ああ玉杯に花うけて
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著者名:佐藤紅緑 

「お母(かあ)さん」
 千三はだき起こそうとした。母の目は上の方へつった。
「お母さん」
 声におどろいて伯父夫婦が起きてきた。千三は早速手塚医師のもとへかけつけた。元来かれは手塚のもとへいくのを好まなかった、しかし火急の場合、他へ走ることもできなかった。
 粉雪まじりの師走(しわす)の風が電線にうなっていた、町はもう寝しずまって、風呂屋から流れてくる下水の湯気がどぶ板のすきまから、もやもやといてついた地面をはっていた。
「今晩は……今晩は……」
 千三は手塚の門をたたいた。
 音がない。
「今晩は!」
 かれは声をかぎりに呼(よ)び力をかぎりにたたいた。奥にはまだ人の声がする。
「どうしたんだろう」
 千三は手塚なる医者が金持ちには幇間(ほうかん)のごとくちやほやするが、貧乏人にはきわめて冷淡だという人のうわさを思いだした、それと同時にこの深夜に来診を請うと、ずいぶん少なからぬお礼をださねばなるまいが、それもできずにむやみと門をたたくのはいかにも厚かましいことだと考えたりした。
 やっとのことで書生の声がした。
「どなた?」
「豆腐屋の青木ですが、母が急病ですからどうかちょっとおいでを願いたいんです」
「はああ――」とみょうに気のぬけた返事が聞こえた。「豆腐屋の……青木?」
「はい」
「先生は風邪気(かぜけ)でおやすみですから……どうですかうかがってみましょう」
「どうぞお願いします、急病ですから」
 千三は暗い門前でしずかに耳をそばだてた、奥で碁石(ごいし)をくずす音がちゃらちゃらと聞こえる。
「なんだ、碁を打ってるのにおやすみだなんて」
 こう千三は思った。とふたたび小さな窓が開いた。
「ただいま伺(うかが)います」
「ありがとうございます」と千三は思わず大きな声でいった。
「どうぞ、よろしく、ありがとうございます」
 千三は一足先に家へ帰った、母はまだ正体(しょうたい)がない。
「冷えたんだから足をあたためるがいい」
 こう伯父がいった。伯母はただうろうろして仏壇に灯(ひ)をともしたりしている、千三はすぐ火をおこしかけた。そこへ車の音がした。
「どうもごくろうさまで……どうぞ」
 くぐりの戸をはいってきたのは手塚医師でなくて代診(だいしん)の森という男である。この森というのは、ずいぶん古くから手塚の薬局にいるが、代診として患者を往診した事はきわめてまれである、千三はいつも森が白い薬局服を着て往来でキャッチボールをやってるのを見ているのではなはだおぼつかなく思った。
「先生が風邪気(かぜけ)なんで……」
 森はこういってずんずん奥へあがりこんだ、かれはその外套と帽子を車夫にわたした、それから眼鏡をちょっと鼻の上へせりあげて病人を見やった。
「どんなに悪いんですか、ああん?」
 かれはお美代の腕(うで)をとって脈をしらべた。それから発病の模様を聞きながら聴診器を胸にあてたり、眼瞼(まぶた)をひっくりかえしてみたりした、その態度はいかにもおちつきはらっている。これがおりおり玄関で手塚と腕押しをしたりしゃちほこ立ちをしたり、近所の子どもをからかったりする人とは思えない。門口で車夫がしきりにせきばらいをしている、それは「寒くてたまらないからいい加減にして帰ってくれ」というかのごとく見えた。
「はあん……これは脳貧血(のうひんけつ)ですな、ああん、たいしたことはありません、頭寒足熱ですかな、足をあたためて頭をひやして安眠させるといいです、ああん、薬は散薬と水薬……ああん、すぐでよろしい」
 かれはこういって先生から借りて来た鞄(かばん)を取り上げて室(へや)を出た。
「おい、幸吉!」
 幸吉とは車夫の名である、かれはいつも朝と晩に尻はしょりをして幸吉とふたりで門前に水をまいているのである。書生と車夫は同じくこれ奉公人仲間、いわば同階級である。それがいま傲然(ごうぜん)と呼び捨てにされたので幸吉たるもの胸中いささかおだやかでない、かれはだまって答えなかった。
「おい幸吉! なにをしとるかッ、ああん」
「早くゆきましょうよ森さん」と幸吉は業腹(ごうはら)まぎれにいった。
「こらッ外套と帽子をおくれ、ああん」
 森は外へ出た、車の走る音が聞こえた、寒さは寒し不平は不平なり、おそらく幸吉、車もくつがえれとばかり走ったことであろう。
 車におくれじと千三も走った、かれが医者の玄関に着いたとき、奥(おく)ではやはり囲碁(いご)の音が聞こえていた。
 母の病状はそれ以上に進まなかった。が、さりとて床(とこ)をでることはできなかった。
「明日(あす)になったら起きられるだろう」
 こう母はいった、だが翌日も起きられなかった。病弱な彼女が寒さをおかして毎日毎夜内職を働いたその疲れがつもりつもって脳(のう)におよんだのである。千三は豆腐をかついで町まわりの帰りしなに手塚の家へよって薬をもらうのであった、最初薬は二日分ずつであったが、母のお美代はそれをこばんだ。
「じきになおるから、一日分ずつでいい、二日分もらっても無駄になるから」
 これはいかにも道理ある言葉であった、どういうわけか医者は二日分ずつの薬をくれる、それも一つはかならず胃(い)の薬である、金持ちの家は薬代にも困らぬが、まずしき家では一日分の薬価は一日分の米代に相当する。お美代は毎日薬を飲むたびにもったいないといった。
 ある日千三は帰って母にこういった。
「お母(かあ)さん、手塚の家の天井(てんじょう)は格子(こうし)になって一つ一つに絵を貼(は)ってあります、絹にかいたきれいな絵!」
「あれを見たかえ」と母は病いにおとろえた目を向けてさびしくいった。「あれは応接室だったんです、お父(とう)さんが支那風が好きだったから」
「そう?」
「あの隣の室(へや)のもう一つ隣の室(へや)は茶室風でおまえがそこで生まれたのです、萩(はぎ)の天井です、床(とこ)の間(ま)には……」
 母の声はハタとやんだ、彼女は目をうっとりさせて昔その夫(おっと)が世にありしときの全盛な生活を回想したのであった。
「あのときには女中が五人、書生が三人……」
 睫毛(まつげ)を伝うて玉の露がほろりとこぼれる。
「お母さん! つまらないことをいうのはよしてください、ぼくはいまにあれ以上の家を建ててあげます」
「そうそう、そうだね」
 母はさびしくわらった、千三はたまらなく苦しくなった、いままで胸の底におさえつけておいた憂欝(ゆううつ)がむらむらと雲のごとくわいた。かれは薬をもらいに医者の家へゆく、支那風の天井の下に小さく座っていると例の憂欝がひしひしとせまってくる。
「ああここがおれの生まれたところなんだ、おれが生まれたときに手塚の親父がぺこぺこ頭をさげて見舞いにきたんだ、それがいまそいつに占領されてあべこべにおれの方が頭をさげて薬をもらいにきてる」
 ある日かれはこんなことを考えながら門をはいろうとするとそこで代診(だいしん)森君が手塚とキャッチボールをしていた。
「そらこんどはドロップだぞ」
 手塚は得意になって球をにぎりかえてモーションをつけた。
「よしきた」
 森君はへっぴり腰になって片足を浮かしてかまえた、もし足にあたりそうな球がきたら片足をあげて逃がそうという腹なのである。
