獄中への手紙
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著者名:宮本百合子 

訳序第一行「この書はユダヤ人誰々の」という調子です。全体が一寸必要に迫られないと読みにくい訳文です、ガサガサと荒くて。ああいう文章の味を、落付いた日本語にうつせるためには、本当のものわかりよさがいるというわけなのでしょう。推論のパリパリしたところを文調(ママ)で反射しているようで。でも文化史としての概括や作家論は本当に面白そうです、ありがとう。先に教えて下すったときね、私は何だか小説と思いちがいしていました。それとも「金が書く」というのかと思ったらそれとも別のものでした。なかなか語学の力のいりそうな文章ですから、あれをおよみになったというのはえらいことね。達ちゃんと夏休みに暮していらしたという、そのときのこと?
 今度はともかく世界文学史を一貫してよんで、いろいろ大変面白いし、わかるし、十九世紀初頭からそれ以前の古いものについてのこともいくらか分るようになりました。しかし大戦後のいい文学史というのはないのねえ。この『新文学史』の終りにしろアナトール・フランスです。尤もその時代に入れば直接作品から判断のもてるものが殖えているわけですが。
 ノートをとってよんでいると、二つばかり別の副産物が得られて大変面白く、この頃は随分長い間机について居ります。ピアノにも追々馴れて、神経を大して使わなくなりました。
「アラビアのロレンス」はそれは仰言るとおりよ、私があの叢文閣のとつづけて興味を感じた理由は、ロレンスという一人の人間が、自分の悲劇の真の理由を知らず、自分としてはテムペラメントにひきまわされつつ、しかも今日の私たちから見れば、ダットさんが示しているような時代のすき間に落ちこんだ典型であるというところです。
 あの宿題を勢こんで片づけたことから段々仕事にはまりこんだ気になれて来てよかったと思います。ブランデスを見たらブランデスなんかはバイロンを自然主義作家の中に入れているのね。しかし、『発達史』の著者が見ているようにロマンティシズムの一つのタイプだというのが妥当でしょう。ハイネが三つの時代的要因の間に動揺したいいきさつもよくわかって面白うございます。バルザックからゾラへのうつりゆきも面白いし、フランスの十八世紀後半から十九世紀の世相というものは実に大したものだったのですね。ディケンズの背景をなすイギリスの様子もよくわかります。そして改めて感服し、おどろき、深い感想をもったことは、日本の文学が十一世紀頃大した進歩をしているけれども、十六世紀以後、ルネサンス後の世界が大膨張をとげて近代文学を生んでゆく時になると、もう関ヶ原の戦いでやがて十七世紀は鎖国令を出している点です。文芸復興の初頭十五世紀、日本には足利義満がいて、能楽が発展していて、平家物語の出来た十三世紀にダンテは「コメディア」をかいているというようなこと。徳川三百年というけれど、もっとさかのぼりますね。沁々そう思いました。十二世紀に入って、比叡山の山僧があばれはじめたとき、それは何かであったと思われます。哲学年表とてらし合わせて見て暫く沈吟したというような塩梅です。
 今日世界の文学史をよむことはためになります。大きい無言の訓戒にみちてもいます、作家の消長は歴史の頁の上には、その人が強弁しがたき現実の跡を示してむき出されているのですもの。この勉強は、ですからどうも一つの本にふくまれる必要以上のみのりとなりそうです。ハイネを好きになれない理由が自分に納得されたりもして。
 今度は無理ですが、いつか又プランを立ててせめて日本に訳されている十八世紀ごろの古典ディドロなんか、我慢してよんで見て置こうと思います。モリエールなんかもっともっと知られるべきです。ヴォルテールなんかがアカデミックな人たちの間に訳されているのに。芝居の方のひとで、そういう勉強や整理をやる人が一人ぐらいあってもいいのでしょうのにね。ナポレオンが自分の舞台装置として古典(ローマ)を飾ってアンピールという様式を服飾(女の)や家具にこしらえたのなんかその筋道が分ってやはり面白いわ。父の仕事の関係から、子供のときから、ゴシックだのルネサンスだのバロックだのアンピールだのときいていて、そのぼんやりした概念はもっていて、今は一層の面白さ。今父がいたらきっと面白いでしょうね。私は、おとうさまおとうさま一寸おききなさい。こういうのよと喋ったでしょうから。父の時代の芸術史は外側から様式だけ扱ったのですものね。たとえばバロックという、あの人間が背中をまげて大きい柱の支柱飾りとされている様式なんかだって、ルイ時代の宮殿生活そのものがローマ帝国をあこがれて、神話のアトラスを柱飾りにしたのでしょうか。だってあれは柱を負っている人間の姿で出ているわ。子供らしく面白がっているようで、すこしきまりわるいようですが、御免下さい、余り面白がらないことがどっさりだから、まあこの位は健康上お互様にわるくもないでしょう。
 ああそれからきょうは、一昨年みんなが私たちにくれたカーペットを出しました。こっちならゆったりとひろげて日光に直射もされない場所がありますから。ずっとしまって大事にしてあったから全く色もあざやかよ。それを敷きましょう、ね、そして、あしたは、新しい生活の条件にふさわしく一ついいことをするのよ。太郎に生れて初めて顕微鏡というものを見せてやります。太郎の生涯に一つの新しい世界をひらいてやるのよ。いい思いつきでしょう? 午後二三時間さいて。うれしい思いつきだと賛成して下さるでしょうと思います。大人がきまった顔で集って、何かたべてみたって初りませんから。これは今年らしい、そして今年の十七日には最上の行事でしょう。
 中公の本やっと目鼻つきます。
 あなたのトラ退治も漸々で安心いたしました。よくは分らないけれども、いくらか白眼がさっぱりして来たように見えます。この間うち本当にうるさそうな眼つきしていらしたから。
 すこし足なんかつめたくなりはじめましたけれども心持よい時候になりました。あの菊はいかが? この次の夏にはいい匂の百合の花をおめにかけたいと思います。今年はありませんでしたから。もう程なく例によって赤っぽいしまのどてら(薄い方)お送りいたします。小包にするとき暖く日にほして(今は縫い最中)ポンポンポンと背中のところたたいて、よく衿のところを合わせて、そして送ってあげるのよ。
 あしたはお天気がいいといいと思います。では火曜に。

 十月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十月十八日  第四十五信
 きょうは雨がわり合いい心持の日です。
 いかが? そちらのきのうはいかがな一日でしたろう。私はね、早くおきて、午前中ずっとよみかけのものを読んでノートとって勉強して、午後から太郎をつれて目白へ出かけました。
 太郎は学校が近くて、通うのに電車にのらず行っているものだから、混んだ電車なんか迚も不馴れで一生懸命でキョロキョロつかまえた手を決してはなさないの。
 目白へ行って、顕微鏡で人間の血液、兎の血液、蛙、やもりの血を見たり、自分の爪の間にたまった黒いものの中にどんなこわい妙な形のものがあるかを見たり、髪の毛は松の樹の如し、という見聞をしたりして、お菓子を三つもたべて五時ごろ出かけて、目白の通りのビリヤードのすぐよこの鳥常という昔から出入りの店へよって、御馳走のための買物をして六時一寸すぎかえりました。
