ああ玉杯に花うけて
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著者名:佐藤紅緑 

         一

 豆腐屋(とうふや)のチビ公はいまたんぼのあぜを伝ってつぎの町へ急ぎつつある。さわやかな春の朝日が森をはなれて黄金(こがね)の光の雨を緑の麦畑に、黄色な菜畑に、げんげさくくれないの田に降らす、あぜの草は夜露からめざめて軽やかに頭を上げる、すみれは薄紫(うすむらさき)の扉(と)を開き、たんぽぽはオレンジ色の冠(かんむり)をささげる。堰(せき)の水はちょろちょろ音立てて田へ落ちると、かえるはこれからなきだす準備にとりかかっている。
 チビ公は肩のてんびん棒にぶらさげた両方のおけをくるりとまわした。そうしてしばらく景色に見とれた。堤の上にかっと朝日をうけてうきだしている村の屋根屋根、火の見やぐら、役場の窓、白い土蔵、それらはいまねむりから活動に向かって歓喜の声をあげているかのよう、ところどころに立つ炊煙(すいえん)はのどかに風にゆれて林をめぐり、お宮の背後(うしろ)へなびき、それからうっとりとかすむ空のエメラルド色にまぎれゆく。
 そこの畠にはえんどうの花、そらまめの花がさきみだれてる中にこつとしてねぎの坊主がつっ立っている。いつもここまでくるとチビ公の背中が暖かくなる。春とはいえども暁(あかつき)は寒い、奥歯をかみしめかみしめチビ公は豆腐(とうふ)をおけに移して家をでなければならないのである。町の人々が朝飯がすんだあとでは一丁の豆腐も売れない、どうしても六時にはひとまわりせねばならぬのだ。
 だが、このねぎ畑のところへくるとかれはいつも足が進まなくなる、ねぎ畑のつぎは広い麦畑で、そのつぎには生(い)け垣(がき)があって二つの土蔵があって、がちょうの叫び声がきこえる、それはこの町の医者の家である。
 医者がいつの年からこの家に住んだのかは今年十五歳になるチビ公の知らないところだ、伯父(おじ)の話ではチビ公の父が巨財を投じてこの家を建てたのだが、父は政党にむちゅうになってすべての財産をなくなしてしまった、父が死んでからかれは母とともに一人の伯父の厄介(やっかい)になった、それはかれの二歳のときである。
「しっかりしろよ、おまえのお父さまはえらい人なんだぞ」
 伯父はチビ公をつれてこのねぎ畑で昔の話をした。それからというものはチビ公はいつもねぎ畑に立ってそのことを考えるのであった。
「この家をとりかえしてお母さんを入れてやりたい」
 今日(きょう)もかれはこう思った、がかれはゆかねばならない、荷を肩に負うて一足二足よろめいてやっとふみとどまる、かれは十五ではあるがいたってちいさい、村ではかれを千三(せんぞう)と呼ぶ人はない、チビ公のあだ名でとおっている、かれはチビ公といわれるのが非常にいやであった、が人よりもちびなのだからしかたがない、来年になったら大きくなるだろうと、そればかりを楽しみにしていた、が来年になっても大きくならない、それでもう一つ来年を待っているのであった。
 かれがこのあぜ道に立っているとき、おりおりいうにいわれぬ侮辱(ぶじょく)を受けることがある。それは役場の助役の子で阪井巌(さかいいわお)というのがかれを見るとぶんなぐるのである。もちろん巌はだれを見てもなぐる、かれは喧嘩(けんか)が強くてむこう見ずで、いつでも身体(からだ)に生(なま)きずが絶えない、かれは小学校でチビ公と同級であった、小学校時代にはチビ公はいつも首席であったが巌は一度落第してきたにかかわらず末席であった。かれはいつもへびをふところに入れて友達をおどかしたり、女生徒を走らしたり、そうしておわりにはそれをさいて食うのであった。
「やい、おめえはできると思っていばってるんだろう、やい、このへびを食ってみろ」
 かれはすべての者にこういってつっかかった、かれはいま中学校へ通っている、豆腐おけをかついだチビ公は彼を見ると遠くへさけていた、だがどうかするとかれは途中でばったりあうことがある。
「てめえはいつ見てもちいせえな、少し大きくしてやろうか」
 かれはチビ公の両耳をつかんで、ぐっと上へ引きあげ、足が地上から五寸もはなれたところで、どしんと下へおろす。これにはチビ公もまったく閉口した。
 かれが今町の入り口へさしかかると向こうから巌がやってきた、かれは頭に鉢巻(はちま)きをして柔道のけいこ着を着ていた。チビ公ははっと思って小路(こうじ)にはいろうとすると巌がよびとめた。
「やいチビ、逃げるのかきさま」
「逃げやしません」
「豆腐(とうふ)をくれ」
「はい」
 チビ公は不安そうに顔を見あげた。
「いかほど?」
「食えるだけ食うんだよ、おれは朝飯前に柔道のけいこをしてきたから腹がへってたまらない、焼き豆腐があるか」
「はい」
 チビ公が蓋(ふた)をあけると巌はすぐ手をつっこんだ、それから焼き豆腐をつかみあげて皮ばかりぺろぺろと食べて中身を大地にすてた。
「皮はうまいな」
「そうですか」とチビ公はしかたなしにいった。
「もう一つ」
 かれは三つの焼き豆腐の皮を食べおわって、ぬれた手をチビ公の頭でふいた。
「銭はこのつぎだよ」
「はい」
「用がないからゆけよ、おれはここで八百屋(やおや)の豊公(とよこう)を待っているんだ、あいつおれの犬に石をほうりやがったからここでいもをぶんどってやるんだ」
 チビ公はやっと虎口をのがれて町へはいった、そうして悲しくらっぱをふいた。らっぱをふく口元に涙がはてしなくこぼれた。
 どうしてあんなやつにこうまで侮辱(ぶじょく)されなきゃならないんだろう、あいつは学校でなんにもできないのだ、おやじが役場の助役だからいばってるんだ、金があるから中学校へゆける、親があるから中学校へゆける。それなのにおれは金もない親もない。なぐられてもだまっていなきゃならない、生涯豆腐(とうふ)をかついでらっぱをふかなきゃならない。
 かれの胸は憤怒(ふんぬ)に燃えた、かれはだまって歩きつづけた。
「おい豆腐屋、売るのか売らないのか、らっぱを落としたのか」
 職人風の男が二人、こういってわらってすぎた。チビ公はらっぱをふいた、その音はいかにも悲しそうにひびいた。町にはちらちら中学生が登校する姿が見えだした、それは大抵(たいてい)去年まで自分と同級の生徒であった。チビ公は鳥打帽のひさしを深くして通りすぎた。
「おはよう青木君」と明るい声がきこえた。
「お早う」とチビ公はふりかえっていった、声をかけたのは昔の学友柳光一(やなぎこういち)という少年であった、柳は黒い制服をきちんと着て肩に草色の雑嚢(ざつのう)をかけ、手に長くまいた画用紙を持っていた。かれはいかなるときでもチビ公にあうとこう声をかける、かれは小学校にあるときにはいつもチビ公と席を争うていた、双方とも勉強家であるが、たがいにその学力をきそうていた、これといって親密にしたわけでもないが、光一の態度は昔もいまもかわらなかった、一方が中学生となり一方は豆腐屋となっても。
「ぼくはね、きみを時計(とけい)にしてるんだよ」と光一はいった。「きみに逢った時には非常に早いし、きみにあわなかったときにはおそいんだ」
