ソヴェトの芝居
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著者名:宮本百合子 

 舞台監督と俳優とは舞台の上で自分たちと一緒に行動し、考え、問題を提出し、それをときほごし批判し、論議するものとして観衆から期待されている。そして、それが芝居であるからには、舞台そのものが観衆の感情に、心持にぴったりと作用することを求めている。
 メイエルホリドはこの歴史的意義のあるソヴェトの社会主義への再建設期において、ソヴェトの人民大衆を観衆とする芝居がこの二つの方面で成功するために「舞台の美」が再吟味されなければならないことを力説している。
「舞台から美を追っ払え!」というローズング〔スローガン〕がソヴェトには久しい前からある。ブルジョア演劇の、必要以上にでかでかと金をかける舞台装置や女優の衣裳への堕落した習慣に反対して云われた言葉だ。メイエルホリドも、旧いブルジョア風の、美観は、彼の明暗のきつい構成派の舞台の上から、追っぱらって来た。
「D《デー》・E《エー》」「森」「お目出度い亭主」のそれぞれ成功したメイエルホリドの舞台にどんな仕掛けがあったろう。どんな豪華な衣裳があったろう?「D《デー》・E《エー》」には茶色の木の塀と、幾枚かの木の衝立があっただけだった。登場人物は白と黒との統一であった。「森」の舞台には、ひとすじの思い切って長く美しい線をもった木橋と、小っぽけな木にペンキを塗った門とブリキ茶罐。バラン、バランとひどい音を立てて鳴らされたブリキ板、一つのブランコがあっただけだ。銀鼠色の木綿服を着た若いアクスーシャとピョートルは、流れる手風琴(ガルモシュカ)の音につれて、そのブランコを揺りながら、今にも目にのこる鮮やかで朗らかな愛の場面を演じた。
 第二芸術座、ワフタンゴフ劇場、カーメルヌイ劇場、諷刺劇場は、舞台を飾ることそのもののための飾りずき、衣裳のための衣裳ずきで、一度ならず行きすぎてきた。メイエルホリド劇場ではあるとき舞台装置にこりすぎる位で殆どそういう浪費の経験はなかった。
 今、「舞台の美」の再吟味で、メイエルホリドは、彼の最初からの宣言を撤回していない。装置は、劇的表現の構成部分として必要以上の扱いを受けるべきではないという。メイエルホリドは、ソヴェト演劇の舞台は、がっしりよく組たてられた自動車、フォードが持つ美を、もたなければならないと、云っている。
 この点について、非常に微妙な一つの面白い観察が下される。
 成程自動車は、実用の美をもっている。全体の構成の上に不必要な、どんなネジも持っていないし、あまったどんな偶然のデッパリもない。どの部分も、自動車が自動車としてあるために必要なものだ。だが、メイエルホリド君! 君は、自動車消費者の立場で、それを眺め、ボディーの美しさを味い、このみの色にエナメルする者の立場で、自動車の美について云っているのか、または、エンジンの発達を先ず根本におく自動車製作者の立場でその美をつかみ理解しているのか?