 二階へあがったらね、となりの皆で食事する方に奇麗な菊がどっさり鉢にさして飾ってあります。火をおこしおなべかけて呼んだら、国男さんと太郎が横一列にあらわれて、どう? ちゃんと並んで坐って合唱なの。「おめでとうございます」凄いでしょう? 見ると、二人は胸に赤っぽい菊の花を飾っているのよ。ほかにおしゃれのしようがないからですって。
 やがて、真赤なズボンをはいた泰子がああちゃんにだっこされながらケトケト笑って(これは偶然です、残念ながら。やす子にはおめでたいのが分らなくてね)あらわれて、そのああちゃんは青いような縞のきれいな外出着で、やっぱり髪に花つけているのよ。寿江子のものぐさが夕飯に着物着かえて現れたという、全く驚天動地の盛会でした。
 こんな盛況があろうとお思いになって? 一人一人敷居のところで今晩は、ととても気どった声を出して入って来るのよ。見せてあげたい姿でした。御覧になったら、あなたはきっと、むせておしまいになったでしょう。余り素晴らしいから。
 ゆっくり御飯すまして、国男さんが、かけ時計の高さを直してくれて、それから一寸三人で(咲と)一仕事やって熟睡いたしました。
 きょう、太郎をつれて国と三人で国府津へゆこうということになって、国は植木屋の用事、私はすこし片づけもの(この間から私たちの話に出ていた)をして来ようと思ってあらまし仕度したら、この天気でおながれよ。
 十五日のお手紙は、きのうかえって来たらテーブルの真中に出て居りました。どうもありがとう。きのうついたというのはうれしゅうございます。
 追い出された目録たちのこと。たしかにいくらかヒステリーだったのね。それもそうだし、むき出しに云ってしまえば、私がまだ本当の勉強のやりかたを十分わかっていなくて、間に合わせの方法でやりつけて来ているということを認めなければならないのでしょうと思います。私の勉強法なんて全く、自家製のお粗末なのですものね。誰からも教えられず、極めて遅々たる自分の自然な成長の歩調で、やっと本を使うことの一つ二つを知った程度ですもの。しかも、もしあの婦人作家の研究でもしなかったら、私はいつも自然発生の感想をかくことしか学ばなかったかもしれません。
 目録類を粗末にしたことについては、強弁の余地なく、「それも亦妙なる」自己弁護もする気がありません。僕のコレクションと云われると、駭然として悄気(しょげ)ます。御免なさいね。出来るだけ何とかして恢復を計りましょう。全然不可能でもないでしょうから。
 けれども実際本の保管には弱ることね。永年に亙って本をとっておくということは(雑誌の場合)大したことだし、さりとて文芸評論だけ切りぬいたってやはり、その号の全体の表情との関係がいるのでしょうし。何とか考えなくてはいけないわね。
 段々真面目に仕事を組織してゆくようになるにつれて、集積として、素材として、本は益□好きという身勝手なものから大事というものになってゆくのでしょう。私は中ぶらりんのところね、だからヒステリーの作用を蒙りもいたします。
 朝日年鑑、この間も見てどうも変なのよ。あなたの示して下さっている鉱山のは、次のように書いてあります。 単位千人
五三三・九
 つまり五十三万三千九百でしょう。これだけでも私は間違えていたことが分りますが、どうしたわけかといろいろ使った統計しらべて見たら労働年鑑を百単位によんだのでした。人単位を。だからケタちがいを生じたわけです。二七、〇〇〇三と(十一年)あるのにね。十四年の働く女性の総数が二、五五八・四です。閉口ね。この次の時(増刷すれば)直しましょう、忘れずに。どうもありがとう。くりかえし云っていただいてすみませんでした。
 文学史に関する本で焼きたくないものはかなりありますね。明治文学に関する古い出版のものにしろ一旦やけたら、やはりなかなか再び手に入らないでしょう。個人の書物がこんなに露出されていると、本当にせめて上野の図書館ぐらい安心であってほしいと思いますね。もしあすこが本当に安全であればまとめて寄附して、いつでもつかえるようにして貰ったっていいのにね。あすこが又どうでしょう、上野駅に近いのですもの。
 多賀ちゃんへは手紙こちらから出します。今日つづけてかいてしまいましょう、何かにとりかかるとつい手紙を不精してしまって。きょうから『新世界文学史』にかかります。そして、これが終ったらカル□ートンを見て日本文学の作品を直接よんで、いろいろ段々と面白い計画をお話しいたしましょうね。例えば、この頃英雄ごのみがあって、ナポレオン伝やニーチェ伝がよまれるのよ。英雄とは何でしょう、ニーチェとはどういうものの考えをした人でしょう、私はそういうことも分るようにしたいと思います。同時に平凡ということの真の意味も。そういうトピックについてスタンダールの作品、ニーチェの「ツアラトゥストラ」やショウの「人と超人」や二葉亭四迷の「平凡」、花袋の「田舎教師」が出て来るだろうと思います。平凡の実質は高まるということについて、ね。
 読まれるものの意味と、そういうもののよまれる心理をはっきり描き出すことで、私たちは自分の生きている生きかたを知ることが出来るでしょうから。
 親と子とか、友情とか、そういう風に扱って行きたいのよ。性の課題ではトルストイが親方として登場するでしょう、「クロイツェル・ソナータ」。性の扱いかたの偏向、フロイドの或種の亜流や何か、をも見ながら。だからなかなかなのよ。腕を高くまくって肱まで粉につけて、深くよくこねなくてはね。しかし、もしうまくこねて焼ければ、これはそう不味(まず)くはない風味の食物になり得るでしょう。モラルの形でなく、人間の真実としてまともなものを示したいと思います、モラルや風格ならほかのひとがやりますから。恋愛のことについて書くとき私は恋愛小説の存在の意義をも明らかにしたいと思います。所謂真面目な恋愛小説というのはどういう要素に立って云われるべきかということを。「ウェルテル」にしろ真面目だったでしょう、あの時代としては。しかし今日の意味には、通用しないという、その点を。
 ゲーテが「ウェルテル」をかいて、それからワイマールのおあいてになってから、そのような方向への戸口をひらかれて、段々と「ファウスト」の第二部にある貴族的なギリシアへの復帰や有用人的見地へひろがって行った過程も面白うございました。どうして第一部と第二部とあんなにもちがうかとずっと思っていたもんだから。恋愛小説というと「ウェルテル」と云うでしょう? 何も知らずに。恋愛小説は、前進して理解されなければならないと思います。そんなことも考えているのよ。
 これは別の話ですが、作家の生活というものの不健全さが、今日、いろいろな形で文学を歪める作用をしている中に男らしさの問題があると思いはじめました。
 世間の普通の人とはちがった日暮しをして来た作家は、男でも、男らしさの感覚から萎靡(いび)させられているのね。だもんだから戦場でめぐり合う兵士たちの男らしさに男でさえ特殊な印象をうけ、のっぴきならぬところに生きている人間の美を改めて感じ、それでとにかくあすこでは、と云うのね。私はおどろきをもってききます。女の作家なんかへなへなにかこまれていて、そういう人たちを見て男をはっきり感じるのね。稲ちゃんの奉公旅行からかえっての話で、考えました。そこには原形にかえされた男らしさや女らしさが見られるのでしょうか。
 芸術の仕事をする男が男らしくないというのは全く笑止なことね。これは北條民雄の癩とのたたかいをかいた文学について川端が生命のぎりぎりの感覚として称讚したときも、私の感じたことでした。