「そうですか」
「重たいだろうね、きみ」
 光一はチビ公の荷を見やっていった。
「なあになれましたから」
「そうかね」と、光一はチビ公の顔をしみじみと見やって、「ひまがあったら遊びにきてくれたまえね、ぼくのところにはいろいろな雑誌があるから、ぼくはきみにあげようと思ってとっておいてあるよ」
「ありがとう」
「じゃ失敬」
 チビ公は光一にわかれた、なんとなくうれしいようななつかしいような思いはむらむらと胸にわいた、でかれはらっぱをふいた、らっぱはほがらかにひびいた、と一旦(いったん)わかれた光一は大急ぎに走りもどった。
「このつぎの日曜にね、ぼくの誕生日だから、昼からでも……晩からでも遊びにきてくれたまえね」
「そうですか……しかし」とチビ公はもじもじした。
「かまわないだろ、日曜だから……」
「ああ、そうだけれども」
「いいからね、遠慮せずとも、ぼくは昔の友達にみんなきてもらうんだ」
「じゃゆきましょう」
 光一はふたたび走って去った。雑嚢(ざつのう)を片手にかかえ、片手に画用紙を持ち両ひじをわきにぴったりと着けて姿勢正して走りゆく、それを見送ってチビ公は昔小学校時代のことをまざまざと思いだした。なんとなく光一の前途にはその名のごとく光があふれてるように見える、学問ができて体力が十分で品行がよくて、人望がある、ああいう人はいまにりっぱな学者になるだろう。
 そこでかれはまたらっぱをふいた、嚠喨(りゅうりょう)たる音は町中にひびいた。チビ公が売りきれるまで町を歩いてるその日の十二時ごろ、中学校の校庭で巌(いわお)はものほしそうにみんなが昼飯を食っているのをながめていた、かれは大抵(たいてい)十時ごろに昼の弁当を食ってしまうので正午(ひる)になるとまたもや空腹を感ずるのであった。そういうときにはかならずだれかに喧嘩(けんか)をふきかけてその弁当を掠奪(りゃくだつ)するのである。自分の弁当を食うよりは掠奪のほうがはるかにうまい。
「みんな集まれい」とかれはどなった。だが何人も集まらなかった、いつものこととて生徒等はこそこそと木立ちの陰(かげ)にかくれた。
「へびの芸当だ」とかれはいった、そうしてポケットから青大将(あおだいしょう)をだした。
「そもそもこれは漢(かん)の沛公(はいこう)が函谷関(かんこくかん)を越ゆるときに二つに斬(き)った白蛇の子孫でござい」
 調子面白くはやしたてたので人々は少しずつ遠くから見ていた。少年等はまた始まったといわぬばかりに眉をしかめていた。
「おいしゃもじ!」とかれは背後を向いて飯を食ってる一人の少年をよんだ、しゃもじはおわりの一口をぐっとのみこんで走ってきた、かれはやせて敏捷(びんしょう)そうな少年だが、頭は扇(おうぎ)のように開いてほおが細いので友達はしゃもじというあだ名をつけた。かれは身体(からだ)も気も弱いので、いつでも強そうな人の子分になって手先に使われている。
「おい口上をいえ」と巌がいった。
「なんの?」
「へびに芸をさせるんだ」
「よしきた……そもそもこれは漢の沛公(はいこう)が二つに斬(き)った白蛇の子孫でござい」
 調子おもしろくはやしたてたので人々は少しずつ集まりかけた。
「さあさあ、ごろうじろ、ごろうじろ」
 しゃもじの調子にのって巌はへびをひたいに巻きつけほおをはわし首に巻き、右のそで口から左のそで口から中央のふところから自由自在になわのごとくあやなした。
「うまいぞうまいぞ」と喝采(かっさい)するものがある。最後にかれはへびを一まとめにして口の中へ入れた。人々は驚いてさかんに喝采した。
「おいどうだ」
 かれはへびを口からはきだしてからみんなにいった。
「うまいうまい」
「みんな見たか」
「うまいぞ」
「見たものは弁当をだせ」
 人々はだまって顔を見合った、そうして後列の方からそろそろと逃げかけた。
「おい、こらッ」
 いまにぎり飯を食いながら逃げようとする一人の少年の口元めがけてへびを投げた。少年はにぎり飯を落とした。
「つぎはだれだ」
 かれは器械体操のたなの下にうずくまってる少年の弁当をのぞいた、弁当の中には玉子焼きとさけとあった。
「うまそうだな」
 かれは手を伸(の)ばしてそれを食った。そして半分をしゃもじにやった。
「つぎは?」
 もうだれもいなかった、投げられたへびはぐんにゃりと弱っていた。かれはそれを拾うと裏の林の方へ急いだ。そこには多くの生徒が群れていた、かれらの大部分は水田に糸をたれてかえるをつっていた。その他の者は木陰(こかげ)木陰(こかげ)に腰をおろして雑誌を読んだり、宿題を解いたりしていた。巌はずらりとかれらを見まわした、これというやつがあったら喧嘩(けんか)をしてやろう。
 だがあいにく弱そうなやつばかりで相手とするにたらぬ、そこでかれは木の下に立って一同を見おろしていた、かれの胸はいつも元気がみちみちている、かれは毎朝眼がさめるとうれしさを感ずる、学校へいって多くの学生をなぐったりけとばしたり、自由に使役したりするのがさらにうれしい。かれはいろいろな冒険談を読んだり、英雄の歴史を読んだりした、そうしてロビンソンやクライブやナポレオンや秀吉(ひでよし)は自分ににていると思った。
「クライブは不良少年で親ももてあました、それでインドへ追いやられて会社の腰弁(こしべん)になってるうちに自分の手腕をふるってついにインドを英国のものにしてしまった、おれもどこかへ追いだされたら、一つの国を占領して日本の領土を拡張しよう」
 こういう考えは毎日のようにおこった、かれは実際喧嘩(けんか)に強いところをもって見ると、クライブになりうる資格があると自信している。
「おれは英雄だ」
 かれはナポレオンになろうと思ったときには胸のところに座蒲団(ざぶとん)を入れて反身(そりみ)になって歩いた。秀吉になろうと思った時にはおそろしく目をむきだしてさるのごとくに歯を出して歩く。かれの子分のしゃもじは国定忠治(くにさだちゅうじ)や清水(しみず)の次郎長(じろちょう)がすきであった、かれはまき舌でものをいうのがじょうずで、博徒(ばくと)の挨拶(あいさつ)を暗記していた。
「おれはおまえのような下卑(げび)たやつはきらいだ」と巌がしゃもじにいった。
「何が下卑てる?」
「国定忠治だの次郎長だの、博徒じゃないか、尻をまくって外を歩くような下卑たやつはおれの仲間にゃされない」
「じゃどうすればいいんだ」
「おれは秀吉(ひでよし)だからお前は加藤か小西になれよ」
 かれはとうとうしゃもじを加藤清正(かとうきよまさ)にしてしまった。だがこの清正はいたって弱虫でいつも同級生になぐられている。大抵(たいてい)の喧嘩(けんか)は加藤しゃもじの守(かみ)から発生する、しゃもじがなぐられて巌に報告すると巌は復讐(ふくしゅう)してくれるのである。
 いずれの中学校でも一番生意気で横暴なのは三年生である、四年五年は分別が定まり、自重心も生ずるとともに年少者をあわれむ心もできるが、三年はちょうど新兵が二年兵になったように、年少者に対して傲慢(ごうまん)であるとともに年長者に対しても傲慢である。
