ああ玉杯に花うけて
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著者名:佐藤紅緑 

 夕闇(ゆうやみ)がせまる武蔵野(むさしの)のかれあしの中をふたりは帰る。
花さき花はうつろいて、露おき露のひるがごと、
星霜(せいそう)移り人は去り、舵(かじ)とる舵手(かこ)はかわるとも、
わが乗る船はとこしえに、理想の自治に進むなり。
 日はとっぷりと暮れた、安場ははたと歌をやめてふりかえった。
「なあおい青木、一緒(いっしょ)に進もうな」
「うむ」
 たがいの顔が見えなかった。
「おれも早くその歌をうたいたいな」とチビ公はいった、安場は答えなかった、ざわざわと枯れ草が風に鳴った。
「おれの歌よりもなあ青木」と安場はいった。「おまえのらっぱの方が尊いぞ」
「そうかなあ」
「進軍のらっぱだ」
「うむ」
「いさましいらっぱだ、ふけッ大いにふけ、ふいてふいてふきまくれ」
 ひゅうひゅう風がふくので声が散ってしまった。
 幸福の神はいつまでも青木一家にしぶい顔を見せなかった、伯父さんとチビ公の勉強によって一家は次第に回復した。チビ公の母は病気がなおってから店のすみにわずかばかりの雑穀(ざっこく)を並べた、黙々(もくもく)先生はまっさきになって知人朋友を勧誘(かんゆう)したので、雑穀は見る見る売れだした。生蕃親子がこの地を去ってからもはやチビ公を迫害するものはない、店はますます繁昌し、大した収入がなくとも不自由なく暮らせるようになった。
 安場は日曜ごとに浦和へきた、そうして千三にキャッチボールを教えたりした、元来黙々塾(もくもくじゅく)に通学するものはすべて貧乏人の子で、でっち、小僧、工場通いの息子、中には大工や左官の内弟子もあった。かれらはみんな仲よしであった、ハイカラな制服制帽を着ることができぬので、大抵(たいてい)和服にはかまをはいていた。
 チビ公は日曜ごとには朝から晩まで遊ぶことができるようになった、塾の生徒は師範学校や中学の生徒のように費用に飽(あ)かして遠足したり活動を見にゆくことができないのでいつも塾(じゅく)の前の広場でランニング、高跳びなどをして遊んでいた。それが安場がきてからキャッチボールがはやりだした、安場は東京の友達からりっぱなミットをもらってきてくれた、チビ公は光一のところへグローブの古いやつをもらいにいった。
「あるよ、いくらでもあるよ」
 光一は古いグローブ二つと新しいグローブ一つとをだしてくれた。
「こんなにもらってもいいんですか」と千三はいった。
「ぼくは買ってもらうからいいよ」と光一はいった。
「これは新しいんですね」
「心配するなよ」
 グローブ三つにボール二つ、それをもらって千三が塾(じゅく)へいったとき一同は万歳を唱えた、勉強はできなくとも貧乏人の子はスポーツがうまい、一同はだんだん上達した。
 あるとき千三が豆腐を売りまわってると道で光一にあった。
「おいボールがうまくなったそうだね」
 光一は例のごとく上品な目に笑(え)みをたたえていった。
「少しうまくなりました」
 光一は妙にしずんだ顔をして千三の目を見つめた。
「きみ、たのむからね、ぼくに向かってていねいな言葉を使ってくれるなよ、ね、きみは豆腐屋の子、ぼくは雑貨屋の子、同じ商人(あきんど)の子じゃないか、ねえきみ、きみもぼくも同じ小学校にいたときのように対等の友達として交わりたいんだ、きみも学生だからね」
「ああ」
 いまにはじめぬ光一のりっぱな態度に、千三はひどく感激した。
「それからね、きみ、きみの塾(じゅく)とぼくの学校と試合をやらないか」
「ああ、だけれども弱いから」
「弱くてもいいよ、おたがいに練習だからね」
「相談してみよう」
「きみはなにをやってるか」
「ぼくはショートだ」
「それがいい、きみは頭がよくて敏捷(びんしょう)だから」
「きみは」
「ぼくは今度からピッチャーをやってるんだよ」
「すてきだね」
「なかなかまずいんだよ、手塚はショートだ、あいつはなかなかうまいよ」
 その夜千三は塾(じゅく)で一同に相談した。
「やろうやろう」というものがある。
「とてもかなわない」というものもある。議論はいろいろにわかれたが結局安場にきてもらってきめることになった。
 安場は翌日やってきた。
「やれやれ、大いにやれ、親から金をもらって洋服を着て学問するやつに強いやつがあるものか、わが校の威風を示すのはこのときだ」
 一同はすぐ決心した、毎夜課業がすむとこそこそそのことばかりを語りあった、だが悲しいことには貧乏人の子である、マークのついた帽子や、ユニフォームを買うことはできない、いわんやスパイクのついた靴、プロテクター、すねあてにおいてをや[#「をや」は底本では「おや」]である。
「銭がほしいなあ」と一同はいった、この話がいつしか黙々(もくもく)先生にもれた、先生は早速(さっそく)一同を集めた。
「遊戯は精神修養をもって主とするもので形式を主とするものでない、みんなはだかでやるならゆるす、おれはバットを作ってやる、はだかが寒いならシャツにさるまた、それでいい、それが当塾(とうじゅく)の塾風(じゅくふう)である」
「先生のいうとおりにします」と一同はいった。
 翌日先生は庭先にでて大きなまさかりでかしの丸太を割っていた。
「先生なにをなさるんですか」と、チビ公がきいた。
「バットを作ってやるんだ」
 放課後も先生はのこぎりやらかんなやらでバット製作にとりかかった。と仕立屋の小僧で呉田(くれた)というのがぼろきれをいくえにも縫(ぬ)いあわせて捕手のプロテクターを作った。すると古道具屋の子は撃剣の鉄面(めん)でマスクを作った。道具は一通りそろった。安場が日曜にきて、各シートを決めた、安場は東京からの汽車賃を倹約(けんやく)するためにいつも五里の道を歩いてくるのである。
 投手は馬夫(まご)の子で松下というのである、かれは十六であるが十九ぐらいの身長があった。ちいさい時に火傷(やけど)をしたので頭に大きなあとがある、みなはそれをあだ名して五大洲(だいしゅう)と称(しょう)した。かれの球はおそろしく速かった。
 捕手は「クラモウ」というあだ名で左官の子である、なぜクラモウというかというに、いつもだまってものをいわないのは暗がりの牛のようだからである、身体(からだ)は横に肥ってかにのようにまたがあいている。一塁手は「旗竿(はたざお)」と称(しょう)せられる細長い大工の子で、二塁手は「すずめ」というあだ名で駄菓子屋の子である、すずめはボールは上手(じょうず)でないが講釈がなかなかうまい、かれは安場コーチの横合いから口をだしていつも安場にしかられた。
 三塁手にはどんな球でもかならず止める橋本というのがある、かれはおそろしい勢いで一直線にとんできた球を鼻で止めたので後ろにひっくりかえった。それからかれを橋本とよばずに鼻本(はなもと)とよんだ。