「さあこい」
「よしッ」
 球は大地をたたいて横の塀(へい)を打ちさらにおどりあがって千三の豆腐おけを打ち、ころころとどぶの方へころがった。
「おい豆腐屋! 早く球をとれよ」手塚がさけんだ。
「はッ」
 千三はおけをかついだまま球をおっかけた、おけの水はだぶだぶと波をおどらして蓋(ふた)も包丁も大地に落ちた。
「やあやあ勇敢勇敢」と森君は喝采した、千三は球が石のどぶ端を伝って泥の中へ落ちこもうとするやつをやっとおさえようとした、てんびん棒が土塀にがたんとつきあたったと思うとかれははねかえされて豆腐おけもろとも尻餅(しりもち)をついた。豆腐は魚の如くはねて地上に散った。
「ばかだね、おけを置いて走ればいいんだ、ばかッ」
 手塚はこういって自分でどぶどろの中から球をつまみあげ、いきなり千三のおけの中で球を洗った。
「それは困ります」と千三は訴(うった)えるようにいった。
「豆腐代を払ったら文句がないだろう」
 手塚はわらって奥(おく)へひっこんだ。
「待てッ」と千三は呼(よ)びとめようとしたがじっと下くちびるをかんだ。
「いま手塚と喧嘩をすれば母の薬をもらうことができなくなる」
 かれの目から熱い涙がわきでた。人間の貴重な食料品! そのおけの中にどぶどろにまみれた球をつっこんで洗うなんてあまりの乱暴である。だが貧乏の悲しさ、かれと争うことはできない。
 どれだけないたかしれない。かれはもうらっぱをふく力もなくなった。
「おれはだめだ」
 かれはこう考えた、どんなに勉強してもやはり金持ちにはかなわない。
「おれと伯父さんは夜の目も寝ずに豆腐を作る、だがそれを食うものは金持ちだ、作ったおれ達の口にはいるのはそのあまりかすのおからだけだ、学問はやめよう」
 かれはがっかりして家へ帰った、かれは黙々(もくもく)先生の夜学を休んで早く寝床(ねどこ)にはいった。翌朝起きて町へでた。もうかれの考えは全然いままでとかわってしまった。かれは町々のりっぱな商店、会社、銀行それらを見るとそれがすべてのろわしきものとなった。
「あいつらは悪いことをして金をためていばってるんだ、あいつらはおれ達の血と汗をしぼり取る鬼共だ」
 その夜も夜学を休んだ、その翌日も……。
「おれがチビだからみんながおれをばかにしてるんだ、おれが貧乏だからみんながおれをばかにしてるんだ」
 かれの母はかれが夜学へもいかなくなったのを見て心配そうにたずねた。
「千三、おまえ今夜も休むの?」
「ああ」
「どうしてだ」
「ゆきたくないからゆきません」
 かれの声はつっけんどんであった、母は悲しそうな目でかれを見やったなりなにもいわなかった、千三は夜具の中に首をつっこんでから心の中で母にあやまった。
「お母(かあ)さん堪忍(かんにん)してください、ぼくは自分で自分をどうすることもできないのです」
 このすさんだ心持ちが五日も六日もつづいた、とある日かれは夕日に向かってらっぱをふきもてゆくと突然かれの背後(うしろ)からよびとめるものがある。
「おい青木!」
 夕方の町は人通りがひんぱんである、あまりに大きな声なので往来の人は立ちどまった。
「おい、青木!」
 千三がふりかえるとそれは黙々(もくもく)先生であった、先生は肩につりざおを荷ない、片手に炭だわらをかかえている、たわらの底からいものしっぽがこぼれそうにぶらぶらしている。
「おい、君のおけの上にこれを載(の)せてくれ」
 千三はだまって一礼した。先生は炭だわらをおけの上に載せ、そのまま自分の肩を入れて歩きだした。
「先生! ぼくがかついでお宅(たく)まで持ってゆきます」
 と千三がいった。
「いやかまわん、おれについてこい」
 ひょろ長い先生のおけをかついだ影法師が夕日にかっきりと地上に映(うつ)った。
「きみは病気か」
「いいえ」
「どうしてこない?」
「なんだかいやになりました」
「そうか」
 先生はそれについてなにもいわなかった。
 黙々(もくもく)先生がいもだわらを載せた豆腐をにない、そのそばに豆腐屋のチビ公がついてゆくのを見て町の人々はみんな笑いだした。ふたりは黙々塾(もくもくじゅく)へ着いた。
「はいれ」と先生はてんびんをおろしてからいった。
「はい」
 もう日が暮れかけて家の中は薄暗かった、千三はわらじをぬいで縁端(えんばた)に座った。先生はだまって七輪(しちりん)を取りだし、それに粉炭をくべてなべをかけ、七、八本のいもをそのままほうりこんだ。
「洗ってまいりましょうか」
「洗わんほうがうまいぞ」
 こういってから先生はふたたび立って書棚を探したがやがて二、三枚の紙つづりを千三の前においた。
「おい、これを見い、わしはきみに見せようと思って書いておいたのだ」
「なんですか」
「きみの先祖からの由緒書(ゆいしょが)きだ」
「はあ」
 千三は由緒書きなるものはなんであるかを知らなかった、でかれはそれをひらいた。
「村上天皇(むらかみてんのう)の皇子(おうじ)中務卿(なかつかさきょう)具平親王(ともひらしんのう)」
 千三は最初の一段高く記した一行を読んでびっくりした。
「先生なんですか、これは」
「あとを読め」
「右大臣師房卿(もろふさきょう)――後一条天皇(ごいちじょうてんのう)のときはじめて源朝臣(みなもとあそん)の姓(せい)を賜(たま)わる」
「へんなものですね」
 先生は七輪の火をふいたので火の粉がぱちぱちと散った。
「――雅家(まさいえ)、北畠(きたばたけ)と号す――北畠親房(きたばたけちかふさ)その子顕家(あきいえ)、顕信(あきのぶ)、顕能(あきよし)の三子と共に南朝(なんちょう)無二の忠臣(ちゅうしん)、楠公(なんこう)父子と比肩(ひけん)すべきもの、神皇正統記(じんのうしょうとうき)を著(あら)わして皇国(こうこく)の正統をあきらかにす」
「北畠親房(きたばたけちかふさ)を知ってるか」
「よくは知りません、歴史で少しばかり」
「日本第一の忠臣を知らんか、そのあとを読め」
「親房(ちかふさ)の第二子顕信(あきのぶ)の子守親(もりちか)、陸奥守(むつのかみ)に任ぜらる……その孫武蔵(むさし)に住み相模(さがみ)扇ヶ谷(おうぎがやつ)に転ず、上杉家(うえすぎけ)に仕(つか)う、上杉家(うえすぎけ)滅(ほろ)ぶるにおよび姓(せい)を扇(おうぎ)に改め後青木(あおき)に改む、……青木竜平(あおきりゅうへい)――長男千三(せんぞう)……チビ公と称す、懦弱(だじゃく)取るに足らず……」
 なべのいもは湯気を立ててふたはおどりあがった。先生はじっと千三の顔を見つめた。
「どうだ」
「先生!」
「きみの父祖は南朝(なんちょう)の忠臣だ、きみの血の中に祖先の血が活きてるはずだ、きみの精神のうちに祖先の魂(たましい)が残ってるはずだ、君は選ばれたる国民だ、大切な身体(からだ)だ、日本になくてはならない身体だ、そうは思わんか」
「先生!」
「なにもいうことはない、祖先の名をはずかしめないように奮発(ふんぱつ)するか」
「先生」
「それとも生涯(しょうがい)豆腐屋でくちはてるか」
「先生! 私は……」
「なにもいうな、さあいもを食ってから返事をしろ」
 先生はいものなべをおろした、庭はすでに暮れて落ち葉がさらさらと鳴る、七輪の火が風に吹かれてぱっと燃えあがると白髪(はくはつ)白髯(はくぜん)の黙々(もくもく)先生の顔とはりさけるようにすずしい目をみひらいた少年の赤い顔とが暗の中に浮きだして見える。

