獄中への手紙
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著者名:宮本百合子 

ゴーギャンは、ロンドンの株屋だったのね。それが四十歳を越してから絵をかきたくて家出してしまうのよ。モームという作家は、やはり大戦後の心理派の一人で、そういう欠点や理屈づけや分析やらをもっていますが、イギリスの作家の皮肉というものは、皮肉そのものが中流性に立って居りますね。所謂中流のしきたりに反撥して皮肉になっている、悪魔を肯定し、人間の矛盾を肯定する、そういう工合なのね。モームもその一人です。ゴーギャンに当る人間は、いくらか偶像的に間接にしかかかれていません。このゴーギャンにゴッホがひきつけられ、しかもそれは不安な魅力で、ゴッホが自画像の耳が変だとゴーギャンに云われて、てんかんの発作をおこして自分の耳をきりおとしてしまったことなど、そういう人間の火花は面白いけれど、書かれては居りません。モームの小説では。でもゴーギャンの絵のあの黄色と紫と赤のあの息苦しいような美はよくとらえて、タヒチの美として、ゴーギャンの感覚としてかいて居ります。
 ヘミングウェイをよんで思うのよ。イワノフの「スクタレフスキー教授」が何故にこの作家のような、くっきりとした線の太さ明瞭さで書かれなかったかと。それから「黄金の犢」も。それについては、又ね。余り長くなりますから。

 九月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 九月十七日  第三十九信
 もうきょうはこんな日。びっくりしてしまいます。何という恐るべき引越しでしたろう。今夜は、やっとやっと、もうこれで動かないところ迄こぎつけて、風邪ひきで休んでいた国男さんに机の上のスタンドがつくようにして貰って、吻っとしたところです。
 今夜は障子が骨だけなの。明日張れます。そしておしまい。それで当分は、もう知らない、というわけよ。二階を片づける、片づけたものをもってゆく場所がない。そのために土蔵の中を片づけなければならない。そういうおそろしい因果関係で、つまるところ私は二階から土蔵の中までの掃除をしなければならなかったのですもの。こんな引越しなんて天下無類です。そしてすっかり片づけの要領を覚えてしまったようです。ああ、ほんとうにひどかった。こういう折でもないと、家じゅうの邪魔ものをみんな二階へぶちあげるきりで更に何年間かを経たでしょう。この部屋も全く別のところのようです。よかったわ。お化けじみたところは消散してしまいましたから。
 さて、九月二日、目白の方へ下すったお手紙。この前の手紙にこの手紙へのこと素通りしてしまっていたって? 二日のお手紙はそういう可能を自分の条件の裡に発見し具体化してゆく心持に直接ふれて来ていたのに。あとで手紙書いたときは、何しろ手拭で頭しばって働いている間みたいで、きっとおとしてしまったのでしょう。
 随分あっちこっちから考えた上のことですから、本当にこの最少限の最大限というような生活の奇妙な条件を充実して暮したいと思います。万事私の勉学次第ですものね。それだけがやがて、今日の生活を価値づけるのですものね。そこをはっきりつかまえて、一心不乱であればよいのだと思うの。ひとが、こう生活すべきだとつけまわして、自分の生活を空虚にしてはいられませんから。謙遜に、たしかに自分の道を怠らずゆくことというのは、自身の充実への戒心のわけです。それにね、あのダムを必要によってこわしてしまったというニュース[自注7]も、もし事実なら、やはり、いかに生活はあるべきかという意味ふかい教訓だと感じました。みんなはどんなにあれをつくることを愛したでしょう、どんなに模型をクラブにおき、それについて詩をつくり、小説をかいたでしょう。建設の一つの塔のように響いていたものを、出来上ってやっとまだ三四年の今、それが必要なら自分たちでこわすということには再び又それをこしらえるというつよい確信がこもっていて、こわすことに却って勇気がこもっています。生活の勇気とはそういうものなのね。そうだとしたら、自分がもちつづけた生活の形を変えるということを決心しにくいというのは、何と滑稽な意気地のないことでしょう。様々の変化に耐えないというわけなのだろうか? そう自分に向ってきいて見ると、私の中には、そんなに自在さの失われている筈はないというものがあって、それで、私は明るくされるのよ。
 隆治さんのことは、私は次のような点から感服するのよ。酒をのむのまぬ、煙草を吸う吸わぬ、そのこと自体は吸ったからわるいという考えかたでは余りかたくるしいけれど、そういうものなしに様々の艱難を凌ぎとおしてきたという、そういう素面(しらふ)でいる人間の勇気というものを私は感服するの。達ちゃんの話では、迚ももてん、というのですから。そしてまわりは皆やる。自分がやらない。いつも正気でいる。そして酒の勢をかりてやることを見て来ているし、やらせられて来ている。そこに何か痛切なものがあります。私はそこを思うのよ。隆ちゃんがその正気の心で経験して来たことを思うのです。例えばヘミングウェイは大変男らしい作家です、爽快な男です。私は随分気に入ったところがあるのだけれど、この人の小説には、酒とたべものが何と出て来るでしょう、官能の性質が推察されるようです。どうなってゆくだろう、この先、という心持の中にはこの作家のそういう面もやはり一つの条件となっているようなもので、隆ちゃんのしらふについて深く考えるわけです。
 さて、十三日のお手紙はいかにも用向のお手紙ね。これは竹の垣根のすこし古びたののようよ。パラリパラリと大きい字があって、間から風がとおしているようよ。(慾ばり□)
 さあ、いよいよ落付いて、仕事をすすめなくてはね。私は実にうまく引越して、ギリギリの一文なしよ。だからあなたに年の末までをお送りしておいたのはなかなかやりくり上手だったということになります。そのうちには又ポツリポツリと雨だれを小桶にうけておきますから。
 夢の話大笑いね、でもなかなか哀れふかいところもあるとお思いにならないこと? あなたは本やに何とか云っておくれたことを話していて下さるのよ。こうやって、云って貰うのは何て楽だろうとほっこりしてわきにいるの。大変たのみになる心持だったことよ。実際だったら、あなたはそんなとき云って下さる? 余り心理的で、陽気にふき出してしまいました。こんなのだって、かりに私が本やに話したりすると、本やは本気にしないわきっと。余りつぼにはまりすぎていて。人間の心もちって妙ね。では今夜はこれで終り。咳すこし出ますが大丈夫です。協力は笑草ほど増刷いたしました。

[自注7]あのダムを必要によってこわしてしまったというニュース――ソヴェト同盟の労働者は、一九四一年の秋ナチス軍の手から守るためにドニエプルの大ダムを自ら破壊した。

 九月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 九月二十一日  第四十信
