獄中への手紙
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著者名:宮本百合子 

 前の二つへの返事で書いたのですが、ガクガク的に云われること、まるで見当ちがいという風に思っているのではなかったのよ、あのときにしろ。心もちだけ勿体つけて云えば、それは笑止千万のようね。坐ってお題目となえてるみたいで。でも、もうきっと前にかいたのがついて居りましょうが、私は、どんなに叱られてもいいから(あなたとして其が閉口、でしょう□)ああいう条件だけは、どうしてもどうしてもいやということなのよ。そうじゃないかしら。万ガ一はかがゆかなかったからって、急にその日に現れなければ、その理由とすぐあなたにおわかりになるどんな方法があるの? 私としてそれをお知らせ出来るどんな方法があるのでしょう、だから駄目よ。そんないやなことって困る、と、私がバタバタになるのお分りでしょう? バタバタしているといくらか不条理でしょうから、それは、ユリが、少くともその時間の間に運べるだけ運んで、それで解決されてゆくことなのだよ、という声はよくきこえなくて、そんなら来ないでいい、ということだけがーんと響くのよ。女房の聴覚というものに、ね。だから考えようによっては私のいやがりかたは可笑しいのよ。仰云っているとおりあり得べからざること、ということへのつながりの想定なのですから。前の手紙でお願いしたとおり、私はダラダラしないよう十分気をつけますけれど、その代り、あなたもほとばしりならないように、と懇願しているのよ。
「いかに生きるべきか」本当にそう思います。小説の方がいいのだけれど、そこにもやはり多くの困難があります。私はエッセイとしてかきたくなくてモジャモジャやって今日までのびたのですけれど、誰かいい人の伝記ないかしらとも思ったのですが、つまるところしかたなく、やはり感想として書くことになるでしょう。これを終ったらもう私は小説しか書かないようにと思います。書くからには本当に若い心の心にふれ、精神をうるおわすものをかきたいと思って居ります。たとえば、今日死の問題が私たちのまわりにあります、ブルージェの『死』が、あんなにうれたりする理由。葉がくれの哲学がもてはやされます。武者小路の「愛と死」という小説がどび(ママ)ます、しかし、死が、いかに生の中にあるものだ、かということ、一番明白な理由、死んだ人にはもう死がない、その人の死は生きているものの心の中にある、という関係で、そのような死を生にいかにうけとってゆくかということだって若い人の心もちの納得ゆくように解いては居りません。葉がくれの死狂いなり、死ねばよい、という表現だって、ごろつき学生の解釈とはちがうべきものです。こういうことはしかし、小説ではちょっとかきにくいでしょう、場面的に。
 今日の性格が、今日的色彩を一応は一般的なテーマに投げている。それを正常な理解において明らかにしてゆくということはやはり一つの大切なことでしょう。えせ宗教論のはびこる心理についても書くつもりです。
 例えば結婚論にしたって、先ず人と人との正当な理解ということがすっかりオミットされて、ごく皮相な優生的条件だけで、結婚が云われている。それはやはり一つの間違いですもの。
 眼の衛生の本。去年、南江堂で買おうとして品切れで、そのうち私の方がよくなったのでそのままになって居ります、眼の本はうちにありません。
「ミケルアンジェロ」そうだったの? よんだ本によって調子が書評につたわって来るということは、あのとき痛切に感じ、そこによいところとよくないところ(自分として、よ)があると思ったことでした。
 協力の本はもう二百頁も校正が出ました。これなら本当に本月二十日すぎ本になるでしょう、すらりとゆけばいいこと。すこしはどしどし増刷になってほしいと思うわ。
 家のこと、一昨夜、うちへ仕事てつだいに来ていてくれる娘さんといろいろ相談して、もしかしたら何とかゆくかもしれなくなりました。そのひとは母娘きりなの。父さんはお灸をやっていて、今は満州の何かの病院の物療科へつとめて行っていて当分かえらず、そこから生活費が来ているのよ。(少々ですが)
 娘さんは掘り出しもの的逸品です、絵をやっています。ずっと高等小学を出てから働いていた人。おっかさんというのは、とびの者の親方の娘で、やはり辛苦した人で、それは気質はいいのよ、勿論、そういう世の中で育った人で其れらしいものの考えかたはあるけれど。江戸っ子だし。
 経済的な点で、私の条件が本が出てゆけばやってゆけるの、その人たちと。私が下宿した形で。いいでしょう? ここで。もしそうしたらいろいろの意味から環境としてずっと林町よりましです、生活のつつましさ、情愛や。いろいろ。いやさはどうせあるにしろ、それもその性質がちがうから。
 私は生活の中に情愛のなさにあきていて、(たとえば、きのう用で出かけてかえって見たら、その娘さんが机の上へ花を新しくさして行ってくれてあるのよ。そんなことをこんなにうれしく心が和らげられて感じる、そういう乾きあがって胸のわるくなるような毎日だから。派出婦って、そうね。)そんなおばあさんや娘と暮してみたいのよ。同じ気がねなら、そういう人にした方がさっぱりしていると感じるの。食事なんかそのうちの程度を基本にして(大変粗末です)そして特別は特別として、やればいいでしょうということも話したの。そして、大笑いしたのよ、どうも私の心持はこうやって粘って粘って見た結果、荷物は林町へやっても身柄は自分のところへとっておく方が自然に思える、と。たとえばいろいろ倹約にしろ、林町ではその家との関係その他で、つつましいながら精一杯のよろこびを獲てゆこうとするいいところがなくて、しわさとして現れるのよ。何故なら、自分だけ一人でこっそりつかう金についてはひとに口を入れさせないで、うちに使う金、働くもののために使う金、それをやかましく云うでしょう。そうすると、しわいという感じが先で、私は腹立たしく思うのよ。
 そういう経済上の秘密主義に立って、こせこせ云われる空気、大きい家のあちこちにボーとした電燈しかつけておかないで、夜は薄明りの中を歩く心持、どれも私の流儀(人生への)ではないのです。
 自分がそこで過した子供時代の生活がまざまざとのこっているその場処が、現在そうであるということは感じなしでいられなくて、その点では芥川の「庭」という小説ね、あれをよく思い出します。あれを思い出す、そのことに、もう一つのトーンがあるわ、生活感の。私にそれがいいことでしょうか。決して決して、そうではない。心の声がそう叫びます。その叫びは本当よ。しかるが故に、林町へ送られるのは私でなくて荷物であるべしということにもなるわけです。荷物がいつかかびたりくさったりしたって、それはものだわ、生きている私ではないわ。生きている私は飽くまで生きていなければいけないわ。本当に仕事をする生活、勉強し、精励な生活、それは、自分にこれでいいのだと納得出来ない生活からは生れず、私はいつもそうです。これまでだって。親のいた頃だって林町にいきりになれなかったのですもの。家の件は、こういう工合に推移して来て居ります。何とか、こっちの方向で解決したいと思います、そして、あなたが「朝の風」についてあの女主人公が部屋借りにうつらなかったことを必然がないと云っていらした、そのことを思い当ります。そうなって行って、それではじめてわかるという道があるものなのね。では明日。
 珍しくきょうはGペンでかいていて、その方が万年筆よりなだらかでした。

