ああ玉杯に花うけて
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著者名:佐藤紅緑 

 あとに残った柳は、屈辱と悲憤にむせんでいる阪井の頭や背中のどろやつばをふいてやった。
「さあいこう」
 阪井はだまっている。
「どこかいたいか、えっ? 歩けないか」
 阪井はやはりだまっている。
「さあいこう、ねえ、みっともないじゃないか、車でも呼ぼうか」
 手を取ってたすけ起こそうとする柳の手をぐっとにぎって阪井は目をかっとあいた。
「柳、ゆるしてくれ」
「なにをいうんだ、過去のことはおたがいにわすれよう」
「おれはおまえに悪いことばかりした、それだのにおまえは二度ともおれを救うてくれた」
「そんなことはどうでもいいよ、さあいこう」
 柳は阪井を強(し)いて立たした、ふたりはだまって裏通りへでた。
「おれはなあ柳」
 阪井は感慨に堪(た)えぬもののごとくいった。
「おれは今日(きょう)から生まれかわるんだぞ」
「どうしてだ」
「おれが今までよいと思っていたことはすべて悪いことなんだ、それがわかったよ」
「それはどういうことだ」
「どういうことっておまえ、すべてだよ、すべてだ、なにもかもおれは悪いことをして悪いと思わなかったのだ、親父(おやじ)はおれになんでも学校で一番強い人間になれというだろう、だからおれは喧嘩をした、活動を見ると人を斬(き)ったり賭博(ばくち)をしたりするのが侠客だという人だ、だからおれはそれをまねて見たんだ、だがそれは間違ってるね、悪いことをして人よりえらくなろうというのは泥棒して金持ちになろうとするのと同じものだね、そう思わないか」
「そうだとも」
「だからさ……」
 阪井はこういったとき、傷(きず)がいたむので眉をひそめた。
「君の家まで送ってゆこう」と柳はいった。
「かまわない、もう少し歩こう」
 阪井はふたたびなにかいいつづけようとしたが急に口をつぐんで悲しそうな顔をした。
「車に乗れよ」
「何でもないよ……ねえ柳、ぼくはおまえにききたいことがあるんだが」
「なんだ」
「一年のとき、重盛(しげもり)の諫言(かんげん)を読んだね」
「ああ、忠孝両道のところだろう」
「うん、君に忠ならんとすれば親に孝ならず、重盛(しげもり)はかわいそうだね」
「ああ」
「清盛(きよもり)は悪いやつだね」
「ああ」
「重盛(しげもり)がいくらいさめても清盛(きよもり)が改心しなかったのだね」
「ああ」
「それで重盛はどうしたろう」
「熊野(くまの)の神様に死を祈(いの)ったじゃないか」
「そうだ、死を祈った、なぜ死のうとしたんだろう」
「忠孝両道をまっとうできないからさ」
「困ったから死のうというんだね」
「ああ」
「ではおまえ」
 阪井の語気はあらかった。
「困るときに死んでしまえばいいのかえ」
「それが問題だよ」
「なにが?」
「自分だけ楽をすればあとはどうなってもかまわないというのは卑怯(ひきょう)だからね」
「じゃ重盛(しげもり)は卑怯(ひきょう)かえ」
「理論からいうと、そうなるよ、しかし重盛だってよくよく考えたろうと思うよ」
「そうかね」
 阪井は長大息をした。かれはだまって歩きつづけた。そうしてやがてしずかにいった。
「清盛が改心するまで重盛が生きていなければならなかったね」
「さあぼくにはわからないが」
「ぼくにはわかってるよ、わかってるとも、そうでなかったら無責任だ」
 柳は阪井を家まで送ってわが家へ帰ってくると途中で手塚に逢った。
「やあ、いま、きみのところへいこうと思ってきたんだよ」
「そうか」
 柳は手塚の行為について少なからぬ悪感をもっていたのできわめて冷淡に答えた。
「生蕃はどうした」
「帰ったよ」
「きゃつ、ぼくのことをおこっていたろう」
「どうだか知らんよ、だがおこっているだろうさ、いままできみと阪井とは一番親しかったんだろう、それをきみがみんなと一緒になってつばをはきかけたんだからね」
「だってあいつは悪徒だからさ」
「きみほど悪徒ではないよ」
 柳は思わずこういった。手塚はさっと顔をあからめたがそれは憤慨のためではなかった。かれは柳に肚(はら)の中を見みすかされたのがはずかしかったのである。だがこのくらいの侮辱はかれに取っては耳なれている。かれはぬすむように柳の顔を見やって、
「きみ、活動へゆかないか」
「いやだ」
「クララ・キンポールヤングすてきだぜ」
「それはなんだ、西洋のこじきか」
「ははははきみはクラちゃんを知らないのかえ」
「知らないよ」
「話せねえな、一遍(ぺん)見たまえ、ぼくがおごるから」
「活動というものはね、きみのようなやつが見て喜ぶものだよ」
 さすがに手塚は目をぱちくりさせて言葉がでなかった。だがこのくらいのことにひるむような手塚ではない。かれはこびるような目をむけていった。
「きみ、ぼくのカナリアが子をかえしたからあげようね」
「いらないよ」
「じゃね、きみは犬を好きだろう、ぼくのポインターをあげようね」
「ぼくの家にもポインターがいるよ」
「そうだね」
 手塚はひどく当惑(とうわく)してだまったが、もうこらえきれずにいった。
「きみは生蕃が好きになったのか」
「もとから好きだよ」
「だってあいつはきみを負傷させたじゃないか」
「喧嘩はおたがいだ、生蕃は男らしいところがあるよ」
「じゃ失敬」
「失敬」二人は冷然とわかれた。
 光一に送られた巌(いわお)は家へはいるやいなやわが室(へや)へころがりこんだ。いままでこらえこらえた腹だたしさと悲しさと全身のいたみが、急にひしひしとせまってくる。かれは畳(たたみ)にころりと倒れたまま天井(てんじょう)を見つめて深い考えにしずんだ。
 かれの頭の中には停車場前において学友に打たれなぐられつばをはきかけられた光景が浮かんだ。げたで踏(ふ)まれたひたいのこぶがしくしく痛みだす。がかれはそれよりも痛いのは胸の底を刺(さ)されるような大なる傷であった。
 父の不正! 校長の転任! 学友の反感! 数えきたればすべての非はわれにある。
「巌、どこへいってたの?」
 母は心配そうにかれの室(へや)をのぞいた。巌は答えなかった。
「おなかがすいたろう。ご飯を食べない?」
「ほしくありません」
「火傷(やけど)がなおらないうちに外へ出歩いてはいけないよ、おや、ひたいをどうしたんです」
「なんでもありません」
「また喧嘩かえ」
「あちらへいっててください」と巌はかみつくようにいった。
「なにをそんなにおこってるんです」
 母はきっと目をすえた。その目には不安の色が浮かび、口元には慈愛(じあい)が満ちている。
「なんでもいいです」
「なにか気にさわることがあるならおいいなさい」
「あちらへいってくださいというに」
 母はしおしおとでていった。巌は起きあがって母の後ろ姿を見やった。なんともいいようのない悲しみが一ぱいになる。お母(かあ)さんにはあんな乱暴な言葉を使うんじゃなかったという後悔がむらむらとでてくる。
「どうしようか」
 実際かれは進退にまようた。いままで神のごとく尊敬していた父は悪人なのだ。この失望はかれの単純な自尊心を谷底へ突き落としてしまった。かれにはまったく光がなくなった。
 死んでしまおうか。
 いや! 平重盛(たいらのしげもり)はばかだ。
 二つの心持ちが惑乱して脳の底が重たくだるくなった。かれはじっと机の上を見た。そこに友達から借りた漢文の本がひらいたまま載(の)っている。
「周処三害(しゅうしょさんがい)」
