世界怪談名作集
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著者名:フランスアナトール 

 カトリーヌは自分のまわりにいる不思議な人びとの注目を受けていることを感じながら、わずかに顔を振り向けようとする時、そっと隣りを偸(ぬす)み見ると、その人は婆さんがかつて愛していて、四十五年前にもう死んでいるはずの騎士ドーモン・クレーリーであったのです。カトリーヌはその人であることを、左の耳の上にある小さい痣(あざ)と、長い睫毛(まつげ)が両方の頬(ほほ)にまで長い影をうつしているのとでたしかめたのです。彼は黄金(きん)色のレースのついている緋色(ひいろ)の猟衣(かりぎぬ)を着ていましたが、その服装こそは聖レオナルドの森で、初めて彼がカトリーヌに逢って、彼女に飲み水をもらって、そっと接吻(キッス)をした時の姿であったのです。彼はいまだに若わかしく、立派な風貌をそなえていて、彼が微笑を浮かべると、今も美しい歯並があらわれるのでした。カトリーヌは低い声で彼に話しかけました。
「過ぎし日の私のお友達……そうして、私が女としてのすべての愛を捧げたあなたに、神様のお加護がありますよう……。神様は、あなたのお心にしたがった私の罪をついに後悔させようとなされましょうが、私はこんな白い髪になって、一生の終わりに近づきましても、あなたを愛したことはいまだに後悔いたしておりません。そこで伺いますが、この聖餐祭に集まっていられる、あの昔ふうの服装(なり)をしている方がたはどなたでございます」
 騎士ドーモン・クレーリーは、呼吸(いき)をするよりも微かな、しかも透き通った声で答えました。
「あの男や女は、私たちが犯したような罪……動物的恋愛の罪のために、神様を悲しませた人たちです。煉獄(れんごく)の境いから来た霊魂たちです。しかしそのために、神様から追放されているのではありません。あの人たちの罪は私たちと同じように、無分別がさせた罪であるからです。あの人たちは、地上にいたときに愛していた人たちから離されている間に、この人たちにとって最も残酷な呵責(かしゃく)である放心の苦難を受けて、煉獄の浄火に聖(きよ)められたのです。この人たちの愛の苦しみは、天界にいる天使たちから見ると、憐れに見えるほどの不幸であるのです。この人たちは、天界の最も高き所にいます神の許しによって、一年のうち夜の一時間だけは、この人たちの教区に属する教会で、愛人と愛人とが逢うことができるのです。ここで、この人たちが、影の聖餐祭に集まって、手と手を握り合うことを許されています。私もここで、まだ死んでいないあなたに逢うことを許されたのは、これも神様のあたえてくだされた一つの愉楽なのです」
 そこで、カトリーヌ・フォンテーヌは次のように答えました。
「もし私が、いつか森の中であなたに飲み水をさしあげた時のように美しくなれますなら、わたしは喜んで死にたいと思います」
 二人が低い声でこんな話をしている間に、ひどく年をとった僧が大きな銅盤を礼拝者の前に差し出しながら、喜捨の金を集めに来ました。礼拝者たちは交るがわるにその中へ、遠い以前から通用しない貨幣を置きました。六ポンドのエクー古銀貨、英国のフロリン銀貨、ダカット銀貨、ジャコビュスの金貨、ローズノーブルの銀貨などが音もなしに盤のなかへ落ちました。その盤はついに騎士の前に置かれたので、彼はルイス金貨を落としましたが、今までの金貨や銀貨と同じように、これも音を立てませんでした。
 それから、かの老僧はカトリーヌ・フォンテーヌの前に立ち停まったので、カトリーヌは懐中(ふところ)を探りましたが、一ファージングの銅貨も持ち合わせていませんでした。しかし、何も入れないでそのまま通してしまいたくなかったので、騎士が死ぬ前に彼女に与えた指環を指から抜き取って、その銅盤へ投げ入れると、金の指環が盤の上に落ちると同時に、おもおもしい鐘が鳴りひびきました。この鐘の反響のうちに、騎士を初め、僧員や司祭者や役僧や、婦人や、そこに集まっているすべての人たちはみな消えてしまったのです。灯のついていた蝋燭も流れては消え、ただ、かのカトリーヌ・フォンテーヌの婆さんだけが闇のなかに取り残されました。
 堂守はここで話を終わると、葡萄酒をひと息にぐっと飲みほして、しばらく黙っていたが、やがてまた、次のように話し始めた。
「わたしは親父が何度も繰り返して話して聴かせたのを、そのままお話し申したのですが、これは本当にあった話だと思います。それというのは、この話はすべてその昔に私が見知っている……今はこの世にいない人たちの様子や特別な風習に符合(ふごう)しているからです。わたしは子供のときから、死人のことにずいぶんかかり合いましたが、死人はみな自分の愛している人のところへ立ち帰るものです。
 吝嗇(りんしょく)な人間が生前に隠して置いた財物(ざいもつ)の附近に、夜中徘徊するというのもやはりこのわけです。この人たちは自分の黄金(こがね)に対して厳重な見張りをしているのです。死人として、しなくともいいことをして自分で自分を苦しめ、かえって自分の不利益になってしまうのです。
 幽霊のすがたになって、地のなかに埋めた金などを掘っているのは珍らしいことではありません。それと同じように、さきに死んでしまった夫が、あとに生き残って他人と結婚した妻を悩ましに来たりすることがあります。私は生きていた時よりも、死んでからいっそう自分の妻を監視している大勢の人の名前までも知っています。
 こんなことはいけないことです。正しい意味からいえば、死人が嫉妬をいだくなどは謂(いわ)れのないことです。私自身が見たことについてお話をすることもできますが、男が未亡人と結婚しても同じようなことになるのです。しかし、今お話をしたカトリーヌの一件は、次のように伝えられています。
 その不思議なことのあった翌朝、カトリーヌ・フォンテーヌは、自分の部屋で死んでいました。そうして、聖ユーラリ教区の役僧が集金のときに使った銅盤のなかに、二つの手の握り合った形をした黄金の指環がはいっていたのを発見したのです。いや、私は冗談などをいう男ではありません。さあ、もっと葡萄酒を飲もうではありませんか」




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