 外野にもなかなか勇敢な少年があった、ショートはチビ公であった、チビ公は身丈(みたけ)が低いが非常に敏捷(びんしょう)であった、かれは球を捕るには一種の天才であった、かれはわずかばかりの練習でゴロにいろいろなものがあることを感じた、大きく波を打ってくるもの、小さくきざんでくるもの、球の回転なしにまっすぐにすうと地をすってくるもの、左に旋回(せんかい)するもの、右に旋回するもの、約十種ばかりの性質によって握(にぎ)り方をかえなければならぬ。チビ公は無意識ながらもそれを感じた。
 一生懸命に汗を流してけずり上げた先生のバットはあまり感心したものでなかった。それはあらけずりのいぼだらけで途中にふしがあるものであった。
「なんだこれは」
「すりこぎのようだ」
「犬殺しの棒だ」
「いやだな、おまえが使えよ」
「おれもいやだ」
 少年共はてんでにしりごみをした。さりとてこれを使わねば先生の機嫌が悪い。一同は途方(とほう)に暮れた。
「ぼくのにする」とチビ公はいった。「このバットには先生がぼくらを愛する慈愛(じあい)の魂がこもってる、ぼくはかならずこれでホームランを打ってみせるよ、ぼくが打つんじゃない先生が打つんだ」

         九

 浦和中学と黙々塾(もくもくじゅく)が野球の試合をやるといううわさが町内に伝わったとき人々は冷笑した。
「勝負になりやしないよ」
 実際それは至当(しとう)な評である、浦和中学は師範学校と戦っていつも優勝し、その実力は埼玉県を圧倒しているのだ、昨日(きのう)今日(きょう)ようやく野球を始めた黙々塾(もくもくじゅく)などはとても敵し得(う)べきはずがない。それに浦中の捕手は沈毅をもって名ある小原である。投手の柳は新米だがその変化に富める球と頭脳(ずのう)の明敏ははやくも専門家に嘱目(しょくもく)されている、そのうえに手塚のショートも実際うまいものであった、かれはスタートが機敏で、跳躍(ジャンプ)して片手で高い球を取ることがもっとも得意であった。
「練習しようね」と柳は一同にいった。
「練習なんかしなくてもいいよ、黙兵衛(もくべえ)のやつらは相手にならんよ」と手塚がいった。
「そうだそうだ」と一同は賛成した。だが二、三日経ってから小原が顔色をかえて一同を招集した。
「ぼくは昨日(きのう)黙々(もくもく)の練習を見たがね、火のでるような猛練習だ、それに投手の五大洲はおそろしく速力(スピード)のある球をだす、あのうえにもしカーブがでたらだれも打てやしまい、ショートのチビ公もなかなかうまいし、捕手(ほしゅ)のクラモウはロングヒットを打つ、なかなかゆだんができないよ、一たい今度の試合は敵に三分の利があり味方に三分の損(そん)がある、敵は新米だから負けてもさまで恥にならないが、味方は古い歴史を持っているから、もし負ければ世間の物笑いになるよ」
「あんなやつはだいじょうぶだよ」と手塚はいった。
「そうじゃない、もしひとりでも傑出した打手があってホームランを三本打てば三点とられるからね、勝負はそのときの拍子(ひょうし)だ、強いからってゆだんがならない」
「だからぼくは練習をしようというんだ、青木千三は小学校時代には実にうまかったからね、身体(からだ)が小さいがおそろしいのはかれだよ」
 と光一はいった。
「豆腐屋のごときは眼中にないね」と手塚がいった。
「それがいけないよ手塚君、きみはうまいけれども敵をあなどるのは悪いくせだ、ぼくは青木の方がぼくよりうまいと思う」
「きみは青木を買いかぶってるよ、あいつはまだ腰が決まらない」
「いざとなれば強くなるよ」
「弱虫だねきみは」と手塚は嘲笑した。
「君よりか青木の方がうまい」と光一も癪(しゃく)にさわっていった。
「あんなやつにくらべられてたまるものか」
 多人数の前なので手塚は虚勢を張っていった。
「そうじゃない手塚」と小原はどなった。「おまえはいつもうまいと人に見られようと思って、片手で球をとったりする、あれはよくないぞ、へたに見られてもいいから健実でなけりゃいけない」
 先輩の一言に手塚は顔を赤(あから)めてだまった。その日から練習をはじめた。
 一方黙々塾(もくもくじゅく)では学業のひまひまに猛練習をつづけた。だが家業がいそがしいために練習にくることのできない者もあるので、人数はいつもそろわなかった、安場は日曜以外には帰省しない、ここにおいて黙々先生が自身に空(あ)き地(ち)へ出張した、先生は野球のことをよくは知らない、がかれは撃剣の達人なので打撃はうまかった、かれはさるまた一つとシャツ一枚の姿で、自製のバットでノックをする、それは実に奇妙ふしぎなノックであった、先生の打つ球には方向が一定しない、三塁へいったり一塁へいったり、ゴロかと思えば外野へ飛んだり、ファウルになったり、ホームランになったりする。
「先生! シートノックはシートの方へ打ってください」と千三が歎願した。
「ばかッ、方向がきまってるならだれでもとれる、敵はどこへ打つかわかりゃしないじゃないか」
 先生はこういって長いバットを持って力のありたけで打つのだからたまらない、鉄砲玉のようなおそろしく早い球はぶんぶんうなって飛んでくる。選手はいずれも汗だらけになって走りまわる。それがおわるとフリーバッティングをやる、それも投球するものは先生である。先生の球はノックのごとくコントロールが悪い、右に左に頭上高く、あるいは足元にバウンドし、あるいは腰骨を打つ。
「先生! まっすぐな球をください」と千三がいう。
「ばかッ敵はいつもまっすぐに投(ほう)るかよ」
 それがおわると先生は千三に投球させて自分で五、六本を打つ。だが先生の造ったバットはこぶこぶだらけなので、打った球はみんなファウルになり、チップになる。で先生が満足に打つまで球を投(ほう)らなければ機嫌が悪い、ようやく直球を一本打つと先生はにっこりと子どもらしくわらう、そうしてこういう。
「おれの造ったバットはなかなかいいわい」
 練習がすむと先生は一同にいもを煮(に)てくれる、それが何よりの楽しみであった。だが先生は野球のために決して学課をおろそかにしなかった、もし生徒の中に学課をおこたる者があると先生は厳然として一同を叱(しか)りつける。
「野球をやめてしまえッ」
 このために生徒は一層(いっそう)学課にはげまざるを得なかった。
 日がだんだん迫(せま)ってきた、ある日安場がきた、コーチがすんで一同が去った後、先生はいかにも心配そうに安場にいった。
「今度中学校に勝てるだろうか」
「さあ」と安場は躊躇(ちゅうちょ)した。
「どうかして勝たしてもらいたい、わしが生徒に野球をゆるしたのは少し考えがあってのことだ、この町のものは官学を尊敬して私学を軽蔑(けいべつ)する、いいか、中学校や師範学校の生徒はいばるが、黙々塾(もくもくじゅく)の生徒は小さくなっている、なあ安場、きみもおぼえがあるだろう」
「そうです、ぼくもずいぶん中学校のやつらにばかにされました」