 支那に周処という不良少年があった。喧嘩はする。強奪はする。村の者をいじめる、田畑をあらす、どうもこうもしようのない悪者であった。あるときかれの母が大変ふさぎこんでいるのを見てかれはこうきいた。
「お母さんなにかご心配があるのですか」
「ああ、私はもう心配で死にそうだ」と母がいった。
「なにがそんなにご心配なのですか」
「この村に三害といって三つの害物がある。そのために私も村の人も毎日毎日心配している」
「三害とは何ですか」
「南山(なんざん)に白額(はくがく)のとらが出(い)でて村の人をくらう、長橋(ちょうきょう)の下に赤竜(せきりゅう)がでて村の人をくらう、いま一つは……」
 こういって母は周処の顔を見やった。
「いま一つはなんですか」
「おまえだ、おまえがわるいことをして村の害をなす、とらとりゅうとおまえがこの村の三害だ」
 この話を聞いた周処は俄然(がぜん)としてさとった。
「お母さん、ご安心なさい、ぼくは三害をのぞきましょう」
 周処は南山へ行って白虎を殺し、長橋へいって赤竜を殺し、自分は品行を正しくして村のために善事をつくした。ここにおいてこの村は太平和楽になった。
 巌は読むともなしにそれを読んだ。突然(とつぜん)かれの頭に透明な光がさしこんだ。かれは呼吸(いき)もつかずにもう一度読んだ。
「三害を除こう、おれは男だ」かれはこう叫んだ。
「おれに悪いところがあるならおれが改めればいい、お父様(とうさま)に悪いところがあるならおれがいさめて改めさせればいい、ふたりが善人になればこの町はよくなるのだ、南山にとらをうちにゆく必要もなければ長橋にりゅうをほふりにゆく必要もない、第一の害はおれだ、おれを改めて父を改める、それでいいのだ」
 かれは立って室(へや)を一周した、得(え)もいえぬ勇気は全身にみなぎって歓喜の声をあげて高く叫びたくなった。
 かれは窓を開いて外を見やった、すずしい風が庭の若葉をふいてすだれがさらさらと動いた、木々の緑はめざめるようにあざやかである。
「豆腐(とうふ)イ……」
 らっぱの音と交代にチビ公の声が聞こえる。
「チビ公だ」かれは伸びあがってへいの外を見やった。
「とうふい――」
 暑い日光をものともせず、大きなおけをにのうてゆくチビ公のすげ笠がわずかに見える。
「おれはあいつにあやまらなきゃならない」巌は脱兎(だっと)のごとくはだしのままで外へでた。そうして突然チビ公の前に立ちふさがった。
「青木! おい、堪忍(かんにん)してくれ、なあおいおれは悪かった、おれは今日から三害を除(のぞ)くんだ」

         七

 お宮のいちょうが黄色になればあぜにはすすき、水引き、たでの花、露草(つゆくさ)などが薄日(うすび)をたよりにさきみだれて、その下をゆくちょろちょろ水の音に秋が深くなりゆく。
 役場の火事については町の人はなにもいわなくなった、阪井猛太は助役をやめてせがれの巌と共に川越(かわごえ)の方へうつった、中学校には新しい校長がきた。浦和の町は太平である。
 チビ公はやはり一日も休まずに豆腐を売りまわった、それでも一家のまずしさは以前とかわりがなかった、かれは毎日らっぱをふいて町々を歩いているうちにいくどとなく昔の小学校友達にあうのである、中には光一のようにやさしい言葉をかけてくれるものもあるが、多くは顔をそむけて通るのである。チビ公としても先方の体面をはばかってそしらぬ顔をせねばならぬこともあった、とくにかれの心を悲しませるものは小学校時代にいつも先生にしかられていた不成績の子が、りっぱな中学生の服装で雑嚢(ざつのう)を肩にかけ徽章(きしょう)のついた帽子を輝かして行くのを見たときである。
「金持ちの家に生まれれば出来ない子でも大学までいける、貧乏人の子は学校へもいけない、かれらが学士になり博士になるときにもおれはやはり豆腐屋でいるだろう」
 こう思うとなさけないような気が胸一ぱいになる。
「学校へいきたいな」
 かれの帰り道は県庁の横手の小川の堤である、かれは堤の露草をふみふみぐったりと顔をたれて同じことをくりかえしくりかえし考えるのであった。
 ときとしてかれは師範学校の裏手を通る、寄宿舎には灯影(ほかげ)が並んでおりおりわかやかな唱歌の声が聞こえる。
「官費でいいから学校へゆきたい」
 こうも考える、だがかれはすぐそれをうちけす。かれの目の前に伯父覚平の老顔がありありと見えるのである。
「おれが働かなきゃ、みなが食べていけない」
 そこでかれは夕闇に残る西雲の微明に向かってらっぱをふく。らっぱの音は遠くの森にひびき、近くのわらやねに反響してわが胸に悲しい思いをうちかえす。
 ある日伯父の覚平は突然かれにこういった。
「千三、おまえ学校へゆきたいだろうな」
「いいえ」とチビ公は答えた。
「おれだっておめえを豆腐屋にしたくないんだ、なあ千三、そのうちになんとかするから辛抱(しんぼう)してくれ、そのかわりに夜学へいったらどうか、昼のつかれで眠たかろうが、一心にやればやれないこともなかろう」
「夜学にいってもいいんですか」
 千三の目は喜びに輝いた。
「夜学だけならかまわないよ、お宮の近くに夜学の先生があるだろう」
「黙々(もくもく)先生ですか」
「うむ、かわり者だがなかなかえらい人だって評判だよ」
「こわいな」と千三は思わずいった。黙々先生といえば本名の篠原浩蔵(しのはらこうぞう)をいわなくとも浦和の人はだれでも知っている。先生はいま五十五、六歳、まだ老人という歳でもないが、頭とひげは雪のように白くそれと共に左の眉に二寸ばかり長い毛が一本つきでている、おこるときにはこの長い毛が上に動き、わらうときには下にたれる、町の人はこの毛をもって先生の機嫌のバロメーターにしている。
 先生の履歴について町の人はくわしく知らなかった、ある人はかつて文部省の参事官であったといい、ある人は地方の長官であったといい、ある人はまた馬賊の頭目であったともいう、真偽はわからぬがかれは熊谷(くまがや)の豪族の子孫であることだけはあきらかであり、また帝国大学初期の卒業者であることもあきらかである、なんのために官職を辞して浦和に帰臥(きが)したのか、それらの点についてはかれは一度も人に語ったことはない。
 かれが浦和に帰ったのは十年前である、そのときは独身であったが人のすすめによって後妻を迎えた、だがかれは朝から晩まで家にあるときには読書ばかりしている、妻がなにをいっても「うんうん」とうなずくばかりでなにもいわない。で妻はかれに詰問(きつもん)した。
「あなたなにかいってください」
「うん」
「うんだけではいけません」
「うん」
「あなたはなにもおっしゃることがないんですか」
「うん」
「なにか用事があるでしょう」
「うん」
「ご飯はどうなさるの?」
「うん」
「めしあがらないんですか」
「うん」
 妻はあきれて三日目に離縁した。かれはその小さな軒に英漢数教授という看板をだした。妻にものをいわない人だから生徒に対しても、ものをいわないだろうと人々はあやぶんだが、一旦講義にとりかかるとまったくそれと反対であった。
 最初の一、二年は生徒が少なかったが、年を経るにしたがって次第に増加した。かれには月謝の制定がない、五円もあれば五十銭もある、米や豆やいもなどを持ってくるものもある、独身の先生だからだというので魚を贈る人がいたって少ない、そこで先生はおりおり一竿(かん)を肩にして河へつりにゆく、一尾のふなもつれないときには町で魚を買ってそのあぎとをはりにつらぬき揚々(ようよう)として肩に荷うて帰る、ときにはあじ、ときにはいわし、時にはたこ、ときには塩ざけの切り身!
