怪異暗闇祭
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著者名:江見水蔭 

 さすがの小机源八郎もびっくりした。五郎助七三郎などは飛上って驚いた。
 透して見るとそこに人が登っていた。朧気(おぼろげ)ではあるが山伏の姿であった。
「なんだ、そんな所にいて、我々の話を黙って聴いていたのか」と源八郎は呼ばわった。
「夜目が利くの、闇夜(あんや)の太刀を心得ておるのと、高慢なことを申しても和主達(おぬしたち)は駄目だ。俺がここにいるのが見えなかったろう」と、樹上の怪人は嘲(あざけ)り気味に云った。
「ぐずぐず云わずとここへ降りて来い」
「降りても好い。だが、貴様達がそこにいては降りられない」
「こわくって降りられんのか」
「いや、そうじゃあない。俺は一足飛びにそこへ飛んで降りるのだが、ちょうど足場の好い所へ二人並んでいやあがる。邪魔だ」
「馬鹿を云うな。二人の前でも、後でも、右でも、左でも、空地はある。どちらへでも勝手に飛降りろ」
「だから貴様等の夜目は役に立たないんだ。まだ暗闇が見えるというところまでに達して居らない。貴様達の後には犬の糞(くそ)がある。それが貴様達には見えないだろう。前には山芋を掘った穴がある。能く貴様等は落ちなんだものだ。右には木の根が張っている。左には石や瓦のかけが散(ちらか)っている。みな飛降りるのに都合が悪い。ちょうど貴様達二人のいる所が、草の生え具合から土の柔かみで、足場が持って来いだ。それをこの二丈五六尺から高い樹の上から、暗闇の中にちゃんと見分けることのできる俺だのに、貴様達にはそれができぬ。夜目について威張った口を利くのは止(よ)せっ」
 これには二人とも驚いた。正(まさ)しく天狗だ。いでその鼻の高いのを、降りて来て見ろ、斬落してくれるぞと、云い合さねど互いに待構えた。

       六

「さあ、飛ぶぞ。退(ど)かなけりゃあ片足をすりの頭の上に、片足を三ぴんの頭の上に、乗っけて立つように飛んで見せるぞ」
 そう云いながら樹上の怪山伏は、一気に二丈五六尺の高さから飛降りた。
「えいっ」
 待構えていた小机源八郎は飛降りてまだ立直らないところを、度胆を抜くつもりで刀の背打(むねうち)を食わせようとした。
「はっはっはっ」
 後(うしろ)の方で又例の高笑いがした。
 前に飛んだのは、大きな幣束(へいそく)であった。後に山伏は早や立っていた。
 何しろ大男だ。顔までは能く分らなかったが、丈は雲を突くばかり、手には金剛杖を持っていた。
「生意気な山伏奴(め)。さあ小机源八郎の闇夜の太刀先を受けて見ろっ」
「いくらでも受けるが、俺の姿が見えるかっ」と山伏は嘲笑(あざわら)った。
「何っ」
 一刀両断は神影流の第一義。これ、実の実たる剣法であったのを、見事に身を交わされて、虚の虚とさせられた。
「おのれっ」
 二度の打込は虚の実。二段の剣法。正面急転右替の胴切と出たところを、巧みに金剛杖で受留められた。
 杖に鉄条でも入っているのか、その杖さえも切落せぬので、源八郎もこれは手ごわいと、先ず気を呑まれた。
 源八郎危しと見て、五郎勘七三郎は、種ヶ島の短銃を取出し……までは、好かったが、その時代のは点火式で、火打石で火縄へ火を付けて、その又火縄で口火へ付けるという、二重三重の手間の掛かる間に、金剛杖でぐわんと打たれて、手に持っていた火打鎌が、どこへ飛んだか、夜目自慢の七三郎も、こうなると面食(めんくら)って、見付けられず、手探りに探っている間に、何度頭を金剛杖で撲(なぐ)られたか、数知れず、後には気絶して突伏してしまった。
 鋭く斬込んで来る源八郎を扱いながら、その隙間(すきま)に七三郎を参らしたのだから、どの位腕が利くか、ほとんど分らなかった。
「もう止せ。とても俺には敵うまい。ぐずぐずしていると貴様の命はなくなるぞ。や、それでは少し借しい。それに貴様達は考え違いをしておる。俺は旗本六人の鼻も切らねば、十数名の女の臀部も切らぬ」
「えっ」
「それについて実は俺も不思議に思っているところなんだ。さあ勝敗(しょうぶ)止(や)めて話し合って見ようじゃあないか」
 止めるも止めぬもない。小机源八郎すでにへとへとで、ただ青眼に構えているだけで、四方八方隙間だらけだ。
「うーむ」
「唸らなくっても好い。まあ木の根にでも腰を掛けろ。おっとそこの木の根には毛虫が這ってる。貴様には見えまいが、俺には見える」
「何、毛虫がいたって構わん」
 源八郎、敗(ま)けぬ気を出したわけではない。ほかの木の根を探すよりも、早く休みたいからであったのだ。