「そうだ、金があって時間があって学問するものは幸福だ、わしの塾(じゅく)の生徒はみんな不幸なやつばかりだ、同じ土地に生まれ同じ年ごろでありながら、ただ、金のために甲(こう)は意気揚々(ようよう)とし乙(おつ)は悄然(しょうぜん)とする、こんな不公平な話はないのだ、いいか安場、そこでだ、わしは生徒共の肩身を広くさしてやりたい、金ずくではかなわない、かれらの学校は洋風の堂々たるものだ、わしの塾(じゅく)は壁が落ち屋根がもり畳(たたみ)がぼろぼろだ、生徒は町を歩くにいつも小さくなってしょぼしょぼしている、だからせめて野球でもいいから一遍(いっぺん)勝たしてやりたい、実力のあるものは貧富にかかわらず優勝者になれるものだということを知らしめたい、師範生も中学生も黙々生(もくもくせい)も同等のものであると思わせたい、大手をふって町を歩く気にならせたい、だからどうしても今度は勝たねばならん、わしもこの年になって、なにをくるしんですっぱだかになって空(あ)き地(ち)でバットをふり生徒等を相手に遊んでいたかろう、生徒の自尊心を養成したいためだ、そうして一方において町の人々や官学崇拝者を見かえしてやりたいためだ、野球の勝敗は一小事だが、ここで負ければわしの生徒はますます自尊心を失い肩身を小さくする、実に一大事件だ、なあ安場、今度こそはだ、なあおい、しっかりやってくれ」
 先生の声は次第に涙をおびてきた。
「先生!」
 安場は燃ゆるような目を先生に向けていった。
「ぼくもそう思ってます、ぼくはかならず勝たしてごらんに入れます」
 安場は翌日規則正しい練習をした、一回二回三回一同は夜色が迫るまでつづけた。いよいよ明日(あす)になった土曜日の早朝から一同が集まった。
「今日(きょう)は休むよ」と安場はいった。
「明日(あす)が試合ですから、是非今日一日みっちりと練習してください」
 と一同がいった。
「いやいや」と安場は頭をふった。
「今日はゆっくり遊んで晩には早く寝ることにしよう、いいか、熟睡するんだぞ、ひとりでも夜ふかしをすると明日は負けるぞ」
 その日は一日遊んで安場は東京における野球界の話を聞かしてくれた、かれは一高と三高の試合の光景などをおもしろく語った。一同はすっかり興奮(こうふん)して目に涙をたたえ、まっかな顔をして聞いていた。
 その夜千三は明日(あす)の商売のしたくをおわってから窓から外を見やった、外は暗いが空はなごりなく晴れて星は豆をまいたように輝いていた、千三は明日(あす)の好天気を予想してしずかに眠った。
 目がさめると、もう朝日が一ぱいに窓からさしこんですずめの声が楽しそうに聞こえる。
「やあ寝過ごした」と千三はあわてて飛び起きた。
「もっと寝ててもいいよ」と伯父さんはにこにこして店から声をかけた、かれはもう豆腐(とうふ)をおけに移してわらじをはいている。
「伯父さん、ぼくが商売に出ますから伯父さんはやすんでください」
 と千三はいった。
「今日(きょう)は日曜だからおまえは休め、おまえは今日大事な戦争にゆかなきゃならないじゃないか」
「野球は午後ですから、朝だけぼくは売りにでます」
「いやかまわない、わしもおひるからは見物にゆくぞ、しっかりやってくれ」
「ありがとう伯父さん、それじゃ今日は休ましてもらいます」
「うむ、うまくやれよ、金持ちの学校に負けちゃ貧乏人の顔にかかわらあ[#「かかわらあ」は底本では「かからあ」]」
 伯父さんはこういってらっぱをぷうと鳴らしてでていった。千三は井戸端(いどばた)へでて胸一ぱいに新鮮な空気を呼吸した、それからかれはすっぱだかになって十杯のつるべ水を浴びて身をきよめた。
「どうぞ神様、ぼくの塾(じゅく)をまもってください」
 じっと目を閉(と)じて祈念するとふしぎにも勇気が次第に全身に充満する。朝飯をすまして塾へゆくと安場がすでにきていた。一分時(ぷんじ)の違いもなく全員がうちそろうた。そこで先生が先頭になって調神社(つきのみやじんじゃ)へ参詣する、それから例の空(あ)き地(ち)へでて猛烈な練習をはじめた。
 春もすでに三月のなかばである、木々のこずえにはわかやかな緑がふきだして、桜(さくら)のつぼみが輝きわたる青天に向かって薄紅(うすべに)の爪先(つまさき)をそろえている。向こうの並(な)み木(き)は朝日に照らされてその影をぞくぞくと畑道の上に映(うつ)していると、そこにはにわとりやすずめなどが嬉しそうに飛びまわる。
 昨夜(ゆうべ)熟睡したのと、昨日一日練習を休んだために一同の元気はすばらしいものであった、安場はすっかり感激した。
「このあんばいではかならず勝つぞ」
 一同は練習をおわって汗をふいた。
「集まれい」と先生は号令をかけた、一同は集まった。
「みんなはだかになれ」
 一同ははだかになった。
「へそをだせい、おい」
 一同はわらった、しかし先生はにこりともしなかった。一同はさるまたのひもをさげてへそをだした。先生は第一番の五大洲(だいしゅう)(投手)のへそのところを押してみた。
「おい、きみは下腹(したはら)に力がないぞ、胸のところをへこまして下腹をふくらますようにせい」
「はい」
 先生はつぎのクラモウのへそを押した。
「おい、大きなへそだなあ」
「ぼくはいま力を入れてつきだしてるのです」
「いかん、へそのところをつきだすのじゃない、へその下へ食べたものをみんなさげてやるんだ、いいか、胸がせかせかして負けまい負けまいとあせればあせるほど、下腹がへこんで、肩先に力がはいり、頭がのぼせるんだ、味方が負け色になったらみんなへそに気をおちつけろ、いいか、わすれるな、黙々塾(もくもくじゅく)は一名へそ学校だぞ、そう思え」
 先生はひとりひとりにへそを押してみた。
「あまり押すと先生、小便がもります」と二塁手のすずめがいった。そこで先生もわらった。
 その日の試合は製粉会社の裏の広場でやることになった、中学の運動場は修繕のために使用ができなかった、朝からの快晴でかつ日曜であるために見物人はどしどしでかけた、豆腐屋の覚平は早く商売をしまって肩にらっぱをかけたままでかけた、見ると正面に大きな網(あみ)をはり、白い線を大地に引いて、三ヵ所に大きなまくらのようなものをおいてある、二本の長い線の両側に見物人が陣どっているが、草の上に新聞紙を敷いて座ってるのもあり、またむしろやこしかけを持ち出したのもあった。覚平はかくまで野球が人気をひくとは思いもよらなかった。かれは野球とはどんなことをするものか知らなかった。かれは豆腐おけをになって町を歩くとき、おりおり子供等に球を頭にあてられたり背骨を打たれたりするのでむしろ野球に対して反感をいだいていた。
「すりこぎをふりまわすなんてつまらねえまねをするもんだ」
 こうかれはいつもいった、だがいまきてみると子供等ばかりでなく、労働者も商人も紳士(しんし)も役人も集まっている。
「大変なことになったものだ」
 かれは肝(きも)をつぶしてまごまごしていると後ろから声をかけたものがある。
「覚平さん」
 ふりかえるとそれは八百屋の善兵衛であった、善兵衛はなによりも野球が好きであった、野球が好きだというよりも、野球を見ながらちびりちびりと二合の酒を飲むのが好きなのである、かれもあまり野球の知識はないほうだが、それでも覚平よりはすべてを知っていた。
「やあおまえさんもきてるね」と覚平がいった。
「おらあハア三度のご飯を四度食べても野球は見たいほうで」と善兵衛がいった。
「おれにゃわからねえ」と覚平がいった。
「じゃおらあ教えてやるべえ」と善兵衛はいった。
