獄中への手紙
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著者名:宮本百合子 

 一月八日午後 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 一月八日  第二十六信
 晴れ。五十一度。緑郎のピアノの音頻り。
 今年の正月は去年とくらべて大変寒さがゆるんで居りますね。そちらいかがですか。お体の工合はずっと順調ですか。畳の上で体が休まるということを伺って、きわめて具体的にいろいろ理解いたしました。何でも、世界を珍しい暖流が一廻りしたそうで、大変あったかい。それで却って健康にわるく、世界に一種の悪質の風邪が流行している由、称して、ヒットラー風。
 私は、今年の正月は余り自動車にものれず、餅もたべられず、おとなしい正月をいたしました。盲腸の方も大体障害なく、きのう野上さん[自注1]のところへ行ったら□苡仁(ヨクイニン)(何とよむのか忘れてしまった、田舎にも生える数珠子玉(ジュズコダマ)という草の支那産のものの由)という薬を教わって来ました。彌生子さんの盲腸もそれでなおした由。二月の『文芸』に横光の「厨房日記評」を二十枚ほどかき『文芸春秋』の文芸評を今準備中です。文芸懇話会賞の室生犀星は「雑沓」などは題材的に歯に合わず活字面を見ただけでうんざりの由です。横光、小林秀雄、犀星等、芸術上の高邁(こうまい)イストが、現実において一九三七年度には急速に自分達のポーズと反対のものに落下しつつあるところ。日本文学の上に一つの新しい歴史の生れたことを、感じ、興味津々です。一月中旬に白揚社から本が出るのだが、まだ題名がきまらず。何かいいのはないかと考え中です。生活的でうるおいがあって、音楽的色彩的であるようなの。
 いつぞやから、私の家について云っていたのを覚えていらっしゃるかしら。あなたが皆とかたまりすぎて夜更しばかりしないようにと注意して下すったし、そのことをも考え、一緒に住む人のことをも考え、なかなか決定いたしませんでしたが、この正月三日に、目白のもとの家[自注2](上り屋敷の家です。覚えていらっしゃるでしょう?)のそばで、小さい、だがしっかりした家を見つけ、そこを借り、Xと一緒に暮すことにいたしました。家賃三十四円也。上が六畳で下が六・四半・三・玄・湯殿というの。部屋が一つ不足です。だが家賃との相談故これで我まんします。一つ一つの部屋が廊下で区切られていて南向きです。二階は一日陽がさし、どちらかというと直射的だから勉強するために刺戟がありすぎます。陽よけの工夫がいるほどです。五尺四方というフロ場! 用心はよさそうで、省線に近いが静かです。Xか、Dさんから手紙が届きました? XとDさんとは結婚することになりましたが、Dさんの家庭の事情、経済事情がまだXと同棲するに至っていないので、Xは当分私と暮します。Xは詩を書いてゆくのですが、家から一銭も来なくなってしまった。十二月には私が下宿代を出しましたが、毎月そのようには行かないから一つは家を持つことを急いだのです。この二人は、勿論多幸ならんことを切望いたしますが、今のところX自身、愛情と一緒に一種の不調和を感じて居るらしい。このような直観的なものはゆだん出来ませんからね。Dさんは確かに人の注意をひくに足りる人ですが、あらゆる過去の経験で人に愛され、便利で信頼し得る友人をもち、いつも出来る人物と見なされ、自身それを知って、家の中では唯一人の男の子として生活して来た人にありがちな一つの特長をもっている。素直な人でしょうが、そういうものは強くある。よい意味でも、まだペダンティシズムをもっている。Xにはスーさんとは違うが、似た気質あり。すっかり納得ゆかないうちに一方では衝動的に行動する。人と人とのことはむずかしいものね。私はXと暮す以上は大いにXをふっくりしたものにしてやりたいと思って居ります。でも、私とXとは持っている感情の曲線が何という違いでしょう。Xは細いマッチの棒ぐらいのものをつぎつぎにもっている、そして詩も三四行のをかくの。こういう芸術の有機的つながりは実に微妙です。
 健康のためにも、仕事のためにも生活を統一する便利が殖(ふ)えるから、家をもったら能率的且つ書生的に暮します。楽しみであり、一寸うるさいナと思うのはXのこと。でも決してわるいというのではないのです。
 一昨日の晩であったかKさんが始めて家へ来てしみじみ話して行った。人間が孤立的になる場合、その原因は人間としてのプラスの面からだけでは決してない。私はそのことを率直に話しました。そのように話したのは恐らく知りあってからはじめてです。稲ちゃん達はなかなか悪戦的日常(経済的に)ですがよくやって居り、静岡から妹夫婦が東京へ転任になって来ました。私の引越しは十二日頃です。番地がまだ不明。おしらせします。引越したらお目にかかりに行きます。お体を呉々もお大事に。変な気候をうまく調節してお暮し下さい。