       七

「一体、貴公は何者だ」と小机源八郎は、ようやく息を納めてから問うた。
「俺は本当の天狗だ。天狗にもいろいろあるが、俺のは正札付きの天狗だ。ただし昔話にある羽団扇(はうちわ)を持った、鼻の高い、赤い顔の、あんなのではない。普通の人間で、ちゃんと両親もある、兄弟もある。武州御岳山(おんたけさん)で生れたんだ。代々山伏だ。俺の先祖は常陸坊海尊(ひたちぼうかいそん)。それから血統正しく十八代伝わっている。長命が多いので、百歳以上まで生きたのが二三人ある。代々夜目が利くんだ。俺は大竜院泰雲(だいりゅういんたいうん)という者だ」
 なる程天狗だ。大天狗だ。
「それがどうして一昨年と昨年と、二年つづきで七三郎の仲間を、半殺しの目に遭わされたか」
「当り前じゃあないか。神祭(かんまつり)の際に悪事を働くなんど怪しからん奴等だから、懲らしめのために二年つづきで遣付(やっつ)けてやった。今年で根絶(ねだや)しに致すところなんだ」
「それでは、旗本六人の鼻は」
「や、それは本統に知らん。俺は全くそんな事はしらない。女の臀部を切ったのも全(まる)で知らん。ほかにあるに違いない。俺は暗闇を幸に悪事をする奴を懲らしめるために、毎年下山して来ておるが、どうも去年のだけは見当がつかぬ」
「すると、ほかにあるんだな。何者だろうか」
「や、面白い。どうだ、源八郎。貴様のようなのでも、とにかく夜目の利く一人だ。すりの野郎も先ず先ず夜目が少しは見える。今夜はこの三人で暗闇の中を見廻って、左様な悪戯をする者を引捕え、以来手を出させぬように致してやろうではないか」
「それは結構。三人で暗闇の中を探して見よう」
「じゃあ、そのすりを活かしてやろう」
 大竜院泰雲が、七三郎に活を一つ入れた。
「うーむ」と七三郎は唸り出した。
「しっかりしろっ」と源八郎が呼ばわった。
「もうたくさんです」
「安心しろ、もう撲らん」
 ここで三人が約束して、三方に散って、暗闇祭の中を縫い歩き、鼻切り臀切りの犯人を捕えたら、一先ずこの大欅の根下まで連れて来るということにした。
「誰が捕えるか、眼力くらべだ。敗けた者に酒を奢(おご)らせることにしようではないか」と源八郎が云い出した。
「や、それは御免だ。眼力も眼力だが、もし運が悪ければ見付けられない。俺が敗けたとなると貧乏山伏だから、酒代は出せぬ。そこで酒はすりが人の金を取ってたくさん持っているだろうから、誰が見付けたに関らず、七三郎、貴様一樽(ひとたる)買えっ。その代りだ、見付けた者が一番威張るということにして、敗けた二人は仕方がない、お辞儀をする。そうして一つ拳固(げんこ)で頭をこつん。これくらいの余興がないと面白くない」と泰雲が主張した。すりの上前を跳ねて、酒を呑もうなんて、えらい奴もあったものだ。
 こうして、遺伝性で夜目の利く大竜院泰雲。奇蹟的に夜目の利く小机源八郎。練習の功で夜目の利く五郎助七三郎。この三人は社後の林を出て、思い思いに三方に散った。