「ところで一杯どうです」
「これはこれは」
 ふたりは一つのさかずきを献酬(けんしゅう)した。善兵衛はいろいろ野球の方法を話したが覚平にはやはりわからなかった。
「つまり球を打ってとれないところへ飛ばしてやればいいんです」
「なるほどね」
 ふたりが草に座ってかつ飲みかつ語ってるうちに見物人は刻々(こっこく)に加わった。中学の生徒は制服制帽整然とうちそろうて一塁側に並んだ。その背後には中学びいきの大人(おとな)連が陣取っている、その中に光一の伯父さん総兵衛(そうべえ)がその肥(ふと)った胸を拡げて汗をふきふきさかんに応援者を狩(か)り集めていた、かれは甥(おい)の光一を勝たせたいために商売を休んでやってきたのである。
 この日師範学校の生徒は黙々塾(もくもくじゅく)に応援するつもりであった、師範と中学とは犬とさるのごとく仲が悪い、だがこの応援は中止になった、いかんとなれば審判者(しんぱんしゃ)は師範の選手がたのまれたからである、で師範は中立隊として正面に陣取った。
「早く始めろ」
「なにをぐずぐずしてるんだ」
 気の短い連中は声々に叫んだ、この溢(あふ)るるごとき群衆をわけて浦和中学の選手が英気さっそうとして場内に現われた、揃いの帽子ユニフォーム、靴下は黒と白の二段抜き、靴のスパイクは日に輝き、胸のマーク横文字の urachu はいかにも名を重んずるわかき武士のごとく見えた。
 見物人は拍手喝采(はくしゅかっさい)した、すねあてとプロテクターをつけた肩幅の広い小原は、マスクをわきにはさみ、ミットをさげて先頭に立った、それにつづいて眉目秀麗(びもくしゅうれい)の柳光一、敏捷(びんしょう)らしい手塚、その他が一糸みだれずしずかに歩を運んでくる。
「バンザアイ、浦中万歳」
 総兵衛はありったけの声で叫んだ。浦中応援隊は応援歌をうたった、手に手に持った赤い旗は波のごとく一起一伏して声調律呂(りつりょ)はきちんきちんと揃う。
 選手は入場するやいなやすぐキャッチボールを始めた、それがすむと、一同さっと散ってめいめいのシートシートに走った。やがてノックが始まった。ノッカーは慶応の選手であった山田という青年である、正確なノックは士気を一層緊粛(きんしゅく)させた、三塁から一塁までノックして外野におよびまた内野におよぶまでひとりの過失もなかった、次第に興奮(こうふん)しきたる技術の早業(はやわざ)はその花やかな服装と、いかにも得意然(とくいぜん)たる顔色と共に見物人を圧倒した、ダブルプレー、トリプルプレー、その中に手塚のできばえはべっしてすばらしかった、かれはどんなゴロでも完全につかんだ、かれは頭上高き球をジャンプしてとった、左側に打たれた難球を転(ころ)んでつかんだ、つかむやいなや二塁に送った。その機敏さ、洒脱(しゃだつ)さはさながら軽業師(かるわざし)のごとく見物人を酔(よ)わした。
「手塚! 手塚!」
 の声が鳴りわたった。ちょうどそのとき黙々塾(もくもくじゅく)の一隊が入場した。
「きたきたきた」
 見物人は立ちあがってその方を見やった、同時に「わあッ」という笑声が一度に起こった。
 見よ! 黙々塾の一隊! それはマークの着いた帽子もなく揃いのユニフォームもない、かれらは一様にてぬぐいで鉢巻きをしていた、かれらのきたシャツにはメリヤスもあればねずみ色に古びたフランネルもあり、腕のないじゅばんもあった、かれらは大抵(たいてい)さるまたの上にへこ帯をきりきりと巻き、結び玉を後ろへたれていた、かれらのはいてるのは車夫のゴム足袋(たび)もあれば兵隊の古靴もある。九人はことごとくちがった服装、その先頭にコーチャーの安場は七輪(しちりん)のような黒い顔をしてこけ色になった一高の制服制帽で堂々と歩いてくる。
 いずれを見てもそれはいかにもみじめな一隊であった、かの花やかな浦中と対照してこれは何というきたならしい選手達だろう、見物人は戦わぬうちに勝敗を知った。
「だめだよ、つまらない」
 もう見かぎりをつけて帰ったものもある。一同は肩ならしをやったうえで、さっとシートに着いた、安場は上衣(うわぎ)を脱いでノックした。それはなんということだろう。
 元来晴れの戦場におけるノックには一種の秘訣(ひけつ)がある、それは難球を打ってやらぬことである、だれでも取れるような球を打ってやれば過失がない、過失がなければ気がおちつく、特に試合になれぬチームに対してはノッカーはよほど寛大に手心せねばいたずらに選手をあがらしてしまうおそれがある。
 なにを思ったか安場のノックは峻辣(しゅんらつ)をきわめたものであった、難球また難球! 第一番に三塁手がミスする、ついでショートの青木、これもみごとにミスする、やりなおす、またミスする、三度、四度! 千三は次第に胸が鼓動(こどう)した、見物人は口々にののしる。
「やあい、豆腐屋、だめだぞ」
 嘲笑(ちょうしょう)罵声(ばせい)を聞くたびに千三は頭に血が逆上(ぎゃくじょう)して目がくらみそうになってきた。かれが血眼(ちまなこ)になればなるほど、安場のノックが猛烈になる。やっと球をつかんだかと思うと一塁へ三尺も高い球をほうりつける。見物人はますますわらう。
 さんざんな悪罵(あくば)の中にノックはおわった。千三はいくどもいくども滑ったので身体(からだ)はどろだらけになった、その他の人々も同様であった。
 やがて審判者がおごそかに宣告した。
「プレーボール!」
 浦中は先攻である。黙々(もくもく)の投手五大洲(だいしゅう)ははじめてまん中にたった、かれは十六歳ではあるが身長五尺二寸、投手としてはもうしぶんなき体格である、かれは手製のシャツを着ていた、それは白木綿(しろもめん)で母が縫(ぬ)うてくれたのだが、かれはその胸のところに墨黒々と片仮名で「モクモク」と右から左に書いた。かれがこれを着たとき、すずめがそれだけはよしてくれといった、かれは頑(がん)としてきかない。
「おれは日本人だから日本の文字のしるしを書くんだ、毛唐(けとう)のまねなんか死んでもしやしないよ」
 これをきいて黙々(もくもく)先生は感歎した。
「松下! おまえはいまにえらいものになるよ」
 見物人はいまかれの胸の片仮名を見て一度にどっとわらった。
「やあい、モクモク」
「モクネンジンやあい」
「モク兵衛(べえ)やあい」
 だがかれは少しもひるまなかった、かれの鉄砲のごとき速球はまたたく間にふたりを三振せしめた、つぎは柳光一である。光一はボックスに立ってきっと投手を見やった、かれは速球に対して確信がある。千三は小学校にありしとき光一のくせをよく知っている、かれは光一がかならず自分の方へ打つだろうと思った。
「打たしてもいいよ」と千三は五大洲にいった。
「よしッ」
 五大洲はまっすぐな球(たま)をだした。戞然(かつぜん)と音がした、見物人はひやりとした、球ははたして千三に向かった、千三は早くも右の方へよった。
「しめたッ」
 と思う間もなくかれは足をすべらした、喝采(かっさい)の声が起こった、球は一直線に中堅(ちゅうけん)の方へ転がった。千三の目から涙がこぼれた。光一は早くも二塁に走った。
