マクシム・ゴーリキイの伝記
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著者名:宮本百合子 

「ところで俺のところへやって来る気はないかね? 俺はヴォルガを四十露里ばかり下ったクラスノヴィードヴォの村に住んでいるんだが、そこに俺の小店があるんだ。君は俺の商売の手伝いをする。これには大した時間をとりゃしない。俺はいい本を持っているし、君の勉強を助けてあげる――いいかね?」
「ええ」
「金曜日の朝六時にクルバートフの波止場へ来てクラスノヴィードヴォからの渡船を訊きたまえ。主人は、ワシリー・パンコフだ」
 立ち上り、ゴーリキイに幅の広い掌をさし出し片手で重そうな銀の□パン時計を取出して云った。
「六分で済んじまった! そうだ、俺の名は――ミハイロ・アントーノフ、苗字はロマーシ。そうだ」
 こうして二日後には、クラスノヴィードヴォに向ってやっと解氷したばかりのヴォルガを下った。桶や袋や箱を重く積込んだ渡船は帆をかけ、舵手席に、平静で、冷やかな眼をしたパンコフが坐り、舷には灰色の脆い早春の氷塊が濁った水に漂いながらぶつかる。北風が岸に波によせて戯れ、太陽が氷塊の青く硝子のような脇腹に当って明るく白い束のように反射しながら目眩く輝やいている。
 ゴーリキイは、ロマーシと並んで帆の下の箱の上に腰かけていた。ロマーシは静に云う。
「百姓達は俺を好かない。特別――金持ち連中は! この嫌悪は君も自分で経験させられるだろう」
 長い鉤竿で、羊の群を放ったように川面に浮いている氷を押しやりながら、パンコフのところに使われている髪蓬々の、坊主の古帽をかぶったククーシュキンが、二人の方へ顔を向け、有頂天に云った。
「アントーヌィッチ、殊に坊主があんたを好きませんや……」
「そりゃあ確かだ」パンコフが裏書きする。
「貴方はあの犬にとっちゃ、喉にひっかかった骨だからね」
「だが俺には友達もある――それが君の友達になるだろう」
 ゴーリキイにはロマーシの平静で、単純で、重味のある言葉が気に入った。何故、自殺しようとしたのだ、と訊かないのが、特に愉快だった。ほかの連中ならきっと訊いたであろう。
 クラスノヴィードヴォは、高い、峻しい崖の上に、教会の青い屋根が聳え、それからずっと山の端沿いに丈夫そうな小屋が金色に藁屋根を輝やかしている村であった。
 真直な大きい鼻のついた紅色の顔に、碧色を帯びた眼が厳格に光っている、背の高い、いかにも美しい一人の漁師が崖下の船着きへ下りて来た。声高く優しく云った。
「よくおいでやした」
 このイゾートはロマーシに対して親切に、配慮ぶかく、保護するようにさえ振舞っているのがゴーリキイにわかった。ロマーシは、これらの百姓パンコフや漁師イゾートなどとこの村で「人間に理性をつぎ込む仕事」百姓と小地主とを組織して農業組合をつくり、買占人の手から彼等をきりはなそうと試みているのであった。ロマーシは、手はじめにクラスノヴィードヴォの村にこれまでからある二軒の店よりやすく品物を売ることにした。
 ロマーシは、ゴーリキイがデレンコフの店で知り合っていたナロードニキの人々とは民衆に対して異った考えを持っているのであった。
「あすこの君達のところじゃ、学生達が民衆への愛についていろいろ喋っている。俺はそれについて云いたい。愛する――というのは、妥協し、寛容し、黙認し、許すことだ。が、民衆の無知を黙認し、その迷妄と妥協し、そのすべての卑屈さを寛容し、その野獣性を許すことが出来るかね? ニェクラーソフに溺れていたんじゃ何一つ出来ない。百姓は教えられなければいけない――お前が殴られないように生活することを学べってね」
