獄中への手紙
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著者名:宮本百合子 

 一月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 一月三日  第一信
 私たちの九年目の年がはじまります、おめでとう。割合寒さのゆるやかなお正月ね。あの羽織紐していらっしゃるのでしょう? 明日は、あの色によく調和する色のコートを着ておめにかかりに出かけます。
 三十一日は吉例どおり、家で寿江子と三人で夕飯をたべそれから壺井さんのところへお恭ちゃんもつれて出かけました。壺井さんのところでは大きい大きい茶ダンスをでんと茶の間にすえて、その下に御主人公、おかみさん、小豆島から出て来ている大きい方の妹さん、それから小さい妹さんの上の息子がかたまって、おもちを切っているところでした。それにマアちゃんと。
 喋っていて、十時すぎたら、玄関の格子がガラガラとあいて「はっちゃんだヨ」と、小さい妹さん、仁平治さん、赤ちゃんの一隊が、やって来ました。小豆島の姉さんに会うために。大した同勢でしょう?
 井汲卓一氏が理研の重役で、支満へ旅行して天然痘になったということで皆びっくりしてさわいで(手も足も出ず)種痘したりしたという年の暮です。熊ケ谷の農学校の英語の先生一家は二日に種痘をしようということで、私は余り人員超過になったから、引上げて稲ちゃんのところへゆきました。
 稲ちゃんは三十日の夜十時すぎ蓼科からかえって来た由。買物からかえったばかりとコート着て長火鉢のところにいます、眼をクシャクシャに細めているの、痛いと。何だろう、この夏の私のようなのかしらと思ったら、考えた末、白い雪の反射をうけすぎていると判断しました。ひろいところに雪が白(はく)皚々(がいがい)でしょう? それを白い障子のたった明るい室で見て、白い紙の字をよんだり書いたりする毎日だもの! ほんとにめくらになります、リンゴのすったのでひやすことを教えました。
 ここでもいろんな買物の陳列でね、何だかいろいろ面白いような妙のような感じです、正直のところ。お金があると買うものって大体自分の体のまわり、家の中のもの、とはじまるのが通例と見えるのね、鶴さんどこか通(ツー)な店の帽子のお初をちょいと頭にのせ、稲ちゃんに阿波屋の見事な草履買ってやって、時計買ってやって、なかなかいい正月というわけの顔つきでした。品物にでもしておくのがいいわ全く。
 今年は年越ソバがないので(出前をさせないのです、ソバ組合のキヤクで、大晦日にかぎり。ソバ粉の値上りを見越して、配給をひかえている由)支那ソバの年越しをいたしました。おばあちゃんは八十二歳です、二十九日三十日と箱根へ一家で一泊に行って、おばあちゃんは極楽だったそうです。タア坊にエリ巻の可愛いの、健ちゃんには文具。それが私のおくりもの。
 四時頃うちへかえり、お風呂に入り、それからねて、おひるにお祝いをいたしました。去年のお雑煮ばしの袋のような奇麗なのはなくて、白い紙に赤で縁どりが出来ていて、鶴まがいの字で寿[#「寿」はゴシック体]とかいてある、それに先ずあなたのお名をかき、自分をかき、寿江とかき、恭子とかいた次第です。
 三十一日まで私はパタパタだったから元旦、二日のうのうして、元日の夜は全家八時半就寝で私は又完全に十二時間眠りました。
 林町では一家揃って四十度近い熱を出して風邪正月です。寿江子は二十九日からうちでかぜでこしをぬかして今だに滞留です。
 元旦は窪川のター坊が来て、まア私は何をしたとお思いになって? 羽根つきよ。門の外で。何年ぶりでしょう! なかなか面白くてこれから一人運動につかうかと思います、上を見るでしょう、そして羽子をおっかけるでしょう、それがテニスのように激しくなくてなかなかいいの。タア坊、お恭、寿江と羽子ついていたら、近所の小さい女の子がのぞくので、あそびましょう、と一緒にハネをつき、その子も来てちょっとスゴロク(花咲爺よ!)して、やがて健造と女中さんが迎に来て夕方かえりました。珍しい正月でした。
 丸い私が陽気に羽子をつく姿はなかなか見ものらしうございます、相当なものよ。あなた凧上げお上手でしょうね、ふっとそんなこと思いました。この辺ではまだ凧上げていないわ、風がない日ですからかしら。
 三日だけは、うんとのびるつもりです、つまりきょう一日は。
 それから又例によって〆切りでしょう。これが一区切ついたら、ずっと仕事を整理して、長いものをこねはじめます。
 きょうは、うちへ三人の姉弟妹のお客です。二十二、十九、十六という。けさはおKちゃんの兄が豊橋へ幹部候補生の学校で来ているのが、休暇で福島へかえったのが、かえりにより。この家の人たちは、実にうちへ来るのよ、やっぱりあの子がああいう生理だったから心配しているのでしょうね、何だか大変明るくよくなっているのでうれしいと云っていたから、まアようございます。考えると可笑しいわ、つまりうちでは少々もてあまし気味だったのね。でもこちらではいないよりよくて、本人がましになってゆれ(ママ)ば、結局は互の仕合わせというわけでしょう。しかし、そういう信頼のエゴイスティックなところ可笑しいわね、だって、うちへよこしておけば大丈夫というのはこっちの責任だけ勘定して、自分がそういう娘をよこすということについての責任は勘定に入れていないのだもの。そういう信頼は面白い。世の中は大部分そういう信頼を平気で適用させているのね。信頼を自分の責任として感じることが少いのね。夫婦でもそうね。
 本年は年賀郵便なし、です全国。どんなに郵便局員は助ったでしょう、あれは殺人的なものでしたから。大変いいことだわ。年賀郵便の形式的忙殺はなくていいから、キントンはほしいわね。食べるものはないが、天気はいい正月と皆笑って居ります。
 おもちの工合そちらはいかがでしょう、変に今年のもちはもたれるという評判ですが。
 島田へ御年始かきました。今年はお母さんおたのしみね、初孫の御入来ですから。名前いかがです? すこしはお考えになった? お正月のひまつぶしにお考え下さい。本の名づけ親から、小さい人の名づけ親に御昇格です。女の子私は桃子というのはすきよ。可愛いでしょう? 宮本桃子ハハア姓と余りよく合わないことね。字面の美感が不足ね。上が重くて。そうしてみると、平たくない字がいいのね。宮本何でしょう、四五月前後ならば初夏に近い気候。友子なんて画が少いから合うのね、私は上の百が長めで、やっぱり合うのね。さっぱりとして生々した名がいいことね、案外初子なんてよくないのでしょうか、宮本初子、わるくないでしょう、正子はどうでしょう、豊田正子がいるからだめ? 宮本正子これは初子よりいいかしら。男の子だったらやっぱり治をつける? 父さんとくっつきますか? 何一というのはどうかしら、この間うち生れた男の子たち佐藤さんのは稲ちゃんが行一郎とつけたの、小説っぽいでしょう、もう一人は伸一郎(これはあのメチニコフくれた夫妻)何太郎もわるくないかもしれないことね。でも何だか男の子の名は変に見当がつかない。重吉でもないでしょうしね。吉はお父さんのお名前にもあったから、何吉郎がいいかもしれませんね。それがいいかもしれないわ、孫だから。女の子なんか余りその名からキリョウを考えるようなのはどっちみちよくないから。男の子もサラリとしたのが結構ね。間へ治を入れて郎をつけるという法も在るわけですが。宮本何吉郎と何治郎というのと比べると、宮本何治郎の方が温和ね。何吉郎には圭角があって。又いまにいくつもの名を見つけ出さなければなりませんからそのついでにいろいろ考えましょう。
