獄中への手紙
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著者名:宮本百合子 

私の机の上が、今あるまま公開されたら、オヤ、このひとの机の上には小さい琉球の唐獅子夫妻と、妙に思案したような形の茶色の小熊とがのっている、と笑うんでしょうね。仔熊は花の下に今日は居りますが、何かのはずみでずーっとはなれたところに餌でも拾っているようにおかれています、主としてお恭ちゃんの御気分に、或はハタキの都合によるわけです。そう云えば動物が多いこと、文鎮は山羊ですから。仕事机に小さい動物や花は休(ママ)るのね。写真なんかは迚も駄目と思います。
 そして、ルー爺さんは一週三回の水泳と毎日四十分のマッサージとをきっちりやっているのですって。この間うちの選挙のときの写真を見て、あの遊説をよくやるとびっくりしましたが、日常生活を実によくやっているのね。それだけ体を大切にしている――仕事を大切にしているということは、只贅沢な手入れをすきなほどやっているということとはちっとちがいますね。ユリの早ね励行のことも、あだやおろそかではないわけね。とにかく徹夜はしないでやりくって居ります。おかげさま、で。そしてそれが絶対に必要であることは益□明かです。
 きょうからお恭ちゃんは、月・水・金と近所で洋裁の稽古に通います。六時からはじまります。御飯がすっかりくり上ります。でもマアいいやと思うの。夜がそれだけのびますから。六時―九時。歩いて十分以内のところで大通りです。目白通りの先の左側の交番ね、あのずっと手前ですから。はりきりです。ああいう気質の娘は大変むつかしいのね。この頃いろんな調査表がまわって来て、お米にしろ、家の中の成員をかきます。そのとき女中さんでは絶対にいけないのよ。それが、いけない感情のよりどころが下らないところなのだが、それはうんとつよい。その洋裁の願書でも私とのつづきがらというところへ、私の友人の妹と書くのよ。ほっとした顔しています、そう書いてやったら。こんな気持。一事が万事です。今の若い女の子の心持という部分と、このひとのものと半々ね。なまけもののところがあるから、自分のやりたいこと一方にしていればそのことのためにくされないでしょう。ひとを置くこともあれこれと、ね。
 さて、ピアノの物語ですが、それは開成山の小学校にピアノを昔寄附したのです母たちが。古いのを。それがガタガタになって、この頃は郡山に放送局も出来たしなおしてくれと云われ、それは千円もかかりしかも命は五年というのでそれに一寸足してホールゲールというのを買ってやって、国君はピアノと云えばこちらへ来る話を区切りたいのね。寿江子は自分の持っていないから、そして、自分の商売道具だから、そんなところへ買ってやるんなら自分に、という神経にさわるところもあるらしい。父がいれば自分の方を買ってくれるんだのに、そう思うところもあるのね。国ちゃんのいい心持になってお辞儀されるのがすきさからと思うのでしょう。まだ田舎での立場の辛さわからないところがあって。それで、私に相談というわけなのよ。ですから私から間接に話すなんて、水臭いことせずに、寿江子に自分から話して、寿江子の今使っているのでコードの切れたところをなおしてやる、今はそういうことにしておくと、あっさり云えばいいということにしてうち切り。
 寿江子は不仕合わせに育って、ひどく浪費的です。自分で知らないで。だから、ピアノなんて、買いなおしたり出来ない(にくい)ものでも、使うのを大切にしないで、それは又国が正反対にラジオでも何でも大切にやかましくつかう気質とぶつかるのね。仕事のものをどうしてこう荒く粗末にするかと、私もその点では腹が立つ位。ですから国とすると、直してやるのも張合いがないっていうの。でもね。私に相談する位気を使ってやるなら、自分の気持として直してやるんだから、直してやれということに決着いたしました。こんなところ面白いでしょう? 兄妹で、気質の肌合いがちがうと、その微妙な触れ合いで何となしうまく行かないところがあるのね。本当に寿江子はいいところ多分にあり、芸術のことよくわかり鋭いのに、そういう生活に対して懇(ねんごろ)でないところ物に対しても主我的なところがあって、妙ねえ。境遇から来たものとしても。いくらかずつ、直ってはいるけれど。小市民風のこせつきの代りに、ちっとかさの大きいそういう荒っぽさがあるのねえ。そして、今日、彼女の現実の能力はそのかさ高な荒っぽさに充足しきれないのだから。国なんかの眼に、かさばる面ばかりしか見えないのねえ。性格のスケールの相異というものはむずかしいのね。寿江子の方がスケールは大きいのよ。ところが、そのスケールが生産的に創造的に発揮されるところまでなっていないのですね。だから普通の娘から見るとずっと生きにくいのよ。そして、普通の人々は、だから成たけ早くそのスケールが正常に発表されるような方法手段を養い育ててやろうとは観察しないで、かさばりの面だけ特に女の子についてはいうから、寿はシニカルになって、この同じ自分がいくらか金をとったり世間からチヤホヤされたら忽ちピアノだって買おうといったりする気になるんだろうと見るわけです。それが又当ってもいてね。自分で人間の評価の出来ない人は、ぐるりの評判で、自分の判断とするのですから。仕事が金にならなければ、そのねうちを評価しないというところ迄常識は金に買われてしまっているのねえ。ですから私は、全く沢山の若い女のひとたちに同情いたします、金がその仕事でとれるようになったとき誰の助力がいるでしょう、ねえ。金にならないうちこそ助けがいるのですもの。だから私は金のとれないとき(時代)、助けを必要としている若い女のひとにどうしても冷淡になれません。女には投資として仕事をさせるひともないわ、投資すれば常にそれは女に投資するのです、仕事へではないわ。これは大略、世界の女の苦しみでしょうね。
 そう云えば栄さんが『暦』で新潮賞一千円也を貰います。そして、いろいろ計算すると、借金をかえし貸金をさせてやると、五十円ほどのこるそうです、それで私たちに御馳走をしてくれるそうです。中野さんが『三田新聞』に『文学の進路』の書評をかいてくれました。この本は面白い本である。本の形は小さい。けれども読むと中味において大きいという本である。大きいというより誇張にとられても困るけれども、一種壮大なところのある構造物といった感じの本である。そんな風な書き出しです。『都』に『第四日曜』の書評が出ていて、ぎごちなさや固苦しさやがあるけれど心にふれて来る作品集とあり。ぎごちなさ、かたくるしさというものについていろいろ興味ふかく感じました。ここにいろいろ面白い問題がふくまれているわけですから、芸術家の課題として。そして、客観的には、その動機が何であれ、かたくるしさとしか読まない読者が読者なのでありますから。小説は面白いことねえ。くるりくるりととめどなく流暢になることではなくて、云ってみれば、ぎごちなさそのものが美の魅力となるまで作家の努力はつづけられなければならないわけですから。それには、たとえば文章のテムポというようなもの、テムポが平均人の頭脳的情緒的リズムに合うように存在するということ、そんなことも又決して無視出来ず面白いと思います。説得する力というものは文章の中にあって、単に筋の明かさ、否定しがたさばかりではないのね。「杉子」その他では、この面で関心が払われているのですが、どういう結果でしょうか。小説でもわかるように云う、云いあらわすということで、或場合、決して作者の自然発生な表現のままでは不十分ですね。低くなるということとは別なわからせてゆく力、いろいろな要素からそれは出来て居ります。特にその作家が、常識の波調のままの情緒でものを云っていない場合、ね。