 浦和中学の三年生と二年生はいつも仲が悪かった、年少の悲しさは戦いのあるたびに二年が負けた、巌はいつもそれを憤慨(ふんがい)したがやはりかなわなかった。
「二年の名誉にかかわるぞ」
 かれはこういいいいした、かれはいま木の下に立って群童を見おろしているうちに、なにしろ五人分の弁当を食った腹加減(はらかげん)はばかに重く、背中を春日に照らされてとろとろと眠(ねむ)くなった。でかれは木の根に腰をおろして眠った。
「やあ生蕃(せいばん)が眠ってらあ」
 学生どもはこういいあった。生蕃とは巌のあだ名である、かれは色黒く目大きく頭の毛がちぢれていた、それからかれはおどろくべき厚みのあるくちびるをもっていた。
 うとうととなったかと思うと巌は犬のほえる声を聞いた。はじめは普通の声で、それは学生等の混雑した話し声や足音とともに夢のような調節(ハーモニー)をなしていたが、突然犬の声は憤怒(ふんぬ)と変じた。巌ははっと目を開いた。もうすべての学生が犬の周囲に集まっていた。二年生の手塚という医者の子が鹿毛(しかげ)のポインターをしっかりとおさえていた、するとそれと向きあって三年の細井という学生は大きな赤毛のブルドッグの首環(くびわ)をつかんでいた。
「そっちへつれていってくれ」と手塚が当惑(とうわく)らしくいった。
「おまえの方から先に逃げろ」と三年の細井がいった。
「やらせろ、やらせろ、おもしろいぞ」としゃもじが中間にはいっていった。犬と犬とが顔を見あったときまたほえあった。
「やれやれやれ」と一年[#「一年」はママ]が叫びだした。
「やるならやろう」と三年がいった。
「よせよ」
 人々を押しわけて光一が進みでた、かれは手に代数の筆記帳を持っていた。
「やらせろ」と双方が叫んだ。
「つまらないじゃないか、犬と犬とを喧嘩(けんか)させたところでおもしろくもなんともないよ、見たまえ犬がかわいそうじゃないか、犬には喧嘩の意志がないのだよ」
「降参(こうさん)するならゆるしてやろう」と三年がいった。
「降参とかなんとか、そんなことをいうから喧嘩になるんだ」と光一はいった。
「だっておまえの方で、かなわないからやめてくれといったじゃないか」
「かなうのかなわないのという問題じゃないよ、ただね、つまらないことは……」
「なにを?」
 三年の群れからライオンとあだ名された木俣(きまた)という学生がおどりだした、木俣といえば全校を通じて戦慄(せんりつ)せぬものがない、かれは柔道がすでに三段で小相撲(こずもう)のように肥って腕力は抜群である、かれは鉄棒に両手をくっつけてぶらさがり、そのまま反動もつけずにひじを立ててぬっくとひざまでせりあげるので有名である。柔道のじまんばかりでなく剣道もじまんで、どうかすると短刀をふところにしのばせたり、小刀をポケットにかくしたりしている。
 木俣がおどりだしたので人々は沈黙(ちんもく)した。
「おじぎをしたらゆるしてやるよ、なあおい」
 とかれは同級生をふりかえっていった。
「三遍(べん)まわっておじぎしろ」
 光一はもうこの人達にかかりあうことの愚を知ったのでひきさがろうとした。
「逃げるかッ」
 木俣は光一の手首をたたいた、筆記帳は地上に落ちて、さっとページをひるがえした。光一はだまってそれを拾いあげしずかに人群れをでた。むろんかれは平素人と争うたことがないのであった。
「弱いやつだ」
 三年生は嘲笑(ちょうしょう)した。
「いったいこの犬はだれの犬だ」と木俣はいった。人々は手塚の顔を見た。
「ぼくのだ」
「てめえに似て臆病(おくびょう)だな」
「なにをいってるんだ」と手塚は負けおしみをいった。
「二年生は犬まで弱虫だということよ」
 三年生は声をそろえてわらった。二年生はたがいに顔を見あったがなにもいう者はなかった。
「やっしいやっしい」と木俣はブルドッグのしりをたたいた。赤犬はおそろしい声をだして突進した、鹿毛(しかげ)は少ししりごみしたがこのときしゃもじがその首環(くびわ)を引いて赤犬の鼻に鼻をつきあてた、こうなると鹿毛もだまっていない、疾風(しっぷう)のごとく赤犬にたちかかった、赤は前足で受け止めて鹿毛の首筋の横にかみついた、かまれじと鹿毛は体をかわして赤の耳をねらった。一離一合(いちりいちごう)! 殺気があふれた。
 二、三度同じことをくりかえして双方たがいに下手をねらって首を地にすえた。
「やっしいやっしい」
 両軍の応援は次第に熱した。このとき二年生は歓喜の声をあげた。のそりのそり眠そうな目をこすりながら生蕃(せいばん)がやってきたからである。
「生蕃がきた」
「たのむぞ」
「やってくれ」
 声々が起こった。生蕃は一言もいわずに敵軍をジロリと見やったとき、ライオンがまた同じくジロリとかれを見た。二年の名誉を負うて立つ生蕃! 三年の王たるライオン! 正(まさ)にこれ山雨きたらんとして風楼(ろう)に満つるの概(がい)。
 犬の方は一向にはかどらなかった、かれらはたがいにうなり合ったが、その声は急に稀薄(きはく)になった、そうして双方歩み寄ってかぎ合った。多分かれらはこう申しあわしたであろう。
「この腕白(わんぱく)どもに扇動(せんどう)されておたがいにうらみもないものが喧嘩したところで実につまらない、シナを見てもわかることだが、英国やアメリカやロシアにしりを押されて南北たがいに戦争している、こんな割(わ)りにあわない話はないんだよ」
 赤は鹿毛(しかげ)の耳をなめると鹿毛は赤のしっぽをなめた。
 犬が妥協(だきょう)したにかかわらず、人間の方は反対に興奮(こうふん)が加わった。
「やあ逃げやがった」と三年がわらった。
「赤が逃げた」と二年がわらった。
「もう一ぺんやろうか」と細井がいった。
「ああやるとも」と手塚がいった、元来生蕃は手塚をすかなかった、手塚は医者の子でなかなか勢力があり智恵と弁才がある、が、生蕃はどうしても親しむ気になれなかった。
 ふたたび犬がひきだされた、しゃもじと細井は犬と犬との鼻をつきあてた。「シナの時勢にかんがみておたがいに和睦(わぼく)したのにきさまはなんだ」と鹿毛(しかげ)がいった。
「和睦(わぼく)もへちまもあるものか、きさまはおれの貴重な鼻をガンと打ったね」
「きさまが先に打ったじゃないか」
「いやきさまが先だ」
「さあこい」
「こい」
「ワン」
「ワンワン」
 すべて戦争なるものは気をもって勝敗がわかれるのである、兵の多少にあらず武器の利鈍(りどん)にあらず、士気旺盛(おうせい)なるものは勝ち、後ろさびしいものは負ける、とくに犬の喧嘩をもってしかりとする、犬のたよるところはただ主人にある、声援が強ければ犬が強くなる、ゆえに犬を戦わさんとすればまず主人同士が戦わねばならぬ。
 三年と二年! 双方の陣に一道の殺気陰々(いんいん)として相(あい)格(かく)し相(あい)摩(ま)した。
「おい」と木俣は巌にいった。
「犬に喧嘩をさせるのか、人間がやるのか」
「両方だ」と巌は重い口調でいった。
「うむ、いいことをいった、わすれるなよ」と木俣はいった。このときおそろしい犬の格闘(かくとう)が始まった。
