マクシム・ゴーリキイの伝記
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著者名:宮本百合子 

        前書

 一九三六年六月十八日。マクシム・ゴーリキイの豊富にして多彩な一生が終った。恰度ソヴェト同盟の新しい憲法草案が公表されて一週間ほど後のことであった。ゴーリキイはこの新憲法草案の公表によって引き起されたソヴェト同盟内のよろこびと、世界のそれに対する意味深い反応とを見て生涯を終った。それより前に、ゴーリキイが重病であるという記事を新聞で読み、毎朝新聞を開く毎にその後の報知が心にかかっていた。新しい憲法草案公表のことが報道された時、私はその事から動かされた自分の感情の裡に、ゴーリキイが自分の生涯の終りに於てこの輝かしい日に遭遇したということを思い合せ、ゴーリキイは出来るだけ生かしておきたい。しかし、もし死んだとしても、彼は歴史の一つの祝祭の中に葬られる。これは美しいよろこびにみちた生涯の結びでなくて何であろうか。そう思い、そしてゴーリキイの馴染み深い、重い髭のある顔と、広い肩つきとを思い浮べるのであった。
 一九三二年以後のゴーリキイ、芸術に於ける社会主義リアリズムの問題がとり上げられるようになって後のゴーリキイは、世界の文化にとって独特の影響を与えていた。五ヵ年計画の達成と、それによって引き起されたソヴェト同盟の社会的現実の変化は、さながら一つの強大な動力となって、マクシム・ゴーリキイが六十有余年の間に豊かに蓄えた人間的経験、作家としての鍛錬、歴史の発展に対する洞察力と確信などのすべてを溶かし合わせ、すべての価値を発揮させ、世界の進歩的な文化を守るために活動させたと観察される。「どん底」を書いたのは四十年近く前であり、その頃から各国語に翻訳されて読まれるという意味ではゴーリキイは若い時から世界的作家であった。しかし、最近数年ゴーリキイが世界的であったという意味は、それよりもっと深まったものであった。多くの人の興味を引くという意味で世界的であった彼は、晩年に於ては特に人類文化の正当な発展のために、今日の地球になければならない楔の一つとして、われわれ文化の進歩を確信するものすべてによって愛し、尊敬される存在となっていたのである。
 私がゴーリキイに会ったのは一九二八年であった。彼が七年ぶりに、イタリーからソヴェト同盟へ帰って来た時の事で、当時ゴーリキイは、ソヴェト同盟に自分が永住するかどうかということについても、はっきり心を決めていなかったようであったし、彼としては予想したよりはるかに盛大な、心からの歓迎に感動しつつ、今日から考えると、日の出前の空が、濃いとりどりの色で彩られているような、ある複雑な不決定と、期待、歓喜が彼の感情を満していたように察せられる。
 レーニングラードの六月の静かな朝。ヨーロッパ・ホテルの一室、十月大通りを見下す方に大きな窓が開いている。赤っぽい、そう新しくない絨毯が敷いてある。隣室へ通じるドアの近くにゴーリキイが腰かけている。シャツも上衣も薄い柔かい鼠色で、それは深い横皺のある彼の額や、灰色がかって、勁さと同時に感受性の鋭さを示している瞳の表情、特徴のある髭などとよく調和して感じられた。彼は、低い平凡なホテルの客間用肘掛椅子にかけている。大きいさっぱりと温い手を自分の前で自然に組み合せている。斜向いのところに丸テーブルがあって、その上にはもうさめ切った一片のトーストが皿にのったまま忘られたように置かれている。
 私は細い赤縞の服を着てそのテーブルに向い、わきに立って私の上にかがみかかっている友達に、時々綴りを訊きながら、本の扉にロシア語を下手な字で書きつけている。私はゴーリキイに自分の小説を一冊贈るために持って行った。その扉に「予想されなかった遭遇の記念のために。マクシム・ゴーリキイへ」と日本字で書いてそれをゴーリキイに見せたら、彼は、日本字が読めなくて残念だと云い、その意味をロシア語で書いてくれと云った。私はそれを書いているのであった。書きあげて、子供より下手だと笑いながら見せた。するとゴーリキイは真面目な、親密な調子で「なに、結構よめる」と、別に笑いもせず答えた。その云い方と声とが今も心に残っている。
 ゴーリキイがもういず、彼によって残された沢山の蔵書の中に交って何処かに、私のあの本もあるのかと思うと、何か一口に云い現せない心持が私をみたす。何故なら私の記憶の前には、中川一政氏によって装幀された厚い一冊の本と、ゴーリキイの如何にも彼らしい「なに、結構読める」と云った声とがまざまざと結びついて生きていて、その思い出はゴーリキイという一人の大きい作家の生涯の過程を私に会得させるために、驚くほど微妙な作用をしているのである。
 ソヴェト同盟の文学史に於て、マクシム・ゴーリキイは、例えて見れば最後の行までぴっちりと書きつめられ、ピリオドまでうたれた本の大きい一頁のような存在である。私たちは、自分たちに課せられている頁の数行をやっと書いたに過ぎない。ゴーリキイの生き方、作家的経験から若い時代の生活者、作家の汲みとるべき教訓は実に多いと思われる。今日までに刊行されているゴーリキイの作品の全集や、最近の文化、文学運動に対する感想集等の外に、今後はおそらく周密に集められた書簡集、日記等も発表され、ますます多くの人にゴーリキイ研究の材料と、興味とを与えることであろう。
 既にソヴェト同盟ではゴーリキイの文学的遺産の整理、研究のためにステツキイを委員長として特別な委員会が組織された。
 マクシム・ゴーリキイの生涯は、人類の歴史が今日の段階に於て輝やかしき実を結ばせた文学的大才能の一典型として、過去の世界文学史に現れたいかなる天才者に比べても、本質的に全く新しい意義をもっている。下層階級出身のゴーリキイが波瀾多いジクザクの道を経てその晩年には遂に人類的な規模で進歩的文化の地の塩となり得た迄の過程には、とりも直さず十九世紀後半(明治元年頃)から今日まで、夥しい犠牲に堪えつつ不撓な精神と情熱とをもって、自身を縛る鎖を断ち切るために闘いつづけているロシア大衆の意志とその勝利がまざまざと反映している。ゴーリキイは歴史の正しい進展のために文学の仕事をもって献身し、その歴史の光輝ある達成のうちに作家としての彼自らをも完成させた。歴史性と箇性・才能との相互関係について未曾有の典型を示しつつ、彼の六十八年の生涯を終ったのである。
 マクシム・ゴーリキイの人間及び作家としての全業績、及びその上に包括されるものとして生涯の或る時期に一度ならず経験された絶望、動揺、逸脱の性質などを若き時代が十分の尊敬と判断力とをもって究明すべき所以は、それらの現象の殆ど悉くが古い文化の重圧的影響と身をもって組みうつ未熟な而も驚くべき発展性をもったプロレタリア文化の一歩後退二歩前進の姿であるからである。窮極に於て箇性はいかなる過程によって完成されるものであるかという歴史的事実を語る高貴な人間記録であるからなのである。

        幼年時代

 マクシム・ゴーリキイは、一八六八年(明治元年)三月二十八日、ロシアでは最も古くから発達した中部商業都市の一つであるニージニ・ノヴゴロド市に生れた。本名は、アレクセイ・マクシモヴィッチ・ペシコフと云った。父親はマクシム・ペシコフ。母の名はワルワーラと呼ばれ、彼は二人の長男として生れたのであった。若い、しっかりした指物師であった父親のマクシムはゴーリキイが五つの時ヴォルガ河を通っている汽船の中でコレラで死んだ。この若い父も当時のロシアの社会に生きる勝気な青年らしい短い物語をもった人であった。