 六月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 六月十八日  第二十九信
 大笑いね、私は再び、というよりは寧ろ忽々に舞い戻って目白のテーブルでこれをかいて居ります。
 昨夜、おばあちゃんが八時三十四分でかえり、それを上野へ送って行って、きのうから三人となりました。家が見つかる迄この調子でやって、もう五日か一週間したら石川さんという若いすこしはましな派出婦が来る予定です。この子は、ものをかく女のひとの暮しも知っているからこの間うちのひとのようにおそろしいことはないわ。でも、その恐ろしい人さえ、大変いいうちと云って会に好評をしているので、あのひとさえそういうならと、案外石川さんを予約出来たりする様子です、虎穴に入らずんば、のところがあっておかしいわね。
 さて、先週の火曜からの一週間は、私にとって輾転反側の一週間でした。そして、いろいろと発見をいたしました。
 物をかくひとの生活の空気というものは、学生なら学生が、勉強してゆくのとは全くちがったものであることも明瞭になりました。体の毛穴があるように私たちには精神の毛穴があるのね。所謂勉強は毛穴がふさがってもやれるのね。書いてゆくこと、何かつくり出してゆくことはこの毛穴のうちと外との流通、呼吸がちゃんとしないと迚も溌溂とゆかないものであることが生理的にわかって、林町では、私の毛穴はぬりごめよ。精神のそよぎというべきものがどこにもない一家の空気、どう生きて行こうという勢のはずみのどこにもない家、それは全く他人であって、私が二階がりをしているのなら其きりでしょうが、そうでないのですもの、本当に苦しい焦だたしい工合でした。私は何とか落付こうと努力したから猶更ね。
 私たちの生活というものは、もうちゃんとあるのよ。それは、そうどこにでもはめこんで、はめ合わせのつくような鈍い角のものではなくなって来ているのね。私たちの芸術的な生活の感覚は、酸素がたっぷりいる種類のものなのだと見えます。
 こうやって、それ人がいない、やれこうだと、バタバタやりながらこうやってやりくりしてゆくのが、つまるところ生活の一番能率的なやりかたらしいわ。もっと縮めればどこかの二階へ動くという方向しかないでしょう。
 林町なんかで、キューキューつめた仕事出来るものではないということが余りわかってびっくりして居ります。それを今まで知らなかったということで、よ。うちのことがうるさいときには、却って宿屋がいいということもわかります。自分の世界がはっきりしていて、こっちから求めなければ乱されることはありませんから。宿屋へかきにゆくということは所謂家庭の道具立てのそろった人にはさけがたいでしょうね。妻もい、年よりもい、子供たちもいる、という場合、書こうとする世界へ本当に没頭し切るのは、そういう空気をつくらなくてはね。自分の方法としてもこの二つしかないことがよくわかりました。
 今度の仕事はうちでやることにきめて居りますが、今に何か別の仕事のとき小説でもかくとき、私はどこかへ出かけたいわというかもしれません。一週間に一度ずつかえりながら。そのときになると又何とかわるか知れないが、マア今のところはそうかいときいておいて頂戴。
 三吾さんは朝八時半ごろ出かけて、五時半ごろかえります、うちにいる間は私が在宅ならキーキーはやらない風です。本人がそれほど熱心な勉強家でないし、且つ今のところは生活も例外ですから。
 奥さんは浩(ひろ)子さんと申します。やはり同じ土地のひとで、全然の媒酌です。家じゅうの人が皆実にいい人たちだもんだからお嫁さんも安心しているのよ、今のところは。これで愈□二人きりで暮して年が経つうちにどんな心持になってゆくか、それがおばあちゃんにも心配らしくて、どうかこのまま行ってくれればと、きのうもステーションで云って居ました。大連の満鉄に兄さんがいるとかで、そっちも見て来たことがあるのですって。東京暮しにちっとも困ることはないでしょう、きれいな人よ。どうかうまくゆくよう願う次第です。二十七ぐらいのひとです。三吾さんは三十三になったって。呉々もおばあちゃんよろしくとのことでした。
 十四日のお手紙、十五日につきました。ありがとう。島田の赤ちゃん景気のいい肥りかたで万歳ね。写真まだこちらへは着きません。長谷川という人は、肩書きつきなの? 秘書として? 女流作家の会の集りで、話はきいたのです。いつぞやのと意味も形もちがいます。
 家のこと、一応よさそうでしょう? でも又この一週間の経験で考えているのよ。何しろ年よりの女のひとと娘だから、もの事のいろいろの判断のようなこと、つまりは私が参加するわけですから、すっかり下宿にしてしまえるようにしなければ、やっぱりうるさいだろうと思うの。家庭的になりすぎてはやはり困るでしょうかとも思って、今は考え中です。派出さんなら急にどう変ったっていいけれど、そうして一家を動かしておいて、さて今月からは、では少々こちらも困りますので。
「それに応じて」の物語は、これで一篇の終りとなりましたわけね。実際には滅多にないにしろ、やっぱりいやよ。ですからこうしておいて下すってうれしいわ。そうすれば、ロバはロバなりに嬉々として小さい鈴でもシャンシャンならしながら小走りぐらいは厭わないのよ。駿馬を使うよりロバを使う方が遙にむずかしいのよ。その天下の理を果して何人の良人が心得ているでありましょうか。クサンチッペになることは本来の性に逆らっているから、デスペレートになった揚句というおそろしいわけ合いで、我ながらのぞましくない仕儀です。どうもありがとう。
 てっちゃんは私が留守のとき林町へ電話をかけた由です。きっと会いたかったのでしょう、電話して見ます。
『季節の随筆』、本当にそうね。私が折々感じて書いたりしていること御同感の節もあるでしょう? 亀戸に住んだりしたの「くれない」以前なのよ。そのことについても私たちは何かの感想を抱きます、外部的にそんなことの出来にくいということのほかにも。旦那さんはゴの先生をよんでやっているそうです。「父ちゃんゴに余念ないよ」健造もこういう表現をします。もう六年生よ、来年は中学よ。向いの下宿に父さんが二つ部屋をもっていて、その一つの方をこの頃は健ちゃんの勉強部屋になっていて、父さんは大いに督戦係よ。面白いことね。ター坊は踊を一心にやっているし。
 丁度中学の二三年というときに父母が急死して一家離散して育ったという人が、自分の家や妻や子に対してもつ感情というものをこの頃すこし理解します。おれのうち、おれの何々、大変つよいのね。いろいろ面白いわ。似たもの夫婦ということの微妙さもいろいろと感じます。
 似たもの夫婦という表現は、粗笨(そほん)ですね、よく観察するとそれはもっと複雑で、只同じ種類という形で似ているという単純なものではないことね。一方の或る特色を他の一方もそれと同じにもっているというのではなくて、一方のもちものを気持よく思ったりそれを肯定したり、或る場合にはそれに負かされる要素が他の一方にあって、それが組合わされ、似たもの夫婦というところが出来るのね。だから案外要素として切りはなせば反対なものがあるのかもしれないわ。たとえば、どっちかというと受動的な、或はどうでもいい大まかさで、一方の金づかいの荒さをそれなり肯定しているかもしれなかったりね。しかも、どうでもいい大まかさを持っている方が、生活の意欲の逞しいのは快いとする、その点では一致して、その内容では敗北していたり。なかなかこういう人間関係面白くて複雑ね。こういう小説面白いでしょうね。
 小説の面白さこんなところではないこと? ねえ。私もすこし大人になって小説の真髄にふれかけて来たかしら。事柄が小説でない。それは勿論だわ。テーマだけが小説でもない。そうだと思えるわ。心理というものを所謂心理小説で扱ったのも誤って居ります。ドストイェフスキーの歴史からみた負の面はそこでしょう。
 私のこの間のロバのバタバタも面白いわ、そう思ってみると。あなたの動機は清純なのよ。私の感情の方がケチくさいのよ。単純なめかたのはかりかたではそれきりよ。私自身これ迄そういうはかりしか自分たちの生活にとりつけていなかったようです。そこにはモラルがあって小説はないわ。私はロバになる自分をも心持の生々しい姿として、あなたにつたえ、しかもそこに私のけちくささだけに止っていない歩み出しをつけてゆけて、やっぱりこういう生活方(ママ)が、高いと思うのよ。手間をかけてもね。前のようなモラルは、極めて一般的であって、それは私でないAでもBにでも特長のないものの道理の当然であってね。
 生活のなかに美しさを多くもってゆくということ。そして、美しいものを、自分がながめるときの様子を、わきで見たらどんなかしらと思いました。美しいものをみる視線は不躾けでないということは味の深いことね。美しいものに対して私たちはごくつつましい眼つきを与えるか、さもなければその堰(せき)をのりこえて全傾注を面に現して、その美しさの裡に没入してゆくしかないのね。美しいものの上に視線を凝せばおのずから表情も変って、美しさはそれを見ているひとの面に映り栄えます。いろいろの場面で、自由にそういう美しさのうつっている顔をして暮したら、現代の人間の顔だちは一般にもっと気高くて情感的でしょうね。しみじみそういうことを感じながら歩きました。感動し得る、という感銘をうける顔さえ少いのですものね。何かそういうものとはまるでちがった日常の打算だの何かで面(メン)をつけたようなツラをしていて。それは人間の顔ではない、でも人間の顔だというところにバルザックの世界はあるのだわ。美しいものを限りないその美しさのまま、醜さをその醜さでちゃんとうつす顔、そういう顔、そういう人間の顔、をもっている女はすくないわ。全くすくないわ。
 ねえ、こういう感情があるでしょう? 美しさは固定していなくて、益□その美さの中に誘われようとする心、美しさの中に自分を溶かそうとする願い、私の人間の顔は果してそういう願を表現するだけ修練されているでしょうか。
 詩集の別冊をくりながらそれを考えているの。そして、頁をくりながらこの作者は、美しさにうたれたものが、辛くもわが身を我から支えて歩くそういう時の描写をまだしていないことを見出しました。あなたはどこかでもうお読みになったかしら。

