貧しき人々の群
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著者名:宮本百合子 

 甚助は、さもこうなることをちゃんと前から知ってでもいるように、何の感情も動かされないらしい顔をして、頭を一つ下げると、自分が買ったもののように、ゆったりとかの南瓜を抱えてまだ人通りのない往還へ出て行ってしまったのである。 私は、悲しいとも腹が立つともいえない心持になっていた。 けれども幾分の安心を持って、「私にはたった一つの南瓜で、泥棒呼わりをすることは出来ない」と心に繰返したのである。        十 今まで、私が甚助の家族に対してしていたことは、たかが古着を遣るか僅かばかりの食物や金を遣ったくらいのことである。 ほんとに小さいことであり何でもないことである。 第三者から見れば、総てのことは、皆世間並な、誰でも少しどうかした者の考えること、することでめずらしくも尊いことでもない。 私とてもまた自分の僅かな施しから、大きな報いを得ようとか、感謝を受けようとかは、ちっとも思っていないのである。 けれども、甚助のしたことは私に軽い失望を感じさせないではいなかった。何だか情なかった。 それでも、ただ一つのことが、私を慰め力づけてくれたのである。それは、私が初めて自分の思っていた通りに自分を処置することが出来たということだ。 私は怒りっぽい。じきに腹を立てる性分である。それ故このごろでは、どうかして余り怒りたくない、寛容な心持でいたいとどのくらい願っているか知れない。けれども、自分の家にいて、弟達が何か自分の気持を悪くするようなことをすると、互の遠慮なさがつい怒らせる。それを今度は殆ど怒りを感じないで済んだということは、ほんとに嬉しかった。 で、私は今度のことを、すぐと明るい方にばかり考えたのである。これからは、畑泥棒などという者は、影も見せないようになるだろうということは、決して空想ばかりではなく思われた。 けれども、一日二日と経つままに、私の考えていたことは、やはり「実現し得ざる理想」――「お嬢様のお考え」に過ぎなかったということが分って来た。耕地には前にも増して屡々多量ずつの盗難が起るようになったのである。而も大びらに、生々した玉蜀黍が踏み折られていたり、今までは無事でいた枝豆まで根こそぎなくなってしまったり、家から遠くあなたにある池からは、慈姑(くわい)がすっかり盗まれてさえいた。 この有様に私はすっかりまごついてしまった。どうかして、誰一人厭な目を見ないで、納まりをつけてしまいたい。 けれども、これにはどうしたら好いのかということになれば何一つ私には分っていないのである。 まるで、真暗な中で、どこにあるか分らないマッチと手燭を捜しているようで、世馴れない心は、すっかり気味が悪くなり、おびえてしまった。 その上、何か一つ盗られる度に祖母が、さも辛そうにまた皮肉に、「今まではなかったこった。ああほんとになかったことだがねえ」と、つぶやくのを聞かなければならないのである。 私は、自分のしたことは間違っていなかったと断言出来る。そしてまた、一方では、彼等がこうなるように心を誘われたのは決して無理ではないと思う。 そうすれば、結局どっちの遣りようが悪かったのだろう? 私は心の命ずるままにしたのだ。彼等もまた必要上、しなければならないような境遇にいたのだ。両方ながら「そうしなければならないから」したのではないか? 彼等もこうならずにはいられなかったのだろうし、私もまたああしなければいられなかったのだ。或は、私の方がこうなる機会を与えたようなものだから、間違っていたかもしれないとも思っては見たけれども、そうだと断定することは出来ない。彼等が間違っていたのかということにも「そうにきまっているじゃあないか」とそれほどの断言は下されない。つまり私には分らないのである。 このことは、私に種々なことを考えさせた。そして、世の中の多くの多くの事件が、いわゆる明快なる判断力で、まるで何といって好いか素晴らしい無造作で、ドシドシと片づいているのが恐ろしいようになった。けれども、私は、このように種々のことが起り、考えずにはいられなくなって来るのは好いことだと、とにかく思った。そして、起って来るだけのことは正直に受け入れて、正直に考え感じなければならないと思ったのである。 その晩も私は独りで自分の書斎に坐って、あれからこれへと考えていた。外は非常に月がよかった。で、いつものように灯を消して、真暗な処から世界の異ったように美しく見える、耕地の様子や山並みを眺めながらいたのである。 すると、暫く経ってから、芝生の彼方の方から何か軽い音が聞えて来た。どうも何かの足音らしく調子を取っている。そして、その草葉のすれるような、押えつけるような音は、だんだん近づいて来た。 近づくに随ってとうとうそれは人間が忍び込んで来たのだということが分った。 けれども私はすっかり安心した。なぜなら、輝きのうちをおよぐようにして、小さい子供が長い竿を抱えて、抜き足差し足で入って来たのを見つけたからである。 彼の行こうとしている方には、家中で一番美味しい杏(あんず)が、鈴なりになっている。 これですべては分った。私は、今までいた所から少し奥に引っこんだ。そして、子供のしようとすることを見ていたのである。木の下まで忍び寄った子供は、注意深くあたりを見廻した。生垣で隔っている母屋の方にまで気を配った。 けれども、猫でない彼は、真暗闇の中にこの私が自分の一挙一動を見ていようとは、まさか思わなかったのだ。 やがて彼は腕一杯に竿を延ばした。顔をすっかり仰向けて、熟した果(み)に覘(ねら)いをつけ、竿の先をカチカチと小さく揺ると、二つ三つポロポロと落ちて来る。 彼は二三度同じことを繰返した。してみる度毎に結果は好いので、彼はだんだん勢付いて、子供らしい、すっかりそれに熱中した様子になって、四度目のときには、今までよりよほど力を入れて枝を擲(たた)いた。 木の頭は大きく揺れた。そしてバラバラとかなり高い音を立てながら沢山な果が、下にいる彼の顔の上だの肩の上だのに飛び散ったのである。 彼は予想外な結果にすっかり有頂天になって、驚きと喜びの混合した、「ヤーッ!」という感歎の声を、胸の奥から無意識に発した。 しかし、まだその声の消えないうちに彼は自分の不用心に気が付いた。急に自分のしていたことがすっかりこわくなった。 今にも誰か出て来そうに思われて来た彼は、せわしくあちらこちらをながめると、いきなり体をねじ向けて、大きな足音を立てながら、畑地の方へ逃げて行ってしまったのである。 これを見た私は思わず微笑した。せっかく落した果を皆そのまんま残して、自分の声に嚇かされて逃げて行った彼を見て、怒ることは出来ない。どこの子だか知らないけれども、息を弾(はず)ませて家へ帰りついたとき、彼に遺っているものとては、果物の雨を身に浴びたときの嬉しさとその後のたまらないこわさだけであろう。 愛すべき冒険者よ! よくおやすみ。あしたもお天気は好かろうよ。 けれども、彼もまた私に辛い思いをさせる畑荒しの一人だというのは、何という厭なことなのだろう。        十一 或る日突然私は桶屋から、金の無心をかけられた。彼は、今までもあまり貧乏なので、祖母からいろいろ面倒を見てもらっていたのだけれども、病人の娘を気味悪がって、家へはあまり近づけられないでいたのである。 