 この人たちは、生きてゆく、丈夫で生きてゆく日々がいかに充実し緊張したものであるかを感じないぐらいのびているのだナと。そういう生命の緊張、生命の意味への絶えざる自覚なしに生きていると、アブノーマルな条件でなければ生命感を感じないセンチメンタリズムが出来る。
 文学は何と強い高い美しいものでしょう、でもその裾には何というごみもひきずっているでしょう。
 健全に行動する機会がないと、只、行動そのものに妙な評価をはじめもするのですね。
 そう云えば、こんどの本には行動と思索とのいきさつも扱って見るつもりです、どんな作品がいいか分らないがさし当りは「生活の探求」のあの井戸直しでも。
 行動の讚美はイタリーのマリネッティのように、未来派からローマ進軍へとうつりゆきますから。私たちの思索と行動とが自立した統一をもつために、今日はどういう道程を歩いているかということについて、思索力そのものが、運動神経を丈夫にしてゆくことの価値をはっきりさせたいわね。
 物質のスピード行動力の方が精神を圧倒したところに未来派の速力への陶酔があるのだから。そんなことも面白いでしょう? 私たちはさかさにおかれてもちゃんとものの考えられる習練がいります、ああこんなにお喋りしてしまった。では火曜日ね。

 十月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(「ロシヤ寺院・哈爾浜(ハルビン)」の写真絵はがき)〕

 眼の本と文学の扉をお送りいたします。きょうは又曇りましたね。けさ早く南江堂へ出かけたら、どこもかしこも防護団の制服をつけた人だらけでした。帝大の鉄柵は、鉄回収のために木の柵になって、何となし牧場のようです。正門入口の門扉も木の柵ですから。私は昨夜思いついて、いつかあなたの着ていらした毛糸の(糸の交った方)ジャケツを直して、いざというとき着ることにしました。いい思いつきでしょう? 誰にきいても私たちのまわりでは、本はあきらめています、手がないという形らしいようです。

 十月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十月二十三日  第四十六信
 きょうはからりとした天気です。二階の手摺りのところには夜具をいっぱいほしてあります。昨夜は寒かったことね、はじめて室へ火鉢をすこし入れましたが、いよいよもって心細いことは、この火鉢で冬の夜仕事は出来るだろうかということです。
 ところで、きょうは可笑しい日です。空気の工合か何か、うちじゅうの女のひとたちは顔が乾いて、何だかくすぐったくてピリつくようで閉口というの。私は落付けなくて、顔を又洗ってオリヴ油つけて、それでもまだ駄目よ。変にかゆいようなの。可笑しなこともあるものです。
(あらあら大変。寿江子がブーブーやり出したら、すっかり開けてあるものだからまるでとなりでやられるようです。)
 南江堂の本いかがでしたろう。あなたがおっしゃっていたことを一寸思い出してそのあたりひらいてみたら、ほほうそういうものかしらと思うところがありましたけれども。片方の疾患が平静になったとき云々というところ。そういうものなのでしょうか。ヴィタミンはあがっているのでしょう? ずっと。AB? Dが入ったのがいいらしいけれども。そういうのはないのでしょうか。
 きのうはエハガキに書いたように朝早く南江堂へ出かけ、午後は、あの例年の八反のどてらが仕立上って来て送れて一安心いたしました。もう、一枚は綿の入ったものがほしいわね。そして、その柔かく綿の入ったものをなつかしく思う心持は晩秋の感情ね、一つの。温度は綿のないものをいくつか重ねたって保てるかもしれないけれど。これはおくればせではなかったでしょう?
『新世界文学史』はもうやがて終ります。やっぱり読んでようございました。『発達史』の方の扱いかたは、もっと正確で、基本の現実にふかく入り、又文芸思潮としてはっきりした類別をも示していて、その点大事でしたが、あの著者はドイツ近代古典が自分としてくわしいのね、どっちかというと。
『新世界』の方は、そういう点では学問的ではないけれどもワーズワース、スコット辺から俄然精彩を放って来ていて、イギリス文学の中でバーンズをとりあげていることは大いに賛成です。バーンズを、『発達史』のひとはふれていません。私は詩を印象ふかくよんでいて、覚えているから、正しく評価されていると我意を得ました。ラファエルとミケランジェロの比較も面白いわ。ラファエルのシステンのマドンナという絵を見てね、どうしてもしんからすきになれませんでした。あの時代として大した技術であり美ではあると分るが、すきなものではなくてむしろきらいでした。しかしラファエルはきらいと云い切る人はないのでね(即ち因習によって)これからは安心してすきでないと云えるから、いいわ。そして、この本が、『発達史』と全くちがう価値をもっているという点はそういうところにあるわけです。いろいろ面白いと思います。ワグナーのことも書いていてね。生活的鼓舞をもつ本というものは、なかなか生きのいいところがあってようございます。(書きかたも半ばごろからずっと落付いて性急な過去と現在のモンタージュがなくなって――歴史はくりかえす式のまちがいがそこにあります――よくなっています)
 いい本教えて下すったお礼を云わなければならないわね。読みかえして見たくお思いにならないかしらと思いました。そこいらの作家と称する人々よりずっと勉強しているということを、本当だと思います。
 今ロシア文学のところに入りかけています。大体は明日じゅうによみあげてしまうのよ。カル□ァートンの本は神田でさがして来なければなりません。さもなければ上野へ行くわ。その方が能率的ね。日本の古典をよむに、必要もあるから。今月じゅうそういう仕事をして、来月から書きはじめます。
 つまりは、これ迄こんなに系統立ててはしなかった仕事が(勉強が)出来てうれしいと思います。自由に各方面にひろがって、突き入って、そして書いて見ましょう。それぞれのトピックについて、どんな作品、作家にふれてゆくかということをきめるのにもなかなか手間がかかり、判断力がいります。今日という世界をはっきり目の前に据えておいて、すべてのことを書くつもりです。それがふさわしければ、文学の作品ばかりでなく音楽にも絵にもひろがって行っていいわけでしょう。才能とか天才とかいうことを語るときには画家、セザンヌやゴッホやそういう人を語らずにはいられないだろうと思います。これらの人たちは、才能とか天才とかいう抽象名詞を、自分の身についたものかそうでないものかと詮索することはしないで、努力精励というものが、つまりは才能と天才との実物的表現であることをよく示しているのですから。
 きのう、一寸美術雑誌を見たら面白いことがありました。フランスの画家たちは、そういういい手本が伝統の中にあるから、実に勉強だそうです。仕事着からネマキ、ネマキから仕事着で(それで又相当どこでも通用するが)ピカソなんかでも実に仕事するのですって。或る日本の画家がじゃ一つ俺もまねてやれと思って、在仏日本人の評判にされる程がんばったのだそうですが、二年でつづかなくなったって。体力のこともある。けれども情熱の問題もあると書いていて、見栄坊ぞろいの画家としてはよく率直に語っていると思いました。
 こういう話をよむと、龍之介の「地獄変」を思い出すの。あの画家は、娘を火の中に投じるヒロイズム至上主義はわかるし、作家はその面でかいているけれど、そこに何か日本の芸術至上主義の体質があらわれているようです。そのフランスのことを書いた画家は、体力というが、体の小さい日本人は戦いにつよいとかいていて、つよいのは本当だが、どういうときどうつよいかが本質の問題であるように、芸術の上の情熱もそこにかかっているわけでしょう。(つまりこんな風に、その本のなかでも話してゆくことになるでしょうと思います)