 六月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 六月二十三日  第三十信
 二十日のお手紙、二十一日に頂き、きのうその返事ゆっくり書こうと思って先ず目前の仕事を片づけていたら林町から電話で、佐藤功一さんの死去のしらせ。
 国府津のあの芝の庭覚えていらっしゃるでしょう? 父のなくなったあとは、内輪のことで世話になったのよ、いろいろと。一通りというつき合いではなかったから、ともかく仕事をすまして、それから夕飯の仕度をしてたべて片づけてお客に会って、お湯を浴びて黒い服装になって、そして十一時ごろ家を出ておじぎをして一時ごろかえりました。この頃はお通夜と云えば、本当に夜どおしかさもなければ十一時限りぐらい。乗物がありません、夜なかにたべさせるものがなかなかない。ですからよ。
 六十四歳でした。結婚前からの結核で、それを実によくもたせて子供も六七人いるし、その子供たちも別状ないし仕事もして、六十歳を越したのですからよく生活したという方です。派手な性格で、文筆的なところもあって、夫妻で句集なんか出したりしました。二十五年記念に、結婚の。私は子供のときから知っていますから。でも昨夜は何だかすこし妙な気がしました。あれはどういうのかしら。何だか余りサバサバ片づきすぎ手まわしよすぎ、要領がよすぎて薄情っぽい空気でした、万端のとりさばきかたが、ね。故人の周囲に情愛がめぐっていないのよ。変に大きい家ってああなるのでしょうか。林町でもはた目にはああだったのでしょうか、もっと間が抜けていたと思うけれど。余りとり乱しすぎない空気も変ね、こっちが心を動しているのが感じられるなんて、変ね。
 うちの若いお客さんがたも家さがしが大変ですが、何しろこれ迄一度も貸家さがしはしたことがないというお人たちですから、さがすということがどんなことかのみこめないらしいわ。じきくたりとしてしまって。マア、うまく二人でやってゆけるようにと希います。旦那さんの方がとても持ちにくいたちだが、おくさんはまだそこがよくわかっていなくて、私はいくらか気の毒よ。全く結婚て不思議ね。お嫁に来るということの不思議さ。ねえ、見合結婚だからこそ結婚出来るということなかなかあるのねえ。音楽なんか分らない人の方がいいと云う条件でしたって。東京の女なんかいやだというのですって。でもこの浩子さんというひとは、貸家さがしを知らないということでは都会人でないかもしれないが、すべて都会風でちっとも田舎めいてなんぞいないわ。いろいろのことが一目で比較される、そういう面での東京女は手に負えないというわけでしょう。浩子さんというひとは正反対に率直なひとよ。小(コ)ていな小市民生活の中で大きくなって、きりつめた暮しにおどろかないのは本当に良妻です。本当にどうにかうまくやってゆけばよいと思います。三吾さんと二人のさし向い生活って、いかにも詰らなそうに考えられるけれど、そうでもないのでしょう、とにかく生活は大変よ、ね。
 きのうはジャガイモが二百匁(一軒に宛て)配給になって、珍しく夜はジャガイモをたべました。パンもきょうは二ヵ月ぶりで買えるかもしれません。果物のたかさと品不足はひどくて、バナナなんてそれだけは買えないのよ。バナナが三本ぐらいにあとリンゴその他つめ合わせて二円ぐらいよ。お菓子だってそうですし。夏ミカンの姿なし、どこへ消えたのでしょう? ビワ、サクランボ、三尺下って箱のかげを踏まずの程度よ。バカらしくて。レモンの紅茶をのんでお菓子とクダモノの共通の目的を達します。
 この間新聞に人口の大部分を占める一〇〇―一五〇円ぐらいの人の生活は最少限50[#「50」は縦中横]円ずつ赤字だって。それはそうでしょう。よくわかるわ。あなたも準じて御不如意なのでしょうね、余程かしら。これ迄あなたはよく、くりこしをしていらしたけれど迚もああいう芸当はお出来にならないのが当り前だし、余り足りないと困るわねえ。実力は半分のわけですものね、無理なのじゃないでしょうか。困るわ。心配のようで。せめて、キチンとお送りいたしましょうね、来月でしょう?
 こちらの暮しかたのこと。全くひとのことは何とかしがくがつくのですけれど。私は益□仕事の出来る生活的空気を大切に思う気がつよくて、この間の一週間は、ほんとにいい試みでした。
 私はこの三四年の間に、それより前の私ではなくなっているのよ、どこがどうかはよく分らないけれど、とにかく。あの空気の中にいて何となくつめたい汗をいつも腋の下に流しているようなのは迚ももちません。生活している空気でなくては。よかったのよ、ですから、すぐあのときパタパタ荷作りしてしまわないで。ああ可愛らしい直感よ、わがカンの虫よ、と思います。このカンの虫は今にきっと又何とか方法を見つけ出してゆくでしょう、本月末のがすらりと通って順調にゆけばまたそこで一つ見当もつきますし。けれどもマア一年を半分に分けてやりくってゆくというところが現実の落付きどころでしょう。それは最低のスタビリティーよ。私たちは生きそして仕事をしてゆく、というその原型的形態ね。林町で朝目のさめたとき感じる、あの、これでいいのかしらという気持、孤独感(生活からの、よ)は病気にするわ。
 これでいいのかしら? それはそこにある生存の全体に向って感じる深い不安です、でも、そういうものは全く感じないでやっているのね、不安を感じないばかりか疑さえ感じないのよ、それは今のような世の中の空気の中で非人間的な、印象よ、何だか。
 殿様的空気ということは現代ではおき去られた非存在的存在の感じでね。私がそういう空気に棲息出来ない生物であるということは、私の健やかさだし身上だと痛感いたしました。何だかだからさっぱりしてね、だってそっちの山道へは足を向けないときまったのですもの。人々の中へ。人々の中へよ。文学はそれを自然の方向としているのですし。こっちの方向で、さがす、工夫する、思案するという次第です。御同感でしょう? 二兎を追うべからず、というのは生活の上でも二筋はかけられないという真理をつたえているわけね。そこのところにはなかなかごまかしがきかないから、面白くて。そこのところが何とかうまく二筋道になっていれば、きっとどこかにそれだけの裂け目があって。
 このお手紙の「波乗り」の描写をよんで、私は本当にあなたは海の感覚を体で知っていらっしゃると思い、同じ詩の話にしろ、ここには、あの虹ヶ浜の波を体に浴びたひとの感覚があります。引きしおに全身がまきこまれるところという感じかた、ほんとうに溌溂と語られていて。そういう瞬間、子供たちは我知らず叫ぶでしょう? 叫ばないでいるというのはむつかしいわ。面白さ、うれしさ、いい心持、こわさ、みんな一どきですものね。
「波乗り」につれて思い出します、あなたがいつかお話しになったこと、覚えていらっしゃる? 波のりをして、のうのうとしてゆるい波に仰向いて体を浮かせたまま、いつの間にか眠っていらした話。夏の日はキラキラとしていて、何と横溢的だろうと忘られない印象よ。
 海にあなたは本当に馴れていらっしゃるのね、荒(ママ)しもなぎもよく知っていらっしゃるのね。波の底の地図も。海底のいろいろな様子で、潮がどんなに変ってゆくかということも。あああなたは、よろこばしい魚のように身をおどらしてそこにもぐっていらっしゃるのね、それから波と体とをやさしく調和させながら、高く低く、迅くおそくと力泳して、すこしつかれたときはじっと浮んで、いつか又波のうねりに誘われて泳ぎはじめ。
 飽きることのない夏の日がそこにあるのです。
 海にもおよがれるよろこびというものはあるのでしょうねえ。波が体にあたってとびちるとき、体の下をすべっておされてゆくとき波は小さい笑いのように燦(かがや)くし、独特のざわめきを立てるのですもの。自分のなかで縦横におよがれるとき、海は自分が海であるのがどんなにうれしいでしょう。
 まとめる仕事、本当に、仕上げるからには大いに奮発いたしましょう、私はこの本は今日の生活からかけている生きる歓びをつよく、つよく脈うたせたいと思います。それが私のモティーヴです。明智をもつこと、そこにある美しさ。つよく意志的であること、それの可能であるために必要な科学性と感性との統一。バラバラにほぐされているものを互の正しい関係で自身のうちに発見させてゆけたら、それはやっぱりいいことでしょう、肉体のよろこびと精神のよろこびがどんなに一致したものであるかということにしろ、或人にとっては啓示かもしれないのですもの。では明日ね。