 ロマーシの蔵書には科学的なものが多かった。彼はチェルニゴフの鍛冶屋の息子であった。キエフ駅の油差しとして労働しているうちに運動に入り、労働者の研究会を組織した。捕縛されて二年の牢獄生活の後、シベリアのヤクーツクに流刑された。十年間そこに暮した。革命的学生として同じ頃流刑されていたコロレンコを知っていた。
 苦しい動揺の後、自分にとって余り誇りとならない事件の後のゴーリキイにとって、このロマーシの着実な、人間的な処理ぶりは非常にためになった。「それは私を真直にした」と、ゴーリキイは顧みて書いている。「忘れ得ない日々であった。」
 日曜日に、礼拝の後ロマーシとゴーリキイとは店をあけた。店の入口に百姓が集りはじめた。往来を晴着を着た娘達が通り、釣竿をかついだ子供が走り、がっしりとした百姓たちが、店の連中、そこにかたまっている群を斜に見、黙って縁なし帽やフェルト帽をあげながら通って行った。その夕方、ロマーシはどこかへか出て行った。小屋に独りいたゴーリキイは、十一時頃、不意に往還で射撃の音をきいた。どこか、近くで発射されたのであった。雨が降り出していた。闇へとび出して見ると、ロマーシが、大きく、黒く、急がず水の流れをよけて、門の方へ歩いて来るのを見た。誰か、棒材を持った奴がロマーシを襲った。
「どけ、撃つぞ、と云ったがきかないんだ。で、俺は空へ向けて撃ってやった。――空にゃ傷がつかないからな」
 ゴーリキイは非常によく生活しはじめた。規則正しい読書。一日一日が新しい重要なものを齎した。ヴォルガの漁師イゾートの快い、感動的な素朴さは、ゴーリキイの心を動かした。イゾートは孤児で、土地を持たない百姓で、漁師の仕事でも孤立していた。イゾートは百姓について云った。
「奴等が親切だなんて思わねえがいいよ、ありゃ、ごまかしの狡い人間共だ。――農民は、群れで仲よく生活しなけりゃならねえ。そうすりゃ力になる! ところが金のある奴等は村を割っちまいやがる。全く! 自分で自分の敵になるんだ」
 美しい、貧しいヴォルガの漁夫イゾートのこれらの言葉は、鋭く当時のロシアの農村の現実につき入っている。ナロードニキ出のロマーシは、他の農村派の人々よりは、現実的に農民を理解していたであろう。彼は、農奴解放が行われて僅か三十年しか経たないロシア農民には、まだ自由とは何かということを理解するには困難であること。農民は政治上の自治権を獲得しなければならないこと。自分達の組合をもたねばならないこと。それ等をよく理解していたらしい。けれども当時ロシア関税政策の結果として起った農村の窮乏。地代の騰貴。七分、八分五厘という高利の「農民銀行」を利用する富農の強化などによって、驚くべき勢で農村の階級的分裂が促進されつつあった。ロシアには一千万の労働者と、その二倍の貧農が発生しつつあった。ロマーシとゴーリキイのまわりに親密な感情をもって集ったのは、クラスノヴィードヴォの村での、そういう貧農たちと、進歩的な、中農なのであった。
 村での実際の生活とその観察とは、ゴーリキイにナロードニキ達によって知らされていた大ざっぱで、理想化された農民というものの考えかたに変化を与えた。農村では、都会よりもずっと健康に、誠実をもって人々が生きていると聞かされ、又多くの本はそう書いている。然しその生活の裡に入ってみると、ゴーリキイに「農民の生活はそんな単純なものには見えな」かった。「それは土地に対する緊張した注意と人々に対する多くの敏感な狡猾さを要求している。そしてこの理性の貧しい生活は誠実ではない。村のすべての人々がまるで盲人のように触感で生活し、皆が何物かを恐れ、互に信ぜず、何か狼のようなものが彼等の中にある。」ゴーリキイにとっては「理性的に生活しようと欲する人々を何故あれ程執拗に愛さないのかを、理解するのが困難であった。」労働者と全く違う農民の気質、農村に対する都会の知的、文化的優越をゴーリキイはまざまざと感得した。田舎はゴーリキイの「気に入らない」のであった。