 マクシムの父親というのは陸軍将校であったが、或る時その部下を虐待した廉でシベリヤに流されたという男である。その時分のロシア軍隊生活と云えば有名なひどいものであったにもかかわらず、その中で部下に対する虐待を問題とされ、処分されたということは、この将校の惨酷が一通りのものでなかったことを想像させる。息子であるマクシムは、家庭における父親の悪い性質の目標とされた。彼は堪え切れず十七歳になる迄に五度も家出をし、最後に、そして永久に父の家を見捨てることに成功した時には、ニージニの町へ落付いた。二十歳の時、もうマクシムは一人前の指物師、壁紙貼職人であった。彼が働いている仕事場は偶然、ニージニの職人組合の長老、染物工場主カシーリンの隣りである。
 或る夏のことであった。カシーリンの妻アクリーナが娘のワルワーラと一緒に庭で何心なく夷苺(のいちご)をとっていると、隣家との境の塀をやすやすのり踰えて一人の逞しい立派な若者がこっちの庭へ入って来た。見ると、髪を皮紐でしばった仕事姿のマクシムである。アクリーナが、おどろきながらも天性の温かい調子で訊いた。
「どうしたね、若い衆、道でもないところから来てよ!」
 するとマクシムはアクリーナの前に跪いて云った。
「アクリーナ・イワーノウナ。俺達を助けて下さい。俺達は結婚したいんだ」
 ワルワーラはと見れば、自分の手にある籠の夷苺のように体じゅう真赤にして、庭の林檎の樹蔭にかくれながら、マクシムに何か合図しながら、眼には涙があふれそうになっている。
「私たちはもう、とうに結婚しました。私たちは只婚礼をしなくちゃならないの」
「ワシリー・ワシリーエフが俺にワーリャを呉れねえことはわかっている。だから、俺はあの娘を盗みます。唯お前は俺たちを助けて下さい。石で打ってもいい。どっちみち俺はゆずらない」
 ひっくり返るほどたまげながら、「こうなりゃ、ほかになんとしよう」アクリーナは「マクシムの額とワルワーラの編髪に祝福した」
 若い者たちはアクリーナの思いやりのある才覚で、こっそり教会で婚礼の式をあげることが出来たのであった。が、ヴォルガの曳舟人足から稼ぎためて、今は九年間も改選なしの職人組合長老にまでなっているワシリー・カシーリンにとって、謂わば渡り職人のようなマクシムに一人娘を呉れてやることなど我慢出来るものではない。ワシリーの日頃の自慢は、ワーリャは貴族へ、旦那へ嫁入らすということなのであった。若夫婦はゴーリキイが生れる迄勘当の扱いであった。
 孫アリョーシャ(ゴーリキイ)の誕生は、一時、気狂いのように荒々しく慾張りな、カシーリン爺さんの心持をも和らげたように見えた。若い夫婦は老人の家へ来て暫く一緒に暮したが、確かりしたマクシムに対するワーリャの兄弟共ミハイロとヤーコブの嫉妬が恐ろしい奸計を企てさせた。或る厳冬、マクシムを誘ってこの義兄弟どもは池へ出かけ、スケートと見せかけて、氷の裂け目からマクシムを水の中へ突落した。マクシムは氷のふちへ手をかけて浮き上ろうとする。ミハイロとヤーコブとは、ここぞとばかりその手の指を踵で踏みたくる。
 マクシムの命を救ったのは彼の沈着で豪毅な気性と素面(しらふ)であったことであった。この椿事のためにマクシムは七週間も患った。その夏ヴォルガ河口に在るアストラハン市で凱旋門を建てる仕事があって、マクシムは妻子をつれ移住した。四年ぶりでニージニへ戻る船中で彼はコレラで倒れたのであった。

 父親が死んでから、小さいアリョーシャ(ゴーリキイ)は母親のワルワーラと一緒に祖父の家で暮すことになった。が、この鋭い刺のあるような緑色の眼をした老人は、一目見たときからゴーリキイの心に本能的な憎みを射込んだと同時に、この祖父を家長といただいて生活する伯父二人とその妻子、祖母さんに母親、職人達という一大家族の日暮しは、幼いゴーリキイにとって悪夢のような印象を与えた。
 深くかぶさった低い屋根のある、薔薇色ペンキで塗った穢い家の中には二六時中怒りっぽい人達が気忙しく動き廻り、雀の群のように子供達が駈けずり廻った。ワルワーラが不意に戻って来たので、伯父たちの財産争いは一層激しくなった。食事の間に祖父さんを中心に掴み合いが始ることさえ珍しくなかった。
 たまにおとなしく台所にかたまっていると思うと、この大人達は自分が先棒になって、半分盲目になっている染物職人のグレゴリーの指貫をやいて置いて哀れな職人が火傷するのを見て悦ぶ有様である。子供らは、家にいれば大人の喧嘩にまきこまれ、往来での遊戯といえば乱暴を働くことと殴り合いとであった。小さいゴーリキイは、心の疼くような嫌悪、恐怖、好奇心を湧き立たせながら「濃いまだら」のある妙な生活を観察し、次第に自分や他人の受ける侮蔑や苦痛に対し、心臓をひんむかれるような思いを抱いた。
 悪態、罵声、悪意が渦巻き、子供までその憎悪の中に生きた分け前を受ける苦しい毎日なのであるが、その裡で更にゴーリキイを立腹させたのは、土曜日毎に行われる祖父の子供等に対する仕置であった。鋭い緑色の目をした祖父は一つの行事として男の子達を裸にし、台所のベンチの上へうつ伏せに臥かせ、樺の鞭でその背中をひっぱたくのであった。ゴーリキイはこの屈辱に堪えることが出来なかった。死んだ父親のマクシムはゴーリキイを打擲したことはなかった。だと云って、五つの子供が一週間何一つ折檻の種をつくらずに暮すことなど、どうして出来よう。或る土曜日、ゴーリキイは猛烈に抵抗して猶更祖父さんからひどくひっぱたかれ、最後まであやまらないで気絶したことがあった。このことでゴーリキイは熱病にかかり、永い間寝床から起きられなかった。ほかの従兄弟らは、依然として土曜日になると樺の鞭をくって泣き声を立てつづけたが、ゴーリキイの抵抗は遂に祖父さんを屈服させることが出来たのであった。
 アレキサンドル二世が形式的な農奴解放を行ったのは一八六一年であった。ゴーリキイが生れた時分、農奴制そのものは廃止されていた。しかしながら、二百五十年間に亙ってロシアの大衆の生活を縛りつけていた封建性は実に深く日常の習慣に滲みこんで、家庭内における父親の専横、主人と雇人との関係の専制的なことは、恐ろしいばかりであった。ゴーリキイの祖父の家の生活は、その息づまるような一つの標本なのであった。
 こういう幼年時代の暗い荒々しい境遇の中でゴーリキイの敏感な心に一縷の光りと美の感情を吹きこんだのは、祖母アクリーナの一種独特な存在であった。子供の時分は母親につれられて乞食をして歩いたアクリーナ。八つ位からレース編の女工になって素晴らしい腕をもっていたアクリーナは、二十二歳でヴォルガの船夫頭をしていたカシーリンの母親に見込まれて嫁入って来たのであった。祖母は小さいゴーリキイに物語ってきかせた。
「祖母さまのおっ母がそれとなし気をつけておらを観ておったのだ。おらは女工だ。乞食の娘だ。だからおとなしくすべえ。……おっ母というのは錠形(カラーチ)パンみたいで悪い心の女であった。口にも云えねえ。……」