[自注1]野上さん――野上彌生子。
[自注2]目白のもとの家――一九三一年初夏から三二年一月下旬まで百合子が生活した家。

 一月十六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 豊島区目白三ノ三五七〇より(封書)〕

 一月十六日 午後四時 今柱時計が四つ打つ。
 今年になって二つめのこの手紙を、私が何処で書いているとお思いになりますか。きっと、前の手紙を見ていらっしゃるだろうけれども、これは私たちの新しい家の二階の六畳のテーブルの前。やかましくない程度に省線の音をききながら、そして、この紙の横にあなたからいただいた二通の手紙、十二月二十六日のと一月六日のとを重ねておき、くりかえしくりかえしよみながら。丁度くたびれているひとが煙草を腹の中まで吸ってつかれをやすめ心愉(こころたの)しくしているような工合に。――十三日にこっちへ引越し、Xさんが家の仕事に馴れないし、いろいろ揃える仕事、本を片づける仕事その他できのうまでゴタゴタ。やっとさっき風呂に入り、さっぱりと髪を洗い、十三日の朝引越しさわぎの間で遑(あわただ)しく立ちよみして来た二つの手紙をよみなおし、この家ではじめて書くものとしてこの手紙を書いているわけです。十三日は、十一日までアンドレ・ジイドについての感想的評論をかいていてつかれ、(ジイドがURSSへ旅行したその旅行記に対して『プラウダ』や『文学新聞』が批判している。だが作家の内的矛盾の過程はその内部へ入って作家の独特な足つきに従って追求してゆかなければ、文学愛好者には納得ゆかぬのですから)十三日の引越しはどうかと、あぶながっていたところ、スエ子がなかなかのプロムプタア役で到遂(ママ)引越しはスみました。十三日の晩は良ちゃん、てっちゃん、池田さん、詩の金さん、戸台さん[自注3]、栄さん、手つだいやら様子見やらに来て、十一人位で夕飯をたべました。
 上落合の家にいたときは、大体独りっきりで、栄さんが近所に住んでいたから暮せたようなものの、ひどかった。その点今度はいいでしょう。但物価は最近五割近く高騰したものもあり、その方は閉口です。民間のサラリーマンの月給も上げてほしいという声たかく、偉い人々例えば(陸相)など民間も協力せよと云っていて下さるが、文筆家の稿料はどなたも上げよと仰云らぬ。いろいろ活きた浮世は面白の眺望です。お鍋を一つ買ったら、その商人曰く、これだけは昨日のねだんでお売り申上げますと。
 ところで、この二つのお手紙は、いろいろの意味で私には大変うれしゅうございました。いつもながらありがとう。記念の心を送ってやりたいと思っていて下さるということ。どうかよく考えて、素敵な言葉でも下さい。そう書かれていることが既に私にとっては、香馥郁(ふくいく)たる悦びの花束なのだけれど。こういうおくりものに対しては私は寡慾ではいられないわ。手紙を毎週待ったことは、私の申上げたことは覚えていたのです。もしか毎週書いていて下さるのに届かず、しかもそうと知らずにいるのなどつまらないから、それで一週間おきにと云ったのでした。しかし、ほしいという面から云えば毎日をもいとわず。今年は、お気の向くとおりに下さい。自分だけの心持を押し立てて云えば、あなたの手紙を血の中にまで吸収するのは誰よりもここにいる一人だと思っているのだから、云わば一行だって、ほかにこぼすのはいやな位、その位の貪婪(どんらん)さがあるのだが、そこは市民の礼譲で、どうぞほかへも、と云っている次第なのです。この正月は『文芸』へ横光の「厨房日記」の評を二十三枚、ジイドのを二十四枚かき。どれも最近の文集に入ります。きのうの晩も題を考え、なかなかうまいのがなくこまります。「昼夜」というのにしてスエ子の装幀にしようと思うのです。活きて動いた絵をかいて。これはもう原稿をわたす必要あり。木星社の本は二十五日です。私はその後書きを、心を傾けたおくりものとして一月の二十三日に書きます。よいものを書きます。そして、間に合えば、私の本やもう一つの本の印[自注4]は、あなたの書いて下さった私の名をそのまま印にしたのをつかいたいと思って居ります。これは大変好いでしょう? 思いつき以上でしょう。ねえ。この家は、同じ方角できっといい月が眺められるでしょう。きのうあたり夕月がきれいでした。晴天だと、遠く西日のさす頃、富士も見えます。本のことAさんにつたえましょう。やっぱり林町からこっちにうつってよかったと思います。時間を十分活用出来るという点からだけでも。あっちでは、今太郎が風邪、母さんも風邪。丁度私が引越した日から臥(ね)て居ます。食堂でストウブをあったかくして、廊下や何かはさむい。そういうのが非衛生なのでしょう。
 きょう思いがけなく山崎の伯父さん(島田の母上のお兄さん)が見えました。この八月頃から東京暮しで高橋というひとのボロの会社(ほんもののボロです)につとめて居られる由。娘さんの一人が阪神につとめていたのが小林一三に見出されて今は映画女優の由。そのお姉さん(虹ヶ浜へ行ったひと)が岩本さんの奥さんの由。いろいろお話を伺いました。山崎さんは下の娘さんと松原(小田急の沿線)に住居です。この頃、私の最近の学習語は本が入らず役に立てたいにも立てられません。又ごく近々ゆっくり書きます。この二つのお手紙に対してのこった返事を。私の鉢のは南天の葉よ、紅葉ではないの。お正月の南天。ではどうぞお大事に。
  〔欄外に〕
 ○父がああいう生活力の豊富さからかもし出していた家風というようなものは、父なしには保ちません。その点大変微妙である。私がその継承者で発展者であるわけですが、日本の家というものは主人が主人ですから。私も小さい家で、私たちの家のここでの主人とならねばならぬ訳。

[自注3]戸台さん――戸台俊一。戸台俊一は日本プロレタリア文化連盟の出版部・書記局などに活動して、一九三二年の春からのち、三三年、三四年と日本プロレタリア文化連盟「コップ」が解散するまで実にしつこい弾圧と検挙を集中的にうけた。三三年ごろは、二ヵ月も三ヵ月も留置場生活をしたあげくに、やっと釈放されて五日目に往来を歩いていたら警視庁の特高が「なんだ、君は外にいたのか」とそのままつれて行ってぶちこまれたというようなことさえあった。未決生活も経験している。「コップ」の最後の時期のもっとも忠実な同志である。
[自注4]本の印――顕治の手紙にあるあて名の百合子という字をそのまま木版にして検印用の印をつくった。