 犬はもう憤怒(ふんぬ)に熱狂した、いましも赤はその扁平(へんぺい)な鼻を地上にたれておおかみのごとき両耳をきっと立てた、かれの醜悪(しゅうあく)なる面はますます獰猛(どうもう)を加えてその前肢(まえあし)を低くしりを高く、背中にらんらんたる力こぶを隆起してじりじりとつめよる。
 鹿毛(しかげ)はその広い胸をぐっとひきしめて耳を後方へぴたりとさか立てた。かれは尋常ならぬ敵と見てまず前足をつっぱり、あと足を低くしてあごを前方につき出した。かれは赤が第一に耳をめがけてくることを知っていた、でかれはもし敵がとんできたら前足で一撃を食わしよろめくところを喉(のど)にかみつこうと考えた。四つの目は黄金色(こがねいろ)に輝いて歯は雪のごとく白く、赤と鹿毛の毛波はきらきらと輝いた。八つの足はたがいに大地にしっかりとくいこみ双方の尾は棒のごとく屹立(きつりつ)した。尾は犬の聯隊旗である。
「やっしいやっしい」
 人間どもの叫喚(きょうかん)は刻一刻に熱した、二つの犬は隙(すき)を見あって一合二合三合、四合目にがっきと組んで立ちあがった。このとき木俣の身体(からだ)がひらりとおどりでて右足高く鹿毛の横腹に飛ぶよと見るまもあらず、巌のこぶしが早く木俣のえりにかかった。
「えいッ」
 声とともにしし王の足が宙(ちゅう)にひるがえってばったり地上にたおれた。
「いけッ」
 二年生はこれに気を得(え)て突進した。
「くるなッ」
 巌がこうさけんだ、かれは倒れた敵をおさえつけようともせずだまって見ていた、かれは木俣の寝業(ねわざ)をおそれたのである、木俣の十八番は寝業である。
「生意気な」
 木俣は立ちあがってたけりじしのごとく巌を襲(おそ)うた、捕えられては巌は七分の損(そん)である、かれは十七歳、これは十五歳、柔道においても段がちがう、だが柔道や剣術と実戦とは別個のことである。喧嘩になれた巌は進みくる木俣を右に透(すか)しざまに片手の目つぶしを食わした。木俣のあっとひるんだ拍子(ひょうし)に巌は左へ回って向こうずねをけとばした。
「畜生(ちくしょう)」
 木俣は片ひざをついた、がこのときかれの手は早くもポケットに入った、一挺(いっちょう)の角柄(つのえ)の小刀がその手にきらりと輝いた。
「刃物(はもの)をもって……卑劣なやつ」
 巌の憤怒(ふんぬ)は絶頂に達した、およそ学生の喧嘩は双方木剣をもって戦うことを第一とし、格闘を第二とする、刀刃(とうじん)や銃器をもってすることは下劣(げれつ)であり醜悪(しゅうあく)であり、学生としてよわいするにたらざることとしている、これ古来学生の武士道すなわち学生道である。
「殺されてもかまわん」と生蕃(せいばん)は決心した。かれの赤銅色の顔の皮膚(ひふ)は緊張(きんちょう)してその厚いくちびるは朱(しゅ)のごとく赤くなった。
「さあ、こい」
 木俣は再度の失敗にもう気が顛倒(てんとう)してきた。かれはいまここで生蕃を殺さなければふたたび世人に顔向けがならないと思った。かれは波濤(はとう)にたてがみをふるうししのごとくまっしぐらに突進した、小刀は人々の目を射た、敵も味方も恐怖に打たれて何人(なんぴと)もとめようともせずに両人の命がけの勝負を見ていた。
 生蕃は右にかわし左にかわしてたくみに敵の手をくぐりぬけ、敵の足元のみだれるのを待っていた、だが木俣は心にあせりながらもからだにみだれはなかった、かれは縦横に生蕃を追いつめた。そこは学校の垣根である、歩(ほ)一歩(いっぽ)に詰められた生蕃は後ろを垣にさえぎられた。
「しまった」とかれは思った、だが、逃げることは絶対にきらいである。敵を垣根におびきよせ自分が開放の地位に立つ方が利益だと思った、しかしかれのこの方策はあやまった、敵をして方向を転換させるべく、そこに大きな障害がある、かれの右に三尺(じゃく)ばかりの扁平(へんぺい)な石があるのに気がつかなかった。
「畜生!」
 ライオンは声とともに生蕃の肩先めがけて飛びこんだ。ひらりと身をかわしたが生蕃は石につまずいてばたりとたおれた。
「あっ!」
 二年生は一せいに叫んだ、ライオンは生蕃の上に疾風(しっぷう)のごとくおどりあがった。とこのとき非常な迅速(すばや)さをもって垣根の横からライオンの足元に飛びこんだものがある、ライオンはそれにつまずいてたおれた、かれの手には小刀がやはり光っていた。
 飛びこんだ学生はライオンにつまずかした上で起きあがってライオンをだきしめた、ライオンはやたらに小刀をふってかれをつこうとした。
「しめたッ」
 起きあがった生蕃は背後からライオンののどをしめた。ライオンはぐったりとまいってしまった。
「けがしなかったか、柳(やなぎ)君」と生蕃はまっさおな顔をしていった。
「なんでもないよ」
 光一は手からしたたる血汐(ちしお)をハンケチでふいていた。
「早いことをするな」
「柳にあんな勇気があったのか」
 同級生はあっけに取られてささやきあった。双方ともふたたび戦う気もなくなった、犬はいつのまにか戦いをやめて逃げてしまった。
 五分間の後、木俣は回気した。生蕃と光一は水を飲ませて介抱(かいほう)した。
「今日はやられた」と木俣はいった。
「明日(あす)もやられるよ」と生蕃がいった。
「いずれね」
「堂々とこいよ」
 木俣は去った、三年生が去った、二年生ははじめてときの声をあげた。
「きみのおかげだよ」と生蕃はしみじみと光一にいった。「きみは強いんだね」
「いやぼくは弱いよ」
「そうじゃない、あの場合きみがライオンのまたぐらへ飛びこんでくれなかったら、ぼくはあの小刀で一つきにされるところだったんだ」と生蕃がいった。
「もしぼくがつかれて死んだらきみはどうするつもりだ」と光一は友の顔をのぞくようにしていった。
「君が死んだらか」と生蕃はいった。「おれも死ぬよ」
「そうしてぼくを殺した木俣も生きていられないとすれば……三人だ……三人死ぬことになる、つまらないと思わんか」
「うむ」
 生蕃はしばらく考えたが、やがて大きな声でわらいだした。
「おまえおれに喧嘩をよさせようと思ってるんだろう、それだけはいけない」
 同級生は一度にわっとわらいだした。
「だが柳」と生蕃はまたいった。「ぼくはきみに頭があがらなくなったね」

         二

 商売を早くしまってチビ公はやくそくどおり柳光一の誕生日にいくことにした。豆腐屋のはんてんをぬぎすててかすりの着物にはかまをはいたときチビ公はたまらなくうれしかった。一年前まではこうして学校へいったものだと思うとかれは自分ながら懐旧(かいきゅう)の情がたかまってくるように思われた。母はてぬぐいと紙をだしてくれた。
「柳さんの家は金持ちだからね、ぎょうぎをよくして人にわらわれないようにおしよ」
 こうくりかえしくりかえしいった、それからご飯のときの心得(こころえ)や、挨拶(あいさつ)の仕方までおしえた。そういうことは母は十分にくわしく知っていた。