 二十六日の日曜日にはね、世田ヶ谷へお出かけです。十七日が防空演習でのびて、その日になります。一日の午後から二日休みのつづく日に、もしかしたら国府津へ出かけます。この間の休日は行かなかったの。国男さんと太郎とだけ行きました。もし今度も私が行かなければ、咲枝が赤坊つれてゆくからたのむものはたのみましょう。一寸行ってみたいところもあるわ。一昨年の夏行ったきりでしたから。この間行ったとき国男さんが、きれいに真青な橙の大きいのをもって来ました。初めて、うちの樹になったのですって。
 この間原智恵子のピアノをききました。久しぶりに日本へかえって来ての演奏でしたが、余りひどくなっているのでびっくりしました。もとは、そのいろんな外向的な素質が、近代的な扮装につつまれていて、謂わば理性的、つめたい情熱とでもいうような型に装われていたものが、この間は、シューマンのコンチェルトを弾いたのだけれど、すっかり崩れて、何にも作品の精神をつかもうとしていないで、一つの要領、大衆作家のきかせどころのようなもので弾いていて、井上園子とは、もうどこかで決定的にちがってしまったことを感じました。映画界の人と結婚して、フランスへ行って、かえって来て、その二三年の間に、低いすれからした雰囲気の女王気取りで暮していることが、服装から、身ごなしから、音楽に溢れて表われていました。例によって、有島生馬が、老いたる瀟洒さで出現してきいていたが、彼はあれを何と判断したでしょう。下手とちがうのよ。いやな気がするのよ。そして、女だということは一層ものを哀れにして、ごく胸を低くカットしたイヴニングで、十九世紀の悪趣味よろしく胸の二つのもりあがりをのぞかせたりして。そして、あんなひどくひくの。
 本当に音楽がすきというのではないのね。所謂世界的舞台でスポイルされたために、現代の混乱で、そういう道具立てがなくなると、妙に張りがなくなって、日本の本当のレベルがわからないもんだから、がったりひどくなってしまうのでしょう。井上園子だって金持すぎて名流すぎて、彼女の音楽はいつも社交性と手をつらねている危険がありますが、音楽は勉強しなければならないもの、というところは分っているようです。諏訪根自子はベルリンだそうです。音楽に国境がないばかりか、ベルリンではさぞ自由にやっていられるのでしょう。この若い女性もそういうことでは抽象的音楽天才ですから、当然。
 外国と云えば、これからは、外国郵便は、発信人の住所氏名を明記して、切手をはらず、郵便局へもってゆくのですって。それからどういう手順があるのでしょうか。エハガキも二重封筒もいけなくなるのだそうです。
 国内はいいのよ。
 只今のところ、演習まだ大したことなし。八百やが来て夕方から空襲があります由。今年は、警防団その他はなかなか具体的にやっている様子ですが、町内は割合気がしずかですね。これは面白い心理だと思います。もうお祭りさわぎとして、世話やきずきの小母さんの活躍舞台より以上の実感があって、却ってワイワイしなくなっているというところもあるのでしょう。
 林町の裏から動坂のひろい通りへ出る迄の一帯は本郷区内の危険地区の一つですって。何しろ、あの裏通りは御存じのとおりですから手押ポンプしか入らないからだそうです。従って、うちも裏から火が出て、冬のことではあり北西の風でもあれば、ことは到って簡単というわけでしょう。そういうときになれば、私は体と手帖とエンピツと封緘さえあればいいと思って居ります。
 では火曜日にね。眼をお大事に。泉子からよろしく。

 ね、ふっと原さんが泉子という名だったと思いました。原さんかんちがいしたら可笑しいわ、ねえ。イヅミ子に可哀そうだし、ね。

 十一月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(青木達彌筆「薄」の絵はがき)〕

 きょうは(一日)天気がはっきりしないので国府津で一年も閉めこまれたままの布団を干せそうもなくて大弱りよ。それでも出かけるのでしょう。出かけてしまえば又それで気がかわるのでしょうが。
 眼の本いかがなりましたか?
 この間本やで計らずオーエンの『自叙伝』というものを見つけました。珍しいと思いましたが、知っている人にとっては格別興味も少い本なのかしら? あなたはいかが? ノートや本やをもって出かけるのよ。それからお米も。タクアンも。

 十一月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 神奈川県国府津前羽村前川より(封書)〕

 十一月三日
 今度は何しろ同勢が同勢なので、おっかさん役おかみさん役兼任のため、なかなか忙しい思いをしました。
 一日の午後、太郎が学校をひけてかえって来るとすぐ出かけ一時四十分の小田原ゆきをめがけて東京駅へ行ったところ、列がずーっとむこうの端れで、最後尾の車に、しかも立ちづめで二の宮迄よ。どこかの中学生の練成道場行がのっていて、お米を忘れたとさわいでいる四年生もあり、という工合。太郎だけよそのひとのわきにわり込ませて貰ってリュックをやっとおろして、小さい三角型の顔してのっているの。太郎は人ごみだの何だのの中だとそれは情けない情けない顔して、あっこおばちゃんを歯痒ゆがらせます。ヤアこんでるんだなアというような、からっとしたところなくてね。いとど物哀れに小さくなるのよ。私はそういうのは無視なの。いたわったりしないの。
 さて、国府津へついたら、バスがこの頃はダイヤめちゃめちゃで一時間、あの朝日という店で待ち合わせ。駅前のあのテーブルなんか並んでいた店覚えていらっしゃるでしょう? もうあんなことはしていないのよ、店はしまって、ちょいと梅干が並んでいるだけよ。
 私は重いスーツケースを下げて太郎に片手つかまられて辿りついた時は吻っとして、でも、いい心持でした。
 八時頃国男来。二日は太郎がはりきりで砂遊びにおやじさんをさそい出し、私はエプロンで片づけもの。
 午後一休みして太郎を見たら、一人でぽつねんと芝の枯れたのを植木屋が焚火している、それをつっついています。可哀そうになって、駅で買った柿の袋下げて、ナイフもって、ミカン畑の間を歩きながらその柿をむいてたべさせてやりました。ミカンが黄色くなりかけで空は青々。白い蝶が二つ高く低くとび交っていて大変新鮮でした。狭いミカン畑の間の草道を日やけ色した手足を出した太郎が短い青いパンツで汽車を見ようとかけてゆくのも面白い眺めでした。
 太郎は七時半ごろ、寿江子が駅まで来てつれてかえりました。明治節のお式に出なくてはいけないから。
 あの仕事てつだって貰っている絵の娘さんがきのう午後から来て、昨夜は珍しい、国、そのひと、私、女中さんという顔ぶれでした。
 本をもって来たのによむどころかという有様よ。炭がない。野菜がない。海は朝も夜も目の前にとどろいているのにお魚はなしよ。大したものでしょう? お魚と云えば、この間うち市中に余りお魚がないので困りはてたとき、新しい首相は早朝騎馬で市場へ行かれました。魚がないじゃないか。ガソリンがないもんですから。ナニ、ガソリン? 早くおきて働けばいいんじゃ、と云われた由、そしてあんちゃん連の万歳におくられて馬蹄の音勇ましく朝の遠征を終えられた由です。こっちではそういう勇ましい光景もなくて魚はないのね。