アルコール中毒のようになっているので、手はいつでも震え顔中の筋肉が皆、顎の方へ流れて来たような表情をしている。 酔うと気が大きくなって、殿様にでもなったように騒ぐけれども、白面(しらふ)のときはまるで馬鹿のように、意気地がなくなって、自分より二十近く年下の後妻に、おとなしく使われているので、皆の物笑いになっている。 その彼が、祖母が墓参に行った留守へ来たのである。 大の男がたった五円の金を貰おうとして、幾度お辞儀をし、哀れみを乞うたことか! 彼は、命にかけてお願いするとか、御恩は一生忘れないとか、それはそれは歯の浮くように人を持ちあげた口吻で、「お嬢様のおためにゃあ火水も厭いましねえ、はい、そりゃほんのことでござりやす」と繰返し繰返し云った。 生れて初めて直接に金を借りようとする者の、極端に己れを低めた言葉態度を見た私は、妙な極り悪さと、自分自身の滑稽らしさとに苦しめられたのである。 愚にもつかない讃辞を呈せられたり、おだてられたりするのを、別にどうしようでもなく、どうしよう力もなく、聞いてすました様子をしている、こんな小っぽけな一文なしの私は、それを知っていて見たらどんなにみっともなくもまた、馬鹿らしく見えたことであろう。私は、前からよく女中に、私共の遺[#「遺」はママ]っている食物なども、大抵は彼等夫婦で食べてしまって、肝腎の病人には届かないときが多いということを聞いていたので、どんなにしてやったところで、また飲まれてしまうのが落ちだという気がした。 それに、何に五円要るのだかと云っても、はっきり訳も云わないので、益々私の疑は深くなった。で、私は自分の金は一文も持っていない米喰虫なのだから、今直ぐどうして遣ることも出来ないと断ったのであった。 けれども、彼の方では、まだお世辞が利かないせいだとでも思ったと見えて、思わず笑い出すほど、下らないことまで大げさに有難がったり、びっくりしたりして喋り立てるので、私はもう真面目に聞いていられなくなった。 私は、笑って笑って笑い抜いてしまったので、彼も何ぼ何でも自分の口から出まかせに気が付いたと見えて、ニヤニヤ要領を得ない笑いを洩して、うやむやのうちに喋り損をして帰って行ってしまった。 このことは、初めから終りまで馬鹿馬鹿しさで一貫してはいるが、彼が今無ければどうなるというほどでもない金を「若しあわよくば」というような下心で「せびって見た」というような様子に気が付くと、ただの笑いごとではなかった。 若しも、私が出してやりでもしようなら、誰も彼もが皆体(てい)の好い騙(かた)りになってしまいそうだ。 私のすることが、皆あまり嬉しくない結果ばかり生むのが、益々辛くなって来たのである。 とにかく、これ等のことがあるようになってからは、私の囲りには、だんだん沢山「得なければならない」者共が集って来た。 小さい娘の見る狭い世界から抜けていることの、不利益を知るほどの者は、何か口実を設けては訪ねて来るのである。 ただ雌というだけのようになった女房共の、騒々しい追従笑いや世辞。 裸足(はだし)で戸外を馳け廻っていた子供の、泥だらけな体が家中をころがり廻る騒ぎ。 それ等の、何の秩序も拘束もない乱雑には、単に私の毎日をごみごみした落付のないようにしたばかりでなく、家全体をまるで田舎のよく流行(はや)る呪禁所(まじないどころ)のようにしてしまった。 祖母やその他家族の不平は、私一人に被さって、子供が炉へ水をひっくり返したのも、下らない愚痴を、朝から聞かされなければならないことも皆私がこんなだからだと云われなければならなかった。 このようなうちにありながらも、私は出来るだけ彼等に好意を持ち続けようと努めた。 けれども、いそがしい仕事のあるとき、彼等の仲間になって聞き飽きた、その当人よりよく知っているような噂や繰言(くりごと)をじいっとして聞かなければならないのは、ほんとにたまらなかった。 どうせ、出された物だというように、腹がダブダブするほど茶を飲み菓子をつまんでいる彼等を見ると、私はほとほと途方に暮れたような気がした。 幾分あきらめたような、希望のあるような心持で、秋風が立つと、祖母がやることにきめている着物の地を染めたり、絞ったりしながら、自分のしていることが自分で分らなくなって来たのを感じていたのである。        十二 私の周囲がこのような状態にあるうちに、町の婦人連の間には、或る計画が起っていた。 町の東北隅に新教の基督(キリスト)教会がある。創立後まださほどの年数は経っていないのだけれども、繁昌するという点に於ては、成功していた。 初めてここに来た外国人の代には、真面目な信者が少しずつ集るくらいのことで、至極目にも立たないものだったけれども、すぐその後を受けて来た牧師は、非常に気軽な男で「なあにあなた、私共だって人間ですからなあ」というような調子であった。 それが、町のいわゆる奥様連の同情を得て「面白い牧師さんですわね」ということから、めっきり教会がにぎやかになって来たのである。 そして、今では三代目のこれも恐ろしく人の好い愚直といったほどの牧師が、殆ど女連の御蔭で維持されているような教会を管理していた。 いろいろな意味で大切にされていた先代は、去年の夏脳溢血で、ほんとうに天国に行けそうな死にようをしたのである。 まだ割合に年も若く、絶えず東京風の装(なり)に苦心しているくらいの婦人連は、教会を一つの交際機関として利用していた。そして或るときは説教よりも互の身なりの観察が重要なことであり神の祝福を受けながら着物の柄を考えることが大切であった。そしていかにも「女らしいすべての点」を備えた会合が催されていたのである。 ところが、この八月の二十四日が先代の牧師の初めての命日であるということは、何か変ったこともがなと思っている婦人連にとっては、この上ない機会となったのである。花の日会などという派手な催しのあることを聞いて、胸をわくわくさせながらもじいっと我慢していた人達なので、何か記念の仕事をしようということは、一も二もなく賛成された。 そして、いろいろ評議された末、終に故牧師が埋められているK村の貧民に、僅かずつでも「ほどこし」をしようということになった。 故人が、貧民救済には、随分心を用いていたのだけれども、多用だったり、基金が無かったりして、意のままにはならないで終ってしまったから、自分達がその遺志を継ぐのは当然のことであるというのであった。 婦人達は皆勢づいた。そして、早速刷物を作って、町中の少くとも誰さんといわれるほどの人へは、残らず配付して、お志の御寄附を勧誘したのである。 その珍しい印刷物を手にした者は、皆様々の思いに打たれた。或る者は喜び、或る者は身に及ばないことではあるが、どうかして仲間から脱けたくないものだという苦しさに迫られた。 町中はこの噂で一杯になり、町が始まってから初めてのことだといっても好いくらい、女の人の仕事の稀なこの土地では、天道様が地面から出たような騒ぎであった。 けれども、じきに種々な苦情が起って来て、関係者を非常に困らせた。 それは、こんな女が委員だとか何だとか、麗々しく名を出しているのに、一体私はどうしたのだ、というようなことから、誰彼の差別なく名を並べて置くよりは、会長とか副会長とかから、末は馳(はし)り使(つか)いまで明かな役名をつけて置かなければいけないということである。