「かまわねえ、豆腐屋の子だから豆腐屋らしくしろよ、なにも金持ちだからっておせじをいうにゃあたらねえ」と伯父(おじ)の覚平(かくへい)がいった。覚平は元来金持ちと役人はきらいであった、かれは朝から晩まで働いて、ただ楽しむところは晩酌(ばんしゃく)の一合であった。だがかれは一合だけですまなかった。二合になり三合になり、相手があると一升(しょう)の酒を飲む。それだけでやまずにおりおり外へでて喧嘩をする、かれは酔(よ)うとかならず喧嘩をするのであった。そのくせ飲まないときにはほとんど別人のごとく温和でやさしくてにこにこしている。
「じゃいってまいります」
「いっておいで」
 チビ公はあたらしいてぬぐいをはかまのひもにぶらさげ、あたらしいげたをはいて家をでた。光一の家へゆくとすでに五、六人の友達がきていた、その中には医者の子の手塚もいた、光一の家は雑貨店であるが光一の書斎(しょさい)ははなれの六畳(じょう)であった。となりの六畳室のふすまをはずしてそこに座蒲団(ざぶとん)がたくさんしいてあった。先客はすでに蓄音器(ちくおんき)をかけてきいていた。
「よくきてくれたね、青木君」と光一はうれしそうにいった。
「今日(こんち)はおめでとう」とチビ公はていねいにおじぎをした。あまりに礼儀正しいので友達はみなわらった。
「やあ青木君」
「やあ」
 一年前の同級生のこととてかれらは昔のごとくチビ公を仲間に入れた。次第次第に客の数がふえてもはや十二、三人になった、かれらは座蒲団を敷かずに縁側(えんがわ)にすわったり、庭へでたりしたがお菓子やくだものがでたので急に室内に集まった。手塚はこういう会合にはなくてならない男であった。かれは蓄音機係として一枚一枚に説明を加えた。
「ぼくはね、カルメンよりトラビヤタの方がすきだよ」とかれがいった。
「ぼくは鴨緑江節(おうりょっこうぶし)がいい」とだれかがいった。
「低級趣味(しゅみ)を発揮するなよ」と手塚はいった。そうしてトラビヤタをかけてひとりでなにもかも知っているような顔をして首をふったり感心した表情をしたりした。
 片隅では光一をとりまいた四、五人が幾何学(きかがく)によって座蒲団二枚を対比して論じていた。
「そら、角度が同じければ辺が同じだろう」とひとりがいう。
「等辺三角形は角度も相等しだ」と光一がいった。
 チビ公に近いところにたむろした一団は物体と影の関係について論じていた、洋画式でいうと物体にはかならず光の反射がある、どんなに影になっている点でもかすかな反射がある、この反射と影とは非常にまぎらわしいので困るとひとりがいった。するとひとりは影そのものにも反射があるといいだした。
 チビ公はびっくりしてものがいえなかった、かれはたった一年のあいだに友達の学問が非常に進歩し、いまではとてもおよびもつかぬほど自分がおくれたことを知った。幾何(きか)や物理や英語、それだけでもいまでは異国人のように差異ができた、こうして自分が豆腐屋(とうふや)になりだんだんこの人達とちがった世界へ墜落(ついらく)してゆくのだと思った。
「ねえきみ、ぼくらにはなんの話だかわからないね」
 かれは隣席の豊松(とよまつ)という少年にこうささやいた。豊松は八百屋(やおや)の子で小学校を卒業するまでに二度ほど落第した、チビ公よりは二つも年上だが、そのかわりに身体(からだ)が大きく力が強い、そのわりあいに喧嘩が弱く、よく生蕃になぐられては目のまん中から大粒(おおつぶ)の涙をぽろりと一粒こぼしたものだ、今日(きょう)集まった人々の中で中学校へもいかずに家業においつかわれているものは豊公とチビ公の二人だけであった、かれは学問やなにかの話よりも昔の友達がみな制服を着てるのに自分だけが和服でいるのがはずかしかった。
「あの人達は学者になるんだよ、おれ達とはちがうんだ」とかれはいった。
「そうだね、おれ達はなんになろうたって出来やしない」とチビ公がいった。
「金持ちはいいなあ」と豊公は嗟嘆(さたん)した。「いい着物を着ておいしいものを食べて学校へ遊びにゆく、貧乏人(びんぼうにん)は朝から晩まで働いて息もつけねえ、本を読みかけると昼のつかれで眠ってしまうしな」
「きみ、お父さんがあるの?」とチビ公がきいた。
「ないよ、きみは?」
「ぼくもない」
「親がないのはお金がないよりも悲しいことだね」
「それにぼくは力がない、きみは力があるからいいさ」
「力があってもだめだ」と豊公は急に腹だたしく、「おれは毎朝生蕃になぐられるんだ、そしていもだの豆だのなしだのかきだのぶんどられるんだ、それでもおれはだまってなきゃならない」
「ぼくも毎朝豆腐を食われるよ、きみなぞは力があるからなぐりかえしてやるといいんだ」
「だめだよ」と豊公はあやうくこぼれようとする涙をこらえていった。「あいつのお父さんは役場の役人だろう」
 チビ公はだまって溜(た)め息(いき)をついた。向こうではいま手塚が得意になって活動弁士の口まねをしていた。
「主はだれ、むらさきの覆面(ふくめん)二十三騎くつわをならべて……タララララタ、タララララタ、プカプカプカララララララ」
「うまいぞうまいぞ」と一同が喝采(かっさい)した。
「もう一つもう一つ」
 手塚は得意になってうぐいすのなき声、やぎ、ペリカン、ねこ、ねこが屋根から落ちて水たまりにぴしゃりとおちた音などをつづけざまにやった。かれはものまねがじょうずでなにごとについても器用であった。それからかれはハイカラなはやりうたをうたった。
「ぼくらにゃわからない」とチビ公はいった、実際見るもの聞くものごとにかれは旧友達よりはるかにおくれたことに気がついた、朝は学校へゆく、必要な書籍や雑誌はお金をおしまず買ってもらう、学校から帰ると活動写真を見にいっていろいろなことをおぼえてくるのだ、てんびん棒をかついで家をいで、つかれて家へ帰りそのまま寝てしまう自分等とはあまりに身分の差がある。
 お膳が運ばれた、チビ公は小さくなって室(へや)の隅にすわった、かれは今日(きょう)この席へこなければよかったと思った。いろいろな空想は失望や憤慨(ふんがい)にともなって頭の中に往来した。人々はさかんにお膳をあらした、チビ公はだまってお膳を見るとたいの焼きざかなにきんとん、かまぼこ、まぐろの刺身(さしみ)は赤く輝き、吸(す)い物(もの)は暖かに湯気をたてている。かれは伯父(おじ)さんを思いだした、伯父さんはいつも口ぐせにこういった。
「まぐろの刺身で一杯(ぱい)やらかしたいもんだなあ」
 これを伯父さんへ持っていったらどんなに喜ぶだろう、かれはこう思いかえした、そうしてたいは伯母(おば)さんと母が好きだからかまぼこだけは家へかえってからぼくが食べよう。
 食事がおわってからまたもや余興がはじまった、チビ公はいとまをつげてひと足早く光一の家をでた、かれはてぬぐいに包んださかなの折(お)り箱(ばこ)を後生大事に片手にぶらさげ、昼のごとく明るい月の町をひとりたんぼ道へさしかかった。道のかなたに見える大きな建物は一年前に通いなれた小学校である。月下の小学校はいま、安らかに眠っている。はしご形の屋根のむねからななめにひろがるかわらの波、思いだしたようにぎらぎら反射する窓のガラス、こんもりとしげった校庭の大樹、そこで自分は六年のあいだ平和に育った、そこにはあらい風もふかず冷たい雨も降らず、やさしい先生の慈愛の目に見まもられて、春の草に遊ぶ小ばとのごとくうたいつ走りつおどりつわらった、そこには階級の偏頗(へんぱ)もなく、貧富の差異もなく、勉強するものは一番になりなまけるものは落第した、だが六年のおわり! おおそれは喜ぶべき卒業式か、はたまた悲しむべき卒業式か、告別の歌をうたうとともに同じ巣(す)のはとやすずめは西と東、上と下へ画然(かくぜん)とわかれた。