「先生! つれましたか?」と人が問えば先生は軽く答える。
「うん」
「はりにひっかかってるのはかまぼこじゃありませんか」
「かまぼこは魚なり」
 千三は子どものときからなんとなく黙々(もくもく)先生がこわかった。しかしかれとして学問をするにはこの私塾(しじゅく)より他にはない。
 翌日千三は夕飯をすまして黙々先生をたずねた、そこにはもう五、六の学生がいた、それは中学の二年生もあれば五年生もあり、またひげの生(は)えた人もあり、百姓もあれば商家のでっちもある。千三がはいったときちょうど小学校の教師がむずかしい漢文を読んでいた。
「いかんいかん」と先生はどなった。「もっと声を大きくして漢文は朗々(ろうろう)として吟(ぎん)ずべきものだ、語尾をはっきりせんのは心が臆(おく)しているからだ、聖賢の書を読むになんのやましいところがある、この家がこわれるような声で読め」
 教師はまっかな顔をして大きな声で読んだ、先生はだまって聞いていた。
「よしっ、きみは子弟を教育するんだ、とかくに今日の学校は朗読法をないがしろにするきらいがある、大切なことだぜ」
 先生はひょろ長いやせた首を伸ばして末座にちぢまっている千三を見おろした。
「きみ、ここへきたまえ」
「はあ」
「きみの名は?」
「青木千三です」
「うむ、なにをやるか」
「英漢数です」
「よしッ、これを読んでみい」
 先生は一冊の本を千三の前へ投げだした。それは黒茶色の表紙の着いた日本とじであった。標箋(ひょうせん)に大学と書いてある。
「これをですか」
 千三は中学校一、二年生の国語漢文読本をおそわるつもりであった、いま大学という書を見て急におどろいた。大学という本の名を知ったのもはじめてである。
「うむ」
「どこを読むのですか」
「どこでもいい」
 千三は中をひらいた。むずかしい漢字が並んだばかりでどう読んでいいのかわからない。
「読めません」とかれはいった。
「読める字だけ読め」
「湯(ゆ)……曰(いわく)……日(ひ)……新(しん)……日(ひ)……日(ひ)……新(しん)又(また)日(ひ)新(しん)」
 千三は読める字だけを読んだ、汗がひたいににじんで胸が波のごとくおどる。
「よし、よく読んだ」と先生は微笑して、「その意味はなんだ」
「わかりません」
「考えてみい」
 千三は考えこんだ。
「これは毎日毎日お湯へはいって新しくなれというのでしょう」
「えらい!」
 先生は思わず叫んだ、そうして千三の顔をじっと見つめながら読みくだした。
「湯(とう)の盤(ばん)の銘(めい)に曰(いわ)く、まことに日に新たにせば日々に新たにし又日に新たにせん……こう読むのだ」
「はあ」
「湯はお湯(ゆ)でない、王様の名だ、盤(ばん)はたらいだ、たらいに格言をほりつけたのだ、人間は毎日顔を洗い口をすすいでわが身を新たにするごとく、その心をも毎日毎日洗いきよめて新たな気持ちにならなければならん、とこういうのだ、だがきみの解釈は字句において間違いがあるが大体の意義において間違いはない、書を読むに文字を読むものがある、そんなやつは帳面づけや詩人などになるがいい。また文字に拘泥(こうでい)せずにその大意をにぎる人がある、それが本当の活眼をもって活書を読むものだ、よいか、文字を知らないのは決して恥でない、意味を知らないのが恥辱だぞ」
 こういって先生はつぎの少年に向かった。
「日本の歴史中に悪い人物はたれか」
 いろいろな声が一度にでた。
「弓削道鏡(ゆげのどうきょう)です」
「蘇我入鹿(そがのいるか)です」
「足利尊氏(あしかがたかうじ)です」
「源頼朝(みなもとのよりとも)です」
「頼朝はどうして悪いか」と先生が口をいれた。
「武力をもって皇室の大権をおかしました」
「うん、それから」
 武田信玄(たけだしんげん)というものがある。
「信玄はどうして」
「親を幽閉(ゆうへい)して国をうばいました」
「うん」
「徳川家康(とくがわいえやす)!」
「どうして?」
「皇室に無礼を働きました」
「うん、それで、きみらはなにをもって悪い人物、よい人物を区別するか」
「君には不忠、親に不孝なるものは、他にどんなよいことをしても悪い人物です、忠孝の士は他に欠点があってもよい人物です」
「よしッ、それでよい」
 先生は、いかにも快然(かいぜん)といった、先生の教えるところはつねにこういう風なのであった、先生はどんな事件に対してもかならずはっきりした判断をさせるのであった、たとえそれが間違いであっても、それを臆面(おくめん)なく告白すれば先生が喜ぶ。
 千三はその日から毎夜先生のもとへ通うた、先生はまた地理と歴史の関係をもっとも精密に教えてくれた、それは普通の中学校ではきわめてゆるがせにしていることであった、中学校では地理の先生と歴史の先生とべつな人であるのが多い、そのために密接な二つの関係が分離されてしまうが、黙々(もくもく)先生は歴史の進行とともに地理を展開させた、神武(じんむ)以来大和(やまと)は発祥(はっしょう)の地になっている、そこで先生は大和の地理を教える、同時に大和に活躍した人物の伝記や逸話等を教える。学生の頭にはその人とその地とその時代が深くきざまれる。先生は代数(だいすう)や幾何(きか)を教えるにもすべてその方法で、決してまわりくどい術語を用いたり、強いて頭を混惑させるような問題を提供したりしなかった。その英語のごときもいちいち漢文の文法と対照した、そのために生徒は英漢の文法を一度に知ることができた。
 先生はいかなる場合にも虚偽と臆病をきらった。臆病は虚偽の基である、かれは講義をなしつつあるあいだに突然こういうときがある。
「眠い人があるか」
「あります」と千三が手をあげた。
「庭に出て水をあびてこい」
 先生は千三の正直が気にいった。
 冬がきた、正月も間近になる、せめて母に新しく綿(わた)のはいったもの一枚でも着せてやりたい、こういう考えから千三は一生懸命に働いた、しかも通学は一晩も休まなかった、かれは先生の家をでるとすぐぐらぐら眠りながら家へ帰る夜が多かった。
 と、災厄(さいやく)はつぎからつぎへと起こる、ある夜かれが家へ帰ると母が麻糸(あさいと)つなぎをやっていた、いくらにもならないのだが、彼女はいくらかでも働かねば正月を迎えることができないのであった。
「ただいま」
 千三は勢いよく声をかけた。
「お帰り、寒かったろう」と母は火鉢の火をかきたてた、灰(はい)の中にはわずかにほたるのような光が見えた、外はひゅうひゅう風がうなっている。
「寒いなあ」と千三(せんぞう)は思わずいった。
「お待ちよ。いま消し炭を持ってくるから」
 母は麻糸をかたよせてたとうとした。
「おや」
 母は立てなかった。
「おや」
 母はふたたびいって立とうとしたが顔がさっと青くなって後ろに倒れた。
「お母(かあ)さん」
 千三はだき起こそうとした。母の目は上の方へつった。
「お母さん」
 声におどろいて伯父夫婦が起きてきた。千三は早速手塚医師のもとへかけつけた。元来かれは手塚のもとへいくのを好まなかった、しかし火急の場合、他へ走ることもできなかった。