殊に、その候補者の中には自分をも加えている自信ある夫人達は、熱心にその必要を称えたのである。 女の仕事はとかく事務的でない、責任を感じないといわれているのだから、私共は時局に鑑(かんが)みて出来るだけ完全なことをしなければならないと思いますがということが、だんだん大きな声になって来たので、とうとうすべてを選出することになった。これは益々町を只事でなくした。会長、副会長の望みのない者は、せめて一歩でも誰々の上に出ようとする。甲が思えば乙も願っているので、互の要求が衝突する。表面が平穏でありいわゆる婦人のつつましやかに被われていればいるほど、内輪では青くなり赤くなりして、自分の良人はあの人のよりは上役なのだからと、狭い郡役所の二階でほか役にも立たない権利までも利用して掛ったのである。そして、散々ごたついた末ようよう役割りが定まって、事がどうやら落着いた。もちろん小さい不平は決して納まった訳ではない。会長に選まれた婦人は、町で一番大きな病院長の夫人で山田院長夫人と呼ばれていた。別に力量がある訳でもなしするけれども、若し彼女の野心を満たして置かないと、あとの祟りが恐ろしいというのが最大原因であったのだ。 彼女は四十余りの大変肥って背の低い人である。化粧に使う鏡は丁度胸ぐらいまでしか映らないものだったので、帯から上と下とはまるで別人のような恰好をしている人である。大きな束髪と耳朶(みみたぶ)や頸がぶちまだらではあっても念入りな彼女の「ちっともかまいません」化粧と、大きな帯で坐っているときの夫人は、実に素晴らしいものだけれども、一旦立とうものなら中心を失ったように大きな重そうな、上半身は内輪にチョコチョコ運ぶ足では、到底支えきれなさそうだ。肩を互い違いに前後に振る癖は、晴れの場所を通るとき、極りが悪いような気もするが、随分得意のときに特別ひどくなって、息のつまりそうな頭をフラフラさせ、千切(ちぎ)れそうに体を振って行く様子を見ると、どんなに敵意を持った者の心でも和らげられてしまう。彼女は、自分が押しも押されぬ会長様と定まってからは、もうすっかり落着いて、ただ人の口の端にのぼる類ない自分の令聞を小耳に挾んでは満足げに、うなずいていた。 そして町長の夫人が二年前に死去したのは、何という感謝すべきことかと、人知れずその墓に詣でたのである。若し、あの夫人にひょんなことがなかったら、今日自分はどうしてこの位置をかち得ただろう! ほんとうに、まあ何という運の好い自分だろうか! と。 かようにして、初めはさほど大仰(おおぎょう)にする積りではなかったことがだんだん大きくなって来たので、とうとう奥様達の手には負えないほどになってしまった。 牧師は、朝から晩まで祈る暇もないようにして、金の保管やら事務の整理にこき使われて、「それも道のためでございますわ、先生」といつも言葉を添えては、少し歯に合わない事々は、あらいざらい、まるで川へ芥(ごみ)を流し込むように押しつけられた。 顎に三本ほど白い髯がそよいで、左の手の甲に小豆大の疣(いぼ)のあるのを一言口を動かす毎に弄(いじ)るので、それが近頃では、大変育って来た彼は、白木綿のヨレヨレの着物に襷(たすき)をかけて、毎日をどれほど短く暮していることか! 婦人連は顔を見合せる毎に、「あれがすみますまではお互様にねえ、随分いそがしゅうございますこと」と、自分等の間だけの符牒で話し合っては嬉しげに笑った。 物見遊山に行く前のように何だか心嬉しく、そわそわした心持で、わけもなくせわしがっているうちに真に困りきったことが持ちあがってしまったのである。 これは、どんなにしても、二十四日までの間には合いかねるということである。 これには皆当惑した。泣いても笑っても、もう追付かないので、何もその日にきっかり出来ずとも、最も良い結果を得さえすれば、三日四日の日などを、故(もと)の先生は気にもお止めなさるまいということになって、一週間の猶予が善良なる故牧師の霊から与えられることになった。 婦人達の口は、暫く故人の厚徳を称え、確かに天国に安まっているという断言に忙しかったのである。 いよいよ日が迫って、寄附締切りの日には教会の内壁に紙を下げ、一々寄附金額を書き並べた。そして、その下に犇(ひしめ)き合って、「あら! まあちょっと御覧なさいましよ。あの方はあんなに出していらっしゃる――。さすが何といってもお暮しの好い方は違いますねえ」と感嘆する婦人連の間を、筆頭に、「一金百円也。会長閣下」と書かれた山田夫人が、気違いのように肩を振り振り歩き廻って、何か云われる毎に、「いいえ、どう致しまして。お恥かしいんでございますよ」と云いながら、一金百円也を睨み上げた。 すべては驚くべき貴婦人らしさで進行して行ったのである。        十三 町の婦人連の間に、この計画のあるという噂は、直ぐ私共の耳にも入り、次で村中に拡がった。 日数が立つままに、だんだんそのことは事実となって来たので、乾いている村の空気は何となし、ザワついて来た。どこでもこの噂をしない所はない。 貧しい者共は、盆の遊びを繰越して、金も貰わないうちから買いたい物の取捨選択に迷い、彼処(あしこ)の家では俺ら家より餓鬼奴が沢山(たんと)いっから十分に貰うんだろうという羨みなどから、今まで邪魔にしていた子供等を一夜の間に五人も十人も殖やしたいようなことを云っている。そして、たださえ働き者ではない彼等は、こうやって汗水たらして一日働いた幾倍かの物が今に来るのだというような思いに心をゆるめられて村全体にしまりのない気分が漲り渡り始めた。 が、依然として、私の家には朝から日が暮れるまで、「行けば何(なに)にかなる」と云う者が、来つづけていたのである。 何だか自分の副業のようにして、愚痴をこぼし哀みを求めて、施されるということは即ち、自分等がどうなるのだということなどを考えもしない、また考えることも出来ないためだ。そういう彼等を見ると、私はいろいろなことを考えさせられた。「今度のことは好い結果を得るだろうか?」 これが第一私の疑問である。而も直接自分自身が苦しめられている、疑いなのである。 彼等はただ貰いさえすれば好い、くれる分には、どんな物でもいやだとは云わない。 けれども、一枚着物を貰えば、前からの一枚はさっさと着崩して捨ててしまい、よけいな金が入れば下らない物――着ることもないような絹着物だの、靴だの帽子だのという彼等の贅沢品をせっせと買って、ふだん押えられている、金を出して物を買う面白さを充分に貪ってしまうのである。 それ故、五円あろうが十円あろうが、つまりは無いと同じことで、その金で買った物も、しばらくして困りきっては町へ売ってしまう。 金も、物品も、その流通する間をちょっと彼等の所へ止まるに過ぎない。 年中貧しくて、彼等にはただ、ああいう着物も買ったことがあったっけ、あれだけの金も持ったことがあったっけがという記憶だけが、それもぼんやりと遺るばかりなのである。 私はこのごろになって、ほんとに難かしいものだということをつくづく思っている。寛(ゆる)くすればつけ上る、厳しくすれば怖(お)じけて何を云っても返事もしないようになるのは、彼等の通癖である。 婦人連が彼等にめぐむことに若し成功したら? ほんとうに、彼等の生活の足しになることが出来たら? それはほんとうに結構なことである。 