貧しき人々の群
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著者名:宮本百合子 

貧しき人々の群宮本百合子  序にかえて C先生。 先生は、あの「小さき泉」の中の、  「師よ、師よ  何度倒れるまで  起き上らねばなりませんか?  七度までですか?」と云う、弟子の問に対して答えた、師の言葉をお覚えでございますか?  「否!  七を七十乗した程倒れても  なお汝は起き上らねばならぬ」と云われて、起き上り得る弟子の尊さを、この頃私は、しみじみ感じております。 第一、先ず倒れ得る者は強うございます。 倒れるところまで、グン、グンと行きぬける力を、私はどんなに立派な、また有難いものだと思っていることでございましょう。 今度倒れたら、今度こそ、もうこれっきり死んでしまうかもしれない。 が、行かずにはいられない。行かずにはすまされない心。 ほんとうにドシドシと、 ほんとうにドシドシドシドシと、真の「自分の足」で歩き、真の「自分の体」で倒れ、また自ら起き上られる者の偉さは、限り無く畏(おそ)るべきものではございますまいか。 まだ心の練れていない、臆病な私は、若しや自分が、万一倒れるかもしれないことを怖がって、一尺の歩幅で行くところを、八寸にも七寸にも縮めて、ウジウジと意気地なく、探り足をしいしい歩きはしまいかということを、どれ位恐れているでございましょう。 私は、もう二足踏み出しております。その踏み方は、やがて三度目を出そうとしている今の私にとっては、決して心の踊るように嬉しいものではございませず、またもとより満足なものでは勿論ございません。 けれども、どうでも歩き廻らずにはいられない何かが、自分のうちに生きているのでございます。 たといよし、いかほど笑われようが、くさされようが、私は私の道を、ただ一生懸命に、命の限り進んで行くほかないのでございます。 自分の卑小なことと自分の弱いことに、いつもいつも苦しんでばかりいる私は、一体何度倒れなければならないのか? それは解らないことでございます。 けれども、私はどうぞして倒れ得る者になりとうございます。地響を立てて倒れ得る者になりとうございます。そして、たといどんなに傷はついても、また何か掴んで起き上り、あの広い、あの窮(きわま)りない大空を仰いで、心から微笑出来ましたとき! その時こそどうぞ先生も、御一緒に心からうなずいて下さいませ。  一九一七年三月十七日  著 者           一 村の南北に通じる往還(おうかん)に沿って、一軒の農家がある。人間の住居というよりも、むしろ何かの巣といった方が、よほど適当しているほど穢い家の中は、窓が少いので非常に暗い。 三坪ほどの土間には、家中の雑具が散らかって、梁の上の暑そうな鳥屋(とや)では、産褥(さんじょく)にいる牝鶏のククククククと喉を鳴らしているのが聞える。 壁際に下っている鶏用の丸木枝の階子(はしご)の、糞や抜け毛の白く黄色く付いた段々には、痩せた雄鶏がちょいと止まって、天井の牝鶏の番をしている。 すべてのものが、むさ苦しく、臭く貧しいうちに、三人の男の子が炉辺に集って、自分等の食物が煮えるのを、今か今かと、待ちくたびれている。 或る者は、頭の下に敷いた一方の手を延して、燃えかけの枝で、とろくなった火を掻きまわして、溜息を吐く。或る者は、さも待遠そうに細い足をバタバタ動かしながら、まだ湯気さえも上らない鍋の中と、兄弟共の顔を、盗み視ている。けれども誰一人口をきく者は無く、皆この上ない熱心さで、粗野な瞳を輝かせながらただ、目前に煮えようとしている薯(いも)のことばっかりを、考えているのである。 逞(たくま)しい想像力で、やがて自分等の食うべき物の、色、形、臭いを想うと、彼等の眠っていた唾腺は、急に呼び醒(さ)まされて、忽ち舌の根にはジクジクと唾が湧き出し、頬(ほっ)ぺたの下の方が、泣きたいほど痛くなる。彼等は、頭が痛いような思いをしながら、折々ゴクリ、ゴクリと喉を鳴らし合っていた。 