         八

 黙々(もくもく)先生に系図を見せられたその夜、千三はまんじりともせずに考えこんだ、かれの胸のうちに新しい光がさしこんだ。かれは嬉しくてたまらなかった、なんとも知れぬ勇気がひしひしおどり出す。かれは大きな声をだしてどなりたくなった。
 眠らなければ、明日(あした)の商売にさわる、かれは足を十分に伸ばし胸一ぱいに呼吸をして一、二、三、四と数えた。そうしてかれはあわいあわい夢に包まれた。
 ふと見るとかれはある山路を歩いている。道の両側には桜(さくら)の老樹が並んでいまをさかりにさきほこっている。
「ああここはどこだろう」
 こう思って目をあげると谷をへだてた向こうの山々もことごとく桜である。右も桜左も桜、上も桜下も桜、天地は桜の花にうずもれて白(はく)一白(いっぱく)、落英(らくえい)繽紛(ひんぷん)として顔に冷たい。
「ああきれいなところだなあ」
 こう思うとたんにしずかに馬蹄(ばてい)の音がどこからとなくきこえる。
「ぱかぱかぱかぱか」
 煙のごとくかすむ花の薄絹(うすぎぬ)を透(とお)して人馬の行列が見える。にしきのみ旗、にしきのみ輿(こし)! その前後をまもるよろい武者! さながらにしき絵のよう。
 行列は花の木の間を縫(ぬ)うて薄絹の中から、そろりそろりと現われてくる。
「下に座って下に座って」
 声が聞こえるのでわきを見るとひとりの白髪の老翁(ろうおう)が大地にひざまずいている。
「おじいさんこれはなんの行列ですか」
 こうたずねるとおじいさんは千三の顔をじっと眺めた、それは紙幣で見たことのある武内宿禰(たけのうちのすくね)に似た顔であった。
「あれはな、後村上天皇(ごむらかみてんのう)がいま行幸(みゆき)になったところだ」
「ああそれじゃここは?」
「吉野(よしの)だ」
「どうしてここへいらっしったのです」
 じいさんは千三をじろりと見やったがその目から涙がぼろぼろこぼれた。一円紙幣(さつ)がぬれては困(こま)ると千三は思った。
「逆臣(ぎゃくしん)尊氏(たかうじ)に攻(せ)められて、天(あめ)が下(した)御衣(ぎょい)の御袖(おんそで)乾(かわ)く間も在(おわ)さぬのじゃ」
「それでは……これが……本当の……」
 千三は仰天して思わず大地にひざまずいた。このとき行列が静々とお通りになる。
「まっ先にきた小桜縅(こざくらおどし)のよろい着て葦毛(あしげ)の馬に乗り、重籐(しげどう)の弓(ゆみ)を持ってたかの切斑(きりふ)の矢(や)を負い、くわ形(がた)のかぶとを馬の平首につけたのはあれは楠正行(くすのきまさつら)じゃ」
 とおじいさんがいった。
「ああそうですか、それと並んで紺青(こんじょう)のよろいを着て鉢巻きをしているのはどなたですか」
「あれは正行(まさつら)の従兄弟(いとこ)和田正朝(わだまさとも)じゃ」
「へえ」
「そら御輿(みこし)がお通りになる、頭をさげい、ああおやせましましたこと、一天万乗(いってんばんじょう)の御君(おんきみ)が戦塵(せんじん)にまみれて山また山、谷また谷、北に南に御(おん)さすらいなさる。ああおそれ多いことじゃ」
 おじいさんは頭を大地につけてないている、千三は涙が目にたまって玉顔(ぎょくがん)を拝むことができなかった。
「御輿(みこし)の御後に供奉(ぐぶ)する人はあれは北畠親房(きたばたけちかふさ)じゃ」
「えっ?」
 千三は顔をあげた。
 赤地にしきの直垂(ひたたれ)に緋縅(ひおどし)のよろい着て、頭に烏帽子(えぼし)をいただき、弓と矢は従者に持たせ、徒歩(かち)にて御輿(みこし)にひたと供奉(ぐぶ)する三十六、七の男、鼻高く眉(まゆ)秀(ひい)で、目には誠忠の光を湛(たた)え口元には知勇の色を蔵(ぞう)す、威風堂々としてあたりをはらって見える。
 千三は呼吸(いき)もできなかった。
「いずれも皆忠臣の亀鑑(きかん)、真の日本男児じゃ、ああこの人達があればこそ日本は万々歳まで滅びないのだ」
 こうおじいさんがいったかと思うととっとと走っていく、その早いこと百メートル五秒間ぐらいである。
「待ってくださいおじいさん、お紙幣(さつ)になるにはまだ早いから」
 こういったが聞こえない。おじいさんは桜(さくら)の中に消えてしまった。
 にわかにとどろく軍馬の音! 法螺(ほら)! 陣太鼓(じんだいこ)! 銅鑼(どら)ぶうぶうどんどん。
 向こうの丘(おか)に現われた敵軍の大勢! 丸二つ引きの旗をへんぽんとひるがえして落日を後ろに丘(おか)の尖端(とっぱな)! ぬっくと立った馬上の大将(たいしょう)はこれ歴史で見た足利尊氏(あしかがたかうじ)である。
 すわとばかりに正行(まさつら)、正朝(まさとも)、親房(ちかふさ)の面々屹(きっ)と御輿(みこし)を護(まも)って賊軍をにらんだ、その目は血走り憤怒(ふんぬ)の歯噛(はが)み、毛髪ことごとく逆立(さかだ)って見える。
「やれやれッ逆賊(ぎゃくぞく)をたたき殺せ」と千三は叫んだ。
「これ千三、これ」
 母の声におどろいて目がさめればこれなん正(まさ)しく南柯(なんか)の夢(ゆめ)であった。
「どうしたんだい」
「どうもこうもねえや、畜生(ちくしょう)ッ、足利尊氏(あしかがたかうじ)の畜生ッ」と千三はまだ夢中である。
「喧嘩の夢でも見たのか、足利(あしかが)の高さんと喧嘩したのかえ」
「なんだって畜生ッ、高慢な面(つら)あしやがって、天子様に指でも指してみろ、おれが承知しねえ、豆腐屋だと思って尊氏(たかうじ)の畜生ばかにするない」
「千三どうしたのさ、千三」
「お母(かあ)さんですか」
 千三はこういってはじめてわれにかえった。母はじっと千三を見つめた、千三の顔は次第次第にいきいきと輝いた。
「お母さん、ぼくは勉強します」
 母はだまっている。
「ぼくは今日(きょう)先生にぼくのご先祖のことを聞きました。北畠顕家(きたばたけあきいえ)、親房(ちかふさ)……南朝(なんちょう)の忠臣です。その血を受けたぼくはえらくなれない法がありません」
「だけれどもね、このとおり貧乏ではおまえを学校へやることもできずね」
 母はほろりとした。
「貧乏でもかまいません。お母さん、顕家(あきいえ)親房(ちかふさ)はほんのはだか身でもって奥州や伊勢や諸所方々で軍(いくさ)を起こして負けては逃げ、逃げてはまた義兵を集め、一日だって休むひまもなく天子様のために働きましたよ、それにくらべると日に三度ずつご飯を食べているぼくなぞはもったいないと思います。ねえお母さん、ぼくはいま夢を見たんです。先祖の親房(ちかふさ)という人はじつにりっぱな顔でした、ぼくのようにチビではありませんよ、尊氏(たかうじ)のほうをきっとにらんだ顔は体中忠義の炎(ほのお)が燃えあがっています。ぼくだって忠臣になれます。ぼくだってね、チビでも忠臣になれないことはないでしょう」
「いい夢を見たね」
 母は病みほおけた身体(からだ)を起こして仏壇に向かっておじぎした。
 千三は生まれかわった。翌日からなにを見ても嬉しい。かれは外を歩きながらそればかりを考えている。