けれども、私にとっては、ただ単純に結構なことではすまないのである。 私は、自分をこの村に関係の深い、この村に尽すべきことを沢山に持っている人間だと思っている。そして、少しずつでもしだした仕事は、失敗しそうになっている。 そこへ、遠くはなれて、てんでんには別に苦しみもせず、さほどの感激も持たない人達のすることが、彼等の上に非常に効果があるとしたら、この自分は、どこまで小さな無意味な者だろう。 私は、彼等とはまるで異った心持で、彼等のいわゆる「福の神の御来光」を待っていた。 ところへ、突然思いがけない事件が持ち上って、村中の者の心を動かした。 それは水車屋(くるまや)の新さんが豆の俵を持ち出して売ってしまったということである。その二俵の豆は、もちろんよそから粉にするように頼まれたものなのである。 親の金を持ち出したり自分の家の物を盗んだりした経験の一度や二度、持たない者のないような村人のことであるから、ただそれだけのことなら、皆の茶話にも出ないで消えてしまっただろうが、新さんが名うての正直者で、おふくろがまた、これは名代の慾張りでいろいろ評判を立てられている女なので、皆の好奇心を煽ったのである。何かこの裏には魂胆があるといって、私の家へ来るもので新さんの噂をしない者はないほどだった。 私は、その新さんという男には、たった二度ほか口を利いたことがない。随って、どんな男だか、はっきりは分らないが、内気そうな低い声で、大変丁寧に口を利く人だと思っていた。私にも、あの男がそんなことはしない、また出来ないと思われたけれども、彼の実のおふくろが家へ来るたんびに、ほんとうに怒って真赤になりながら、「俺(お)らげの斃(くたば)り損い奴にもはあ、ほんにこまりやす。おめえさまお聞きやしただべえが、飛んでもねえことをしでかしやがってからに……」と、新さんがその豆を売った金で、町の女郎屋に五日とか六日とか流連(いつづ)けたということを、大きな声で罵った。で、私は親身の親の云うこともまさか嘘だとも思えず、さりとて新さんがそんなことをしたとも思えないで、半信半疑のうちにこのことのなりゆきを見ていたのである。 一体、水車屋は、二年前に亭主が亡くなってからよくない噂ばかり立てられていた。 その時分からもう、北海道に出稼ぎに行っていた新さんを呼びよせもしないで、自分独りですべてを取りしきっているのも皆陰に操る者があるので、隣村の伝吉という同じ水車屋が、僅かばかりの桃林も何も彼も自分の物にして、新さんを追い出しに掛っているということは、誰一人知らない者がなかった。 新さんは、十六の年から北海道にやられて、この五月になるまで、七年の間女房を持てるだけ稼ぎためたら帰って、おふくろにも楽をさせてやり、家の中をちゃんとしたいということばかりを楽しみに、悪遊び一つせずに働いていたのであったそうだ。 ところが運悪く腎臓病になり、医者にすすめられたので、久し振りに帰って来たときには、八十円の金を持って来た。 若いに似合わず感心なことだと、私の祖母なども祝いをやったというほど村中の者に尊敬されていたのである。 けれども、一度借金のことから取り上気(のぼ)せて殆ど狂気になったことがあってからというもの、五厘でも半厘でも金のことにかかると、理も非もなくなる彼のおふくろは、病気だと聞いて、厄介者が何しに来たというように取り扱った。 それが辛いので、新さんは、町の医者に掛る入費や自分の小遣いなどは皆自分の懐から出して、その上四十円程の金をおふくろに遣りまでした。 けれども、ときどき不用心に胴巻を投げ出して置くと、僅かずつ中が減って行くということや、大の男をつかまえて、おふくろが何ぞといっては打擲(ちょうちゃく)したり、罵ったりするということまで、私共の耳へ入ったのである。 それだもんで、村の者は新さんに同情をし、どうしてもおふくろには面白くない噂が立つので、新さんは板ばさみの辛い目に合わなければならなかった。 ところが、或る日急に新さんはおふくろから、豆を盗んで売り飛ばしたという罪で攻めたてられなければならないことになった。 正直な彼は大まごつきにまごついて、一体何が誰にどうされたのやらまるで分らないので、返事も出来ずにいるうちに、おふくろの方では村中にこのことを云いふらして歩いた。 どう考えても新さんにはそのことが分らなかった。いつか、そんなことでもあったかしらと思い出そうとしたところで、まるで覚えはないしするので、煙のうちをでも歩くような気がして、何だか不安な、ほんとうに自分の身に後ろ暗い所でもありそうな日を送っていたのである。 このような有様で、村中の者共は皆非常な興味を以て、事件の裏にひそんでいることをさぐってみようと思っていた。 私は何にも彼等に関して知っていなかったので、どう想像することも出来なかったけれども、どこにでもある世話焼きが、自分の本職のようにして、せっせとあちらこちらから探りを入れ始めた。 そうすると、意外にもその問題の俵などは初めから根もないことで、ただ謝罪金(あやまりきん)に今新さんの持っている金を、皆取りあげようとする方便に捏造(ねつぞう)されたものだという噂が、次第に事実として騒ぎ出されたのである。 新さんは、飛んでもないことだと思って、おふくろを弁護し、その噂を押し消そう押し消そうと掛った。 けれども、新さんの心はだんだん暗くなって来た。自分の身が悲しく、ほんとにこのおふくろの実の子かしらんという疑いも起って来たのである。 私は青い陰気な顔をした新さんが、心配でよけい面窶(おもやつ)れしたような風で暑い日中被る物もなしに、村道をボコボコ歩いているのを見ると、ほんとうに気の毒になった。 けれども、二十三にもなった男一人が、物の道理も分らないおふくろの自由にされて、苛(いじ)められても恥かしめられても、ただ一言云い争いもせず、ただ彼女の弁護ばかりしているのを見ると、妙な心持にならずにいられなかった。 何だか、どこかに私共より偉いところを持っているような気がして、どんなに気の毒だと思っても、他の人々へのように、僅かばかり食物をやったりすることは出来ない。 道でなど会うと、私はほんとうに心から挨拶をして、丁寧に病気の塩梅を聞いた。 随分気分の悪そうな顔をしているときでも、彼は、「おかげさまで、だんだん楽になりやす」とほか云ったことがなかった。        十四 新さんのことがあったので、三十一日はかなり早く来た。二百十日前のその日は、大変に朝から暑くて、鈍い南風が、折々木の葉を眠そうに渡った。 いつもより早く目を覚ました私は、いつもの散歩がてら村を歩いて見た。 家々はもうすっかり食事までも済ましている。前の広場だの、四辻だのには、多勢の大人子供が群れてガヤガヤ云って騒いでいる。 けれども、私の驚いたことには、彼等の着物や何かが昨日とはまるで別人のように、汚くなっていることである。女達は、皆蓬々(ぼうぼう)な髪をして、同じ「ちゃんちゃん」でもいつ洗ったのか分らないようなのを着ている。裸体(はだか)で裸足(はだし)の子供達は、お祭りでも来たようにはしゃいでいるし、ちっとも影も見せないようにして奥に冷遇されていたよぼよぼの年寄や病人が、皆往還から見える所に出て来ている。 桶屋でも、あの死ねがしに扱っている娘を、今日は、特別に表の方へ出して、ぼろぼろになった寝具を臆面もなく、さらけ出して置く様子は、私に一向解せなかった。 