 この間、私が余りいそがしくて詩集くりひろげるどころでないかい、と笑っていらしたわね。或意味では反対ね。一日に仕事終ったときなんか、詩集をくりひろげその頁の間に顔を埋めたい気持でした。あなたはこの頃どの詩を御愛誦でしょう。私はよく「季節の思い出」「アンコール」「よろこばしき病のように」などをくりかえし読みます。「季節の思い出」の中の「口紅水仙」覚えていらっしゃるでしょう? 口紅水仙の花弁のなかにはもう一つまるく敏感な紅のふちどりの花びらが抱かれていて、春の初め、漸々水仙が開きはじめの頃、待ちどおしいやさしい指にふれられて、新鮮なその感触に花びらは戦慄しながら次第次第に咲きほころび、匂いたかくなってゆく描写。それから「よろこばしき」の中の空気の中に鳴るような一節、「ああこれは何かの病気だろうか」といういのち溢るる詠歎。この「よろこばしき」の格調は一度よむと、もう耳につき魂について決して忘れられない美しさね。どうしてあんなに美しいのでしょう。ほんとにどうしてその美しさはいつもまざまざと描き出されて、うすれるどころか印象の中で一きわ光彩陸離となってゆくのでしょう。そこが芸術である所以でしょうか。「泉」の描きかたにしろ。ねえ。それから「木魂(こだま)」という、あの可愛らしくて真実みちたソネット。森の中で――忘れておしまいになったんでしょう?――一人の少年が爽やかな早春、一匹の栗鼠(りす)を見つけ、おやと眼をみはります。その栗鼠は不思議と、余り遠くへ行かずやっぱり眼をパチクリさせて少年を見ています。ふっと少年はその栗鼠をつかまえようとします、栗鼠は逃げます、でもふりかえりふりかえり逃げて到頭、それは少年の二つの手につかまります。何と可笑しい栗鼠でしょう、その手の中から逃げようとしないのよ。少年は笑って、いいかい、もう決して離さないよと心持よさそうに叫びます、するともう決してはなさない、とどこからかもう一つの声が答えるの。どこからかしら、少年は栗鼠がいうのかしらと思うの、もう一度ためしに、いいかい、もうはなさないよ、そういうと、どこかで又もうはなさない、というの。それは木魂でした。少年はリスにつかまったのでしょうか、それともリスが少年につかまったのでしょうか、森の木魂は何と答えるでしょう。そういう物語。「季節の思い出」は風景がゆたかで全く飽きません。「仮睡」というの、これもあなたはあやしいわね、そっくり覚えていらっしゃるかどうか、夏の部よ。牧童が泉のほとりへ来かかります、せせらぎながら溢れこぼれる泉にひきつけられて、喉のかわいている牧童はそのゆるやかな丘の斜面に体を伏せ、芳しい草をかぎながら、口をつけて泉をのみます、甘美な泉に満足した牧童は丘のなだらかな線に体をまかせたままいつの間にか眠ってしまいます。いつしか日が沈み、白い月が夕暮の中にさしのぼり、しかし、丘も泉も牧童も夏の生命の横溢の中で一つの影にとけ合って、やはりまだ眠っている。この叙景は非常に典雅で而も健やかで、音楽的です。やさしいメロディーの旋律が插画のように入っていたでしょう? 私のところにこの集があるのにそちらに別なのが在るの、ほんとにおしいことね。あなたは風邪でいくらか御退屈でしょう? ですから、詩の一篇一篇を、そこにひろげてお目にかけたいと思います。では明後日。面白いわ、大きい字は遠いよう、小さい字は近いよう、ね。

 三月四日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(速達 封書)〕

 大変おそくなりました。例の謄写代の内わけ。
 逸見上申書       四通  三・一八
 同 上申        二通 二七・二八
 宮本公判期日変更願其他 二通 一一・九九
 木俣鈴子 上申書    二通
                一四・八五
      公・調    四通
 袴田上申書       二通 三二・一六
             計  八九・四六
 右のうち、木俣上申書二通の中一通。公調四通中二通、計三通分をこちらで支払い。(7.50)

 これでわかりましょうか。それとも例のひどく重複の分。
  合計 一九二・〇六也の内訳
 木島一・二回公判調書 四通 四七・五二
 同 三・四      四通 五九・一八
 袴田上申書      三通 四四・二二
 同・公判一二三回   四通 四一・一四
 それに対して、十円三十銭だけ支払えばよいということでした。前に一一〇・四〇支払ったのこり分として。どういう勘定で、今回はその金額が出たのか存じませんですが。
 この前に私の手紙で、その他と略したのはこの分ではなかったでしょうか。
 あとは速記で第一回が重複していて取消。西村マリ・加藤の件で重複して取消あり。
 これで分れば大いに結構ですが、いかがでしょうか。どうもあやしいものね。とにかく大変おそくなってすみませんでしたが、とりあえず。

 三月十日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 三月五日―十日  第十三信
 きょうは久しぶりで蓬々拝見してうれしゅうございました。余り蓬々だから顔の色がいくらか蒼く見えましたけれども、それは熱っぽくなくなった故なのね。そうして見ると、この間うちはほんとに火照(ほて)った顔していらしたこと。気持わるかったのでしょうね。うまくお癒しになっておめでとう。あとがなかなか疲れますから猶々お大事に。
 今かえって来て、佐藤さんの行坊とちょいと遊んで二階へ来たところ。お恭ちゃんが、そろそろ稽古に出かけるので、盛にカチャンカチャンバタバタをやって居ります。月水金は夕飯ひとりよ。まだ馴れないからいやです。私はこの頃ひとりのきらいなことと云ったら猛烈です。
 島田の赤ちゃんの名、志郎とはなかなかいい名ね。宮本志郎。わるくないと思います。美津代でしょう? お母さん、およろこびになるでしょうね。美津代でも志郎でもいいから元気で丸々として明るい子が生れるといいことね。私は実に繁昌よ。行坊、あのメチニコフのところの伸一郎、あの看護婦さんだったバラさんが二日にデコ坊を生みましたし、ほかの友達のところで最近一人生れるし、既に二人の女の子がいるし、林町、中野卯女、康子、ターンその他、無慮十二人は私にお人形だの犬だの猫だのを思い出せるのですもの。子供たちのこと思うと、大きい庭と長い廊下がほしいわね。その廊下をドタドタかけたりかくれんぼしたりさせて見たいと思います。十五年も経つと健造はもう二十七歳ぐらいよ。大したものでしょう。卯女、康子は十八歳の乙女たちよ。彼女等の生活はどんなに展開されることでしょう。
 太郎は学校になる前に是非泊りに来ることになっています。小ちゃいおばちゃんと私と三人でねなければいけないとなると、うちは大鳴動なのよ。其でも三月中には一夜その旺なるお泊りをやらなければなりません。今に太郎のための本棚というのをこしらえてやります、これは今に島田にも入用です。子供の本は私たちで供給してやりましょうねえ。子供の育つのに雰囲気というものは何と大切でしょう。そして複雑な気持でクスリともします。だってお母さんにしろ達ちゃんにしろ、きっと立派ないい子欲しいと思っているでしょう。いい子は欲しい、だが心配。そのディレンマ。本当にどんな子が育つでしょう。
 ボンボン欠乏のこと。その心持、こうしてかえって又手紙かいていると思います。本当は忙しいのよ。一刻が大切なわけなのよ。それでもやっぱりこうして書いている。妙ね。
 ものの味とは何と微妙でしょう。私はきっと今にボンボンの詩を見つけるでしょうと思います。フランス人ならきっと詠ったひともあるでしょう、美味を美の一つのものとしている習慣があったから。日本の「美味求真」ではどうかしら。いささかあやしいものです。
 いろいろのことが非常に書きたい心持です。いろいろのこととは何でしょう。いろいろ、いろいろの心持。字のない字で書くような心持。いろいろ書いているくせに何かもっといろいろ書きたいのは変ね。さアもう仕事しなくては、そう思って自分で僻(ひが)んでいるのよきっと。字で書くなんて! とふくれてもいるのね。無理ないよと云って下さるでしょう? 字でかくことは話すこと。何にも話したいというのではないそのときは、何で話すの? ああ。すこしじぶくるのは珍しいでしょう?