 六月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 六月二十九日  第三十一信
 面白いのね、二十五日午後のお手紙、けさよ。二十六日朝は二十七日朝で。
 二十五日へのから先へ。しかし、それよりもっと先にお話ししたいのは、きのう、雨の中を原宿の方へ浩子さんとアパート見に行きました。新聞の広告を見てね、浩子さんがひとりで行って見て六本木の方への出場はいいし、あたりはいいしするけれど、何しろ四・半で二十九円五十銭、六畳では三十七円(!)というので決心しかねているの。この頃のはこういうのよ、ひどいでしょう? 原宿から右の方へ行って、河に沿ったところですというの。その川には私心覚えがあるようで珍しかったので、それもあってじゃ一緒に見てあげましょう、と又出かけました。丁度あの並木のきれいな参宮道からちょいと右へ入ったところの細かい長屋の間に建っているアパートです。河というのは、この辺では両側がコンクリートの崖になっていて、丁度下落合あたりの川のよう。六畳は東南と二方に窓、その川を見下すの。四半は、西向で、めの前に黒くぬったトタン屋根が二重三重にあって、そこへ西日がさしたら、小さな四角い室は熱の反射箱のようになってしまう工合です。だから空いていたのねえ。きっとこの間九十二度という日(この二十五日でした)その暑気でにげ出したのね、来てくれてよかったと大よろこびでした。
 それから渋谷へ出る大通りの角で蚊やり線香を買ってかえり、二人で青い豆の入った御飯をこしらえて、どっさりたべて、きょうは早ねよと十時に二階へ上り、すこし小説をよんですぐ眠りました。
 浩子さん、きょうは又世田ヶ谷へゆきました。その前に千駄ヶ谷の方のアパートを見てから。私もそろそろ本気に仕事したいから家が見つかってくれるといいと思います。仕事する神経は分らないのが当然ですから、二階から下りて来ると、やっぱり話したい風で、対手にならないのも気の毒ですから。
 きょうもむしますね。眼は本当に大事に大事に、よ。でも、わるいのはゴロゴロするんでしょう、やっぱり。
 髪おきりになるといいわ。きっと本当にうるさいようでしょうから。水でサアと洗えたらいいお気持でしょう。女でもそう思ってよ。すこし大入道だって平気よ。もう私の目にはそういうあなたの御様子もちゃんとしまってあるから、アラなんて目玉は大きくしませんから。グリグリ坊主におなり下さい。
 五月十一日号、どうしたでしょうね、きのうのうちに着いたでしょうか。ああいう方法を発見して、これからはすぐ計らえますね、電話かけてたしかめて、価をきいてすぐカワセつくって速達にしてしまえば、私が行こうとダラダララインにかけるよりずっとスピーディです。
『東洋経済』も全くそうでしょう、綜合雑誌についてのこともそのとおりです。まれにほり出しものがある、そういう程度よ。
 海の連想はやっぱりでしょう? きのういつかお目にかけた海と陸との太陽というヴォルフの写真帖が出て来て、又くりかえし眺めてきれいだと思っていたところでした。私に泳ぎ教えて下さるという話、何だか不思議な幻想のようにリアルよ。虹ヶ浜の夕方や夜を知っている故でしょうね。自分の体がそうやって海に入っている感覚や、あなたにつかまっている気持や、ぬれて光る体やまざまざとして、想像される、というよりは感じられます。
 ひところよく通俗小説に海を泳ぐ男女がとらえられましたけれど、本当はそういうポイントとは全然ちがった美感があっていいわけです。実際それはあるのだけれど、何というかしら、そういう運動の中での感覚は感覚そのものとして生命的で、自然的であるから、よほど作者のつかみが複雑でないと感性的な面ばかりになったりしてしまうのでしょうね。
『文学の扉』『たんぽぽ』明日お送りいたします。武者さんは相も変らず、よ。同じポツポツ文章に年功がかかって、あのひとの顔や頭のようなつやはついて来ていますが、独断と単純な――歴史性のない人間万歳にみちています。それでも、ああいう風に単純に人間に立ってものをいうひとは少くなっているので、やはり何かの魅力なのよ。明るさのレベルは、彼が講談社から本を出して平気なような、そういうところからも出ていて。
 新書の『人生論』なんかみると、恋愛と結婚のことなんか古い古い考えです。恋愛が結婚の中で消えてしまうのが当然という風に云っている。これで、彼の女性とのいきさつのルーズさも分るでしょう。そう考えているのだわ、ですから結婚の外に恋愛したりして、そっちはそれでズルズルに分れたりしてしまうのね。
 本当のオプティミズムが身につくためには、大した勉強や砕身がいるのですもの。武者さんはそれとは反対のひとだわ。持ちものだけで満足しているひとです。自分のもちものを、客観して疑うということのない、その故の明るさです。持たないものについてはあきらめている、大した東洋人よ、その点でも。それに第一ああいう風な羅漢(らかん)さん的完成そのものが古い東洋です。おびんずるだもの、撫でられぱなしだもの。(おびんずる、って何だか御存じ? それは浅草のカンノンさんなんかにもある妙なつるりとした坊主の坐像で、自分の痛いところをなでて、おびんずるの同じところをなでると苦しみがとれるというのよ。さし当りあなたはトラさんの眼[自注6]をなでて又おびんずるの眼をなでて、益□ひどいバチルスをお貰いになるという工合)