村中は、もう出来るだけ穢くなって、それでいて私が今まで一度も見たことのないほど活気づいている。 けれども、見て歩くうちに、だんだん彼等の心がよめて来た。そして、人間もどこまで惨めな心になるものかと、恐ろしいような情ないような心持になってしまった。 私は、何だか自分の力ではどうしようもないことが、起って来たような気持になって、家へ帰った。 家の中は相変らず平和に、清潔に、昔ながらの家具が小ぢんまりと落着いている。 私は、折々縁側に立って向うの街道の砂塵の立つのを見ていた。町からこの村へ来る者は、一人一人ここから見えるのである。 けれども、昼近くなるまで、町の者らしい者は一人も通らなかった。 ところが、もう十一時頃になって、沢山の人力車(じんりき)が列になって暑そうに馳けて行った。中には、種々な色の着物が見える。町の婦人達の仕事は、これから始まろうとするのであった。 村の入口で婦人達は車を下りた。そして、会長夫人を取り巻いて、ガヤガヤ歩き出しの相談をしている周囲を、裸身(はだかみ)に赤ん坊を負ぶった子守だの女房共だのが、グルッととりかこんで、だんだん外側から押しつけ始めた。 貧乏な女共は、びっくりして町の「奥様方」を観た。 光る櫛の差さった髪、刺繍(ぬいとり)だらけの半襟、または指中に燦き渡っている赤や青や白の指環をながめた。指環をはめていない人はない。皆手に小さく美しい袋を下げている。まあ帯の立派だこと! どんな白粉ならああむらがなく付くのだろう? あら! あんな洋傘(こうもり)もあると見える! 女共は頭が痛くなるほど羨ましかった。同じ女に生れて、自分等のように死ぬまで泥まびれでいなけりゃあならない者があるかと思えば、こんなお化粧をして、金を撒いていられる人もある。 何て立派なんだろう! けれども……。 女達が妙に思ったのは無理もない。町の奥さん方は、ほかは金ぴかぴかでいながら着物は皆メリンスばかりであった。 それは、「質素を旨とし衣服はメリンス以下なるべきこと」という条件があったので、賢明なる婦人達は、その箇条を正直に最も適当に守ったのであった。 やがて婦人共は歩き出した。 派手な色彩の洋傘が、塵(ほこり)だらけの田舎道に驚くべき行列を作った。 第一に止まったのは桶屋の所である。 後をゾロゾロついて来た者共は、先を争って間口一杯に立ち塞がったので、妙に暗く息のこもったようになった部屋の中には、股引一つの桶屋と、破けてボロボロになった「ちゃんちゃん」を着た女房が、幽霊のような娘を真中にして、ピッタリとお辞儀をした。 会長夫人はふくみ声で難かしい漢語を交えながら、今度の自分等の目的を説明した。 桶屋夫婦は、何のことやらさっぱり分らなかったけれども、ただお辞儀ばかりをしていると、会長夫人はちょっと指で合図をした。 すると、中の一人が朱塗りの盆の上に大きな水引のかかった包みをのせて差し出し、集った者どもの羨望のささやきにとりまかれて、桶屋の前に据えられた。 彼等は、飛びつきたいほど嬉しかった。けれども、強いて落着いて云えるだけお礼を云いお世辞を並べながら続けさまに頭を下げた。 そして、仕舞いには腹が立って来て、「人こけにしてけつかる。行げっちゃあ!」と怒鳴りたくなって来るまで、婦人達はだまって頭を上げたり下げたりさせて見ていたのである。 ついに婦人は動き出した。彼等はホッとした。 そして、まだ一人二人の女は自分の軒の前にいるのにもかまわず、桶屋夫婦は包みを両方から引っぱって、急いでまごつきながら開けて見た。 中には五円札が一枚入っていた。 二人は札の面を見た瞬間、弾(はじ)かれたように顔を見合せて、ニヤリとした。「当分楽が出来んなあ」「ほんによ。そんにこんねえだの帯も買(け)えるしな」 女房は云ってしまってからハッと気が付いて、娘の方を見ると、ぼんやり疲れきったようにして、揉みくちゃになった水引だの、「病人見舞金」と楷書で書いてある包紙を見ている。 女房はチョッと舌打をして、男に耳こすりをした。亭主もその紙を見て、娘を見て云った。「なあに大丈夫よ。奴にゃあ分んねえ」 娘は、暫くすると、よろよろしながら臭い夜具を引きずって、また暗くじめじめした奥へ引っこんでしまったのである。 婦人連は、一軒一軒に同じ文句を繰返しては、鷹揚(おうよう)に会釈をし、自分の品を上げるとも下げないほどの同情を表した。 そして特に会長夫人は、いつも「ええ、そう、そう、そう、そうですよ」と胸まで首を曲げて返事をする代りに、今日は黙って大きくうなずくだけであった。而も心の中では「ああよしよし」とつぶやきながら。 一行は行く先々で感謝せられ尊敬せられまた驚かされた。 婦人達は皆、自分の仕事に満足した。「人にほどこしをするのは、何て面白いのだろう!」 けれども、だんだん疲れて来ると、同じようなお辞儀だの、お礼だのを聞くのにも倦きて来たし、自分等も一々丁寧に同情を表したり説明したりするのも厭になって来て、仕舞いには、会長夫人がちょっと立ちどまって会釈するあとから、直ぐ金包みを投げ込んで、先へ先へと急行しはじめた。 後についている者共も、だんだん馴れるにしたがって、婦人達に聞えるほどの悪口を云ったり品定めをしたりするようになったので、婦人達は、益々うんざりして来た。 喉が乾いたり、暑かったり、化粧崩れに気が気でなくなった一行が、皆いらいらした気持で或る百姓家の前に来かかったとき、いきなり行手を塞いで焼けつくような地面に坐り込んだ者がある。 あまり突然なことにびっくりして、婦人連は後しざりをしようとすると、すぐ手近に立っていた一人の裾を両手で掴みながら、「おっかねえもんじゃありゃせん。どうぞお願(ねげ)えをお聞き下され」と涙声を振り絞ったのは、誰あろう善馬鹿のおふくろである。 婆の後には、善馬鹿と白痴の子がぼんやり立っている。婦人達はまごつき、ついて来た手合は笑いながら立ちどまった。 狒々婆(ひひばばあ)は軋むような声を張りあげた。「お情深(ぶけ)え奥様方! どうぞこの気違(きちげ)え息子と、口も利(もと)んねえ馬鹿な餓鬼を御覧下さりやせ」「どうぞ奥様! 俺らがようなものこそー憫然(ふびん)がって下さりやせ。どこに俺等ほど情ねえもんがありやすッペ。どうぞお恵み下さいやせ」 裾をつかまえられた婦人は泣声を立てて、「まあ、どうしたのです。さあ、そこをお離し! 行きゃあしませんよ。さあ早くお離しってば!」と、自分の方へ引っぱっても、「いんえ、離しゃせん。金輪際(こんりんざい)離しゃせん。どうぞ聞いて下され。ほんに俺らがように……」と尚強く握って地面にへばりついた。あまりのことに婦人達は、総がかりになって、婆を嚇(おど)したり、すかしたりしたけれども、なかなか離しそうにもない。 皆が、てこずり抜いて、着物の裾を引っぱり合いながら、途方に暮れている様子があまり滑稽なので、周囲の者は、思わずドッと囃し立てた。 そうすると、いきなり人垣の間を分けて、犬のように飛び出した一人の男の子が、「やーい! やーい! 醜態(ざま)見ろやい!」と叫びながら、手足をピンピンさせた。 甚助の子である。 その一声に、何か云いたがってムズムズしていた他の悪太郎共の口は一時に開かれた。「弱(よえ)えなあ。そげえじゃらくらした阿魔ッちょに何出来ッペ!」「婆様手伝ってんべえか!」 