田舎風なヒューモレスク
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著者名:宮本百合子 

「――もち論あれがシュロの葉の立てる音だということはわかってはいるが……しかし、万一、そう万万万ガ[#「ガ」は小書き]一、その吉さという男が、血迷って女房を殺し、おれを馬鹿だといって笑ったかかあはどこにいると暴れ込んで来たら、自分はどうそれを扱ったものであろう」
 私は女だ。吉さが刃物をもって来ては一応かないそうもない。が、あそこにいる、命ばかりはお助けとはまたいえそうもない。ああ、昔の女侠客はそういう場合どうしたか、私も講談で知ってはいる。勇ましく体をつき出し、こうたんかを切るのだ。
「お前さんも恨があるというからには、頼んだところで、おいそれと聞いてはくれまい。けれども、私も一旦おうと引受て、かくまったからには、御存分にと出すことあ出来ない。たってというなら、先ずこの私を切るなりつくなりしてからにしておくんなさい」
 ふむ。――侠客の女房で、逆を行ったのもあった。あくまでいないとしらを切り抜くのだ。――「古い! 古い!」私は、自分の考えかたを換た。私は、出来るだけ落つき、こういおう。
「なるほど、あのひとは宿っている。けれども、私はあなたがどんな恨を持っているかは知らなかった。――恨があるなら晴らすのもよかろうが、刃物三まいは馬鹿なことだ。今は法律があって、何方が悪いかは役所で調べてくれる。一人人を殺せば……」
 お前も死ななければならないからと、頭の中でいいつづけようとし、私ははたと当惑した。吉さは既に女房を殺してい、「どうせその一人はやっちまったごんだ、こうなりゃ、うぬ!」と気張ったら、さてどうしよう。
 考えては、寝返りし、寝返りしては考えているうちに、私は体じゅう熱が出たように熱く成った。
 こんなことでどうなるものか、成るようにしか成らない。第一、吉さが家にちん入すれば真先に自分の処へ来るものと思うことから滑けいではないか。台所から来るか、二階から来るか、勇敢にばりりと雨戸を引破るか、知れたものではない。来るか来ないか分らないものを十中九分の九まで来ないとさえ知れながら――私は馬鹿女だ!
 しかし、村でも到頭人殺しが出るようになったか。(私の頭は何という依估地頭だ!)こそこそ泥棒も滅多にはなかったのに――。村の中で、この夜、村始まって初めての殺人があるかも知れないという状態はせいそうだ。私の想像はいやに活々して来た。まるで天眼通を授かったように、血なまぐさい光景の細目まで、歴然と目の前にえがかれて来た。これでは、実際あると同じこわさだ。神よ、私に眠りを授け給え!
 一晩じゅう、どんなに私が体を火照らせ、神経を鋭敏に働かせ通したか、あけ方の雀が昨日と同じく何事もなかった朝にさえずり出したその一声を、どんな歓喜をもって耳にしたか、私のひとみほど近しい者だって同感することは出来まい。七時から、十二時まで、私は石ころのようになって眠った。
 夕方になって、おみささんが礼に来た。
「何事もなくてまあよかったわね、どうしていて? その吉さというのは……」
 おみささんは、変に極りのわるいような、口惜しそうな、ぷりぷりした調子で素気なく答えた。
「ほんに、何ちゅう人たちだら……今朝ねあなた、お宅からかえって、そうっとまた裏の窓からのぞいて見たら……寝てるじゃあござせんか」
「へえ……それでそのおきみっ子は? 逃げているの、やっぱり」
「寝てますのよ! 一緒に寝てますのよあなた、吉さとさ!」
「ほほう!」
 徐ろに、笑えて来た。笑いが辛抱し切れなくなり、私は、遂にはははと、腹からふき出した。
 何という愉快なことだ! はははは、滅多にそれこそあることではない。当人同士は、けろりとけんかも忘れ、睦じく抱っこ寝んねしている間に、傍のおみささんは娘の手を引っぱって逃げ歩き、とばちりを受けて私まで(たれにもいいこそしないが)一晩中まんじりともしなかったとは! ははは、思えば思う程おかしく、私は人のいない自分の部屋に来、歩きながら腰を曲げて笑いこけた。笑いこけながら、私はしかつめらしく考えた――心理学者にいわせたら、昨夜のような出来ごとに、何という名をつけるだろうか、と。
〔一九二五年七月〕



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