ひしがれた女性と語る
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著者名:宮本百合子 

 又たとい、如何程経済状態は良好であるにしろ、今日、そう云う階級に属すあらゆる人々が、彼等の被雇人に対して、全く彼我を忘れた愛で、十年十五年の医療費を提供すると思えるでしょうか。
 死ぬにまで、苦々しい施恩と卑下に縛られなければならないと云う考えは、心を暗くします。
 他人の世話に成らない為に、養老院と、慈善病院があるではないかと云う人が無くはありますまい。けれども、私共が自分自身を、その裡に置いて考え、感じた時、あそこは果して快い平安な最後の場所でしょうか。
 家族制度によって、過去幾百年来、全然、子と呼ぶ者を持たない人間、全然、扶養される権利を主張しない老人のあることに馴れない一般は、まだまだそれ等の機関に「人の棲むべき」光明と魂とを与えていません。
 公平に云って、現在それ等は、避けたい場所でなければなりません。
 若し、貴女が真個に良人を愛し、その愛の為に自己を貫き度いと云うのなら、どこまで遣れるか、遣れる処まで突き進んで見たらよいではありませんか、たといその為に行倒れになったとしても本望でしょうと云う、言葉は燃え、壮(さか)んです。
 けれども、それが、全く生命を以て生きるのは、義人の魂の裡丈だと云うことを、私共は忘れてはなりません。
 十人の人は、皆、正しく生きたい本願を裡に潜めています。が、それと同時に、あらゆる地上的な幸福に手を延すことを制し得ません。
 どうにかして、正しく、且つ健に楽しく、生活は運転されて行かなければならないのです。
 私は、彼女の衷心の希望の対立を認めない訳には行きませんでした。真に良人を愛した者が、次の結婚を無感覚に事務的に取扱えないのは、本当の心持でしょう。それと共に、彼女が、出来る丈、人並より僅少に思われる幸福の割前を逃すまいとするのも、嘲笑するどころのことではありません。
 ここで、考えは、いや応なく、又、それならばどうしたらよいか、と云う基点まで逆戻りをしなければ成らなく成って仕舞ったのです。
 実際問題として、彼女も自分も共に満足する解決を見出すには、自分は余り無力でした。
 彼女は、今に必要な時気が来れば、きっと結婚することになりましょう、彼女に対して、自分は、幸福を祈る以外の言葉を持ち合わせません。
 人間の生活慾は、物凄い迄に強靭なものです。どうにかして彼女の一生は過ぎましょう――が……私共の考えるべきことはここで終ってよいのでしょうか。
 私は、是非もう一歩、進めたく思います。
 若し、我々が、人生を只食って生きて安わして行く為のみの実在と認めないならば、種々偶然的な境遇の力に支配されて、大切な人間の核心を失って行くものを、已を得ぬこととして傍観する自他の不誠実だけは、極力排けて行きたく思うのです。
 性格の或る傾向が内的動機となって対照との間に生ずる個人の運命は、全く運命で或る程度までは不可抗であり絶対です。けれども、境遇によって、人間の心が生かされ、殺されて行く場合には、疑なく他から加えらるべき何ものかがあると思います。
 人類中の、少数の人々にとってはいかなる地上的幸福も悲惨も終局、内奥の人格に些の汚点をつけるにも足りないと云う特殊な場合はあります、非常に偉大な人格は、全く独立した人格で、何処にあっても、圏境を超えてそれが素で働いて行くと云うことなのです。
 然し、我々は、ざらに、それ程宏大な力強い人格を期待することは出来ません。
 境遇の善悪、幸不幸などと云うことは、それによって人格が何等かの影響を与えられるからこそ問題となり得るのです。要点を云えば、境遇と云うのも、単に具体的現象の種々な相自身を指すのではなく――親が無い、極度に孤独だと云うその事実を云うのではなく――その事実に籠っている心理的な暗示の要素を指す事になります。
 それ故、若し我々が真個に人間を愛し、女生と云う相互の密接な関係を愛するならば、人とし、女性とし、生くべき心を無にするあらゆる境遇は、改善して行かなければならないのではありますまいか。
 その婦人のような場合も、若し、現代の社会に何か違った組織の一つが加えられているならば、もっと異った結果になりはしなかったろうかと思われます。
 たとい若し、彼女の最初の婚約が全然絶望的なものと成った当時、既に、自力によって一定の収入を得る総ての女性間に、経済的相互扶助機関が確立しているとしたら、どうなったでしょう。
 収入の幾割かを皆が積立てて、その適当な運用、利殖によって、組合員の老後や病時の安定が保障され得るとしたら、恐く彼女はあれ程生存の不安に追立てられは仕なかったでしょう。
 従って、第一回の恐ろしい失敗は或る程度まで未然に防がれた可能があり、同時に幾年かのより長い経験で裁縫なら裁縫の技術が練磨されたと共に今回のような不幸に遭遇しても、全く、人間としての希望の上に立って、根底ある生活を持続し得る信念を与えられたのです。
 勿論、右のような経済的制度、基礎的団結のみが箇人の価値を、急激にあげようとは思いません。
 然し、例えば彼女のように、或る程度の人格的覚醒と同時に、伝習的虚弱さを具有する今日の多数の女性の為には、少くとも、生活の根本動機を自己の心意に置き得る丈の役には立つと思います。
 良心の疚(やま)しさを、種々な自他の慣習的弁護で云い繕いながら、粗野な言葉を許されれば、幾十人の女がしたように、糧食と交換に「女性」を提供する、「気」にならずにはすむ訳です。
 口実を許す「実際的必要」がなくなれば、口実によって人格を無視する訳には行かなくなります。既に、左様な組織が存在すると仮定すれば、目下種々な事情から生活方針の選択に迷っている者は少くとも最後の判断は自分の心によってなされるのだと云う責任感も与えられ、当然、考察の深化と視野の拡大は予期されます。又、これから人生の始ろうとする者は、先ず人として立とうとし、前時代の女性には一種の宿命的威嚇であった「身の振りかた」と云う概念に制せられないでもすむことになるではありますまいか。
 現今、学識の深い女性は多くあり、特殊の技能を持った婦人は非常に増加しています。その中の或る者は、明に独立的人格者として、生涯を自己の意志で支配して、或は、するべき必要を感じているのです。然し、平時の生活はどうでもなりはしても、不時の災害の種々な場合を予想してそれを断行し得ない者が幾人あるか分りません。
 自分が一旦宣言して、境遇から、或る人間の裡から去ったのに、どうして又病気になったからと云って、おめおめ尾を振って行かれましょう、この心持は、感情として、非常な力を持っています。
 何も、総ての女性が経済上独力で生活すべき、と云う為にこの事が心に必要を感じさせたのではありません。或る事――或る生活が、或る時代の多数の人間をより正しく――輝しく意義あるように生かせるとしたら、それを完うするために、相互の深い理解と愛から生じた方法、組織が親切に、賢く案出されるべきだと思ったのです。
 この考えは、未だ考えとしても発育未完なものです。まして、容易に実行され得ることではありません。
 けれども、私共に、只注入された知識としてのみ、よりあるべき内容の人生の可能を知っていればよいのでしょうか。
 土台をかためる、一つの小石も運ばないでかまわないのでしょうか。
 私共は、真個によりよい事実の上に生きることを熱望致します。〔一九二一年八月〕



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