 きょうは日曜日で日蝕が〇時四十六分一秒からはじまるというので、国ちゃんがガラスをローソクの煙で黒くして太郎も私もそこからのぞきました。真赤な太陽の右下のところから欠けはじめました。
 井戸がえをはじめていて、七八人の人が働いていますが、繩をひっぱる女も三人ほど交っています。あの昔きいた井戸がえの一種独特なかけ声をやはり今でもやるのね。職業の声なのね。
 市内ではこの頃万一の用心に井戸掘や井戸さらえがあっちこっちで行われて、職人が不足していて、市の近郊の職人がひっぱりだこの由です。井戸をつかえるようにすることや、水洗の厠の外に普通のをこしらえることだの、様々の仕事です。太郎は生れて初めて井戸がえを見て大変珍しそうです。僕手つだっていいかしら。あのつなひっぱると、つな引のときつよくなるんだネなどとやって居ります。
 きのうはてっちゃん初のお客によってくれました。私も段々馴れはじめました。いろいろなことが段々気にしないでやれるようになって来て(日常の用事よ。たとえば雨戸しめるということにしろ。馴れないと、あすこしめ忘れたという風で)これで、私の下宿出来るところとしたら最も自由のきくところであるということがわかって来て、いろんなことにはこだわらないで自分は自分としてやってゆくことを覚えそうですから御安心下さい。
 初めのうち、国さん風邪で事務所休んでいて、起きるとから寝るまでラジオなので本当に閉口しましたが。私はよくよくラジオぎらいなのよ。あの雑音は実にいやで、荷風のラジオぎらいもわからなくない位。だからどうしようと思いましたが。きのうきょうは静よ。助ります。その代り寿江子のピアノね。
 女中さんが一人留守で、大いそがしよ。やす子が全然弱いから完全に一人の手をとります。
 いかが? こんなに日常の暮しは手紙の中に照りかえします、面白いことねえ。夜こわいというような思いをしないでねられるのは一徳です、大変神経に薬でしょうねえ。こういう目に見えない休みがあるのだから、女人夫をやった疲れが直って調子がわかったら大いにがんばらなくてはね。起きぬけにラジオきかなければならないのが辛くて、これだけはいやです、人手があれば本当にせめて朝食だけは雑音ぬきでたべたいと思います、今に何とか工夫するわ、つめてものをかき出したら。もとだとお茶とパンですませたのに、今はそれがききませんからね。自分だけ自分で運んで朝は別にするかもしれないわ。
 きのう二十日でしたが、電報どうだったかしら。適当なときに届きましたろうか。森長さんには三通のことともう一つの用件をよくつたえました。話の意味はよく分ったそうでした。何にもそういうことは今話に出ていないそうです。
 達ちゃんのこと、実現したら余り見つけものすぎる、という位の感じですね。専門がああいうのだからそういうことは殆ど不思議だと紀も云っていました。不思議にしろ、そういう不思議は大歓迎ね。
 山崎のおじさんが御上京で三軒茶屋の家にいられます。ハガキが来て(目白宛に)来たいとおっしゃるから、いつも、あっちからばかり来させてわるいから今度は私の方から訪ねることにしました。金曜日そちらのかえりにずっとまわりましょう。いつかは五年前、目白へ引越したばかりのとき来て下すったし、今度はこっちへ来たばかりへ来て下さるし、奇妙なめぐり合わせね。田舎ではすっかり呆けたようにしていらしたけれど東京ではいかがでしょう。やはり東京が気が楽なのね。大した家柄のおよめさんなんておじさんには年とともに苦手になる一方なのでしょう。まして息子たちは、皆負傷してかえって来ているのだし。美味しい鳥肉を買ってもって上りましょうとお約束してあります。目白の鶏屋がよいから。前から電話しておいて、よってもって行きましょう。私はあの山崎のおじさんという方には親切にしてあげたいところを感じます。年をとっていらして、それでいて子供のようなところ世智にたけないところがあってね。およめさんたちはそういうところを意気地ないと見るのもわかりますが。あっちを訪ねるのにいい機会でしょう、こっちもいくらか困るのですし。つづき合いから云って、私一人食事のお対手するのは妙で、やはり家のお客様とすべきなのに、旦那さんはそういうつき合いはきらいですからね。おっくうがるからね。すこしゆっくり滞在なさるのなら又そのうちにおよびして、二階で何かやって国男たちもお客にしてしまいましょう。そうすればいいでしょう。私が主婦役一人でね。そういうところのやりかたについてもいろいろとのみこめて来ました。二階をすっかりつかっているのはそういうとき便利です。
 連日の女人足の疲れ、相当ね。単純なつかれではありますが。疲れて風邪気でもあるから、本当は私は少しクンクンになりたいところです。クンクンになって、あの美味しくとけるようなボンボンをたべたいと思います。
 あんなボンボン類なしねえ。美味しがるのを御覧になれば、あなただって思わずもっとたべさせたいとお思いになるのも無理がない次第でしょう。この節はなかなか手に入りませんでした。だからもし見つけたら私は一つや二つ夢中と思うわ。味なんか分らないでしょう。半ダースもたべてたべて、ああやっとおいしさがしみとおったわというのでは恐慌かしら。恐慌的ということのなかにも愛嬌のあることだのうれしいことだの恐縮なことだのがあったりするわけなのですから、ユリのボンボン好きぐらい、ねえ。理の当然ではないでしょうか。それはみんなユリが丈夫で、いい味覚と特別に高い趣味とをもっているということにほかならないのですものね。
 ボンボン貪慾についてあなたはすこし辛棒づよくきいて下さらなくてはならないわけもありそうです。だって、知っていらっしゃること? あなたよ、初めてあの蜜入りを私におたべさせになったのは。人間の味うものの範囲も考えてみればひろいと感服いたします。
 私は今自分のまわりに浮んで来るいろいろの情景の中にいて、何かおとなしい小さい声で物を云っていたいのに、ピアノは何てせわしくうるさく鳴っていることでしょう。あなたもうるさくて? 今何にもあんなに鳴るものなんか欲しくないのに。ねえ。
 困った心持になって凝っとしていたら、ふっとやんだわ。暫くこうしていて間もなくねてしまおうと思うの。
 子供は、早くあしたになればいいと思うとき、早くねてしっかり目をつぶって、あしたが早く来るようにするでしょう。自分のいたい世界だけになるようにするでしょう。それとおんなじよ。

 九月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 九月二十二日  第四十一信
 けさはがっかりいたしました、と云ってもうかつなのは私だったのですけれど。火曜日はお休みと気がついたのが九時なのよ。さあ、とあわてて仕度して出かけたってついたのは十一時すこし前。二百十何番というのなの。午後二時にはお客の約束あり。仕方がないから、切り花をいれてかえりました。ときならぬ花を、変にお思いになったでしょう。ユリがてけてけあすこ迄行っての上のおくりものと、お察し下すったでしょうか。