 五ヵ年計画とともにプロレタリア芸術が獲得しつつある唯物弁証法的な、リアリズムとメイエルホリドのややこけおどしの気味がなくもない様式化、そこにあるエクゾチシズムや誇張性とはどういう関係で発展するものだろうか。現代のソヴェト大衆が実感している文化の生活的な現実性と、その演劇的な表現者であり、鼓舞者であるべきメイエルホリド劇場のもっている特色とは、どういう関係をもっているものだろうか。メイエルホリドの「本当の道」がまだはっきりきまらないという理由は、ここにある。

          2

       「南京虫」
       「風呂」   マヤコフスキー作

 この二つはメイエルホリドが、一九二八年・三〇年のシーズンにつづけて上演した、最初の、五ヵ年計画に関係をもつ脚本だ。
「南京虫」は、現在のソヴェト生活に、決して珍らしい虫ではない。南京虫と同様に、飲酒、喫煙、官僚主義、恋愛からの自殺も、決して珍しいものじゃない。
「南京虫」の第二部は、五十年後のソヴェト社会の場面である。前時代の遺物として南京虫が、たった一匹標本的に棲息をつづけている。舞台へ、つくりものの巨大な南京虫があらわれる。
 官僚主義者なんかも五ヵ年計画後のソヴェト社会には見たくてももういない。やっと一人、第一部からの中心人物である、プリスィプキンが、その見本に、博物学教室で飼われている。
 五十年後のソヴェト社会では、重大事件がすべてラジオで投票決議されるということになっている。清潔な社会主義社会にとって有毒な官僚主義、俗人趣味のバチルスとしてのプリスィプキンは仮死状態で発見されたがそれをどう処理するか。やっぱり全СССР(エスエスエスエル)のラジオの決議で活きかえらすことになり、珍動物として厳重な檻の中で試育され、マスクをかけた一九七九年代の社会主義教授が男女学生に官僚主義という珍しい習性について説明してやるという筋だ。
 五幕九場のこの喜劇は、ソヴェトが、五ヵ年計画のはじまり、実際大仕掛に官僚主義撲滅と、労働の規律のためにアルコーリズム反対をやった時代に「左翼戦線」の詩人マヤコフスキーによって書かれたものだ。
 メイエルホリドは、彼の「再建設期のソヴェト劇場の任務」を、この左派同伴者(パプツチキ)詩人の作品で、どんな工合に実現して行ったろうか?
 主題は、たしかにソヴェト大衆がその労働でそれとたたかって来た官僚主義との闘争だし、メイエルホリドの演出も、喜劇的な誇張に反撥しなければ幕から幕へ観てゆくに退屈はしない。
 だが、一九七九年代のソヴェトにおける社会主義の社会生活の内容というものは、ラジオによる全同盟の決議という空想からはじまって、どれもこれもひどく架空的な印象を与える。つまり、五〇年後のソヴェト社会のものとして現わされている批判が、一九二九年代の現実性から発展した事実としての必然性、具体性を一向もっていない。機械的に、一九二九年の現実の否定な面に対する否定だけが示されている感じだ。ソヴェトの一九二九年は南京虫と官僚主義だけで代表されてもいない。
 まして、ソヴェトの勤労人民の誰が、五ヵ年計画を十度やったあとの社会には、一匹の南京虫と一人官僚主義的俗人が、博物学の標本としてのこるような世の中に成ると思っているだろう!(帝国主義諸国が地球の大部分をしめて、その利害を必死に守ろうとしているとき。)
 メイエルホリドは、作者マヤコフスキーといっしょに一九七九年の社会主義社会の文化を示そうとして、いろんな機械を舞台の上へもち出して来る。それにも、実感がない。社会主義の社会に生きる人民が機械ずきなのだけは分る。然し、ほんとに、進歩したプロレタリアートが、生産・生活ときっちりむすびついたものとして、科学的な用具としてわがものにした機械らしい活々として真実性のある表現はなされていない。それらからはオモチャとしての、物ずきとしての機械が、先ず感じられるのだ。その意味では現在の機械化の逆諷刺の結果さえふくんでいる。