 つぎの打手は敵の主将小原である。ホームランか三塁か、いずれにしても一点は取るだろうと人々は思った、投手五大洲はじっと腕をくんで捕手のサインを見やった。第一球は高目のカーブであった。五大洲はそのとおりに球を投げた。小原はボールを取るだろうと思いのほか、かれはおどり上がってそれを打った、球はショートの頭をはるかに高く飛んだ、千三はうしろに走った、と球は伸(の)びるかと思いのほか、途中で切れてさか落としに落ちた、ハッと思う間もない、光一は疾風(しっぷう)のごとく本塁を襲(おそ)うた、千三はあわててホームに投げた、球は高くネットを打った。
 次の打者の三振でわずかに食い止めたものの、第一回において黙々(もくもく)は一点を負けた。千三は顔をあげることができなかった、かれはなくにもなけなかった。
 ぼんやりベンチへ帰ると安場はにこにこしていた。
「おい、だいじょうぶ今日の試合はこっちのものだぞ」
「ぼくはだめだ」と千三がいった。
「いやなかなかいい、すてきにいい」と安場はいった。
 柳がダイヤモンドに立ったとき群集は一度に喝采(かっさい)した。実際柳の風采、その鷹揚(おうよう)な態度はすでに群衆を酔(よ)わした。それに対して小原の剛健沈毅(ちんき)な気宇(きう)、ふたりの対照はたまらなく美しい。
「柳!」
「小原!」
 この声と共に学校の応援歌がとどろいた。黙々(もくもく)の第一打者は五大洲である。かれはかんかんにおこっていた。かれは頭の鉢巻きをかなぐりすてたとき、その斑々(はんぱん)たる火傷(やけど)のあとが現われたので見物人はまたまた喝采した。
 柳は静かに敵の姿勢を見やった、そうして美しいボディスイングを起こした。のびのびとした四肢(しし)や胴体のあざやかさ、さながら画に見るがよう、球が手をはなれた。五大洲がバットをふったかと見ると球は左翼の頭上はるかに飛んだ、外野手は走った、内野手も走った、陣営騒然(そうぜん)とみだれた、小原はあっけに取られてマスクをぬぎ捨てたまま本塁に立っている。
「ホームイン」
 五大洲の一撃で一点を恢復(かいふく)した。このとき三塁の背後の松の枝高くらっぱの音が聞こえた。ついで気違(きちが)いじみた声!
「もくもく万歳! もくもく勝ったぞ」
「ぷうぷうぷうぽうぽうぷう」
 らっぱは千三の伯父覚平で、叫んでるのは善兵衛である。
 この声援と共にここにおどろくべき声援者が現われた、それは製粉会社の職工四、五十名と、木材会社その他の労働者、百姓(ひゃくしょう)、人足、馬夫(まご)! あらゆる貧民階級が一度にどっとときの声をあげた。
「もくもく勝った勝った」
 これに対して総兵衛ははじめは羽織(はおり)を脱ぎつぎは肌脱(はだぬ)ぎになりおわりにすっぱだかになっておどりだした。
「フレー、フレー、浦中!」
 野球場は見物人と見物人との応援戦となった。
 回が進んだ、一対一が二対二となり、五回、六回におよんだとき、浦中は五点、黙々(もくもく)は三点になった。二点の相違! このままで押し通すであろうか。千三は回ごとにミスをした、しかもかれは三振二つ、ピーゴロ一つを打っただけである。かれはすみに小さくなって涙ぐんでいた。覚平はもう松の枝に乗りながららっぱをふく勇気もなくなった。
「勝てないかなあ」とかれは善兵衛にいった。
「勝てそうもないなあ」と善兵衛がいった。すべての応援者も力が抜けてしまった。実際柳の成績はおどろくべきものであった、かれの球は速力において五大洲におとっているが、その縦横自在な正奇の球は回が重なるにしたがって熱気をおびてきた、どうかしてかれが敵に打たれこむときには小原がマスクをぬいでダイヤモンドへ進んでくる、そうしてこういう。
「おい、おれの鼻穴(はなのあな)になにかはいってないか見てくれ」
「なにもないよ」と柳は小原の鼻を見ていう。
「そうか、かにが一ぴきはいってるような気がするよ」
「そんなことがあるもんか」と柳はわらいだす。
 それを見て小原はまたいう。
「五大洲の頭にかにを這(は)わせてやろうか」
「なぜだ」
「天下横行だ」
「はッはッはッ」
 これで柳の気がしっかりとおちつくのである、柳は小原の老巧に感謝するのはいつもこういう点にある。
 柳ばかりでない、手塚もいろいろな快技曲技をやって見物人を酔(よ)わした、かれはもっとも得意であった、ファインプレーをやるたびに見物人の方を見やって微笑(びしょう)した、ときには帽子をぬいで応援者におじぎをした。
 千三は暗い暗い気分におされてだまっていた。かれはこのままこの場を逃げだしたいと思った。と安場がにこにこしてきた。
「そろそろいい時分だよ」
「なにが?」
「ラッキーセブンだ」
「ぼくにラッキーはない、だめだ」
「ばかいえ、きみはたしかに勝てるのに勝たずにいるんだ」
「どうして?」
「きみは大事なことをわすれてる」
「なにを? 大事なことを?」
「うむ、先生に教(おそ)わったことを」
 千三はじっと考えた。
「あッ、へそか」
「人間がへそをわすれたら、もうおしまいだ」
「そうか、うむ、ああへそだ、はッはッはッ」
 と千三はわらった。
「わかったか」
 安場はぐっと千三のへそを押した。ふしぎに千三は頭がすッと軽くなった、胸につかえたもじゃもじゃしたものが煙のごとく消えて、どっしりと腹の底に重みができた。
「見ろ! あの手塚てえやつはいまに大変なミスをやるぞ、見物人に賞(ほ)められることばかりを考えてるからね」
「やる! きっとやる」と千三はいった。このとき五大洲は安打して一塁をとった、つぎのクラモウはバントした、手塚はそれを取って二塁へ投げようか一塁へ投げようかと疑惧(ぎぐ)してるうちに双方を生かしてしまった。三番は千三である。
「ぷうぷうぽうぽう」とらっぱが鳴った。
「青木! 青木! フレイフレイ」と善兵衛がどなる。
「豆腐屋ア」と敵方がひやかす。
 千三はボックスに立つ前にバットを一ふりふった、それは先生の手製のこぶこぶだらけのバットである。かれは血眼(ちまなこ)になって光一をにらんだ。いままでかれは光一を見るとき一種の弱気を感じたのであった、かれはわが伯父が入獄中に受けた柳家の高恩を思い、わが貧をあわれんで学資をだしてやろうとした光一の友情を思うと、かれの球を打つ気合いが抜けてどうすることもできないのであった。
 いまかれは臍下(せいか)に気をしずめ、先生のバットをさげて立ったとき、はじめて野球の意義がわかった。
 私情は私情である、恩義は恩義である、だが野球は先生および全校の名誉を荷のうて戦うのである、私情をはなれて公々然と戦ってこそそれが本当の野球精神である、このバットは先生を代表したものである、ぼくが打つのでない、先生が打つのだ。
 こう思って光一の顔を見やると光一は微笑している、その男らしい口元、上品な目の中にはこういってるかのごとく見える。
「おたがいに全力を尽くして技術を戦わそうじゃないか、負けても勝ってもいい、敵となり味方となってもよく戦ってこそおたがいの本望だ」
 千三はたまらなく嬉しくなった、かれはボックスに立った。それを見て光一は思った。