 それから毛布送りました。お寒くはなかったでしょうか、この間うち。二枚つづきの毛布と麻のかけぶとんだけでは必しもぬくぬくとした寝心地ではなかったでしょう。気にかかっていて、やっとお送りしました。上手に洗濯して来て大変柔くフクフクして居ります、但し毛のあるところは、の話よ。いくらか枯れた芝生めいた毛布で、地(ジ)が出ていても今のスフよりは何層倍かましでしょう。
 きのうの手紙の終りに一寸かいていたように、きょうは薬とりかたがただったのに。
「ジョンソン博士伝」を(上巻)よみ終りましたが、大変偉大と思われているジョンソンがやはり十八世紀年代という時代の特色は十分もっていて、その有名な警抜さというものもつまり現代にショウがいると同じ本質のものですね。つまり常識です、ややつよい匂の常識です。金銭とか社会的地位とかいうものに対する見解も、当時のイギリスの社会らしく、その差別の適当であることを認めています。スウィフトやフィールディングを余り買っていないのね、ゴールドスミスは可笑しい見栄坊でジョンソンのとりまきの一人だったのね。そしてルソーに対してジョンソンはその時代のイギリス市民の一番お尻ッぺたの厚いところのような見かたをしています、ルソーの必然を、せいぜい本人が心得てやっているバカらしいこと、としか見ていないのも面白く思えます。十八世紀のイギリスの新興貴族事業家、市民のそれとの妥協などのいきさつが、ジョンソンの巨大な体の中にまざまざと見えます。漱石はジョンソンをどう見ているのかしら。
 ストレチーという伝記作家が「エリザベスとエセックス」というのを書いているのを片岡鉄兵さんが訳して其をもらいましたが、この人がポープをかいているらしい様子です。あのポープの型にはまってしかも常識的なひややかな詩をストレチーはどう見ているのでしょうね。
 ストレチーはヴァージニア・ウルフなどのグループに属していた人で、やはり歴史を心理的機微をモメントとして見る人です。そこに面白さとつまらなさとあります。心理主義の傾向は、対象の個人の内部にだけ事件の入口と出口をもとめる傾きを導き出しますから。
 あああしたは又休日ね。少くとも今夜は夜中に寿江子が出入りする音でおこされたくはないわね。丁度一しきり熟睡した夜中急に物音でおこされると、頭の中が妙に明るくなってもう永く眠れず、その頭の苦しさと云ったら。私はこういうときには思わず泣声でおこりつけるのよ。起した本尊はグーグーで。このいやな腹立たしさはあなたに想像もおつきにならないことでしょうね。
 さて、きょうはよく眠ってヒステリーはしずまって居ります。電報頂きました。やっぱりもう待ち切れなくおなりになったのね。もうきょうはついているのでしょうけれど。あしたは届くかしら。
 今度お送りしたのでない方を、この次暖くなったら又洗濯に出しましょうねえ。
 大体今年は寒くなるのが早めのようです。
 段々勉強したくなって来たからしめたものです。上林なんかゆかなくってよかったこと。ここのごたごたの物凄さは一通りでないのだからそれに馴れる迄反則いたしますからね。それに無頓着になるためには、なるたけ早くそれになれなければなりませんからね。他人が下宿しているのではないのだから人手がなければ赤坊のおむつも世話してやるし、台所へ往復もするし、ね。それはあたり前なのだからそういうごたごたをもって、しかし、自分の時間はしっかりもてるような新しい秩序がいるわけです。
 いずれにせよ段々やりかたを覚えて来るから御安心下さい。みんなとの心持は上々に行って居りますから、その点ではいうことはないわ。ひとりでいるよりはつまりはいいのかもしれないわ、ね。片づきすぎて瘠せたような生活にならないだけ。子供がいるとなかなか面白いわ。太郎がね、一昨夜夜中に、おかあちゃあと泣いているのですって。床のところを父さんがさぐって見てもいないのだって。スタンドつけても見当らないので、さがしたら、ずっと枕もとの上の方に母さんの机がおいてある、その足の間にすっかりはまって、手をバタバタやって天井をさぐったりあっちをさぐったりして泣いているのだって。よっぽどこわかったのでしょう、父さんにだかれてあっためて貰いながらそれでも泣いていたって。きっと何とこわく感じたでしょう、翌日、ちいちゃいおばちゃんの室へ行ってベッドの上に仰向きになって、そこはすこし天井が低くなっているので、そこをしげしげ見ていたが、やがて、ネエ、ちっちゃいおばちゃん、ベッドへねていて、天井がずーっとずーっと低くなってそこいらぐらい低くなったらどうする? としきりにきいていたって。ぼんやり感じ思い出したのね、でもよくうまくあの机の下へすっぽり入りきったと大笑いしました。
 今に島田へ行ってもなかなかにぎやかなことでしょう。机の前に、あなたも御覧になった輝をだいた写真とあきら一人のとをおいています。咲枝はじめてその写真を見て、あらアと羨しがっていたわ。きっともう随分大きくなったことでしょうね。
 稲子さん飛行機で満州国のお祝の『朝日』の銃後文芸奉公隊というので出かけました。同勢は林芙美子、大田洋子、大仏次郎、横山健一。
 鶴さんは甲府とかへ講演に出かける由。おばあさんが丹毒にかかっていて、顔がすっかり張れた由。(これは佐藤さんからの電話ですが)
 栄さんはこの頃ひどく疲れているそうです。春子さんという、学校は(小豆島の)一番でとおした女の子が手つだいに来ていて、それが大したもので、それでつかれるのですって。学校の一番も眉つばねえ。栄さんでも手に負えないものに出合うかと何となくユーモアを感じます。まだどこへも行かないのよ、引越してから。
 きょうは又雨になりました。毛布どうしたかしらと思って居ります。けさの床の中で暫く目をさましていて、あることを考えました。
 この前の前の手紙で、詩集の話が出て、どうしてあの詩人は秋冬を余り季節としてうたっていないのかと思うと云っていたでしょう。考えて見て、一つ一つの詩について見なおすとね、あるものは肌さむい秋だの凩(こがらし)の冬だのが季節としての背景にはあるのだけれど、詩は、いつもそんなつめたさやさむさを忘れて様々の美しさへの没頭でうたわれているのですね。それに気がついて、ほんとにほんとに面白く思いました。生活のあたたかさ、よろこびのぬくもり、そういうものの中で、どの詩も単純な季感からぬけてしまっているのねえ。
 実に素晴らしいと思います、だって「月明」にしろ背景は冬よ。けれども、あの詩の情感のどこに寒さが在るでしょう。ほんとに、寒さがどこにあるのでしょう。
 それから「草にふして」というのなんか、秋も深くもう冬なのね、季節は。しかし、その草のかんばしさ、顔にふれる心地よさ、そうして小犬がその草原にある□の若木にまといつき、うれしそうにかみつき、一寸はなれてはまた身をうちつけてゆく様子なんか、やはりそこにあふれているのは優しい暖かさよ。ちっともさむくないわ。代表的なのは「春のある冬」という序詩ね。覚えていらっしゃるでしょう?