 小説の名を見つけるとき、いろいろ名簿みたりして何百という名の中で、ピッタリと感じをとらえるのは実にすくないものです。バルザックだったか誰だか人の名を見つけるのに街を歩きまわったということもよくわかるわね。
 大晦日までに部屋の道具おきかえてなんて云って居りましたろう? ところが三十一日だって午後まで仕事していてそれどころでなくやっぱりあのスケッチどおりの室の様子で万両の枝をいけて、おそなえの日にやけた小僧のような色したのをかざっただけです。ボチボチかえるということになりました。
 そちらのよせ植えどんなかしら。今年も梅、南天、松、福寿草かしら。昨夕散歩に目白の通へ出たら、ボケの真紅の奇麗な鉢がありました。
 きょうは午後からその三人のひとたちとトランプでもして、休みのおしまいを遊びましょう。トランプもうちではお正月に出るだけね。
 昔札幌のバチェラー(アイヌ研究家イギリス人)のうちにいたとき、夜お婆さんがトランプの御対手をたのむのには閉口した覚えがあります。私は大体ああいう遊びごと大して好きでありません、何だかあきるわ。
 多賀ちゃん今年は一年ぶりで国のお正月で、きっとこっちでこしらえた着物着ておしゃれしているでしょうね。それを小母さんがうれしそうに見ていらっしゃるでしょうね。マアあちらもおだやかな新年でしょう。では明日ね。

 一月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 一月八日  第二信
 やっぱり雪になりました、雪明りの部屋で書きます。ゆうべ夜なかに何だかひどい音がして目がさめ、寿江子が一緒に寝ているので「何だい!」と起きて、上っぱり着てしばらく様子をきき耳たてました。
 稲ちゃん、その息子、娘、午後からずっと遊んでいて、林町が今泥棒にねらわれている話したりしていたので、何者か二階の屋根を辷ったと思ったのよ、その様子でもないからハハア雪がなだれたのだと思って、ぐっすり眠って、けさ下へおりて庭を見たら、妙な木片が散っているの。変でしょう? そこでまだ寿江子のねている部屋の雨戸あけて見たら、南側に葭簀(よしず)の日よけがさしかけてある、その横の棒がくさっていたのが夜来の雪で折れて宙のりとなってしまっていたのでした。早速大工をたのまなければ。この日除けは冬も余り直射する日光よけに大切なの。南に向って平たく浅い六畳ですし、縁側がないからその日よけと、すだれと、レースカーテンとで光りを調節しているわけですから。
 東京って、一月十日ごろよく雪ね。父の亡くなった年も一月十二日ごろ大雪になったわ。私は雪が大好きです。平気でいられないわ、サア降り出したとなると。雪のゆたかさは面白いことねえ。
 さて、二十八日のお手紙を一昨日、六日のを七日頂きました。二十八日のお手紙は年の末にふさわしく「よくも飽かずと思っているくらいなら」という希望が語られていて、私も、リフレインは余りおさせしまいと思います。でも、決しておさせ申しませんなんかとは云わないでおくのよ。何故なら、余りきれいな挨拶をしすぎては、家庭的でありませんから。ホラ又と云われるのも、云うのもわるくないところもあると思うの、勿論意義を軽く見てのわけではなくよ。更に、そのようにやろうと思わないしというのとは全く反対ですが。私は今年は勉強するのですから。仕事の質を深めてゆくのは勉強以外にナシ。このこといよいよ明白ナリと思っているのだから。ほんとの勉強のない作家はテムペラメントでだけ平たく横に動きがちです。明るさ、について実に深い教訓を与えられましたから。自然の気質の明るさなんか歴史の複雑な襞(ひだ)の前には、わるく行けばその日ぐらしの鼻唄となり、よく行って、せいぜい、落胆しない程度にそのものを保つだけで、決して真の人類史の明るさと一致した明るさは保てないことが実にまざまざとしたから。
 面白いでしょう、歴史の大転換の時代に、多くの人々が却って小市民風に何となし自分一人一人の安寧、マアかつえない日々をよしとする気分におかれているようになるということは、政治の貧困の半面の時代的な心理ですね。大きい言葉が空中にとび散っているけれど、何となし人々の目は小さく身のまわりに配られています、様々な意味で。
 この正月はそういう気持が一般に著しくて妙な空虚でした。一応おめでたいみたいなのよどこもかしこも。だがお正月と共に万事お休みの感で、次に何が出て来るのか何だかこわいみたいなそんな変な新年の雰囲気でした。
『現代』で売切れのトップを御発見になったということ、あなたに珍しかったばかりか私にも大変珍しいことです。「現代の心をこめて」は、つけないでよかったのよ。羽仁五郎の「ミケルアンジェロ」のどこかにある言葉にごく似ているのがわかったから。現代の心のかぎりをこめて、というのですが、ミケルの方のは。三つの単語を並べた題というのはどうでしょう、ポツンとしていて、そして二昔前に割合はやった題のつけかたで与謝野晶子からいてうに「雲・草・人」というのなどあり。全く実質はちがうけれど。竹村のをまとめたらほんとに目次かきましょうね。でもまだ枚数不足と思うのですけれど。それに私とすると、評論集ばっかりつづくのはいくらか不本意なのよ。せめて『第四日曜』でも出てからね。その時分になれば枚数も揃うでしょうし。
 佐藤さんのおばあさんが、あなたのやさしい心と大変よろこんで居りますって。いつもお手紙下さるときにはよろしくとかいてあるから、と。若い夫妻は折々御飯を一緒にたべるのに、おばあさんはなかなかお招きしないから五日にはおばあさんと夫妻と赤坊とを夕飯によび、柔かいお魚の鍋をして皆で団欒(だんらん)いたしました。そのとき偶然戸台さんが来合わせて、一緒にたべました。ひどい風邪をやって、大分参ったらしい様子でした。北海道のおっかさん、二月が近づくと東京が恋しくなって来る心、ねえ。そして、弟息子のボロ洗濯を山ほどしてやって二階借りの暮しをして。余りこの正月は人が沢山で私は人当りして居りますから、暫く独りぐらししてその上ゆっくりよんであげるつもりです。
 今年の第一信へ。そう? ユリも正月らしく見えました? 私の第一公式で出かけていたのよ、大おしゃれなのよ。
 羽根つきは、昨夜も座敷の中でやりました。坐り羽根つきという新しい名をつけて。ややピンポンに似てしまいますが、それでも面白いわ。子供がいると。健造ぐらいの子供はナカナカ好敵手です。(この三月にもう六年ヨ、医者になる由です)
 それでもお菓子がおありになったの凄いわねえ、こちらは餡の菓子は買えず、よ。ひとが持って来てくれた菓子の正月でした。