 だが、この祖母は、自分の辛酸な閲歴の中から慾心のない親切と人間の生活の智慧に対する信頼とを見つけ出して来た稀有な心の持主であった。ロシアの古い民謡を実にどっさり知っていてそれを上手に唄い、祖父のいない晩の台所での団欒がはじまると、ふだんは太った重い体がどうしてああも不思議な魅力を示すかと驚くような踊りをおどった。特にその物語は、すべての聴きてを恍惚とさせる熱と抑揚とを持っているのであった。台所の炉辺で、或は家じゅうを荒れている気違い騒ぎから逃げ込んだ屋根裏の祖母さんの小部屋の箱の上で、ゴーリキイが話して貰ったロシアの沢山の伝説、聖者物語、又祖母さんの見て来た様々な生活の物語は、窒息するような生活にはさまれているゴーリキイの心に、広い世の中への漠然とした憧れ、生活の歓び、期待を養ったのであった。
 祖母さんは朝、目をさますと、先ず荒い鼻息を立てて顔を洗い、さて聖像の前に立った。猫背の背中を真直にし、頭をふりあげ、愛想よくカザンの聖母の丸い顔を眺めながら、彼女は大きく念を入れて十字を切り、熱心に囁くのであった。
「いと栄えある聖母さま、今日もあなたの恵みを与え給え。おん母さま」
 地べたにつく程低くお辞儀をすると、のろくだんだんに背中をのばして、再び次第に熱心に感動的にささやいた。
「喜びの泉よ、いと浄き美女よ、花咲く林檎の樹よ……」
 祖母は殆ど毎朝、新しい賞讚の言葉を発見した。そしてそれが小さいゴーリキイの心に快い緊張をよび醒した。言葉の流れる温い美しさ、真実のこもった単純な心から賞讚にじっと聴きいるのは心持よかった。
 ゴーリキイは「非常に早くから祖父はある神をもっており、祖母は又別の神をもっていることを理解した。」緑色の鋭い賢い眼をした祖父の神は、常に人間の誤ちに目をとめていて、それを罰したり、こらしめたりするのが仕事の、威嚇的な形式的な神であった。祖父から朝夕の祈祷をおそわって、しっかり覚え込んでいたゴーリキイは、体を振り、甲高い声で祖父が祈るのを聞いていた。そして「祖父が間違えはしまいか、一言でも抜かしはしまいか?」と一生懸命跡をつける。たまにそういうことがあると、ゴーリキイの心に「人の失敗を喜ぶ意地のわるい感情を呼び醒した。」
「お祖父さん、今日は『満たすものなり』を抜かしたよ」
「嘘だろう?」不安そうに疑りぶかく祖父は訊いた。
「抜かしたんだよ!」
 ゴーリキイは宙で祖父が忘れた祈祷のきまり文句をとなえる。祖父は極りわるそうに瞬きしながらゴーリキイの記憶のよさを褒めた。やがて祖父さんは、こういう揚足とりに対しては何かできっとこっぴどくゴーリキイに仕返しをするのであったが、暫くでも祖父さんをまごつかせたことで、ゴーリキイは「凱歌をあげた。」
 これにくらべて祖母さんアクリーナの神は、何と親密で、人間のようで、苦痛を慰め、若返らす力をもっているものであったろう。祖母さんの神は、この世の中のことで分らないことと知らないことを持っている神であった。ゴーリキイは、少しびっくりして訊ねるのであった。
「神だって知らないことがあるの?」
 すると、祖母は静かに、悲しげに答えた。
「もし神様が何でも御存じなら、きっと、人間だとてこんなにどっさり悪いことはすめえ。神様は多分、天上から地上のおれ達皆を眺めて、時にはどんなに涙をこぼしたり、声をあげて泣いたりしなさるこったろう。『お前ら人間達よ、人間達よ、可愛い俺の人間たちよ! おおどんなに俺にはお前達が憐れじゃろう!』」
 こういう神はゴーリキイに近く、又わかり易かった。時々ゴーリキイが大人の醜い争いに義憤を感じて、例えばよその上さんが穴蔵へ下りたところを上から揚げぶたを卸して封じこめたりすると、祖母はゴーリキイの肚にしみとおるような言葉を優しく云った。
「いいか、レニーカ、可愛い子や。大人に混っちゃならねえ。お前、このことはしてはならねえことと自分で禁じるだよ。な、大人は損われた人達よ、あの人たちはもう神に滅ぼされた、だが、お前はまだそうじゃねえ――だから、子供の智慧で暮しな。誰がどんなにわるかろうと、それはお前のことじゃねえ」
 この活々とした祖母さんは又、悪魔を見ることも稀でなかった。悪魔が屋根からもんどりうって飛ぶ様子を想像して、ゴーリキイが笑うと、祖母も笑い出し、
「悪魔はふざけるのが好きだからなあ。全く小ちゃな子供のようさ」
 家から火事が出かかった時、火の子のように活動してそれを消しとめたのはこの祖母さんであった。胡瓜の漬けかた、クワスの作りかた、赤坊のとりあげかたを誰にでも親切に教えてやるのも、この祖母さんなのであった。
 祖父の家には、荷馬車屋、韃靼人の従卒、軍人と、お喋りで陽気なその細君などが間借りしていて、中庭では年じゅう叫ぶ声、笑う声、駈ける足音が絶えないのであったが、台所の隣りに、窓の二つついた細長い部屋があった。その部屋を借りているのは、痩せた猫背の男で、善良そうな眼をもち、眼鏡をかけた一人の男であった。
 何か祖母から云われる度にその下宿人は「結構です」と挨拶するので「結構さん」というあだ名がついている。小さいゴーリキイは、この下宿人の暮しぶりに非常な好奇心を動かされた。彼はよく物置きの屋根の上に這い上っては、中庭ごしにその下宿人の窓の中の生活を観察した。
 その部屋にはアルコール・ランプがあった。いろいろの色の液体の入った罎、銅や鉄の屑、鉛の棒などがあった。それらのゴタゴタの間で「結構さん」は、朝から晩まで鉛を溶かしたり、小さい天秤で何かをはかったり、指の先を火傷をしてうんうんとうなったり、すり切れた手帳をとり出して、それへ何かしきりに書き込んだりしている。
 ゴーリキイは興味を押えられず、或るときお祖母さんに聞いた。
「あの人は何してるの?」
 するとお祖母さんはこわい声で、
「お前の知ったこっちゃない、だまっていな」
と言い、おばあさんが奇妙に警戒するばかりでなく、家中の者、下宿人仲間まで揃ってこの毛色の変った下宿人を愛さなかった。みんな「結構さん」をかげでは嗤(わら)った。贋金つくり、魔法師、背信者だのと云って噂している。
 ゴーリキイはだんだんこの「結構さん」と仲よくなった。ある晩、有名な物語上手である祖母の話を聞いているうちに、この「結構さん」は激しく涙を落しはじめ、興奮して長くしゃべった揚句、いきなり恥かしそうに、皆のいる部屋から出て行った。人々は極り悪るげに見交しながら苦笑した。荷馬車屋が「旦那方はみんなあんな風じゃ。」不機嫌に、毒々しく云い放った。翌日その「結構さん」が祖母の傍へぴったりよって、驚くほどの単純さで「僕は恐ろしいほど一人ぼっちです。」と云っているのをゴーリキイは聞いた。その言葉がゴーリキイの心につきささった。家中で、幼いゴーリキイのいうことに耳を傾けてくれるのは祖母をのぞいてはこの「結構さん」ばかりであった。祖父はゴーリキイを怒鳴りつけた。
「無駄口しゃべるな。悪魔の水車め!」
 だが「結構さん」は、ゴーリキイの話を注意深く聞くばかりでなく、微笑しながら、しばしば彼に云った。「ふむ、そりゃ兄弟、そうじゃないよ、そりゃお前が自分で思いついたのさ。」或は、二つの優しい打撃で「嘘つけ兄弟!」そしてゴーリキイの話の中に織り交るすべての余計な不信実なものを切り去るのであった。又この「結構さん」は、極くありふれた云い方で、しかも野蛮な環境の中で暮している幼いゴーリキイの智慧の芽生えを刺戟するようなことを云った。例えば、彼は云う。
「あらゆるものを取ることが出来なくちゃならない――分るかい? それは非常にむずかしいことだ、取ることが出来るということは……」