 あなたの体をつつむ毛布からこういう詩の話になるというのも、きっと何かふかいつながりがあるのかもしれないわ。とにかく私は、今あなたを寒くないようにと大変思っているからなのね。

 十月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十月二日  第四十一信
 太郎がわきのベッドに入って、山羊の文鎮をもってねています。お風呂のぬるいのに入って遊んで、さむくなって、二階へくっついて来てベッドへ入っているのよ。
 ところで、きのうの夜の風はひどうございましたね。夜中に幾度も目をさまして、ああこの風がガラス一重に吹き当るときはどんなだろうと思いました。ガラス越しのうすら明りだの、そこに揺れるまとまりないかげだの音だの、そういうものを想像いたしました。目白だったらこわかったろうと思いました。あすこは南が実にふきつけるのよ。
 三十米の風速だったのね。先年、てっちゃんのうちの羽目がとばされたりしたときは四十米以上ありました。山陽線又不通よ。そして大分で、汽車が河に落ちて、百二三十人死にました。大半は中学生の由。
 きょうは私はうれしい心持よ。やっとやっと夜具が送れましたから。この頃はどこも手がなくて、約束していても急にその職人が出征したという風で、夜具も、袖のある方はうちで縫ったのよ。本を見て。そして職人を呼んで綿を入れさせ。ああ、ほんとに気が楽になったこと。袷は、ちょいとよそゆきの方が、先になってしまいましたが、近いうち、例のをお送り出来ますから、そしたらそっちをしまっておいて頂戴。
 島田への毛糸も送ったし。さあこれで引越しにつづくバタバタは一段落ね。そして愈□筑摩のにとりかかります。
 そして、きょうは手帖をくりひろげて少しびっくりしているのよ、この前私は二十一日に手紙を書いたきりだったのね。もう十日余も立ってしまったなんて。二十六日からは夜具ごしらえでさわいだにしろ。
 あなたの方もきっとあっちこっちへ書いていらしたのでしょうね、こちらへ頂いたのは九月十三日に書いて下すったのきりね。やっぱりこれも少し珍しいくらいだわ、九月にはつまり二通であったというのも。私たちは何となく落付かなかったのね、きっと。今月からは普通の軌道にのってゆけるでしょうと思います。そちらでももしかしたらきょうあたり書いて下すったかしら。
 二十六日の金曜日にはね、一寸お話したとおり相当くつろいだ一夜でした。山崎の周ちゃんの店は渋谷から出る東横バスの若林というところのすぐわきです。おりて、どこかしらとクルクル見まわしていたら、いかにも新開の大通りらしい町なみに、ヤマサキ洋装店とかんばんが出ていて、すぐわかりました。何とかミモサとか、何とか名をつけないでヤマサキと簡単に云っているのもあのひとらしいわ。店はひろい板じきで、わきから上ると、六畳で、つき当りが台所。二階のあるうちです、新しいの。そして、その六畳には洋服ダンスだの、大きい鏡だのがあって、その鏡の前には花だのフクちゃん人形だのがあって、山崎のおじさんはズボンにシャツという姿でした。お兄さんもかえっていてね、店の外のところにカスリの若い男が少年と立ち話をしていた、その人だったの。写真帖を見せてくれたり、戦の話が出たり、獄中記を著した斎藤瀏というひとは歌人としてもそのほかの意味でもセンチメンタルすぎてがっかりしたという感想談があったりして、のんびり御飯たべました。山崎のおじさまは、とりが好物でいらしたのですってね、知らなかったのに偶然よかったわ。それに、こまかく柔かにしたのがあったりして。
 ビールをのもうとおっしゃるの。私は本当に頂けないからと云ってもすこしとおっしゃってあけて、ついで、こっそり立って妙なビンをもち出して、それを自分のコップに入れなさるのよ。大笑いしてしまった。それは、タンシャリベツなのですもの、あの甘い。マアこれは妙案だと大笑いでね、しかもおじさまはいくらか気のぬけたビールがおすきなのですって、愉快でしょう? でも、口が大分まわりにくく、おっしゃることをききとりにくいわ。一杯きこしめして、暫くしてもうわきへころりと横におなりになってスヤスヤ。やがて九時ごろになって、私が急に大きい声出して、笑いながら、さあおじさま、もうそろそろおいとまいたしますよって云ったら、むくり起き上ってパチパチして、改って御挨拶で、これも大笑いいたしました。こっちはすることがないから、かえりたいかえりたいと云っていらっしゃるのですって。せまくて、木を切ったりも出来ないからね。
 でもこういう親子三人みていると、みんな単純な心持で、周子さんなんか、頭もそれなりにきいていて、なかなかいいわ。いろいろのことがないと私なんか時々はフラリと行って見たいようだけれど。さっぱりした気質ね。
 富田みやげというせともの入りのわさびの味噌づけというのを頂きました。それと雲丹(うに)の玉というのを。あちらの雲丹は美味しいけれど、あなたは雲丹お好きだったかしら。私知らないわね。私たちの御飯に雲丹なんてあったことなかったことねえ。十月二十日すぎ防空演習が終りますから、そうしたらもう一度あの三人を何とか御せったいして、おじさまをおかえししましょう。六十六ぐらいでいらっしゃるのに、まだわかいのに。年をおとりになっているわねえ。
 周子さんは和服より洋服がすっきりしてきれいよ、和服は妙にごてごてにきるもんだから。赤い色(日本風の)が似合わないのに、日本の服は年で紅さを氾濫させるでしょう、顔が変に重くるしくなってしまうのよ。平凡な服をさっぱりきていてよかったわ。ああいうことでも働いている女のひとには活々したところがあって、大まかのようでいてなかなかつましいのよ。都会の暮しかたをすっかり身につけていて、生活力があるわ。姉さんは、あれはもっとちがった人らしいことね、写真で見ると。美しいと云っても弱々しく、つまらない美しさね、湧き出す力が全くないのだから女優として駄目だったのは当然です。小林一三のおめがねもあの位なのかと、人物評論的おもしろさを感じました。
 叢文閣の本ね、きょうで完了よ。この人は、面白い本をかきますね、何というのかしら、大抵のひとは事実をその関係で示し語るだけだのに、この人はその関係のなかにしんからの理解をもっていて、展望の結果の面白さを自分でも十分感じていて、その感じが、本の云うに云えないニュアンスとなっているのね。つまり人間としての情熱が感じられるのね。この人の本は、最近どんなものが出ているでしょう、もしよめたら面白いでしょうね。そして、きっと面白いものをかいているでしょうと思われます。わかることを云えば一目瞭然的に明確ですからね、今日においては。
 別の話ですが、今度翻訳権が統一的に処理されることになりました。今までのようにめいめいが勝手にその権利を原著者から貰うということではなくなるらしいことよ。
