくも一緒(いっしょ)にさがしてあげよう」

         五

 チビ公と光一は裏門通りから清水屋横町へでた。そこでチビ公は知り合いの八百屋(やおや)にきいた。
「家の伯父さんを見ませんか」
「ああ見たよ」と八百屋がいった。
「さっきね丸太(まるた)ん棒(ぼう)のようなものを持ってね、ここを通ったから声をかけるとね、おれは大どろぼうを打ち殺しにゆくんだといってたっけ」
「どこへいったでしょう」
「さあ、停車場の方へいったようだ」
「酔ってましたか」
「ちとばかし酒臭かったようだったが、なあチビ公早くゆかないと、とんだことになるかもしれないよ」
「ありがとう」
 チビ公はもう胸が一ぱいになった、ようやく監獄(かんごく)からでてきたものがまたしても阪井に手荒なことをしては伯父さんの身体(からだ)はここにほろぶるよりほかはない、どんなにしても伯父さんをさがしだし家へつれて帰らねばならぬ。
 ふたりは足を早めた。停車場へゆくと伯父さんの姿が見えない、チビ公は巡査にきいた。
「ああきたよ」
「何分ばかり前ですか」
「さあ三十分ばかり前かね」
「どっちの方へゆきましたか」
「さあ」と巡査は首をかしげて、「常盤町通(ときわちょうどお)りをまっすぐにいったように思うが……」
 ふたりは大通りへ道を取った。
「どうしてこういやなことばかりあるんだろうね」と光一はいった。
「ぼくが思うに、この世の中にひとり悪いやつがあると世の中全体が悪くなるんです」とチビ公はいった。
「だがきみ、社会が正しいものであるなら、ひとりやふたりぐらい悪いやつがあってもそれを撃退する力があるべきはずだ」
「それはそうだが、しかし悪いやつの方が正しい人よりも知恵がありますからね、つまり君の学校の校長さんより阪井の方が知恵があります、どうしても悪いやつにはかないません」
「そんなことはない」と光一は顔をまっかにして叫んだ。「もしこの世に正義がなかったらぼくらは一日だって生きていられないのだ、ぼくは悪いやつと戦わなきゃならない、この世の悪漢をことごとく撃退して正義の国にしようと思えばこそぼくらは学問をするんじゃないか」
「それはそうだが、しかし強いやつにはかないません、正義正義といったところで、ぼくの伯父は監獄(かんごく)へやられる、阪井は助役でいばってる、それはどうともならないじゃありませんか」
 ふたりは警察署の前へきた、いましも七、八人の人々がひとりの男を引き立てて門内へはいるところであった。チビ公は電気に感じたようにおどりあがって人々の後を追うた。とまたすぐもどってきた。
「伯父さんかと思ったらそうでなかった」
 かれは安心したもののごとく眼を輝かした、そうしてこういった。
「喧嘩して人をきったんですって、それはいいことではないが、ぼくはああいう人を見ると、なんだか、その人の方が正しいような気がしてなりません、時によるとぼくもね、ぼくがもし身体(からだ)がこんなにチビでなかったら、もう少し腕に力があったら、悪いやつを片っ端から斬(き)ってやりたいと思うことがあります、身体が小さくて貧乏で、弱い母親とふたりで伯父さんの厄介(やっかい)になっているんでは、いいたいことがあってもいえない、いっそぼくの頭がガムシャラで乱暴で阪井のように善と悪との差別がないならぼくはもう少し幸福かもしらないけれども、学校で先生に教わったことをわすれないし、道にはずれたことをしたくないために、人に踏(ふ)まれてもけられてもがまんする気になります、そんなことでは損です、世の中に生きていられません、そう思いながらやはり悪いことはしたくないしね」
 チビ公は涙ぐんで歎息した、光一はなにもいうことができなくなった。かれはいままで正義はかならず邪悪に勝つものと信じていた。それが今日(きょう)もっとも尊敬する久保井校長が阪井のためにおいはらわれたのを見て、正義に対する疑惑が青天に群がる白雲のごとくわきだしたところであった。かれはいまチビ公の嗟歎(さたん)を聞き、覚平の薄幸(はっこう)を思うとこの世ははたしてそんなにけがらわしきものであるかと考えずにいられなかった。
 ふたりはだまって歩きつづけた。と米屋の横合いから突然声をかけたものがある。
「柳君!」