 まだ字も書くことを知らない小僧であるゴーリキイには「結構さん」のその言葉はすぐ分らなかった。しかし、言葉は心の中に残っていて、何か特別な心持を伴って繰かえし思い出された。何故なら、この簡単な「結構さん」の言葉の中には彼の心をひきつけ忘らることの出来ない秘密があった。石っころだの、パンのかたまりだの、茶碗、鍋だのをとるだけのことであるならば何も「結構さん」のむずかしがる特別な意味はある筈はないのだから。
 祖母の家の中庭の隅に、誰にも見捨てられた苦蓬(にがよもぎ)の茂った穴がある。ゴーリキイは「結構さん」と並んでその穴に腰かけている。ゴーリキイは「結構さん」に訊いた。
「何故あの人達は誰もお前を愛さないの?」
「結構さん」はゴーリキイを自分の温い脇腹に抱きよせ、目くばせしながら答えた。
「他人だからさ――分るかい? つまりそれだからさ。ああいう人達でないからさ」
 彼等とは異った一人の者「他人」として「結構さん」はゴーリキイの、騒々しくて、悪意がぶつかり合っているような幼年時代の生活の中に現れた最初のインテリゲンツィアであった。が遂にこの「結構さん」が祖父の家から追い出される時が来た。それは或る家畜の群の中に一匹たちの違う動物がまぎれ込んだ揚句、やがていびり出されるのに似ていた。はっきり説明もつかないような憎悪が、「結構さん」を追ったのであった。ゴーリキイは深い悲しみの感情をもって「幼年時代」の中に書いている。「自分は故国にいる無限に多い他人――その他人の中でもよりよい人々の中の最初の人間と私との親交は、このようにして終った。」
 この物語はゴーリキイにとって記憶から消えぬものであったと共に、今日の読者である私たちの心をも少なからず打つものがある。一八六〇年の終り、七〇年代の初頭にかけてのロシアの民衆生活の重い暗さと、そこへ偶然まぎれ込み、光りの破片となって落ちこんで来たのは「結構さん」のような知識人のタイプ、「おお、他人の良心で生きるものではない」と嘆く一種の敗残者であったということ。しかも、同じ貧窮と汚穢の中に朝から晩までころがされながら、尚民衆は「結構さん」の中に「旦那」「他人」を嗅ぎわけて、本能的な仲間はずれに扱ったということ。それらが、幼いゴーリキイの知性の目覚まされてゆく生活の過程として、私共の心を打つのである。
 更にこの「結構さん」とのことで、計らずゴーリキイの全生涯の方向を暗示するまことに面白いエピソードが「幼年時代」に語られている。
 或る日、「結構さん」の部屋で、「結構さん」は煙の立つ液体をいじって部屋中えがらっぽい匂いで一杯にしている。ゴーリキイはボロのしまってある箱の上に腰かけている。そして、二人は話している。
「お祖父さんは、お前はもしかしたら贋金を拵えてるんだって云ってるよ」
「お祖父さんが?……うむ、そう。――それはあの人がいい加減をいってるんだ! 金銭なんぞと云うものは、兄弟――下らんものさ」
「じゃ何でパンの代払う?」
「うむ、そうだね――パンの代は払わなくちゃならない。まったくだ……」
「そうだろう? 牛肉代だっておんなじさ」
「牛肉代だってか……」
 彼は静かに、驚嘆するほど可愛く笑い、まるで猫にするように私の耳を擽って云う。
「どうしても僕はお前と口論は出来ない――お前は私を参らせるよ、兄弟。それよりも、さあ、黙ってよう……」
 この小さいが逞しい人生についての問答は、後年チェホフが云った一つの言葉を思い起させる。二十四歳で、ロマンティックな作家として世に出たゴーリキイに向って、チェホフが「知っていますか? 君はロマンティストじゃない、リアリストですよ。知っていますか?」と云った、そのことを思い起させるのである。
 七歳になってゴーリキイは祖父から教会用の古代スラヴ語で読み書きの手ほどきをされた。八つで小学校に入れられたが、この時代、既に祖父は破産し、染物工場は閉鎖され、祖父、祖母、ゴーリキイの三人は、地下室住いにうつった。
 吝(しわ)くて狂人のようになった祖父と五十年連添った祖母との間に不思議な生活ぶりが始った。
 祖父は倒産した家を始末する時、祖母の分としては、家じゅうの小鉢と壺と食器とをやっただけであった。年より夫婦は茶から、砂糖から、聖像の前につける燈明油まで、胸がわるくなるほどきっちり半分ずつ出しあって暮しはじめた。その出し前について、いつも狡い計略をするのは祖父である。アクリーナ祖母さんは、再びレース編をやり出した。そして、ゴーリキイも「銭を稼ぎはじめた。」
 休日毎に朝早くゴーリキイは袋をもって家々の中庭や通りを歩き、牛骨、襤褸(ぼろ)、古釘などを拾いあつめた。襤褸と紙屑とは一プード二十哥(カペーキ)。骨は一プード十哥(カペーキ)か八哥(カペーキ)で屑屋が買った。彼はふだんの日はこの仕事を学校がひけてからやった。
 屑拾いよりもっと有利な仕事は材木置場から薄板をかっ払うことであった。一日に二三枚は窃(ぬす)んで来られた。いい板一枚に家持の小市民は十哥(カペーキ)ずつ呉れる。この仕事には仲のいい徒党があつまっていた。モルト□人の乞食の十歳になる息子のサーニカ。大きい黒い目をした身よりのないカストローマ。十二歳の力持ちのハーヒ。墓地の番人で癲癇持ちのヤージ。一番年かさなのは後家で酒飲みの裁縫女の息子グリーシュカ。これは分別の深い正しい人間で、熱情的な拳闘家である。
 後年、ゴーリキイは当時を回想して書いている。かっ払いは「半飢の小市民にとって生活のための殆ど唯一の手段、習慣となっていて、罪とはされていなかった。非常に多くの尊敬すべき一家の主人が、『川で稼ぎ足した。』大人は自分の首尾を誇った。子供はそれを聞いて学んだ」のであった、と。
 ゴーリキイの小学生生活は、断続した五ヵ月の後全くやめになってしまった。或る士官に再婚していた母のワルワーラが良人に捨てられた状態で死ぬと、祖父はその葬式を終えて数日後ゴーリキイに云った。
「さて、レクセイ、お前は俺の首にかかったメダルじゃねえ――お前のいる場処はここにはないんだ。」
 かくて、八歳のゴーリキイに愈々「人々の中」での生活が開始するのであるが、これらの多彩で苦しい幼年時代の思い出を、ゴーリキイは一九一三年(四十五歳)有名な「幼年時代」に描いた。野蛮のロシアの生活の鉛のような醜悪さ、「賢くない一族」の残忍に満ちた暗い生活をゴーリキイは「根ぐるみ、記憶から、人間の魂から、我々を重い苦しい愧ずべきすべての生活からそれを引抜かんがためには、根まで知らなければならないところの真実」、「憐憫にまさる真実」の姿として描いた。
 更に、「もっと積極的な理由」――
 このような豊富で脂濃い生活の獣的な屑を貫いて、「猶新鮮で健康な創造的なものがやっぱり勝を制して芽生えること、明るい人間的な生活に対する我等の再生に対する破壊し難い希望を呼び醒しつつ、善きもの――人間的なものが生い立つ」ロシア民衆の生活力の驚きと愛とを伝えようとして、ゴーリキイは、非常に特色的な「幼年時代」を書いたのであった。「十月」以前のロシア文学は、二種類の忘れることの出来ぬ「幼年時代」の貴重な典型を今日にのこした。その一つは、レフ・トルストイの「幼年時代」である。
「一八××年八月十二日――私が満十歳の誕生日というので、いろんな素晴らしい贈りものを貰ってから、ちょうど三日目のことである」という華やかな雰囲気の冒頭によって始められたこの貴族の子息の幼年時代の追想は筆者トルストイの卓抜鮮明なリアリスティックな描写によって、何という別世界の日常を読者の前に展開させつつ、ゴーリキイの「幼年時代」に描かれている民衆の現実と対立していることであろう!