 筑摩の本は決心して、やはり云っていらしたようなプランでやります。古典の作品から現代の作品をひろい範囲で対象として行って見るわ。絶えずいろいろに考えて見ますが、どうしたって、そうでもしなければ書けない本なのですものね。人生論的なものを書くなんてその形では、いかにも書く気がしないし。どこまでも文学をはなれず、古典のよみかたもおのずから会得しつつ作者とその時代もわかり、そこからひろくふえんされたものの感じかたに導かれるというのもわるくないでしょう。もうそういうやりかたしかないときめたの。きのうの晩。それできょうはのこりの30[#「30」は縦中横]頁を終ってそっちの仕事に着手いたします。
 歴史的な精神発展の順がどのように辿れるのか今のところ見当がつきませんけれども、でもたとえば、「ジャン・クリストフ」の中ではクリストフとオリーノ□ィエの友情の面でとりあげてゆくという風にして、それと何か女の友情の問題のある小説とを並べてふれて、友情の内容のぎんみも出来れば幸だと思います。そういう風にやって見たいの、同じ問題が女の生活ではどう現れるかというところも見落さず。そういう立体的な背と腹とのあるもの、そしてその両面のいきさつも鮮かに示されているもの、そういう本なら、やはり独自な価値をもちましょう。文学という面で云えば、少し大きく云えば世界文学評みたいなものになるわけだから、そう思うと私はまだまだよみ足りない感がします。
 英雄崇拝ということについて、スタンダールの小説を見のがすことは出来ないわ。ところで私はスタンダールをどうマスターしているでしょうか。大した自信がありようもないわけでね。しかしこういう方法しかないときまれば私はもう腰をすえてかかります。又ケイオーの桑原さんから眼の疲れを守る薬をもらって、せっせとやるわ。この機会に、これまでちりぢりばらばらだった世界文学に、自分なりの一貫した整理が出来れば仕合わせですから。人生への理解のひろさ、ふかさという味だけでなく、人生と文学との見かたが、文学的にやはり何かであるという風にやりたいことね。
 九月はじめのお手紙で、マンネリスムのポーズに陥ることについての戒心がかかれていて、あれは全くのことですが、でも、自分の仕事として本当に自分がアペタイト感じる迄つきつめて行って見ると、とどのつまりはやはり何かの点で、いくらかでも勉強の重ねられたものでなければ満足出来ないから、そこは面白いものね。同時にユリが、器用人でないことの有難さよ。先生になることに皮肉を感じているありがたさよ、ね。
 白揚社と万里閣から、女の生活についての本の契約があって、それは、こちらよりも自分で早く目あてがつきます。一つの方には一寸面白いプランあり、これも勉強がいるのよ。それはいずれまた。白揚社の方の本では、益軒の「女大学」、それから女のひとの書いた庭訓と当時の文学にあつかわれている女と川柳などの女の生活と、その関係を見きわめながら明治へそれがどう流れこんで来て、今日どう変化しているか、そういう点を見たいの。(つい書いてしまったわね、いずれ又なんかと云いながら)さし当りこの三つを目前にひかえてフーフーの態です。こういう種類の本三つもかけば、小説が書きたいわねえ。実に書きたいわねえ。
 それでも白揚へのプランは、もしちゃんと出来れば、今出来かかっている『婦人と文学』の前期、明治以前をつなぐものですから価値があるわ。徳川時代の女に何故歌よみと俳人はあっても、小説家が出なかったかということなど、考えるべき点ね、女性の教養と当時の文学――小説の考えられかたの点。馬琴と春水との出現が語っているような分裂、その間に所謂文のかける女は皆つまりは馬琴側で、しかしそれでは女にはかけなかったという矛盾。十八世紀にフランスではラファイエット夫人が立派な小説かいているのにね。そして、これは、藤原時代に女が小説をかけたことの、その可能のうちに潜んでいた弱さの結果を語るものとしてあらわれているのですから。
 おやおやもう八枚目ね。では又ね、あした。

 十月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十月五日  第四十二信
 きょうはむし暑いこと。セルを着ていて汗ばみます。そちらも? 太郎は急にとうさんとかあさんとにはさまれて、鉄道博物館を見に出かけました。
 お手紙、やっと着。ありがとう。
 あの間違いのこと、そのケタちがいの理由がわかりました。労働年鑑や何かで有職婦人の総数をしらべて、それと間違ったわけでした。有職と云えば広汎で、あの数が出ているのですけれど、勿論働いている女のひとの数はその一部ですからずっとちがいます。有職には待合のおかみでも入るわけですから、度々注意して下すってありがとうございました。私はときどきこういう間違いをやるのね。そしてそれはやはり様々の原因があることで威張れないと思います。よく気をつけましょう。
 本のこと。おっしゃるとおりと思っているのですけれど、はかどらないことよ。東京市もところによっては指定区域というものが出来る(出来ている様子です)そこでは防火用の設備もいろいろときまりがあって、小石川の高田老松の辺や目白の方もそういう方らしい様子です、戸山ヶ原その他があるからでしょう。こちらとその条件が大分ちがうようです。各戸にポンプや何かそなえるというのよ、指定のところは。そしてバケツでも一定数以下しか買えないところは市で配給するということです。その点ではこちらはよかったと思います。
 輝ちゃんの毛糸は、お話しいたしましたとおり。一ポンド二十円というのは毛ならきまったねでしょう、上海あたりからのものもその値段だそうよ。
 巖松堂の六法、承知いたしました。鴎外の歴史もの私はみんな(と云っても、後期のものは別ですが)文庫でみたのよ。もし全集がうまく手に入らないようだったら、文庫でも我慢して下さるでしょう、こまこましてうるさいにはちがいないけれど。全集は岩波からホンヤクの部と創作の部と二種並行にして出して居たと思います。鴎外なんかやはりきんべんな人だったのね。ドイツ語が自由だったにしろ。
 私もどうやらやっと仕事に向って来たようです。でも辛いのよ、この間叢文閣の本、実に面白くて、丁度そちらへの途中、新書の「アラビアのローレンス」をよんでいて、ローレンスの悲劇が何と一九一八年をめぐる世界的な意味をもつかと思って、興味おくあたわずです。ストレイチーという人(エリザベスなんか書いている)がもし真に歴史小説家ならば、たり得るならば、「アラビアのローレンス」こそとりあげるべきです。でもストレイチーには書けないでしょう、ストレイチーは個人の心理のニュアンスを追ってものを分析するから。ローレンスの悲劇は分らないわ。歴史小説のテーマはつまりはこういうモメントでつかまれなくてはうそです。あの本をよみながら殆ど亢奮を覚えました。「スエズ」その他引つづきよみたいものが出て来て、ほんとにあの本はうれしうらめし、よ。そして又一方には、こういう本の面白さ、現実性に対して、同等の熱量をもつ小説というものが実に不足を感じます。文学の立ちおくれということは、単純でない理由をもっているから、或意味でおくれているのが本当ながら、しかし本質が非常に弱ったものの上におかれているとき、文学のおくれは実にひどいことねえ。何ものをも描き出していないという位の印象で。私は面白い本をよむにつけ、同じように面白い小説がよみたいわ。波頭について云えば、勿論小説の書く現実はずっとおそくうちよせた波についてかいているのが必然だが、少くともその波の描きかたの深さ、正確さ、規模に於て、ね。本当にそういう小説がほしいわねえ。何てほしいでしょう。自分だけとしての感情で云えば、古典が実に古典化してしまった感じです。今私は自分のためばかりに古い小説をよみたいと思いません。今日の歴史性刻々の古典がほしいわ。