 島田の電車は、てっちゃんのうちの前の川の、あっち側かこっち側を走るのだそうです。あれは島田川? 島田川と云えば、いつか又ゆっくり行って見たいものです、用事なしで。只あのうるささには全く閉口するけれど。光井へゆけば光井へ、ですから。あなたのおかえりになった時分とは何倍かよ、何しろ全部軍事的中心地ですから。何という変りかたでしょう。そういう空気が心理的にいろいろ影響しているのよ。もう十分御察しのことと存じますが。この間多賀子から手紙で、何だか具体的には分らないが、この頃はおえらがたが目先にチラつくので話もそういう傾きになっておばさまも云々とありました。
 私の方は金曜日に申しあげたように八月一杯ね。自分ではなるたけ七月一杯としたいと思って居りますが無理でしょう。
 そちらへ、家は暑いと云えないわけだけれど、でもやっぱりそう能率はあがらないから。去年は二階にいて、うだって疲れて、ホラ眼が変になってしまったでしょう、ですから今年は下へおりて勉強いたします。下の四・半に机を出して。うまくあんばいをしてやりましょう。一日十枚はかけるでしょう、小説でないから。そこに望をつないでいるわけです、私は一心に、親切な真面目なものをかくつもりよ。
『私たちの生活』は七月五日ごろに出来上ります、さっぱりした可愛い表紙よ。藤川さん本気でかいてくれたから。つよい動きの感じはかけていますが、この画家の真面目さや清潔さは出ています。
 おや、前のうちで電気チクオンキが買えたらしいわ、なかなかいいレコードがきこえます。ラジオのようではないから。この頃はボーナスシーズンよ。ワグネルのタンホイザーか何かをやっています。ここの家よ、ピアノのおけいこをしているの。こうやってたまにきくのはうれしいけれど、しょっちゅうになっては閉口ね。
 達治さん、では九月まで大丈夫ということにして置こうというお話しでした。何か気になることね。又本当におっしゃったとおりね、なんかというのは困るわねえ。でも八月なんかと云って、もうすこし待ってなんかというのわるいし。それに東京の八月、御本人もそれは戦地へ行ってたのだからと云えばそうでしょうが、お互につらいわ。案内する方も。九月ね。どうも。あっちは九月でもいいのでしょう? こっちへ何のお話もありません。
 私がいくらかやせたと云ってもホーとお笑いになるでしょうけれど、ほんとにいくらかやせたのよ。やっぱりバタなし牛肉なしたべるもの何となくなし(お菓子なんてまるでないから)というのがきくのでしょうか。血圧のことは本当なのよ。あなたはユリの円さにおどかされて御心配なのだけれど、みるひとがみればユリの円さは溢血的丸さからちがっていることを申しますよ。栄さんの方は実際血圧がたかいし、溢血的傾向なのよ。私は父のようよ、或は西村の祖母のようよ。溢血はおこさないで死ぬまで元気で、わりあいあっけなくさよならのくちよ。それは殆ど十人が十人そうだろうと云います。ですから、あなたもどうぞそのおつもりで(□)(いくらか、ゆするみたいですみません)
 さて二十六日のお手紙。「深刻」かっこつきのこと。自負なんかしていないわ、まさか。それから歪みのげてもの的興味も肯定しては居りません、それは大丈夫と云ってしまっては又浅くうけ合っているようですが。そういう「深さ」「神経」には私は調和出来ないたちなのだから。ほめて苦笑されるけれど「ロバとキリンの間を往来している存在に対してのみ」は適評ね。
 これらのことにつれて沁々と思うことは、武者さんの例にしてもね、私たちは、本当の明るさに到達するだけの努力を怠りがちなように、本当の面白さに到達するだけの精励をなかなかしないのね。「尤も」ということは低いレベルでは常識一般への妥協にすぎないし、それより一寸さきだと道学流ですし、それより先は「哲学的」で、もっと人生の味を求めるものは、それよりもっと高い精神の美に達しなくてはならないけれど、これ迄の文学というものを考えると、尤ものつまらなさにせいぜい「哲学的」レベルで抗しているのね。トルストイ、バルザック、スタンダール。日本の小説はせいぜい「尤も」に抗そうと試みているという工合。文学に新しい面白さがいるのだわ、そしてそれを得ることは大した大したことなのね。これ迄の文学の観念から溢れ溢れなければならないでしょう。しかし果して何人の芸術家が自分の輪廓を自分でのりこすでしょう。
 作家の心理(作品のかくれたバネとなっている)というものは、この頃実に微妙になって来ていて、ひねくれているわ。たとえば主人公に老人をもって来る、何となしの流行。『帝大新聞』に感想かきましたけれど。文学が一応常識からは歪んだようなものの正当さ正常さの人間価値を見出して、更にそれより高くなろうとするに多くのものが力及ばないというところには、これはカッコつきでない深刻な課題があるのね。そういうことを考えるときのロバはクサンチッペではないのよ。ああ、でもロバという名をつけたのは誰なの、あなたなの? それとも私?