        少年時代
          ――人々の中――

 ヤーコブ伯父の息子のサーシャが、ニージニの町の靴屋へ勤めていた。祖父カシーリンは、母が亡くなると僅か数日で、十歳に満たぬゴーリキイをもその店の小僧奉公に出した。
 カシーリンが自分でゴーリキイをその店へ連れて行った。そして、サーシャにこの子の面倒を見てやってくれと頼んだ。すると、赤っぽい上着に、ワイシャツ、長ズボンといういでたちのサーシャは勿体ぶって眉根をよせ、
「この児が僕の云うことを聞かないと困るがね」
 祖父はゴーリキイの頭へ手をかけて、首を下げさせた。
「サーシャの云うことを聞くんだ。お前より、年も上だし、役目も上なんだから……」
 古参ぶったサーシャは出目を突出して、云うのであった。
「祖父さんの云ったことを忘れちゃ駄目だよ」
 従兄サーシャの上にもう一人番頭がいるという程度のその靴店で、ゴーリキイの仕事というのは、毎朝サーシャより一時間早く起きて、先ず主人達、番頭、サーシャの靴を磨く。皆の服にブラッシをかけ、サモワールを沸かし、家じゅうの煖炉に薪を運んでおいて、食卓用の薬味入れを磨く。これだけが家での用事であった。店では床磨き、掃除、お茶の用意、お得意への品物配達、昼飯を家から運んで来ること。これらの仕事が、玄関番の役の上に加るのであった。主人はずんぐりな、眼の小汚い男で、よくゴーリキイをたしなめた。
「ほら、また腕なんか掻いてる! お前は町の目抜の商店に勤めてるんだ。これを忘れちゃいけねえ。小僧ってものは扉口んところへ木偶(でく)のようにじっと立っているもんだ」
 凝っと立っていることが、活々した子供のゴーリキイにはなかなか出来ない。しかも両腕は肱の辺までべた一面痣やかさぶたで、掻くなと云われても、掻かずにはいられないのであった。主人が、新参小僧であるゴーリキイの両手を視ながら訊く。
「お前は家で何をしていた?」
 ゴーリキイは、あった通りのことを云った。
「屑拾い――そいつは乞食よりよくない。泥棒よりよくねえ」
「――泥棒もやったよ!」
 主人は猫のように両手を帳場の上へ置いてびっくりした。そして、声を変え、
「なんだ? 泥棒もやった? 何を? どんな風に?」
 薄板をかっぱらうことについてゴーリキイは説明する。
「いや、それっくらいのことは取立てて云う程のこっちゃねえ。が、この店で靴や金を盗みでもしようものなら、よしか、お前を監獄へ叩き込んで、大人になる迄出られねえようにしてやる!」
 ゴーリキイは、一層主人がいやになった。玄関番をして立ちながら、観察する商売の作法も彼の性に合わなかった。番頭は婦人客の前へ跪き、妙な恰好に指をひろげて靴の寸法を計る。婦人客の足にさわる時は、まるで、今にもその足がこわれるかと思うように大切に扱う。ところが「その女の足ときたら――太くてまるで撫で肩の徳利を逆にしたようだ。」
 時によると、女客が仰山な声で、
「あら、いやだ。擽ったいわ!」
などと叫んだ。
「どう致しまして! これは……その、丁重に致しましたんで……」
 或る日のことであった。主人やサーシャが店の裏の小室にいて、店に番頭が一人女客を対手にしていた時、番頭は赫ら顔のその女客の足にさわって、それを摘むように接吻した。
「マア……」溜息をついて「何て人でしょう!」
「そ、その……」
 そっと腕を掻きながらその光景を眺めていた小僧ゴーリキイは、思わずふき出して、笑いすぎ、足許がふらついて扉のガラスを一枚こわしてしまった。番頭が怪しからん小僧を足蹴にした。主人は重い金の指環で頭を殴りつけた。サーシャは厳しく云うのであった。
「何もおかしいことなんかないじゃないか! 女ってものはな、靴なんかいらなくったって、好きな番頭の顔さえ見れば、欲しくないものまで買うんだ。それをお前は――何だい、分りもしない癖して!」
 ゴーリキイの心を更に苦しめ、腹立たしくするのは、女客に対する店じゅうの者の恥知らずな蔭日向であった。黒毛皮の外套の素晴らしい美しい女が店へ入って来る。主人、番頭、サーシャ「三人が三人とも、鬼の子みたいに店を駆け廻り」あたりのものが燃え出したかと思うような亢奮の後、高価な靴を何足か選び出してその女客が店を出るや否や、主人は舌打ち一つして、
「チェッ! 畜生!……」
と掠れ声を出す。
「マア、女優ってところですな」
 蔑んだ調子で番頭が合槌を打つ。そして、散々いかがわしい話をする。
 小僧ゴーリキイは「そんな時には、店から駈け出して行って、婦人客に追い縋り、彼等についての陰口をぶちまけてやりたい心持に駆り立てられる」のであった。
 三人の者が、心に激しい猜みを抱いて暮していて誰のことでも、何か悪いところしか拾い出さないのが、彼に嫌悪を催させた。一日中暇のない程忙しいのだが、ゴーリキイの心は重く、馴染深いオカ川の河岸や、お祖母さんが懐しく、一緒に屑を拾った仲間のチュールカそのほかの徒党に会いたい。
 ゴーリキイはお払箱になるために、何か計画を立てたいと思うようになった。主人の時計の機械に酢をさした。これは、主人を狼狽させたが追い出される役には立たず、全く予想外のことからゴーリキイの若い希望は達せられる羽目になった。或る午飯の時、石油コンロの上でスープを煮ていた鍋をひっくり返して両手に大火傷をした。これで病院に入れられ、家へかえされたが、火傷の原因は、小僧ゴーリキイが、どうしてもその晩、靴屋を逃げ出そうと考え耽っていて、ついぼんやりしてしまったからであり、彼をそんな思いつめた心にしたのはサーシャの死んだ雀の祭壇と、ピンの植えられた靴とであった。その数日前の或る夕方靴屋の主人のところに働いていた病身の料理女が、サモワールを持ち上げようとして跼んだ拍子にのめったまま、全く突然死んでしまった。目の前でこれを見たサーシャとゴーリキイとは深い恐怖に打たれた。警官が来て、少し歩き廻って、心づけを貰うと出て行った。暫くすると、今度は荷車人夫と一緒にやって来て、料理女の足の方と頭の方に手をかけ、往来へ運び出して行った。
「ペシコフ、床を拭いて置きなよ!」
 主人が命令した。
「夕方死んでくれて、まあ助かった……」
 どうして夕方死んだからいいのか。小僧ゴーリキイには分らない。
 夜、台所の隅で寝る時になると、サーシャがこれまでになく優しい調子で、
「ランプは消さないんだよ」
と云った。
「こわいのかい?」
 サーシャは黙っている。やがて蒲団の中から頭を出して云った。
「煖炉の上へ行って並んで寝ようじゃないか」
「煖炉の上は熱いよ」
 夜は静かな夜で、何だか夜そのものがきき耳を立てて何かを待っているようだ。
 サーシャがやがて又云った。
「眠れないや」
「俺も、眠れない」
 二人はいろいろ死人について云われている話をした。あたりは次第に寂しく、暗くなって来た。するとサーシャがいきなり、
「おい、僕の鞄を見せてやろうか」