 あの支那についての本の著者が生きていることはおめでたいことです。こんなものね。いろんな希望がいろんな形で話されるのが分って、面白うございます。
 朝おきについて、皆で笑ってしまったわ、ホーラね、こっちへ来ればきっと出ると思った、と云って。大して悪い成績でもありません。けれども目白のようにはいかないときもあります。北の四畳へ籠城ときめてからはピアノも大して邪魔にならず、昼間落付くからもう安全になりました。なかなかいろいろよ。一日中殆どピアノがきこえるのですからね。あっちこっち工夫して、つまるところ一番せまくるしい、寒いところへ昼間はとじこもりにきめました。こちらだと左側から平らな光線が来て目も楽なの。南向でも大きい木や何かが邪魔してくらくて。夜は南の方へ引越すの。
 冬の詩集の話、本当にそうでしょう? アイスランドのことは面白いと思います。アイスランドにそんな暖いお湯のあふれるところがあるなんて、何となし思い及ばないことね。そして外面の事情のつめたさだけ零下〇度ではかっているというのは何と興味があるでしょう。自然とは豊富なものね。すべて自然なもの、自然さをけがされていないものは、同じようなゆたかさをもっているのね。アイスランドの暮しはアンデルセン風のものがこもってさえいるようではありませんか。
 専門学校以上は十二月で卒業になります。一学期くりあげの卒業です。やがて一ヵ年短縮になる由。文部省はいろいろ賛成しかねる点を見ているのだそうですが、青年団に学生が多い方がいいという点だそうです。七月で外国雑誌は入らなくなったし、大変なことね。学問の水準を保つ必要は、一面他の刻下の必要にも通じているわけなのでしょうが、両立しかねるものと見えるのね。先生も生徒も急にきまったことで急にせわしない思いをしているようです。女のひとも同様ね。美校の卒業生も中学の先生になるか工場へゆくかという風だそうです。
 この妙な紙もこれでおしまいよ。なかを見ないでいそいで買ったらこんな字入り。こんなのを見ると、子供のとき父の事務所用のタイプでいろいろ打って(印刷したのね、考えると)ある紙が珍しくて、それをもち出してつかって、子供が使うと可笑しいと云われてよく意味が分らなかったことを思い出します。そしたら、この間、東北へ行っている娘さんが、大学のいろいろのことつまらながっているのに、大学と押し出した紙つかって書いているのを見て何となく微笑しました。あのひともやっぱりそういう紙を偶然手に入れたのかしら。
 夕方、寿江子へのおはがき。道後のことが書いてあって又行ってみたくなったわ。この夏、海のきらめくのを眺めながら、室積で、すぐ道後に行って見たくなりましたっけが。電車で行くんでしょう?「坊っちゃん」のなかにも、そこいら辺が出ているわね。太郎を今に虹ヶ浜へつれて行って泳ぎを教えようというのが目下のところ私の憧れよ。太郎もたのしみにしています。
 冨美子が学校にいる間だと、あの子が上手く教えてやってくれるだろうからいいのだけれど、十歳前ではおっかさんからはなしてつれてゆく自信がないから。太郎には乗馬と泳ぎと機械体操だけは、ちゃんとしこんでやらなくてはいけないと本気に思っているのだけれど、太郎は運動ぎらいで、運動会の予行演習があると、おなかが痛くなってしまって(□)早びけしてかえって来てしまうのよ。頭からっぽのスポーツ好きも悲しいけれど、こういうのも些か苦手ね。これからの男の子はどういう面からも自分の肉体を水陸でこなしてゆける実力をもたないと、或る場合、下らなく消耗しなければならないのにね。この間九州で汽車の事故がおこったときだって、死んだのは女、子供よ。泳ぎを知らないから。私は運動会――競争そのものはしんからきらいだったけれど、体操や何かはきらいではなかったのに。ものぐさというのでもないのだけれど、太郎のは、ね。緑郎がそうでした由。緑郎は最後に出る船でかえるでしょう。この間イギリスから最後の船が日本に来て、それと交換のようにリスボンから日本の船が出るらしいの。外務省へ電報が来ました由。緑郎ももう二十九か三十よ。どんなに変ったでしょう、ひどく変ったことでしょうね。どうかよく成長しているようにと願います。緑郎がかえって、もしこっちにいるようだったら二人の音楽家で、まア私はどういたしましょう。迚も身がもたないでしょうね。緑郎のことはまだ未定ですけれども。
 トラさんのことね、硼酸(ほうさん)をうすくといたもので洗えるといいそうですが。それに水が硬水ならば、湯ざましは軟水になっているから、ということを云っていた人がありました。どびんのお湯がさめたのは、水道のよりいいというわけね。硼酸のうすいのはなかなかいいらしいのですけれどもね、薬と併用してゆくと。どこかの小学校で殆ど全部かかっていたのが、それを三四ヵ月つづけたら殆ど全部なおりましたって。切るなんていうのはよくよくわるいのらしいわ。私は空気浴をやって行こうと思って居ります。その間にこすればいいのでしょうね。今健康ダワシをたのんであります、これ迄ずっとお風呂のときつかっていたのですが。
 それからね、これは歯のことですが巷間の歯ミガキというものは、いろいろと歯の表面や何かをいためる薬を入れているらしいのね、おちるという素人らしい効果のために。シソーノーローは大分そのためらしい由です。それで、塩のことが云われていて、硬い毛の歯ブラシで塩をほどよくつかうと、歯ミガキがもたらす害は少くともないということです。勿論決定的には云われないのでしょうが、この頃のように材料すべてがむずかしく従っていかがわしくなると、或は一考の価値あるかもしれませんね。栄さんが、髪を洗うのに、シャンプー(花王や何か)つかいすぎて今前のところがひどい有様になっているのよ。顔ちがいがするほどよ。シャンプーとか歯みがきとか、要心ね。あなたは普通のシャボンで髪洗っていらっしゃるのでしょう? その方がいいわ。私はおはげはこまるからこれからはふのりで洗いましょう。布地をはったりするのりよ。栄さんたら、どんな短いものでも書くときは髪を洗いたいんですって。可哀そうに! 三四冊の本のためにあんなになるなんて! しかも内からではなくて、外からあんなになるなんて。私の手を洗いたい癖の方が余程安全ね。何か書いているとき何度洗うでしょう、実際膏汗(あぶらあせ)も出るのでしょう。いろんな細かい仕事をする人が神経の調節のためにいろんな癖をもっていて、必ずそれをやるのは可笑しい、しかし生理的なことなのね、きっと。近日うちに達ちゃん出かけるかもしれませんね、中旬か下旬に。
 夜着、お気に入ってうれしいわ。私は大変気に入っているのよ、では明後日に。

 十月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十月十一日  第四十三信
 今夜は四日と八日とへの御返事。本気で勉学をはじめると、それでも御褒美が出るからうれしいことだと思います。