 何しろ私はこの頃あなたとけんかもしてみたいのよ。私たちはどんな風にけんかするでしょうね。どうも考えてみるに、ちょいちょい口げんかをするという風ではないらしいことね。わたくしは、たいへんおとなしい細君でありますから。たまにするとすれば、それはこわいでしょうか。こわいのはいやです。勿論こうしていてするけんかなんか真平、真平よ。もしそういうことがあればわたくしは四辺(あたり)はばからず、おーんとやります。
 さあ、本当にもうやめなければ。そして、御飯たべて、一がんばりしなくては。勉学勉学よ。ほんのちょっぴりでいいからおまじないが欲しいのになアと思うことは、たけきもののふも思うことでありましょう?
 そして、きょうはもう十日です。この手紙を引出しの中にしまい込んで、その上でうんさうんさとやって、きょうは上野へ参り、それで年表が終り、校正に目をとおし、それで放免です。一昨日と昨日とは、年表をこしらえてくれた絵の娘さんをわが家にかんづめとして、本を山積して補充でした。大へばりよ。文学年表というようなものを誰もこしらえないから。いちいち本でその人の年表を見るわけです。たとえば万太郎さんというような人は、私としては閉口ですが、私を閉口させるところが存在性ですからやはりさがしたり、ね。
 索引も出来ました。それの直すところを紙を入れたり。本つくりの仕事は書く仕事と全然ちがうようです。大したひまを費します。
 六日の日ね、そちらからのかえり、私は大変可愛い碼瑙(めのう)のようなかざりものを見たのよ。何だか光線の工合であかい碼瑙の円い珠のような飾りもので、今時あんなものもあるのでしょうか、泉子がみたら、知らず知らず口をもってゆきそうなの。マアと思い、忽ち通りすぎました。
 お金、島田へも手紙つけてお送りいたしました。私たちの赤ちゃん歓迎費として。
 そちらへも着いたかしら。
 図書館へもって行って書こうと思いましたけれど、きょうは間もなく手つだいの娘さんも来て、並んでやるのよ。ですからうちでおべん当ののり巻を買って来てくれる間に、これを書き終って出そうというわけになりました。だから急にせわしくなったのよ。だって、今出さなければ又おそくなり、今夜あやしいのですもの。
 寿江子が今一寸来ていて、昨日一昨日二階へ籠城でしたがおかみさん役をやってくれました。
 きょうは文芸年鑑と、松井須磨子の小説というものをよもうというわけです。スマ子小説を『早稲田文学』にのせたりして居ります、どんなのでしょうか。そんな点も何だか、今のヒヨコヒヨコとは少しちがって興味があります。
「生活と文化の問題」というのを二十余枚かきました。重点は、所謂健全なというものが不健全なものに転化する生活の機微を理解しそれを正常ならしめるたたかいが、文化の健やかさであるというわけです。こんなにあたり前の考えがあるでしょうか、このあたり前のものの考えかたが、女に毒だという考えのお方がカーキーの情報にいます、女の雑誌には、というのですって。女がバカであって便利をうける率はごくわずかなのにねえ。きょうは春めいた日です。夕方までにしまって、寿が夕飯に待っていてくれます、だからきょうは月曜でも一人でなくてすむのよ、およろこび下さい。では明日、ね。

 三月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 三月十六日  第十四信
 十四日づけのお手紙をありがとう。風邪がややましにおなりになって何よりだと思います。きょうなんかすっかり春ね。そちらにも沈丁花の花が咲いているでしょうか。おとなりの庭にあるのが下によく匂います。
 十四日づけのお手紙をくりかえしよみました。花園の被害についての話[自注3]。表現はすこし風がわりですから興味をもっていろいろ文学的考察をしました。そして大変立体的にいろいろの関係を理解しましたから、私もやっぱりそのような詩趣を失わずに物語るのがふさわしいと思います。中村ムラ夫が、『花園を荒す者は誰だ!』という論文集をかきましたね、昔。結局こんな題の論文なんか書けたのは天下泰平ね。お手紙の中に泰平的テムポのことありましたけれども、あれは寧ろ大局的にはいいのよ。何故なら、もし原形のまま出ていたならそれを種として、必ず波が立ったのですから。そうすると、これからずっと様々の曲折を営んでゆく上に途が切れてしまう結果になったでしょう。芥川の小説の「極楽」というの覚えていらっしゃるでしょう? 一縷の糸につながって極楽へゆくという話。極楽ではないにきまっているけれども一縷の糸もなきにはまさります、その一縷の糸にいろんな名の人がつながって極楽へ行けた云いつたえを信ずればね。仏様はきっと臆病ではないでしょうね。しかし、現実の糸のもちてはまことに兢々たるものですから。一縷の糸に一度シャッキリ鋏が入れられでもすると、もう糸を切られたと絶望して、もっていた手を諦めてはなしてしまいますから。その糸をいかに巧にかしこく手ぐるかというところに蜘蛛の智慧がひそむわけです。蜘蛛は、アナキネという乙女の化身ですって。アナキネは大変織物が上手で、その美しい織物の技術に、或るギリシャの神が魅せられたのを、その男神の恋人が嫉妬して呪詛で蜘蛛にしてしまったのですって。可哀そうね。
 具体的ないろいろのことが大変複雑でむずかしいので全く閉口です。毎日そのことを研究中です。只今のところ名案皆無です。秋ごろから予定どおり出版企画が実現するとすれば、出版種目は急を要するもの――科学、工業、軍事だけが先になって、文化の方はずっと割合が低下するでしょう。そして、もし今云われているように初版が一千部ときまって、再版は許可制となるとすれば、許可制の内容は文部省のスイセン図書をみてよくわかりますから、それも極めて小範囲となるでしょう。どんな本やも、特別な文学物の店をのぞいては再版の可能なものの方を選ぶわけですから、その面からも一般に大変落付きを失っているわけです。そういう変化が迫っているということも、私の名案がなかなか浮ばない原因でね。川口松太郎は「蛇姫様」というようなものをかく男だけれども、余り艷かすぎるということでいざこざがおこって、何とか云われたとき、生活しなければならないんだからと云ったらば、それは十分よくわかる、そのためなら何も心配はいらない、満州へ行って電気屋になって下さい、足りなくて困っている、すぐ紹介状かきますと云われたよし。実に今日の逸話です。
 T・Yという人がいましょう? 伺いたてたらノートを端から端までめくって見て、居ない。これで見るとよっぽどペイペイだろうということであった由。