 一月十八日(消印) 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(はがき)〕

 此度左記へ転居致しましたから御通知申上げます。
  一九三七年一月
    東京市豊島区目白三丁目三五七〇
                   中條百合子

 一月二十八日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕

 一月二十八日。第二十八信。薄晴れ。火鉢のない正午四十二度。
 一月の二十三日に是非お目にかかりたいと思っていたところ、その日は土曜日で時間が間に合わず残念をいたしました。二十五日のときは、大変いろいろもっと伺いたいことがあったのに、話している心持が中断されたままであったので、今日でもまだ何だか、いつものこれ迄のようにいい心持でない。きっと貴方の方もそうでいらっしゃるでしょう。とにかくお風呂に入れるようにおなりになったことはうれしい。さぞ久しぶりのときはいい心持だったでしょう。湯上りに、水でかたくしぼった手拭(てぬぐい)で、きつく体を拭くこと。風邪よけに。
 ところで。私の本年に入ってからの手紙は一月八日に林町から第二十六信を出し、十五日頃この家に引越した印刷のハガキをさしあげ、十六日には、あなたの一月六日のお手紙と十二月二十六日のお手紙に答える手紙を目白の家から出して居ります。そのうち、どの分が届いているのでしょう。八日のは御覧になったでしょう? 十六日のは? この手紙がつく頃はもちろんおよみになっていると思います。
 ◎差入れのこと。忙しくて手がまわりかねていることはありません。申したように、その手紙をかいた時、何かいそいで書くものとかち合っていそがしい気がしたのできっとそう書いたのでしょう。どうか御心配はなさらないで。それに、私は貴方への手紙をそのときのいろんな心持を率直に書いているから、そんなこともかいたのでしょう。貴方は、又こんなことを云っていると、笑っていらっしゃればいいのよ。
 ◎夜具の白いキャラコ衿(えり)は寿江が伺って来たので、歳末にタオル二本と一緒に中川から入れさせるようにしておいたのでしたが、まだ届かなかった由。とりまぎれたのでしょう。調べて居ります。
 ◎本は、『リカアド』などと一緒に御注文のは、私が上林へいたときあっちへ下すった手紙の分です。小説に気をとられて、失礼。早速お送りします。戸台さんにきのうたのみ、四、五日で来ましょう。
 そろそろ本をおよみになるのだから、この次のたよりには、すっかり本の整理をして、お送りしましょう、書いてよこして下すった分、入れた分と、私はどっちかというと事務的にゆかず、すみませんが、然し、私がそちらに必要なものについて抱いている気持など、云うまでもないことなのだし、よろこびをもってしていることも云えば滑稽(こっけい)な位のことなのだし、マア折々御辛抱下さい。ああ、私は、ユリは間抜けだね、と云われることも時と場合では本当に大歓迎なのだから。非常に快適な雨の粒のようなのだから。
 ◎玉子のこと、サンドウィッチのこと、申しておきました。すみません、すみませんと云っていました。
 それから、一番もっと伺いたくて中途半端になっていたXのこと。貴方のお手紙で、きっといろいろ私によく分るだろうと楽しみにして居りますが、お話しの要点は、私にも分りました。Xの生活を助けてやるのはよいが、一つ家にいて、そこへDさんが良人としての資格で来ることについてあなたのお感じになる心持。
 簡単にいきさつを辿ると、XとDさんとの間にそういう感情のいきさつのあったことも、まして、結婚の意志があることも、私には全く告げられず、只歳末に近づいて、Xへの送金が農村の大不況のため途絶した、困った、どうしたらいいでしょうと云うことでした。一方、林町の家は改築する[自注5]のでいずれ私はどこかへ移る必要がある、では、私と一緒に暮して見るか? それに越したことはない。そういう話で、その話がきまっても、まだ彼女は私に自身の事情については黙って居りました。殆んど家がきまってからRさんが稲ちゃんに困ったと云って話し、稲ちゃんがXに、私に話すべきであると教え、Xはやっと話した。それで私はその時少し腹を立てたのでした、当然。
 ところが、Dさんの方は、家庭がああいう事情でおっかさん達はこのことをよろこんでいない。CちゃんがよくなってRさんと暮せるまで、Xは一緒に暮せない。皆弱くて、働けないのだから。
 DさんとXの心持については、私達周囲のものの腹の底は、あまり周囲から刺戟せず、時の自然な力で発展するものならさせ、さもないものならそれもよしという気持です。そういう印象を与えるのです、二人という人々が。性格や何かの点。
 Dさんは頻繁(ひんぱん)にここへ来ることはない。普通の友人として一週一度ぐらい来て、かえった、少くともこれまでは。Zさんの心持を、この間、それとは別に一寸訊いたのですが、あのひとはXに対して、別にどう思っていず、適当な結婚をしたらよいと思う、又対手のひとが、自分とのことに拘泥したりする必要のない程自分たちの結合は時間的に短かかったし、内容がない、という事です。
 こういうことは私とすれば何だか変なところがある。そんなものであるのか、あってよいのだろうか。そういう気がする。だが、あのひとはそれでよいらしい。私が改めてそういうことについてキッチリしようとするのが寧(むし)ろ分らなかった。二十五日に、貴方のおっしゃったのは深い友情の言葉でした。
 私としては、彼(あ)のひとが、貴方の友情のねうちを深くかみしめることが出来るか出来ないかが問題でなく、対手はどうであろうと、貴方のお気持を私たちの家庭生活の裡では貫徹しなければいやです。
 あなたが快くなく思いになるような風に私たちの家があってはならないし、又そんな家のある意味もない。私の心持お分りになるでしょう。
 今丁度別に手つだいをさがしかけていたところであったから、それが見つかったら、Xは別に住むように考えましょう。何か少しでも収入のある仕事を見つけて。そして、別に一つ部屋をもたそう。ちょいちょいしたことで手伝って貰うとしても。それから、私たちのところにいるうちは、Dさんは従前どおり普通の友人として来て、かえって貰いましょう。そういうやりかたはどうかしら。二十五日に、私はどちらかと云うと、何だか苦しい心持で帰ったの。途々(みちみち)いろいろ考えて。こんなに、貴方の心持を重く見て、自分の心持の中に入れて暮して居るのに、そういうことで貴方を不快にさせたのは実に実に残念であるから。そして、貴方が、自分の家が、変にもつれの間に入っているようにお思いになったらさぞいやだろうと。そういうことを考える必要の起ったのは何しろ、五年の間に初めてでしたからね。参ってしまった。
 私が自分たちの家をもつのは、林町の生活に対して図式的に考えているからではなく、実際の必要です。一つの家に、二人の主人が居ては主婦が困るのだから。Xのことは別としても、私たちの家はここに持ちつづけます。私は、貴方の心持を考えたら、あの夜でもXに部屋借りさせようかと思ったが、それも激しすぎるから、と、新しいプランを話しただけにしておきました。けれども、貴方のお心持によっては、すぐそのように計らってもようございます。私が生活費をもってやる覚悟なら今すぐにでも出来ることなのだから。どうか御返事を下さい。私の生活なんか、そこで貴方がいやだと思っていらっしゃると思うと全く光彩を失ってしまうのだから。
 子供らしい人々は、貴方に対して書く手紙のなかで甘えているのね。そして、あなたへの親密さの一層の表現として、私がどうしたというようなことを誇張的に表現するのね。そう書くことで、あなたへの親愛を更に内容づけるように感じて。大人の年をして、子供っぽい感情のふるまいをすることは、はたの迷惑ですね。ともかく、この手紙は話さねばならない事柄の性質上、大して愉快でないのはくちおしいことです。でも、大体のこと分っていただけるでしょうか。この手紙の任務は其なのですが。只今ネルのお腰を速達で出します。呉々もお大切に、寒中だから。

[自注5]林町の家は改築する――林町の家の改築は実現しなかった。

 一月三十一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕

 一月三十一日。第二十九信
 二十八日に第二十八信を書き、引つづきこれをかきます。先便の主な内容であったことが変って来たので。XとDさんとのことは、初めから、私共はたで何だか合点ゆかぬものあり、又、あっちの家庭関係では、どうしても折合ず、困難であったが、Dさんが昨日Xに自分が軽率であったこと、阿母さんのXがどうしても嫌な心持は彼にも反映すること、一緒に生活しようとする計画は絶望であること、XはXとしての生活を立てるようにとなど話した由。
 Dさんの家庭とXは久しい以前から知っていて、その私の知らなかった時代にXは、善意からであろうが、智恵ちゃんや阿母さんとして忘られぬ深刻な打撃を与えていて(療病に関し)迚(とて)も妥協の見込みないわけなのだそうです。
 僅か一二ヵ月の間に自分達のみならず周囲にも浅からぬ波を立て。軽率であったという言葉以上のようなものです。
 私の心持では、斯様のこと、分るようで分りかねるところがある。どんな気持で人生を見て、自分の一生を見ているのか。生活をよくして行こうとする意志とか努力とか知っていて、云っている人でも、何だか釘のない組立てもののような工合で。実に変な気がします。私としては其那ことで貴方のところへまで或心持を波及させられ、腹立たしい気がします。
 然し、おかしいことには、私のそういう腹立たしさの深さなどは又一向通じて居らぬのだから。親切な心をもっている人間をも、その親切に限界をつくらせ、親身にさせる度合いをうすくする人というものがある。
 とにかく、そういう工合で、彼の人達の交渉の内容はすっかり変った次第です。従って貴方が不快にお思いになる点は自然消滅してしまった。勿論、このこと全体が、浅はかな、衝動的な、愉快ではないことですが。
 Xが、何かちゃんとした職業をもつようにすることは同じです。人間として拵え上げる上にももっと人間を知り、その中にいるのが必要です。
 親がないとか、体がよわいとか、そういうことを特殊な条件として、時代的関係もあって、不運から却って依存的に生きて来たという人間は、女になど多いのですね。Xはもっと一人前の女、人間になる必要がある。今度のことについては五分五分ですが。
 もう私たちの間に、こういうことについてこういう種類の手紙を書くことは終りです。
    ――○――
 二月の『文芸』や『文芸春秋』に書いた評論「迷いの末は」(横光の「厨房日記」の評)「ジイドとプラウダの批評」等、私として云うべきことを納得ゆくように云うことが出来て近来での成功でした。随筆集の題は「昼夜随筆」です。
 竹村から別に小説集が出て、これは「乳房」を表題にします。「昼夜随筆」の方は寿江子が表紙を描きました。雨の日、女が子供をおぶって傘をさし乍らもう一本手に黒い毛襦子のコウモリをもって待っているところ。スケッチです。「乳房」の方は竹村の主人が装幀して名の字をかくだけです。
 文学の領域にもこの頃は人情ごのみでね。横光氏曰ク「義理人情の前に無になる覚悟が必要云々」と。こういう作家は「人情としては実に忍び難いが云々」と云って人情を轢殺(れきさつ)して過ぎる人生の現実に芸術のインスピレーションを感ぜぬものと見える。小林秀雄、保田与重郎、等の日本ロマンチストたち。私はこの次からもっと心持のよい、いいもの私たちの便りらしい手紙を書くことが出来るのを非常に楽しみにして居ります。今のこのXらのやりかた、人間のそういう面について腹の立っている心持も直って。では又。風が出て来ました。