と云い出した。小僧ゴーリキイは、疾(と)うからサーシャの鞄には好奇心を動かされていた。番頭とサーシャとが時々しめし合わせて、店のものをちょろまかした。そのことをゴーリキイは見ているのであった。
 サーシャは勿体ぶって寝台の上に坐ったまま、ゴーリキイにその鞄をもって来させ、十字架と一緒に胸に下げている鍵で鞄をあけた。錠をあけ「熱いものか何かみたいに鞄の蓋を吹いて」中から下着をとり出した。鞄の中ほどまで色様々な茶の錫紙のレッテル、靴墨、鰯の空罐などがぎっしり詰っていた。
「何があるの?」
「今わかるよ……」
 サーシャは鞄を両足で抱え、その上へかがみかかって祈祷をとなえた。「天の王様……」
 今に玩具が現れるだろうと、ゴーリキイは思った。ゴーリキイは写真をとられたことがないと同時に、玩具というものは持ったことがなかった。玩具なんか軽蔑していたが、それは表向きで、玩具をもっているものを見ればやっぱり羨しかった。こんなひとかどの人間になったようにしているサーシャが玩具を持っているということは非常に嬉しかった。彼が恥しがっているとして、その極りわるさは、やさしい同感をゴーリキイに湧かせるのであった。
 最初のボール箱が開かれた。中から、緑だけの眼鏡が出た。サーシャはそれをかけ、キットした様子でゴーリキイを見ながら云った。
「球がなくったって一向平気だ。これは、こういう眼鏡なんだから!」
 ゴーリキイがたのんだ。
「どれ、俺にも見せて!」
「お前の目にゃ合わないよ、これは黒眼用だ。お前の眼は何だか白っぽいや」
 次に出た空罎にはいろんなボタンがつまっている。サーシャはその三十七箇のボタンをみんな街路で拾ったのであった。第三番目の箱からは、これまた街路で拾った大きな真鍮ピン、長靴にうつ平鋲のちぎれたの、靴やスリッパーの扣金(とめがね)、真鍮の扉のハンドル、ステッキについている骨製の頭、「夢判断の神籤」その他の、つまり屑が沢山つまっているのであった。
「私が屑拾いや骨拾いをすれば、こんな下らないものなんか一と月のうちに十倍も集めることが出来る」サーシャの持物を見せて貰ってゴーリキイは、がっかりした。たよりない気がした。そして、堪らなくサーシャが可哀想になった。だが、サーシャはその一つ一つを丹念に眺めまわし大事そうに指先で撫でている。
 この晩、自分の宝物で年下の小僧であるゴーリキイを驚かし、羨ませることの出来なかったサーシャは、庭が乾いたら、とても素晴らしいものをゴーリキイに見せる約束をした。次の祭日のとき、主人一家が午睡している隙に、サーシャがこっそりゴーリキイを誘った。
「行こう!」
 二人は、庭へ出て、家と家との間の露路へ行った。そこにはひどく古い菩提樹が十五六株生えていた。どの樹の幹にも青苔がついていて、枝は黒く枯れたようにむき出しになっている。そういう菩提樹の一本の根元にサーシャは止った。それから、出目をグリグリ動かして隣の家の窓に人気のないのを見澄してから、根元の落葉をかきのけ、二つの煉瓦をどけた。ゴーリキイの目の前には一つの洞の入口が現れた。サーシャはマッチを擦って、蝋燭の燃えさしに火をつけ、洞の中へ差入れて、さて、云った。
「見ろよ! こわがるな」
 ゴーリキイは大事をとりながら菩提樹の根の奥まったところを覗き込んだ。
 サーシャの点(つ)けた三本の燃えさし蝋燭の青い光に満たされたその桶のなかぐらいの大さの洞の横手は、色硝子のこわれや茶器のかけらで一面に飾られている。真中の小高いところは赤い布で包まれていて、その上に小さい棺が安置されているのであった。棺には銀紙が貼られているが、そこから突出ているのは雀の小さな灰色の爪と鋭い嘴であった。棺の後方の聖台、その上の銅製の十字架。三本の燃えさし蝋燭のともっている燭台にはどれもお菓子の金紙や銀紙がはりつけられてある。洞の中には、燃える蝋の匂い、腐ったものの臭気、湿った地べたの匂いなどが一杯である。ぎごちない驚異の感情がゴーリキイをとらえた。然し、恐怖は起らない。サーシャが貪慾に訊いた。
「いいだろう?」
 だが、一体これらは皆何のためなのだろう? ゴーリキイは率直にその疑問を呈出した。
「何にするんだい?」
「辻堂さ、似てるだろう?」そして「雀から聖骸がとれるかもしれないよ。罪科もないのに苦しみを受けた致命者なんだから……」
 ゴーリキイは、いかにも彼の性質らしい現実的な問いを発した。
「あの雀は死んでいないのかい?」
「いや、物置に飛んで来たのを帽子でおさえてしめ殺したんだ」
「何だってさ!」
「何てことはないけど……」サーシャは、ゴーリキイの顔を覗き込んだ。
「いいだろう?」
「いいや!」
「どうして気に入らないんだ?」
「雀が可哀そうだもの」
 この論判から掴み合いが持ち上った。ゴーリキイがサーシャの辻堂を破壊した。忽ち翌朝からサーシャの魔法――小僧ゴーリキイが朝磨かなければならない靴という靴の中の、ちょうど手を怪我せずにはいられないところにピンが植わっているという復讐がはじまった。スープをひっくりかえして火傷をする程、ゴーリキイはその靴屋の小僧という境遇、奇妙な従兄のサーシャを嫌悪し逃亡を欲したのであった。
 後年ゴーリキイは、「人々の中」で、この插話の思い出を非常に色濃く、感情をこめ、ディッケンズの俤を浮ばしめるような筆致で描いている。
 ゲーテが五つ六つの時、父親の鉱物標本を譜面台の上に積み重ねて祭壇をこしらえ、レンズで集めた太陽の光で香をたいて、その前に燻じ、万有の神に捧げたという話は、世界文学史の上に「黄金のように輝いた少年」ゲーテにふさわしい逸話として或る意味では伝説的な誇張をもって伝えられている。ゲーテの祭壇とサーシャの辻堂との間には殆ど一世紀近い歳月が流れている。ゴーリキイを憤怒させた哀れな中小僧サーシャの雀の聖骸の物語は欧州の科学的文化の進歩に対してロシアの社会の封建制、ギリシア正教がどのようにおくれたものであったか、そして、そのために民衆の想像力はどのような形で迷信に縛りつけられていたかということを、今日の読者である我々に驚きをもって啓示するのである。

 靴屋の小僧をやめて後、ゴーリキイは製図師の見習小僧をさせられた。ヴォルガ通いの汽船の皿洗いをし、聖画屋の小僧となり、ニージニの定期市での芝居小屋で、馬の脚的俳優となったりした。日本では西南の役があった次の年、一八七八年(十歳)からの五、六年は少年ゴーリキイにとって朝から晩まで苦しい労働の時代であった。この時代、大人の利己心、仲間の性わるさにこづきまわされつつ彼は「多く労働した。殆どぼんやりしてしまうまで働いた。」
 背中に繩をつけられた小猿のように、ゴーリキイの後についた紐のはじは、祖父か祖母の手に握られており、ゴーリキイの給料ともいえない僅の銭は皆そういう人々の掌に入ってしまうのであった。