 ヴォルガの村々へ、林檎の花とともに咽ぶような春の季節がやって来た。月の夜、軽い風に蝶のような花は揺れ、微かに音をたて、そして村全体が金を帯びた碧色の重々しい波に揺れているように見える。休みの日の夕暮、娘達や若い女達は雛鳥のように口を開けて歌をうたいながら、村の往還を行った。微かに酔っているような笑いを笑う。村の女たちにいつも愛されているイゾートもまたまるで酔っているように微笑する。彼は痩せ、一層厳しく、美しく、神々しくなった。
 或る休み日の朝、ロマーシの小屋の煖炉用薪に火薬をつめこんだ者があり、それが爆発して、あやうく下女を殺しかけた。窓ガラスが皆こわれた。通りを子供らが叫んで馳けまわった。
「ホホール(ウクライナ人の蔑称)の家が火事だ! 焼けちまうぞ!」
「奴等を村から追っ払え!」
 小さい、赤毛の百姓が、片手に斧をもって窓から小屋へ入りこもうと藻がいている。薪を手に持ったまま、平静至極にロマーシがその赤毛の百姓に訊いた。
「お前何処へ行く?」
「消しに行くんだよ、とっさん!」
「どこも焼けてやしないよ」
 それから、ロマーシは店の入口へ行って、細工のされた薪を群集に示しながら云った。
「お前たちの中の誰かがこの棒へ火薬をつめて、それを俺達の煖炉の中へ突込んだんだ。だが火薬が少ないんで、害はなかった」
「私の大学」に、ゴーリキイは、卓抜な洞察をもって描写している。「人々はあたかも何物かを惜むように、ゆっくりと、いやいやに散って行った」と。「戦争だ!」とパンコフがやって来て、こわされた煖炉を見て呻ったのは真実であった。果樹園所有者組合の組織に成功しはじめたロマーシに対する「戦争」は、もとより村の富農から挑まれた。富農に買われる酔いどれの悪党としてはあつらえむきの兵士コスチンがある。
 七月半ばロマーシがカザンへ行った留守に、イゾートが殺された。ゴーリキイの心を魅していたヴォルガの漁師は、頭をうしろから破(わ)られ、ボートの底に穴をあけられて、死んだ。水に洗われているイゾートの死体を見下す崖の上に「陰鬱に、緊張して、二十人ばかりの富農が立っていた。貧農たちはまだ耕地から帰って来ていなかったのである。」その間を「狡そうで臆病な村長が、杖をふりながら動きまわり」読むような調子で、
「ああ、何という乱暴だ! おい、百姓たち、いけないねえ!」
と云っている、それらの姿は、「私の大学」中最も読者の心に深く刻み込まれる描写の一つである。
 署長が村へ呼ばれた。署長は富農の家へとまった。そして、イゾートの死体の発見された夕刻、群集の中で一人の商人を殴ったククーシュキンを、穴蔵へ入れるように命じた。それぎりであった。村は、自身の犯罪を深く呑みこんだ。
 ひと月たたない或る朝、店の倉庫代用につかわれていた納屋から火が出た。そこには、石油、タール、バタ等の商品が入れてあった。ゴーリキイが、火をくぐって納屋へとび込みタールの樽をころがし出し、石油の桶へ手をかけたら――樽の栓はあいていた。そして、地面に石油が流れている。火事は四つの小屋を焼いた。ロマーシとゴーリキイとは百姓達を指揮して消火に奮闘した。ロマーシの命令は「おとなしく聞かれたが、彼等はまるで、他人の仕事をするように、恐る恐る、何だか絶望的に働く」のであった。往還の末に、村長と村の商人を先頭とする金持の塊が認められた。彼等は見物人のように何もせずに立って、手や棒を振りながら叫んでいる。
