ソヴェトの芝居
◇ピンチです!◇
◇暇つぶし何某◇

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著者名:宮本百合子 

聞いただろう? ソヴェト政府は、過去に功労あった芸術家たちに、「人民芸術家(ナロードヌイ・アルチスト)」「功績ある芸術家」っていう二種類の称号を与えて優遇しているのを。モスクワの劇団にだけでも「人民芸術家」が十一人ばかりいる。「功績ある芸術家」は四十人以上ある。
  例えばモスクワ芸術座のルージュスキーなんか、役柄は西洋の松助みたいなところだが、革命前、アルバート広場の裏んところへ大きな邸宅をもって暮していた。革命当時一旦邸宅は没収されたらしいが、直ぐ、過去の功績に対して邸宅を与えられた。――すっかり政府がくれたんだ。今、ルージュスキーは、広い前庭のある立派なその家で、ゆったり暮している。画家でも、作家でも、科学者でも、ソヴェトの文化に真に価値ある功献をしたものは、こういう待遇をうけるのだ。
  それにしても古くからの俳優と、МОСПС《エムオーエスペーエス》劇場、「劇場労働青年(トラム)」劇場の連中との違いは、全く歴史的相異だね。
  はじめっから出来が違うんだから、МОСПС《エムオーエスペーエス》にしろ、「トラム」にしろ、俳優演劇労働者は、みんな本当に工場の職場で働いていた連中だ。大部分がコムソモールだ。「トラム」のグループなんかは日常生活まで共産制にしてやっている。ソヴェトには、劇場の標準形態とでもいうようなきめがある。工場や役所にあると同じ「赤い隅」「図書部」「討論」「研究会」定期的集会。それ等管理の委員制を各劇場はもっていなければならない。「研究会」は必ず専門の芸術的研究と並行して、政治教程(ポリト・グラーモタ)の勉強をやっているのだ。従って演技も古い連中とは違う。故小山内薫氏が革命十年記念祭にモスクワへ来て、いろんな芝居見て、結局役者の上手なのはモスクワ芸術座しかないと云ったという噂をきいた。或る意味では真実だ。しかし問題もあるんだ。
  現代ソヴェト共産青年、若い農民、学生、労働者。男女にかかわらず彼等のもっている明るさや、ものを考える考えかたの新しい綜合的能力、たとえば芸術と社会との関係なんかについてもはっきりそれがわかるが――それにユーモア、テンポなどは、小劇場の「功績ある芸術家」総出でも表現出来ない空気だ。俳優としてのもちものが気分からしてちがうんだ。一九一九年第一回の芸術労働者大会がひらかれて賃銀標準がきめられた。芸術労働者組合として、産業組合連合へ加盟したのだ。一九二七年に賃銀割出しの方法をいろいろ改正し、それをいま実行している。
  歌舞伎の内部のように、だから封建的な秘密給金制は当然ないわけだ。云わば、芸術労働者の俸給も、ソヴェトではパンと同じに国定相場で支払われているわけだ。
 ――じゃ勿論、最低賃銀というものも、はっきり規定されてるわけだね。悪くないな……それで、大体どの位の収入があるんだ?
 ――話したね、さっき。――各劇場は、めいめい割りあてられた予算をもっているって。ここでも、その予算が出て来る。ソヴェトの劇場はその予算額に応じて、凡(およ)そ五つのグループに分けられてる。グループ一で、一ヵ月二万ルーブリ以上の予算、労働賃銀支払基金を一万五千ルーブリ持ってるような大劇場だと、第一級の俳優=芸術労働者は三百五十ルーブリから五百ルーブリ。芸術労働者の資格も八級ばかりにわかれていて、その位の劇場だと、ビリで七十五ルーブリから八十五ルーブリとるんだ。
 ――ふーん。……じゃあ舞台監督だの、振りつけ、照明、そんな技術家は?
 ――舞台監督はなかなかいいよ、第一グループの劇場で六百ルーブリ、第五グループで三百ルーブリ。装置をやる美術家が二百五十ルーブリから五百ルーブリ。振りつけ、大体百ルーブリから二百五十ルーブリ見当。
 ――下まわりはどうなんだい? 舞台裏だけ働いてるような連中……そこが大切だ。
 ――そうだ。それはまた別な賃銀標準ではらわれてるんだ。劇場労働の種類が三つに分類されている。働くものの資格が十級あって、やる労働の種類の基本賃銀に資格を示すパーセントをかけたものだけ貰うんだ。
  職業組合に加盟しているから、不熟練労働者で五十ルーブリ位もらってるものでも、失業保険その他で保護されている。「休みの家」の利用も出来る。若し有料診療を受けなけりゃならない場合は半額だ。おまけに、ソヴェトでは家賃というものが、月給に応じた割合で払えばいいことになっているんだからな。
 ――そうかい! そりゃききものだ。どの産業の労働者も、家賃なんか、そういうやりかたで払ってるのか?
 ――見ろよ! お前だってムキになって来ただろう。
 ――ふーむ。
 ――お前みたいなピーピー銀行員なんか勿論そうだよ。
 ――ふーむ。……
 ――ひどく、うなるじゃないか。この例一つで、おれが社会主義の宣伝をしているんでないってことは、はっきりしたさ。社会主義の現実がみんなにおしえるんだ。資本主義とどうちがうかってことを。――
 ――こうなっちゃ、いよいよきかずにすまされないよ。ところでね、そういう劇場だって、運転資金となる利益は矢張り切符のうりあげだろう?