 四日のお手紙の諧謔調は、ひとり読むには余り惜しく、かたがた些か恨みのこもる人も居合わせたので(寿)声高らかに音読して一同耳をすませて拝聴いたしました。国男がニヤリとした顔は御覧に入れたく、ああちゃんは(咲)まア可哀想にねえ、あっこおばちゃん、と同情し、寿江子はヘヘヘヘと笑いました。それでもパニック的状況がすんでから手紙を書くというところまであなたの御修業がつんだということは、あなたの誇りでしょうか、それとも私の恥でしょうか。極めて微妙なところであると思います。この間の消息はスウィート・ホーム(!)の門外不出に属すわけでしょう。冬シャツのこと、それからもう一組の袷と羽織、おうけとり下さいましたろう。
 ところでね、今、私は少しそわついて居ります。十二日から防空演習が二週間はじまります。二十五日迄。消化が主です。パンフレットをよんでいたら、余り焼夷弾を花火のようにかいてあって、却って心配になると同時に、良妻の本能を目ざまされて、うちがやけて私たちのものがなくなるのはともかくとして、万一真冬にそちらが何もナシになったら困ると急に困った気になり初めました。それについて一つ御勘考下さい。今着ていらっしゃるようなものを、こちらへとることはどうでしょう。こっちなんかね、木と紙よ、そちらは少くともコンクリートよ。来年になって冬ものを一つもないようにしてしまって大丈夫でしょうか(そちらに、のこと)一つ考える必要があります。夏なんかつまりはどうにでもすごせますけれどね。
 本のことも改めて気になり。
 今文学史をずっと一とおり目をとおしノートとって居ります。ジョルジ・サンドと同じ時代に、フロラ・トリスタンという人がいたのを御存じ? 私は存じませんでした。この女性はサンドとは一つ年長ですが、サンドが晩年には田舎の家の領地へ引こんで、「悪魔ヶ淵」その他、初期の作品の発展ではない方向に向ったとき、フロラという人の方は一貫して、歩み出しをつづけた婦人だそうです。ゾラの時代ね。こんな人のことを知ったりして、それらは、婦人の作品で物語る女性史の中へくりこまれます。フランスは女詩人をどっさり持っていたのね、その人たちは前大戦からその後にかけて大抵活動をやめてしまったのですね、サロン的詩人であったというわけでしょう。閑雅に咲いた花というわけでしたろう。生活の花ではなかったのね。そういう時期に、各国の婦人作家がどう暮したかということも考えて見ると面白いわ、ジイドみたいに聖書ばかりよんでいた人もあるのですし。ブルージェが「愛」だの「死」だのという観念ぽい題の故もあって今の日本で大いによまれているのは妙なことです、ドルフュスのときブルージェは大きい虚偽の側に立った恥を知らない男です。
 この頃はレオン・ドウデエの本が訳されます。どうでえと平仮名に書いた洒落のわけでもないのでしょうが。
 范とお書きになっているって。そうだったのね、私は字なんかおちおち見ていなかったものだから。泉子がたよりをよこして、こんなこと書いているのよ。「好ちゃんは私を覚えて居てくれるでしょうか、ねえおばさま。好ちゃんは私の顔や声忘れはしないかしら、ね、おじさま。わたしは好ちゃんに会いとうございます。泣きたいほどです。でも私は涙が出ると、いそいで鏡を見て、ちゃんとして、ちっとも泣きなんかしないようなふりをいたします。そして元気な手紙をかきます。私は好ちゃんもきっと時々はせつないときもあるだろうと思って、私が泣いたりしてはわるいと思いますから。でも私は欲ばかりだから、きっと好ちゃんは、私のことをちゃんとわかっていてくれると信じて居ります」
 もっといろいろ書いてありました。そのたよりをよむと、泉子のぽーっと上気した顔つきや単純で熱烈な表情や身ごなしがまざまざとして。泉子もいつか成人したものと思います。好ちゃんのたよりおうけとりになるでしょう? 相変らず精気にみちた様子でしょう? こちらへはたまにたよりよこすだけですが、それでも片鱗のうちによく全貌がうかがわれます。本当にすっとするような男らしい美しさだから、泉子が思わず私に訴える思いのあることは十分察しられます。泉子の恍惚ぶりが決して不思議でなくて、その自然さがやはり奇麗だからいいものねえ。そういうときの泉子のきれいさは、花びらの真中に見事な蕊をもっているような、微塵空虚なところのない姿ですね。あなたもあれを御覧になればきっと、そうね、何と仰言るかしら。仰言る声をききたいものだと思います。月曜におめにかかります、十七日から三日間お休みつづきよ。

 十月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十月十六日  第四十四信
 きょうかえって見たら十三日のお手紙着。楽しみにしてね、先ず封を切らないまま二階へもってあがって、それからすっかり部屋の掃除をして、途中で買って来たきれいな淡桃色のカーネーションを机の上に、それから赤い小さい玉のついたつるもどきを北側の窓のところにそれぞれさして、すっかり顔を洗いいい心持になって、開封式。きょうはうちは(というのは二階はのことよ)あしたのお祝の準備でうれしいことのあった日で、私も思い設けぬヴィタミンをのむことが出来たし、本当にいい午すぎです。小包二つも送り出しましたし。本とタオルねまきに紐を。本は御注文のがないのに、ほかのあれこれ入っていてつまらなくお思いになるかもしれないけれども、まあもし気がお向きになればと思って。文庫類の品切れの多さはどうでしょう。
『文学史』、一昨日あれから神田へまわりました。東京堂で年鑑を見たらアルスから出ているので、とってくれと云ったら、紫の上っぱりを着た女店員曰く「お手間がとれるんですけれど」「何日ぐらいでしょう」「サア……十日もかかりますでしょう」十日では待てっこないわ。アルスどこでしょう、そこをきいて、同じ通りのずっと九段よりなのね、そこへ出かけて買いました。この頃はすべて配給会社を通じてやって、もとのように出版元へいきなり本が行かないことになって手間がかかる上に、どういうのかしら本やの店員が別なもの、何かデパートの廉売品売場の売子のような荒っぽい気風になって来ているのはびっくりいたします。本へのやさしい心持や、本やで働いているという心持のどこかにあったちがいはなくなって来ているのね。この一年の間にこう変ったとおどろきます。
 あの『文学史』、残念ながら訳がよくないようです。訳序第一行「この書はユダヤ人誰々の」という調子です。全体が一寸必要に迫られないと読みにくい訳文です、ガサガサと荒くて。ああいう文章の味を、落付いた日本語にうつせるためには、本当のものわかりよさがいるというわけなのでしょう。推論のパリパリしたところを文調(ママ)で反射しているようで。でも文化史としての概括や作家論は本当に面白そうです、ありがとう。先に教えて下すったときね、私は何だか小説と思いちがいしていました。それとも「金が書く」というのかと思ったらそれとも別のものでした。なかなか語学の力のいりそうな文章ですから、あれをおよみになったというのはえらいことね。達ちゃんと夏休みに暮していらしたという、そのときのこと?