子供等は年中腹を空かしている。腹が張るということを曾てちっとも知らない彼等は、明けても暮れても「食いたい食いたい」という欲にばっかり攻められて、食物のことになると、自分等の本性を失ってがつがつする。 今も彼等三人が三人、皆同じように「若し俺ら独りで、こんだけの薯が食えたらなあ」と思い、平常はいなければならない兄弟共も、こんなときには何という邪魔になることかと、しみじみと感じていたのである。それだもんで、いつの間にか鶏共が俵の破れから嘴(くちばし)を突込んで、常に親父から、一粒でももったいなくすると目が潰れるぞと、かたく戒められている米粒を、拾い食いしているのなどに、気の付こう筈はなかった。 鶏共と子供達とは、てんでに自分等の食物のことばかりに気を奪われていたのである。 ところへさっきから入口の所で、ジイッとこの様子を眺めていた野良犬が、何を思ったか、いきなり恐ろしい勢で礫(つぶて)のように、鶏の群へ躍り込んだ。 珍らしい米の味に現(うつつ)を抜かしていた鶏共は、この意外な敵の来襲に、どのくらい度胆を抜かれたことだろう! コケーッコッコッコッコッ、コケーッコッコッコッコッという耳を刺すような悲鳴。バタバタバタバタと空しく羽叩きをする響などが、家中の空気を動揺させ、静まっていた塵は、一杯に飛び拡がった。 あまり騒動が激しいので、かえって犬の方がまごついてしまって、濡れた鼻で地面をこすりながら、ウロウロとそこいら中を、嗅ぎまわった。 横に垂れ下った舌や、薄い皮の中から見えている肋骨が、ブルブル震えたり、喘いだりしているのである。 この不意の出来事に、子供等は皆立ち上った。そして、一番年上の子は、火の盛(さかん)に燃えついている木株を炉から持ち上げるや否や、犬を目がけて、力一杯投げつけた。投げられた木株は、ヘラヘラ焔をはきながら、犬の後足の直ぐのところに、大きな音と火花を散らして転げたので、低い驚きの叫びを上げながら、犬は体を長く延して、一飛びに戸外(そと)へ逃げ去ってしまった。 木株の火は消えて、フーフーと、激しい煙が立ちはじめた。 この小さい騒ぎを挾んで、彼等の待遠い時は、極めてのろのろと這って行った。 けれども、ようよう鍋の中から、グツグツという嬉しい音がし始めると、皆の顔は急に明るくなり、微笑した眼が幾度も幾度も蓋を上げては、覗き込んだ。 これから暫くすると、一番の兄は、まだ朝の食物があっち、こっちに、こびり付いている椀を持って来て、炉の辺に並べた。これから、このホコホコと心を有頂天にさせるような香りのする薯が分けられようと、いうのである。 一つ二つ三つ四つ。一つ二つ三つ四つ。 彼は順繰りに分けていたが、不意に、前後を忘却させたほど強い衝動的な誘惑に駆られて、皆の顔をチラッと見ると、弟達のへ一つ入れる間に、非常な速さで自分の椀に一つだけよけい投げ込んだ。 そして、何気なく次の一順を廻り始めようとしたとき、「兄(あん)にい、俺(おい)らにもよ」と、そのとき貰う番の弟が、強情な声で叫んだ。後の者も、真似をして椀をつきつけながら、兄に迫って行った。 兄は、自分の失敗の腹立たしさに、口惜しそうな顔をしながら、突き出された椀の中に、小さい一切(ひときれ)をまた投げ込んでやった。 けれども、初めに見つけたすぐ下の子は、兄のと自分のとを、しげしげ見くらべていた後、「俺ら厭(や)んだあ! お前の方が太ってらあ」と云うなり、矢庭に箸をのばして、兄の椀からその太った丸いのを、突き刺そうとした。 物も云わせず、その子供の顔は、兄の平手で、三つ四つ続けざまに殴(ぶ)たれた。彼は火のつくように泣き出した。そして、歯をむき出し、拳骨をかためて「薯う一つよけいに食うべえと思った奴」にかかって行った。 それから暫くの間は、三人が三巴(みつどもえ)になって、泣いたり喚(わめ)いたりしながら、打ったり蹴ったりの大喧嘩が続いた。仕舞いには、何のために、どうしようとしてこんなに大騒ぎをしているのかも忘れてしまったほど、猛り立って掴み合ったけれども、だんだん疲れて来ると共に、殴り合いもいやになって来た。