黄色い砂塵に混って、ワヤワヤ云うどよめきの中を、「お情深え奥様方! どうぞおきき下され。俺らげの気違えと白痴(こけ)野郎が……どうして生ぎて行(え)かれますッペ!」と婆の声が、切れ切れに歌のように響き渡った。 婦人達はすっかり度を失ってしまった。逃げ出したくはあっても、獣のような彼等に敗北して行くのはあまり口惜しい。皆興奮し、ヒステリックになってちょっと指を指されても大声を上げそうになっていると、甚助の子は、ぼんやり立っている善馬鹿の耳端で何かささやきながら、妙な身振りをして彼を突飛ばした。 突飛ばされて、彼は真直に婦人達の中に入って、「へ……。へ……」と笑いながら、見ていられないような様子をしはじめた。 婦人達は恥かしさと、怒りで真赤になり、袂を顔にあてながら、「失礼じゃありませんか!」「あんまりです! 何をするの?」と叫びながら立ち去ろうとした。 こうなると貧民共の獣性はすっかり露骨になってしまって、大人までが聞くに堪えない冗談を浴せかけた。 会長夫人は気が違いそうになった。そして涙を目一杯にためながら、傍の人から金包みを引ったくると、狒々婆の顔へギューギューと押しつけて叫んだ。「は、早く行って下さい! あまり、あまりひどい。さ! さ! 早くってば! あまり……」 婆さんはようよう立ち上って、善馬鹿を向うに突飛ばしながら、非常に落付いて、「どうもお有難うござりやした。おかげさまではあ三人の命がたすかりやす。御恩は決して忘れましねえ」と云うと、三人一かたまりになって、満足げに行ってしまい、人々の騒ぎはよほど鎮まった。 さすがの婦人達も暫くは、気抜けのしたように立ったまんま、どうすることも出来ずにいた。 けれども間もなく、会長夫人は辛うじてその威厳を回復して、群集一同を恐ろしい目で睨み廻した。そして、黙ったまんま皆の先に立って歩き出した。 何という帰り道のみすぼらしさだろう! 甚助の子は遠くの方から、馬の古鞋(ふるわらじ)をなげつけたり、犬を嗾(けしか)けたりしてついて行ったのである。        十五 町の婦人連は来た、金を撒いた、そして帰って行った。 ただそれだけのことである。けれどもそのために、狭い村中の隅から隅まですっかり掻き廻されてしまった。 子供等は、盆着を着せられて、村にただ一軒の駄菓子屋の前に、群がってワヤワヤ云っている。 大人どもは、貰った金を、何にどう使うかということで夫婦喧嘩や親子喧嘩をして、互同士の嫉みが向う三軒両隣りに反目を起させた。 けれども、私の家だけは、相も変らず「繁昌」しているのである。 一昨日と同じように今日も彼等は来た。 が、大抵の者は小ざっぱりした装(なり)をして、下駄まであまりひどくないのを履いている。そして、町の婦人達の来てから帰ったまでのことを、細大洩さず話しては、あの、家まで聞えて来たほどのどよめきの最中に起っていたことに対して、婦人達はどんなに、臆病に意気地がなかったかということを嘲笑した。 裾にすがりついて離れなかったばっかりで、いくらかをせしめた狒々婆や、善馬鹿をそそのかした甚助の子のことなどは、さも面白い勇ましいことのように彼等を喜ばせたものらしい。「あの婆様もあげえな体あして案外(あんげえ)偉(えれ)えわえ。あのときの醜態(ざま)あ見せてあげとうござりやしたぞえ」 皆は、自分等の貰った金高(かねだか)を争って私共に聞かせた。「俺ら五円貰った!」「そんじゃおめえ、こすいでねえけえ。俺らなんかたった三両ほかくんねえぞ」 そして、あんな大袈裟な前触れで来ていながら、たったそれっぽっちずつほか呉れないで、有難がらせようとしたって無理だとか、金の割当て方が不公平だとかいう不平が、彼女等が来ない前よりもっとひどく、町の者への悪感を強くさせた。 私は来る者毎に今度いくらでも貰って少しは楽だろうと聞いてみると、うんと云う者は一人もいない。「俺ら見てえな貧乏のどん底さあいるもんが、おめえ様、三両や五両の銭い貰ったって、どうなりやしょう。嚊(かかあ)は何が買えてえ、御亭(ごてい)はこんが買えてえ。そんですぐはあ夫婦喧嘩で、殴り合ってるうちにはあそのくれえの金あ、皆どうにかなってしまいやす。三日経てば、元の木阿彌で相も変らず泥まびれでやすよ」 それは、ほんとのことであった。一週間も経たないうちに、町から入った金は、また町へ吸いとられてしまって、彼等はまた元のように三円とまとまった金は持たないようになる。 ちょっとでも余分なものが入れば彼等はせっせと何か買ってしまう。訳も分らずただドンドンと買ったあげくは、元に幾らかの利子までつけて、町へ返済してしまうのである。 貯蓄の癖が付いていないので、どうしても蓄(た)める気になれない。まして、銀行とか郵便局とかいう所は、金は取りあげてしまってただ一冊帳面をあてがう所のようにほか思われていないので、あずける者などは殆どない。 だから、私共が溜めろと云ったところで、聞かれることではないのである。金を貰いながら彼等はやっぱり私共で飲食いし、平気で何をくれろとか、どうしてくれとか云っている。 私は、自分のしていることが極く小さな、例えば金をやるにしても一時にまとまって一円とはやらず、着物にしても、新しいのばかりはやらないので、却って彼等の生活には、さほどの悪い影響も及ぼさないのだと思わないではいられなかった。 若し私が、頭割に百円ずつもやったとしたら、彼等はその金の尽きるまではのらくらして暮して、また困って来ればどうかしてくれろと、よりかかって来るにきまっている。彼等に対してすることはいつも何でも限りがない。よしんば私が彼等の生活を助けようとして、自分の生計にも窮するほどになったとしたところで、彼等はやはり何か貰おうとする。何か呉れる所だと毎日せっせと押しかけて来るだろう。 町の婦人連の仕事は、予想通り失敗したとともに、私には、自分は一体どうしたら好いのだ? という恐ろしい疑問が残された。この気持は、甚助のことのときにも私を苦しめた。けれどもあのときは、自分のしていることにかなりの自信を持っていたので、幾分は勢(いきおい)付けられていたのであった。が、今度は、自分のしていることが、どうもほんとうに好いことではないような気がしてならなかった。 人が自分より力弱い者を憫れむとか、恵むとかいうときに、少しばかりでも虚栄心を持たないだろうか? もちろん、すっかり世の中を悟ったというような人は別かも知れないが、少くとも、私共ぐらいの程度の人間では虚心平気に人を恵み、慈善を施すということは、殆ど出来ないことではないかしらん? 町の婦人達のしたことなどを見ると、慈善などというものは、或る場合には、恵む者が自分の金の自由になり、自分の勢力の盛なことを、自ら享楽する方便にほかならないようにも思われる。 少くとも、「ほどこす者」と「ほどこされる者」との間には、もう動かせない或る力の懸隔が起るとともに、自分等の位置からいろいろな感情が起って来るだろう。 それ故、私が随分彼等に対して、丁寧であり謙譲であろうとして努めていても、どこかにやはり「ほどこす者」の態度がきっとあるのだ。 彼等の仲間にはどうしてもなれない。流れて行く物を拾おうとして、岸から竹竿を延しているので、決して一緒に流れながら掴えようとしていないのを自分で知っている。 たとい表面的には、畑へも出、収穫の手伝いもし、同情もし、或る共鳴は感じていても、決して同じ者共とはなり得ないのである。 