一九二三年夏
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著者名:宮本百合子 

 A、やきのりの罐をいじって居る。
 私、吉田さん達にこの海苔ではないのを買っていらしったのでしょう。やっぱり男ね。
 A、あれ丈だったろう? 僕が三越へ買いに行ったのは。ぐずぐずして居ると、いろいろほしくなるから、さっさとかえって来た。
 私、まあ! ハハハハそうね、私の一番欲しいものがあるのは、食料品のところと、家具のところだわ、……家具のところが一番多いわね。
 A、だから、やっぱり、あれなのさ、何とか彼とか云って。
 私、――グランパだって、そうじゃあないの。
 A、僕は嘘をつかない。百合ちゃんは始めっから、うそをついて居る。
 私。……(沈黙)、暫く後
  グランパは、冗談に惨酷なことでも平気でおっしゃるわね。
(その時自分の心持は、自分ならああは云うまい。欲しいものも欲しくないものとして自分の為に、貧しいなら貧しい生活に行った者に、そんなことは云うまい。思いやりのない、ひとを Hurt することの平気な、一寸した正しさの自己満足にひたりたい、低劣な心持、いかにも彼のいやな部分が出た、と感じた。)
 後二階にあがり 此を書き乍ら
 一方云うと、Aの言葉は自分の中心をついた為、惨酷に感じたのだと考えなおした。
 自分が安のんな生活から云々と云う考えかたも滑稽に、且センチメンタルで、自分の不徹底を示して居る。
 うんと金をつかってのさばって生活したいのなら、金持の妻にでもなれ。
 平気で意義ある貧乏をするなら、平気で、書生の気でしろ。
 自分は、少しは金も持ち、謙譲の美徳を自覚しつつ、感傷性を満足させる質素さに居ようとするのだ。如何にも小心な中流人の心理。
 Aは生活にもまれ、自分をいざと云うときに守ることになれ、どん底に落ち切って居るから、或時、生活に対する強さ、I want because I want と云うところが、私共すべて林町の者にどぎつく、たまらなく見えるのだ。その社会の層の比較として見るとき面白し。
 自分として困ることは、Aの貧しさは、彼の心の寡慾、学究によると思った。が、そうばかりではないと云うことだ。

     Aの勉強

 まるで誰かに恩でもきせるようにほこり、同情されることをよろこびとすると見た。その反動で、自分は勉強について一寸もぐちは云うまいと覚悟した。
 たのまれてするのではなし、自分が愛し仕事をするのに、何をグドグド云う! と云う心持。

     九月一日

 今年は梅雨がひどく長かったので、八月に入ったらちっとも雨が降らなかった。
 それが、三十一日の午後から少し模様があやしくなり、その夜は、珍らしいざんざ降りになった。
 空には、東の方に凄い風雲が伝説のぬエのように浮び、俗に雨つぼ、と云われる西南の文珠山の上にはとけたような雨雲が見えた。始め大変な風、夜になって雨。
 一日の朝は、折々さっと白雨が来、数回地震があった。老人は、「自分等の子供の時、天変地異と云う本をよんだことがあるが、ひどく乾いたでと(泥土)の中に斯う水が入ると、火が起って地震になると云うことですいの」と云う。
 それでも夕暮になると雨もやみ、風もしずまり、すっかり秋らしい虫の声とともに、西日がさし出した。
 二階の三尺幅の□から見ると、すぐ目の前に、大きな蜘蛛がしきりに巣を張って居る。
 その時期を見ることに正しいのと、いそがず、うまず、自分の体の重みで具合よく張った糸にからみついては巣をはる様子に、蜘蛛の智慧と云うようなことを思った。