 私はさびた小刀になってしまうのもいやですが、さりとて余りのコマ鼠の遑しさで(心の、ね)結局その日その日のために本当の書きものが出来ないというのも非常に困ると思います。そういう風な生活のプランを立てたくない。それから、永い時間ということは必然で、云わば一生かもしれないから借金生活はいけません。結局つづきませんから。そこで、まことに私の不得手な算術を、ああ足して見てこう引くと、こう引いてああ足すと、とやって小首をひねって居ります。最低限の安定をどう求めるかという力学のようなことを考えているわけです。それの上にくもの智慧もいかして行かないと、私はすり切れてしまいますからね。いろんな面で何かの創痍(きず)がさけられないのならば、最も肉のあつい部分でそれをうけなければなりますまい。母親が子供のおしりをぶっても眼の上は打たないように、ね。私はわたしのおしりを見つけ出さなければならないと思います。眼をつぶさないために、ね。そして、その案の一つとしてこの家の便利なたてかたを利用して、二分してつかうと大いにいいのですね。今は何でも配給ですから、一人ぼっちでは手も足も出ません。お砂糖にしても一人では一ヵ月八十匁ですもの。さて、実際にその人のことになると大変むずかしいわけです。何しろこっちがこっちですから。
 この前のときはあのときの条件から、強引生活をやって一ヵ年と四ヵ月暮しましたが、あれはいい経験となってプランを立てるについても今は有益です。ああいう方法ではいかに不可能かということが分っているから。どんなに小さくても自転作業がなくてはなりません。わたしも少しは実際的能力がたかまったというわけです。この点についても御褒美がほしいわ。私たちの最低の安定を発見さえ出来たら、もう心にかかる憂雲もなしと、勉強して、働いて、ボンボンになぐさめられてやってゆけます。〔中略〕
「どうしてもわけがわからない、ピンとこない、のみこめず不思議」と寿江子が眼をパチパチやっているのが無理もないわけね。のみこめる訳がない現象なのだもの。きょうあたりは、何だかいろいろ考えていて、ふっと可笑しくなるようなところもあります。大分御思案だな、無理もない、と。ホラ、ユリ、どうしたい? と。
 きょう税の申告をいたしましたが、これこそ不合理そのものよ。前年度はたった七百円ぐらいに五十三円ばかりの税でした。五倍だというなら二百六十何円の税というわけです。どこから其を払ってゆくかということについてはとりたてる方は問題にしないのね。
 こんなに苦心していれば、小説の点のようにどうにか展開いたします。小説はつまり現実のことですから、丁度小説の世界のシチュエーションを考えてゆくように、諸条件をよく調べて、内外の動的な作用をよく観察してプランを立てれば、きっと最小の展開はいたしましょう。感情的にならないで考えられるようになればもう占めたもので、そろそろ大丈夫よ。それは手紙の調子でお感じになれるでしょう? 何も経験ねえ。子供のひきつけで、はじめ動顛した母さんだって二度目には少しは呼吸がわかります。先は、いいえ大丈夫です、落付いています、そう云いながら洗面器の水で手拭をしぼろうとして洗面器のそとへ我知らず手をやっていたようなところを思いだします。やかましく云って下すって、金ダライのありかがわかって、というようでもあったわねえ。あれこれ考えると、やっぱり面白いものと思い、苦しいところの面白さも感じて来て、何かのスポーツのような興味もあります、今度は今度の条件でうまくやろう、と。
 私はちっともスポーツの鍛練はないけれど、こういう気分を考えてみると私もなかなかスポーツの精神は諒解して居りますね。相当の登山家ともなれる素質が些かあるようでもあります。チンダルの「アルプス紀行」はそのことを思いおこさせます。氷河のわれ目だの雪崩の観察だの、自分の肉体の力の測定だの、美しい人間の精神の敏活さを感じます。それが、自然を剋服してゆくものとして明瞭です。私も段々にこうして贅肉のそがれた精神の力を身につけて行くのでしょう。さらりとして、自在で、自在であり得るということそれ自体がどんなに中心が確立しているかということを語っているという風だったら見事ねえ。
『文芸』の仕事の間、あついときも上野で暮して、これも実にいい習慣です、その点、やはりのんびりした見とおしがあってね。自分の本棚にない本は無い本だという古典調はないから。楽天的よ。何かまとまった勉学は、自分の書棚だけで出来ないこと痛感していますから。
 私のたった一つのおねがいはね、あなたにのんびりしていて頂くことよ。ピンをとめるべきところへはもうピンがちゃんととめられてあるのですから、ユリはがたがたにならないのだから。きょうあたり、こうやって書いていて、いくらか愉しい心が揺いでいるということは、万更でもないでしょう? 沈丁花がいい匂りだからばかりでもないわ。すらりと、簡素で、しかもしんは瑞々(みずみず)しいという日々がつくられるようにしましょうねえ。極めて実際的によく組立てられて、妙なもやもやのない、やっぱり私たちらしい生活にしましょうねえ。形を変えることが必然であると分れば、それに工夫をこらすのが又一つの愉快さをやがて感じさせ、たのしみを与えてくれるというのは、人間の何という見つけもののところでしょう。いいモーターのように小型で便利で能率のいい生活にしましょうねえ。きっとあなたは一種の安心をなさるでしょうと思うわ。だってユリの育った伝統からの云々というものがもう顔を出す余地はどこにもないのですもの。では明日ね。

[自注3]花園の被害についての話――戦争拡大のため、宮本百合子、中野重治その他の作品発表が禁止された。

 三月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 三月二十三日  第十五信
 この前の手紙さしあげてからもう一週間も経ったのねえ。この頃の毎日の迅さは一種独特な味です。忙しさも亦独特。中公の本の様々の手入れ、手つだいの人が来ていて、(あの娘さん)もう二日ほどで完成です。(表の方は)どんな片わでも、生まれるものなら生んで置きましょう。この忙しさは、粗悪なトンネルがくずれないうちに通りぬけて置こうとするような味ですね。
 附箋つきのお手紙。住所が変ればこういうこともなくなるのだろう、そういう感懐をもってしげしげと眺めます。そして、あすこの門の前のこと考え、たとえばこんな手紙がポストの中に入れられている。門は奥が遠くて、人がとりに来ない。その間に、勝手に手を入れて、何が来ているか見たりするのは必定です、それを考えると、嘔きたくなる位いやです。生理的に苦しい気持がします。その中の一通がなくなったとして、無邪気にどうしたんだろうなどと誰が思えるでしょう。私が先にあすこをいやがった理由の一つにはこれもあったわけです。そして、今益□いやよ、この点は、ね。何たるいやな場所と思います。このいやさは我ままではないでしょう? 同感をもって下されるでしょう?