それなら、私がその同じ流れの中に漂って見たらどうか! なかなか自分の溺れないために人のことなどは見てもいられなくなる。 岸から竹を延している今までにも私はあきたらなくなって来たと共に、一緒に濁水を浴び、苦しまぎれに引っ掻きもがいて、手も足も出なくなって終ってしまうのは、ただ一度ほかない私の生涯にあまり惨めである。 で、私はほんとうに、謙譲になり丁寧になって、而も今の不平や恐れをなくするにはどうしたなら好いのか? 私は情ないような心持になってしまった。 どこかで、「お前の花園は一体どうしたんだ? もうそろそろ芽生えぐらい生えそうなもんだになあ!」と嘲笑(わら)われているような気もする。 けれども、私は諦めの悪い人間だ。どうしても、ものを「あきらめ」て静かに落付いて、次(つい)ではそれも忘れてしまうということが出来ない。 それ故「世の中というものは、どうせそんなものさ!」と落付いてしまうことが出来ないので、いつでも不平や、悲しい思いや、苦しい思いやをして、「賢明な人々」からは妙な同情を受けているのである。 今も私は「何でもない、自分が小さいからだけのことだ!」と諦めが着かない。 いかにも私は小っぽけな細い声を出して、何かゴトゴトいっているに過ぎない者ではあるけれども、もう直ぐの所に大変好いことがあるのに、またその好いことも捜し手を待ちかねているのに、見つけられないでいるのじゃあるまいかということがしきりに感じられる。ほんとに、ただ感じられているばかりなその一重向うの何ものかを求めようとして、私は目を見張ったり、手を動かしたり、ジーッと耳をすませたりしているのである。 かようなまた新しく湧き出した望みに攻められている間に、村はまた貧乏に戻る前の馬鹿らしい景気よさに賑わっていた。 村端れに酒屋が一軒ある。今まではさほど繁昌も出来なかったのが、このごろになってから急に客が殖えた。夕方になると野良から帰った百姓達の中心になって、一升と諢名(あだな)のある桶屋だの甚助親子だのが集って来た。 店先に床几(えんだい)を持ち出して、蚊燻(かいぶ)しをしながら唄ったり踊ったりの陽気さに、近所の女子供まで涼みがてらその囲りに立って見物をする。 善馬鹿は、いつも皆の酒の肴に悪巫山戯(わるふざけ)をされていた。 その晩もいつものように酒屋は大騒ぎであった。酒の香りに集って来る蚊をバタバタ団扇(うちわ)で叩きながら床几に寝ころんでいる者の中には新さんも珍らしく混っている。 皆が、漬物をつまんだり、盃を廻したりしながら、町の婦人達の悪口や愚にもつかない戯言(たわごと)を云ってワヤワヤしている傍に、新さんは黙って、蚊が一匹溺れている自分の盃を見ていた。「や、ほんに新さんがいたんだんなあ。あまりおとなしいでいんのー忘れてしまったわえ、さ! 一杯明けな。酔えば天地あ広(ひれ)えもんにならあ」 新さんは酒を飲もうともしなかった。 けれども、今まで放って置いた気の毒さも混って、皆は急に新さんにいろいろの言葉をかけた。 あんな化物豆なんか心配しないで、自分は自分でさっさと遊ぶなり、ほかへ出るなりしろと力をつけながら、あの、子を子とも思わない鬼婆なんかぶんなげてやれとかなんとか罵った。 甚助などは拳骨を振り廻しながら、「お前さえウンと云や己が黙っちゃ置かねえ」とまで云った。 チビリチビリと酒をなめながら、皆の云うことを聞いていた一升は話の絶(き)れ間(ま)を待って、重々しく云い出した。「一体(いってえ)なあ新さん。お前(めえ)はあげえなおふくろー神様か仏様あみたえに思ってんが、第一(でえいち)のまちげえだぞ。お前のおっかにしろ、どいつのおふくろにしろ皆女子さ。どこの世界(せけえ)だて女子にちげえはねえだ。悪(われ)えこったってすらあな。邪魔んなりゃお前をぼん出そうともすらあな!」「そらそうだべ。けんどあげえなこって親子喧嘩しちゃ、親父(ちゃん)にすまねえ。俺らせえ黙ってりゃすむこんだかんなあ。俺らそげなことをする気はねえ」「だからお前は仏性(ほとけしょう)よ、めったにねえ生れつきだんなあ。死んだ親父(ちゃん)の云った通りのことー云ってんぞ」「そいから見りゃお前は、極道者(ごくどうもん)だんなあ、一升」 傍から甚助が口を入れた。「ほんによ。こげえな極道者の行く先あ大方定ってら」「お前等今頃んなって、そげえなことほざくんか? のれえなあ。見ろ、俺らのそばにゃもうちゃんと地獄がひっついてら。ほかへ行ぎようもねえじゃねえかあ!」と一升は、自分のそばに坐って漬物を食おうとしている酌婦上りの女房をさした。「ハハハハハハ。ハハハハハハ」「好(え)え気になって、ほざいてけつかんから恐ろしいや」「そうともよ、好え気になれんのも娑婆にいる間だけのこった、なあ新さん。死んだ後のこと、俺らが知るもんけ!  あとは野となれやま……となーれ。  ヤ、シッチョイサ! か。 どうだ巧かっぺえ」 皆は破(わ)れるように喝采した。新さんは妙な笑い方をした。「面白えなあ。踊りてえなあ。ちゃん!」 甚助の子が、よろけながら立ち上ったとき、向うから、これも微酔(ほろよい)の善馬鹿が来かかった。 これで、すっかり元のように賑やかになってしまった。 彼は皆に呼ばれて、また二三杯のまされた。「おめえ俺らと仲よしだんなあ。善! 踊んねえか? 面白えぞ」 甚助の子は、善馬鹿の耳朶を引っぱりながら、床几(えんだい)の周囲(まわり)を引っぱり廻した。「こりゃうめえ、さ、踊れ。また酒え飲ますぞ」「踊れよ、相手が好えや。ハハハハハハ」「そら踊った、踊った!」 単純な頭を、酒でめちゃめちゃにされた甚助の子は、気違いのようになっていた。 肌脱ぎになり、両手に草履を履くと、善馬鹿の体中を叩きながら、訳の分らないことを叫んで踊り出した。「や! うめえぞッ!」「そーらやれやれ。ええか? 唄うぞ! ホラ  俺らげーの畑でようー……  ホラ、シッチョイサ!……」「ワーッハハハハハ」「ハハハハハハ。ええぞッ!」「ホラ、しっかりしっかり!」 善馬鹿は甚助の子に、ベチャベチャと草履で叩かれながら、着物のすそを両手にとって、ザラッ、ザラッと足から先に踊り出した。        十六 婦人達が来てから一週間はじきに経った。そして、村はだんだん、元の陰鬱な貧しさに落付き始めた。畑の方もだんだん急がしくなって来たので、自ずと酒屋の床几(えんだい)も淋しくなり、下らないいざこざも少くなった。 けれども、町の婦人達の記念として、善馬鹿はすっかり酒飲みになってしまった。皆のなぐさみものとなってあっちこっちで飲まされたためであろう。 私共は、朝から晩まで、彼のだらしなく酔った体が、泥まびれ汗まびれになって、村中をよろけ廻っているのを見るようになった。 彼はどこの家でもかまわずに、入って行っては、「酒えくんろー」とねだる。 村道添いの家で、彼に酒をほしがられない家は一軒もなかった。けれども大抵の家では酒を一滴か二滴垂らした水を遣ったのだけれども、彼は喜んで酔っていたのである。 或る日の午後、私共は茶の間の縁側の傍に坐って、胡桃(くるみ)を挽いていた。すると耕地の方から、グルリと廻って庭木戸の中へノッソリ入って来た男がある。びっくりして見ると、善馬鹿だ。 私は何だか薄気味悪くなって、少し奥の方へいざり込んだ。