「やあ向こうから八百屋の半公がきたな、あれも忠臣にしてやるんだ。おれの旗持ちぐらいだ、ああぶりき屋の浅公、あれは母親の財布(さいふ)をごまかして活動にばかりいくが、あれもなにかに使えるから忠臣にしてやる、やあ酒屋のブルドッグ、あれは馬のかわりにならないから使ってやらない」
 黙々(もくもく)先生はチビ公が急に活気づいたのを見てひとりほくほく喜んでいた。
 ある日かれはひとりの学生を先生に紹介(しょうかい)された。それは昨年第一高等学校に入学した安場五郎(やすばごろう)という青年である。黙々塾(もくもくじゅく)をでて高等学校へはいれたのは安場ひとりきりである。先生は安場が好きであった。色が赤黒く顔は七輪に似て、ようかん色になった制服を着て腰にてぬぐいをさげ、帽子はこけ色になっている。かれは一年のあいだに身体(からだ)がめきめきと発達したので制服の腕や胴は身体の肉がはちきれそうに見える。かれは代書人の息子(むすこ)である。かれは東京から家へ帰るとすぐ黙々先生のご機嫌うかがいにくる。
「先生ただいま」
「うむ帰ったか」
 先生は注意深くかれの一挙一動を見る。
「学校はどうだ」
 まず学校のようすをきき、それから友達のことをきく。
「どんな友達ができたか」
「あんこうというやつがあります。口がおそろしく大きいんでりんごを皮ごと二口で食ってしまいます。それからフンプンというやつがあります。これは一年に一ぺんもさるまたを洗濯しませんから、いつでもフンプンとしています。それからまむしというやつ、これは生きたへびを頭からかじります」
「ふん、勇敢だな」
 先生はにこにこする。
「この三人はみんなできるやつです。頭がおそろしくいいやつです、三人とも政治をやるといってます」
「たのもしいな、きみとどうだ」
「ぼくよりえらいやつです」
「そうか」
 先生が一番注意をはらうのは友達のことである。かれはそのまむしやフンプンやあんこうがどんな話をしてどんな遊びをしてどんな本を読んでるかまでくわしくきいた。
「活動を見るか」
「さかんに見ましたが、あれは非常に下卑たものだとわかったからこのごろは見ません」
「それがいい」
 先生は安場がいつも友達の自慢をするのをすこぶる嬉しそうに聞いていた。人の悪口をいったり、自慢をいったりするのは先生のもっともこのまざるところであった。
 安場は実際先生思いであった。かれは帰省中には毎朝かならず先生をたずねて水をくみ飯をたき夜の掃除をした。先生は外へ出ると安場の自慢ばかりいう。
「あいつはいまに大きなものになる」
 先生はわずかばかりの汽車賃があればそっと東京へ出て一高を視察にでかける、そうして安場がどんな生活をしているかを人知れず監視するのであった。そのくせかれは安場に向かっては一度もほめたことはない。
「きみは英雄をなんと思うか」
「英雄は歴史の花です」と安場は即座に答える。
「カアライルをまねてはいかん。英雄は花じゃない、実である。もし花であるならそれは泛々(はんぱん)たる軽薄の徒といわなきゃならん。名誉、物質欲、それらをもって目的とするものは真の英雄とはいえないぞ、いいか。英雄は人類の中心点である、そうだ、中心点だ、車の軸(じく)だ、国家を支える大黒柱だ、ギリシャの神話にアトラス山は天が墜(お)ちるのを支(ささ)えている山としてある。天がおちるのを支えるのは英雄だ、花だなんてそんな浮わついた考えではまだ語るにたらん。もっと修養しろ馬鹿ッ」
 すべてこういう風である、どんなにばかといわれても安場はそれを喜んでいた。
「先生はありがたいな」
 かれはいつもこういった。かれとチビ公はすぐに親友になった。おりおりふたりは郊外へでて長い長い堤の上を散歩した。寒い寒い風がひゅうひゅう野面(のづら)をふく、かれあしはざわざわ鳴って雲が低くたれる、安場は平気である。かれは高い堤に立って胸一ぱいにはって高らかに歌う。
ああ玉杯(ぎょくはい)に花うけて、緑酒(りょくしゅ)に月の影(かげ)やどし、
治安の夢(ゆめ)にふけりたる、栄華(えいが)の巷(ちまた)低く見て、
向ヶ岡(むこうがおか)にそそり立つ、
五寮(ごりょう)の健児(けんじ)意気高し。……
 バリトンの声であるが、量は豊かに力がみちている。それは遠くの森に反響し、近くの野面(のづら)をわたり、べきべきたる落雲を破って、天と地との広大無辺な間隙を一ぱいにふるわす、チビ公はだまってそれを聞いていると、体内の血が躍々(やくやく)と跳(おど)るような気がする。自由豪放な青春の気はその疲(つか)れた肉体や、衰(おとろ)えた精神に金蛇銀蛇の赫耀(かくよう)たる光をあたえる。
「もっとやってくれ」とかれはいう。
「うむ、よしッ」
 安場は七輪(しちりん)のような顔をぐっと屹立(きつりつ)させると同時に鼻穴をぱっと大きくする、とすぐいのししのようにあらい呼吸(いき)をぷうとふく。
ふようの雪の精をとり、芳野(よしの)の花の華(か)をうばい、
清き心のますらおが、剣(つるぎ)と筆とをとり持ちて、
一たび起(た)たば何事か、
人生の偉業(いぎょう)成らざらん。
 うたっていくうちにかれの顔はますます黒く赤らみ、その目は輝き、わが校を愛する熱情と永遠の理想と現在力学の勇気と、すべての高邁(こうまい)な不撓(ふとう)な奮闘的な気魄(きはく)があらしのごとく突出してくる。チビ公は涙をたれた。
「きみはな、貧乏を気にしちゃいかんぞ」と安場はいった。「貧乏ほど愉快なことはないんだ」
 かれはチビ公のかたわらに座っていいつづけた。
 おれは貧乏だから書物が買えなかった。おれは雑誌すら読んだことはなかった。すると先生はおれに本を貸してくれた。先生の本は二十年も三十年も前の本だ、先生がおれに貸してくれた本はスミスの代数(だいすう)とスウイントンの万国史と資治通鑑(しじつがん)それだけだ、あんな本は東京の古本屋にだってありやしない。だが新刊(しんかん)の本が買えないから、古い本でもそれを読むよりほかにしようがなかった、そこでおれはそれを読んだ、友達が遊びにきておれの机の上をジロジロ見るとき、おれははずかしくて本をかくしたものだ、太政官印刷(だじょうかんいんさつ)なんて本があるんだからな、実際はずかしかったよ。おれはこんな時代おくれの本を読んでも役に立つまいと思った、だが、先生が貸してくれた本だから読まないわけにゆかない、それ以外には本がないんだからな、そこでおれは読んだ。最初はむずかしくもありつまらないと思ったが、だんだんおもしろくなってきた、一日一日と自分が肥(ふと)っていくような気がした。おれは入学試験を受けるとき、ほんの十日ばかり先生が準備復習をしてくれた。
「こんな旧式(きゅうしき)なのでもいいのか知らん」とおれは思った。
「だいじょうぶだいけ」と先生がいった、おれはいった、そうしてうまく入学した。
「なあチビ公」
 安場はなにを思ったか目に一ぱい涙をたたえた。
「試験の前日、先生はおれにこういった」
「安場、腕ずもうをやろう」
「ぼくですか」
「うむ」
 先生はがちょうのように首が長く、ひょろひょろやせて、年が老いている。おれはこのとおり力が自慢だ、負かすのは失礼だと思ったが、さりとて故意(こい)に負けるとへつらうことになる、互角(ごかく)ぐらいにしておこうと思った。
「やりましょう」
 先生は長いひざを開いて畳(たたみ)にうつぶしになった。さながら栄養不良のかわずのよう!