「風呂(ワンナ)」で、マヤコフスキーは、労働者青年の中からのソヴェト・エジソンの出現、小市民趣味と盲目的な外国、資本主義国崇拝の排撃、最後に社会主義の勝利、社会主義の「風呂」で、はじめて人間がきれいにされるということを主張した。
 メイエルホリドは、この六幕の戯曲を、特色のある廻り舞台と、人体力学(ビオメカニズム)とで演出している。
 一九三〇年は、あっちこっちの劇場で、廻り舞台を応用した年だった。日本の歌舞伎が一九二八年にソヴェトに来た影響とも思える。メイエルホリドは「風呂」で舞台に一定の直径をもつ円い切り目を入れた。中心部は動かない。そのまわりの相当ひろい輪が、いろんな場面をのせて、グルリとまわる。或るところでその輪は、急速力で一回転二回転して、メイエルホリドらしい、群集の心理激動の描写をやる。
 仕事着を着たチュダコフ(プロレタリア大発明家)と数人のその仲間の動作は、常に綜合的にリズミカルに統一され、チュダコフの発明した何かの機械は、舞台の上へは形を現わさない。発明家とその同志が、手を組み合せ、大事に、重そうに、やっこらと物を運ぶしぐさでだけ暗示的に表明される。
 大詰は、社会主義国の首府から迎えの飛行機がやって来る。飛行機は、未来のアメリカの屋上着陸所みたいな高い高いところで止っているのだそうで、見物席からは見えない。銀と赤の飛行服をつけて上空からやって来た、中央からの婦人使節スワーボダに率いられて、チュダコフ一隊はその飛行機に向って、舞台中央に組み立てられたヤグラを一段一段と高くよじのぼってゆく。くっついて社会主義首府へのりこもうとした俗人、反社会主義的人間は、ひどい爆音がして煙が立ったと見ると何か科学の力できれいにヤグラから舞台の下へ落っことされている。あれよあれよという間に、社会主義の首府に向って、飛行機は飛び去り、芝居は終るというわけである。
 マヤコフスキーの科学力に対する翹望と愛好は「風呂」で一層率直に示されてる。実際ソヴェト科学の発展は、社会主義生産の建設事業に何より必要なものだ。耕作用トラクターからはじまって、飛行機は勿論、どこかに成長しつつある同志、チュダコフの強力な発明の可能性に至るまで、一九三〇年代の自覚ある全プロレタリアートの関心事であることに間違いない。
 現在ソヴェトはアメリカから、イギリスから機械を買っている。革命的プロレタリアートは知ってる。ソヴェトは、社会主義生産の技術を高めて、やがて、一台のトラクターも外国から買い込まないようにするために、今暫く、国営農場「ギガント」に、アメリカ人技師の指導をうけているのだと。
「風呂」で、マヤコフスキーは大胆に、ソヴェトの建設事業に非同情的な外国人と、いい布地の外套を着た外国人とさえ見ればペコつく対外文化連絡協会案内人の卑屈さを、漫画化してやっつけている。
 マヤコフスキーが、ソヴェトを愛し、その発達を熱望し、それを自分の戯曲の中で目の前に見るように描きたがった心持。彼の所謂、「よく丈夫に組立てられたフォードの美」をその演出で把握しようとしたメイエルホリドの意志。どっちも理解出来る。二人は自分たちの才能を、五ヵ年計画遂行というソヴェトの歴史的情勢において試みている。
 然し、残念ながら、そのいずれもが成功したとは云えない。作者と演出者とは腕を組んで、またここでも架空で観念的な社会主義と科学の空想の中へ辷りこんでしまった。
 ほんとに職場で、鎚を振い、トラクターを運転して自分たちの体と心で社会主義建設に努力しているソヴェトの勤労者たちにとって、この芝居はどこやら擽(くすぐ)ったく、余り空想的で今日の現実と結ばれた実体がなくて、主題は現実的な力を欠いているとしか感じられない。全く、机の上で想像した作品だし、観念で模型的に演出された芝居だ。舞台から溢れて観客に燃えうつってゆく熱い焔――メイエルホリド自身が最も重大な演劇的要素としている「感情のつかみ」は、完全に失敗した。
「南京虫」を観たのは、丁度マヤコフスキーが自殺した数日後だった。