「火つけだ!」
 金持連の中から悪意ある叫びが聞こえた。
 商人が云った。
「奴の風呂場に気をつけなけりゃいけねえ」
 十軒ほどの家をやいて火事が一応消し止められると、十人ばかりの金持が、二人の百人長にロマーシの手をとらせ、村長を先に立てて、谷の方にあるロマーシの風呂場へ行った。
「風呂場をあけろ!」
「錠をこわせ――鍵はない」
 ロマーシは、棒をもって駈けつけて来たゴーリキイに云った。
「奴等は俺が風呂場へ商品を隠して自分で店に火をつけたんだと云うんだ」
「お前えら二人がよ!」
「壊せ!」
「正教徒が……」
「責任は負う!」
「俺達の責……」
 ロマーシは囁いた。
「俺の背を合わせて立って呉れ! 後から殴られないように……」
 風呂場は、勿論空なのであった。
「何んもない!」
「何も?」
「ああ、畜生!」
「よせばいいのに、百姓達は――」
 いくつかの声がそれに答えて、劇しく酔いどれのように、
「何が――よせばいいのにだ?」
「火にくべろ!」
「謀反人(むほんにん)……」
「組合をたくらんでやがる!」
「黙れ!」
 大声でロマーシが叫んだ。
「どうだ。風呂場に商品のかくされていないことは見ただろう。それ以上、何が必要なんだ? 何も彼も焼けてしまった。残ったのは、それ、この通りだ。自分の財産に火をつけて何になるんだ!」
「保険がついているんだ!」
「奴等を眺めていてどうするんだ?」
 見知らぬ、小さい、跛の百姓が、聞えるように踊りながら、劇しく金切声をあげた。
「煉瓦で奴等をやっちまえ! 遠慮するな!」
 その百姓は実際に煉瓦をとって、手を振って、それをゴーリキイの腹へ投げつけた。パンコフ、ククーシュキンそのほか十人ばかりの者が駆けつけたとき、商人クジミンは勿体らしく云い出した。
「ミハイロ・アントーノフ。お前は賢い男だから、火事が百姓を気狂いにする位のことは、分っているだろう……」

 ロマーシは、焼けのこったものを皆パンコフが新しく出そうとしている店へ売り、ヴャートカへ行くことに決した。
「そして、幾日か経ったら君を呼ぶことにする、いいかね?」
「考えて見ます」
 この時ロマーシは、カザンのマリア・デレンコフと結婚しようとしていた。その報告をロマーシからきいた時から、ゴーリキイは既にロマーシと一緒に生活する時の終ったのを感じていた。何故なら、兄のパン店で本をよむ女売子として働いていたマリアを、ゴーリキイは恋していた。しかもマリアという彼女の名を父や兄や夫が呼ぶようにマーシャと呼び得る機会は、自分の一生に決して到達しないことを全身で理解しつつ。そのマリアがロマーシの妻となり、猶ゴーリキイが嘗て彼女を恋していたということを、彼女がロマーシに話した――恐らく現在の幸福を一層甘美にする笑いと共に。それらのことは、ゴーリキイに、彼等とは別に暮した方がいいと思わせるのであった。
 ロマーシは遂にクラスノヴィードヴォを去った。ゴーリキイは、この別離から深い哀愁をうけた。
「また会おう、友達!」
 そう云って別れたロマーシとゴーリキイが再会したのはそれから十五年後、ロマーシが「民衆の意志」党の事件でヤクーツクで更に十年の流刑を終ってからのことであった。
 秋になってから、ゴーリキイは村を去りカスピ海の岸「汚いカルムイッツの漁場、カバンクール・バイの漁師の小さい組合に入ることが出来た」のであった。