「かわいそうに青木は今日(きょう)はばかにしょげかえっている、一本ぐらいは打たしてやりたいな」
 だがかれはすぐに考えなおした。
「いやいや、ぼくのお情けの球を打って喜ぶ青木ではない、そんなことはかえって青木を侮辱(ぶじょく)しかつ学校と野球道を侮辱するものだ」
 実際敵の走者が第一第二塁にある、少しもゆだんのならぬ場合である、かれは捕手のサインを見た、小原はすでに青木をあなどっている、かれは第一にウェストボールをサインした、第二もまた……第三には直球である。それは青木の予想するところであった。
 かれは光一の球が燦然(さんぜん)たる光を放ってわが思う壺(つぼ)をまっすぐにきたと思った、かれは八分の力をもってふった。
 わっという喊声(かんせい)と共に千三は球がたしかに手塚に取られたと思った、が球は手塚の靴先にバウンドした、手塚はダブルプレーを食わして喝采(かっさい)を博そうとあせったのでスタートをあやまったのである、かれはバウンドした球をつかもうとしてグローブの上ではね返した、ふたたび拾おうとしたとき二塁手と衝突(しょうとつ)して倒れた。かれは起きあがったがあわてたために球が見えなかった、球はかれの靴のかかとのところにあったのである。
「ボールがボールが」とかれは悲鳴をあげた。中堅手がそれを拾うてホームへ投げた、がこのときはすでにおそかった、五大洲とクラモウは長駆(ちょうく)してホームへ入り、千三は三塁にすべり込んだ。
「バンザアイ」
 天地をゆるがすばかりに群集は叫んだ、この叫びがおわらぬうちにすぐにふしぎな喝采が起こった。
 松の枝に乗っていた覚平と善兵衛はバンザイを叫んだ拍子(ひょうし)に両手をあげたので、松の上から転がり落ちたのであった。落ちたまま覚平はらっぱをふくことをやめなかった。
「ぷうぷうぽうぽう」
「バンザアイ」
 こうなってくると黙々隊(もくもくたい)は急に活気づいてきた。一塁手の旗竿(はたざお)は二塁打を打って千三が本塁に入った。黙々(もくもく)は一点を勝ち越した。つぎのすずめはバウンドを打って旗竿(はたざお)を三塁に進めた。
 とつぎには安場の作戦が奇功を奏(そう)し、スクイズプレーでまた一点を取った。
 浦中は必死になった、小原、柳は死に物狂いに戦った、が千三の快技はあらゆる難球を食いとめた、かれはしっかりと腹を落ちつけた、かれの頭は透明で気がほがらかであった。
 七==五
 黙々は勝った、波濤(はとう)のごとき喝采が起こった、中立を標榜(ひょうぼう)していた師範生はことごとく黙々の味方となった。安場が先頭になって一同は中学の門前で凱歌(がいか)をあげた、そうして町を練り歩いた。町々では手おけに水をくんで接待したのもあった。善兵衛は自分の店のみかんを残らずかつぎ込んでみかんをまきながら選手の後について行った。一同は喜び勇んで塾(じゅく)へ帰った。かれらは塾の前でみんなシャツを脱ぎ、へそをだして門内へはいった。
 先生は一帳羅(いっちょうら)の羽織とはかまをつけて出迎えた。
「勝ちました」と安場がいった。
「それは最初からわかってる」と先生がいった、そうして「ボールをやると同じ気持ちで学問をすれば天下の大選手になれる」とつけくわえた。

         十

 へその秘伝をおぼえてから千三はめきめきと腕が上達した。浦中と黙々は復讐戦(ふくしゅうせん)をやる、そのつぎには決勝をやる、復讐のまた復讐戦をやるという風にこの町の呼(よ)び物(もの)になった。
「チビ公のやつ、どうしておれの球をあんなに打つんだろう」
 光一はふしぎでたまらなかった、実際千三はいかなる球をも打ちこなした、対師範校との試合にはオールヒットの成績をあげた。それは光一に取ってもっとも苦しい敵であったが、しかし光一はそのためにおどろくべき進歩を示した、かれはどうかしてチビ公に打たれまい、チビ公を三振させようと研究した。昔武田信玄(たけだしんげん)と上杉謙信(うえすぎけんしん)はたがいに覇業(はぎょう)を争うた、その結果として双方はたがいに研究しあい、武田流の軍学や上杉風の戦法などが日本に生まれた。もっともよき敵はもっともよき友である、他山の石は相(あい)砥礪(しれい)して珠になるのだ。千三があるために光一が進み、光一があるために千三が進む。
 戦場においては敵となりしのぎをけずって戦うものの光一と千三は家へ帰ると兄弟のごとく親しかった。
「今日(きょう)は一本も打たせなかったね」
「このつぎにはかならず打つぞ」
 二人はわらって話し合う。どんなに親しい間柄でも公(おおやけ)の戦場では一歩もゆずらないのがふたりの約束であった。時として光一は家へ帰ってもものもいわずにふさぎこんでることがある、だが千三がたずねてくるとすぐ愉快な気持ちになるのであった。
 あるとき光一はまじめな顔をしてこういった。
「青木君、ぼくの学校へ入学したまえよ」
「いまさらそんなことはできないから、一高で一緒になろう、もう二、三年経てばぼくの家も楽になるから」
「検定(けんてい)を受けるつもりか」
「ああ、そうとも」
「じゃ一高で一緒になろう、きみがショートでぼくが投手で小原さんが捕手だったら愉快だな」
 ふたりは顔を見るたびにそれを語りあった。ふたりははたして一高で一緒になり得(う)るだろうか、いまは読者にそれをもらすべきときでない。とにかく花はさき花は散り、月日は青春の希望と共に伸びやかに輝きながらうつりゆく。柳光一は四年生になった。
 そのころ学校内で奇怪な風説が伝わった、生徒の中で女学生と交際し、ピアノやバイオリンの合奏をしたり、手紙を交換したり、飲食店に出入りしたりするものがある、いまのうちに探しだして制裁を加えなければ浦和中学の体面に関する。
 憤慨の声々が起こった。
「だれだろう」
「だれだろう」
 最初のうちはこの風評をとりあげるものはなかった。
「師範のやつらがいいふらしたんだ」
 実際それは師範生徒からでたうわさである、師範生徒は中学生にくらべると学資も少ないし、また富める父兄をもたぬところからなにかにつけて不自由勝ちである、それに反して中学生は多くは相当の資産ある家の子である、かれらは自由にぜいたくなシャツを買い、ハイカラな文房具を用い、活動や芝居などを見物し、洋食屋へも出入りする、そうさせることを不純だと思わない父兄が多いのである。
 寄宿舎に閉じこめられてかごの鳥のごとく小さくなっている師範生の目から見ると、中学生の生活はまったく不潔であり放縦(ほうじゅう)であり頽廃的(たいはいてき)である。
 久保井校長のつぎにきた熊田校長というのはおそろしく厳格な人であった、久保井先生は温厚で謙遜で中和の人であったが、熊田先生は直情径行(ちょくじょうけいこう)火のごとき熱血と、雷霆(らいてい)のごとき果断をもっている。もし久保井校長が春なら熊田校長は冬である、前者は春風駘蕩(たいとう)、後者は寒風凛烈(りんれつ)! どんなに寒い日でも熊田校長は外套(がいとう)を着ない、校長室に火鉢もおかない、かつて大吹雪(おおふぶき)の日、生徒はことごとくふるえていた日、校長は校庭にでて雪だるまを転がしまわった、その髪となく目となく口となく、雪だらけになったが少しもひるまなかった。