 作家として、抒情詩は抒情詩としてのリアリティを目ざすところに逞しい面貌があるのだから、というところ、ここは全く真実であって何と面白いでしょう! そうよ。全くそうよ。「朝の風」は私にそのことを教えているのよ。それは創作においての方法にふれて、私にはこういうこととしても云われるのよ、――主観的に作者をつよくとらえている一定の気持の中に入ってしまっているために、それに甘えているために、つきはなして、リアリティをきずきあげる力を発揮し得ていない、と。いつかのお手紙に、抒情性が芸術の迫力を弱めるなら本来の主旨に反するとおっしゃって笑ったことがあったでしょう、それよ、ね。ここいらのところは、実に微妙で、作家は一生のうちに何度かそういうようなモメントを経験するのでしょうね。自分の境遇への感情なんて、何とはっきり作品へそのよさもわるさもあらわすでしょう、だから小説は大したものよ。どんないい筈の境遇でもそこで人はわるくもなるのです。そして、そのことを、いつも明確に知ってはいないことがある。だから今年は勉強したいというの、お分りでしょう? 去年は相当の量の仕事いたしましたから、いろいろ学ぶところも少くなかったというわけです。しかし、それとは別に又今年は勉強と思うわけは、ね、どの雑誌も頁数を切りちぢめ、たとえば、二十枚とつづけてたのむところが減ります。これ迄の(明日への精神)に集めてあるのは二十枚ぐらいのが多いのよ、ですから相当に腰が入りテーマも本気です。でも今年はそうでないと見とおして居ります。ですからすこし長い腰の入ったものはやはり自分の勉強のつもりでかいて、その上でなら又発表の場面も出来るということになるのでしょう。パンにつられた犬の小走りと書いていらっしゃること、ああいう小間切れ仕事だけになっては大変ですから。それも書く上で、ね。
 お正月にかかなかったものというのは、『文芸』の評論で、この頃小説の明るさというものが求められている、それが教化的に求められていると同時に生活的にも求められていて、その明るさが他愛なさに通じたり好々爺的なものに通じたりしている、それでない小説の明るさ芸術の明るさとはどういうものか、ということを書くわけだったのですが、作品に即してかこうと思っていて間に合わなかったのよ。決してサボには非ず。来月かきましょう。小説の明るさ、明るい小説なんて言葉が文学の領域に入っていることさえ変なのだから、そこから先ず語り出さねばならないわけでしょう、だからつまりは今日の生活と文学の論となり、そこまで踏み込まなければつまらない。
『文芸』で評論を募集したらパスカルの何とかデカルトの何とかですって。選者に小林秀雄がいるというばかりでなく、そのことに若い世代の文学的資質の傾向、及び、トピックを見つける分野の狭くかぎられている客観的な事情等あらわれていて、私は大笑いしました、じゃパスカルだの何だのと、選者はおそらく先ずそんな本をよまなければならないのだろう、と。助ったわ、私が選者でなくて。
『現代』はそうして見ると、『現代文学論』の素材的でもあるわけですね。それは知らなかったわ。古いのでも送って頂いて見ましょう。作家がいつしか段々臆面のないものに化しますね、知慧というものは常に或る美しい含羞をもつものです。その新しさ、新しさをうけいれてゆく弾力、自分の未発展なものへの期待、その故に羞(はじ)らいをもっている。(おどろきの変った形として)そのような精神の浄(きよ)らかな命は、いつの間にやら失われて、通俗作家以下のものになっているのね。今は云わば愧(はずか)しいなんていうのは自分の心があからむだけのことみたいなところがあるから、ひどいことになってゆくのでしょう。自分に向ってしらばっくれてしまえば、万事OKであるわけです。
 お年玉のこと、呉々もありがとう、たのしみにしておいで。そういう響のなかに何とたのしさがこもっていることでしょう。たのしみにしておいで。たのしみにしているわ。
 この頃私はいい絵が部屋に欲しくてたまりません。今あるのは、松山さんの近来の傑作と柳瀬さんのホラあの水屋のスケッチ。どうもこちらのボリュームをうけてくれるに足りず。写真でいいからいいのが欲しくてたまりません。そして、もしかしたら林町の古いビクターをかりて来るかもしれません。絵は欲しいことね、私は仕事の間にタバコすわず、お菓子つままず、余り方正でさりとてトランプのひとり並べはいやですし、やっぱり絵なんか見たいわ。丸善のけちな画集すこし買おうかしら、それもいいわ、ねえ、あなたのお年玉の一つとして。雪解けの音はすきです、荷風はうまくかいています、「雪解」という小説で。

 一月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 一月十一日  第三信
 今この二階へ斜かいに午後の陽が一杯さし込んでいて、家じゅう実にしずかでいい心持。
 お恭は、一時二十分の準急で立つのですが、十二時に家を出てそれでもういくらかおそめです。この頃の汽車は、出発前十分に駅にゆくなどという昔のハイカラーなのりかたは夢で、上野なんか西郷の銅像のあたりまでとぐろをまきました、それは暮だけれど、今日はどうでしたろうか。小さいトランクにふろしき包み一つ。コート着て、赤い中歯の下駄はいて。顔を剃ってかえりました。
 きのう迄寿江子がいて、二階狭いから私はベッド下へ布団しいて臥(ね)て、何だか落付かなかったので、昨夜はいい心持でいい心持で、久しぶりにベッドの中で休まりました。寿江子神経質ね、毛布なんかに虫よけが入れてある、その匂いでゼンソクおこすのよ、ですから戸棚にしまってある布団にはねかされないの。ひどいものでしょう。それにカゼ引いていたし優待してやったの。
 見事なお年玉いただいたしこれで私のお正月になりました。
 お年玉といえばね、きのう本当に珍しいボンボンをたべました。あんなボンボンこの頃どうしてあったのかしら。ボンボンであるからチョコレート製にはちがいないのだけれど、口がひとりでにそこへ誘いよせられるような工合で、口の中へやさしくうけとったら、かんでなんかしまえなくてね、ボンボンが溶けてゆくのかこっちがとけてゆくのか分らないような濃(こま)やかな味なの。素晴らしいでしょう? ボンボンとはよくつけた名と思います。お美味(いし)い、お美味いというそのままの名なのだもの。フランス人はしゃれて居りますね。キャンディなんて、それは歯でかむものの名です。かみそうな名じゃないの。ボンボン、響も丸やかで弾力があって、本当にボンボンの感覚です。
 こんなボンボン好きみたいなことを書くと、あなたは心配なさるかしら、さてはユリは糖分過剰にならないかナと。大丈夫よ。このごろ、きのうのようなボンボンは決して決してざらにはないのです。
 こうやって、お年玉のお礼だの美味なボンボン物語をしていたら、十一日づけのお手紙着。(十二日)
 そして、何だか折角頂いたお年玉をみんなとりあげられそうで、びっくりいたしました。
 二月号に書くもののばしたというのは一つだけなのよ。『文芸』で、「小説の明るさ」についてこの頃いろいろ云われている、その正しい概念について書いてくれということで、このことはこの頃考えている精神の明るさの問題と等しい根拠で語られなければならないから、大切なことと思い、ただ、展開してゆくのに具体的でなければならないから、骨子だけで語ることは出来ないから、いろんな作品――所謂(いわゆる)明るいという――宇野のもの、武者のもの、徳直のもの等――その作品の分析をして、語らねばならず、小説のこと考えていたら、こまこまそんなものよむのいやで六日に間に合わず、のばしたのよ。一月号のためのものは一つもあまさず書き終って居ります。長いものの手入れだって、二十日の自分の〆切りが二日のびたのだけれど二十二日には全部わたしているのだし、小説だって書いたし(『文芸』)その他こまこましたものだって書いたし。