       八

 いよいよ暗闇祭の時は来た。神宮猿渡何某(さるわたりなにがし)が神殿において神勇(かむいさめ)の大祝詞(おおのりと)を捧げ終ると同時に、燈火(ともしび)を打消し、八基の神輿は粛々として練り出されるのであった。
 七基は二の鳥居前より甲州街道の大路を西に渡り、一基は随身門(ずいしんもん)の前より左に別れ、本町宿の方から共に番場宿の角札辻(かどふだつじ)の御旅所にと向うのであった。
 三人は三人互いに姿を晦(くら)まして、どちらに向ったか知れぬのであった。
     *       *       *
 くさくさの式も首尾好く終って鼕々(とうとう)と打鳴らす太鼓の音を合図に、暗黒世界は忽ち光明世界に急変するのであった。家々の高張、軒提燈(のきぢょうちん)は云うも更なり、四ヶ所の大篝火(おおかがりび)は天をも焦(こ)がすばかりにて、森の鳥類を一時に驚かすのであった。
「又遣られたっ」
「今年は耳を切られた者が三人」
「鼻をそがれたのも五六人あるそうな」
「女は相変らずお臀だそうな」
 群集の中で、あちらこちらに怪事件を語り伝えるのであった。
     *       *       *
 社後の裏山大欅の下に、真先に帰って来たのは怪山伏泰雲であった。はなはだ機嫌が悪く、ぶつぶつ独語(ひとりごと)をつぶやきながら、金剛杖で立木を撲りなどしていた。
 そこへ怪剣士小机源八郎が、ぼんやりした顔で帰って来た。
「やあお前もしけか」
「どうも見付からなかった」
「しかし、矢張、やられた者があるようだな」
「我々で見廻って発見されないのだから、すりの野郎にはとても駄目だろう。今にしょげながら帰って来るよ」
 そう話し合っているところへ、怪巷賊(かいこうぞく)五郎助七三郎が帰って来た。背中に黒髪振乱したる若い娘の、血に染ったのを背負って来た。
「はっはっはっ曲者が見付からないので、埋合せに美人を生捕って来たな。酒の酌でもさせようというのであろうが、それはよろしくない。帰してやれ。おや、ぐったりしているじゃあないか。気絶しているのか」
 七三郎は黙ってそこへ娘を下した。そうして片手の平で鼻を一つ擦(こす)り上げて、腮(あご)をしゃくって反り身になり、
「さあどうだ。二人とも地面(じびた)に手を仕(つ)いて、お辞儀をしなせえ。拳固で一つ頭をこつんだ。もちろん酒は私が奢(おご)ってやる」と馬鹿に威張り出した。
「おいおい、血迷っちゃいかん。切られた娘を連れて来たって何になるか。切った奴を連れて来なけりゃあ駄目だ」と源八郎が笑いながら云った。
「ところがこの娘が今夜も遣ったんで、去年のも多分そうでしょう」
「えっ」
「お前さん達は男ばかり目を付けて廻ったから逃がしたんで、あっしは女に目を付けたんで奴と分った。当身で気絶さして、引担いで来たんです。御覧なさい、着物に血が着いている。手にも着いてるでしょう。帯の間に血塗(ちまみ)れの剃刀(かみそり)が手拭に巻いて捻込(ねじこ)んであります」
「うーむ」
 今度は大竜院泰雲が唸り出した。
 気絶している娘を三人で介抱して、蘇生さして、脅(おど)しつ透(すか)しつ取調べた。
 最初は泣いてばかりいて、どうしても白状しなかったが、絶対にこの事実は秘密にしてやるという条件が利(き)いて、娘は奇怪なる犯罪の事実を告白に及んだ。
 娘は社家(しゃけ)、葛城藤馬(かつらぎとうま)の長女で稲代(いなよ)というのであった。
 神楽殿の舞姫として清浄なる役目を勤めていたのであったが、五年前の暗闇祭の夜に、荒縄で腹巻した神輿かつぎの若者十数人のために、乳房銀杏の蔭へ引きずられて行き、聴くに忍びぬ悪口雑言に、侮辱の極みを浴びせられたのであった。
