弟子の心
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著者名:宮本百合子 

 学課についてでも、課外の読書に関してでも、或はもっとプライヴェートな相談でも、他に障害を来さない程度で、指導をいとわれなかった。読んで見るとよい本なども丁寧に教えられた。私が、科学的な書籍に或る程度の興味を感じ得るようになったのも、自己の裡に湧き上る思想、感情を、先ず持ちこたえて整理することを覚えたのも、皆、先生との座談的な質問、応答の裡に、習ったと云ってよい。

 私のみならず、他の多くの若い女性にとって、先生は知識の指導者であるばかりでなく、一種心の頼りであった。うっかりしたことを云っては愧しいと云う心持のある他方には、所謂先生に対して云えないことも云っても大丈夫と云う安心が暗黙のうちに在った。
 熾んな求道慾と、人生の風情と云うものを、美しく調和させようとするところに、先生の人を導く的があったのではなかったろうか。
 児童教育の理想を話される時など、人性の尊厳、微妙さの感歎、セコンド・ジェネレーションに対する健全な期待の心などが、流露した。先生の話を伺っているうちに、若いものは、生活を愛し、価値を高め、積極道に活きずに居られないような、光明、希望、勇気を与えられたのであった。
 知識慾の燃える者は、その方向から、軟かな、当途のない情緒に満ちたものは、只漠然とした好もしさから、先生に接する程のものは、皆、先生を敬愛した。然し、なれ易いところはなかった。
 今になって考えれば、理想主義的現実主義とでも云うべき先生の思想は至極穏健なものであった。
 それでさえ、当時は、やや異端であったのだから、驚く。
 先生の境遇は、感情的な偏見と、名誉慾に古びた女性の集団に挾まって、その時分も、かなり晴々しくないものがあったらしく思われる。

 私にとって印象の深い、一插話がある。
 丁度五年頃、千葉先生は、水色メリンスの幅のひろい襷を持って居られた。その頃は、毎朝、始業前に、運動場に集って深呼吸と、一寸した運動をすることになっていた。先生は、そのような時、その水色襷で、袂をかかげられる。
 十字に綾どられた水色襷が、どんなに美くしく、心を捕えたのか。私と同級の一人の友達は、いつの間にか、それと寸分違わないもう一つの水色襷を作った。そして、何気なく体操や何かの時、ふっさり結んで肩につける。
 ところが或る日、担任の先生から、
「近頃、誰の真似だか知らないが、いやに幅の広い襷をかけたり、髪をゆるく落ちそうに巻いたりする人があるが、よろしくない」
と云う意味の小言を云われた。皆の心には、ぴんと、響くものがあった。

 翌日、さすがにそのひとは、水色襷をかけなかった。けれども、とても捨てかねたのだろう。四五日置きに、遠慮ぶかく、水色の襷が、動く手や頭の間にチラチラ見えた。(この愛らしい娘心の持ち主は、卒業後間もなく結婚して、死んでしまった。先生は勿論、此事を、此をよまれる迄御存知なかったろう。一体、生徒との、他から注目されるようないきさつは、全く好まれなかったのだから)
 最近になって、私は久しく先生におめにかからない。先生の思想もお変りになったろう。自分の人生の見かたにも変化が起った。
 けれども、いろいろのことから、一箇の人とし、女性とし、先生に持つ心は、以前にまさるとも劣らない。わたくしが、あまり頻繁におめにかかれないのも、互方いそがしいと云うばかりでなく、今迄とまるで違った分子が、先生に対する感情のうちに入ったので、それを、どうくだいて、楽に現してよいか、変なきまりのわるさがあると云うこともある。
 時に、憂鬱になるほど、私は先生と、先生の圏境とを思うことがある。
 先生の忍耐強さ、他を傷ることを飽くまで避けられる性質、思慮の細かさ、其れ等が却って先生の身を食うようなことがありはしないだろうか。
 先生の、レザーブした魂が、黙って様々の深い思いを背負っていることを思うと、私は殆ど畏怖を覚える。先生を愛する弟子の一人とし、わたくしは、心から、先生の生活が、性格に対して自然に、いためつけられず進んで行くことを、祈ってやまない。どうぞこの祈りが、いつか、不思議な、先生の運命の扉の掛金に迄届くように。

(附記。私は猶、胸にのこる多くの感じを持っている。先生の人としての生活を考えるとき、言葉は此処でつきない。けれども、現在、学校に勤められ、複雑な事情の許に置かれる先生の上を考えると、私の殉情はよい結果を齎しそうにない。筆を擱(お)き、再び時を待とう。)
〔一九二三年九月〕



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