 粉雪まじりの師走(しわす)の風が電線にうなっていた、町はもう寝しずまって、風呂屋から流れてくる下水の湯気がどぶ板のすきまから、もやもやといてついた地面をはっていた。
「今晩は……今晩は……」
 千三は手塚の門をたたいた。
 音がない。
「今晩は!」
 かれは声をかぎりに呼(よ)び力をかぎりにたたいた。奥にはまだ人の声がする。
「どうしたんだろう」
 千三は手塚なる医者が金持ちには幇間(ほうかん)のごとくちやほやするが、貧乏人にはきわめて冷淡だという人のうわさを思いだした、それと同時にこの深夜に来診を請うと、ずいぶん少なからぬお礼をださねばなるまいが、それもできずにむやみと門をたたくのはいかにも厚かましいことだと考えたりした。
 やっとのことで書生の声がした。
「どなた?」
「豆腐屋の青木ですが、母が急病ですからどうかちょっとおいでを願いたいんです」
「はああ――」とみょうに気のぬけた返事が聞こえた。「豆腐屋の……青木?」
「はい」
「先生は風邪気(かぜけ)でおやすみですから……どうですかうかがってみましょう」
「どうぞお願いします、急病ですから」
 千三は暗い門前でしずかに耳をそばだてた、奥で碁石(ごいし)をくずす音がちゃらちゃらと聞こえる。
「なんだ、碁を打ってるのにおやすみだなんて」
 こう千三は思った。とふたたび小さな窓が開いた。
「ただいま伺(うかが)います」
「ありがとうございます」と千三は思わず大きな声でいった。
「どうぞ、よろしく、ありがとうございます」
 千三は一足先に家へ帰った、母はまだ正体(しょうたい)がない。
「冷えたんだから足をあたためるがいい」
 こう伯父がいった。伯母はただうろうろして仏壇に灯(ひ)をともしたりしている、千三はすぐ火をおこしかけた。そこへ車の音がした。
「どうもごくろうさまで……どうぞ」
 くぐりの戸をはいってきたのは手塚医師でなくて代診(だいしん)の森という男である。この森というのは、ずいぶん古くから手塚の薬局にいるが、代診として患者を往診した事はきわめてまれである、千三はいつも森が白い薬局服を着て往来でキャッチボールをやってるのを見ているのではなはだおぼつかなく思った。
「先生が風邪気(かぜけ)なんで……」
 森はこういってずんずん奥へあがりこんだ、かれはその外套と帽子を車夫にわたした、それから眼鏡をちょっと鼻の上へせりあげて病人を見やった。
「どんなに悪いんですか、ああん?」
 かれはお美代の腕(うで)をとって脈をしらべた。それから発病の模様を聞きながら聴診器を胸にあてたり、眼瞼(まぶた)をひっくりかえしてみたりした、その態度はいかにもおちつきはらっている。これがおりおり玄関で手塚と腕押しをしたりしゃちほこ立ちをしたり、近所の子どもをからかったりする人とは思えない。門口で車夫がしきりにせきばらいをしている、それは「寒くてたまらないからいい加減にして帰ってくれ」というかのごとく見えた。
「はあん……これは脳貧血(のうひんけつ)ですな、ああん、たいしたことはありません、頭寒足熱ですかな、足をあたためて頭をひやして安眠させるといいです、ああん、薬は散薬と水薬……ああん、すぐでよろしい」
 かれはこういって先生から借りて来た鞄(かばん)を取り上げて室(へや)を出た。
「おい、幸吉!」
 幸吉とは車夫の名である、かれはいつも朝と晩に尻はしょりをして幸吉とふたりで門前に水をまいているのである。書生と車夫は同じくこれ奉公人仲間、いわば同階級である。それがいま傲然(ごうぜん)と呼び捨てにされたので幸吉たるもの胸中いささかおだやかでない、かれはだまって答えなかった。
「おい幸吉! なにをしとるかッ、ああん」
「早くゆきましょうよ森さん」と幸吉は業腹(ごうはら)まぎれにいった。
「こらッ外套と帽子をおくれ、ああん」
 森は外へ出た、車の走る音が聞こえた、寒さは寒し不平は不平なり、おそらく幸吉、車もくつがえれとばかり走ったことであろう。
 車におくれじと千三も走った、かれが医者の玄関に着いたとき、奥(おく)ではやはり囲碁(いご)の音が聞こえていた。
 母の病状はそれ以上に進まなかった。が、さりとて床(とこ)をでることはできなかった。
「明日(あす)になったら起きられるだろう」
 こう母はいった、だが翌日も起きられなかった。病弱な彼女が寒さをおかして毎日毎夜内職を働いたその疲れがつもりつもって脳(のう)におよんだのである。千三は豆腐をかついで町まわりの帰りしなに手塚の家へよって薬をもらうのであった、最初薬は二日分ずつであったが、母のお美代はそれをこばんだ。
「じきになおるから、一日分ずつでいい、二日分もらっても無駄になるから」
 これはいかにも道理ある言葉であった、どういうわけか医者は二日分ずつの薬をくれる、それも一つはかならず胃(い)の薬である、金持ちの家は薬代にも困らぬが、まずしき家では一日分の薬価は一日分の米代に相当する。お美代は毎日薬を飲むたびにもったいないといった。
 ある日千三は帰って母にこういった。
「お母(かあ)さん、手塚の家の天井(てんじょう)は格子(こうし)になって一つ一つに絵を貼(は)ってあります、絹にかいたきれいな絵!」
「あれを見たかえ」と母は病いにおとろえた目を向けてさびしくいった。「あれは応接室だったんです、お父(とう)さんが支那風が好きだったから」
「そう?」
「あの隣の室(へや)のもう一つ隣の室(へや)は茶室風でおまえがそこで生まれたのです、萩(はぎ)の天井です、床(とこ)の間(ま)には……」
 母の声はハタとやんだ、彼女は目をうっとりさせて昔その夫(おっと)が世にありしときの全盛な生活を回想したのであった。
「あのときには女中が五人、書生が三人……」
 睫毛(まつげ)を伝うて玉の露がほろりとこぼれる。
「お母さん! つまらないことをいうのはよしてください、ぼくはいまにあれ以上の家を建ててあげます」
「そうそう、そうだね」
 母はさびしくわらった、千三はたまらなく苦しくなった、いままで胸の底におさえつけておいた憂欝(ゆううつ)がむらむらと雲のごとくわいた。かれは薬をもらいに医者の家へゆく、支那風の天井の下に小さく座っていると例の憂欝がひしひしとせまってくる。
「ああここがおれの生まれたところなんだ、おれが生まれたときに手塚の親父がぺこぺこ頭をさげて見舞いにきたんだ、それがいまそいつに占領されてあべこべにおれの方が頭をさげて薬をもらいにきてる」
 ある日かれはこんなことを考えながら門をはいろうとするとそこで代診(だいしん)森君が手塚とキャッチボールをしていた。
「そらこんどはドロップだぞ」
 手塚は得意になって球をにぎりかえてモーションをつけた。
「よしきた」
 森君はへっぴり腰になって片足を浮かしてかまえた、もし足にあたりそうな球がきたら片足をあげて逃がそうという腹なのである。
「さあこい」
「よしッ」
 球は大地をたたいて横の塀(へい)を打ちさらにおどりあがって千三の豆腐おけを打ち、ころころとどぶの方へころがった。
「おい豆腐屋! 早く球をとれよ」手塚がさけんだ。
「はッ」
 千三はおけをかついだまま球をおっかけた、おけの水はだぶだぶと波をおどらして蓋(ふた)も包丁も大地に落ちた。