 今度はともかく世界文学史を一貫してよんで、いろいろ大変面白いし、わかるし、十九世紀初頭からそれ以前の古いものについてのこともいくらか分るようになりました。しかし大戦後のいい文学史というのはないのねえ。この『新文学史』の終りにしろアナトール・フランスです。尤もその時代に入れば直接作品から判断のもてるものが殖えているわけですが。
 ノートをとってよんでいると、二つばかり別の副産物が得られて大変面白く、この頃は随分長い間机について居ります。ピアノにも追々馴れて、神経を大して使わなくなりました。
「アラビアのロレンス」はそれは仰言るとおりよ、私があの叢文閣のとつづけて興味を感じた理由は、ロレンスという一人の人間が、自分の悲劇の真の理由を知らず、自分としてはテムペラメントにひきまわされつつ、しかも今日の私たちから見れば、ダットさんが示しているような時代のすき間に落ちこんだ典型であるというところです。
 あの宿題を勢こんで片づけたことから段々仕事にはまりこんだ気になれて来てよかったと思います。ブランデスを見たらブランデスなんかはバイロンを自然主義作家の中に入れているのね。しかし、『発達史』の著者が見ているようにロマンティシズムの一つのタイプだというのが妥当でしょう。ハイネが三つの時代的要因の間に動揺したいいきさつもよくわかって面白うございます。バルザックからゾラへのうつりゆきも面白いし、フランスの十八世紀後半から十九世紀の世相というものは実に大したものだったのですね。ディケンズの背景をなすイギリスの様子もよくわかります。そして改めて感服し、おどろき、深い感想をもったことは、日本の文学が十一世紀頃大した進歩をしているけれども、十六世紀以後、ルネサンス後の世界が大膨張をとげて近代文学を生んでゆく時になると、もう関ヶ原の戦いでやがて十七世紀は鎖国令を出している点です。文芸復興の初頭十五世紀、日本には足利義満がいて、能楽が発展していて、平家物語の出来た十三世紀にダンテは「コメディア」をかいているというようなこと。徳川三百年というけれど、もっとさかのぼりますね。沁々そう思いました。十二世紀に入って、比叡山の山僧があばれはじめたとき、それは何かであったと思われます。哲学年表とてらし合わせて見て暫く沈吟したというような塩梅です。
 今日世界の文学史をよむことはためになります。大きい無言の訓戒にみちてもいます、作家の消長は歴史の頁の上には、その人が強弁しがたき現実の跡を示してむき出されているのですもの。この勉強は、ですからどうも一つの本にふくまれる必要以上のみのりとなりそうです。ハイネを好きになれない理由が自分に納得されたりもして。
 今度は無理ですが、いつか又プランを立ててせめて日本に訳されている十八世紀ごろの古典ディドロなんか、我慢してよんで見て置こうと思います。モリエールなんかもっともっと知られるべきです。ヴォルテールなんかがアカデミックな人たちの間に訳されているのに。芝居の方のひとで、そういう勉強や整理をやる人が一人ぐらいあってもいいのでしょうのにね。ナポレオンが自分の舞台装置として古典(ローマ)を飾ってアンピールという様式を服飾(女の)や家具にこしらえたのなんかその筋道が分ってやはり面白いわ。父の仕事の関係から、子供のときから、ゴシックだのルネサンスだのバロックだのアンピールだのときいていて、そのぼんやりした概念はもっていて、今は一層の面白さ。今父がいたらきっと面白いでしょうね。私は、おとうさまおとうさま一寸おききなさい。こういうのよと喋ったでしょうから。父の時代の芸術史は外側から様式だけ扱ったのですものね。たとえばバロックという、あの人間が背中をまげて大きい柱の支柱飾りとされている様式なんかだって、ルイ時代の宮殿生活そのものがローマ帝国をあこがれて、神話のアトラスを柱飾りにしたのでしょうか。だってあれは柱を負っている人間の姿で出ているわ。子供らしく面白がっているようで、すこしきまりわるいようですが、御免下さい、余り面白がらないことがどっさりだから、まあこの位は健康上お互様にわるくもないでしょう。
 ああそれからきょうは、一昨年みんなが私たちにくれたカーペットを出しました。こっちならゆったりとひろげて日光に直射もされない場所がありますから。ずっとしまって大事にしてあったから全く色もあざやかよ。それを敷きましょう、ね、そして、あしたは、新しい生活の条件にふさわしく一ついいことをするのよ。太郎に生れて初めて顕微鏡というものを見せてやります。太郎の生涯に一つの新しい世界をひらいてやるのよ。いい思いつきでしょう? 午後二三時間さいて。うれしい思いつきだと賛成して下さるでしょうと思います。大人がきまった顔で集って、何かたべてみたって初りませんから。これは今年らしい、そして今年の十七日には最上の行事でしょう。
 中公の本やっと目鼻つきます。
 あなたのトラ退治も漸々で安心いたしました。よくは分らないけれども、いくらか白眼がさっぱりして来たように見えます。この間うち本当にうるさそうな眼つきしていらしたから。
 すこし足なんかつめたくなりはじめましたけれども心持よい時候になりました。あの菊はいかが? この次の夏にはいい匂の百合の花をおめにかけたいと思います。今年はありませんでしたから。もう程なく例によって赤っぽいしまのどてら(薄い方)お送りいたします。小包にするとき暖く日にほして(今は縫い最中)ポンポンポンと背中のところたたいて、よく衿のところを合わせて、そして送ってあげるのよ。
 あしたはお天気がいいといいと思います。では火曜に。

 十月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十月十八日  第四十五信
 きょうは雨がわり合いい心持の日です。
 いかが? そちらのきのうはいかがな一日でしたろう。私はね、早くおきて、午前中ずっとよみかけのものを読んでノートとって勉強して、午後から太郎をつれて目白へ出かけました。
 太郎は学校が近くて、通うのに電車にのらず行っているものだから、混んだ電車なんか迚も不馴れで一生懸命でキョロキョロつかまえた手を決してはなさないの。
 目白へ行って、顕微鏡で人間の血液、兎の血液、蛙、やもりの血を見たり、自分の爪の間にたまった黒いものの中にどんなこわい妙な形のものがあるかを見たり、髪の毛は松の樹の如し、という見聞をしたりして、お菓子を三つもたべて五時ごろ出かけて、目白の通りのビリヤードのすぐよこの鳥常という昔から出入りの店へよって、御馳走のための買物をして六時一寸すぎかえりました。
 二階へあがったらね、となりの皆で食事する方に奇麗な菊がどっさり鉢にさして飾ってあります。火をおこしおなべかけて呼んだら、国男さんと太郎が横一列にあらわれて、どう? ちゃんと並んで坐って合唱なの。「おめでとうございます」凄いでしょう? 見ると、二人は胸に赤っぽい菊の花を飾っているのよ。ほかにおしゃれのしようがないからですって。
 やがて、真赤なズボンをはいた泰子がああちゃんにだっこされながらケトケト笑って(これは偶然です、残念ながら。やす子にはおめでたいのが分らなくてね)あらわれて、そのああちゃんは青いような縞のきれいな外出着で、やっぱり髪に花つけているのよ。寿江子のものぐさが夕飯に着物着かえて現れたという、全く驚天動地の盛会でした。
 こんな盛況があろうとお思いになって? 一人一人敷居のところで今晩は、ととても気どった声を出して入って来るのよ。見せてあげたい姿でした。御覧になったら、あなたはきっと、むせておしまいになったでしょう。余り素晴らしいから。
 ゆっくり御飯すまして、国男さんが、かけ時計の高さを直してくれて、それから一寸三人で(咲と)一仕事やって熟睡いたしました。
 きょう、太郎をつれて国と三人で国府津へゆこうということになって、国は植木屋の用事、私はすこし片づけもの(この間から私たちの話に出ていた)をして来ようと思ってあらまし仕度したら、この天気でおながれよ。
 十五日のお手紙は、きのうかえって来たらテーブルの真中に出て居りました。どうもありがとう。きのうついたというのはうれしゅうございます。
 追い出された目録たちのこと。たしかにいくらかヒステリーだったのね。それもそうだし、むき出しに云ってしまえば、私がまだ本当の勉強のやりかたを十分わかっていなくて、間に合わせの方法でやりつけて来ているということを認めなければならないのでしょうと思います。私の勉強法なんて全く、自家製のお粗末なのですものね。
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