 二月六日朝 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕

 二月五日 立春の後といってもびっくりするような暖かさ。夜。
 けさ、まだ本当は、はっきり起きたわけでもなく二階から下りて来たらXが
「お手紙が来て居ますよ」と云うので、茶の間に行ったら、ウラウラと朝日のさし込むテーブルの上にお盆があって、その上に手紙がちゃんとのせてあった。「うれしい」と云って、あけて、よんで、一つアアと安心して、顔を洗おうとして台所へ行ったけれど、眼がしぱつくので、ホーサンどこ? と大声を出したら、「そこの棚にあります」見るとアルのでそれを洗眼コップに入れて目を洗ったら、ピリッとする。ああ、こんなに充血していたのかともう片方洗ったら、何だかピリッとする工合が変なので目からはなした途端プーンとアルコールが匂った。「アラ! Xさーんアルコールで目を洗っちゃった」それから、ホーサンで洗い、水で洗い、まっかな目を鏡にうつして眺めていたら、Xがわきから「聞いたことないねェ」というので大笑いしてしまった。誰だって聞いたことなんかあるでしょうか! アルコールで目を洗ったなんて。
 でも、気が抜けていて笑い話にすんだから御笑い下さい。(一封の手紙ユリをして動顛(どうてん)せしむることかくのごとし)きのう手紙を書いて一月六日づけの手紙を眺めて、いつ次のが来るのかしらと思ってそのことを書いた、それをやめて、これに改めました。家の生活のやりかたについて二重に考えて下すって、本当にありがとう。
 私の手紙ですこし様子はお分りになったでしょう。自分でいやに腹を立てているところがあったので、あなたもいやと仰云った点、全身的に感じたのでした。でも、又次の手紙に書いた通りだし、今夜栄さんの話で、或はXに職業が見つかるし、そしたら私はずっとよくなるでしょう。生活の感情の微妙さ。目前の便利でまぎらすことの出来ない人間間の心持というものは何と活々と力のつよいものでしょう。それが逆に作用した場合には、目前の障害を踰(こ)ゆる人間感情の結合と隔全(ママ)とがなり立つのであるから、面白い。
 私は一つ家に住むものがどんな対人関係をもっても、どんな生き方をしてもよいという風には思えず、蕊(ずい)まで見えるし触れてゆくので、Xなど今まで心づきもせず、思いもしなかった自分を発見している有様です。
 ともかく、私はただしょげもしないし、御安心下さい。おくりものの第一、ありがとう。私は私で、あなたがどんなに僅かでもいい心持で本をお買いになるだろうと随分楽しみにしていたのでした。では頂きます。そして極めて高雅な図案でイニシアルを組合わせ、あの文句を刻(ほ)らせましょう。私は万年筆は余りつかわず特に仕事には。だからよく考えて或はペン軸にするかもしれません。よく考えましょう。毎日つかいたい。気を入れて書くものを其で書きたい。ね、そうでしょう?
 私達の生涯を托するところのペンなのだから。只順に行っても其は三月の五日以後になります。或は全然、そういう都合にはゆかなくなるかもしれない。然し、もしそうであるなら、そうで、又私は、それをよいおくりものとして、記憶し得るわけです。そういうことが今日実現し得ないということで語られている作物の価値の意味に於て。
『リカアド』、繁治さん宛のお手紙も見せて貰いました。きょう小泉信三の正統派三人の研究を先に入れ、近日中に『リカアド』が見つかるでしょう。繁さんのところにもないのですから。戸台さんにたのんで居ります。プーシュキンもきょう入れ。
 夜具衿とタオル二本。暮に中川へやってあった、訊いたら、「あちらで廃業になって居りませんから」とケロリとしている。別の方法をとりますから少しお待ち下さい。食慾がお出になったのは何よりです。私の方も、いろいろ家の落付く前のゴタゴタで気がつかれているが御安心下さい。然し、真面目に私は、生活の形態というものについて考えます。もっと下らぬ労力をはぶいた、しかも「お姉様」的でない生活はないものかと。あなたは御自分の家として、どのような形をお考えですか。どういうのがいいとお思いになる? 私は勉強、休養、を主眼にした極めて便利な家に、一人でやってゆけるような形で住むのがどうも一等らしく思えます。日本の家では、出かける前に雨戸をしめる、そのことだけでも大変です。一つ大きな勉強部屋、あと、八畳(客間、食堂)に四畳半位、台所(ごく能率的にする)湯殿。そして入口のドア一つピシとしめれば全部よろしいという工合なの。そして、手伝いの人に時間制で来て貰うというようなの。何か一つ大いに考える必要があります。この頃私は前よりも一層勉強が主の生活の心持なのだもの。日本建の家は家を守るための人手を余り要求しすぎます。生活も、その時代のいろいろの必要からかわるものですね。
 きょう、咲枝が太郎を初めてこの家につれて来ました。この間大雪の折、『婦人公論』から写真をとりに来て、私は太郎と雪の中に傘をさして立ってとって貰いました。そして、けさついたお手紙の私への宛名を切って、そのとおりの字を写真にとって印にこしらえます。これは国男夫婦が印屋へやって私の誕生日のお祝いにくれます。たのしみです。それで検印するの。
 山崎の伯父様のいかめし型は適評です。柔道の先生のことは勿論よく承知して居ります。いろいろ考えちがいをすることはありませんです。きのう、こちらの家へはじめての本の小包着。きょうもう一つ(衣類の方)着。
 早く散歩に出られるようにおなりになるといい。久しいことですものね、もう。本当に日当でポカポカさせてあげたい。今年は一月の二十七日が満月でした。ここからも月がよく見えます。窓から私を訪ねて来ました。一月八日と十六日に書いた分が届いたのでしたね。これは第五信です。では お大事に