 このお手紙に、雨降りでやや寒い。とあります、きょうも雨降り。ややさむい、方ね。「ねぎらい」の描写を思い出していらっしゃるところ、一寸お話したように、大変うれしくやさしいと思うの。一緒によんだ同じ詩でも、印象の濃い行は、独自で本当に微妙なものだと思います。でも、こう書かれていると、あの雄蜂のつややかな躯やすこしつかれて柔かく重くなっている姿など、何とまざまざと浮ぶでしょう。芸術家が心や目に刻まれたものを丹念に再現してゆく力は、窮極には愛からしか湧かないものなのね。それが芸術の精髄的な本質なのね。「よくぞ生れ来たる」この詩は抒情歌の形でかかれてはいますが、実質には雄勁なものが一貫している作品ですね。反対に、テーマが雄勁であり得ているからこそ抒情詩としての流露も豊饒、豊麗であるということにもなっているのでしょう。私たちの生きている感情って実に面白い。今のような心でこの詩の一篇を記憶に甦らすと、その美しさや歓喜の高潮は余り美しくて、よろこびそのものが悲しみに通じるほどなのは面白いわねえ。深い深い美の感覚は常にそんな工合ですね。あら奇麗ねえ、という感歎の言葉がすぐ唇をついて出て来る美しさはその程度というところがあってね。
 芸術家のめぐり会う波瀾というものも、複雑極りないわけで、一人の芸術家と歴史の組合わせの苛烈さ。その芸術家がその状態を客観的によく知って感じて、素質を守って闘って生涯を終ることが出来れば、それは一つの凱旋でありましょう。どんな平和時に生れ合わせたにしろ、彼が書記ではなくて芸術家ならもう自身としての波瀾は予約ずみなのですものね。まして、いわんや。歴史の波そのもののうねりが表現具現されるような場合。
 こんどはわたしも非常によくプラン立ててね、勉強し仕事もためて行きます。この前は、余り最善でもない心理状態でしたがともかくキューキューやって頂いて、いくらか(しかし、正直に云えば相当)進歩しました。今は自分で勉強法も少しわかったところもあり、よくこまかく働いたという自覚もあり、そういうこまかい働きかたで生じている不十分な面をどう補ってゆくべきかということも略見とおせます。あなたが、本格の成長と云っていらっしゃること、ただわたしへの励しと伺うばかりでもありません。
「広場」いろいろ思います。あれはあのテーマの必然として、外にありようはないのです。しかし、もしひょっとして、あの小説の主人公としての何か空想的な心持で、ミス・リードを気取ったら、どうだったでしょうか。本当に面白いわね、幾巻もの詩集なんかどこにもないのよ。ああいう詩集を愛読してからの心で考えると、何か一寸した角の曲りかたで、こんな詩もないわけだと思うと、不思議ですね。作者のイマジネーションは自由だと云っても、あの背景の中へ重吉を案内して、公園の楡(にれ)の木の五月の葉かげで、朝子に震撼的感銘をもたらすだろうという細部までを保証することは出来ませんもの。それは全く出来ないわ。重吉という人物には他のひとが配合されなければならないでしょう。それが自然ね、すると、作者はやきもちをやかざるを得ないのね。やきもちというようなややユーモラスな云いかたを借りるのですが、そんなものではなく、ああ実に残念と唸る、そういう風でしょうねえ。あのテーマは現実にぬきさしなく展開されています、そして長篇的構成をもってつづいて居ります、ね。
 鵜呑みのハラハラは、すみません。あぶなっかしいものを見ている気持よくわかります。時々よろよろと千鳥足になったりして行く形を眺める心持思うと、笑えるところもあります。だってさ、相当がっちりかまえて心得顔に歩いて行っていると思うと、急に二三歩ひょろついてそれなり倒れもせず又とり直して行きつづけるの、うしろから見ていたら、あらと思うのはあたり前ですものね。まアどうせ車道を横切るときは、くっついて、守られている気持で歩くのだけれど、ピョコリと膝をがくつかせれば、あなたにしろ、どうしたいとおっしゃるわね、つい。御免なさい。ときどきハラハラさせて。
『女性の言葉』の終り。そうだと思います。一昨日でしたか一寸よって、大笑いしてしまった、昭和の大通人になるのですって。お花を活けて、ゴを打って。大石クラノスケをやる気なのよ、大笑いねえ。あのひと、野上彌生子の大石をかいた小説よんだかしら。個人の内面の弱さをむき出したという範囲で、あの時代の社会の波としてつかんではいませんが、それにしてもその人のなかに素質としてないものではない、うそとまことの綯(な)い合わせ式のところをその小説はかいているのです。そんなところもあるようで。
 困難な山阪をついらくしないで小さな車を押しあげようというとき、その輪は極めて丈夫な車軸をもっていなければならないと同時に、自在な角度に動く巧緻な設計を具えていなければなりません。けれども、車をああうごかし、こう動し安定を保とうとしているうちに車軸は変な磨滅をして、こんど真直車を押してゆくというときすらりと進まず、必要もないのに、あっちへくねりこっちへくねりもしなければならないこともあり。もののすりへることについて、どの面がどうすりへらされるかということについて、少くとも自分だけははっきりして科学的観測の能力をもっていなければならないのねえ。この頃は深くそのことを感じます。自分の物理学を知っていなければいけないと、ね。それぞれに違った条件の中でそれぞれちがったへりかたが生じ、そういうことが全然ないというようなことは現実にあり得ないのですもの。
 パウル・ヴォルフの写真帳が偶然目に入り、うれしくておめにかけます。私が余り砂っぽい風を顔に吹きつけられているせいか、ヴォルフの芸術のたっぷりさは実に快く、きっとあなたもいいお気持でしょうと思って。あのお送りかえしになった作品集の中に二枚ヴォルフのがありましたね、海浜の子供のと、花の蕊の美しいのと。ヴォルフがこの作品集の中のでも、機械と人間のくみ合わせを扱っているところで先の写真帳の中のアメリカの作品のように、単なメカニズムの興味で、反射映像を弄(もてあそ)んだりちっともしていないところ、やはり自然のよさがあります、ヴォルフ夫人も実によくとれているわ。変な不必要な肉体の露出なんかなくてね。しかも情愛がちゃんと肉体の理解にも及んで描写されていて。どうぞくりかえし折々タバコかユリのボンボンのように休みのため、瑞々しさのため、よろこびのため、御覧下さい。大枚八円也を奮発したのはそういうわけですから。