 親のある者、金のある者はなお学府の階段をよじ登って高等へ進み師範(しはん)へ進み商業学校へ進む、しからざるものはこの日をかぎりに学問と永久にわかれてしまった。
 チビ公は月光をあびながら立ちどまって感慨にふけった。
「やいチビ」
 突然(とつぜん)声が聞こえて路地の垣根から生蕃があらわれた。
「折詰(おりづめ)をよこせ」
「いやだよ」とチビ公は折り箱をふところに押しこんだ。
「いやだ? こら豊松はおとなしくおれにみつぎをささげたのにおまえはいやだというのか」
「いやだ、これは伯父(おじ)さんにあげるんだから」
「やい、こらッ、きさまはおれのげんこつがこわくないかよ」
 生蕃は豊公から掠奪したたいの尾をつかんで胴のところをむしゃむしゃ食べながらいった。
「阪井君、ぼくは毎朝きみに豆腐(とうふ)を食われてもなんともいわなかった、これだけは堪忍(かんにん)してくれたまえ、きみは豊公のを食べたならそれでいいじゃないか」
「きさまは豊公をぎせいにして自分の義務をのがれようというのか」
「義務だって? ぼくはなにもきみにさかなをやる義務はないよ」
「やい小僧(こぞう)、こらッ、三年のライオンを退治(たいじ)した生蕃を知らないか、よしッ」
 生蕃の手が早くもチビ公のふところにはいった。
「いやだいやだぼくは死んでもいやだ」
 チビ公は両腕を組んでふところを守った。
「えい、面倒だ」
 生蕃はずるずると折り箱をひきだした、チビ公は必死になって争うた。一は伯父(おじ)を喜ばせようという一心にのぼせつめている、一はわが腹をみたそうという欲望に気狂(きぐる)わしくなっている。大兵(だいひょう)とチビ公、無論敵し得(う)べくもない、生蕃はチビ公の横面をぴしゃりとなぐった、なぐられながらチビ公はてぬぐいの端(はし)をにぎってはなさない。
「えいッ」
 声とともにけあげた足先! チビ公はばったりたおれた。ふたたび起きあがったときはるかに生蕃の琵琶歌(びわうた)が聞こえた。
「それ達人は大観す……栄枯は夢か幻(まぼろし)か……」
 チビ公の目から熱い涙がとめどなく流れた、金のためにさいなまれたかれは、腕力のためにさいなまれる、この世のありとあらゆる迫害(はくがい)はただわれにのみ集まってくるのだと思った。
 はかまのどろをはらってとぼとぼと歩きだしたが、いろいろな悲憤(ひふん)が胸に燃えてどこをどう歩いたかわからなかった、かれはひょろ長いポプラの下に立ったときはじめてわが家へきたことを知った、家の中では暗い電灯の下で伯父(おじ)が豆をひいている音が聞こえる。
「ぎいぎいざらざら」
 うすをもるる豆の音がちょうどあられのようにいかめしい中に、うすのすれる音はいかにも閑寂(かんじゃく)である、店の奥には母が一生懸命に着物を縫(ぬ)うている。やせた顔におくれ毛がたれて切れ目の長い目で針を追いながらふと手をやめたのはわが子の足音を聞きつけたためであろう。
「折詰がない」
 こう思ったときチビ公はこらえられなくなってなきだした。
「だれだえ」
 母の声がした。
「千三(せんぞう)か」
 石うすの音がやんだ。そうして戸をあけるとともに伯父(おじ)の首だけが外へ出た。
「なにをしてるんだ千三」
 チビ公はだまっている。
「おい、ないてるのか」
 伯父は手をひいて家へいれた。母は心配そうにこのありさまを見ていた、伯母(おば)はすでに寝てしまったらしい。
「どうしたんだ」
「伯父さんにあげようと思ってぼくは……」
 チビ公はとぎれとぎれに仔細(しさい)を語った。
「まあ着物はやぶけて、はかまはどろだらけに……」
 と母も悲憤(ひふん)の涙にくれていった。
「助役の子だね、阪井の子だね、よしッ」
 伯父の顔はまっかになったかと思うとすぐまっさおになった。かれは水槽(みずおけ)の縁(へり)にのせたてぬぐいを、ふところに押しこんで家を飛びだした。
「伯父さんをとめて」と母が叫んだ。チビ公はすぐ外へ飛びだした。
「だいじょうぶだ、心配すな、みんな寝てもいいよ」
 伯父さんは走りながらこういった。
「待っておいで」
 母はこういってぞうりをひっかけて伯父のあとを追うた。チビ公は茶の間へあがって時計(とけい)を見た、それは九時を打ったばかりであった。チビ公はあがりかまちに腰をかけて伯父と母の帰りを待っていた。伯母さんは昼の中は口やかましいにかかわらず夜になるとまったく意気地(いくじ)がなくなって眠ってしまうので起こしたところで起きそうにもない。豆腐屋(とうふや)は未明に起きねばならぬ商売だ、チビ公は昼の疲れにうとうとと眠くなった。
「眠っちゃいけねえ」とかれは自分をしかりつけた、がいったん襲(おそ)いきたった睡魔(すいま)はなかなかしりぞかない、ぐらりぐらりと左右に首を動かしたかと思うと障子に頭をこつんと打った、はっと目をさまして庭へ出て顔を洗った、月はポプラの枝々をもれて青白い光を戸板や石うすやこもや水槽(みずおけ)に落とすと、それらの影がまざまざと生きたようにういてくる。チビ公は口笛をふいた。
 時計は十時を打った。
「伯父さんが喧嘩をしてるんじゃなかろうか、もしそうだとすると」
 チビ公はこう考えたとき少年の血潮(ちしお)が五体になりひびいた。
「阪井の家へいったにちがいない、だが阪井の親父は助役だ、子分が大勢だ、伯父さんひとりではとてもかなわないだろう、そうすると……」
 かれはもうだまっていることができなくなった、身体(からだ)は小さいがおれの方が正しいんだ、伯父さんを助けてあげなきゃならない。
 かれは雨戸のしんばり棒をはずして手にさげた、それからじょうぶそうなぞうりにはきかえて外へでた、めざすところは阪井の家である、かれは今にも伯父が乱闘乱戦に火花をちらしているかのように思った、胸が高鳴りして身体(からだ)がふるえた。町に松月楼(しょうげつろう)という料理屋がある、その前にさしかかったときかれはただならぬ物音を聞いた。ひとりの男がはだしのまま、
「医者を医者を」と叫んで走った。すると他の男がまた同じことをいって走った。
「もしや伯父がここで……」とチビ公は直感した、とたんに暗がりから母が飛びだしてチビ公の肩にもたれた。
「大変だよ千三(せんぞう)、伯父さんが……」
 母はなかばなき声であった。ばらばらと玄関(げんかん)に五、六人の影があらわれた。
「悪いやつをなぐるのはあたりまえだ、おれの家の小僧(こぞう)をおどかして毎朝豆腐(とうふ)を強奪(ごうだつ)しやがる、おれは貧乏人(びんぼうにん)だ、貧乏人のものをぬすんでも助役の息子(むすこ)ならかまわないというのか」