 あんなにいいお年玉頂き、それを忽ちとり上げられたりしては一大事だから、ユリこのところ必死の防衛よ。くりかえし申ますが、正月号のは、小さい女の子の雑誌から『婦人朝日』対談会出席まで一つも違約なくやって居ります。のばしたのは二月号のものの中でも『文芸』のそれ一つよ。あとは書いて居ります。そして、そういうことはお年玉をとりあげられたり、お嬢さん的云々というほどのことではないように思えるのよ。
 度のすぎた労(いたわ)りや祝辞は云々は全く恐縮で、これから本当にお止め? しかし、もし相当ちゃんとしているのだとしたら、お止めの理由もないわけね。人間が成長してゆくためには、暖い光も時にはいるものよ。まして、その一本の草がどのようにのびようとしているかということについて、真実の同感や思いやりや期待をもっていてくれるものが、ほかに大していもしないという場合には、ね。そして、同じ源からの激励に対しては、全くそれを評価して、最大に活かそうと試みられているときには、ね。
 食って、しゃべって、遊んで、のびが戻らず、間に合わないではというところよんで何だか笑えました。のびが戻らず――まるでそれではこの頃のゴムのようね。
 いろいろぐるりの空気、文学上の空気が何しろこうですから、あなたが、小乗的愛を警戒なさるお気持は大変よくわかるわ。私がよく書くように、人間の生活の条件は実に微妙で、私たちの生活の条件から保たれている健全さというものが、どの位貴重なものか、それが生活や芸術の成長にどんなものとなっているか。それが有ると無いということで、何だかごく近い友達たちとの生活感情との間にさえ近頃は何か変化を生じて来ているようでさえあるという事実を、私は決して軽く見てはいないと思います。この後二三年も経ったら、どういうひらきを生じるのだろうと思うことさえあるわ。
 主観的肯定に陥る危険について自分で深く考える理由の一つとしては、逆にそういうことから、狭い自己肯定になってはならない――文学上のこととしてはリアリティーが弱まってはいけない、と思いもするわけです。
 私には云ってみれば、慈悲の鬼がついているのだから、なかなかのびが戻らぬという有様でもいられないわけです。ここにあげられている四つの条項は、これは常に変らない自省の土台となるべき点であることはよくわかります。温泉や旅行は云々と老後が結びつけられていること、何か頬笑まれました。だって、私は老後というものをそういう条件であらわれ得る歴史の性質でないとばかり思っていたから。何だか珍しい珍しい気がして面白かったの。自分たちを、じいさんばあさん(鴎外の小説の主人公たち)のようにして考えると。でも、やっぱり本気にされないわ、おはなしのようです。
 叢文閣の本火曜迄の約束。たしかに果せます、着手して居りますから。
 十一日づけのお手紙、お年玉とりあげについてはこわかったけれども、然し勿論ありがたい心でよんで居ります。
 心持って面白いことね。もし私が正月号のための仕事やその他本当にすっかりなげていたら、こんな手紙頂いて、どんなに悲しく思ったでしょう。
 又心持って面白いものねえ。この間、あなたが、ユリにもし旅行の計画でもあったら、いったらいいね、と仰云ったとき、家へかってみんなにそのこと話したぐらい、くつろいだのびやかな楽な気分がしました。行ってもいいよと云われ、しかしあながち、では、と出かけないでも、そこに何とも云えないゆとりのある心持が生じる、行っていいこと? ああ。そう云われたのとは全くそれは別種のこちらの気持に与えられるゆたかさね。こういう心理的なふくらみというものを考えます。そして、互にそういうふくよかさを与え得る者はきまっているということも。
 でも生活は何と面白いでしょう。たとえば手紙一つの読みかたも次第に立体的になって、心の全体の動きとしてよめるようになって来て。ねえ。
 わかってゆくということは極めて生的動的ね。わかる部分ずつわかってゆくのね。すべての価値がわかってゆくそのわかりかたの面白さ。そうやって、少しずつ少しずつわかって行く部分がそのひとの身についたものとなってゆくことの面白さ。
 頂いたお年玉はもう頂いておかえしはいたしません。きっと、とりかえさずとよかったことがおわかりになったと思いますから。

 一月二十日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 一月十九日  第五信
 きょうは風のない暖かな日曜日でした。十六日、十七日のお手紙、二つ一度に着、ありがとう。
 ボンボン、私がよろこぶのもあたり前とお思いになったでしょう? 昔子供のとき、風邪で咳が出るとコルフィンボンボンというのをのまされました、それは咳とめよ。ハッカが入っていたようです。
 計算書のこと承知いたしました。これとは別にかきます。あの本は本当に面白く、みんな通って来たところどころの変化の姿の真実が語られているのだから、まざまざとしてウィーンの破壊された建物の話でもね。そのアパートメントを私は見物に行って、そこの住居人の子供が名所エハガキを売るようにそこのエハガキを売りつけるのを見て、一種の感想をもちました。そして、やはりその感じの当っていたこと、そんなにして小遣稼ぎをする子供らの生活が語っている実相がその真の向上の方向には向けられていなかったことがまざまざと分り、実に面白うございました。
 一九二九年の五月はワルシャワでね、その朝の光景なんかいつか書きましたねえ。みんな目に見えるようで、従って、実に会得するところ大(ママ)かったわけです。
 それにつれて、あなたが(武麟評して大伽藍(がらん)のような構成だと云った)文芸講演会のトピックの意味も、くりかえし思い出されました。何日かをぶっとおしに当てるという方法が一番有益ね。この間のは菊版で四百何十頁か。二日殆ど食べる間だけ休んでよみました。本をもっては国府津でよめたりしたらいいのにね。益□そんなことは実現おぼつかないことになります、切符の関係で。
 甘やかすと為にならないのは天下の通則ながら、私は、しかし甘やかされすぎたということが、いつかあったのかしら。
 動坂で、松林の模様のある襖のところで、やっぱりそういう意味のこと仰云ったことがあったわね。常に、甘やかすまいという戒心をもっていらっしゃるのね。それは本来的な意味でよくわかります。私も其は賛成だと思います。
 多くの生活は、甘やかされているという言葉が、どこかに予想させる甘美さ、ゆるやかさ、和やかさ、そんなものは影もないプロザイックな明暮のまま、しかもゆるんで低下して、引き下った調子で、結果としては互に甘えて暮してしまうのね。
 私の生活の味は何とこみ入っているでしょう。大変高級なのね。砂糖は殺してつかわれているというわけなのでしょう。しかし舌の上にしっとりとくぐんで味ってみれば、なくてはならない甘味はおのずから含まれているという凝った模様なわけでしょう。そうしてみればあなたは大した板前でいらっしゃる次第です。
「英国史」を書いたモロアの『フランス敗れたり』という本があって大層よまれています。これはフランスの敗北を政治家たち上層の腐敗として語っているらしいのです。いつかよんでみたいと思って居ります。この間よんだ本の印象を活溌に対比させてみたらきっと随分面白いでしょう。真の敗因を著者はどこに見ているかということが、ね。
 こういうものの書評がじっくり出来たらいいのだが、と思います。
 金星堂の本、送って来たのをすぐそちらへ一冊、島田へ一冊お送りいたしました。あの表紙は何か生活の音があるようで好きです。なかどんなのかしら、そう思うような表紙でしょう?