[自注6]トラさんの眼――顕治トラホームに似た眼疾を患った。

 七月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 七月三日  第三十二信
 三十日づけのお手紙、きのうの朝。
 それから、きのうは電報をありがとう。丁度午後から留守していて、その間に浩子さんが一寸出かけた又そのルスにあれが来たので、浩子さんは、雑司ヶ谷のあの分室まで行ってとって来てくれて、白木屋の角で会ったらすぐわたしてくれました。
 浩子さんいいところがあるでしょう? 大変律気でうれしく、何だかおキクさんのよかった面をふっと思い出し、あのひとも北海道だったと思い、何だかいろいろ感じながら、霊岸島の方へ歩いていました。(というのは、きのうは寿江の誕生日で林町一同夕飯をたべたので、浩子さんも一人だし誘ったの)
 あれは大助りよ(電報)東京官報ハンバイ所なんて電話がないのね。ああ閉口と、行かなければならないと思っていたからほっといたしました。ありがとうね、よく早く知らして下すって。とにかく着いてようございました。
 私の勉学はそろそろとよ。
 今も、下ごしらえにアランの本を一寸よんでいたら思わず何か笑い出すところがあって、急にこれを書き出しました。
「礼儀というものは無関心な人たちのためのものであり、機嫌は上機嫌にせよ不機嫌にせよ、愛する人たちのためのものなのである。お互に愛し合うことの影響の一つは、不機嫌が素直に交換されるということである。賢い人はこれを信頼と委任の証拠と見るだろう」
 私は思わずクスリとして急にこれを書きたくなったのよ。先日のロバの声思い出して、ね。何となし滑稽でしょう?(アランは勿論、そういう信頼と委任が度をこすところに家庭の悪徳を見ているのだけれど。)私は実にあなたを賢い人として扱っているということになるし、私の信頼と委任とは随分大きいわけねえ。ロバとキリンの間の往復という、天来の珍妙性をもって信頼される良人というものは何たる天下の果報者でしょう(!)
 きのうも九十度になりました。私は手が又はれぼったくなりましたから、気をつけてオリザニンのんで、今年の夏は下へおりて、四・半で勉強します。去年の夏は多賀ちゃんがいて、私は二階にいたので眼が変になるようになってしまったから。今年はいろいろ工夫をこらして、うまくやらなければなりません。それに可笑しいのね、私の体は。風の吹きとおすところにいては仕事出来ないし、ひどくつかれるし。せんぷうきの風なんてじかに当るのは全く駄目です、それで二階がたまらなくなるのね、しめますから。むれる一方で。
 若い人たちの家、それはいいのがないのも実際です、が、旦那さんの方が、消極的我ままで、きまらないところもあり。私はこういうタイプ迚もやってゆけないと思う。よくあるのね、女にも男にも。男のこういうのは、本当によくあります。ちっとも生活の輪が内からの力でひろげられて行かないところ。こういう性格も描くべきです。二人を比較して実に対照的よ。おくさんの方は、自然に反応して自然にひろげられてゆく、そういう傾向ですから。
 Kの殿様的我ままの消極性も似ていて。
 今の勉強が沈潜しなくてはならないというのは実にそうね。個人の範囲のことでなく、そうなのだと思います。そのことについてもいろいろ考え、私は会なんか実に出ない方よ。会歩きが馬鹿に人間をすることを痛感しますから。いろいろの場面に書かない、しかし会はもれなく出る、そういうことに意味はありません。出たら随分いろんな会があるけれど。たまに、きいて見たいことがある場合だけ出ます。物事がどううけとられどう判断されているか、謂わばその間違いのなかに或ものが語られているときがあってね、何故それがそう誤られて考えられるかということのかげに大きい真実が見られるような工合のときもあって、大いにうなずくこともあります。
 会の話やなんか、十分語らないので、そちらで御覧になると何だか変てこりんなのでしょうね。私がそういうところへ出てみる気になるポイントがはっきりしないでしょうね。たまに、こっちではっきりした一定の判断をもっていて、或る現象がどう見られ語られるかをきくということも、何かである場合もあります。だって、そういうもので現実を動かそうと出来ぬ相談をやっているわけですから。
 本質的に、会へがつがつ出るというような心理ではないから御安心下さい。
 こういうこと、そして又家のこと。ほんとに一通りのことではないわね、どうでもいいということではないわ、やはりそこに態度があるべきですから。
 北原武夫が『都』に、作品の世界の客観的確立ということをあのひとらしくかんちがいして、作品の世界だけが一箇の作家の存在にとってリアルなものであって、実生活は空な抽象だということを会得してはじめて芸術家だ、なんかと云っています。誰かが、この頃の作品の中に作家の生活的実質がうちこまれていないのに不服で、作家の俤(おもかげ)のない小説はつまらない、という風に、これも二次的な理解で云ったのに、北原がくってかかって云っているのです。現代の或種の作家のくいちがいや、ピントのはずれたしかも本来は健全な欲求だの、高びしゃでしかも空虚な自己の生活的タイダを肯定している北原の論理や。
 実生活がそのまま小説にならない、それでは自然主義時代だ、というところ迄は分っていて、それでは、とその先一歩出るともう混迷に陥っている。その混迷で、現代をしのいで行かなければならないとしたら、およそそれは察しられるというものです。
 作家たちの或人々は、人間の進歩の大道は、一つの次から次へさけがたく動くもので、トルストイのモラルの後の世代はどうなるものかという、その自然さ当然さがどうしてものみこめないのね。一段一段と階段がつづくということ、私たちはどうしたってその段々に足をおかなければのぼりも下りも出来ないと思いきめなくて、何だか俺の足に合う間(ま)の段々を出せ、だの、大体こう一段一段とあるのがつまらないとか云っているのね。それで苦しい思いもして、主観的なその苦しさのつよさによって、我から気やすめもしている傾がなくはないのね。自然主義の文芸思潮からの成長ということはこれ迄考えられていたよりも更に更に重大な、そしてまだ未解決未達成な文学上の課題ですね。世界文学として云えるのだわ、このことが。
 自然主義の時代から、溢れ出し、或はころがり出した、が、本当の次代のものにはなかなかゆきついていないと思います。そのことがもっと実感されていいのね。よくこの点がはっきりすれば、ころがり出した勢で、うしろの方へころげこんで、本質は自然主義以前というようなホラ穴へころがりこむわけもないのだけれど。
 いろいろ考えます、一九一四年の経験で、フランスの作家なんか伝統の中にあるカソリックの精神へ随分すがりついて身をもたしたでしょう? ジイドなんか筆頭です。イギリスの作家は、過去のものの崩壊を誇張することで身をもたした、ローレンス、ジョイスその他。現在、それらの国々の作家は、どんな勉強しているでしょう、どんな身のもたせかたをしているでしょうね。いろんな小さい形の精神のマントは、はがれたのだし。ヨーロッパの真面目な作家の仕事は、今日、或は毎日細かい日記をつけておくことかもしれませんね。小づかい帖は歴史ですから。そういう風に、自分たちの世代の経験をいとおしんで居る誰かがあるでしょうか。たとえば、そんな婦人作家があるでしょうか、ねえ。コレット婆さんなんかやっぱりパリで、おしゃれの店出して、それがフランスの外貨カクトク法だからとモードこしらえているのかしら。
 この頃深く感じるのですが、人々は普通、あのことをあのこととして、このことをこのこととして理解することは出来ても、あのことと、このこととの間のつながりを見出す力は非常によわいのね。一寸頭のまわる人間は要するに、そのつなぎめのところでいろいろうまく立ちまわるのね。よいことも醜悪なことも何かそのつなぎめのところに発生いたしますね。実に妙なほど、神経にぬけたところ、頭のぬけたところがあるのね。例えば歌よみの吉植庄亮という男は千葉で大地主で多角経営をやっています、代議士よ。蘇峰そっくりな顔をしている。そして自分で百姓百姓という。この男が、米のことでいろいろ話します。四五年前、ゴムローラーで白米にすると、同じ一石に米粒が多く入って百姓はそれだけ損をする、米もくさりやすいということで、いろいろ運動した。竹内茂代という女の博士が白米廃止運動をそのときはじめ「これだけですね、ものになったのは」と云っている。吉植の考えのポイントが、竹内さんにどううつっているのでしょう。竹内さんはお医者として云っている、賛成しているつもりなのよ。こういう組み合わせ。ひとの説に賛成するしないの機微。バルザックやスタンダールはこういうモメントをどう描破しているでしょうね。
 それから、絵で描いたら頭部が半分しかないような人たちが集って、ゴの手でも評定するように、妙な形のマス目で、国際のいきさつ、動きをああこう喋り合っている光景、これはブリューゲルの世界に近いし。
 では金曜日に又。そちらの番地半分だけ活字ね、面白いこと。眼を呉々お大切に。