     九月三日

 夕立。
 東京には、伊豆大島の近くの海底に地すべり地震があったと云う。大地震、火災、つなみで林町も青山もどうなったかわからないと云う。(一日の昼十二時から)
 今日夕立が来。
 二階から見ると、足羽川の堤が木の間から見え、元は、いつも見える山がすっかりかくれてしまって、一面水っぽい灰色なので、まるで海につづいて居るような感じがする。Aは、福井市へ電報、帰る汽車その他のうち合わせに行って居る。烈しい東風雨[#「東風雨」はママ]で恐らくかえりはおくれるだろう。

     十月十四日

 九月一日関東、湘南に大震があり、東京は三分の二焼けの原となった。
 この為に、種々の思想的変化が生じた。
 一つ自分の家について考えて見ても、今迄よいところがあったら移ろうと思って居た心持がすっかりなくなり、この家でもありがたく愛し、出来るだけ心持よくして落付いて棲もうと云う心持になった。
 私共は壁を紙ではり、台所のテーブルの工合をなおし、私の机の前にはカーテンを下げ、すっかり落付くようにした。
 考えて見ると、人間の主我的なところと、ハムブルな弱いところとをよく現して居る。こんな家でもあった丈有難く思う謙遜さ またそれをもっと快適なものにしようとする我ままさ。
          ――○――
◎私は自分が、空想に支配され、いつも目の先にあらゆる壮美なもの、崇高なものの幻を描きながら、毎日は手をつかね坐り、ぼんやり思いに耽って居る種類の人間であるのを知って居る。反対にAはいつも彼の手か足かで、家中の何かを動し、片づけ、ぬり、たたきして生活に必要な準備を調えて居る。
 八畳の隅を一つの大きな本棚と一つの本立て、本箱とで区切った勉強部屋の卓子の前に坐って、小説をよみ、空想に耽って居るとき、ふと、コトコトと何処かで働き廻って居る彼の音をきくと寛大な、寂しい、何処かに不愉快な微笑が湧いた。彼は、持って居る本でも何でも整理し、片づけ(読まず)勉強するべき本、場所を持って居る楽しみを繰返し繰返し味って悦んで居るのではないかと云う心持がする。
 彼の生活の音、片づけが彼の生活!
 彼の注意は、女のように外面に向ってばかり分配され、考えることも、することも、反省も、外からの刺戟がないと働き出さないごく受身なものと思われる。
 他人のようにはっきりこれ等の点を考えると、元、私は何かの力でそれを更え、雄々しい、創造的な、自発力に満ちた人に代えたいと思い、焦れ、苦しみ、涙を出し、Aを苦しめた。今はもうまるでその点では自分と彼との生活の中心をきり離してしまった。
 そして、淋しい、思いやりのある微笑を浮べる。

     雲に映る

 子供、母を失う、九つ位 男の子
 夕暮、空をながめる
 山のわきにきまって母の横顔そっくりの雲が小さく、一寸見ると見つからない程、然し一遍見つけると決して見のがさない鮮やかさで現れる。
 或日、それが見つからず 子供翌日まちかねて見る。ある。きのうは母が居なかったので、――あの山の彼方の町に――見えなかったのだと思い、翌日雲が出たとき、その山に向っての道を歩き出す。
 親、夜になって見つけに来るが、見当らず。
 もうその児はまい子になってしまった。

     桃色と赤のスイートピー

 ◎銀座の六月初旬の夜、九時すぎ
 ◎山崎の鈍く光る大硝子飾窓
 ◎夕刊の鈴の音、
 ◎古本ややさらさの布売の間にぼんやり香水の小さい商品をならべて居る大きな赧髭のロシア人
 ◎気がついて見ると、大きな人だかりの中から、水兵帽をかぶり、ブロンドのおかっぱを清らげに頬にたれた蒼白い女の子(十一二歳位、古風な外套を着)が両手に赤と桃色のスイートピーを一束ずつ持って出て来る。
 ◎先泣いて居た女の子
 ◎人ごみの中の自分の心持
 ◎Aの心持
 ◎こい水色の紙テープで不器用にむすんだ束を二つ買う。




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