 久保井先生が去ってからつぎにきたるべき校長に対して生徒も町の人も一種の反感をもっていた、だが日を経(ふ)るにしたがって新校長の実践躬行(じっせんきゅうこう)的な人格は全校を圧し、町を圧しいまではだれひとり尊敬せぬものはない。
「黙々(もくもく)先生と熊田先生とどっちがこわいだろう」
 町の人々はこううわさした。それだけ厳格な熊田先生が今中学校内に不良少年があると聞いたのだからたまらない。
「厳罰(げんばつ)に処すべしだ、よく調べてくれ」
 校長の命令に職員は目を皿のごとく大きくしてさがしたてた。
 と、まただれがいうとなくそれは手塚だといううわさが立った。このことを申し立てたのは中村という同級生であった、中村は善良な青年だが、思慮にとぼしく言葉が多いのが欠点である、かれは学校中のすべてのことを知っているのでみながかれを探偵と呼んでいた、だがこの探偵は決して人に危害を加えない、口からでまかせにすきなことをしゃべりちらして喜んでいるだけである。中村は手塚が昨日(きのう)不良少女と活動写真館からでたのを見た、そうして後をつけていくと洋食屋へはいったというのであった。
 級の重なるものが五人集まって相談会を開いた、もし手塚であるなら同級の恥辱だからなんとかいまのうちに相当の手段を講じなければなるまい。これが会議の主眼であった。
「きゃつは一体生意気だからぶんなぐるがいいよ」
 と浜本という剣道の選手がいった。浜本はすべてハイカラなものはきらいであった、かれは洋服の上にはかまをはいて学校へ来たことがあるので、人々はかれを彰義隊(しょうぎたい)とあだ名した。
「なぐる前に一応忠告するがいいよ」と渋谷がいった、渋谷は手塚と親しかった、かれは日曜ごとに手塚の家へいってご馳走(ちそう)になるのであった。かれはまた手塚から真珠入りの小刀だの、水晶のペンつぼなどをもらった。かれが手塚をかばったことがかえって一同の憤激をたきつけることになった。
「ばかッ、きさまは医者の子からわいろをもらってるからそんなことをいうんだろう、だれがなんといってもおれはなぐる、あいつは一体小利口で陰険だぞ」
「そうだそうだ」とみなが賛成した。
「いつか生蕃(せいばん)カンニング事件のときにも生蕃は手塚の犠牲(ぎせい)にされたんだぞ」
 こういうものもあった。
「待ってくれ」と光一はいった。「一体手塚のなにが悪いんだ、問題の要点がぼくにわからないから説明してくれたまえ」
「飲食店へ出入りするが悪いよ」と彰義隊(しょうぎたい)がいった。
「それはね、学生としていいことではないが、ぼくらだってそばが食いたかったり、しるこ屋へはいることもあるから手塚ばかりは責められないよ」と光一はいった。
「活動を見にゆくのはけしからん」
「しかし、諸君の中に活動を見ない人があるかね、どうだ」
 光一は四人を見まわした、一同はだまった。
「女と合奏したり、手紙をやりとりするのはどうだ」
「それはぼくもよくないと思う、しかしそんなことは忠告ですむことだ、一度忠告してきかなかったらそのときに第二の方法を考えようじゃないか、ぼくは生蕃(せいばん)のことでこりた、生蕃は決して悪いやつじゃなかった、だがあのとき諸君がぼくに同情して生蕃を根底からにくんだ、そのために彼はふたたび学校へくることができなくなった、ぼくはいつもそれを思うと、われわれは感情に激(げき)したためにひとりの有為(ゆうい)の青年を社会から葬(ほうむ)ることになったことが実に残念でたまらん、人を罰するには慎重(しんちょう)に考えなければならん、そうじゃないか」
 光一の真剣な態度は一同の心を動かした。
「そういえばそうだ」と彰義隊は快然といった。
「それじゃだれが手塚に忠告するか」
「ぼくでよければぼくがいおう」と光一はいった。
「よし、それできまった、だがもしそれでも反省しなかったらそのときにはだれがなんといってもぼくはあいつをなぐり殺すぞ」
「よしッ、ぼくはかならず反省さしてみせる」
 会議はおわった、光一はみなとわかれてひとり町を歩いた。悲しい情緒(じょうちょ)が胸にあふれた。かれは他人の欠点をいうことはなにより嫌いであった、ましてその人に向かってその人を侮辱するのは忍び得ざることである。
 だがいわねばならぬ、いわねば手塚はなぐられる、なぐられるのはかまわないとしたところで、手塚は自分の悪事を悪事と思わずにますます堕落(だらく)するだろう、かれには美点がある、だが欠点が多い、かれは美点を養わずに欠点をのみ増長させている、かくてかれは終生救うべからざる淵(ふち)にしずむだろう。
 こうかれは決心した。かれはすぐ手塚の家をたずねた。ちょうど勝手口に手塚の母が立っていた、光一は手塚の母がおりおり三味線(しゃみせん)を弾(ひ)いているのを見たことがあるので、いつもなんとなく普通の人でないような気がするのであった。
「手塚君は?」
「まだ学校から帰りません」と母がいった。
「いいえお帰りになりました」と女中が横合いから声をだした。
「そうかえ」
「お着かえになってすぐおでましになりました」
「どこへいったんですか」と光一がきく。
「さあどこですか、なんだか大変にお急ぎでいらっしゃいました」
「活動じゃないかえ」と母がいった。
「そうかも知れません」
 光一は一礼して外へ出た。
「活動だ、それにちがいない」
 光一は手塚の母が平気で、「活動じゃないかえ」
 といった言葉をおもいだした。
 あの家では活動を見ることを公然ゆるしていると見える、お母さんが承知の上なのだ、それに対して学校がいくら活動を禁じてもなんの役にもたたない話だ。
 一体あの家では手塚が学校から帰ったかどうかもよく知らずにいる、それでは手塚が外でなにをしてるかを知らないのも無理がない。
「手塚は不幸な男だ」
 光一はふとこう考えると目が熱くなった、家庭に楽しみがないから、外に楽しみを求めるのだ、活動、飲食店、不良少女、遊びの友達! かくてかれはなぐられねばならなくなる。
 いろいろな感慨が胸に溢(あふ)れた、かれはそのまま足を活動小屋に向けた。
 光一とても絶対に活動写真を見ないではなかった、かれは新聞や雑誌や世間のうわさに高いものを五つ六つは見にいった、だがかれはいつもたえきれないような醜悪(しゅうあく)を感じて帰るのであった。
 活動館の前に五色の旗が立って春風にふかれている、そこからいかにも無知な子守りや女工などが喜びそうな楽隊の音がもれて聞こえる、小屋の前の軒(のき)の下に写真がいくつもいくつも掲げられてその下に大勢の子供、米屋の小僧、小料理屋の出前持ち、子を背負う女中などが群れていた。光一が第一に不愉快なのは切符(きっぷ)の売り場に大きなあぐらをかいてしりまであらわしているほていのような男が横柄(おうへい)な顔をしてお客を下目に見おろしていることである、それと向かいあって栄養不良のような小娘が浅黄の事務服を着てきわめてひややかに切符を受けとる。光一はそれをがまんしなければならなかった。