 七月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 七月七日  第三十二信
 これは、四・半に机を出して書いて居ります。きのうあのお二人は愈□引越し完了よ。日曜日でしたが、その前々夜やっときめて来て、六畳一つの集合住宅で二十五円也。日曜日引越すと云っていたのですが、午前中ぐずついていて、どうなるかと思ったら越せました。この頃に珍しく俥夫がすぐひきうけてくれたのですって。
 おかつぶしをあげたり梅干あげたり大いにおばさんをやって、それがすっかり出かけたのが四時すぎ。さてそれから四半の廊下の隅につっこんである小さい方のテーブル出しかけて布をさがしてかけて(手が汗だらけだもんで、こすれて痛いから)あっちこっちあけて、スダレかけて、さて、と昨夜はそこに腰かけてかなりエンジョイしました。
 十日にあのひとたち来たから殆ど一ヵ月ね。浩子さん本当に名残惜しそうでした。でも今度引越す代々木上原というところのごく近くに女の従姉だかが家をもっていて、いろいろ世話して貰えるし、いいでしょう。浩子さんはどこへ行っても周囲と自然にやってゆける性質ですから。幸きのうはいく分しのぎよかったから引越しにはもって来いでした。

 私もここへ越して来て大変楽よ。茶の間とはカギの手にこんな工合に出ていて、左手の二階の段々のつき当りだの台所の方だのから北風が通って下では六畳の次に涼しいのよ。只西が射して弱りますが、でもそれはね。すぐ格子窓の外がおとなりと竹垣で、おくさんが台所でことことやっているのや「ほんとうにひとばかにしていますわ」と、旦那さんと喋ったりしているのもきこえます。マアこれからもうすこし趣向をこらして、これから三ヵ月(九月)暮すに工合よくして、大にがんばらなければなりません。
 がんばらなければなりません、というところに御推察でしょうが苦衷があってね、目下まだ十分がんばりがきいているとは云えないのよ。暑さにまだ馴れなくて閉口頓首して居ります。お米をほして虫をとったり、うどんほしたりしていたわ、この二三日。引越しさわぎの落付かなさもありましたが。こういうときって実に可笑しいわね、さあユリそろそろがんばって! と自分に云って頭だかおしりだかとんとんと、お茶を紙袋に入れるときみたいにトントンとやると、大抵何とかまとまるのに、目下のところ、かためそこねたところてんよ。さあ、さアなんて云ったって、上っ皮がいくらかかたまって、しんがとろりでどうも頭の中が湯気の立つようで。ほんとに可笑しいこと。自分に仕事をさせるのにも骨が折れるときがあるというのは夏景色ですね。
 でもこうやって、廊下歩いても台所コトコトやっていても、縞の布のかかった机が見えていると相当食慾的だから、きっとこれからうまく行くでしょう、どうぞ御心配なく。そんなで八月中に何とかなるのかなとお思いでしょう? 何とかなるから面白いわね。
 自分に仕事させる、でこんな話があるのよ、私はこれ迄冷蔵庫というものなしでやって来て居ります、夏冷いもののまない方だから。ところが、この頃玉子にしろ牛肉にしろ配給の都合で、肉なんかあるとき勝負で、きのうなんか二ヵ月ぶりですこし買えました。バタにしろそうだから、すこし力のつく食物を心がけるためには冷たくしておくところがいるのよ。で今年は一つ買おうかと云って見たら、迚もうちには買えないようなのばっかり七十何円、八十何円。四五十円のなら氷一貫目で、一昼夜どうやらモツのですが。もしみて、その位のがあったら買おうと思います。そんな風になって来るのね。もう久しくバタもたべず油もきれていて、それでいくらか、かたまりそこねのところてんかもしれないわ。みんな暑気がこたえるらしいわ今年は。どうぞあなたも呉々もお大事に。本当に、よ。暑気に対して体力が負けている感じはいやね。私は割合夏はがんばれる方だから、今のところ珍しくて、調子が分らないようです。どっこも悪いのではないんでしょう、熱もないし。一年の間の食物の変化なんかがこういう工合にして影響をあらわして来るのでしょう、きっと。今年の夏はきっと仕事のある人たち、何だか精力的でないと思っているかもしれないわ。お米にはこの次の配給のとき一キロ青豆のほしたのがついて来ます、お米の代りに。
 こんなこと書いている、これも一種のウォーミングアップかもしれないからどうぞあしからず。
 仕事の下ごしらえで、アランのちょいちょいした論集をよみました、幸福についてや何か。アランはこの二三年来日本に流行して紹介されるフランスの哲学者よ。アンリ六世高等学校の教授。直観的良識をアラン独特の感性にとんだ表現で語ってゆくひとですが、日本にアランのはやる傾向の意味もわかります。アランには体系というものは一つもありません。一定の立場というものもなくて、あればそれは全面的というようなもので、強制のない美しさをあらゆることに求めているところがある。おわかりになるでしょう? ちょいと面白いところもある。だが、文学について又人生態度について不十分なところ或は間違っているところもあります。いつかアランが詩と散文について書いている点で、不備だったこと書きましたろう? 詩は真直に立っている(精神が)、散文は現象とともに走りまわっているものだ、ということで。アンドレ・モロアはこのアランの弟子ですって。アランのところでは辛うじて良識の域にとどまっているものの見かた(もう一歩で常識、保守に入りこむところを)が、お弟子ではちゃんと地辷りしていて、あの如き有様なのね。
 そう云えば『誰がために鐘は鳴る』の下巻出ましたね、お買いになった? まだ? 送りましょうか? 机の横にはあの平たく低い方の本棚(あなたの)があって、そこには河出の世界文学叢書と、岸田の『美乃本体』だの小田の『魯迅伝』だの、ちょいとよみたいものも置いてあります。