 すべて御持参で来れば、今頃から冬にかけては、いい心持だと思います。久しぶりでのんきな気分で空気のよさ感じます。あしたおめにかかると、日にやけたのが目につくのではないかしら。
 きょうはゆっくり眠って、午後は三時間ほど裏の山の方と海辺とをぶらつきました。裏の山の南に向った日だまりには、きれいな薄紫の野菊や、しぶくてしゃれた赤の赤まんまの花や何というのか可愛い赤い筒形の花やらが咲いていて、なかなかたのしいぶらぶら歩きでした。すぐ下に二本線路があって、それが東海道本線なんですもの。全く不思議のようです。こんなに細い、たった往復一本ずつの線路が、日本の交通の幹線だというのだから。でも土台線路というものはじっと見ていると一種の感じのあるものね。小川未明ではないけれど。浦塩へ出るまでのあの茫大な山や原の雪のつもった間に、たった二条ある線路の感じを思い出したりしました。
 今は、玉ネギをどこかで売ってはいないかと近くの店へ行ったら、そこはこの土地の旧家なのね、木炭、米の配給店をやっていて、中学だか実業学校だかの制服をつけた男の子が何人も、若い女が何人も、おっかさんが出て応待するのを見ています。こういう土地でのこういう古い店の人たちは、又浜辺の漁師とはちがって、圧しがあるものねえ。
 さっき海辺であっちこちさがしたのだけれど、あの短い草の生えていた砂丘ね、あれはもうなくなっているわ、いつの間にか。それからうちの前の松の生えていた崖ね、つかまって私がやっとかけのぼった、あれは道路拡張ですっかりなくなって、平ったい到ってわけのわかり切った大通りとなって居ります。
 それでも今度来て思うのですが、ほんとにリュックでももって三日ぐらい、休んでのびるために、もうすこしここも使っていいと思うの。
 寿江子がもっとちょくな人だといいのにね、毎日曜にどうせ平塚まで来るのですから、私は土曜からいて、日曜月曜ととまって二人で何かやってかえれるといいのだけれど。
 こんなこと考えながら、これでおそらくもう今年は来ないでしょうね、来年になって来ればいい方ね。
 又明日からは机へへばりつきです。休んだ元気で又せっせとやりましょう。
 あなたの眼いかが? 本はいかがでしょう? 晴天つづきだったから、そちらも暖かかったでしょうと思います。こっちでは足袋なしよ。
 こういう風にしていたりすると、一日のうち何度かふっふっと私のすきな組み合わせでの暮しを思います。そして、こんな風に思うのよ。よく一生懸命に仕事をしていい勉強をしておいて、そういう折は御褒美に、暫くは仕事のことなんかポイ御免蒙って、おそるべき牝鶏かみさんになって見たいものだと。クウコッコッコ、クウコッコッコとね。なんにもほかのことなんか考えたくないわ。それで御異存もなしという位に日頃からの心がけ専一に仕事をして置こうというのだからすごいでしょう? 太郎はこういう形容はごく感性的に、日本のゴと柔らかく発音しないで、su goi da ro と goi にはっきりアクセントつけていうのよ。
 戸塚のおばあさんのお見舞に行ったらばね、おばあさんの方は、小さい溢血だったそうで舌ももつれず、手足もしびれず、ちょこなんと床の上に坐っていて、旦那さんが肺炎のなりかけで熱出して、胸ひやしてフーフー云って臥て居りました。あっちの細君は四国巡回の講演です、銃後奉公の。では明日ね。

 十一月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十一月六日  第四十八信
 国府津のには番号がぬけましたが四七に当るわけね。
 さて、いかが? 十月は仕事の仕度をしなくちゃならないと思って気を張って、いくらか手紙御無沙汰になってしまいました。
 かえって来てみると、国府津では今度本当に休んで来たことを感じます。丁度いろいろと疲れが出る頃、足かけ四日バタバタしながらものんびりして、頭のなかがすっかり静かになって、きめのこまかい感じにしっとりして大変いい心持よ。こちらへ住むようになってから二ヵ月経って段々落付き、家族のもののいる中での日々が、やはり一人きりで二六時中気をはっている生活と、どこかで非常にちがって、少くとも今の自分には薬になっていることも感じはじめました。
 あなたはそういうこと予想していらした?
 こうしてみると、一人で女中さん対手の生活というものは、自分ではのんきにやっていたつもりで、実は輪廓をくっきりと一人で始末したところがあって、ぼーっとしたところがなかったと思います。これが又先でどう変化してゆくかは分らないけれども、少くとも当分、こうやって、うちのものがごたごたしてやってゆくのよかったと思います。
 ですから思ったよりよかったということになるのよ、どうぞ御安心下さい。勉強するために一日中部屋にいて苦情が出るわけではなし、お喋りの中に入ったからと云って苦情が出るわけではなし。いずれにしろ私が今はここでよかったと思って暮せていることはお互の仕合わせね。あなたにしろ、すぐ通じるからユリが工合のわるい巣箱で絶えずパタパタやっていたら、やっぱりお落付きなさらないでしょう? そのことではびっくりしたことがあるのよ。九月頃引越しのことで私がちっともおちつかずせかついていたとき、そちらも何となしそういう空気で、生活の流れの生々しさを深く感じたことでした。私はよく生活しなければいけないのだ、と改めて思いもしたのよ。
 生活って面白い生きたものねえ。そういう流れのまざまざさでは、私たちに距離がないようなところ。
『婦人公論』で、「我が師我が友」というのをずっと出していて、阿部次郎だのいろんな人がかいているの。正月私のをためしにのせてみるのですって。これから二十枚ほどかいてみます。何かあのひとたちの間では目算があるのでしょう。私は自然に書けるものを真面目に書いてみて、それでのせられればよしと思う程度の心持で考えて居ります。
 きょうは三笠へ電話かけて、教えて下すった本をきいて見ましょう。
 きのう春江という咲枝の姉さんが一寸来て、面白い話をして行ったわ、そこのうちのおかあさんは七十歳でおじいさんは八十です。七十のおばあさんは勝気な江戸っ子で多勢の子供や孫を育て、大きい家をとりまわしてこれまで暮して来て、数年前突然喀血しました。肺の故障ですって。それでもいいあんばいに大したことなくて、東京のうちに暮し、八十のおじいさんは茅ヶ崎とかに下の弟の夫妻といるの。おじいさんは謡をやり、和歌をよみ、古今の歌をよむのですって。すると、おばあさんがふっと本をよみはじめて、古典をずっとさかのぼって、この頃は万葉に熱心で、看護婦対手にわからない字があると字引きひっぱってなかなか本を集めて一日あきずにやっているのだって。そして、ぽつぽつは自分もつくるのだけれど、おばあさんのは万葉調なのよ。古今は本流でないというのですって。おじいさんは古今で「ふやけたチューブみたいに」だらだらぬるぬると多作するのだけれど、おばあさんの方は「なかなか出ない方でね」ですって。茅ヶ崎と根岸とで歌のやりとりをして、この頃はいくらかずつおじいさんに万葉風をしこんでいるのですって。左千夫がおばあさんのお気に入りだって。いい歌があると、丹念にしおりして春江のところへよこして、あとで、どうだったい? ときくのですって。おばあさんは「おかずの心配さえしなければ私は生きていられますよ」と云って、おじいさんをおどかすので、おじいさんも茅ヶ崎へかえれとは云わないのですって。