気抜けのしたような風をしながら、めいめいが勝手な所に立って、互に極りの悪いような、けれどもまだ負けたんじゃねえぞと威張り合いながら、いつの間にかこぼれて、潰れたり灰にころがり込んだりしている大切な薯を見詰めていた。 皆、早く食べたい、拾いたいと思ってはいるのだけれど、思いきって手を出しかねていると、喧嘩を始めたなかの子が、押しつけたような小声で、「俺ら食うべ」とこぼれたものを、拾い始めた。 これを機(しお)に、ほかの者も大急ぎで拾った。 そして、また更(あらた)めて数をしらべ合うと、今はもうすっかり気が和らいで、かけがえのない一椀の宝物を出来るだけゆるゆると、しゃぶり始めたのである。 これは、町に地主を持って、その持畑に働いている、甚助という小作男の家の出来事である。        二 ちょうどそのとき、私は甚助の小屋裏の畑地に出ていた。ブラブラ歩いてそこまで来ると、思いがけず子供等の様子が目に付いたので、傍の木蔭から非常な興味を持って、眺めていた。そして薯のことから、喧嘩からすっかりを見てしまったのである。初めの間は、私はただ厭なものだ、あさましいものだと思っていたけれども、だんだん恐ろしいようになり、次で、たまらなく可哀そうになって来た。彼等に対して一切(ひときれ)の薯は、どれほど勢力を持っているものか。若し私に出来ることなら、うんと厭になるほど御馳走を食べさせて遣(や)りたいというような心持も起ったけれども、とうとう、私はどうしてもあの子供等と近づきになって見ようという激しい好奇心に、すっかり打ち負かされてしまった。 私は、さっさと独りで入って行こうともしたが、何だかばつが悪い。 向うがいくら子供達でも、何だか極りが悪い。で、私は誰か来て私を連れてってくれればと思いながらぼんやりと立っていた。裏口からは、子供等が口の中で薯をころがしたり、互の椀の中を覗き合ったりしているのがすっかり見える。 ちょうど好い塩梅に、そのとき甚助の身内の者で、家が傍だもんで、日に一度ずつ子供ばかりで留守居をしている所を見廻っている婆が、いつものように手拭地のチャンチャン一枚で向うから来た。 私は早速婆にたのんだ。そして、初めて甚助の家へ入って見たのである。そこいら中は思ったより穢く臭かった。 私が戸口の所に立って、内の様子を眺めていると、婆は、けげんな顔をして、ジロジロ私の方ばかり見ている子供達に、元気の好い声で種々(いろいろ)世話を焼いてやっている。「ちゃんは今日も野良さ行ったんけ? おとなしく留守をしてろよ。また鉄砲玉(駄菓子)買ってくれっかんな」 そして黙り返ったまま、婆が何と云おうが返事をしようともしない子供達に、何か云わせようとしきりに骨を折っても、頑固な彼等はただ、臆面のない凝視をつづけているばかりで一言も口をあこうともしない。皆が、憎いような眼をして私ばかり見ているので、だんだん私は来ちゃあ悪かったのかしらんというような心持になって来た。 婆は、しきりに気の毒がってかれこれとりなしに掛(かか)っても、子供等は一向そんなことには頓着なく婆がいわゆる、「しょうし(恥し)がっていますんだ」という沈黙を続けている。 私には、なぜ子供等がこんなに黙り返っているのかいっこう訳が分らなかった。それで、幾分蹴落されるような心持になりながらも、しいて微笑をしながら、「父さんや母さんは? 淋しいだろう?」と、一番大きい子に云うと、いつの間にか私の後に廻っていた中の子が耳の裂けそうな声で、「ワーッ!」とはやし立てた。 私は非常に驚いたと同時に、胸がムカムカするほど不愉快を感じた。けれども、もう一度私は繰返してみた。「淋しいだろうね、だあれもいないで」 腹は立ったけれども、私にはまだ彼等を憫(あわれ)むくらいの余裕はあった。 年中貧しい暮しをして、みじめに育っている子に、優しい言葉の一つもかけて遣りたかったのだ。が、それにも拘らず、「おめえの世話にはなんねえぞーッ」と云う、思いがけない怒罵(どば)の声が、私の魂を動顛させる鋭さで投げつけられたのである。 