支那人の妥協性と猜疑心
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著者名:桑原隲蔵 

         結語

 妥協性と猜疑心、これが實に支那人の二大痼疾である。この二大痼疾を剔去せねば、支那の改造は到底難事かと思ふ。妥協その者は必ずしも絶對に排斥すべきものではない。互讓の精神は如何なる場合にも寧ろ必要である。唯妥協にも互讓にも、主義や節操を忘れてはならぬ。支那人の如く主義や節操を放擲した妥協は苟合である。一時の苟合は却つて百年不安の種を播く。瓦全よりは玉碎、苟合よりは衝突の方が望ましい。孟子が抂レ尺而直レ尋ことを否定するのはこの故である。唐時代に兩面――『唐書』に見ゆ――といふ語がある。金時代に詭隨――『金史』に見ゆ――といふ語がある。何れも旗色のよき方に妥協して、反覆常なきをいふ。支那人は個人としても、團體としても、自己保全の方法として、好んでこの兩面詭隨を慣用するが、實に唾棄すべき所行と思ふ。猜疑の惡徳たることは殊更申述べる必要がない。
 治日少而亂日多とは支那人の常套語である。支那の歴史を見渡すと、いかにも太平の日が少い。上下四千載の歴史は、梅雨期の天氣の如く、陰鬱の影多くして光霽の趣に乏しい。支那人が黄金時代と誇稱する周ですら、太平の日は僅に五六十年に過ぎぬ。その他推して知るべしである。此の如きは妥協と猜疑の必然の結果でなからうか。征伐すべきものも、鎭壓すべきものも、すべて妥協によつて一時を糊塗するから、不安の原因は何時までも根絶せぬ。根絶せぬ不安の原因は、君臣同僚彼此の猜疑によつて一層増進する。梁啓超は曾て中國の積弱は防弊――官吏を猜疑すること――に由ると説破した。之にも半面の眞理はあるが、吾が輩はこれに苟合を加へ、中國の積弱宿弊は、多く支那人の妥協性と猜疑心とに本づくものと信じたい。
 近頃支那人の覺醒といふことが、新たに問題となつて來た。多くの論者は支那人最近の覺醒に重きを置き、今日の支那人は最早前日の支那人にあらずといふ。吾が輩は支那人覺醒の程度に就いて、多少疑惑をもつて居るが、若し眞に支那人が覺醒するものならば、彼等の覺醒は、自己反省から出發せなければならぬと思ふ。外に向つて軍國主義を攻撃し、民族自決を絶叫する前に、彼等自身の徳性の缺點の改造が更に一段の必要であるまいか。中國積弱の最大原因は、外的よりも内的に存在する。王陽明のいはゆる「去二山中賊一易。去二心中賊一難」で、内的改造は改造の第一義でなければならぬ。支那人自身が彼等の心中の缺點短處――例へば妥協性・猜疑心の如き――から脱却せざる間は、眞實永遠なる改造は到底期待し難かるべしと思ふ。吾が輩は支那人最近の覺醒の根本的徹底的ならんことを切望する者である。かかる根本的徹底的の覺醒こそ、日支兩國共通の幸福であらねばならぬ。
(大正九年三月四―八日『大阪毎日新聞』所載)



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