 それは手塚であった。このごろ手塚は裏切り者として何人(なんぴと)にもきらわれた、でかれは光一にもたれるより策(さく)がなかった。かれはなにかさぐるように狡猾(こうかつ)な目を光一に向けて微笑した。
「ぼくはすてきにおもしろい小説を買ったからきみに見せようと思ってね……いまは持っていないけれども晩に届けるよ。『春の悩み』というんだ」
「ぼくは小説はきらいだ」と光一はいった。
「ああそうか」と手塚はべつに恥じもせず、「それじゃ『世界の怪奇』てやつを君に見せよう、胴体が百五十間(けん)もあるいかだの、鼻に輪をとおした蕃人だの、着色写真が百枚もあるよ、あれを持ってゆこう」
 かれは軽快にこういってからつぎにさげすむような口調でチビ公にいった。
「どうだチビ公、その後は……商売をやってるの?」
「毎日やっています」とチビ公はいった。
「たまにはぼくの家へもよりたまえね、豆腐(とうふ)を買ってあげるからね、チビ公」
「チビ公というのは失敬じゃないか、ぼくらの学友だよ」と光一はむっとしていった。
「そうだ、やあ失敬、堪忍(かんにん)堪忍(かんにん)」
 手塚は流暢(りゅうちょう)にあやまった。がすぐ思いだしたようにいった。
「きみの伯父さんがいまあそこであばれていたよ」
「どこで?」とチビ公は顔色をかえた。
「税務署で」
「税務署?」
「よっぱらってるから役場と税務署とを間違えて飛びこんだのだよ、阪井を出せ、どろぼうをだせってどなっていたよ」
「ありがとう」
 チビ公は奔馬(ほんば)のごとく走りだした。光一も走りだした。
 少年読者諸君に一言する。日本の政治は立憲政治である、立憲政治というのは憲法によって政治の運用は人民の手をもって行なうのである。人民はそのために自分の信ずる人を代議士に選挙する、県においては県会議員、市においては市会議員、町村においては町村会議員。
 これらの代議員が国政、県政、市政、町政を決議するので、その主義を共にする者は集まって一団となる、それを政党という。
 政党は国家の利益を増進するための機関である、しかるに甲(こう)の政党と乙(おつ)の政党とはその主義を異(こと)にするために仲が悪い、仲が悪くとも国家のためなら争闘も止むを得ざるところであるが、なかには国家の利益よりも政党の利益ばかりを主とする者がある。人民に税金を課して自分達の政党の運動費とする者もある。人間に悪人と善人とあるごとく、政党にも悪党と善党とある、そうして善党はきわめてまれであって、悪党が非常に多い。これが日本の今日の政界である。
 阪井猛太は自党の多数をたのみにして助役の地位にあるのを幸いに、不正工事を起こして自党の利益にしようとした、これに対する立憲党は町会において断々固(だんだんこ)としてその不正を責めたてた。もしことやぶるれば町長の不名誉、助役の涜職(とくしょく)、そうして同志会の潰裂(かいれつ)になる。猛太はいま浮沈(ふちん)の境に立っている。
 巌(いわお)はまだ学生の身である。政治のことはわからないが、かれは絶対に父を信じていた。かれは町へ出るとあちらこちらで不正工事のうわさを聞くのであった、だがかれははらのうちでせせらわらっていた。
「ばかなやつらだ、あいつらにぼくの親父の値(ね)うちがわかるもんか」
 かれは何人(なんぴと)よりも父が好きであった、父は雄弁家で博識で法律に明るくて腕力があって、町の人々におそれられている、父はいつも口をきわめて当代の知名の政治家、大臣、政党首領などを罵倒(ばとう)する、文部大臣のごときも父は自分の親友のごとくにいいなす、それを見て巌はますます父はえらいと思った。
 その日かれは理髪床(かみどこ)でふたりの客が話しているのをきいた。
「さすがの猛太も今日(きょう)こそは往生したらしいぜ、町長にひどくしかられたそうだよ」とひとりがいった。
「町長だってどうやら臭(くさ)いものだ」とひとりがいう。
「いや町長はなかなかいい人だ」
 ふたりの話を聞きながら巌はまたしてもはらのうちで冷笑した。
「町長なんて、それはおれの親父(おやじ)にふりまわされてるでくのぼうだってことを知らないんだ」

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