「さあこい」
「よしッ」
 おれもひじを畳についた、がっきと手と手を組んだ、おれはいい加減(かげん)にあしらうつもりであった、先生の痩(や)せた長い腕がぶるぶるふるえた。
「弱虫! なき虫! いも虫! へっぴり虫!」と先生はいった。
「先生こそ弱虫です」
「なにを!」
「どっこい」
 おれは少しずつ力をだして不動直立の態度をとるつもりであった。だが先生の押す力がずっとひじにこたえる。
「弱いやつだ、青年がそれでどうする、米の飯を食わせておくのはおしいものだ、やい、いも虫、なき虫、わらじ虫!」
 あまりしつこく虫づくしをいうのでおれもちょっと癪(しゃく)にさわった。
「いいですか、本気をだしますぞ」
「よしッ、虫けらの本気はどんなものか、へっぴり虫!」
「よしッ」
 おれは満身の力をこめて一気に先生を押したおそうとした、先生の腕が少しかたむいた。
「いいかな」
 先生はこういって、「うん」と一つうなった、たよたよとした細い腕はがきっと組んだまま大盤石(だいばんじゃく)!
「おやッ」
 おれは頭を畳(たたみ)にすりつけ、左の掌(てのひら)で畳をしっかとおさえ肩先に力をあつめて押しだした。
「虫があばれるあばれる」と先生はげらげらわらった。おれはどうもふしぎでたまらない。負けるはずがないのだ。
「いいかな」
 先生はこういっておれのこぶしをひた押しに倒してしまった。
 おれは汗をびっしょりかいて、ふうふう息をはずませた。
「どうだ」
 首を傾(かし)げてふしぎがってるおれの顔を見て先生はわらった。
「ふしぎですな」
「おまえはばかだ」
「なんといわれてもしようがありません」
「いよいよジャクチュウかな」
「ジャクチュウとはなんですか」
「弱虫だ、はッはッはッ」
「先生はどうして強いんですか」
「わしが強いんでない、おまえがジャクチュウなんだ」
「ぼくはそんなに弱いはずがないのです」
「おまえはどこに力を入れてるか」
「ひじです」
「腕をだしてみい」
 先生のひょろひょろした青ざめた腕とおれのハチ切れそうに肥った円い赤い腕が並んだ。
「ひじとひじの力なら私の方がとてもかなわないはずじゃないか」と先生がいった。
「じゃ先生は?」
 先生はにっこり笑って、胸の下を指さした。
「腹ですか」
「うむ、力はすべて腹から出るものだ、西洋人の力は小手先からでる、東洋人の力は腹からでる、日露戦争(にちろせんそう)に勝つゆえんだ」
「うむ」
「学問も腹だ、人生に処する道も腹だ、気が逆上(ぎゃくじょう)すると力が逆上して浮きたつ、だから弱くなる、腹をしっかりとおちつけると気が臍下丹田(せいかたんでん)に収(おさ)まるから精神爽快(せいしんそうかい)、力が全身的になる、中心が腹にできる、いいかおまえはへそをなんと思うか」
「よけいなものだと思います」
「それだからいかん、人間の身体(からだ)のうちで一番大切なものはへそだよ」
「しかしなんの役にも立ちません」
「そうじゃない、いまのやつらはへそを軽蔑(けいべつ)するからみな軽佻浮薄(けいちょうふはく)なのだ、へそは力の中心点だ、人間はすべての力をへそに集注すれば、どっしりとおちついて威武も屈(くっ)するあたわず富貴も淫(いん)するあたわず、沈毅(ちんき)、剛勇、冷静、明智になるのだ、孟子(もうし)の所謂(いわゆる)浩然(こうぜん)の気はへそを讃美した言葉だ、へそだ、へそだ、へそだ、おまえは試験場で頭がぐらぐらしたらふところから手を入れてしずかにへそをなでろ」
 おれは試験場でへそをなでなかったが、難問題(なんもんだい)にぶつかったときに先生のこの言葉を思いだした、そうして、
「へそだ、へそだ、へそだ」と口の中でいった、と急におかしくなってふしぎに気がしずまる、かっと頭にのぼせた熱がずんとさがって下腹に力がみちてくる。
 旧式の本、それを読んだことはいわゆる試験準備のために印刷された本よりもはるかに有効であった。
 どんな本でも、くわしくくわしくいくどもいくども読んで研究すればすべての学問に応用することができる、数多くの本を、いろいろざっと見流すよりたった一冊の本を精読する方がいい。
 おれが受験から帰ってくると先生はぼくを待ちかねている、おれは試験の問題とおれの書いた答案を語る、先生はそれについていちいち批評してくれた、そうしておれににわとりのすき焼きをご馳走(ちそう)してくれる。
「うんと滋養物(じようぶつ)を食わんといかんぞ」
 こう先生がいう、七日のあいだに先生が大切に飼(か)っていた三羽のにわとりがみんななくなった。
「おれは先生の恩はわすれない、もし先生のような人がこの世に十人もあったら、すべての青年はどんなに幸福だろう、町のやつは……師範学校や中学校のやつらは先生の教授法を旧式だという、旧式かも知らんが先生はおれのようなつまらない人間でもはげましたり打ったりして一人前にしたててくれるからね」
 安場はこういって口をつぐんだ、かれはたえきれなくなってなき出した。
「なあ青木、おまえも責任があるぞ、先生がおまえをかわいがってくれる、先生に対してもおまえは奮発しろよ」
「やるとも」千三も無量の感慨に打たれていった。
「さあ帰ろう」
 夕闇(ゆうやみ)がせまる武蔵野(むさしの)のかれあしの中をふたりは帰る。
花さき花はうつろいて、露おき露のひるがごと、
星霜(せいそう)移り人は去り、舵(かじ)とる舵手(かこ)はかわるとも、
わが乗る船はとこしえに、理想の自治に進むなり。
 日はとっぷりと暮れた、安場ははたと歌をやめてふりかえった。
「なあおい青木、一緒(いっしょ)に進もうな」
「うむ」
 たがいの顔が見えなかった。
「おれも早くその歌をうたいたいな」とチビ公はいった、安場は答えなかった、ざわざわと枯れ草が風に鳴った。
「おれの歌よりもなあ青木」と安場はいった。「おまえのらっぱの方が尊いぞ」
「そうかなあ」
「進軍のらっぱだ」
「うむ」
「いさましいらっぱだ、ふけッ大いにふけ、ふいてふいてふきまくれ」
 ひゅうひゅう風がふくので声が散ってしまった。
 幸福の神はいつまでも青木一家にしぶい顔を見せなかった、伯父さんとチビ公の勉強によって一家は次第に回復した。チビ公の母は病気がなおってから店のすみにわずかばかりの雑穀(ざっこく)を並べた、黙々(もくもく)先生はまっさきになって知人朋友を勧誘(かんゆう)したので、雑穀は見る見る売れだした。生蕃親子がこの地を去ってからもはやチビ公を迫害するものはない、店はますます繁昌し、大した収入がなくとも不自由なく暮らせるようになった。
 安場は日曜ごとに浦和へきた、そうして千三にキャッチボールを教えたりした、元来黙々塾(もくもくじゅく)に通学するものはすべて貧乏人の子で、でっち、小僧、工場通いの息子、中には大工や左官の内弟子もあった。かれらはみんな仲よしであった、ハイカラな制服制帽を着ることができぬので、大抵(たいてい)和服にはかまをはいていた。