 面白いでしょう? 八十と七十のこのじいさんばあさんの物語は。そして私たちは七十のおばあさんの生活というものに、やはり女の働き盛りの生活というものが、その間にはなかなか歌一つでさえ満足にはやらせるひまがなかったのだということを考えさせられました。七十まで生き、すこし病人になって、そしてそうやって却って楽しい生活が夫婦にあるなんて、面白いけれど、でもねえ。やっぱり、でもっていうところがあるわ。
 咲枝なんか、何か大して関心ももたずきいて笑っていたけれど、咲枝にとったってひとごとではないと思われます。
 うちでは、咲枝がこうしているからこそみんなこうやって暮してゆけているのだけれど、なかなかよ、見ていると。
 旦那様というものは大切にされるのねえ、どこでも。
 勿論それは私だって決して決してで、それは御本人がよく御存知と思いますけれども、旦那様の非条理がいくらか通りすぎるわね、どこのうちでも。家庭ではそこがおそろしいところね、うちの中だけのことを云えばどんな風変りも通用するのだもの。ちゃんと社会的活動をしない、うちの旦那という人々がみんなどこか偏屈だったり、変ったりしているのは尤もね。イギリスの貴族のひどい偏屈変りものが十九世紀の小説にはよく出て来ていますが、それは人間性の浪費でああいうことになってしまうのね。
 夕方や朝、丸の内に津浪のようにさしよせる灰色の人浪を見ると、余りただ一色の人間群で悲しいし。本当に人間らしい姿と足どりとで生きるということがそのようにむずかしいということが抑□の問題であるわけです。
 きょうはね、何ということなし、あなたのまわりにいるのよ。そして、ちょいと用事にいなくなって、又来て、何かと話しするの。
 私たち十分自分たちの時間があったとして、あなたは何か仕事以外の道楽をおもちになるたちでしょうか、たとえばゴを打つでしょうか、ショーギをおさしなさるでしょうか。この頃のゴの流行は相当のものらしい様子です。ゴ、茶、禅、お花、習字、そっちの方角ね。この間哲学をやるひとがやっぱりゴをやっていて、ゴのつき合いは自由自在にひろがれるからいいと云っていたわ。わかりますけれどもね、私は、でもという感じがするの。読むべきものするべき勉強がうんとあって、それをしないで、ゴうっていられるというのはどうも少し妙ね。今時、変にうごきまわるのはろくでなしというのは分るが、だってねえ、うごかないということと、ゴをうつということとはすぐ結びついてそれで終りではないわけでしょうし。
 私の道楽はなさすぎるわねえ。音楽だってせいぜい新響の定期をきくぐらいのところですし。二人とも案外芸(ゲイ)なしなのかもしれないことね。のんきな一日は、気持のいいところへとぐろをまいて本をよんでいて、たんのうしているというのが落ちかもしれないわね。
 国府津の長椅子式で。あのときの青竹色の表紙の本は何でしたっけ、細田民樹か何かだったかしら。一日よんでいらしたわね。それでちっとも退屈ではなかったことね。ああいう退屈でない時間の流れかた。ゆったりとした水が流れるのを知らず流れているようなああいう含蓄ゆたかな時の流れの味。私たちの気質は一日をせかせかと小さく区切って小まめにあれやったり、これやったりして、夕方になるとやれ一日すんだという型ではないらしいことね。夜からひるへいつか夜となり、という調子らしいわね。私たちはなかなか詩人なのですもの。
 詩人と云えば、この頃あなたの読んでいらっしゃるのはどういう詩でしょうか。
 この間うちのような秋日和には、ゆたかな海の潮のみちひのうたや、暖くて芳ばしい野草のうたやがなつかしくて、裏表紙の深紅の本を折々くりひろげました。おぼえていらっしゃるかしら、あのなかに、「ああせめて私の眼がたんのうするまで」という短章があるのよ。一本の実に美しい樹の梢があるのよ。幹の雄々しい線と云い、梢の見事なしげり工合と云い、それは空にひひるばかり。一人の旅人はその樹の美にうたれ心をひかれて、その幹によって飽かず眺め、遂に手をのばしてその樹を撫でるのですが、その山地は霧が多くてね、もっともっと見たいのに忽ち霧が湧き出て梢をかくしてしまうのです。旅人は去りかねています。そして思わず心の願いをうたにうたうの。ああせめて、私の眼がたんのうするまで、と。
 それからこんな対話風のソネットがあるわ。
あら、あなたは、どうしてそんなにいそいで行こうとなさるのでしょう。まだ日は高いわ。
私たちの影法師は、さっきから、まだ、
ほんのちょっと、
ホラ、あの樹の根元から少し動いたばかりなのに。
対手のひとは黙って、そういう娘をじっとみています。
顔を仰向け、眼に見入り、答を待っていた娘の心と体とを貫いて戦慄が走りました。娘にも急にわかったのよ、言葉の消えるときが来るのが。碧くてひろい大空は、そこに真昼の太陽をのせたまま、二人の上に墜ちて来ようとしていることが。
刹那を支えているひとの美しさ。
娘は叫びのように感じます、ああ自分は大地だということを。大地だというよろこびを。
 いくらこんなに書き直したって駄目ね。
 詩には響きもあるのですもの。その響は耳できかなければききようもないのですもの。詩の諧調が次第次第に高まるにつれて、律動の間から響いて来るひびき。
 今そちらはどんな気候になりました? 何だか手とつま先とがつめたいようになって来たわ、こんなに、ね。
 今にも出かけてそちらへゆきそうなのを、こうして机のところにいる心持。結局早くあしたにならなくては駄目だわ。
 ではあした。ちょっと、こんなのがこの頁にあるわ、「野苺の願」。私を啄(ついば)んで頂戴な、そこを。それから、ここを。ええ、ええ。そしてね、ここも。苺は胸のきれいな鳥に云っているのですって。

 十一月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十一月七日  第四十九信
 本当は仕事しなければいけないのに、これをかかずにはいられないという仕儀にたち到りました。
 お手紙ありがとう。ところで今大いに駭(おどろ)いて、わざわざ下までけさの新聞を見直しにゆきました。だってね、このお手紙は六日午後に出ているのよ。これ迄の例では最も早くてなか一日か二日だから、はっとして、さてはアンポンきょうは土曜日かと駭然といたしました。やっぱりきょうは金曜よ。そしてみると、この手紙は稀しくも市内の速度で来たというわけになります。
 そうよ、二十日以上です。格別それでどうと思ってもいなかったのだけれども、こうして来てみると、何をおいても先ずこの仕事にうち向うところをみれば、うれしいのね。やっぱりほしいのね。あなたが、余り御無沙汰にならぬようにしようと思って下さるのは極めて適切です。こうやって字が来ると、体温や声や顔やいろいろがどっさりついて来るのですもの。
 きのう書いた手紙いずれこれの前につくでしょうが、きっとあなたは、このお手紙がきょうついたのはつく折としても大変適薬的だったということがおわかりになるでしょう。それは、きのうの手紙をおよみになれば、おのずからあきらかなわけによって。
 さて、十七日のありがとうは皆によくつたえましょう。国男ったらね、折角国府津で心持よく暮して、よかったよかったとよろこんでいたのに、かえったその晩お酒のみすぎて下らないことにじぶくって、そのまま臥て、すっかり風邪を引いて、ずっとねているのよ。残念ねと云ったら合点してきまりわるそうにしていたわ。ずっとまだねていて、それもいいけれど、家中あやしくなってしまってそれが閉口よ。私なんかすこし危いの。薬のみましたが。