 暗い幕をくぐって中にはいると正面のスクリーンに西洋人の女の顔が現われた、うす明かりに見物人の頭が見える、土曜日のこととてお客は一ぱいである。光一はようやく中ほどへ進んでようやくこしかけの端(はし)に腰をおろした、手塚がきていやしまいかとあたりを見まわしたが暗がりで見えない。
 場内にはたばこの煙がもうもうと立ちこもって不潔な悪臭が脳を甘くするほどに襲うてくる、こしかけといってもそれはきわめて幅(はば)のせまい板を杭(くい)にうちつけたもので、どうかすると尻(しり)がはずれて地にすべりこみそうになる、それを支えているのはなかなか容易なことではない、なぜこんな不親切な設備をするかというに、三等席を不自由にしておくとお客はすぐ疲れて二等席に移るからである。お客を苦しめて金もうけをしようという興行師の策略だからたまらない。
 実際興行師ばかりが悪いのでない、お客そのものも、そんなことは平気である、そのかわりにかれらはたばこものめば、物も食う、みかん、塩せんべい、南京豆(なんきんまめ)、キャラメル、かれらは絶えず口を動かしている。みかんなどは音がせぬから無事だが、隣席の人が塩せんべいをボリボリ食うのでその音だけでも写真を見る興味を減ずることおびただしい、いろいろな食物から発する臭気やたばこの煙や不潔な身体(からだ)から発する熱気が混合して一種のにごった空気となり、人間の鼻穴や口腔(こうこう)から侵入するために、大抵(たいてい)の人は喉(のど)の渇きを感ずる、ここにおいてラムネを飲んだりサイダーを飲んだりする。足元はどうかというとみかんの皮や南京豆(なんきんまめ)のから、あらゆる不潔物ではきだめのごとくみだれている。
 かくのごとく無知で不行儀な客を相手にするのだから興行師もそれ相当に不親切をつくすことになる。
「こんなきたないはきだめによくがまんができるものだ」と光一は思った。
 写真は西洋のもので、いやにきらきら針のような斑点(はんてん)が光って見えるおそろしく古いものであった、光一はだまってそれを眺めた。ひとりの男とひとりの女が現われて肩に手をふれあった。見物人は声を挙げて喝采した。光一は思わず目を閉(と)じた。それはいやしくも潔白な人間が目に見るべからざる不純な醜悪な光景である。
「ばかやろう!」
 見物人の拍手の音の中でわれがねのようにどなったものがある。
「毛唐(けとう)のけだものめ、ひっこめ」
 声は彰義隊(しょうぎたい)であった、かれは光一のちょうど鼻先にじんどっていた。
「おい」と光一は肩をたたいた。
「おう」
 彰義隊はふりかえった。
「きてるのか」
「うむ、きみが忠告するはずだったが、おれはどうしてもあいつをぶんなぐらなきゃ腹の虫がおさまらないからやってきた」
「待ってくれよ、ね、決議にそむいちゃいかんよ」
「いや、おれはなぐる、忠告なんて手ぬるいことではだめだ、あれを見い、毛唐人(けとうじん)は犬やねこのようなまねをしてそれが愛だというんだ、おれはそれが気に食わねえ、日本の写真はそのまねをしてるんだぜ、日本の役者……そうだおれはなにかの雑誌を読んだがね、米国では人間のうちで一番劣等なものは活動役者だって……そうだろう、劣等でなければ、あんな醜悪な動作をしてはずかしいとも思わず平気でやっておられんからな、けだものめ」
 あたりの人はみなわらいだした。
「なにをわらうかばかやろう、おまえ達は趣味が劣等だから劣等なものを見て喜んでるんだ、うじ虫がくそを臭(くさ)いと思わないように、おまえたちは活動写真を劣等だと思わないんだ、気の毒なやつだ、ばかなやつだ、死んでしまう方が国家の経済だ、やいそこにいる会社員見たいなやつ、帽子をぬげよ、そんな安っぽい帽子をおれに見せようたっておれは見てやらないぞ、インバネスを着やがってするめじゃあるまいし、やい女、ぼりぼりせんべいを食うなよ」
 彰義隊(しょうぎたい)はすっかり昂奮(こうふん)してどなりつづけた。
「もういいよ、どなるのはよせよ」と光一はなだめた。
「おれだってどなりたくはないさ、だが……ああ女がでた、あれはなんとかいう女なんだね、どうだ、毛唐(けとう)の面(つら)はみんなさるに似ているね」
 写真はおわった、場内が明るくなった。彰義隊(しょうぎたい)は立ちあがって前後左右を見まわした。光一も同じく見まわした。かれは二階の欄干(らんかん)にひたと身体(からだ)を添えて顔をかくしている手塚の姿を見た、はっと思ったがすぐ思い返した、いまここで彰義隊に知らしたら大さわぎになる。
「いないね」と彰義隊がいった。
「いないよ」
「畜生(ちくしょう)め、どこかにかくれてるんだ」
 こういったときふたたび電灯が消えた。
「この間に手塚が逃げてくれればいい」と光一は思った。とこのとき彰義隊は拍手喝采した。
「やあやあ、近藤勇(こんどういさみ)だ、やあやあ」
 かれは「幕末烈士近藤勇」という標題を見て拍手したのであった。とすぐちょんまげの顔が現われた。
「あれは近藤勇か」と光一がきいた。
「ちがう、近藤勇はあんな懦弱(だじゃく)な顔をしておらんぞ」
「きみは近藤勇を知ってるのか」
「知らんよ、だがあんな下等ないものような面(つら)じゃない」
「元来ちょんまげの頭は下等なものだよ、ぼくはあれを見るとたまらなくいやになる」
「それでも近藤勇ならいいよ、国定忠治(くにさだちゅうじ)だの鼠小僧だの、博徒(ばくと)やどろぼうなどを見て喜んでるやつはくそだめへほうりこむがいい、おれは近藤勇だ」
 だが彰義隊(しょうぎたい)君の期待するような近藤勇は現われなかった、のどに魚の骨を刺(さ)したような声で弁士は説明した、それによるといものような面(つら)は近藤勇なのである。
「だめだだめだ」と彰義隊はまたもや憤慨した。
「そら敵がきた、足をくばって、足、足! 足を……右足を軽くせんと横から斬りこまれたときに体が固くなるぞ、ああああだめだ、あの役者はすきだらけだ、あんな近藤勇があるもんか、ああばかッ、上段にふりかぶるやつがあるか、手元につけこんで胴を斬られるぞ、ばかッ切っ先がさがってる、切っ先が、そんな剣客が、ああああばかばかばか」
 彰義隊があまりに憤慨するので周囲の人々はこそこそと逃げてしまった。実際彰義隊の目から見ると……光一の目から見てもこの役者の剣闘はめちゃめちゃなものであった、それでも見物人は喝采していた。
「おれは帰る」と彰義隊は立ちあがった、「ばかばかしくて見ておられん」
 彰義隊はかんかんにおこって帰った、光一はほっと溜(た)め息(いき)をついた。そうしてしずかに二階へあがった。暗がりの欄干(らんかん)のそばに手塚は頭から羽織をかぶって一生懸命にスクリーンを眺めながら声をかけている。
「いよう、大統領!」
 その隣にいた小さい女の子が皮もむかずにりんごをかじっている、その隣で手塚より首一つだけ背の高いろばとあだ名されてる青年が奇妙な声で叫んだ。
「いよう、せいちゃん!」
「清(せい)ちゃん、しっかり!」と手塚は叫んだ。近藤勇(こんどういさみ)に扮(ふん)した役者は清ちゃんという名前なのだ。
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