 祖母さんの妹息子の製図師のところから、虐待に堪えかねゴーリキイが二十哥握って逃げ出した後、働くことになったヴォルガ通いの汽船での皿洗いの仕事も十一のゴーリキイにとって決して楽な勤めではなかった。給料月二留。朝六時から夜中までぶっ通しの働きであった。ここでも四辺に満ちているのは暗い野蛮、卑猥、飽きもせず繰返されている喧騒とであったが、計らず「母なるヴォルガ」はその洋々とした流れの上で、ゴーリキイの生涯にとって実に意義深い「最初の教師」をひき会わせることになった。
 皿洗いゴーリキイにとっての上役、太って大力な料理人スムールイが、年にあわせては背の伸びた、泣ごとを云ったことのないゴーリキイの天性に何か感じるものがあり、彼に目をかけた。午後の二時頃、暫く手がすくと、彼は号令をかけた。
「ペシコフ、来い!」
 スムールイの船室に行くと、彼は小さい皮表紙の本を渡した。
「読んで見な!」
 ゴーリキイはマカロニ箱の上に腰かけて声高く読む。「……左胸のあらわなるはハートの無垢なるを示し……」
 すると、煙草をふかしつつ仰向に横になっているスムールイが、口を挾む。
「誰のがあらわなんだ?」
「書いてないよ」
「女の胸だろう……。チェッ、放蕩者ばっかりだ!」
 最初のうち、この「ペシコフ、来い」の号令はゴーリキイを苦しめた。読んでいるうちにスムールイが眠ってしまったように見える。すると彼は音読をやめた。否応なく読ませられることから胸のわるくなるような思いのするその本を眺めまわしていると、スムールイは、嗄れ声で皿洗い小僧に催促した。
「お――、読みな」
 スムールイの黒トランクの中には『ホーマー教訓集』『砲兵雑記』『セデンガリ卿の書翰集』『毒虫・南京虫とその駆除法、附・此が携帯者の扱い方』などという本があった。始めの方がちぎれて無くなってしまっている本。終りがない本。そういう本がつまっている。
 スムールイはゴーリキイに向って「口癖のように云いきかせた。」
「本を読みな。わからなかったら七度読みな。七度でわからなかったら十二遍読むんだ!」
 そして、自分や、周囲のものが日から日へと過している無駄な生涯を顧みて、肥った獣のように呻き、深い物思いと当途のない憤りに沈んで荒っぽく怒鳴るのであった。
「そうだ! お前には智慧があるんだ。こんなところは出て暮せ!」
「豚の中にいては、お前の身が台無しだ。俺はお前が可哀そうでならねえ。奴等もみんな可哀想でならねえ」
 このスムールイは、呆れる程ウォツカを飲むが酔っぱらったためしがなかった。水夫長も料理人も、船じゅうのものがこの男の怪力と一種変った気風に一目置いていた。夕方、スムールイが巨大な体をハッチに据えて、ゆるやかに流れ去って行くヴォルガの遠景を憂わしげに眺めながら、何時間も何時間も黙って坐っているような時があった。こういう時の、スムールイを皆が特別に怖れた。
 禿頭の料理番が出て来て、そうやって坐っているスムールイを見ると、やや暫く躊躇した後、遠くの方から声をかけるのであった。
「――魚がどうもよくねえんだが……」
 スムールイは顔も振向けず歯の間から返事した。
「そんなら漬物で和(あ)えろ……」
「でも魚スープか蒸焼を注文されたら?」
「作れ。どうせ食う」
 ゴーリキイには、こういう場合のスムールイの心持が通じた。スムールイを憐む感情が湧いた。ゴーリキイは自分の心にも似たような黒い、激しいものが答えられない疑いとして煮え立つことを既に幾度か経験しているのであった。
 例えば、汽船の皿洗い小僧として、自分という人間は朝から夜中まで皿を洗う。鉢を洗う。ナイフを磨き、フォークと匙を光らせなければならない。だが、一方には、全く別にそうやって洗われた皿を一つ一つよごし、鉢を使い、テーブルに向ってナイフや匙をきたなくしてゆく人間がいる。それらの人は平気に、当然なこととして笑いながらタバコをふかしながら、それをやっているのだが、何故これが当然なのだろう? 何故、一方には何でも辛棒してしなければならない人間があり、もう一方にはそれらの人々に何でもさせたその結果を利用していることの出来る人々が存在するのであろうか。彼の周囲には、泥酔や喧嘩や醜行やが終りのない堂々めぐりで日夜くりかえされている。だが、それらすべては何のために在るのだろう。
 スムールイは、麦酒を飲みながらしみじみとゴーリキイに云った。
「お前がもう少し大きかったら、いろんなことを教えてやるのだがなあ。俺は人に語るべきものを持っている。俺は馬鹿じゃない。……マア、お前は本を読むこった。本の中には何でも必要なことがある。本はいいもんだ」
 或る時はこうも述懐した。
「俺が金持だったら、お前を勉強に出してやるんだがなあ。無学な人間は牛と同じこった。軛(くびき)をかけられるか、つぶしにされるんだ。それでいて御本人は尻尾を振るばっかりと来ていらあ」
 スムールイの云う言葉は、ゴーリキイの感受性の鋭い心の中に落ちて、反響をおこし、その現実観察力と発育の肥料となった。
 月が皎々とヴォルガとその岸の草原の上を照らしている深夜、皿洗いゴーリキイは船尾に坐りこんで、「涙が出そうになるまで夜の美観にうたれた。」汽船の後から長い綱にひかれて艀舟(はしけぶね)がついて来てる。それは赤く塗ってあり、甲板に鉄格子が出来ている。追放や苦役に決った囚人がそこに入れられて輸送されているのであった。舳先に歩哨の銃剣が燭火のように光っている。艀舟の中は静寂で月の光が豊かに濯(そそ)いでいる。ゴーリキイは、昼間の疲れと景色の美しさに恍惚としつつ思うのであった。「善良な人間になりたい。沢山の人々にとって大切な人間になりたい――。」『タラス・ブーリバ』を読み、『アイ□ンホー』をよみ『捨児トム・ジョーンズの物語』を読み、知らず知らずの間に読み馴れて、ゴーリキイには今や本を読むことが何よりの楽しみになって来た、「本に物語られてあることは気持よい程生活とかけ離れていた。」ところで毎日の実際の生活といえば、それは益々辛くなって行くばかりである。
 汽船では働いている仲間が、精神を痺らす奴隷的な労働と泥酔との暇に、仲間同士性悪な悪戯をしかけるばかりでなく、袋を背負い、背中を曲げ、十字を切りながら乗りこんで来る船客たちも、十二歳のゴーリキイの心に一種名状し難い侮蔑的な重苦しい感じで圧えつけ、夜眠っても忘れることの出来ない深い憂鬱をひろげた。船のどっかで喧嘩が始ったとなると、船客たちは忽ちそのまわりに集った。そして口笛を吹いたり、嗾(け)しかけたり。その喧嘩が厭わしく痛ましければ痛ましい程喜びに酔ったように見える彼等。船の機関の何処かが破裂して甲板が水蒸気で濛々となったりした時、実際の危険はなくても、その予感でもう怯え、戸惑い、喚き立てる船客等の恐怖心のつよさ。しかも、喧嘩も、恐慌もない時には、低いテントの下に坐り、或は寝そべりながら飲んだり食ったりし、親しげに真面目に語り合いながら河の面を見たりしている彼等。
 ゴーリキイにはこれらの人々が「善人なのか、悪人なのか、平和好きなのか、悪戯好きなのか、又どうしてこんなに酷い、飽くことない意地悪なのか、どうしてこう意久地なくおとなしいのか」分らない。そして、この如何にもおとなしく、見るも気の毒な程素直な灰色の人々が、突然「その従順の殼を突き破って、むごたらしい、無分別な、そして大抵は不愉快極まる乱暴を爆発させるのを見るのは、実に意外であり」ゴーリキイの心に不可解な人生の姿の怖ろしさを覚えさせるのであった。