「やあやあ勇敢勇敢」と森君は喝采した、千三は球が石のどぶ端を伝って泥の中へ落ちこもうとするやつをやっとおさえようとした、てんびん棒が土塀にがたんとつきあたったと思うとかれははねかえされて豆腐おけもろとも尻餅(しりもち)をついた。豆腐は魚の如くはねて地上に散った。
「ばかだね、おけを置いて走ればいいんだ、ばかッ」
 手塚はこういって自分でどぶどろの中から球をつまみあげ、いきなり千三のおけの中で球を洗った。
「それは困ります」と千三は訴(うった)えるようにいった。
「豆腐代を払ったら文句がないだろう」
 手塚はわらって奥(おく)へひっこんだ。
「待てッ」と千三は呼(よ)びとめようとしたがじっと下くちびるをかんだ。
「いま手塚と喧嘩をすれば母の薬をもらうことができなくなる」
 かれの目から熱い涙がわきでた。人間の貴重な食料品! そのおけの中にどぶどろにまみれた球をつっこんで洗うなんてあまりの乱暴である。だが貧乏の悲しさ、かれと争うことはできない。
 どれだけないたかしれない。かれはもうらっぱをふく力もなくなった。
「おれはだめだ」
 かれはこう考えた、どんなに勉強してもやはり金持ちにはかなわない。
「おれと伯父さんは夜の目も寝ずに豆腐を作る、だがそれを食うものは金持ちだ、作ったおれ達の口にはいるのはそのあまりかすのおからだけだ、学問はやめよう」
 かれはがっかりして家へ帰った、かれは黙々(もくもく)先生の夜学を休んで早く寝床(ねどこ)にはいった。翌朝起きて町へでた。もうかれの考えは全然いままでとかわってしまった。かれは町々のりっぱな商店、会社、銀行それらを見るとそれがすべてのろわしきものとなった。
「あいつらは悪いことをして金をためていばってるんだ、あいつらはおれ達の血と汗をしぼり取る鬼共だ」
 その夜も夜学を休んだ、その翌日も……。
「おれがチビだからみんながおれをばかにしてるんだ、おれが貧乏だからみんながおれをばかにしてるんだ」
 かれの母はかれが夜学へもいかなくなったのを見て心配そうにたずねた。
「千三、おまえ今夜も休むの?」
「ああ」
「どうしてだ」
「ゆきたくないからゆきません」
 かれの声はつっけんどんであった、母は悲しそうな目でかれを見やったなりなにもいわなかった、千三は夜具の中に首をつっこんでから心の中で母にあやまった。
「お母(かあ)さん堪忍(かんにん)してください、ぼくは自分で自分をどうすることもできないのです」
 このすさんだ心持ちが五日も六日もつづいた、とある日かれは夕日に向かってらっぱをふきもてゆくと突然かれの背後(うしろ)からよびとめるものがある。
「おい青木!」
 夕方の町は人通りがひんぱんである、あまりに大きな声なので往来の人は立ちどまった。
「おい、青木!」
 千三がふりかえるとそれは黙々(もくもく)先生であった、先生は肩につりざおを荷ない、片手に炭だわらをかかえている、たわらの底からいものしっぽがこぼれそうにぶらぶらしている。
「おい、君のおけの上にこれを載(の)せてくれ」
 千三はだまって一礼した。先生は炭だわらをおけの上に載せ、そのまま自分の肩を入れて歩きだした。
「先生! ぼくがかついでお宅(たく)まで持ってゆきます」
 と千三がいった。
「いやかまわん、おれについてこい」
 ひょろ長い先生のおけをかついだ影法師が夕日にかっきりと地上に映(うつ)った。
「きみは病気か」
「いいえ」
「どうしてこない?」
「なんだかいやになりました」
「そうか」
 先生はそれについてなにもいわなかった。
 黙々(もくもく)先生がいもだわらを載せた豆腐をにない、そのそばに豆腐屋のチビ公がついてゆくのを見て町の人々はみんな笑いだした。ふたりは黙々塾(もくもくじゅく)へ着いた。
「はいれ」と先生はてんびんをおろしてからいった。
「はい」
 もう日が暮れかけて家の中は薄暗かった、千三はわらじをぬいで縁端(えんばた)に座った。先生はだまって七輪(しちりん)を取りだし、それに粉炭をくべてなべをかけ、七、八本のいもをそのままほうりこんだ。
「洗ってまいりましょうか」
「洗わんほうがうまいぞ」
 こういってから先生はふたたび立って書棚を探したがやがて二、三枚の紙つづりを千三の前においた。
「おい、これを見い、わしはきみに見せようと思って書いておいたのだ」
「なんですか」
「きみの先祖からの由緒書(ゆいしょが)きだ」
「はあ」
 千三は由緒書きなるものはなんであるかを知らなかった、でかれはそれをひらいた。
「村上天皇(むらかみてんのう)の皇子(おうじ)中務卿(なかつかさきょう)具平親王(ともひらしんのう)」
 千三は最初の一段高く記した一行を読んでびっくりした。
「先生なんですか、これは」
「あとを読め」
「右大臣師房卿(もろふさきょう)――後一条天皇(ごいちじょうてんのう)のときはじめて源朝臣(みなもとあそん)の姓(せい)を賜(たま)わる」
「へんなものですね」
 先生は七輪の火をふいたので火の粉がぱちぱちと散った。
「――雅家(まさいえ)、北畠(きたばたけ)と号す――北畠親房(きたばたけちかふさ)その子顕家(あきいえ)、顕信(あきのぶ)、顕能(あきよし)の三子と共に南朝(なんちょう)無二の忠臣(ちゅうしん)、楠公(なんこう)父子と比肩(ひけん)すべきもの、神皇正統記(じんのうしょうとうき)を著(あら)わして皇国(こうこく)の正統をあきらかにす」
「北畠親房(きたばたけちかふさ)を知ってるか」
「よくは知りません、歴史で少しばかり」
「日本第一の忠臣を知らんか、そのあとを読め」
「親房(ちかふさ)の第二子顕信(あきのぶ)の子守親(もりちか)、陸奥守(むつのかみ)に任ぜらる……その孫武蔵(むさし)に住み相模(さがみ)扇ヶ谷(おうぎがやつ)に転ず、上杉家(うえすぎけ)に仕(つか)う、上杉家(うえすぎけ)滅(ほろ)ぶるにおよび姓(せい)を扇(おうぎ)に改め後青木(あおき)に改む、……青木竜平(あおきりゅうへい)――長男千三(せんぞう)……チビ公と称す、懦弱(だじゃく)取るに足らず……」
 なべのいもは湯気を立ててふたはおどりあがった。先生はじっと千三の顔を見つめた。
「どうだ」
「先生!」
「きみの父祖は南朝(なんちょう)の忠臣だ、きみの血の中に祖先の血が活きてるはずだ、きみの精神のうちに祖先の魂(たましい)が残ってるはずだ、君は選ばれたる国民だ、大切な身体(からだ)だ、日本になくてはならない身体だ、そうは思わんか」
「先生!」
「なにもいうことはない、祖先の名をはずかしめないように奮発(ふんぱつ)するか」
「先生」
「それとも生涯(しょうがい)豆腐屋でくちはてるか」
「先生! 私は……」
「なにもいうな、さあいもを食ってから返事をしろ」
 先生はいものなべをおろした、庭はすでに暮れて落ち葉がさらさらと鳴る、七輪の火が風に吹かれてぱっと燃えあがると白髪(はくはつ)白髯(はくぜん)の黙々(もくもく)先生の顔とはりさけるようにすずしい目をみひらいた少年の赤い顔とが暗の中に浮きだして見える。

         八