 あのヴォルフの先の海浜にて、どうしたかしら。何だか見当らないようですけれど。カメラがこんなに生々としていて美を吸い出して来るとは美事ねえ。こういう文学がほしいことね。美しくて、その美しさを感じる故に自分も美しいものをつくりたいと思う、そんな小説がよみたいことね。明日午後おめにかかります。

 三月二十五日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 三月二十四日  第十六信
 ほんとにわるかったことね。たしかにどこかが痺れたのね。何だか変だな、こんなに永くという風に思いながら、一生ケンメイこまかいことコチャコチャやっていて(表の)。本当に御免なさい。忘れたと、はっきりわかれば、勿論けさ早くかけつけただろうと思います、忘れたとはっきりするところまでも行かなかった次第です。いやな二日を暮させました。雨は降ったし、ねえ。三月二十日すぎから四月初めの荒っぽかった天気もお思い出しになったでしょうね。
 子供の名、きょうの案はなかなかわるくない感じです。字に情緒もあります、この字を紙にかいて眺めていると、男の子のいろいろの年代の心がうつって来るようです。悠ちゃんという男の子、少年悠造、大人の悠造さん、面白いわ。おじいさんの悠造殿。こうして見ると、男の子の名をきめるのはむずかしくて、そのむずかしさに生活が語られて居りますね。美津代と云ったって正代と云ったっていくらか性格のニュアンスのちがいが感じられるだけで桃色と水色ほどのちがいはないわ。女の一生の一般的なきまりきった内容があるのね。個性的でさえないようです。どうしたってそんな名妙だというような女の子が生れたら愉快ね。でも、一方から云えば、名できまるのではないのですが。
 けさ、周子さんという山崎の娘さんからハガキ来ました。今月は迚も一杯だから来月の日をきめましょう。
 さっき一寸出た家の話。私はなかなか名案のつもりでしたし、やはり名案だとは思います。しかし、仰云るようなひとなかなかないでしょう? 日本の一般では、そういう女のひとが一定の資力をもっているということは極くまれです。大抵親のところへまとまって暮します。さもない人は、条件の切迫しているのを、いくらかましにしたいという計画しかもたないでしょう。私は、いろいろおちついて考えて、この前と全体の条件のちがうことをよく計量して、感情的に処さない決心です。ですから、この前は売り払うものを払って、通りぬけたのですが、これからはそれはききませんから、この前の前の手紙に書いた最低の安定力学は重大です。いろいろ計算すると、家を半分ずつにして使うにしろ、まとめてお送りしている位はミニマムね。それに六倍したものもミニマムです。それだけが流れ入る河筋について研究をこらす必要があります。本の平均の印税として換算すると、(『明日へ』を例としてみると)一万部以上の必要があり、初版一千部が実施されれば十冊の本となります、再版可能のものとして三冊ね。それぞれトピックをとらえそれぞれに塩梅し、年三冊の可能はたやすく見出せないのが実際だろうと思います、「天の夕顔」の作者がプロンプタアです。そして、河上徹太郎、中島健蔵という人たちが、本で苦労をする必要のある世の中ということを考えて御覧下さい。三冊の可能の少さもわかります。私のプーパタパタで、今の(ある)用意の継続が保たれれば寧ろ上乗と思うべきだと考えます。そして、それだけは是非やりたいと思います。そして、自分の勉強をやりたいと思うの。この計画はなかなか大変でね、だからその面からは林町のことも考えるし、あなたのおっしゃるのもわかるし、いたします。でもそれには何と心の抵抗がきついでしょう! 何だかまったく折れにくい、そして折れているのが自然でもない若い竹を力ずくでねじ伏せるようなところがあってね。自分の心でも、ふっと気がついて見ると、イヤあ、とそりくりかえっているのよ。無理もないことですが。どんなにそれを云いなだめて、すかせるかというようなところですね。その上、前の手紙で云ったような位置に在るのですし、ね。唸ってしまうわ。せめて、もうすこしあたり前のところに在ればいいのに。ハイ出ました。ハイ入りましたよ。まあ。でもね、もう一つ大局から見ると、そんなことにも平気になっている方がいいのかもしれません。あなたにじぶくっているようで相すみませんが。
 とにかく眼目は、私が車軸が曲って減った小車にならないようにすること、まとまった勉強が出来るようにすること、そして小さな貯水池が乾上らないようにすること。です。家の半分は実現しにくいのね。きっとうまくゆかないでしょう、笑い草ですが、折角考えついたおじいさんおばあさんにしろ、その息子さんのこと思えば、何だかすこしつっかえるでしょう? 大体余り無理はしないことですね。全体無理だらけなんだから、そこへの無理は二倍になってかかるから。まアこんな風にああ考え、こう考え、秋のヴォルガの川船みたいに、うねくね航行して、林町の二階へ辿りつくのでしょう。私は変にカチカチにがんばって、顔が赤茶色に光るような女になりたくないのよ。そうなっていしまえば私たちの生涯の善意が全部裏でばかり現れたことになって、そんなくちおしいことは自分に許せません。あなただってそうお思いになるわねえ。眼の吊ったユリなんて、余りぞっとなさらないでしょう。
 それにしても、いつも精一杯に暮すということは何といいでしょう。沁々そう思います。精一杯に暮すために、ついいろいろのこともあるが、勉学のやりかたにしろ、やはり段々つかむところがあって。
 この前職業につけたひとも今はむずかしいでしょう。映画でもなかなか返事して来ない由。ねえ。
 四月一日から、バス、市電、ラッシュの時間に急行になります、お米も切符になります。一人一日私たちの職業で二合五勺です。子供は年で区切られていますが、なかなかたべるから(大人よりも)大変でしょう。ジャガイモ、甘藷、パンなかなかないので閉口。うちは一人二合五勺だとどうやらやって行けましょう、一度すっかりはかって見てたかなくては。お客をするということもなかなか出来ません。昔のようにみんな持ちよりしてくれなくては。何でも現金が主になって来ていて、勤人は誰も苦しいでしょう。炭の配給、そら金。米、そら金。八百屋、ソラですから。一般的に貧乏しているのだが、現金のないところの窮迫はさぞひどいでしょう。どこのうちも百円でやっていたところが倍ですね。あっちこっちきいてみると大体そうね。卯女のところもそうよ。行一郎のところもそうよ。大したものでしょう?