 隆ちゃんへの袋も、この頃はなかなかむずかしいのよ、物がなくて。甘味類のカンづめがすっかり減って居ります。カン不足ね、大体。富雄さん中支派遣で、ハガキをよこしました。本部づきになっているとかの話でした。ハガキとは別に。本部づきでは、あのひとの性格の、どういう面が果して発達するでしょう。達ちゃんのように技術があるわけでもなし。本部づきなら決して不自由しない。そのことは、一般からみれば特権です、それが、どうあのひとに作用するでしょうか。いずれこの人にも袋送ってやりましょう。この頃はちょいと入れると十円よ、一袋。
 休養の話、それに対する心組の話。よくわかります。私の表現がはっきりしなかったのでしょうけれど、ここに云われているように感じているのよ根本には、ね。冬は暖いところへ、夏は夏を知らないところへ、なんかと考えるわけもなし。ほんとにリュックにお米をいれて、二三日も国府津へ行って来るぐらいのことしゃんしゃんやればいいのに、それをやらず、どっかへ行ってみたいナなんかとばかり云うから、あなたはユリが、少し働いては休養休養という珍妙エリート女史かと訝しそうになさるのね。そうでしょう?
 あら、やっとお恭がかえって来ました。十一日に出かけ、十八日にかえる筈だったところ、十八日にツゴウニテカエリ一九ヒトナル電報が来て、やれやれと思って居りました。まアこれで私の日常も再び順調になります。仙台のおみやげという堆朱(ついしゅ)のインクスタンドだの、お母さんのおみやげのころがき玉子。
 茶の間の隅に山田のおばあさんのくれた四角い台を出していて、その上には諸国土産が一揃いのって居ります、箱根細工の箱のハガキ入れ(稲子さんみやげ)鵠沼の竹の鎌倉彫りのペン皿(小原さんという、お恭ちゃんをよこしてくれた娘さんのみやげ)女の子が彫った小箱(それにはそちらへ送る本にはるペイパアが入っている)朝鮮の飾りもの(栄さん稲ちゃん)そこへこの堆朱も参加して、茶の間のものらしい文具一組です。
 二階のは全く別でね、これは例のガラスのペン皿その他変ることなき品々です。
 きょうは桜草の鉢が机にのって居ります。
『アトリエ』という絵の雑誌御存知でしょう? あの雑誌がグロッスその他の特輯をやるのですって。そして私にケーテ・コルヴィッツのことについてかいてくれと云って来て、私は大変うれしく思って居ります。すこし勉強してかきます、十五枚ぐらい。魯迅なんかがコルヴィッツについてどうかいているかも興味があります。昨夜、ベルリンで買って来た画集出してみて、新しく真摯な仕事ぶりに感服しました。人生的なモティーヴをもっていて。ケーテのようなその級の婦人作家はいなかったのでしょうか、知らないわね。婦人画家というものについてやはり沁々面白く思います、「女らしくない」力量をもった画家として、ロザ・ボンヌールの動物画があげられるけれど、それは女がそれ迄近づかなかった馬市などに出かけて描いたというだけのことです。ケーテなんか女でなければつかまない子供や女の生活のモメントをとらえて、それを深くつよいモティーヴで貫いて、技量も大きいし。日本には二種しか画集がないのですって。その一種は私のもっているの。もう一つの方もかりて見たいと思います。
 女の絵としてローランサンなんかが示しているもの、それとの対比そのほか、日本の婦人画家は目下展覧会へかいたりする人でこの位生活的なひとはいません。そのこともいろいろ考えます。新井光子なんか、今 New York でどんな勉強をどんな気持でしているだろうかと思ったりして。伝記を学びたいと思います、ケーテの。
 竹村の本は、こんなものだの、ヴァージニア・ウルフの「婦人と文学」についての感想をすこし長くこまかくまとめたものだのがかけたら、そのほかのものと一緒にして、本に出来るでしょう。ケーテのことはこれだけ書いてみたい心を動かされる。日本にそんな婦人画家が出たら私はどんなにうれしいでしょう、ねえ。たとえばレムブラントの生涯はベルハーレンが詩人らしさで描いています、しかし私が新しく書いたっていいわ。そういうものがあるわけです、レムブラントの芸術的生涯には。却ってミレーなんかよりあるのです。日本の洋画家の誰がそうでしょう? それもこの間考えました。男だって、ないわ。
 ケーテについて正しく書ければ、やはりうれしいと思います。専門家でなくたってね。通俗講座でなければ、ね。でも、通俗講座とはよく穿たれた表現です。
 この頃玉子切符で買うのです。砂糖の切符をみせるのですって。そして、その人の割で売ってよこすのです。米も一日に一回二升までで毎日二升いるうちでは日々買いに行っているところがあります。うちは組合で、そうしなくてもいいのですが。東京は二合とすこしになるのでしょう一人一日。御飯のお客なんかは出来なくなります。
 いまに島田へゆくのにも、自分の分の切符持ってゆかなくてはならないことになるかもしれませんね。
 ああ、有光社という本屋を御存知? そこで短篇集を出したいのですって。いろんな人のを出すのですが。インディアン・ペイパアは字引にしかつかわないのかと思ったら、その本やはそれを使ってポケット型にして一円の本にして五千刷るのですって。四月末に原稿が揃えばよいとのことですが。三百頁余で。どんな風に揃えられるかまだ見当がつきません。前の二つに相当入れてありますから。有光堂はお茶の本、仏教の本など出していて、自分のところでは二万は確実に読者をもっている、というようなことを云って居りました。一ヵ月に四五冊ずつ出してゆくのですって。何だか荒っぽい話ねえ。若し特別な支障がないと今年は今わかっている分で五冊まとまる筈になっているのですが。高山のはぬきに。もうこれはじきでしょう。とらぬ狸の皮算用ということはことに昨今全く論外ですから、一つ出れば、はァ出たかというようなものね。
 それからもう一つきょうきいた話。
 上り屋敷の電車でずっと行ったところにいい原っぱがあって私が遊びに行ったところ、覚えていらっしゃるでしょう? あすこは風致地区なのです。体に空気が大変よかったの。ですから、折々私の空想の十坪住宅があのあたりに建てられていたのですが、きょうの話では、すぐその奥に宏大な地所が買われて、プロペラーの音でもするわけになって来ました。地べたに近くプロペラーが来ると、空気が猛烈に震動して苦しいのよ、地上にいて。
 この間行ったら、武蔵野電車会社が分譲していろんなマッチのような家が出来て居りましたが、そこの人たちは空気がよいということにひかされて、あんな不便なところにも移っているのでしょうね。武蔵野が、そんなに近く実現する変化について全く知らなかったというようなことを考えるのはむずかしいことです。土地を買ったひとはどんな気になるでしょう。
 きょうは、大家さんの林さんから植木屋が来て、樹木に寒肥をやりました。年々やることですが、今年のは特別の意味があるのです。人不足ガソリン不足で正月来一度もくみとりが来ず戸毎に大恐慌で、林さんでは遂にその年中行事をもう一つの打開方法としたわけです。
 一昨日二階の日よけの折れたのを直しました。戸締りを直した大工をよんで。この大工さんに留守番して貰って一寸用足しに出て、動坂で畳や留守番にして出た日のことなど思い出しました。何もない家って何ていいだろうと思いました、勿論その大工は正直な男ではありますが。火の気なしで手がかじかまないのは暖い晩ねえ。ではこれはおしまい。

 一月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

  支払いした記録うつしや速記の表。
(一)[#「(一)」は縦中横] 十五年五月二十五日に支払ズミであった分。
  一、第一回速記      三四・〇〇
  二、加藤・西村公判記ロク 四七・一六