 黙々(もくもく)先生に系図を見せられたその夜、千三はまんじりともせずに考えこんだ、かれの胸のうちに新しい光がさしこんだ。かれは嬉しくてたまらなかった、なんとも知れぬ勇気がひしひしおどり出す。かれは大きな声をだしてどなりたくなった。
 眠らなければ、明日(あした)の商売にさわる、かれは足を十分に伸ばし胸一ぱいに呼吸をして一、二、三、四と数えた。そうしてかれはあわいあわい夢に包まれた。
 ふと見るとかれはある山路を歩いている。道の両側には桜(さくら)の老樹が並んでいまをさかりにさきほこっている。
「ああここはどこだろう」
 こう思って目をあげると谷をへだてた向こうの山々もことごとく桜である。右も桜左も桜、上も桜下も桜、天地は桜の花にうずもれて白(はく)一白(いっぱく)、落英(らくえい)繽紛(ひんぷん)として顔に冷たい。
「ああきれいなところだなあ」
 こう思うとたんにしずかに馬蹄(ばてい)の音がどこからとなくきこえる。
「ぱかぱかぱかぱか」
 煙のごとくかすむ花の薄絹(うすぎぬ)を透(とお)して人馬の行列が見える。にしきのみ旗、にしきのみ輿(こし)! その前後をまもるよろい武者! さながらにしき絵のよう。
 行列は花の木の間を縫(ぬ)うて薄絹の中から、そろりそろりと現われてくる。
「下に座って下に座って」
 声が聞こえるのでわきを見るとひとりの白髪の老翁(ろうおう)が大地にひざまずいている。
「おじいさんこれはなんの行列ですか」
 こうたずねるとおじいさんは千三の顔をじっと眺めた、それは紙幣で見たことのある武内宿禰(たけのうちのすくね)に似た顔であった。
「あれはな、後村上天皇(ごむらかみてんのう)がいま行幸(みゆき)になったところだ」
「ああそれじゃここは?」
「吉野(よしの)だ」
「どうしてここへいらっしったのです」
 じいさんは千三をじろりと見やったがその目から涙がぼろぼろこぼれた。一円紙幣(さつ)がぬれては困(こま)ると千三は思った。
「逆臣(ぎゃくしん)尊氏(たかうじ)に攻(せ)められて、天(あめ)が下(した)御衣(ぎょい)の御袖(おんそで)乾(かわ)く間も在(おわ)さぬのじゃ」
「それでは……これが……本当の……」
 千三は仰天して思わず大地にひざまずいた。このとき行列が静々とお通りになる。
「まっ先にきた小桜縅(こざくらおどし)のよろい着て葦毛(あしげ)の馬に乗り、重籐(しげどう)の弓(ゆみ)を持ってたかの切斑(きりふ)の矢(や)を負い、くわ形(がた)のかぶとを馬の平首につけたのはあれは楠正行(くすのきまさつら)じゃ」
 とおじいさんがいった。
「ああそうですか、それと並んで紺青(こんじょう)のよろいを着て鉢巻きをしているのはどなたですか」
「あれは正行(まさつら)の従兄弟(いとこ)和田正朝(わだまさとも)じゃ」
「へえ」
「そら御輿(みこし)がお通りになる、頭をさげい、ああおやせましましたこと、一天万乗(いってんばんじょう)の御君(おんきみ)が戦塵(せんじん)にまみれて山また山、谷また谷、北に南に御(おん)さすらいなさる。ああおそれ多いことじゃ」
 おじいさんは頭を大地につけてないている、千三は涙が目にたまって玉顔(ぎょくがん)を拝むことができなかった。
「御輿(みこし)の御後に供奉(ぐぶ)する人はあれは北畠親房(きたばたけちかふさ)じゃ」
「えっ?」
 千三は顔をあげた。
 赤地にしきの直垂(ひたたれ)に緋縅(ひおどし)のよろい着て、頭に烏帽子(えぼし)をいただき、弓と矢は従者に持たせ、徒歩(かち)にて御輿(みこし)にひたと供奉(ぐぶ)する三十六、七の男、鼻高く眉(まゆ)秀(ひい)で、目には誠忠の光を湛(たた)え口元には知勇の色を蔵(ぞう)す、威風堂々としてあたりをはらって見える。
 千三は呼吸(いき)もできなかった。
「いずれも皆忠臣の亀鑑(きかん)、真の日本男児じゃ、ああこの人達があればこそ日本は万々歳まで滅びないのだ」
 こうおじいさんがいったかと思うととっとと走っていく、その早いこと百メートル五秒間ぐらいである。
「待ってくださいおじいさん、お紙幣(さつ)になるにはまだ早いから」
 こういったが聞こえない。おじいさんは桜(さくら)の中に消えてしまった。
 にわかにとどろく軍馬の音! 法螺(ほら)! 陣太鼓(じんだいこ)! 銅鑼(どら)ぶうぶうどんどん。
 向こうの丘(おか)に現われた敵軍の大勢! 丸二つ引きの旗をへんぽんとひるがえして落日を後ろに丘(おか)の尖端(とっぱな)! ぬっくと立った馬上の大将(たいしょう)はこれ歴史で見た足利尊氏(あしかがたかうじ)である。
 すわとばかりに正行(まさつら)、正朝(まさとも)、親房(ちかふさ)の面々屹(きっ)と御輿(みこし)を護(まも)って賊軍をにらんだ、その目は血走り憤怒(ふんぬ)の歯噛(はが)み、毛髪ことごとく逆立(さかだ)って見える。
「やれやれッ逆賊(ぎゃくぞく)をたたき殺せ」と千三は叫んだ。
「これ千三、これ」
 母の声におどろいて目がさめればこれなん正(まさ)しく南柯(なんか)の夢(ゆめ)であった。
「どうしたんだい」
「どうもこうもねえや、畜生(ちくしょう)ッ、足利尊氏(あしかがたかうじ)の畜生ッ」と千三はまだ夢中である。
「喧嘩の夢でも見たのか、足利(あしかが)の高さんと喧嘩したのかえ」
「なんだって畜生ッ、高慢な面(つら)あしやがって、天子様に指でも指してみろ、おれが承知しねえ、豆腐屋だと思って尊氏(たかうじ)の畜生ばかにするない」
「千三どうしたのさ、千三」
「お母(かあ)さんですか」
 千三はこういってはじめてわれにかえった。母はじっと千三を見つめた、千三の顔は次第次第にいきいきと輝いた。
「お母さん、ぼくは勉強します」
 母はだまっている。
「ぼくは今日(きょう)先生にぼくのご先祖のことを聞きました。北畠顕家(きたばたけあきいえ)、親房(ちかふさ)……南朝(なんちょう)の忠臣です。その血を受けたぼくはえらくなれない法がありません」
「だけれどもね、このとおり貧乏ではおまえを学校へやることもできずね」
 母はほろりとした。
「貧乏でもかまいません。お母さん、顕家(あきいえ)親房(ちかふさ)はほんのはだか身でもって奥州や伊勢や諸所方々で軍(いくさ)を起こして負けては逃げ、逃げてはまた義兵を集め、一日だって休むひまもなく天子様のために働きましたよ、それにくらべると日に三度ずつご飯を食べているぼくなぞはもったいないと思います。ねえお母さん、ぼくはいま夢を見たんです。先祖の親房(ちかふさ)という人はじつにりっぱな顔でした、ぼくのようにチビではありませんよ、尊氏(たかうじ)のほうをきっとにらんだ顔は体中忠義の炎(ほのお)が燃えあがっています。ぼくだって忠臣になれます。ぼくだってね、チビでも忠臣になれないことはないでしょう」
「いい夢を見たね」
 母は病みほおけた身体(からだ)を起こして仏壇に向かっておじぎした。
 千三は生まれかわった。翌日からなにを見ても嬉しい。かれは外を歩きながらそればかりを考えている。
「やあ向こうから八百屋の半公がきたな、あれも忠臣にしてやるんだ。おれの旗持ちぐらいだ、ああぶりき屋の浅公、あれは母親の財布(さいふ)をごまかして活動にばかりいくが、あれもなにかに使えるから忠臣にしてやる、やあ酒屋のブルドッグ、あれは馬のかわりにならないから使ってやらない」