 私はあなたの冬のための襦袢だとか、衣類だとか、少し心がけてあったからその点全くほくほくです。それだけは心安らかというのはありがたいわ。これからのプーパタに加ったらそれこそですから。
 いろんな世帯じみた話。でもこの頃はいろんなインチキ会社が出来てね、とんだ会社員でくみ立てられた会社が、一流会社のようにひとをだましているらしいようです。空巣も大ばやりです、花見にかけてだから。そしてこれは実に面白い、質札買います、という広告が新聞に出ます。もとはなかった広告でしょう? そんな会社にしろ、世間の必然でだぶついて来ているものを吸収して、どしどし破産させてゆく力は旺盛です。そう云えば文芸春秋でよこした国債が大当りでもすればいいのにね。
 太郎、あのお手紙に返事かいたかしら。きょうはおなかをこわして臥ているそうです。あのお手紙に、熱のない風邪のことかかれていて、本当に、と思いました。さっきの肝臓病のこと、肝のあるおかげで肝をつぶすというようなこともあるけれど、こればかりはとれなくてね、盲腸のようには。今夜は大層早寝いたします、何だかくたびれがあるの、くたびれが出ていると分るときは、すこし正気に立ち戻ったわけなのでしょう。土曜日ほんとに御免なさい、考えれば考えるほど、すまなかったと思います。

 三月三十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 三月三十日  第十七信
 覚えていらっしゃるかどうか、目白の方から上り屋敷の駅へぬける通りに大野屋という米屋があって、そこはこの辺の大地主の一家のやっている米やで、大変いばった米やなの。そこが配給所になったらいやだナと思っていたら、きのうかえりに通ったら大きい白い紙に謹告として、発展的閉店の余儀なきに至りとありました。うちの配給米屋は目白の消防署の裏です。一週間ごとに配給して来るそうです。一日二人で五合の割で、滞在客は十五日以上、もらえる由。冠婚葬祭には特配なしのよし。三度外食のひとも働きによって食糧がちがって切符制です。甲乙丙とあります。その点どこも同じになりましたね。何号の御飯という点で。
 この大野や米やは大した金持故、きっと儲けがなくて人をつかうような方法をとるより一組合員となる方を選び、組合員と云っても、達ちゃんの自動車の組で、いろいろの事情が内にあるわけでしょう。でも、やはり一つの風景ではあります。
 お手紙の店の消長のこと、私にはよく判っているつもりよ。本当によくわかっているつもりです。私が頭でだけわかって胸はバタバタしているというのでなくわかっていることは、いろいろの調子で十分おわかりでしょうと思って居ります。ですから、心理的に前のときとは大ちがいです。先のときは同じ状態でつづいている人達の方へとかく目をひかれがちな心理もありましたが、今はもっと自主的よ。自分としてしてゆく勉強も仕事の蓄積もわかっていると感じられます。一つには、不安でより合っても、何一つ互に力がないということがはっきりわかっていることもあり、めいめい自分で方策をたててゆくしかないということもわかっている故でもありますが。その点でもそれだけ移って来ているわけです。いろいろな推移の中にめいめいのうけようというものが又あるのね。そのこともつよくわかります。その性格的なものの中におのずと救いも亦あるのね。悲観といううけかたをしていないこと、おわかりになるでしょう? 私が粘って考えているのは、この前手紙で云っていたでしょう? 一番自分が傷をうけるにいいおしりを見つけるという点です。いずれどこかが無理なのは知れている以上、重点を明らかにして、そのためにはおしりに少しのやけどはしかたもないと思うわけです。益□芸術家にとって貴重なものとなって来ている時間を一番重点的に充実させてゆくための方法を考えるわけです。

 四月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 四月二日  第十八信
 三十一日のお手紙けさ。どうもありがとう。いろいろと。
 ダラダラ・ラインというのは真に傑作で、ふき出しました。どんな用事もくいとめるのかもしれないとは、正に驚くべきものねえ。そんな堡塁があるとは知らなかったから、これからは大にそれによって、あらゆる用事をくいとめましょうか(!)でも、あなたも、こういう秀逸をおかきになるから大変大変うれしいわ。ユリのダラダラ・ラインも、あなたのユーモラスな表現を導き出すとは洒落(しゃれ)たものだと思います。
 本のこと、おっしゃるとおりの注意いたしましょう。
 それから家のこと。それも大体きょうでわかったわね。でも私にはまだ心持の抵抗があります。しかし、大局の見とおしから冷静に計量して、あなたのおっしゃる意味で気安くも考えて、きょう云っていたようにはこびましょう。あとへは佐藤さんたちが入るようにたのんで。おばあさんと赤坊とで今は二間でギューギュー故。そうすれば、私は時々来ることも出来るし、いろいろと棲みよいために手入れをしていたことも生きますから。但、まだ交渉はしないからどういうことになるかは分りませんが。
 ほんとに書生並に暮していい私の気持と、いろんな条件がめんどうくさくくっついている現実とのバランスがむずかしくて、やっぱり具体的な可能はそう幾とおりもないのですね。私のいないとき来て、お恭ちゃんにさえあんなことを云うのですもの、名刺があるだろう見せてくれないかという調子ですからね。常識で判断は出来ないわ。家のこと、きまったことにしましょうね。
 私としては、あなたがいろいろと雰囲気的な点を気におかけになって、いつかのように、お嬢さん的逆転というようなこと余り敏感に考えなければならないようではよくないと考えていました。その点にはっきりわかった上でなら気も休まります。でもいろいろの事情って面白いものね。現今の一般的な条件のよくなさが、却って或る意味ではあすこに住める、住んでもまあという条件となって来ているのは実に面白いと思います。だってどこだってお米はないのですもの。菓子はないのですもの。もみくしゃで歩くのですもの。
 私は上にわれらの家を形成します。そこの掃除その他は、すっかり自分でやることにします。このベッドをおき、この机をおき、下の台をおき、例の茶ダンスを置き。柱にはこのボンボン時計をかけましょう。そして、自分の時間割にしたがってやりましょう。こまごましたものに時間をとられない代り一年の大体半分はまとまったものにかけながら、自分の仕事をためてゆきましょう。小説をかきましょう。それから一つの系統だった文芸評論も。(これは、あの婦人作家たちの勉強や十四年間からの収穫ですが、明治以来の作品について創作の方法の推移を辿って見たら、大変興味があろうと思います。開化期の渾沌にある二筋の傾向、福沢なんかの流れと、「安愚楽鍋」(魯文式のと)からずっと。これは大した仕事だけれど、やっぱりなかなか面白そうです。そして、かけ出しに出来る仕事でもないでしょう? いろいろ面白いわきっと、一時期ずつに区切ってしらべて行ったら。外国文学の方法の風土化の面もよく見て行ったら、ね。これは極めて巨大なプランですからぽちりぽちりとやって見ましょう。日本には評論の史的研究は久松潜一氏のものなどなくはないし土方定一がいつか一寸したもの出していたりしましたが、作品についての、そういう具体的な、作家の矛盾にまでふれての方法の研究はまだありません。日本に最初の仕事なのだけれど、これまた系統が立ちすぎて、なかなかの苦労というわけでしょう。評論風の仕事でやってみたいのは今そのプランと、荒木田麗子とかいう徳川時代の婦人歴史家の仕事についてのノート。これは手近で、案外『文芸』あたりにのるのかもしれません。徳川時代の女が和歌俳句の領野にかたまっていたとき、この細君一人、永い歴史ものをいくつもかいています。この夫人の旦那さんはものわかりがよかったのよ。大いにはげまして、方法も教えて(或は)テーマもヒントしてやったらしいのですから、夫婦としてもなかなかほめるべきです。この女のひとと、婦人の狂歌師――諷刺詩人が一人いてね、それもどういうのか知りたいの。何をどう川柳としてうたったかということについて。大変珍しいのですもの、女のそういうジャンルの人は。