 わたしは告別式のとき、全露作家団体協議会クラブの広間に据えられた棺の中に横わっているマヤコフスキーを見た。顎骨のつよくはった彼の顔、体を包んでいる赤い旗、胸の上におかれているバラの花。それ等は写真にとられ、ソヴェト文学史の第何頁かにのこるだろう。静粛にしかし門外にまでつづいている告別の群集に混って列になって棺の足許を通りすぎながら、わたしは思いがけないものを見た。
 マヤコフスキーの靴をはいた足の先が偶然赤い旗からニュッとこちらを向いて突き出していた。ごくあたり前の黒鞣の半編上げだ。この靴にたった一つ、あたり前でないものがある。それは、その大きい平凡なソヴェト靴の裏にうちつけてある鉄の鋲だ。
 ヘリをとめるに、鋲は普通靴の踵にうたれるものだ。マヤコフスキーの屍のはいている靴には、鋲が、爪先の真先にガッチリうちこまれ、それも減ってつるつるに光っている。
 煌々たる広間の電燈は、自身それに追いつきかねながらも最後までソヴェト権力と社会主義の勝利を信頼して自殺した詩人マヤコフスキーの体を覆う赤旗をくっきり照らしている。同時に、そのはきへらした靴の爪先の小さい二つの鋲をもキラキラ照らしている。彼の生涯を表象しているようなこの小さい二つの鋲の意味に数千人の哀悼者の内何人が心をとめて見ただろう。
 いつだったか古いことだ。何かで、下駄の前歯が減るうちは、真の使い手になれぬと剣道の達人が自身を戒めている言葉をよんだ。
 マヤコフスキーの靴の爪先にうたれた鋲は、彼の先へ! 先へ! 常に前進するソヴェト社会の更に最前線へ出ようと努力していた彼の一生を、実に正直に語っている。
 彼はそこから自分を解放することに成功しなかった個性的才能の型に圧しつぶされて自殺しながら、自分をのりこえ、階級の芸術家としての自分を生きこして邁進するソヴェト文化の勝利に向って万歳を叫んだだろう。わたしはそう感じた。
 だから、「南京虫」にある彼の観念的な破綻にしろ、わたしに軽蔑を感じさせるより先に、ソヴェト社会の発展の足どりの猛烈なテンポを痛感させた。
 作者マヤコフスキーにとって「南京虫」や「風呂」は芸術家としての飛躍の最後の句読点(ピリオード)だった。けれども、演出者メイエルホリドにとっては、五ヵ年計画とともに前進すべき仕事の第一歩のふみだしだ。
 これから、彼が並々でない才能を現実に向ってどう立てなおし、真実のプロレタリア演劇として必要な現実性を把握してゆくか。機械、科学、生産を、彼の云う「フォードの美」をどうプロレタリアの建設的実状の中から掴みなおすか。ここに大きい未知数がある。

 マヤコフスキーの作品と前後して、プロレタリア詩人ベズィメンスキーの「射撃(ウィストレル)」がメイエルホリド劇場で上演された。
 ソヴェトの五ヵ年計画の実現につれて、工場の労働者の間に、生産能率増進のウダールニクが組織された。共産青年(コムソモール)男女を中心として、党員でない積極的分子が自発的にあつまった。
 生産の現場で、こういうウダールニクが社会主義建設のために行った階級的なたたかいは、五ヵ年計画ときりはなせない歴史的事実だ。ベズィメンスキーは或る電車製作工場内で、組織されたばかりのウダールニクが経験した闘争、犠牲、勝利を、詩劇にした。
 この演出をやったのは、メイエルホリド自身ではない。ザイチコフ、コジコフ、その他二三人の共同だ。
 いつものメイエルホリド自身の演出から見ると、ずっとリアリスティックで、荒けずりの重さがあり、革命劇場と似た舞台の印象だった。詩劇だから、科白は詩だが、この「射撃」に出演したメイエルホリド劇場の若手の俳優たちが、モスクワ芸術座の俳優のように鮮明な発音で朗読法をこなすまでには、大分時間がかかるという感じだった。
 詩劇として、ベズィメンスキーのこの制作は、ソヴェトのプロレタリア文学の問題として各方面で問題にされた。