 たしかに伯父さんの声である。
「子どもの喧嘩にでしゃばって、相手の親をなぐるという法があるか」
 二、三人がどなった。
「あやまらないからなぐったんだ」
「ぐずぐずいわんと早く歩け」
「おれをどうするんだ」
 五、六人の人々が玄関口で押しあった。その中から伯父さんの半裸体(はんらたい)の姿があらわれた、伯父さんの顔はまっさおになってくちびるから血がしたたっていた、かれのやせた肩は呼吸の度ごとにはげしく動いた。
「さあでろ」と巡査(じゅんさ)がいった。
「はきものがない」と伯父さんがいった。
「そのままでいい」
「おれはけだものじゃねえ」
 だれかが外からぞうりを投げてやった、伯父さんはそれをはいた。
「伯父さん!」とチビ公は門内にかけこんでいった。
「おお千三か、おまえのかたきは討ってやったぞ、いいか明日(あす)から商売に出るときにはな、鉄砲となぎなたとわきざしとまさかりと七つ道具をしょってでろ、いいか、助役のせがれが強盗(ごうとう)にでても警察では豆腐屋を保護してくれないんだからな」
 こういった伯父さんの息は酒くさかった。
「歩け」と巡査がいった。
「待ってくださいおまわりさん」とチビ公は巡査の前にすわった。
「伯父さんは酔(よ)ってるんです、伯父さんをゆるしてください、明日(あす)の朝になって酒がさめたら伯父さんと一緒(いっしょ)に警察へあやまりにまいります、伯父さんがいなければ私一人では豆腐を作ることができません」
 チビ公の声は涙にふるえていた。
「なにをぬかすかばか」と伯父さんがどなった。
「商売ができなかったらやめてしまえ、商売をしたからって助役の息子に食われてしまうばかりだ」
 伯父さんはのそのそと歩きだした、かれは門の外になくなく立っている妹(チビ公の母)を見やって少し躊躇(ちゅうちょ)したが、
「あとはたのむぜ、おれは強盗(ごうとう)の親玉を退治(たいじ)たんだから、これから警察へごほうびをもらいにゆくんだ」
 母がなにかいおうとしたが伯父はずんずんいってしまった、ひとりの巡査と、ふたりの町の人がつきそうていった。チビ公と母はどこまでもそのあとについた、伯父さんは警察の門をはいるときちらとふたりの方をふり向いた。
「困(こま)ったねえ」と母がいった。
「阪井にけがをさしたんでしょうか」
「そうらしいよ、たいしたこともないようだが、それでも相手が助役さんだからね」
「今晩帰ってくるでしょう?」
「さあ」
 ふたりは思い思いの憂欝(ゆううつ)をいだいて家へ帰った、母は戸口に立ちどまって深い溜(た)め息(いき)をついた、かの女(じょ)は伯母(おば)のお仙(せん)をおそれているのである、伯父は親切だが伯母はなにかにつけて邪慳(じゃけん)である、たよるべき親類もない母子(おやこ)は、毎日伯母の顔色をうかがわねばならぬのであった。
 ふたりはようやく家へはいった、そうして伯母を起こして仔細(しさい)を語った。
「へん」と伯母は冷ややかにわらった。「なんてえばかな人だろう、この子がかわいいからって助役さんをなぐるなんて……明日(あす)から商売をどうするつもりだろう、どうしてご飯を食べてゆくつもりなの?」
 お仙は眠い目もすっかりさめて口ぎたなく良人(おっと)をののしった。
「商売はぼくがやります、伯母さん、そんなに伯父さんを悪くいわないでください」
 チビ公は決然とこういった。
「やれるならやってみるがいいや、おら知らないよ」
 お仙はふたたび寝床へもぐりこんだ、チビ公と母のお美代(みよ)は床へはいったがなかなか眠れない。
「なによりもね、さしいれ物をしなくちゃね」とお美代がいった。
「さしいれ物ってなあに?」
「警察へね、毛布だのお弁当だのを持っていくんだよ、警察だけですめばいいけれどもね」
「お母(かあ)さんが弁当をこさえてくれればぼくが持っていくよ」
「それがね、お金を弁当屋にはらって、さしいれしてもらうのでなきゃいけないんだよ」
「いくら?」
「一遍(ぺん)の弁当は一番安いので二十五銭だろうね」
「三度なら七十五銭ですね」
「ああ」
「七十五銭!」
 七十五銭はチビ公ひとりが一日歩いてもうける分である、それをことごとく弁当代にしてしまえば三人がどうして食べてゆけよう。チビ公は当惑(とうわく)した。
「豆をひくにしても煮(に)るにしても、おまえの腕ではとてもできないし、私(わたし)の考えでは当分休むよりほかにしかたがないが、そうすると」
 お美代はしみじみといった。
「休みません、伯父さんのできることならぼくがやってみせます、ぼくのために助役をなぐった伯父さんに対してもぼくはるす中りっぱにやってみせます」
「でもさしいれ物はね」
「お母さん、ぼくの考えではね、お母さんもぼくと一緒(いっしょ)に豆腐(とうふ)を作って、それから伯父さんの回り場所を売りにでてください、二人(ふたり)でやればだいじょうぶです」
「そうだ」とお美代はうれしそうにいった。「そうだよ千三、私は女だからなにもできないと思っていたが、今夜から男になればいいのだ、伯父さんと同じ人になればいいのだ、そうしようね」
「お母さんに荷をかつがせて豆腐を売らせたくはないんだけれども……お母さん、ぼくはまだ小さいからしかたがありません、大きくなったらきっとこのうめあわせをします」
 チビ公の興奮(こうふん)した目はるりのごとくすみわたって瞳(ひとみ)は敢為(かんい)の勇気に燃えた。
 うとうとと眠ったかと思うともう東が白みかけたので母に起こされた、チビ公はいきおいよく起きて仕事にとりかかった、お美代もともに火をたきつけた、このいきおいにおされてお仙(せん)はぶつぶついいながらもやはり働きだした。
「伯母さんはなにもしなくてもいいからただ指図(さしず)だけしてください」
 とチビ公はいった。
 至誠はかならず天に通ずる、チビ公の真剣な労働は邪慳(じゃけん)のお仙の角(つの)をおってしまった、三人は心を一つにして、覚平(かくへい)が作る豆腐におとらないものを作りあげた。
「さあいこうぜ」とお美代はいせいよくいった。脚絆(きゃはん)をはいてたびはだしになり、しりばしょりをして頭にほおかむりをなしその上に伯父さんのまんじゅう笠(がさ)をかぶった母の支度(したく)を見たときチビ公は胸が一ぱいになった。
「らっぱはふけないから鈴(すず)にするよ」とお美代はわらっていった。
「じゃお先に」
 チビ公は荷をかついで家をでた、なんとなく戦場へでもでるような緊張した気持ちが五体にあふれた、かれは生まれてはじめて責任を感じた、いままでは寒いにつけ暑いにつけ商売を休みたいと思ったこともあった、また伯父さんにしかられるからしかたなしにでていったこともあった、しかしこの日は全然それと異(こと)なった一大革命(いちだいかくめい)が精神の上に稲妻(いなずま)のごとく起こった。
「おれがしっかりしなければみんなが困る」
 かれは警察にある伯父さんも伯母も母もやせ腕一本で養わねばならぬ大責任を感ずるとともに奔湍(ほんたん)のごとき勇気がいかなる困難をもうちくだいてやろうと決心させた。