「思う」のこと、ありがとう。あれはね、抑□は、この頃の妙な感受性をさけて語調をやわらげようとしてつけたわけです。自分として何にも思うという不決定な気持でない場合でも。だから「新しい年の――」に特に多くなったりしているのね。でも、もうおやめにいたしましょう。すらっと書いたものには「思う」なんか特別どっさりはありはしないのです、生活と本にしたって。
 あの省吾という叔父のことはいつかもうすこし書いてみたいと思います。私の幼女時代に一番強烈な印象を与えた人の一人ですから。このひとの死が、初めて私につよい衝動を与えた記憶もまざまざとしています。このひとの亡くなったときは私は小学の一年ぐらいだったかしら。青山まで雨の中を俥で行って長くて眠たかった覚えがあります。
 本当にあっちはもう雪ね。雨と雪とが毎日降ります。そして、十二月一杯曇天つづきで(十月下旬から)一月に入ると厳寒で却って白雪はキラキラ燦(かがや)いた青空になるのよ。午後三時ごろにはもう電燈がついて。ガローシの底でキシキシいう雪の音を思い出します。馬の毛の汗がすっかり霜になって白くなっているのを思い出します。雪の街独特な一種のなつかしい生活慾をそそられる冬の匂いを思い出します。私は雪のああいう景色や気分が実にすきよ。白樺薪の煙は実に黒くて、その煙が雪につつまれた昔風な塗色の建物の並んだところから空へと勢よく立ちのぼっているところも、親愛よ。
 今年の冬は忘れがたき雪景色でしょう。
 まるでちがうけれども、ここにユトリロの書いた雪ばれの絵のハガキがあります。雪をよろこぶ心がいくらか出ています。刷りがわるくて台なしだけれど。
 ユトリロとしては心情的な作品ね。
 岡本太郎の個展の案内が来ました。シュールですね。ピカソの後塵を拝し、しかもそこから東洋の美の新しさをつくり出そうという努力をしているらしく、いかにも頭脳的です。この若い人はまだ理性的ということ、意志的ということと、頭脳的ということの根本的なちがいが分っていないと思います。
 しかしこの頃深く思うのですが、この二つのものの本質の差別が出来るか出来ないかということに、芸術家の歴史的な質のちがいがかかって居りますね。過去の純文学はその尖端を頭脳的なもの止りで、しかもそこでは一面の大きい無智、偏見のため、すっかり堕落してしまった。ジイドのこしらえものの鋭さ。横光の似而非(えせ)芸術。川端康成だって心情をそこへ導いたものは頭脳的だから、心情的なものの低さではもちこたえられず。
 益□明瞭になります、次代の芸術家の資質として求められているものが。
 高村さんのその表現は、それだけとしては適確ね。人間の精神の等身大の考えかたです。光太郎さんの現代の魅力はそこに在り、同時に、その魅力の故に、岸田さんなんかに引っぱり出されて、いくらか理性のくらい詩を瑞雲たなびく式に書いたりするところが、あぶないあぶないよ。こういう人の立派さに埒(らち)があって、そこからこぼれると妙な分裂がおこります。こういう人たちは総てそれをもっていますね、そして、そのことは決してその人たちの煩悶の種とはなっていないのよ。
 光太郎さんという人はここのすこし先に住んでいて、お父さん光雲のうちはすぐ庭のむこうです。今そっちは弟の豊周さんという鋳金家がすんでいるの。光太郎さんはアトリエ式の家に一人住んでいます。
 智恵子というおくさんは狂人となって亡くなりましたが、美しい人でした。大変やわらかい美しさ。そしてね、いつも光太郎さんのことを思って何か云っているのに、光太郎さんが見舞にゆくと、その顔が、自分の思っている光太郎さんだということは分らなくて、おとなしくお辞儀だけしてニコニコしているのですって。ひどく面白い切紙細工をのこして死にました。見舞にゆくと、あとやり切れなくて熱海へ行って、一晩お湯に入って来るのだそうでした。わかるわねえ。心のそういう苦しみ、妻のいとしさのそういう苦しみが、お湯に入らなければ何ともしのぎかねるというところ、微妙なものがあるわ。光太郎さんはああいう人で、温泉に自分の肉体をまかせたけれど、ひとによれば、人間の女をたよるでしょう。生活の破れかた、破られなさ、そういうきわどいところね。岡本かの子に死なれた一平は酒ばかりのんで泣いていたらしいわ。
 そういう体で経た経験があるのだから光太郎さんが美は弱いものでないという言葉にはこもっている力があるのは尤もです。私たちはその美感に支えられているのだもの。理屈一片にこの人間の心と体とが支えられるものですか。愛情というものだって、つまりはそこまでのぼる階(きざはし)ですもの。いつも思うのよ、人間の本当の美しさの感じが分ると、その人はそれ故に世俗的道義の典型になるところもあると。堅忍とか貞潔とか、石部金吉でなくて、しかもそれはその人にとって乱れがたい自然の統一となったりしてね。そういう美の感じが、代用品でも平気ですまされるというようになることはおそろしいことですね。「美について」は代用品でないでしょう、少くとも、著者が自覚のもてる範囲では。
 来年三月卒業のひとたちが十二月にくり上げ卒業になるので、いろいろと影響しています、東大は来年は夏休みなしになるそうです。
 肉はすっかり減って、一週間にせめて一度という位になりました。魚は不自由です、野菜もどうやらというところよ。牛乳はうちは半分となりました。ガスも電気もずっと節減。この間目白へ行ったらば、あすこの町会の貯金が二円(毎月)になった由。私のいたときは五十銭だったのが八十銭になったのに。僅か二ヵ月よ。そして公債も買うのですって。さち子さん、つらいわと云っていました。二円というのは、この辺なみよ。あの辺はそういうことも高率だし第一、うちはなかなかそれがむずかしいという人は一軒もないのだから、やり切れないというのもわかるでしょう? ユリが、よ。
 今うちの庭には山茶花が美しく咲いています。赤っぽいのはいやに上気(のぼ)せたようで苦しい色ですが、これは白いところへほんのり端々に紅がさしていて清楚可憐よ。机の上にずっとさして居ります。
 十條に白い山茶花が咲いていた庭、そこでたべた味つけ御飯。花もいろいろの眺めね。
 この山茶花はもう古木なのよ、絶えてしまうと惜しいと思います、何とか植木屋と相談して永もちさせたいわ。
 たまによくこんなことも思うのだけれども、さてとなるとやっぱり本をよむ、かく、ほかの用事で実現せず。実現しないところがいいのかもしれないわ、それが自然かもしれないわ、ね。
 空想のなかによく浮ぶのはもう一つのこんな場面。簡単な私たちらしい餉台(ちゃぶだい)。そこのこっちに坐って御飯たべていらっしゃるの。こっちに坐って見ているの。そうしてみていると、そうやってものをたべていらっしゃるその様子ごと、自分がたべてしまいたくなってゆく心持が実にまざまざよ。まるで口のなかが美味しくなってゆくようよ。全くさぞさぞおいしいことでしょうね。万葉集にはいろんなひとの面白い歌があるけれど、その人をたべたいという表現はないわ。昔のひとは私ほどくいしんぼうではなかったのかしら。もしかしたら、そんなものに匹敵するほど美味しさのあるものなんかなかったのかもしれないわね、何しろ椎の葉に盛る式の食物だったのだから。食べてしまいたい程というのがもし近代の表現なら、そこに又柳田国男のよろこびそうな要素があるわけね。ではのちほど。

 十一月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十一月十二日  第五十信
 きのう、あんまり愉快そうにお笑いになったもんだからときどきあの空気が顔のまわりにかえって来て、何だかいい心持がします。時々ああいう風に笑いましょうよ、ね。心持いいわ。本当に、心持よい、日向のようにいい心持だわ。あなたも?