 黙々(もくもく)先生はチビ公が急に活気づいたのを見てひとりほくほく喜んでいた。
 ある日かれはひとりの学生を先生に紹介(しょうかい)された。それは昨年第一高等学校に入学した安場五郎(やすばごろう)という青年である。黙々塾(もくもくじゅく)をでて高等学校へはいれたのは安場ひとりきりである。先生は安場が好きであった。色が赤黒く顔は七輪に似て、ようかん色になった制服を着て腰にてぬぐいをさげ、帽子はこけ色になっている。かれは一年のあいだに身体(からだ)がめきめきと発達したので制服の腕や胴は身体の肉がはちきれそうに見える。かれは代書人の息子(むすこ)である。かれは東京から家へ帰るとすぐ黙々先生のご機嫌うかがいにくる。
「先生ただいま」
「うむ帰ったか」
 先生は注意深くかれの一挙一動を見る。
「学校はどうだ」
 まず学校のようすをきき、それから友達のことをきく。
「どんな友達ができたか」
「あんこうというやつがあります。口がおそろしく大きいんでりんごを皮ごと二口で食ってしまいます。それからフンプンというやつがあります。これは一年に一ぺんもさるまたを洗濯しませんから、いつでもフンプンとしています。それからまむしというやつ、これは生きたへびを頭からかじります」
「ふん、勇敢だな」
 先生はにこにこする。
「この三人はみんなできるやつです。頭がおそろしくいいやつです、三人とも政治をやるといってます」
「たのもしいな、きみとどうだ」
「ぼくよりえらいやつです」
「そうか」
 先生が一番注意をはらうのは友達のことである。かれはそのまむしやフンプンやあんこうがどんな話をしてどんな遊びをしてどんな本を読んでるかまでくわしくきいた。
「活動を見るか」
「さかんに見ましたが、あれは非常に下卑たものだとわかったからこのごろは見ません」
「それがいい」
 先生は安場がいつも友達の自慢をするのをすこぶる嬉しそうに聞いていた。人の悪口をいったり、自慢をいったりするのは先生のもっともこのまざるところであった。
 安場は実際先生思いであった。かれは帰省中には毎朝かならず先生をたずねて水をくみ飯をたき夜の掃除をした。先生は外へ出ると安場の自慢ばかりいう。
「あいつはいまに大きなものになる」
 先生はわずかばかりの汽車賃があればそっと東京へ出て一高を視察にでかける、そうして安場がどんな生活をしているかを人知れず監視するのであった。そのくせかれは安場に向かっては一度もほめたことはない。
「きみは英雄をなんと思うか」
「英雄は歴史の花です」と安場は即座に答える。
「カアライルをまねてはいかん。英雄は花じゃない、実である。もし花であるならそれは泛々(はんぱん)たる軽薄の徒といわなきゃならん。名誉、物質欲、それらをもって目的とするものは真の英雄とはいえないぞ、いいか。英雄は人類の中心点である、そうだ、中心点だ、車の軸(じく)だ、国家を支える大黒柱だ、ギリシャの神話にアトラス山は天が墜(お)ちるのを支(ささ)えている山としてある。天がおちるのを支えるのは英雄だ、花だなんてそんな浮わついた考えではまだ語るにたらん。もっと修養しろ馬鹿ッ」
 すべてこういう風である、どんなにばかといわれても安場はそれを喜んでいた。
「先生はありがたいな」
 かれはいつもこういった。かれとチビ公はすぐに親友になった。おりおりふたりは郊外へでて長い長い堤の上を散歩した。寒い寒い風がひゅうひゅう野面(のづら)をふく、かれあしはざわざわ鳴って雲が低くたれる、安場は平気である。かれは高い堤に立って胸一ぱいにはって高らかに歌う。
ああ玉杯(ぎょくはい)に花うけて、緑酒(りょくしゅ)に月の影(かげ)やどし、
治安の夢(ゆめ)にふけりたる、栄華(えいが)の巷(ちまた)低く見て、
向ヶ岡(むこうがおか)にそそり立つ、
五寮(ごりょう)の健児(けんじ)意気高し。……
 バリトンの声であるが、量は豊かに力がみちている。それは遠くの森に反響し、近くの野面(のづら)をわたり、べきべきたる落雲を破って、天と地との広大無辺な間隙を一ぱいにふるわす、チビ公はだまってそれを聞いていると、体内の血が躍々(やくやく)と跳(おど)るような気がする。自由豪放な青春の気はその疲(つか)れた肉体や、衰(おとろ)えた精神に金蛇銀蛇の赫耀(かくよう)たる光をあたえる。
「もっとやってくれ」とかれはいう。
「うむ、よしッ」
 安場は七輪(しちりん)のような顔をぐっと屹立(きつりつ)させると同時に鼻穴をぱっと大きくする、とすぐいのししのようにあらい呼吸(いき)をぷうとふく。
ふようの雪の精をとり、芳野(よしの)の花の華(か)をうばい、
清き心のますらおが、剣(つるぎ)と筆とをとり持ちて、
一たび起(た)たば何事か、
人生の偉業(いぎょう)成らざらん。
 うたっていくうちにかれの顔はますます黒く赤らみ、その目は輝き、わが校を愛する熱情と永遠の理想と現在力学の勇気と、すべての高邁(こうまい)な不撓(ふとう)な奮闘的な気魄(きはく)があらしのごとく突出してくる。チビ公は涙をたれた。
「きみはな、貧乏を気にしちゃいかんぞ」と安場はいった。「貧乏ほど愉快なことはないんだ」
 かれはチビ公のかたわらに座っていいつづけた。
 おれは貧乏だから書物が買えなかった。おれは雑誌すら読んだことはなかった。すると先生はおれに本を貸してくれた。先生の本は二十年も三十年も前の本だ、先生がおれに貸してくれた本はスミスの代数(だいすう)とスウイントンの万国史と資治通鑑(しじつがん)それだけだ、あんな本は東京の古本屋にだってありやしない。だが新刊(しんかん)の本が買えないから、古い本でもそれを読むよりほかにしようがなかった、そこでおれはそれを読んだ、友達が遊びにきておれの机の上をジロジロ見るとき、おれははずかしくて本をかくしたものだ、太政官印刷(だじょうかんいんさつ)なんて本があるんだからな、実際はずかしかったよ。おれはこんな時代おくれの本を読んでも役に立つまいと思った、だが、先生が貸してくれた本だから読まないわけにゆかない、それ以外には本がないんだからな、そこでおれは読んだ。最初はむずかしくもありつまらないと思ったが、だんだんおもしろくなってきた、一日一日と自分が肥(ふと)っていくような気がした。おれは入学試験を受けるとき、ほんの十日ばかり先生が準備復習をしてくれた。
「こんな旧式(きゅうしき)なのでもいいのか知らん」とおれは思った。
「だいじょうぶだいけ」と先生がいった、おれはいった、そうしてうまく入学した。
「なあチビ公」
 安場はなにを思ったか目に一ぱい涙をたたえた。
「試験の前日、先生はおれにこういった」
「安場、腕ずもうをやろう」
「ぼくですか」
「うむ」
 先生はがちょうのように首が長く、ひょろひょろやせて、年が老いている。おれはこのとおり力が自慢だ、負かすのは失礼だと思ったが、さりとて故意(こい)に負けるとへつらうことになる、互角(ごかく)ぐらいにしておこうと思った。
「やりましょう」
 先生は長いひざを開いて畳(たたみ)にうつぶしになった。さながら栄養不良のかわずのよう!