 らっぱの音はほがらかにひびいた、かれは例のたんぼ道から町へはいろうとしたとき、今日(きょう)も生蕃が待っているだろうと思った。
 かれは微笑した、それはいかにも自然に腹の中からわきでたおだやかな微笑であった。いつもかれはこのところでいくどか躊躇(ちゅうちょ)した、かれは生蕃をおそれたのであった、がかれはいま、それを考えたとき恐怖(きょうふ)の念が夢のごとく消えてしまった。でかれは堂々とらっぱをふいた。
 町の角に……はたして生蕃が立っていた。
「やい」と生蕃は血走った目でチビ公をにらんだ。
「おまえに食わせる豆腐(とうふ)はないぞ」とチビ公は昂然(こうぜん)といった。
「なにを?」
 生蕃はびっくりして叫んだがつぎの句がつげなかった、かれはいつも涙(なみだ)ぐんでぺこぺこ頭を下げるチビ助(すけ)が、しかも昨夜かれの伯父がおれの父をなぐったことを知ってるチビ助が、復讐(ふくしゅう)のおそれも感ぜずにいつもより勇敢(ゆうかん)なのを見ると、実際これほどふしぎな現象はないのであった。
「待てッ」
「待っていられないよ、明日(あす)の朝またあおうね」
 チビ公はずんずん去ろうとした。
「こらッ」
 生蕃の手がてんびん棒にかかった、とこのとき電柱の陰(かげ)から声が聞こえた。
「阪井、よせよ」
 それは柳光一であった。
「なんでえ」
「きみは悪いよ」と光一は歩みよった。
「なんでえ」と生蕃がほえた。
「きみはぼくと親友になるといったことをわすれたか」
「わすれはしねえ」
「じゃ、一緒に学校へいこう」
「しかし」
「もういいよ」
 光一は生蕃のひじをとった、そうしてチビ公ににっこりしてふりかえった。チビ公は鳥打帽(とりうちぼう)をぬいで一礼した。
 この日ほど豆腐の売れた日はなかった、町では覚平(かくへい)が助役をなぐって拘留(こうりゅう)されたという噂(うわさ)が一円に拡がった、しかもそれは貧しき豆腐屋の子がになってくる豆腐を強奪したうらみだとわかったので町内の同情は流れの低きにつくがごとくチビ公に集まった。
「買ってやれ買ってやれかわいそうに」
 豆腐のきらいな家までが争うて豆腐を買った、チビ公のふくらっぱは凱歌(がいか)のごとく鳴りひびいた。
 二時間にして売りつくしたのでチビ公は警察へいった。
「伯父さんをゆるしてください、伯父さんが悪いんでないのです、酒が悪いんですから」
 かれは警部にこう哀願(あいがん)した。
「警察ではゆるしてやりたいんだ」と警部は同情の目をまたたいていった。「だが阪井の方で示談(じだん)にしないと警察では困るんだ」
「監獄(かんごく)へいくんでしょうか」
「そうなるかもしれない、きみの方で阪井にかけあってなんとかしてもらうんだね」
 チビ公はがっかりして警察をでた、それからその足でさしいれ屋へゆき、売りだめから七十五銭をだしていった。
「どうかよろしくお願いします」
「覚平(かくへい)さんだったね」とさしいれ屋の亭主(ていしゅ)がいった。
「はあ」
「覚平さんのさしいれはすんでるよ」
「三度分の弁当ですよ」
「ああすんでる」
「だれがしてくれたのです」
「だれだかわからないがすんでる、五十銭の弁当が三本」
「へえ、それじゃちり紙を一つ……」
「ちり紙とてぬぐいと、毛布二枚とまくらと……それもすんでる」
「それも?」とチビ公はあきれて、「どなたがやってくだすったのですか」
「それもいえない、いわずにいてくれというんだから」
「じゃさしいれするものはほかになんでしょう」
「その人がみんなやってくれるからいいだろう」
 チビ公はあっけにとられて言葉がでなかった、親類とてほかにはなし、友達はあるだろうが、しかし匿名(とくめい)にしてさしいれするのでは、ふだんにさほど懇意(こんい)にしている人でないかもしれぬ、自分では想像もできぬが、母にきいたら思いあたることもあるだろう、こう思ってかれはそこをでた、家へ帰ると母もすでに帰っていた。生まれてはじめててんびん棒をかついだので母はがっかりつかれて、肩を冷水で冷やしていた。
「どうでしたお母(かあ)さん」とチビ公がいった。
「大変によく売れたよ」と母はわらっていた。
「ぼくの方も非常によかったです、二時間のうちに」
 かれはからのおけを見せ、それから売りだめを伯母にわたしてさしいれものの一件を語った。
「だれだろうね」
「さあだれだろう」
 伯母と母はしきりに知り人の名を数えあげたが、それはみんな匿名(とくめい)の必要のない人であり、毛布二枚を買う資力のない人ばかりであった。
 その日の夕飯はさびしかった、酒を飲んで喧嘩(けんか)をするのは困るが、さてその人が牢獄(ろうごく)にあると思えばさびしさが一層(いっそう)しみじみと身に迫(せま)る。
「阪井にかけあって示談にしてもらうようにしましょうかね」と母は伯母にいった。
「まあ、そうするよりほかにしかたがありますまい」と伯母がいった。チビ公をるすにして二人(ふたり)はそれぞれ知人をたよって示談の運動をした。
「よろしい、なんとかしましょう」
 こう快諾(かいだく)してくれた人は四、五人もあったが、翌日(よくじつ)になると悄然(しょうぜん)としてこういう。
「どうも阪井のやつはどうしてもききませんよ、このうえは弁護士にたのんで……」
 望みの綱(つな)も切れはてて一家三人はたがいにため息をついた。もとより女と子どものことである、心は勇気にみちてもからだの疲労(ひろう)は三日目の朝にはげしくおそうてきた。母の肩は紫(むらさき)に腫(は)れて荷を負うことができない、チビ公は睡眠(すいみん)の不足と過度の労働のために頭が大盤石(だいばんじゃく)のごとく重くなり動悸(どうき)が高まり息苦しくなってきた。
 豆腐を買う人は多くなったが、作る人がなくなり売りにでる者がなくなった。
 示談が不調で覚平(かくへい)は監獄(かんごく)へまわされた。

         三

 何人(なんぴと)が覚平のさしいれ物をしたかは永久の疑問として葬(ほうむ)られた。しかしチビ公の一家は次第次第に貧苦に迫った。夜中の二時に起きて豆腐を作れば朝にはもうつかれて町をまわることができない。町をまわろうとすれば夜中に豆腐を作ることができない。このためにお美代は女手一つでわずかばかりの豆腐をつくり、チビ公一人が売りに出ることにきめた。
 製作の量が少ないので、いくら売れてももうける金額はきわめて少なくなった。チビ公はいつも帰り道に古田からたにしを拾うて帰った。一家三人のおかずはたにしとおからばかりであった。伯母のお仙は毎日のように愚痴(ぐち)をこぼした。
「おまえのためにこんなことになったよ」
 これを聞くたびにチビ公はいつも涙ぐんでいった。
「伯母さん、ぼくはどんなにもかせぐから、そんなことをいわないでくださいよ」
 ある日かれは豆腐(とうふ)おけをかついで例の裏道(うらみち)を通った、かれの耳に突然異様の音響が聞こえた。それは医者の手塚の家であった。夕日はかっと植え込みを染めて土蔵の壁が燃ゆるように赤く反射していた。
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