 文泉堂という本やがあってね、これは『古事類苑』だの何だのの月賦販売者ですが、いろいろの名士のところへまわって歩く、妙な中爺ですが、この男はいろんな人間を見ているものだから一種の哲学をもっていてね。伊藤永之介の書斎を見ましたが、寄贈本ばっかり並べています、あれじゃ先が見えて居りますハイ、と云っていました。こういう云いかたにはいやなものがあります、しかし本当のこともふくまれている。ほんとにしろ、いやだけにしろ、いろんな人をとおすところに本はおかないものだという教訓がここにふくまれて居りますね。うちの茶の間には置場がなくて万やむなく二つ本棚をおきますが、それにはカーテンがかかっていて、それも実におかしいカーテンよ。というのは、こっそりあけてなんか迚もみられないの。というのはね、この頃、ハリ金、金棒なしですから画鋲でとめてあってね、布がおもいからうっかり手をさわるとすぐポロポロにこぼれてとれておちてしまうのよ。素晴らしいでしょう。文泉堂もその中までは見られませんからね。一つは日本文学史関係の本棚、一つはまだちゃんと整理してなくて、ガチャガチャ。書斎に人をとおせるのは学生時代だけでしょうね。
 なるほど、こうやって机に木綿の布をかけるのは妙案です、本当に楽よ、手がこすれてもキューキューしていたくなくて。それにきょうは私一人でまだ派出婦来ないから、黙っているのもいくらかいいらしい。浩子さんは、ものを考えつづけている人の顔に馴れないからキゲンわるいのかと心配するだろうと思って、下にいると、ついつとめても話していたから。何だかこうやって黙っていると、すこしおなかに力がたまって来るわ、益軒の「養生訓」に、おしゃべりするなということが多分ありました。それは当っているわ。
 この本箱に『支那女流詩集』があります。女の詩人はすくなかったのね、各時代を通じて二三首ですって。支那では歴代の集、「唐詩選」、「三体詩」、「唐宋詩醇」のようなものには一つも女の作品はいれなかったのだそうです。やっぱり支那ね、あんな魚機のような作家もいたのに。
 ゆで玉子をたべながらチラリチラリ頁をくりますが大して面白いものなし。ところが妙なことで思い出しますが、戦国時代の一人の女のひとが「秋の扇とすてられたらば」という意味の「怨歌行」という詩に、新しい斉(セイ)の□素(ガンソ)(真白い練絹)の鮮潔霜雪のようなものを裁って合歓の扇となす。団々として明月に似たり、君が懐袖の中に出入し動揺して微風を発す。云々。団々として明月に似るというの面白いし、そういえば、私たちの小さかったとき支那団扇(うちわ)のまねをしたダエン形の絹団扇があったわねえ、あなた御覧になったかしら。絹のふさなんか一寸ついたのが。
 今年は、軒に絵のあるギフ提灯もつけてみるのよ、大した甘やかしかたでしょう? 季節のその位のことぐらい。夏は夏をうんとたのしんで勉強しなくては、ねえ。涼風おこらざれば、みずから西風になって吹かん、でしょう? こうきくと、いかにも颯爽(さっそう)としているようですが。
 ね、下にいると面白いことよ、いろいろあたりの生活の動きが響いて来て。水を出したりいろいろしていて。今夜もうんと早ねをしてみます、ダルク眠たくなくなるように。明日は朝そちらへゆくつもりよ。さもないと青いものを入れられませんし、なるたけ早いうちにお中元をすましてしまいたいから。ほんとに落付ききらないうちに。

 七月十五日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 徳山駅にて(徳山市街の一部(□)、徳山市熊野神社(□)、縣社遠石八幡宮(□)の写真絵はがき)〕

 □ここのエハガキはおやしろばっかりで中学のがないのね。あればいいのに。珍しく涼しくて混んだ汽車でも大助りでした。この分でしたらきょうも曇天ね。ここまで来て二時間も待つのは可笑しいこと。汽車の中では、ヴォードレイル伝というのを読み初めてこの詩人の生活を知りました。十九世紀のロマンティストというものの意味も突(ママ)めて考えながら。ハイネとの比較。

 □大雨の被害は静岡までに目につきます。泥田になってしまっているところもありました。全国に大雨だったから相当でしょう、「いやんなっちゃうなア」と見ながら悲しそうな声を出している男あり。この男は盛に商売人の合同のことを話していました。子供づれで北海道から九州へゆくという一家があったり。いつもよく今頃旅行して、崖のくずれたのを見たりいたしますね。

 □ああ。巖松堂の六法全書は出版九月頃だそうです、南江堂の本は送るようにうちのひとにたのみました。うちの留守のひとは菅野きみ子と申します。そのお母さんも来てくれています。本がついたら、ハガキでもおやり下さい。よろこぶわ、きっと。かけぶとんお送りいたしました。

 七月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県熊毛郡光町上島田より(封書)〕

 七月十六日午後
 今四時ごろ。鶏の声のきこえる二階でこれを書きはじめます。
 私は十四日に立って、徳山からのハガキ御覧になりましたろう? 十五日の七時前につきました。きのうは達ちゃん歯医者だの挨拶だので大多忙で、夕飯を終ったのは十時すぎました。それから持って行くものをつめたりして、それでも皆が床についたのは十一時半ごろ。
 今度のはね、いろいろの点が前とちがって又あとから広島へ行くということも出来ないかもしれないし、一切がひっそりで組合のひとたちが「柔(やわ)うにバンザイやりましょう」と本当にやわうにそれをやるという式でした。だから平服でお出かけよ。いろんなものを、ひきつれて出かけてはいけないというわけで、私たちは駅までときめ、友ちゃんだけがずっと一緒にゆくということにきめて床につきました。二人にとっては眠るどころではない夜であったわけです。
 けさは皆早おきで、そこへ速達が来て、あれは実にいいお手紙であったし、達ちゃんにとっても自分の感情の一番まともなところへ、まともにふれて来たものであった様子でした。兄さんにこんな手紙もらった、云いつけは必ず守るからよう申して下さいと本気に云って居りました。そして私もあのお手紙拝見したのよ。手紙のことなど強い実感が響いて居ります。達ちゃんもいろいろと前より深い感情と経験とをもっていて、あのお手紙はどんなにかよかったでしょう。お母さんは、今度達治が戻ったら三人で東京へ行かそう、と云っていらして。――そのお気持もわかるでしょう?

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