「さあこい」
「よしッ」
 おれもひじを畳についた、がっきと手と手を組んだ、おれはいい加減(かげん)にあしらうつもりであった、先生の痩(や)せた長い腕がぶるぶるふるえた。
「弱虫! なき虫! いも虫! へっぴり虫!」と先生はいった。
「先生こそ弱虫です」
「なにを!」
「どっこい」
 おれは少しずつ力をだして不動直立の態度をとるつもりであった。だが先生の押す力がずっとひじにこたえる。
「弱いやつだ、青年がそれでどうする、米の飯を食わせておくのはおしいものだ、やい、いも虫、なき虫、わらじ虫!」
 あまりしつこく虫づくしをいうのでおれもちょっと癪(しゃく)にさわった。
「いいですか、本気をだしますぞ」
「よしッ、虫けらの本気はどんなものか、へっぴり虫!」
「よしッ」
 おれは満身の力をこめて一気に先生を押したおそうとした、先生の腕が少しかたむいた。
「いいかな」
 先生はこういって、「うん」と一つうなった、たよたよとした細い腕はがきっと組んだまま大盤石(だいばんじゃく)!
「おやッ」
 おれは頭を畳(たたみ)にすりつけ、左の掌(てのひら)で畳をしっかとおさえ肩先に力をあつめて押しだした。
「虫があばれるあばれる」と先生はげらげらわらった。おれはどうもふしぎでたまらない。負けるはずがないのだ。
「いいかな」
 先生はこういっておれのこぶしをひた押しに倒してしまった。
 おれは汗をびっしょりかいて、ふうふう息をはずませた。
「どうだ」
 首を傾(かし)げてふしぎがってるおれの顔を見て先生はわらった。
「ふしぎですな」
「おまえはばかだ」
「なんといわれてもしようがありません」
「いよいよジャクチュウかな」
「ジャクチュウとはなんですか」
「弱虫だ、はッはッはッ」
「先生はどうして強いんですか」
「わしが強いんでない、おまえがジャクチュウなんだ」
「ぼくはそんなに弱いはずがないのです」
「おまえはどこに力を入れてるか」
「ひじです」
「腕をだしてみい」
 先生のひょろひょろした青ざめた腕とおれのハチ切れそうに肥った円い赤い腕が並んだ。
「ひじとひじの力なら私の方がとてもかなわないはずじゃないか」と先生がいった。
「じゃ先生は?」
 先生はにっこり笑って、胸の下を指さした。
「腹ですか」
「うむ、力はすべて腹から出るものだ、西洋人の力は小手先からでる、東洋人の力は腹からでる、日露戦争(にちろせんそう)に勝つゆえんだ」
「うむ」
「学問も腹だ、人生に処する道も腹だ、気が逆上(ぎゃくじょう)すると力が逆上して浮きたつ、だから弱くなる、腹をしっかりとおちつけると気が臍下丹田(せいかたんでん)に収(おさ)まるから精神爽快(せいしんそうかい)、力が全身的になる、中心が腹にできる、いいかおまえはへそをなんと思うか」
「よけいなものだと思います」
「それだからいかん、人間の身体(からだ)のうちで一番大切なものはへそだよ」
「しかしなんの役にも立ちません」
「そうじゃない、いまのやつらはへそを軽蔑(けいべつ)するからみな軽佻浮薄(けいちょうふはく)なのだ、へそは力の中心点だ、人間はすべての力をへそに集注すれば、どっしりとおちついて威武も屈(くっ)するあたわず富貴も淫(いん)するあたわず、沈毅(ちんき)、剛勇、冷静、明智になるのだ、孟子(もうし)の所謂(いわゆる)浩然(こうぜん)の気はへそを讃美した言葉だ、へそだ、へそだ、へそだ、おまえは試験場で頭がぐらぐらしたらふところから手を入れてしずかにへそをなでろ」
 おれは試験場でへそをなでなかったが、難問題(なんもんだい)にぶつかったときに先生のこの言葉を思いだした、そうして、
「へそだ、へそだ、へそだ」と口の中でいった、と急におかしくなってふしぎに気がしずまる、かっと頭にのぼせた熱がずんとさがって下腹に力がみちてくる。
 旧式の本、それを読んだことはいわゆる試験準備のために印刷された本よりもはるかに有効であった。
 どんな本でも、くわしくくわしくいくどもいくども読んで研究すればすべての学問に応用することができる、数多くの本を、いろいろざっと見流すよりたった一冊の本を精読する方がいい。
 おれが受験から帰ってくると先生はぼくを待ちかねている、おれは試験の問題とおれの書いた答案を語る、先生はそれについていちいち批評してくれた、そうしておれににわとりのすき焼きをご馳走(ちそう)してくれる。
「うんと滋養物(じようぶつ)を食わんといかんぞ」
 こう先生がいう、七日のあいだに先生が大切に飼(か)っていた三羽のにわとりがみんななくなった。
「おれは先生の恩はわすれない、もし先生のような人がこの世に十人もあったら、すべての青年はどんなに幸福だろう、町のやつは……師範学校や中学校のやつらは先生の教授法を旧式だという、旧式かも知らんが先生はおれのようなつまらない人間でもはげましたり打ったりして一人前にしたててくれるからね」
 安場はこういって口をつぐんだ、かれはたえきれなくなってなき出した。
「なあ青木、おまえも責任があるぞ、先生がおまえをかわいがってくれる、先生に対してもおまえは奮発しろよ」
「やるとも」千三も無量の感慨に打たれていった。
「さあ帰ろう」

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