自由の使徒・島田三郎
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著者名:木下尚江 

 足下若し良心あらば、今に於て足下が公人として、社会に対する責任を明かにし、四千五百万民衆が足下に対して抱ける疑惑を消散するに勉めよ。
 予は足下に向ひ、足下の現時の要務は、他の責任に就て云為するの前、先づ足下が公人として社会に対する責任を尽し得たるや否やを反省するに在ることを教示せんと欲するものなり。
  十一月十七日島田三郎 司法権も漸く動き出して、利光某中島某等市会及市参事会に於ける星の腹心の人達が陸続と監獄裡の人となつた。
 帝国議会の召集は、十二月二十二日に迫つて居る。政党改善を標榜して起つた伊藤首相は煩悶した。二十一日、星は遂に逓信官を辞して、原敬が是に代つた。
 翌三十五年六月二十一日午後、伊庭想太郎と云ふ剣客の為に星は市会議場に非命の最期を遂げた。
 血は一切の罪を拭ふ。世論は忽ち頭を転じて、毎日新聞の詭激の言論を非難した。かくて島田三郎と云ふ名は一世の恐怖となつた。

  普選論にこめたる感激

 今や選挙法の改正、選挙権の拡張に伴ふて、横浜市は二人の代議士を出すことになつた。二人の議員に三人の候補者。曰く三菱の代表者加藤高明、曰く伊藤政友会総裁指名の奥田義人、及び単身孤独の島田三郎。
 二月十四日、「横浜市民諸君に告ぐ」の一文を公にして、先生は戦闘を開始した。全国の視線は横浜の一点に集中した。
 三月一日、選挙。投票総数二千四百何十。先生の得票一千四百何十――然らば他の一人は誰か。奥田が当選して加藤が落ちた。この時先生五十二歳。
 大正九年二月十五日の衆議院で、先生丁度七十歳、普通選挙法案の演説中に
「明治の初年は如何なる人に依て改革を遂げられたかと申しますと、青年先づ活動して、壮年これに応じ、老年の人これに追随すると云ふことが、明治初年の改革の大に振うた所以であります。――明治初年の先輩に対して、今日この議会に居る所の御同様、甚だ相済まざる感が起つて、吾輩先づこの怠慢を謝さなければならぬ。」
 かう言うて居られる。
『普通選挙の主唱は政治上の義務です』
と言はれた先生の真意を、首肯くことが出来る。「義務」の一語には幾多の感慨が籠つて居るだらう。而かも明治三十六年の選挙の感激が、中心の動力であることを、僕は窃かに想像する。〔『中央公論』昭八・五〕



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