 チビ公は日曜ごとには朝から晩まで遊ぶことができるようになった、塾の生徒は師範学校や中学の生徒のように費用に飽(あ)かして遠足したり活動を見にゆくことができないのでいつも塾(じゅく)の前の広場でランニング、高跳びなどをして遊んでいた。それが安場がきてからキャッチボールがはやりだした、安場は東京の友達からりっぱなミットをもらってきてくれた、チビ公は光一のところへグローブの古いやつをもらいにいった。
「あるよ、いくらでもあるよ」
 光一は古いグローブ二つと新しいグローブ一つとをだしてくれた。
「こんなにもらってもいいんですか」と千三はいった。
「ぼくは買ってもらうからいいよ」と光一はいった。
「これは新しいんですね」
「心配するなよ」
 グローブ三つにボール二つ、それをもらって千三が塾(じゅく)へいったとき一同は万歳を唱えた、勉強はできなくとも貧乏人の子はスポーツがうまい、一同はだんだん上達した。
 あるとき千三が豆腐を売りまわってると道で光一にあった。
「おいボールがうまくなったそうだね」
 光一は例のごとく上品な目に笑(え)みをたたえていった。
「少しうまくなりました」
 光一は妙にしずんだ顔をして千三の目を見つめた。
「きみ、たのむからね、ぼくに向かってていねいな言葉を使ってくれるなよ、ね、きみは豆腐屋の子、ぼくは雑貨屋の子、同じ商人(あきんど)の子じゃないか、ねえきみ、きみもぼくも同じ小学校にいたときのように対等の友達として交わりたいんだ、きみも学生だからね」
「ああ」
 いまにはじめぬ光一のりっぱな態度に、千三はひどく感激した。
「それからね、きみ、きみの塾(じゅく)とぼくの学校と試合をやらないか」
「ああ、だけれども弱いから」
「弱くてもいいよ、おたがいに練習だからね」
「相談してみよう」
「きみはなにをやってるか」
「ぼくはショートだ」
「それがいい、きみは頭がよくて敏捷(びんしょう)だから」
「きみは」
「ぼくは今度からピッチャーをやってるんだよ」
「すてきだね」
「なかなかまずいんだよ、手塚はショートだ、あいつはなかなかうまいよ」
 その夜千三は塾(じゅく)で一同に相談した。
「やろうやろう」というものがある。
「とてもかなわない」というものもある。議論はいろいろにわかれたが結局安場にきてもらってきめることになった。
 安場は翌日やってきた。
「やれやれ、大いにやれ、親から金をもらって洋服を着て学問するやつに強いやつがあるものか、わが校の威風を示すのはこのときだ」
 一同はすぐ決心した、毎夜課業がすむとこそこそそのことばかりを語りあった、だが悲しいことには貧乏人の子である、マークのついた帽子や、ユニフォームを買うことはできない、いわんやスパイクのついた靴、プロテクター、すねあてにおいてをや[#「をや」は底本では「おや」]である。
「銭がほしいなあ」と一同はいった、この話がいつしか黙々(もくもく)先生にもれた、先生は早速(さっそく)一同を集めた。
「遊戯は精神修養をもって主とするもので形式を主とするものでない、みんなはだかでやるならゆるす、おれはバットを作ってやる、はだかが寒いならシャツにさるまた、それでいい、それが当塾(とうじゅく)の塾風(じゅくふう)である」
「先生のいうとおりにします」と一同はいった。
 翌日先生は庭先にでて大きなまさかりでかしの丸太を割っていた。
「先生なにをなさるんですか」と、チビ公がきいた。
「バットを作ってやるんだ」
 放課後も先生はのこぎりやらかんなやらでバット製作にとりかかった。と仕立屋の小僧で呉田(くれた)というのがぼろきれをいくえにも縫(ぬ)いあわせて捕手のプロテクターを作った。すると古道具屋の子は撃剣の鉄面(めん)でマスクを作った。道具は一通りそろった。安場が日曜にきて、各シートを決めた、安場は東京からの汽車賃を倹約(けんやく)するためにいつも五里の道を歩いてくるのである。
 投手は馬夫(まご)の子で松下というのである、かれは十六であるが十九ぐらいの身長があった。ちいさい時に火傷(やけど)をしたので頭に大きなあとがある、みなはそれをあだ名して五大洲(だいしゅう)と称(しょう)した。かれの球はおそろしく速かった。
 捕手は「クラモウ」というあだ名で左官の子である、なぜクラモウというかというに、いつもだまってものをいわないのは暗がりの牛のようだからである、身体(からだ)は横に肥ってかにのようにまたがあいている。一塁手は「旗竿(はたざお)」と称(しょう)せられる細長い大工の子で、二塁手は「すずめ」というあだ名で駄菓子屋の子である、すずめはボールは上手(じょうず)でないが講釈がなかなかうまい、かれは安場コーチの横合いから口をだしていつも安場にしかられた。
 三塁手にはどんな球でもかならず止める橋本というのがある、かれはおそろしい勢いで一直線にとんできた球を鼻で止めたので後ろにひっくりかえった。それからかれを橋本とよばずに鼻本(はなもと)とよんだ。
 外野にもなかなか勇敢な少年があった、ショートはチビ公であった、チビ公は身丈(みたけ)が低いが非常に敏捷(びんしょう)であった、かれは球を捕るには一種の天才であった、かれはわずかばかりの練習でゴロにいろいろなものがあることを感じた、大きく波を打ってくるもの、小さくきざんでくるもの、球の回転なしにまっすぐにすうと地をすってくるもの、左に旋回(せんかい)するもの、右に旋回するもの、約十種ばかりの性質によって握(にぎ)り方をかえなければならぬ。チビ公は無意識ながらもそれを感じた。
 一生懸命に汗を流してけずり上げた先生のバットはあまり感心したものでなかった。それはあらけずりのいぼだらけで途中にふしがあるものであった。
「なんだこれは」
「すりこぎのようだ」
「犬殺しの棒だ」
「いやだな、おまえが使えよ」
「おれもいやだ」
 少年共はてんでにしりごみをした。さりとてこれを使わねば先生の機嫌が悪い。一同は途方(とほう)に暮れた。
「ぼくのにする」とチビ公はいった。「このバットには先生がぼくらを愛する慈愛(じあい)の魂がこもってる、ぼくはかならずこれでホームランを打ってみせるよ、ぼくが打つんじゃない先生が打つんだ」

         九

 浦和中学と黙々塾(もくもくじゅく)が野球の試合をやるといううわさが町内に伝わったとき人々は冷笑した。
「勝負になりやしないよ」
 実際それは至当(しとう)な評である、浦和中学は師範学校と戦っていつも優勝し、その実力は埼玉県を圧倒しているのだ、昨日(きのう)今日(きょう)ようやく野球を始めた黙々塾(もくもくじゅく)などはとても敵し得(う)べきはずがない。それに浦中の捕手は沈毅をもって名ある小原である。投手の柳は新米だがその変化に富める球と頭脳(ずのう)の明敏ははやくも専門家に嘱目(しょくもく)されている、そのうえに手塚のショートも実際うまいものであった、かれはスタートが機敏で、跳躍(ジャンプ)して片手で高い球を取ることがもっとも得意であった。