奥にいた祖母やその他の者も出て来て、半ば気味悪く半ばめずらしそうに、だまって庭に立っている善を見ていると、暫くして彼は低い声でかなりはっきりと、「酒えくんろー」と云った。 下女は直ぐ立って行って、薄く酒の香いのする水を、破(か)けた飯茶碗に入れて来た。そして遠くの方から手をのばして、「ホラ、ここさ置くぞ」と縁側の端に置いてやった。 善馬鹿は下女の手が引っ込むか引っ込まないかに、引ったくるようにして、茶碗をとった。そして、フーフー鼻息を立てて、喉仏をゴクゴクいわせながら一滴もあまさず飲んだ後を、すっかり舐め廻した。 空っぽの茶碗を持ったままいつまでもそこに立っている。下女は穢いから早く逐い出しましょうと云ったけれども祖母は、狂人や何かにひどくすると、あとできっと「あた(仇)」をするものだからと云って放って置かせた。 私は久し振りで善馬鹿の顔をツクヅクと眺めた。今日はどうしたのか、いつもよりよっぽど、小ざっぱりとしていて、さほど臭くもなければ穢なくもない。けれども、精神病者に特有な、妙に統一の欠けた手足の動かし方や、目の使いようが、却って凄く見えた。そして、先達て中よりは、すっかり痩せて、頬などはゲッソリこけている。皺も多くなったし、全体に弱っている。やはり酒などを飲んで、始終興奮状態が続いているのがすっかり堪(こた)えてしまったものと見える。 可哀そうな! あばれるようにでもなったらどうするのだろう。 私はぼんやり母から聞いた北海道の気違いの話などを思い出していた。すると、いきなり善馬鹿は、ニヤニヤしながら、「飯が食いてえなあ俺らあ」とつぶやいた。 云いようがあまり子供のようなので、私共は皆吹き出してしまった。けれども、私は下女と二人で丼の中に飯と、昼に煮た野菜と漬物を一緒に山盛りにしてまた、縁側の端へ置いた。 彼は直ぐそれをとった。そして地べたに坐りこむと足の間にそれを置いて両手で、食べ始めた。丼の中ばかりを見つめて、ほんとうにガツガツとまるで飢えた山犬のようにして、掻っ込んだのである。 見ているうちに、私はあさましくなってしまった。 獣より情ない姿だ。こんな哀れな人間に生れるくらいなら、猫にでも生れた方がどんなに幸福だったか分らない。彼にとっても、また彼の周囲の者にとっても、遙かにその方がよかったのだと私は真面目に考えた。そして、見ているに忍びなくなって、後を向いてまた胡桃を挽き出した。パチパチいって破れる殻から、薄黄色い果を出しては、挽き臼でつぶすのである。 暫くすると、善馬鹿は食べてしまって、立ち上ったらしい気配がした。そして、よろけながら両手に空の破(われ)茶碗や丼を下げて、また耕地の方へ出て行く後姿を、私は、臼の柄につかまりながら、何ともいえない心持で見送っていた。秋めいた、穏やかな午後の日射しが、彼の蓬々頭の上に静かに漂っていた。 暑さのためと、気苦労で、養生の行き届かない新さんの病気は、時候の変り目になってからドッと悪くなった。 体中が腫(むく)んだので、立っていることさえ苦しいほどなのを、家にいればおふくろの厭味を聞かなければならないのが辛さに、跛(びっこ)を引き引きあてどもなく歩いて、林の中などに何か考えている新さんを見ると、村中のものは、ほんとに気の毒がって、どうにかしてよくしてやりたいものだと心から噂し合った。けれども、この二三日はもうこれも出来ないほどになったので、家の陰の日もろくには射さないような長四畳にごろ寝をしているときが多くなった。 部屋の直ぐ前から、ズーッと桑畑を越え、野菜の上を越えた向うには、林に包まれた墓地が見渡せた。 新さんは、足の裏に針の束で突つくような痛痒い痺(しび)れを感じながら腕枕して静かに眺めていると、生々(いきいき)した日の下に踊っている木々の柔かい葉触れの音、傍に流れて行く溝流れのせせらぎが、一つ一つ心の底まで響き渡って、口に云われない憧れ心地になったり、遣瀬(やるせ)なさに迫られて、涙組ましい心持になった。「あの林のかげにはちゃんがいる」 新さんはそう思うと、まだ親父の生きていた時分の事々が、遠い夢のように思い出された。 自分が、まだ七つ八つの頃、あんなに早く死のうなどとは、夢にも思えなかったほど、達者で心の優しかった父親が、自分を肩車に乗せて、食うだけ食えと桃畑の中を歩き廻ってくれた時分の自分等は、どんなに幸福に、嬉しいお天道様を拝んでいたことかと思うと、飛んでも行きたいほどのなつかしさを覚えた。 それだのにこの広い世の中に、たった二人きりの母子(おやこ)でありながら、この頃のように訳も分らないことで、情ない行き違いをしていなければならないのを思い、自分のもうとうてい癒りそうにない病気を思うと、ほんとうに生きている甲斐もなくなったように感じられた。 自分がいておっかあの邪魔になるなら、今すぐからでもどこかへ行ってもしまうけれど、どうせは死ぬのも近いうちのことだろうのに、どうぞたった一度で好いから七年前に呼んでくれたように「新や!」と云ってくれたら、どんなに嬉しかろう! 新さんは、北海道で時蔵という男の所にいたとき、仲間の男で十九になるのが急に病(わずら)いついて、たった三日で死んだときの様子を、マザマザと思い出した。 その男は死ぬ日まで、「阿母(おっか)さん! 阿母さん、何故来ないんだ? 俺りゃ待ってるんだぜ」と云いながら、生れてから別れるまで、ついぞ大きな声さえ出したことのないほど優しい母親のことばっかり話していた。そして、もういよいよというときに、一度瞑(つぶ)っていた眼を大きくあけて、両手を一杯に延ばすと、「阿母(おっか)さん!」とはっきり叫んで、そのまんまとうとう駄目になってしまったときの、あの鋭い声、あの痩せた手が新さんの目について離れなかった。 どこの山中、野の端に野たれ死をしても、いまわの際に「おっかあ!」と呼んで死ねる者は、何という幸福なことか。新さんは、真面目に自分の死ということを考えていたのである。 或る殊に暑苦しい日、朝から新さんは身動きもできないほど弱っていた。 五月蠅(うるさ)い蠅を追いながら、曇った目であてどもなく、高く高くはてもなく拡がった空を見ていると、どこからか飛び込んで来たように、自分はもう生きていられない身だということを確かにハッキリと感じた。 新さんは、妙に笑いながら、ムズムズと体を動かして顔を撫で廻しながら、「おっかあー!」とやさしい声で呼んだ。 裏口の水音がやんで、濡手のままおふくろは仏頂面(ぶっちょうづら)をして、「何だあ?」と入って来た。「いそがしかっぺえがちょっくら坐って、話してえがんけえ? 俺れえ話しときてえことがあるんだがなあ」「何だ? 早く云ったらええでねえけえ」「ま、ちょっとお坐りて。ほんに俺(おい)ら話してえことがうんとある」 新さんは穏やかな愛情に満ちた眼差しで、まじまじと怒ったようなおふくろの顔をながめた。そして、静かに微笑して頭を動かした。「なあ、おっかあ! 俺(お)らおめえに相談しとかにゃなんねえと思うことがあるんだが……」「…………」「急にこげえなことー云うと、おっかあ気い悪くすっかもしんねえが、俺らもうとうてい助からねえと思ってる。そんで、早く家の仕事うちゃんとするもんを定めときね、誰でもええ。おめえのええと思う者を定めたがええと俺ら思ってる」 おふくろは妙な顔をしたが、いきなり大きな声で怒鳴った。
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