 二月八日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(男の人がスキーをしている写真の絵はがき)〕

 二月八日。きのうの夜小雨の中を神田へ本を買いに行ったらこのエハガキが目についたのでお送りいたします。栄さんがきょう上林へのこした荷物をとりに行きました。
 これは何処の景色か分らない。中野夫妻はスキーに那須へ行ったそうです。ハイカラーね。上林の上の方もきっとこんな眺めでしょう。あの辺はもっと起伏が多いが。もう一枚同時にかきます。

 二月八日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(男の人がスキーをしている写真の絵はがき)〕

 このエハガキを見ると、日光にキラキラ光る雪の匂いと頬ぺたに来る爽(さわ)やかな冷気が感じられるようですね。私は風より雨がすき。雨より雪がすき。雨が降ったりすると傘をさして出かけたくなります。スキーをして見たい、もし私の丸い短い体ののっかれるのがあるならば。但これは夢物語。モンペをはいて、赤い毛糸のエリ巻をして。スースーと、誰のところへ。

 二月十日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(中西利雄筆「優駿出場」の絵はがき)〕

 二月十日。これは古いエハガキ。今からもう足かけ三年前の帝展に出ていた水彩です。その時の招待日に父と見に行って、父がこの絵は動いている一寸いい。と立ちどまった絵。この刷(すり)は色がよくないが、陳列されていた薄暗い隅では騎手の体の線まで活々と見えて私も一寸面白く思いました。偶然手に入ったからお目にかけます。あなたのところでは、夕方エハガキの色など特別鮮(あざやか)に見えるでしょう?

 二月十七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕

 二月十七日午後一時ごろ。
 南のガラス戸をすっかりあけていると、ベッドの上まで一杯の日光。ものを書くには落付かぬ位です。(私は、春の日光には耐えられないから、眼の弱い故(せい)。床の間をつぶして北に窓をあけようかと思って居ります。)あなたのところにも、体のどこかにこういう日光が当っているのかしら。畳の上だけかしら。日当りのあるところにお移れになったというのは何とうれしいでしょう。何だか私もほっとして楽な気持です。幸福な心持が微かにする位です。
 十五日には、ゆっくりお目にかかれてよかった。実によかった。話す言葉や何かのほかに、いろいろうれしかった。何しろ私ははりつめた心でいたのですもの。
 お話で、私の生活の雰囲気について一層何かお感じになった理由も察せられました。フランス語の件。私はものを書くのが仕事で、責任をもって書く習慣をもっていても、あなたへものを書くときには、くつろいでいるのかしら。例えば、私が林町のうちでフランス語の稽古などはじめているのではなくて、Xがよそで稽古をDさんにして貰っていて、私はその教科書を買ってやり、その本がテーブルの上にあったもんで、あんな格言なども引き出したということが、はっきりあなたにはのみこめないようにしか、書かなかったのかしら。可笑しいような、腹の立つような気がしました。そして、実は、貴方の方に読みちがえというようなことは絶対にないもののように、ひた向きに考えこんでいる自分も一寸おかしかった。だって貴方だって――南天を御存知ないみたいなところがあるんだもの。
 林町の家の建直し(建築)は目下材料高騰で一寸見合わせですが数ヵ月うちには着手されます。正月早く、あなたには突然のように私が引越したのは、Nが正月頃傾向がわるく家をあけ(飲んで)そういうときは私が煙ったく、煙ったいと猶グレるので、Kのやりかたがむずかしいこともありありと分って一層早くうつったのでした。この目白の家が割合よかったこともあって。ここは、先の家の一つ先の横丁を右に入った右の角のところで、小さい家です。でも、夕刻晴天だと富士が見えます。交通費がやすくすむので何より助かります。バスで裁判所や市ヶ谷へゆけるの。
 木星社の印税は第一回分は三月五日によこすことになって居ります。それで、ではやっぱり万年筆を買いましょう。あなたの顔を見たらそれを買おうと仰云る思いつきの心持がよく分りました。そして、ダイヤモンド社でやらせましょう。装幀は小堀鞆音の息子で、ツルゲーネフ全集をやった人。古九谷のような赭地(あかじ)に緑のこんな形の飾、その中に文学評論集と墨でかいて右肩に著者の名。刷ることは千部刷りました。
 もう一つのおくりものフリードリッヒ『二巻選集』[自注6]も私は少し得意です。もうとうに買って大切にしてもっているのだから。古典に対する私の理解力については御懸念は決して決していりません。私はここで又ここらしい激しい波浪の間に在るのです。船は小さいと云っても、近代科学の設備を怠っては居りません。私は小さい造作がいかに科学的かということが、今日の価値であると信じているのですから。
 ジイドは、その作家的矛盾を自分から合理化すべきではなくて、ジイドが真に誠実であらんと欲するなら自分の観念的な誠実ぶりのポーズをきびしく自己批判すべきであり、その点で与えられる批判を摂取すべきであることを書いたのです。無電で小松清とジイドが喋ったとき批判はあっても愛する心にかわりはないと云った由。まだこの作家には本当のところが会得されていない。人間は自己満足や陶酔やのために自分の愛を云々するのではない、新しい、より高い価値を現実のうちに齎(もたら)すことこそ愛の実証だのに。
 ところで、この印(いん)はお気に入るでしょう。
 一月二十六日のお手紙で、あなたが万年筆のおくりものについて書いて下すったその手紙の宛名の字です。検印用です。残念なことに竹村書房から出る小説集には間に合いませんでしたが「昼夜随筆」の方には間に合うでしょう。木星社のにも二日違いで間に合いませんでした。私は大変うまく字が出ていてうれしい。ツゲの木です。数を多く捺(お)すのには一番よい由。
百合子[#「百合子」は罫囲み、手紙の中では上記の印]
 第三のおくりもの。名のこと[自注7]。私は昨夜もいろいろ考えたけれど、まだはっきり心がきまりません。単なるジャーナリズムの習慣でしょうか? 果して。もしそうだとすれば、何故私はこうして考え、よくよく考えずには返事出来ないものが内的の必然としてあるのでしょう。それに、お話を伺ったとき、私はこのことと私の生活の土台云々のことが、ああいう下らぬ混雑につれて結びついて出ている、思いつかれている、そのことでは、率直に云って大変くやしかった。そして、何だか腹立たしかった。私の生活の土台! 勿論それは常によく手入れされ、見廻られ、より堅固にされるための種々の配慮が必要であることは自明なのですけれども、そのためのいろいろの忠言というものを、私は実に評価して、一箇の私事ならずとしてきいて居ります。けれども、もし、私の生活の土台が二元的な危険をもっているならば、どうして今日まで私の人及び芸術家としての努力を統一的に高めて来ることが出来たでしょう。(この二三年間の作品が皆よんで頂けないことが本当におしい。)私は、あなたのお心持を細かく立ち入って感じて、そういうことの思いつかれたことも分らなくはないのです。決して。いえ、非常によく分る。それだけ、それが、私としてくやしい雑(まざ)りものをもっているらしいことが私の直感としてどかないのです。今私の感じているままを細かく書くと非常に面白いが、又長くなりそうで心配。簡単に云うと、私たちの生活は、貴方と私とが互に深く豊富な自主的生存の自覚、情熱に対する自主的な責任をもっているからこそ、特別な事情の中でも発育し、ゆたかに美しく花咲いているのだと思います。私があなたの妻であるからというだけで、私は貴方に対してこのような私の心を傾けているのではないのです。私が私で、そして貴方をしかく愛するからこそ外部的な力で破られぬ結びつきをもち得ている。そして、そのことが、現代の日本の法律の上で、特に我々の場合、別々では不便を来しているから、習慣に従って姓名を貴方の方のと一つにしている。そうでしょう? その方が本当というのは、特に私たちの場合、何だか私の感情の、これまで生き貫いて来た、これから生き貫こうとしている感情の全面の張りにぴったりしない。私は、可笑しい表現だけれども、中條百合子で、その核心に宮本ユリをもっていて、携えていて、その微妙、活溌な有機的関係によって相互的に各面が豊饒(ほうじょう)になりつつあること、強靱(きょうじん)になりつつあることの自覚を高めているのです。私たちの生活の波瀾を凌がせ、揺がせず、前進させている私の内部の力は、こういう力で、大局的に貴方の生活と自分の生活との充実を歴史の上に照らし出して見通して、建設して行くところから湧くのです。貴方は御自分の姓名を愛し、誇りをもっていらっしゃるでしょう。業績との結合で、女にそれがないとだけ云えるでしょうか。妻以前のものの力が十分の自立力をもち、確固としていてこそはじめて、比類なき妻であり得ると信じています、良人にしても。私たちは、少くともそういう一対として生きているのではないでしょうか。同じ一人の良人一人の妻という結合にしろ私は新しいその質でエポックをつくる、一つの新しい充実した美をこの世の歴史に加えようとして暮して居ります。こういう私の心持は勿論分って下さるでしょう? 私としては、特に、私として自分が意企しなかったキッカケから、そういうことが貴方に思いつかれたことが、何だか遺憾です。だからこのことは、私たちのおくりものとは別にしましょう。別箇の問題としましょう。ね。
 隆治さんにきょう、これと同時に手紙を出します。それから買物に出かけて、御注文の品を小包に出します。
 島田へは私も思っていたから行きますが、いつ頃になるかしら。三月のうちに行きたいと思います。三月のうちに仕事と仕事との間を見計らって。一週間か十日ぐらい。
 いろいろ書いて一杯になってしまったけれど、十三日には窪川、壺井夫妻、徳さんの細君、雅子、林町の連中太郎まで来て十三人。六畳にギューギュー。皆がきれいな花をくれ、稲ちゃんのシクラメンがここの机の上にあります。木星社の本の表紙の見本刷を額にして飾った。皆よろこんで居りました。日本画風なところがあるが安手ではありません。桜草はいかがですか。日があたればきっと長く咲きつづけるでしょう。私はこの手紙を、あなたの膝の前にいる近さで書いている、襟元のところや顔を眺めつつ。では又、御機嫌よく。おお何とあなたの目は近いところにあるのでしょう。では又。