               ─────
               八一・一六
(二)[#「(二)」は縦中横] 木島、袴田(上申、公判)重複分ハ一九二・〇六銭の中前回一一〇・四〇支払イ今回はのこりの分担 一〇・三〇銭だけ支払。(三)[#「(三)」は縦中横] 逸見上申        四通  三・一六
  同           二通 二七・二八
  宮本公判期日変更願其他 二通 一一・九九
  木俣鈴公判四通ノ中   二通
                  七・五〇
   上申  二通ノ中   一通
(四)[#「(四)」は縦中横] 速記 六月二十一日以降 五月二十八日
              七月 二日    五六・〇〇
              七月二十日
              五月四日、十八日 二四・〇〇
              八月十日分    一〇・〇〇
     計一八一・九六銭
        内十二月  一〇〇・支払
        一月二十日  八一・九六銭支払
 右の工合です。
 これはこれだけで。

 一月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 一月二十三日  第六信
 きょうは何年ぶりかに雨かと思ったら、やっぱりいいお天気になりました。
 ゆうべは座談会で、日比谷の陶々亭を出ようとしたら雨になっていたので、あらと思い、雨の音を珍しくききながらいい心持で眠りました。すこし風があることね。今は月のない夜ですね。でも雨降りの夜であったことがないのは面白いこと。一遍も雨がふっていたことはこれ迄もありませんですもの。
 ゆうべは、さち子さんの姉さんが宮城県から出て来ていて、身の上相談的なことで、かえるのを待っていたものだから、疲れているところを又相手して、おそく湯に入りました。雨の音をききながらお湯に入っていてあっちのうちの風呂場思い出し、夢中のような心持でお湯に入ったことや、ブッテルブロードのことや、こまごまイクラが丸く赤く光っていた様子まで見え、ちょこんとした浴衣の花模様など、大変大変ゆたかな晩でした。
 そして、床に入りながら思ったのよ。今年は思いもかけないお歳暮だのお年玉だのを私は頂いたのだけれど、私はあなたに格別いいものもあげられない、と。私だって、どんなにかボンボンをあげたいでしょう。ボンヌボンヌを。私の御秘蔵のボンヌは決してありふれてはいないのだけれど。残念ね。「化粧」というソネット一篇ぐらいしかあげてないのですもの。私も、今年は今年のおくりものを見つけたい思いは切です。でも、いい思いつきがなくて。
 そう云えば、本つきましたろうか。高山のも。高山の表紙もわるくないわ、落付いていて。しかし『第四日曜』と『進路』と並べてみると、さっぱりしすぎのようなところもなくはないでしょう? 検印の判のことちっともおっしゃらないことね。私は一つ一つあれを捺してゆくときそこに声をきくような気持でいるのですけれど。いいでしょう? あれをこしらえたばかりのとき一昨年だったか、手紙の中におしてお目にかけたの、覚えていらっしゃるかしら。この頃は朱肉のいいのがなくなりました。朱もよそから来ていた由。日本画家はキューキューの由です。金箔はもう夙(とう)に日本画の世界から消えて居ります。
 ケーテの伝が昭和二年の『中央美術』に出ていていろいろ面白いと思います。一八六七[#「一八六七」は底本では「一八七六」]年にケエニヒスベルグで生れているのね。祖父さんというひとはドイツの最初の自由宗教的牧師で、お父さんというのは判事試補試験にパスしているのに、そういう立場のためにそれをやめて石屋の親方で暮したのですって。一八八五年というから十九歳位のときベルリンで画を修業しています、コルヴィッツというのは兄さんの友達なのね。この人は医者です。ベルリンの労働地区の月賦診療所をやっていて、そこでケーテは実に生々しい生活の姿、母と子との姿にもふれたわけでした。一九三〇年頃はケーテがそこに住んでいたのですね。六十歳のお祝は盛にやられたらしい様子です。一部の人はこの卓抜な婦人画家を、宗教的画家ときわめつけようとしたらしいこともかかれて居ります、人類愛のね。
 文学の面から多くのものをうけているそうです。一八九七年のハウプトマンの「織匠」の絵で認められたのですって。どんな絵なのでしょうね。見たいこと。私のもっているのにはありません。十数葉のエッチングだそうです。エッチングとリトーグラフィーで主に制作しているのね。大したリアリストです、実に鋭く内的につかんでいます、人間の顔一つが、生活を語っていて。そこにケーテが風俗画家ではない本質があるのでしょうと思います。題材を描いているのではないのです、生活を描いていて。彼女の芸術は良人の仕事の性質でつよめられているのは深い興味があります。きっとそのコルヴィッツというお医者も立派なところのあった人でしょう。
 一九一四年にはケーテの二男が戦死しています、五十八歳頃に、その後に(一九一四年)ひきつづくひどいドイツの生活の中から飢えや失業、子供の死を描き出しています、私のもっているのは主としてこの時代の作品が集められているのね。ケーテは実に女と子供と父としての男の生活に敏感です。グロッスより時代的には前の画家だそうですが、グロッスよりも遙にリアルな作家ですね。勿論グロッスは諷刺画家だけれど。
『アトリエ』ではフランスのマズレールとコルヴィッツとグロッスなどの特輯をやるのですって。マズレールの人の一生という極めて面白い版画本があります、それから『都会』という大きい本も。
 同じこの雑誌に藤島武二の絵、藤井浩祐の彫刻など出ていて、何だかびっくりする位ね、下らなくて。
 この時分、中川一政はまだ若い画家で山塵会というものをつくったりしていたのね。(昭和二年ごろ)
 明日あたり図書館へ行って魯迅全集を見て、ケーテについて彼のかいているもの[自注1]をしらべましょう、なかなかたのしみです。

 お早う。けさはいかがな御機嫌でしょう。いい気持? 机の上の桜草が、たっぷり水をもらって、こまかい葉末に露をためながら輝いて居ります。私はしんからよく眠り大変充実した気分よさです。ゆうべはすこしかげになった同じようなあかりのなかで、おくりものへ頬っぺたを当てているような心持で、お風呂から出てすぐ寝てしまいました。きのうはいい日だったことね。いろいろと心をくばって下さり、本当にありがとう。
 あれからね金星堂へまわり、高山へまわり、銀座へ出ました。咲枝が三十三になったのよ女の厄年と云われていて、きっと咲枝心の中では気にしているのでしょうからいろいろ考えていて、ふと栄さんから帯を祝ってやるものだときいたので、銀座の裏のちょいとしゃれた店へ奇麗な帯を注文してあったの。それは十八日に出来ていたのにとりにゆけなかったのです。それをもって、ひどい混む電車にのって、余りひどく圧されるときフーと云いながら林町へまわりました。咲枝大よろこびの大よろこび。私はその様子を見てうれしかったわ、自分の心のたのしい日に、ひとのよろこびを与えてやるのもうれしいというものです。食堂がもとの西洋間に移ったことお話しいたしましたね。あの大きいサイドボールドがやっぱり引越して来ているので、咲枝その鏡に帯をうつしてみてしんからよろこんで居りました。
 太郎にとってもきのうは特別な夕方でした。それはね、区役所から、千駄木学校(あすこよ、動坂の家のすぐ裏の)へ入るようにと云って来たから。僕千駄木学校へ行きたいと思ってたから丁度いいやとよろこんで居りました。
 その太郎のために私は近所で木綿の靴下を見つけてやって、一年生の間と二年生との間はもつだけ、ああちゃんに買ってやったのよ。あっこおばちゃんもなかなかでしょう?