 あなたの語彙の自在なのにはあきれるほどよ。しかも適切で。
 きょうは、先ずいいおめざがあってホクホク。それに天気はいいし。勉強部屋をゆっくり自分で掃除して落付いて書きます。
 本当に初冬らしくなりました。机の下にもうタドンをうずめた足あっためを使いはじめました。今年はどうやらタドンは足りそうよ。目白からもどっさりもちこみましたし。あすこの二階は足あっためだけで大体間に合っていましたが、ここではどうかしら。でもなかなか日はよくさしこんで、雨戸がぬくもっているのを閉めますから、階下よりずっといいのかもしれないわ。目白はいつも乾きすぎて上気せるようで苦しいほどでしたが、こちらにはそれがなくて、楽です。時々体によくないと感じる位だったのよ、家にはそれぞれのくせがあるものですね。
 眼の本漸々! 私は眼は近眼だの乱視だので、去年みたいなさわぎもいたしますから、随分大切にしています。寧ろ恐縮しているわ。毎朝ホーサンのうすいのでちゃんと洗います。その点ではいい躾よ。眼が機能的な故障をもつということは重大な、人生的なことですね。
 西村真琴と云って『大毎』の宣伝部か何かに今働いている人は、昔知っていて、理博です。自然科学の面白い話なんかきいたことがあったけれど、この人が眼底剥離とか云う病になってもう顕微鏡が見られなくなりました。そこで職業がかわり、暮しが変り、そのように職業のかわれる素質の俗的発展が著しくなってしまったらしい風です。眼は大切ね。
 協力の本、うれしいと思います、パラパラと頁がめくられる。仰向きになっている手にとられて、何となしあちこちがよまれる。暫く伏せられていて、又とりあげられる。これは私にとっては感覚的です。よまれるというこんな感じを感じる作者は一寸類例なしであろうと思います。そして、読むということにも、いくらか似よったものがあるかもしれないと思ったりします。
「乱菊」の中の言葉、そうね、小店員の方がふさわしいわね。フランスの本のことは、かきかたがやっぱり靴をへだててというところなのです。私は、そのことを云いたかったからこそ、あれにふれたのよ、わざわざ。民族の経験を余り常識は大ざっぱに、現実からちがった理解しかしない癖がひどくなっているから、それであれにもふれたのに。残念だったわね。「思う」の余波がそこに及んでいるのです。あなたのお手紙のようにわかりやすく書けばよかったのだけれど。自分と結びついて使う言葉について、余り選びかたがやかましいと、やっぱり瓜だか爪だかはっきりしないところも出るのね。でもやむを得ないということの方が大きくて。
 友情のことも、こんどすっかり自分でかく本(プランを)では、その点明瞭にしましょうね。
 前のときも同じ感想を頂いて、今度は比較的気をつけて展開はしたのですが、土台が、性別を中心にして求められているので、そういう欠点が生じるのです。性別から出発することは違っていると云いつつも、ね。
「突堤」のはじまりは、あれを私が淀橋にいた間に書いたということから、作品としては不成功な書き出しがくっついたのです。全然客観的にみれば何にもあの小品にあの前は不用であると思います。でも、とってしまう気がしなかったの。あざのようなものね、云わば。
 本当に、あとでくりかえしてよまれても味も匂もあせない本、そういう本をかいて行きたいものです。
 それに私にはいろいろ自分への希望もあって、最も親密によんでくださるひとの精神と情緒との隅々まで、くまなく触れるような、そういう書きかたがしたいのです。或ときは頭が快くもまれて、そのうちにあるものを再現し、或ときはなだらかに情感が表現されて、それはとりも直さず全くそのようなリズムで再現されるべき情感を語っているという風に。大したのぞみでしょう? これをこそ大望とや呼ぶ、でしょう。その希望は何割みたされていることでしょうね。六分どおりだったら上成績よ。このデュエットにおいてよくまだ録音されないのは低音の部だということになるでしょう、いつも。いかが? 本当にこのことは知りたいと思います。忘れずお教え下さい。低音部の響は何割活かされているかということを。よくて?
 国府津の海ではそと海らしく黒鯛なんかが釣れます。けれどもあすこはいつも沖ね。ほんの夏の一時期のようです、釣をやるのは。とても自家用なんかつらないわ。これは瀬戸内海の漁村と、ああいう太平洋に面したところとのちがいでしょうね。面白く思いました。自家用を釣ったりしてくらすところには、そういう日常のこまやかなところもあるわけでしょうから。
 釣好きにもガソリンのないことは大打撃で、この頃は船頭が「手漕ぎなんか可笑しくてやれませんや」という習慣になってしまっているから、紀さんなんかもちっとも出られないらしい様子です。
 北欧の気候について。雪よ雪よ北の雪よ、程よいときにどんどん降りつもれ。程よいときに、どしどしと雪崩れてとけよ。春の膝までの泥濘にとけよ。
 隆治さんが、あなたの手紙なんかを、どんなに心にかみしめているかとよく思います。私の方へは一寸ここ暫く来ません、或はどこかに動いたのではないかとも思いますが。
 多賀ちゃんからきょう手紙来。九日の午前二時とかに立って福岡へゆきました。病院の東門前の泉屋という旅舎です、母さんと。
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