「練習しようね」と柳は一同にいった。
「練習なんかしなくてもいいよ、黙兵衛(もくべえ)のやつらは相手にならんよ」と手塚がいった。
「そうだそうだ」と一同は賛成した。だが二、三日経ってから小原が顔色をかえて一同を招集した。
「ぼくは昨日(きのう)黙々(もくもく)の練習を見たがね、火のでるような猛練習だ、それに投手の五大洲はおそろしく速力(スピード)のある球をだす、あのうえにもしカーブがでたらだれも打てやしまい、ショートのチビ公もなかなかうまいし、捕手(ほしゅ)のクラモウはロングヒットを打つ、なかなかゆだんができないよ、一たい今度の試合は敵に三分の利があり味方に三分の損(そん)がある、敵は新米だから負けてもさまで恥にならないが、味方は古い歴史を持っているから、もし負ければ世間の物笑いになるよ」
「あんなやつはだいじょうぶだよ」と手塚はいった。
「そうじゃない、もしひとりでも傑出した打手があってホームランを三本打てば三点とられるからね、勝負はそのときの拍子(ひょうし)だ、強いからってゆだんがならない」
「だからぼくは練習をしようというんだ、青木千三は小学校時代には実にうまかったからね、身体(からだ)が小さいがおそろしいのはかれだよ」
 と光一はいった。
「豆腐屋のごときは眼中にないね」と手塚がいった。
「それがいけないよ手塚君、きみはうまいけれども敵をあなどるのは悪いくせだ、ぼくは青木の方がぼくよりうまいと思う」
「きみは青木を買いかぶってるよ、あいつはまだ腰が決まらない」
「いざとなれば強くなるよ」
「弱虫だねきみは」と手塚は嘲笑した。
「君よりか青木の方がうまい」と光一も癪(しゃく)にさわっていった。
「あんなやつにくらべられてたまるものか」
 多人数の前なので手塚は虚勢を張っていった。
「そうじゃない手塚」と小原はどなった。「おまえはいつもうまいと人に見られようと思って、片手で球をとったりする、あれはよくないぞ、へたに見られてもいいから健実でなけりゃいけない」
 先輩の一言に手塚は顔を赤(あから)めてだまった。その日から練習をはじめた。
 一方黙々塾(もくもくじゅく)では学業のひまひまに猛練習をつづけた。だが家業がいそがしいために練習にくることのできない者もあるので、人数はいつもそろわなかった、安場は日曜以外には帰省しない、ここにおいて黙々先生が自身に空(あ)き地(ち)へ出張した、先生は野球のことをよくは知らない、がかれは撃剣の達人なので打撃はうまかった、かれはさるまた一つとシャツ一枚の姿で、自製のバットでノックをする、それは実に奇妙ふしぎなノックであった、先生の打つ球には方向が一定しない、三塁へいったり一塁へいったり、ゴロかと思えば外野へ飛んだり、ファウルになったり、ホームランになったりする。
「先生! シートノックはシートの方へ打ってください」と千三が歎願した。
「ばかッ、方向がきまってるならだれでもとれる、敵はどこへ打つかわかりゃしないじゃないか」
 先生はこういって長いバットを持って力のありたけで打つのだからたまらない、鉄砲玉のようなおそろしく早い球はぶんぶんうなって飛んでくる。選手はいずれも汗だらけになって走りまわる。それがおわるとフリーバッティングをやる、それも投球するものは先生である。先生の球はノックのごとくコントロールが悪い、右に左に頭上高く、あるいは足元にバウンドし、あるいは腰骨を打つ。
「先生! まっすぐな球をください」と千三がいう。
「ばかッ敵はいつもまっすぐに投(ほう)るかよ」
 それがおわると先生は千三に投球させて自分で五、六本を打つ。だが先生の造ったバットはこぶこぶだらけなので、打った球はみんなファウルになり、チップになる。で先生が満足に打つまで球を投(ほう)らなければ機嫌が悪い、ようやく直球を一本打つと先生はにっこりと子どもらしくわらう、そうしてこういう。
「おれの造ったバットはなかなかいいわい」
 練習がすむと先生は一同にいもを煮(に)てくれる、それが何よりの楽しみであった。だが先生は野球のために決して学課をおろそかにしなかった、もし生徒の中に学課をおこたる者があると先生は厳然として一同を叱(しか)りつける。
「野球をやめてしまえッ」
 このために生徒は一層(いっそう)学課にはげまざるを得なかった。
 日がだんだん迫(せま)ってきた、ある日安場がきた、コーチがすんで一同が去った後、先生はいかにも心配そうに安場にいった。
「今度中学校に勝てるだろうか」
「さあ」と安場は躊躇(ちゅうちょ)した。
「どうかして勝たしてもらいたい、わしが生徒に野球をゆるしたのは少し考えがあってのことだ、この町のものは官学を尊敬して私学を軽蔑(けいべつ)する、いいか、中学校や師範学校の生徒はいばるが、黙々塾(もくもくじゅく)の生徒は小さくなっている、なあ安場、きみもおぼえがあるだろう」
「そうです、ぼくもずいぶん中学校のやつらにばかにされました」
「そうだ、金があって時間があって学問するものは幸福だ、わしの塾(じゅく)の生徒はみんな不幸なやつばかりだ、同じ土地に生まれ同じ年ごろでありながら、ただ、金のために甲(こう)は意気揚々(ようよう)とし乙(おつ)は悄然(しょうぜん)とする、こんな不公平な話はないのだ、いいか安場、そこでだ、わしは生徒共の肩身を広くさしてやりたい、金ずくではかなわない、かれらの学校は洋風の堂々たるものだ、わしの塾(じゅく)は壁が落ち屋根がもり畳(たたみ)がぼろぼろだ、生徒は町を歩くにいつも小さくなってしょぼしょぼしている、だからせめて野球でもいいから一遍(いっぺん)勝たしてやりたい、実力のあるものは貧富にかかわらず優勝者になれるものだということを知らしめたい、師範生も中学生も黙々生(もくもくせい)も同等のものであると思わせたい、大手をふって町を歩く気にならせたい、だからどうしても今度は勝たねばならん、わしもこの年になって、なにをくるしんですっぱだかになって空(あ)き地(ち)でバットをふり生徒等を相手に遊んでいたかろう、生徒の自尊心を養成したいためだ、そうして一方において町の人々や官学崇拝者を見かえしてやりたいためだ、野球の勝敗は一小事だが、ここで負ければわしの生徒はますます自尊心を失い肩身を小さくする、実に一大事件だ、なあ安場、今度こそはだ、なあおい、しっかりやってくれ」
 先生の声は次第に涙をおびてきた。
「先生!」
 安場は燃ゆるような目を先生に向けていった。
「ぼくもそう思ってます、ぼくはかならず勝たしてごらんに入れます」