 寿江子に云わすと、太郎は何でもこれこれはこういうものという型通りが好きすぎるそうです、でもそれは父さんが全くそれ趣味だから今のところ真似でしょう。今にすこしは変るでしょう、利口は悧口よ。なかなか可愛い息子です。四月十日からですって。近いから心配なくて何よりです。何を祝ってやりましょう、あっこおばちゃんのおじちゃんというお方は何がいいとお思いになること? いずれ御考え下さい。二人でやりましょうよ、ね。太郎はぼんやり覚えて居るのよ、あっこおばちゃんのおじちゃんを。眠くなって九時すぎかえり、そしてたのしい晩を眠った次第です。
 ときどき思いがけないボンボンを見つけたりして話しますが、きのう銀座の方で、私は何とも云えない見事な花の蕾を見たの。飾窓の中におかれていて花やでなかったから手にさわることの出来なかったのは残念ですが。蘭の一種かしら。大柄な弾力のこもったいかにも咲いた花の匂いが思いやられる姿でした。ほんのりと美しくあかみさしていて。自然の優雅さとゆきとどいた巧緻さというものは、おどろくようなときがあります。この頃温室の花は滅多にないのよ、石炭不足ですから。本当に珍しく。花の美しさって不思議ね。決して重複した印象になって来ないのね。描かれた絵だと、何か前にもその美しさは見たというところがあると思うのですが。花はその一目一目が新鮮なのは、実に興味ふかいと思います、それだけ生きているのね、溢れる命があるのね。そういう生命の横溢には、きっと人間の視覚が一目のなかに見きってしまえないほど豊富なものがひそんでいるのね。こんな小さい桜草でさえ、やっぱりそういうところはあるのですもの。蕾がふくらみふくらんで花開く刹那、茎が顫えるのは、思えばいかにもさもあることです。蓮の花のひらく音をききに夏の朝霧の中にじっとしていた昔の日本人の趣味には、あながち消極な風流ばかりがあったのでもなかったかもしれません。花の叫びと思えば何と可憐でしょう、ねえ。花はいろいろに声をあげるのでしょうね。そのような花の叫びをきいたのは誰でしょう。
 満開の白梅はよく匂っているでしょうか。今は寒中よ。花の匂いにつめたい匂いのないことも面白いこと。さむい花の香というものはどうもないようね。でもそれはそうなわけね、花はいのちの熱気でにおうのですもの。花のそよぎには確に心を恍惚とさせるものがあります。
 ひろい庭が欲しいと思うのは、いく人も子供たちが遊びに来たときと、花々のことを思ったときです。自分が子供だったとき樹の間でかくれんぼしたり裏の藪へわけ入ったりしたあのときめきの心、勇気のあふれた心を思い出すと、子供たちのためにひろいいろんな隅々のある庭がほしいと思います。花を、花圃(かほ)にはしないであっちこっちへ乱れ咲くように植えたら奇麗でしょうねえ。自然な起伏だのところどころの灌木の茂みだの、そういう味の深い公園は市中には一つもありませんね。庭園化されていて。いろんな国のいろんな公園。菩提樹の大木の並木の間に雪がすっかり凍っていて、そこにアーク燈の輝いているところで、小さい橇をひっぱりまわしてすべって遊んでいる小さい子供たち。仕事からかえる人々の重い外套の波。昼間は雪を太陽がキラキラてらして、向日葵(ひまわり)の種売りの女が頭からかぶっている花模様のショールの赤や黄の北方風の色。その並木公園に五月が来ると、プラカートをはりめぐらして、書籍市がひらかれ、菩提樹の若いとんがった青緑の粒だった芽立ちと夜は樹液の匂いが柔かく濃い闇にあふれます。アコーディオンの音や歌がきこえ出します。そして、白夜がはじまって、十二時になっても反射光線の消された明るさが街にあって、そういう光の中で家々の壁の色、樹木の姿、実に異様に印象的です。
 三月はまだ雪だらけね。日中は雪どけがはじまります。それはそれは滑って歩きにくいの。ミモザの黄色い花が出ます、一番初めの花は、雪の下(ポド・スネージュヌイ)という白い小さい花です。小さい菫(すみれ)の花束のようにして売ります。
 私は北がすきです、冬の長さ、春のあの愉しさ、初夏の湧くような生活力、真夏のあつさのたのしみかた、旺(さかん)ですきよ。東京は雪の少いのだけでも物足りませんね。特に今年は一月六日に一寸ふったきりで。
 あなたは雪の面白さ、お好き? 雪だるまをつくるくらい島田に雪が降ります? 初めて島田へ行って駅に下りたとき、それは一月六日ごろで、かるい粉雪が私の紫のコートにふりかかったのを覚えて居ります。つもりはしなかったわ。それでも炬燵(こたつ)は本式ね。今年は炭がないので、どこでも急に炬燵を切ったりして稲ちゃんのところは信州から一式買って来たそうです。うちはこしらえません。では、又のちほど。

[自注1]彼のかいているもの――魯迅がケーテ・コルヴィッツの版画を紹介した文章。

 一月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 一月二十五日  第七信
 こんにちは。きょうは寒い日です。きのう神田へまわったら魯迅全集がなくて、きょう、とりよせておいて貰うことにして、さっきお恭ちゃんがとりにゆきました。六巻で十二円よ。でもケーテのことをかいたり、本が出来たり、二十三日だったりしたことのために買ってもいいと思って。
 魯迅全集は七巻あって、短い感想が非常にどっさりです。なかに、夫人へかいた手紙が集められているのがあります。なかなか辛苦した夫婦でありました。その手紙は、初めの部分はみんな広平兄という宛名です。コーヘイケイとよみたいでしょう。男のようでしょう? ところが女士あてなの。兄という字を自分は友人や後輩などにつけるので、よびずてよりはすこしましという位の意味だからと説明して居ります。許女史は、初め先生とも思うひとに兄とかかれて、びっくりしておどろいたらしいのよ。そしてきっと、どうして私にそんな兄という字がつけられるのでしょう! というようなこと書いてやったらしいのね。そこで魯迅はびっくりしないでよろしい、と説明しているわけです。ずっと後になって、妻になってからのにはH・M・Dという宛名です。このひとは女子大学に働いていてね、そこでなかなかよくやって、一部から害馬(ハイマー)という名をつけられたのです。そこでHMなのですって。Dは何でしょう、英語の出来た人たちですから推察も出来るようです。小鬼はあせったり気をせいたりしてはいけません。というようなこともかかれていて。小鬼とは許さんが自分で呼んだ名なのでしょうね。