[自注6]フリードリッヒ『二巻選集』――フリードリッヒ・エンゲルス二巻選集。
[自注7]名のこと――百合子は当時作品を中條百合子の署名で発表していた。

 二月十九日夜 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(はがき(1)[#「(1)」は縦中横](2)[#「(2)」は縦中横])〕

 エハガキが切れているのでこんなので御免なさい。
 きょう午後に小説集『乳房』が出来て来ました。くすんだ藤色の表紙に黒い題字。早速速達で御覧にいれます。「この一冊に集められている作品の中には『一太と母』のように随分古く書かれたものもあり本年の一月に発表した『雑沓』のようなのもある。旅行記は小説ではないわけであるが私の作家としての生涯にこのような旅行記を書いた時代の生活は忘られないものであるし、今日では、五六年前に書かれた旅行記も却って或味いをもって読まれるので収録することにした。私たち一部の作家がこの数年間に経験した生活の道は実に曲折に富でいた。一つの作品から一つの作品への〔以下はがき(2)[#「(2)」は縦中横]〕間には、語りつくされぬ人間生活の汗が流された。そして、直接その汗について物語ることは困難である。私は益□誰にでも読まれ得る小説として『雑沓』の続篇をかきつづけ、そのことによって私たちの芸術の到達点をも示し、自身の芸術を高め得るような仕事をしてゆきたいと願っている、一九三七年一月二十三日。」序です。今夜はこの家へはじめて佐藤俊子さん[自注8]が来て夕飯をたべ、手紙に押してあげた印を見て字の感じを大層ほめていました。あれは暖い字ですもの、本当に。とりあえず床に入る前。