 ――そうだ。が、全部ではないよ。ソヴェトの劇場は、松竹御儲けのためにあるんじゃない。本当に大衆の楽しみと文化向上の目的をもって建てられている。だから各劇場は毎日、全座席の中の一定数を必ず各職業組合と赤軍(劇場の種類によっては学生)のために、呈供している。半額と無料の切符を出しているのだ。
 モスクワのメーデーは、あの賑やかさと、全市に翻る赤旗の有様だけでもほんとに見せたいようだが、次の日の五月二日は休みだ。疲れやすみだね。町々には、まだ昨日の装いものがある。労働者市民は、胸に赤い花飾りなんかつけて、三人四人ずつ散歩している。いくらか、昨日の今日で街が埃っぽいのも、わるくない。昼間はしまっている各劇場の戸口に日に照らされながら札が出ている。「本日、劇場はただ労働者諸君のためにだけ開場する」――職業組合がモスクワじゅうの劇場の切符を労働者に分けるんだ。五月二日、モスクワじゅうの数万人の労働者が、昼間はのんびり散歩して、夜は芝居を観る。これは、小さなことか?
 ――……あんまり感動させてくれるなよ。――ふだんは、どんなんだろう。いつも労働者の見物で芝居は一杯かい?
 ――劇場によるな。いつか統計が出ていたが、МОСПС《エムオーエスペーエス》劇場の見物なんか、九十八パーセントまで勤労者だ。女優がパリの流行雑誌まるうつしの扮装でマネキンみたいに舞台をのたつく悪習をもつと云われている諷刺劇場なんか六十パーセントだ。
  ソヴェトの劇場は、今までいつも一つ大きな困難をもって来た。劇場建築が旧式で小さいということだ。昔はそれでもよかっただろう。金のある者だけ見たんだからね。現在じゃこまる。出来るだけ大勢の労働者に芸術をわかち、出来るだけ一枚ずつの切符の値段は下げなければならない。劇場の建物がこの目的とは逆につくられている。五ヵ年計画の中に、大劇場建築計画のあるのは当然なんだ。
 ――どの位するかい? 切符は。――
 ――場所によるが、五十カペイキから六、七ルーブリだ。
 ――間に段々があるんだろうが、高いな。
 ――高い。ソヴェトも断然それは認めている。だから、これまでだってやすくすることに一生懸命んなって来た。舞台装置に金をかけるな。無駄に手をふやすなって、メイエルホリドは、知ってる通りの凝りようだから。どうしても舞台装置に金をかける。それで叱られたことがあったそうだよ。
  そうそう、メイエルホリドで思い出したが、エイゼンシュテインがアメリカでデマをとばされて、つかまったってね。ああいう映画監督の俸給どの位だろう……いくぶんゴシップ趣味だが……
 ――待ってくれ、虎の子を出して見るから、こりゃ多い。七百五十ルーブリだそうだ。映画俳優のところも見て御覧、ついでに。主役で三百ルーブリから六百ルーブリだ。一寸エピソードへ出るのが百五十ルーブリ位。――
 ――古いことだが、プドフキンが映画の「生ける屍」で主役をやったことがあったね。監督も自分だったろう? するとどうなるんだろう。両方分で千何百ルーブリか?
 ――さあ、どうなるんだろう。わからないな。そういう場合は。――だが、こんなこともあるよ、エイゼンシュテインが「戦艦ポチョムキン」を撮影した時、老いぼけた坊主が十字架もって出て来るんだ。反乱が起って坊主は勇敢な水兵に追いこくられ、艦橋(ブリッジ)からころげおちるところがある。エイゼンシュテインのことだから、ほんとに、老いぼけてひょろひょろな坊主見つけて来たんだって。いざ、高いところからころがる段になって、骨があぶないってわけさ。本物ではね。エイゼンシュテインが、直ぐ坊主の装をして、俺が落っこちてやるって、簡単にころがりおちちまったんだとさ。
 ――無料で、ころがりおちまでした例だ。
 ――ハハハハ、さっぱりしているな。ところで芝居の話へ戻るんだが、職業組合に入っている勤労者は半額で見られる。お前みたいな外国人はどうするんだ?
 ――芝居の窓口へ行くのさ。そして、その日の、または前売切符を買う。一九二八年頃、おもだった売場にある案内所が切符一枚について十五カペイキか二十カペイキの手数料をとって切符のとりつぎ販売をしていたことがある。この頃それはない。
 ――割引なしか?
 ――なしだ。だから、行った当座は高いのに閉口して、舞台から遠いところを買った。観えはするが科白(せりふ)がわからない。降参して、しまいには段々近くまで進出した。
 ――電話かけて切符を届けさせることは、出来ないのか?
 それはしない。こんなことがあった。劇場は市じゅうとびとびだからね、いちいちそこをまわって買うのは骨なんだ。時間がえらくかかる。その上前売切符を売る時間が、まちまちだ。そうかと云って、其日では、手に入らない。誰かから、国立第一オペラ舞踊劇場の後に、まとめて各劇場の前売切符を売ってるところがあるってことをきいた。行って見ると、成程ある。狭い入口の外へはみ出るほどの男女がいく重にも列をつくってしずかに順を待っている。普通十日ずつの上演目録が往来などには出ているが、ここではもう十日先のつまり二十日間のプログラムまではり出されている。それを見る時は、嬉しいんだよ。
  人込みの間をやっと、のびあがってプログラムを調べ、見たいと思うのを手帳へかきつけ、一時間ばかり列に立った。体の大きいソヴェト市民が標準だから窓口が高い。チビは、そこへのび上ってね、後から急(せ)き立てられながら、欲しい劇場の日どりと坐席の列番号をのべたてる。「売れきれです」「それは三階の後から二番目の席しかありません」そんなことでやっと二箇所の切符が買える段になって、窓口の女が云うんだ。
◇ピンチです!◇
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