 声をあげて泣き出しそうな心持でスムールイとわかれ、下船した後、ゴーリキイは再び因業な嫁姑のいがみ合っている元の製図師のところで働くことになった。
 日夜妻と母親との口論に圧しつけられながら食堂のテーブルに製図板をのせて、ニージニの商人の倉庫だの店の修繕だのの図を引いている主人は、遠縁のゴーリキイに、約束どおり製図の修業をさせようとした。耳に鉛筆を挾み、長い髪をした主人が、或る日、両手に厚紙の巻いたのと、鉛筆、曲尺、定規とをもってゴーリキイの居場所である台処へやって来た。
「ナイフ磨きがすんだら、これを描いて御覧」
 手本の紙には、沢山の窓と優美な飾のついた二階建の家の正面が画いてある。ゴーリキイは「本当の仕事と修業の始ったのを悦び」すぐ手を洗って修業にとりかかった。定規をつかってすべての水平線を引いたところまでは上出来であった。ところが縦に垂直線を引くと、恐るべき結果が生じた。窓がすっかり壁の中仕切のところへ飛び込んでしまったばかりか、明り窓は煙突の上にのっかってしまっている。ゴーリキイは、その時の困惑をまざまざと回想しながら書いている。「私は、長い間泣き面をして、その修正し難い奇怪事を眺めていた。」どうにも仕方なく遂に「想像力でもって修正することにした。」ゴーリキイは鉛筆をとり、先ず家の正面のすべての蛇腹と屋根の棟飾の上に烏や鳩、雀などを描いた。窓の前の地べたの上には洋傘をさしている歪み足の人間。それから全景の上に斜の線を引いて、出来上ったものを主人のところへ持って行った。
 眉をつり上げて、気むずかしげに主人が訊いた。
「こりゃ一体何だ?」
「雨が降ってるところなんです」ゴーリキイは説明した。「雨降りの日にはどんな家でも曲って見えるよ。雨はいつでも曲っているから。それから鳥は――蛇腹にかくれたところ。雨の日にはいつもこうです。それからこれは、家へ駈け込んでゆく人で、女が一人ころんで、こっちのがレモン売りで……」
「や、大変ありがとう」主人は紙へ髪をすりつけるようにして大笑いをはじめたが、細君は夫を嗾し立てた。
「マア、なぐりつけてやんなさいよ!」
 図をもう二度引直した時には、ゴーリキイも製図道具と自分の活溌な空想力とを制御する術を会得した。ところが、思わぬ妨害から、この修業が奪われた。ゴーリキイにとってはあの忘れ難いお祖母さんの妹でありながら似も似ない鬼の姑婆さんが台処へ来た。一種何ともいえない気味わるい訊きようで訊いた。
「図引をやるのかい」
 ゴーリキイが返事しない間に、婆さんはゴーリキイの髪の毛を引掴んでゴッツンと卓子に顔をぶつけた。猶も台処じゅう荒れ狂って、道具をはたき落し、製図を引裂き、叫んだ。
「態(ざま)を見な! そんな真似をさせちゃ置かないんだよ。他処の者に働かせて、たった一人の血を分けた弟を追っぱらおうたって、そうは行かないんだ!」
 製図師の家での仕事は、台所働き、洗濯、二人の子供の守り。ゴーリキイにとってこの雰囲気は気が遠くなるばかりに退屈である。教会へ行って「心地よい悲哀に胸を搾られるような時」また日々の細かい屈辱に心を咬まれるとき、ゴーリキイは、自分の不愉快な負担をじっと考えさえすれば、骨を折らないでも哀訴の言葉が詩の形で流れ出した。ゴーリキイが晩年に及んでも忘れなかったこの時代の「自分の祈祷文」の中に一つこういう詩があった。
神様、神様、遣り切れない
はやく大人にして下さい
このまんまでは辛抱が出来ない
首をくくっても、見遁して下さい。
見習も、うまく行かない。
鬼の人形マトリョーナ婆
吠える、吠える 狼のようだ
ほんとに生きててもはじまらない!

 書物はこの境遇の中で、ゴーリキイに生きる力の源泉となったと同時に、限りない屈辱、軽侮、不安を蒙る原因となった。
 製図師一家と同じ建物に住んでいる裁縫師のお洒落で怠者の妻からゴーリキイはこっそり本を借りた。それはフランスの通俗小説であった。主人達の目を掠めて、頬骨の高い、鼻の低いおでこに青痣のついた小僧ゴーリキイは皆の留守の間に、或は夜、窓際で月の光で読もうとした。活字がこまかすぎて、明るい月の光も役に立たぬ。そこで棚の上から銅鍋をもち出し、月の光をそれに反射させて読む工夫をした。これは却っていけないので、ゴーリキイは台処の隅の聖像の下へ突立ったまま、燈明の光で読んだ。この頁では歓喜し、次の頁で憤激しつつ読むうちに疲れが出て、床にころげたまま寝込んでしまった。眼がさめて見ると、鬼のマトリョーナ婆が怒鳴っている。落ちていた大切な借り物の黄色い本でゴーリキイの肩をどやしつけ、飯の時は家じゅうが、主人迄も、読書の有害無益と危険とを説教した。
「鉄道を破壊したり、人殺しを企てたりするのも本を読んだ男だ」
 こういう家の大人共の態度によって、ゴーリキイは本というものに対し、一層重大な秘密な価値を感じるようになった。ゴーリキイは、教会の懺悔僧に「禁止の本は読まなかったかね」と訊かれたことを思い出した。スムールイが大きな腹をゆすりながら「正しい書物に出くわさなけりゃならねえ」と云ったのを思い出す。小僧ゴーリキイの頭の中では、漠然とそれらの印象が混り合って燃え、秘密の門の前に立っているような、どこか気がふれたような調子になった。
 裁縫師の女房から本が借りられなくなると、ゴーリキイは若いのらくら男女の寄り合い場となっている街のパン屋で、副業に春画を売ったり猥褻な詩を書いてやったり、貸本をしたりしている店から、一冊一哥(カペイキ)の損料で豆本を借り出した。そこの本はどの本も下らない、嘘とわかるようなものばかりだった。少しましなのは昔の伝説、聖者の物語である。ゴーリキイは薪割りに行った物置で読み、屋根裏で読み、蝋燭をつけて夜中に読むのであったが、婆さんは木片で燃えのこりの寸法を計った。ゴーリキイがうまく木片を見つけてそれを燃やした蝋燭の長さに合わせて切りちぢめて置かないと、翌朝、台処、家じゅうに罵声の龍巻が流れた。婆さんは、屋根裏へかけ上りゴーリキイの持ち物をほじくり返し、借本を見つけ出し、引裂いて腹いせにするのであった。
 主人一族とのこういう戦いをつづけながら、「あらゆる智慧を搾って」ゴーリキイは読書をつづけた。が、本を裂かれるので、貸本屋に四十七哥(カペイキ)という「巨額の借金」が出来てしまった。ゴーリキイの一年六留(ルーブリ)の給金は祖父がとっていた。ゴーリキイには金の出どころがない。貸本屋の汗かきで唇の厚い、白っぽい主人は、ゴーリキイの困りはてた云いわけを聞き終ると、脂ぎって腫んだ手をゴーリキイの前に突出して云った。
「この手に接吻しな。そうしたら待ってやろう!」

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