[自注8]佐藤俊子さん――前年の秋、十八年ぶりにアメリカからかえってきた佐藤(田村)俊子。

 二月二十八日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕

 二月二十八日 日曜日 晴
 きょうは何だか久しぶりで心持のよい晴天。きのうの晩は座談会で銀座へ出かけたら、かえりはひどい雨で、上落合の神近さんの家の先で、送ってくれた自動車が泥濘(ぬかるみ)にはまりこんでしまって荒ナワを車輪にからみつけても、砂利をおいても動かず。どうどうと降る雨の中でポツネンと待っていて、運転手が空車をつれて来て、それでうちへかえりました。その夜の雨の中でルームランプの明るい車の中にぽっつりといて、もうあなたはきっと眠っていらっしゃると、その刻限(十時すぎ)について考え何だか妙な気がしました。
 きょうは昨夜の雨で晴れた空気の工合が一層心持よいのだが、あなたのところではどうかしら。それに私は今日うれしいのは、一日お客をことわって、『昼夜随筆』のためにかいている感想を書いてしまおうとしているからもあるのです。駅のすぐそばにいろんなものを売っている市場があるのを覚えていらっしゃるでしょうか。あすこへ行って、内側が紅で外が黄色っぽいバラを買って来て、三輪ばかりテーブルの上にさしています。
 二月九日に書いて下すったお手紙の後の分をこの数日の間大変待っていました。島田へでもおかきになりましたか? 隆治さんのことは伺ったら、隆治さん自身は希望していないのだそうです。ひとの話で、いいようなことをきいて寧ろ達治さんの心持から一寸そんなことにもふれたらしい様子です。隆治さんはやはりお家の仕事の手助けをしていらっしゃるのだそうです。そちらへもお手紙がありました? お父上が、二月十七日頃工合をわるくなすったということ。一時はお驚きになったそうですが、よい塩梅に恢復なすったそうです。しかし、元通りということは出来ず、どっちかというと病症は前進している傾の御様子です。あなたが御心痛になるといけないとお母様は御心配ですが、私としてはあなたのお心持は十分わかっているつもりですから、御病状のこともこれからずっとあるとおりにお知らせいたします。その方をあなたもよいとお思いでしょう。意識など少し混濁していらっしゃる御様子です。三月の十五日迄に私はやむを得ぬ仕事を一応かたづけ、それから島田へ御見舞に行くつもりです。それより早くは仕事の都合上絶対に無理なので、幸(さいわい)御様子も落付いているし、それまで私は大車輪に働いて出かけます。どの位あちらにいるか、それは御様子を見なければ申せず、私はお母様のお邪魔にさえならなければ、少し長くあちらにいようかとも考えて居ります。私は島田で、お客でなくなりたいから。こちらの家の留守番を見つけ、予定を別に立てずあちらへ行って見て、きめようと思います。ただ、あなたも御存知のとおりお店だから生活の様子がああいう調子の中で、私が落付いてまとまった仕事をすることはどっちかと云えば困難でしょう。そういう無理で、空気をこわしたくもないから、その点では半月ぐらいの期間を考えても居ります。
 いずれにせよ、私は出来るだけのことをいたしますからどうか御安心下さい。あなたがおやりになるだろうと思うことは皆やりましょう。そういう心付で、私は決して、あなたが残念であったとお思いになるようなことはしません。どうか深く私を信じて安心しておまかせ下さい。この手紙は十日も経って御覧になるのですね、その前に私はお目にかかるわけですが。――
 ずっと運動にはお出られになりますか? 入浴は? 今年は冬が大体暖く、春がもう来たようです。寿江子が鵠沼から来ると大抵私の方にいる。今も居ります。段々私の生活ぶりもわかって来て、ちょいちょいしたことでは手助けをするつもりで居ります。実際にどの位出来るかということは、おのずから別ですが。二月、三月(四月も)と『文芸春秋』に時評をかき、杉山平助氏から近頃の正論をはく批評家というようなことをきわめつけられ、ホーホーと我ながら批評家ということばに笑います。六芸社の本は序も簡単にしかしよくかけた方だし、好評です、全体としてそうなのは勿論当然であるが。ああいうものが売れる、それは実に興味ある現実です。私の楽天性の根拠いかに堅くリアルであるかと、努力を鼓舞されます。この前の手紙で書いたおくりもの第三についての私の心持はおわかりになっていただけたかしら。議論めかしくて可笑しいやですが、書くとやっぱりあのようにしか書きようがない。そして、私は心でひとりで思っているの、貴方は、御自分が本当に安心して大らかな心持でいらっしゃれるのは、ああいう風なところが私にあって初めて可能なのだがナ、と。己惚(うぬぼ)れではありません、決して決して。現実は錯綜して、困難で、もし私が自主的に生活に責任をもってゆけないのであったら、あなたは迚も心付きを云って下さるに暇(いとま)ないどころか、実際には常に万事手おくれであることになるのだから。でも、私は大体に、まだまだ貴方に勘でお心遣いをうけるようなアンポンがあるのね、そのことでは本当にすまないし、一方から云うと勘が本質的には的を外れないということが有難くうれしくもあります。
 これは大変微妙な心持。このような歓びというのは。私は評論を、作家、人間としての洞察から現実に即して自由にかいて、或ことを云い得ている。小説でも、今どうやら一歩前進の過程にあるらしく、努力のコツとでもいうか、そういうものが会得されかかった感じです。現実を、その全体が立体的に活きて働くように書いてゆく、描写してゆく、何とそれはむずかしいでしょう。私は評論をかく上で体得したものを、小説で更に高く形象的に身につけようと意気ごんでいる次第です。私は、生れつきが小さい持味でまとめて、その人らしさだけで立ちゆくタイプではない、もっと違った何かがあって、それを全面的に発展させるためには自分の人一倍の努力がいる。より大きい美のためには。私たちはそういうたちですね。ああ、こういう話をしはじめると限りがなくなってこまる。保田与重郎は『コギト』を出し(雑誌)日本ロマン派の理論家であるが、この頃は王朝時代の精神、万葉の精神ということを今日の文学に日本的なものとして提唱し、そのことでは林、小林、河上、佐藤春夫、室生犀星等同じです。現代には抽象的な情熱が入用なのだそうです。三木さんは青年の本質は抽象的な情熱をもちうるところにある云々と。そのような哀れな空虚な青年時代しかこれらの人々は持たなかったのでしょうか。二十五日に文芸春秋社の十五年記念の祭があり、稲ちゃん、俊子さん等と行きましたら、小林秀雄というひとがお婆さんのような顔つきで、私に妙なお土砂をかけました。フウー。では又。これから仕事をします。どうかよくおやすみになるように。

 三月一日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(五色温泉の山の写真の絵はがき)〕

 三月一日、小雨。白揚社へ最後の原稿をもって行って、神田で寿江子と支那飯をたべるために歩いていてこれを見つけました。これは奥羽の五色温泉の山の上の高原の雪景です。私は九つ位のとき父と祖母と一緒に五色に一夏くらしました。温泉宿は一軒で、そこの窓からは山の中腹で草を食べている牛も見え、この原はサイ河原と云ったと思います。
 夏も大変うつくしい景色です。夜はこれも寿江子と帝劇で二都物語を観ました。当時のフランスの人民がよく描かれていませんね。

 三月四日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕

 三月四日 快晴、些か風。第八信
 きょうは水曜日です。私はいつも水曜日木曜日などという日は特別な感情で朝テーブルの上を見る。けさ、眼鏡をまだかけないで下へ降りてテーブルを一寸見たら、心待ちにしている例の封緘がなくてハトロン封筒が一枚あり。何だろうと思って手にとって見て、ハア、とうれしく、それでも実に実に珍しくて丁寧に鋏で封を切ってそのまま一通りよんで、又よんで、食事の間じゅうくりかえして出したりしまったりしました。可笑しいのね、何と可笑しいのだろう、一通の手紙でも見る毎に何かいいものが出て来そうな、何かよみ落しているような、もっと何かあるような気がして、まるで宝の魔法箱でも眺めるように飽きないのだから。この分量だけ手紙を下さるのにあなたがとって下すったいろいろの手数はよく分るので一層うれしゅうございます。
 二月十七日に六信をかき、二十日すぎに七信をかきました。もうそろそろ二つとも届く頃でしょう。
 このお手紙に書かれているすべてのことは皆よくわかりました。或はもう分っていたこと(お目にかかって)もあり。(差入島田の要点等)
 いまうちには信州の方の知人へ稲ちゃんが世話をたのんで呉れ、よい人が見つかりそうですから御安心下さい。ヤスのような人物だったらどんなにいいでしょう、あの半分位でも。
 いずれにせよ、私は私たちの生活全面を非常に愛しているのです。そして辛いなどと、きりはなして考え、又感じたことは殆ど一度もない、これこそ、私は私たちの無上の幸福だと思って居ります。私が身に引き添えて思うことは、私たちの文学の上にでも、しなければならないことに比べて、生活術が未熟だったり、人間としての鍛練が足りなかったりすることを自覚したとき、ああもっともっと豊富になりたい、とそれさえも私の場合では希望の光の裡で欲求されるのです。私は御承知の通り滅入らないたちの女です。私の方にあらわれる生活上のいろいろのこと=次善的な方法で家をもたなければならぬこと=それさえ私は私たちの生活として決して半端とかあり得べからざるとかいう俗的規準で感じていず、全的なもの、全く充実したもの、私たちの現実の中でもち得る唯一のものとして生きているのです。どうぞ御安心下さい。私にもし例外的に己惚れが許されるとしたら、この点だけです。貴方という存在は、朝夕まわりに姿を立ち動かしていないでも十分私をたっぷりと場所に坐らせ、豊かにさせていらっしゃるのだから。私たちはその点では本当の自信に満ちています。ただ、私はね、些かアンポンであるし、その自信を現実の歴史的な価値に具体化してゆくために、えっさえっさであるというわけです。それもなかなかよろしいのですよ。疲れすぎない程度に腰を据えて仕事を押してゆく心持は。
『文学評論』が(六芸社の方)いろんな本屋の店頭に積まれている。となりの方に小説集も落付いた藤色の表紙で並んでいる。何というよい眺めでしょう。評論感想集の方の名は「昼夜随筆」というのにしました。わるくはないでしょう。「わが視野」というのはよい題です。この次のにつけます。
 私の感想評論はこの頃少し内容がましになって、この次の分には「わが視野」とつけてもよいらしい。この頃のは評論に力点があるの。
 私の誕生日は謄本には二月十一日でしょう? 十三日なのです。何を間違えたのか。ずっと間違いっぱなしです。私はこの頃益□夜仕事をするのがいやなので、なるたけ午後一日じゅうの仕事をするようにします。夜ちゃんと寝て、朝起きる、そういうのでないと私にはつづかないから。
 中野さんが三四日前、銭湯の洗場で滑って左腕の肱の内側をガラス戸へ突込んで深く切り、小さい動脈を切ってしまって、手術をうけ目下臥床中です。あのひとは今年の正月はスキーに行って右肩を雪につき込んでくじいてしまったし、怪我がつづきます、もう然し心配はいらないのです。
 島田の方ではお父様ずっと平調でいらっしゃるらしく何よりです。前の手紙でお話ししたように私はもしかくり合わせたら三月二十日頃から出かけます。四月十日頃までの仕事沢山ありそれを全然しないことは出来ず、その点をも考えて。おくりものは、やはり万年筆にします。ペン軸でもし非常に恒久的なのがあればよいが。今つかっているのはもう十四五年になるが、それでこわれたりしてはいやだから。私はこわれないの、折れないのが欲しいから。古典も、大抵揃って居りますが、書簡の部分を、うごかして、それきりどうかなってしまっているから補充しましょう。
『学鐙』、『アナウンスメント』等現在のはお送りしあとは丸善に注文しました。貴方の方から御注文であった本の目録は別封でお送りいたしましょう。これはこれとして。今年の春は、本が三冊も出て、傍らものも沢山かき、賑やかな時です。しかし、執筆のレベルは一つよりは一つへと高まらなければ意味ない。昔よりずっとずっと勉強です。又自らちがった形で。
 私は今年の記念にそしてあなたが三十歳におなりになったお祝いに、私たちの蔵書印をつくるつもりです。もう自分から本を売るようなことはしないから。お体をお大切に。皮膚がゆるんでカゼを引き易いからお大事に。