 小説は、筑摩の仕事まとめてからかかります。ほんとに骨格のしゃんとした、肉づけの厚くて動いている小説かきましょうねえ。
 太郎が四月一日、きのうから学校よ。三百二十何人か新入学だそうです。五組にわけて、太郎は第三の組。今年から国民学校で八年です。きのうは、あれからカンガルーのブックエンドをお祝にもって行ってやりました。
 おけさという開成山のばあさまが、太郎の入学祝いに田舎からわざわざ餅をついてかついで出て来ました。これはおじいさんのとき一郎爺(私は三郎爺としてかいている爺さん)というのがあって、その娘で、大した働きもので、今では富農です。気のからりとしたばあさんで、寿江子や太郎なんか私もろとも孫と思っているので、お祝に来たわけ。
 そのばあさまは、私があなたのことや島田のこと話し、やっぱりあなたがおばあちゃん子だったこと話すので、お目にかからないのにそんな噂も知っているのよ。雪雄っていう六つの孫が御秘蔵でね、なーして(どうして)、こんげな(こんな)鬼みてよなばあさまにとっつくだ、というと、雪雄は、そいでもいいんだア、めんごくねえことねえ(かわいくないことない)って云ったと云って、トロトロになって云って居りました。そして、東京へ来るって云ったら、おら、どうすんだ、道ばたさばっかりいんのかアと歎いた由。なかなかおばあちゃん、恋々たらざるを得ないわけね。どうして大した殺し文句です。そういう気質って何だか面白いわね。お母さんがいつかこんなことお話しなさいました。誰か何か用があって、ついて来ちゃいけないってあなたに云ったら、その家の外まで来て、青葉しげれるの歌をくりかえしうたっていらしたって。母さん忘れることがお出来にならないのよ。御存じないでしょう? 忘れてしまっていらっしゃるでしょう? 雪雄の表現で、私はすぐその話を思い浮べました。それはきっとあなたも五つか六つの頃のことよ。この話は私の大の気に入りです。そういう風情のふかいエピソードは私にはないらしいわ。オダマヤチャン、ケムシイネぐらいのことで。オダマヤチャンとは自分のことですって。
『文芸』で評論募集をやりました。選者中島、窪川、小林。そして佳作になった二つのものは、いかにも今日らしいもので二十二歳のとんだおそるべき児も居ります。うつって来て居りますね。カルシュームが全然不足した赤坊です。募集の真の意味がもうなくなって来ているということは皆の一致した感じのようです。よい泉がないということより、ふき出るものの質の意味でね。在るということと表現されるということとのいきさつが決して「『敗北』の文学」のような一致をもち得ないわけになっているから。
 あら、あら。きょうは又何たる豊年でしょう。考えて下すった通り一日午後のと二日朝のと二通到来。たしかにいい休日になりました。昨夜はたっぷりも眠ったし。余り風もないし。いい日らしいわ、きょうは。
 くすりのこと、本当にそれはきいて居ります。神経の緊張をとくためには全く目に見えず偉大に作用しているようです。相当むしゃくしゃしたところもあるのだけれど、この程度でいるのは、くすりのおかげだろうと思います。
 さて、一日の分。「牡丹のある家」と「樹々新緑」との間にある成長は、きわめて著しいものです。「くれない」以後、作者は数歩進みました。この頃のことは、単純に云えない進歩の段階です、というのはね、うまさが余りきわだって文章がひとりでに走って行っているような感銘で、批評に、職人的うまさについて注意が払われていることも全然はずれていないという心配があります。「素足の娘」のあたりからそういう一つの時期に入っていて、この作家が本当に文学のよい素質でそこをどう成長してゆくかということを考えさせ期待させます。今、やはりむずかしいところね。一応うまくなったというところにその時期の成長のモメントがかくされているのは、私自身のいろいろな仕事の、いろいろな段階についても同じです。たとえば、うまい、というのではないが、「新しい船出」について云っていて下さる点など、ね。
 刻みということ、(文学の)面白いことね。この頃の世情の荒っぽさは刻みのこまかいものをまどろこしいとするのよ。だからうまくなった作家は立体的に刻みこんでゆかず、つい横に流れ出すのよ。そして、テーマもそのように扱われがちになる危険があります。
 それから、私は大変深い興味で感じたことは、あなたは「広場」「おもかげ」を比較的完成したものとして内容も十分よみとって下さいました。そういう人もあったけれど(他に。そして美しい作品とした人も)なかには、あすこで語り切れなかったことを全然わからなくて、わからない、と云った批評家もありました。それも、外的条件にしばられた一つのことであるが、又、読む人が小説というものに対する気持も、お楽なのね。(マア、こんな風になって来たわ、ガタガタよ)
 二日のお手紙で、感じたことをためておくのは面倒だからと仰云ることよくわかっています、それはもうそろそろ分っていい頃ではないの、もうやがて十年めよ、私たちの生活は。来年で十年よ。
 作家としてリアリティーへの追究が生涯を通じたものだということは実にそうですね。私は重吉という人物は本当にそこに動く暖い人がいるように描き出したいと思います。今は少年の重吉から書きたいわ。そして、いつか手紙にかいた米の小説ね、その中で。私は一つの雄大なプランを考えているのよ。「海流」などでも一部そうだったのですが、ひろ子の家庭の社会的なありよう(形成)とその分化と、重吉の家庭とその分化と、もう一人店員である女の子の家庭とその分化とが、全く互にかかわりのなかった地域から源を発して、一つの大きい歴史のなかで結ばれて行くことについて、あの小説を書こうとしはじめたのですが、今はもうすこし深まり進んで、重吉の環境は、三代に亙る日本の米の物語の推移として書いて行こうと思うの。ひろ子の境遇は、都会における富の分布の反映として。だから、先のように無理に一つの本の中にはつめこまず、三冊ぐらいになって、一つの大きい交響楽が組立てられるわけなのですね。それだけの腰をすえて、ねっちり余念なくかからなければかききれず、「海流」のようにせき立った目前の輻輳になるのだわ。昨今の生活の事情を、そういう仕事の完成のためにあてることが出来たら、一つの大した収穫でなければなりません。「伸子」から後の発展、展開は複雑であって、余り歴史的で、片々たるものにはつくし切れないのね。しかし、あれから次の長いものをつなぐ踏石としては、「広場」、「おもかげ」、「乳房」、その他あって、筋は一筋貫いて居りますが。その点で私はたのしみがなくはないのよ。「おもかげ」にかかれている青年の死をめぐる一くさりも、もっともっと描きたいところです。いろいろいろいろ書きたいわ、ねえ。
 夜着の裏が切れましたって? 困ったわね。やはりカバーがないと駄目ですね、あの方はカバーなしでしょう? あれは丈夫な木綿でこしらえたのに。でも、夜具の裏が切れるなんて面白い、(面白くないとも云えるけれど、それだけ臥ていらっしゃると思えば、でも女はきらないから、そんな生活の力もっていないから)ね、手袋なしですむようになったら、あの大事なフカフカ手袋すぐかえして頂戴ね、大事、大事にしまっておきましょうよ。もうあんなのさかだちしたってないことよ。お恭ちゃんは、只今顔剃りに出かけています、おしゃれして、親類へ行くのよ。洋裁は七日迄春の休みです。十一月一杯で卒業よ。メン状くれる由。そしたら田舎でひとに教えられるとたのしみにして居ります。
 周子さんがもうそろそろ来るころです。
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