いろんな感情、わかるでしょう? チェホフが、オリガ・クニッペルに与えた手紙もクニッペルはヤルタにいられなくていつもレーニングラードやモスク□にいたからどっさりあって、いろいろ芸術上有益なこともかかれています。でもチェホフらしさが溢れていてね、「わが馬さん(マヤー・ロシャードカ)よ」とかいたりしていますが、ゆうべよみながらおなじ馬ながら、HM(ハイマー)とクニッペルのロシャードカぶりとは何というちがいかとつくづく思いました。それにH・M・Dと頭字だけに表現しているところも、東洋風でしょう。D・LETD・H・Mこんなに重ったのもあります。そして、日本文に直されている文脈は大変欧文に似た感じです。et[#「et」は縦中横]という字もあるところをみると魯迅はフランス語も近かったのでしょうか。親愛が日常のこまかな消息のうちに示されているのも、わかります。月よ花よの佳句もなく、と序文に魯迅がかいていますが、やはりそれ以上の内容と面白さがあります。なかなか大したことも云っています、婦人の文章について。婦人の文章に美辞が多く感歎詞が多いばかりでなく、評論の場合、一々対手の表現を反駁して小毒はある、しかし猛毒はないのが女の文章である、と。なかなかでしょう? 頂門の一針的でしょう? 許さんは文章をいつもみて貰っていて、直して貰っていたのですが、それにつれてのことなのです。
 私のさがしていた版画の紹介の文章はどうも見当りません。一つ、これかと思うのがあり。しかしスメドレーはケーテと友達だったのですね。一九三五年頃、上海で出版された画集にアグネスが序文をかいているのね。さぞいい本でしょうね。実にみたいと思いました。どうか私も、一生のうちには、そのひとの画集に心から序文のかきたいような婦人画家にめぐり会いたいものです。
 光子さんなんか或るいい素質はあるのですが、旦那さんの技法、傾向と自分のものの成育との間の衝突で、どうにも苦しかったのです。ニューヨークで、どんな気持でどんなに暮しているのでしょうね。メトロポリタン[自注2]で本ものを見ているのはいいけれども。表(ヒョー)の仕事手つだっている娘さんも又それとして珍しい位のひとですが、どの位までやってゆくか、このひとはやはり三十越してからが期待されるような資質です。ゆうべも、これでミューズが揃ったと大笑いしました。とにかく文学・音楽・絵画が一つ火鉢のまわりにあつまるのですもの、こわいでしょう□

[自注2]メトロポリタン――ニューヨークのメトロポリタンミューゼアム。

 一月三十日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 どうもあいまい至極な先生と、算術下手のより合い勘定は、閉口ものだと思います。
 この間の計算が合いません由、十二月請求の分は全部で二六三・一二だったのです。そのなかで、仰云っていたのを差引き、その差引が八一・一六です。その八一・一六の中には、五月に支払いずみのもの及こちらでは二部及び一部しか負担しないでよい分(木俣という人の分)と、いつぞやからの話に出ていた重複した分を処理してた分(あと十円といくらか当方で支払う分)とで、この一月二十日に八一・九六支払い、暮の一〇〇と合して一八一・九六となっているわけなのですが。どうしても変かしら。
 五月支払ズミ
 (一) 速記        三四・〇〇┐[#「(一)」は縦中横]
                    │ 八一・一六
 (二) 加藤・西村マリキロク四七・一六┘[#「(二)」は縦中横]
重複していた分は一九二・〇六のうち七月に一一〇・四〇支払ズミで、残金八一・七六のうちこちらでもつのは一〇・三〇に願うというわけでした。
 それと、あとの速記 九〇・〇〇
 袴田上申 二    三二・一六
 その他の謄写    四九・八〇
 合計       一八二・二六(ハハア、笑ってしまう、先生三十銭御損です。一〇・に三〇くっついていたのおとしている)
そのうち一〇〇暮にわたし、八二・二六わたすところ、三十銭私が間違えたから八一・九六というわけです。
 こんどは分りますでしょうか。どうぞおわかり下さい。こんなにわかりにくいのも終りでしょう。
  二十九日
 〔二枚目欄外に〕こんなに切れて失礼。

 一月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 一月三十一日  第八信
 二十七日づけのお手紙、それから二十九日づけのお手紙、どうもありがとう。二十七日のは、よしんば私をしぼんだ風船にしたにしろ、やっぱりそれは欲ばられているということで、お礼を云わなければならないわね。
 第一の部が、日本評論のを入れられなかったために、量感が減って、あなたもなーんだというような印象をおうけになったのは無理もないと思います。でも、いずれにせよ三〇〇頁ぐらいのところにする必要はあったのよ。それより多いと定価がずっとたかくなってしまうから。はじめに書き下しでも加えればよかったという御心づきはなるほどと思います、本当ね。そのとき私は心づきませんでした。これからの場合のため、よく覚えておきましょう。たしかにたっぷりした感じということもその著者の身についたものであるべきなのですから。ブックメイカアでない限り、ね。
 私としては、仕事総体について見て下すって、その上で一冊一冊の本について云われているという感じがはっきりわかっていると、その一冊についてどんな突込んだ批評もまごつかないでわかるのです。どっちが地だかというような表現は悲しいのね。そんなわけのものではないと思えるから。そんなわけではあり得ないから用語の逆説的なつかいかた、どうしてもその路をとらなければならない場合の、前後の周密さということについて特別注意ぶかくなくてはならないということがわかるのね。二十九日のお手紙では、その点もよくこまかに語られていてありがとう。
 大陸性その他のこともわかります。大陸文学というものの本質についての考察の一側面的な要素としてあのことも云われ得るのですが、あの文章は、その側面にだけふれているから、あれだけとして不完全なわけであると思えます。
 中公の本のこと。著者も困るところがあるということを客観的な事情として念頭において、しかし本人としては可能な限りの正しさでありたいのね。その両面からの関係のなかにその本が評価されたらうれしいと思います。このことはつまりいつでもどれについても云われるのでしょうが。

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