 マヤコフスキーとは別な意味で、社会的現象のつかみかたが弁証法的でない、という点が論議の中心であった。衝撃隊員は一人のこさずソヴェト式の善玉。妨害分子は一人のこさず悪玉ぞろい。その二つの型の間に、機械的なマルクシズム応用の対立があるだけで、真のボルシェビキらしい具体的な悪玉への働きかけや、職場の動揺している労働者へのよびかけ、親切な導きが一つも扱われていない。職場の現実は、決してそういうものではないというのだ。
 この批判は、当っている。
 しかし、「射撃」は少くとも、ウダールニクを中心として扱った最初の作品だった。メイエルホリド劇場が、五ヵ年計画によって新しく生れた社会現象を現実的な主題で上演した、第一のものでもあった。
 メイエルホリド劇場の観客席は粗末な板ばりの椅子だ。脚へぐっと一本の棒を通して、十脚ぐらいずつ動かないようにしてある。その六列目にかけて見物していたら、幕間に――と云っても、メイエルホリド劇場にはするすると下りて来るカーテン幕はないから、つまり舞台から俳優が引っこんで、電車製作工場内部を示す構成だけ舞台の上にのこったとき、作者ベズィメンスキーが挨拶に出た。
 大きいおでこだ。手の指が細くしなしなしていて、受け口だ。鼠色フランネルのカラーに背広を着て、ベズィメンスキーが出て来た。そして次のような挨拶をのべた。
 今日は(一九三〇年三月十日)『プラウダ』も『イズヴェスチア』も第一面に、ソヴェトの最も功労あるマルクシストの一人であり、レーニン研究所長をしている同志(タワーリシチ)リャザーノフの光栄ある誕生第六十回記念日について書いている。われわれ、ソヴェトのプロレタリアート、生産と文化の建設に従事する労働者は、彼のような同時代人をもつことを、心からの悦びとする。幸、今夜は、この劇場の観客席で同志リャザーノフがわれわれの謙遜な努力、「射撃」の上演を見物していられる。この記念すべき機会に、どうか一言、同志リャザーノフに挨拶を願いたい。――
 ベズィメンスキーは、詩の朗読でよくねれた柔軟な響く声で云い終って、舞台から下の観客席へ向って腰をかがめた。
 拍手。拍手。見物は亢奮して拍手がやまない。後の観衆はリャザーノフを見ようとしてのびあがった。
 ベズィメンスキーが体をかがめた見当は、わたしの座席から遠くない。気をつけて前に並んでいる肩の間から眺めると、後頭部に白髪がのこっている一つの禿げた頭がポーッと赫らんで、しずかに坐席の中へ沈みこんだ。リャザーノフは第三列目に来ていたのだ。
 ベズィメンスキーは、なお二三度、体をかがめて、舞台の上へ誘ったが、リャザーノフは動かない。
 あきらめて、ベズィメンスキーは手をあげ、まだやまぬ拍手を制して、自分の云いたいことを喋りだした。
 この詩劇は、五ヵ年計画のごく初期、ウダールニクがモスクワにたった十三しか組織されていなかった時に書かれた歴史的な作品であること。欠点があるとすれば、主としてそういう客観的情勢が原因であること。そして、ロシア・プロレタリア作家同盟の機関紙『文学前衛』が十ヵ月もこの作品について沈黙を守っていたことを非難した。
 ベズィメンスキーは、雄弁だ。ところが、自分の隣の席に、一人党員らしい若い女が、男の伴れと見物している。男はずっと年上で、黒いルバーシカ着て、金の腕時計をつけている。女の手を自分の手の中にもって、ベズィメンスキーが舞台の上から云っているこなど耳に入れず、女に囁いている。
 ――ね、一日おのばしよ。私があっちへは電報うってあげるから。――
 ――いいえ、駄目、不可能なの。
 ――お前一人じゃないじゃないか、何とかなるよ、ね、おのばしよ、一晩!
 ――駄目よ! 絶対に駄目!
 舞台では、ベズィメンスキーが、まだ話している。不図前方を見たら、白髪を垂れたリャザーノフが、真白いハンケチをだして禿をふいていた。
 汗かいたのだろうか……
 わたしは思わず微笑した。〔一九三一年三、四月〕



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