 安場は翌日規則正しい練習をした、一回二回三回一同は夜色が迫るまでつづけた。いよいよ明日(あす)になった土曜日の早朝から一同が集まった。
「今日(きょう)は休むよ」と安場はいった。
「明日(あす)が試合ですから、是非今日一日みっちりと練習してください」
 と一同がいった。
「いやいや」と安場は頭をふった。
「今日はゆっくり遊んで晩には早く寝ることにしよう、いいか、熟睡するんだぞ、ひとりでも夜ふかしをすると明日は負けるぞ」
 その日は一日遊んで安場は東京における野球界の話を聞かしてくれた、かれは一高と三高の試合の光景などをおもしろく語った。一同はすっかり興奮(こうふん)して目に涙をたたえ、まっかな顔をして聞いていた。
 その夜千三は明日(あす)の商売のしたくをおわってから窓から外を見やった、外は暗いが空はなごりなく晴れて星は豆をまいたように輝いていた、千三は明日(あす)の好天気を予想してしずかに眠った。
 目がさめると、もう朝日が一ぱいに窓からさしこんですずめの声が楽しそうに聞こえる。
「やあ寝過ごした」と千三はあわてて飛び起きた。
「もっと寝ててもいいよ」と伯父さんはにこにこして店から声をかけた、かれはもう豆腐(とうふ)をおけに移してわらじをはいている。
「伯父さん、ぼくが商売に出ますから伯父さんはやすんでください」
 と千三はいった。
「今日(きょう)は日曜だからおまえは休め、おまえは今日大事な戦争にゆかなきゃならないじゃないか」
「野球は午後ですから、朝だけぼくは売りにでます」
「いやかまわない、わしもおひるからは見物にゆくぞ、しっかりやってくれ」
「ありがとう伯父さん、それじゃ今日は休ましてもらいます」
「うむ、うまくやれよ、金持ちの学校に負けちゃ貧乏人の顔にかかわらあ[#「かかわらあ」は底本では「かからあ」]」
 伯父さんはこういってらっぱをぷうと鳴らしてでていった。千三は井戸端(いどばた)へでて胸一ぱいに新鮮な空気を呼吸した、それからかれはすっぱだかになって十杯のつるべ水を浴びて身をきよめた。
「どうぞ神様、ぼくの塾(じゅく)をまもってください」
 じっと目を閉(と)じて祈念するとふしぎにも勇気が次第に全身に充満する。朝飯をすまして塾へゆくと安場がすでにきていた。一分時(ぷんじ)の違いもなく全員がうちそろうた。そこで先生が先頭になって調神社(つきのみやじんじゃ)へ参詣する、それから例の空(あ)き地(ち)へでて猛烈な練習をはじめた。
 春もすでに三月のなかばである、木々のこずえにはわかやかな緑がふきだして、桜(さくら)のつぼみが輝きわたる青天に向かって薄紅(うすべに)の爪先(つまさき)をそろえている。向こうの並(な)み木(き)は朝日に照らされてその影をぞくぞくと畑道の上に映(うつ)していると、そこにはにわとりやすずめなどが嬉しそうに飛びまわる。
 昨夜(ゆうべ)熟睡したのと、昨日一日練習を休んだために一同の元気はすばらしいものであった、安場はすっかり感激した。
「このあんばいではかならず勝つぞ」
 一同は練習をおわって汗をふいた。
「集まれい」と先生は号令をかけた、一同は集まった。
「みんなはだかになれ」
 一同ははだかになった。
「へそをだせい、おい」
 一同はわらった、しかし先生はにこりともしなかった。一同はさるまたのひもをさげてへそをだした。先生は第一番の五大洲(だいしゅう)(投手)のへそのところを押してみた。
「おい、きみは下腹(したはら)に力がないぞ、胸のところをへこまして下腹をふくらますようにせい」
「はい」
 先生はつぎのクラモウのへそを押した。
「おい、大きなへそだなあ」
「ぼくはいま力を入れてつきだしてるのです」
「いかん、へそのところをつきだすのじゃない、へその下へ食べたものをみんなさげてやるんだ、いいか、胸がせかせかして負けまい負けまいとあせればあせるほど、下腹がへこんで、肩先に力がはいり、頭がのぼせるんだ、味方が負け色になったらみんなへそに気をおちつけろ、いいか、わすれるな、黙々塾(もくもくじゅく)は一名へそ学校だぞ、そう思え」
 先生はひとりひとりにへそを押してみた。
「あまり押すと先生、小便がもります」と二塁手のすずめがいった。そこで先生もわらった。
 その日の試合は製粉会社の裏の広場でやることになった、中学の運動場は修繕のために使用ができなかった、朝からの快晴でかつ日曜であるために見物人はどしどしでかけた、豆腐屋の覚平は早く商売をしまって肩にらっぱをかけたままでかけた、見ると正面に大きな網(あみ)をはり、白い線を大地に引いて、三ヵ所に大きなまくらのようなものをおいてある、二本の長い線の両側に見物人が陣どっているが、草の上に新聞紙を敷いて座ってるのもあり、またむしろやこしかけを持ち出したのもあった。覚平はかくまで野球が人気をひくとは思いもよらなかった。かれは野球とはどんなことをするものか知らなかった。かれは豆腐おけをになって町を歩くとき、おりおり子供等に球を頭にあてられたり背骨を打たれたりするのでむしろ野球に対して反感をいだいていた。
「すりこぎをふりまわすなんてつまらねえまねをするもんだ」
 こうかれはいつもいった、だがいまきてみると子供等ばかりでなく、労働者も商人も紳士(しんし)も役人も集まっている。
「大変なことになったものだ」
 かれは肝(きも)をつぶしてまごまごしていると後ろから声をかけたものがある。
「覚平さん」
 ふりかえるとそれは八百屋の善兵衛であった、善兵衛はなによりも野球が好きであった、野球が好きだというよりも、野球を見ながらちびりちびりと二合の酒を飲むのが好きなのである、かれもあまり野球の知識はないほうだが、それでも覚平よりはすべてを知っていた。
「やあおまえさんもきてるね」と覚平がいった。
「おらあハア三度のご飯を四度食べても野球は見たいほうで」と善兵衛がいった。
「おれにゃわからねえ」と覚平がいった。
「じゃおらあ教えてやるべえ」と善兵衛はいった。
「ところで一杯どうです」
「これはこれは」
 ふたりは一つのさかずきを献酬(けんしゅう)した。善兵衛はいろいろ野球の方法を話したが覚平にはやはりわからなかった。
「つまり球を打ってとれないところへ飛ばしてやればいいんです」
「なるほどね」
 ふたりが草に座ってかつ飲みかつ語ってるうちに見物人は刻々(こっこく)に加わった。中学の生徒は制服制帽整然とうちそろうて一塁側に並んだ。その背後には中学びいきの大人(おとな)連が陣取っている、その中に光一の伯父さん総兵衛(そうべえ)がその肥(ふと)った胸を拡げて汗をふきふきさかんに応援者を狩(か)り集めていた、かれは甥(おい)の光一を勝たせたいために商売を休んでやってきたのである。

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