 余りの無念口惜(くちお)しさ。それに因果な身をも耻(はじ)入りて、多摩川に身を投げて死のうとしたことが八たびに及んだ。それを発狂と見られて、土蔵の中を座敷牢にして、三年ばかり入れられていた。この裏面には継母の邪曲(よこしま)も潜むのであった。
 既に定(さだま)っていた良家への縁談は腹違いの妹にと移された。
 稲代はかかる悲運に陥(おとし)いれた種蒔の若者達を、極悪の敵(かたき)と呪わずにはいられなかった。けれどもどこの誰やら暗闇の出来事とて、もとより知れようはずがなかった。
 復讐、それは誰に向って遂げようもない。悲劇中の悲劇であった。終(つい)には世の中を呪い出した。人間を呪い出した。別して若い男、若い女、それを無上に呪い出した。
 三年の座敷牢。土蔵の中の暗さに馴れて、夜目が恐しく利くようになったのを幸、去年の暗闇祭に紛れて、男の鼻をそぎ、女の臀を切ったのであった。
 そのために非常な快感を覚えたのであった。今年もまたそれを企てたのであった。これでは矢張狂人(きちがい)なのであった。家人が座敷牢から自由にしたのが間違っているのであった。
 不思議な事実を聴いて三人とも、娘稲代に同情して、好いか悪いか分らなかった。
「これではなるほど、犯人が分らなかったわけだ」と源八郎は云った。
「それを見付けたのは五郎助七三郎だ。や、いくら夜目が利くからって、お前さん達は本統の目先が利かねえのだから駄目の皮だ。そこへ行くと矢張江戸っ子でなくっちゃあ通用しねえ。この犯人を女と睨んだところが全く気の利いているところなんだ」と無闇に七三郎威張り出した。
「なんだ。貴様、すりの癖に、生意気な事を云うなっ」と泰雲が赫(かっ)となった。
「いや約束だ。酒は私が奢る。これも約束だ。見付けた者が威張れるだけ威張って、後の二人が地面に手を仕(つ)いてお辞儀と極(きま)ってるんだ。そこで私は、相談だ。山伏の奴は俺の友達の敵(かたき)なんだから、拳骨で頭をこつんというのを、小机さんの分と一緒にして、二つ殴らせて貰いてえね。それは逆ずり金蔵と、節穴長四郎との二人の敵討に当ててえので。それさえ済んだら後は笑って、機嫌よく飲んで別れようではありませんか」
「小机の代理に俺が一つ余計に打(ぶ)たれるなんて、そんな馬鹿馬鹿しいことはないが。まあ好い。どの道殴られるんだ。一つも二つも同じだ。ただし、俺の頭は石よりも固いから、打つ方が痛いぞ」
「なんだって好い。打ちせえすりゃあ、講釈で聴いて知っている晋(しん)の予譲(よじょう)の故事(ふるごと)とやらだ。敵討の筋が通るというもんさ」
 大正の現代人には馬鹿馬鹿しく思われる事も、この時代には大概の場合にも茶番気が付いて廻っていて、それをしかも滑稽にせず、真面目に遣って退(の)けるのであった。
 泰雲、頭巾を取って、頭を出すと、七三郎、拳骨の先に唾を付けて力一杯、こつん! こつん!
「これで胸がさっぱりした」
 この変な敵討をよそに、小机源八郎は頻(しき)りに考え込んでいたが、やがて決心した体(てい)で、
「や、拙者はこの稲代殿を嫁に貰い受けたい」と云い出した。
 これには泰雲も七三郎もびっくりした。余りにそれは突然に過ぎたからであった。源八郎は単に稲代の境遇に同情したばかりではないのであった。泰雲の夜目の利くのが代々であるというのから考えて夜目の利く男と、同じく夜目の利く女との相婚の結果、その子により以上夜目を利かして見たいという、そうした腹から出たのであった。




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