 クラスノヴィードヴォの農村生活に於けるこれらの強烈な経験の描写は、「私の大学」の中で芸術的に優れた部分をなしているばかりでなく、私共の特別な興味を唆る点は、このゴーリキイによって描かれた農村生活の数十頁が、歴史的にはツルゲーネフの「処女地」とショーロホフの「開かれた処女地」との間をつなぐ社会的事情を反映していることである。「処女地」は知られているとおりナロードニキの活動の高揚期を捕え、インテリゲンツィアの側から、若き先進者たちの内的矛盾を描きつつ農村を観察して行った作品である。農民はここでは一様に、灰色なものとして現れている。無知、狡智の錯綜が、一般性においてとりあげられている。
 ゴーリキイがそこに生きて、そして殺されかかって観た一八八〇年末のロシアの農村には、既に階級があらわれ、農民の気分も、その人々が村で置かれている位置に従って変化をもっていることが、描写の中に十分反映している。先進者の努力は、農村のどういう人々の群の利害と対立し、どういう人々の幸福と結合し得るものであるかということの実際を、ゴーリキイは、恐らく自覚した以上の鮮明さで描き出しているのである。しかしながら、そこにはまだ「開かれた処女地」に於て輝き出した新しい世界観、組織の力は見出せない。
 同時に、ゴーリキイの生涯を通じて(最後の数年間をのぞき)持たれた彼の農民に対する考えかたの根が、このヴォルガ河畔の村落生活の経験によって植えつけられたことも、見落せないところであると思う。ゴーリキイは、ナロードニキが民衆を想像したようにでなく、民衆を自身その中の一人として理解していたように、農民をトルストイ的傾向と、全然反対に観破した。特に、富農らが、どんなに「理性を憎悪」するかということ、その富農らに百姓はどんなに瞞着され、ふりまわされるかということ。猶農民の一般的な貪慾さなどというものを、ゴーリキイは嫌悪し、農村の暗さ、野蛮さ、農民の愚痴っぽさに対して都会の優越を、都会の労働者の積極性を対立させ、より高く評価しているのである。急速に没落した小市民の家族から出生したと云っても境遇の必然からプロレタリア的な暮しの中で成長しつつある青年ゴーリキイの心持がよくわかるのである。が、このことの中には私共を誘って、更にもう一歩奥まったゴーリキイの精神の内部へと立ち入らせるモメントを含んでいる。それは一九二三年「私の大学」の中でこれ等の生彩ある部分を書きながら、ゴーリキイが、では、何故、都会と農村との間にはこのような反撥が生じているのか、何故、農民は概括的単純に労働者の協力と云うことは出来ないかという問いを、たとい、自分自身に向ってでも提出していないかということである。少年時代から「何故に?」という疑問をたぐって現実をかき分けて来たようなゴーリキイにとって、これは、何となくふさわしくなく思われる。都会と農村との反撥について、農民の抱いている理性への反逆について、クラスノヴィードヴォの村で受けた印象は二十一歳のゴーリキイに余り強烈であったと見える。「煉瓦でやっつけろ!」という熱い喚き声の感銘は、作家ゴーリキイの中で一つの固定的見解となったかのようである。ゴーリキイは農村に関するこの個人的、肉体的見解、感情のために、ロシアの現実の大局的理解を誤った時期さえある。その最も顕著な例は一九一七年の十月以後であった。
 歴史的には古い文化に対する新しい文化の擡頭、その発展のための闘争としてゴーリキイの生涯に反映したインテリゲンツィアと大衆との相互関係についての微妙な歴史、大衆と個人との関係についての評価の推移等の端緒は、既にデレンコフのパン焼場で汗を流していたゴーリキイの中に、イゾートの死骸を眺め、ロマーシの背中へ自分の背中をぴったり合わせて立ったゴーリキイの中に芽生えはじめていたのであった。
[#未完]




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