 三月五日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(梅の花の写真の絵はがき)〕

 三月五日 金、春の北風。
 きのうは半紙のお手紙をいただきうれしく早速返事をさしあげました。昨夜は国際ペンクラブの大会でアルゼンチンへ行った藤村の歓迎会へよばれ、芝公園の三縁亭という珍しいところへゆきました。
 上野の精養軒のようなガラリとした、もっとオフィシャルな感じの店で、会にも文芸コンワ会の代表、国際文化振興会の代表等出席。藤村の挨拶は世界の大きい波に一寸でもふれて来ただけ、作家らしいものをよい意味でもっていました。きょうは下の四畳半へ勉強部屋をうつし、夕方太郎が汽車ポッポ見物に来。

 三月七日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 目白より(封書)〕

   注文書のリスト[#「注文書のリスト」は罫囲み]上に*をつけたのはもう送った分です。
(一)[#「(一)」は縦中横] 一九三五・六・一  咲枝宛
 改造日本文学全集中「独歩」「漱石」「藤村」
 春陽堂明治大正文学全集『長塚節集』
 アンドレ・ジイド*『一粒の麦もし死なずば』
          『ドストエフスキー論』
 『日本経済統計図表』
 『近世日本農村経済史論』
*『憲政篇』*『正史篇』『軍事篇』
 章萃社『日本社会経済史』
   *『日本経済年報』第二十輯
    『日本歴史地図』
(二)[#「(二)」は縦中横] 一九三五・七・二七  咲枝宛
 改造社文学全集中*「漱石」「独歩」「藤村」「長塚節」
 改造名作選集中「藤村」「漱石」
 『開化期文学集』*『戦争文学集』
 新潮社全集「ディケンズ」「スタンダール」「ドライザア」*「トーマス・マン」
 英書 The Works of W. Shakespeare, gatherd into one Volume
 中央公論『シェークスピア研究』の栞
(三)[#「(三)」は縦中横] 一九三五・一〇・二六  咲枝宛
 図書月報・全集内容見本、普通目録 丸善の洋書目録中政治経済芸術哲学ノ分類目録
*?[#「*?」は縦中横]『日本歴史地図』『東洋歴史地図』『兵法全集』
(四)[#「(四)」は縦中横] 一九三五・十一・二  咲枝宛
 佐々木惣一『憲法』*上杉『憲法読本』 アモン『正統派経済学』 小泉信三*『アダム・スミス、マルサス、リカアドオ』 クーノー『ヘーゲル伝』 安倍『近世哲学史』
(五)[#「(五)」は縦中横] 一九三六・三・一四  寿江宛
*『日本経済年報』第二十一、二十三輯
(六)[#「(六)」は縦中横] 一九三六・五・二六
*ブランデス『ゲーテ』
(七)[#「(七)」は縦中横] 一九三六・一〇・三日  上林の百合子へ
 『リカアドウ』 林権助『わが七十年を語る』*『猟人日記』*小宮『漱石襍記』 木村『旅順攻囲軍』 ツルゲエネフの*『散文詩』
(八)[#「(八)」は縦中横] 一九三六・一〇・二一  百合子へ
*『療養新道』*『栄養食と治病食』*『内科読本』*『国民保健読本』
(九)[#「(九)」は縦中横] 一九三六・十一・二  百合子へ
 プーシュキン*ツルゲーネフ*フローベル*ゲエテ全集目録
(十)[#「(十)」は縦中横] 一九三六・十二・二六  百合子へ
 プーシュキン全集目録
    ――○――
 以上の中、林の『わが七十年を語る』『リカアドウ』は目下本屋にたのんであります。『ヘーゲル伝』は近日お送りいたします。ブランデスの『ゲーテ』はよんでおかえしになったのではなく、数が多すぎたので一旦送りかえした本の中に入って来たのではなかったでしょうか。もしおよみになるのだったら又入れましょう。
    ――○――
 三月二日づけのお手紙をありがとう。一通りよんだときいろいろの感情を経験し、それからずっとその感情を感じつめて、結局私が貴方に向っていうことは心からのありがとうであるとはっきりしました。ありがとう。
 あなたが私の生活について考えて下さるだけ考えてくれている人はない、本質的に。ディテールについては又別にかきましょう、特に父について。それはそれとして、又おのずからお話しもあり。それから私は随筆的存在ではないし、本もそうではないし、そういう生きかたをし得るものでもないでしょう? 元来。一人の女としての愛情から云ってさえも――
 今『都』へ「文学における復古的提唱に対して」書いています、四回。
   附録 一枚
「わが視野」の内容の概略を一筆。
 社会時評、文芸時評、作家研究、随筆で、社会時評はいろいろ。
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