私は目の奥がクラクラするように感じた。 一瞬間に、今まであった総てのことが皆嘘だったような気もする。 私は、何をどうすることも出来ずにただ立っていた。けれども、心が少し静まると、ジイッとしていられないほどに不可解な憤怒や羞恥が激しく湧き立って、非常に不調和な感情の騒乱は、肉体的の痛みのように、苦しい心持にさせるのであった。 私は寛容でなければならない。彼等から一歩立ち勝った者の持つ落着きを保ちつづけようとする虚栄心が臆病になりきった心を鞭撻した。けれども空虚になったような頭には何を判断する力もなくなり、歯がガチガチと鳴っている。 この意外な有様に、婆はすっかりとちってしまった。そして子供の手をグングン引っぱって下に坐らせながら私には、詫びるような眼差しで、「行きますっぺなあ、おめえ様。礼儀もなんも知んねえで、はあどうも」と立ち上った。私も、もう帰るだけだと思った。 婆の先に立って子供等に背を向けたとき、私は自分の上に注がれている憎しみに満ちた眼を思い、野獣のような彼等の前に、どれほど私は臆病に弱く醜く立ち去ろうとしているのかと思うと、このまま消え失せてしまいたいほどの恥しさに、火のような涙が瞼一杯に差しぐんで来たのである。 私はしおしおと杉並木の路を歩いていた。誰に顔を見られるのも、口を利かれるのも堪らない心持でのろのろと足を運んでいると、いきなり後から唸りを立てて飛んで来た小石が、私の足元で弾んで、コロコロと傍の草中へ転がり込んでしまった。 シュウという音が鼓膜を打つや否や、私は反動的に身をねじ向けて見ると、まだすぐ近くの甚助の家の前に、子供等が犇(ひしめ)き合って立っている。 年上の子供は、私が振向くと、手に持っていた小石を振り上げて、威(おど)すように身振りをした。 私は、子供等の方を見ながらのろのろと杉の木蔭へ身を引きそばめて、二度目の襲撃を防ごうとした。 私は、手触りの荒い杉の太い幹につかまりながら、訳もなく大きな涙をポロポロとこぼしたのである。        三「何ということだ!」 あのときの様子を思い出すと、私の顔はひとりでに真赤になった。なぜ私は、あれほどの恥辱を受けなければならなかったか? 私が彼等に対して云ったことが悪かったか? 私は確かに悪いことは云わなかったというよりほかはない。私は同情していたのだ。ほんとうに淋しいんだろうにと思っていたばかりだ。私にはちっとも嘘の心持はなかった。どこからどこまでも正直な気持でいたのではないか? 私にはどうしても彼等の心持が解せない。それ故あの罵りに対しての憤りはより強く深くなるばかりなのであった。 私は、お前方から指一本指される身じゃあない。 人が親切に云ってやったのに石までぶつけて、それで済むことなのか? 私はほんとにあの子供達が厭であった。そして、またいつものようにあのときのことがじき村の噂に上って小(ち)っぽけなおかしい自分が、泥だらけの百姓共の嘲笑の種に引っぱりまわされるのかと思うと、一思いに、あのこともあの子供達も一まとめにして、押し潰してしまいたいほどの心持がしたのである。御飯も食べられないほど私はくさくさした。 けれども、夕方近くなって、小作男の仁太というのが来て二時間近くも話して行ったことは、私に或る考えの緒口(いとぐち)を与えた。 彼は、私共の持畑――二里ほど先の村にある――に働いている貧しい小作男で、その男が来ればきっと願い事を持っていないことはないといわれているほど、困っているのである。 私は彼の衰えた体をながめ、もう何も彼も運だとあきらめているよりほかしようのないような話振りを聞くと、フト甚助のことを思い出した。 甚助はやはりこの仁太のような小作男だ。 ああ、ほんとに彼等はこんな気の毒な小作男の子供達であったのだ! この思いつきはだんだん私の心から種々の憤りやなにかを持ち去ってしまった。 けれども、後にはよく考えなければならない、悲しい思いが深く根差したのである。 あの男の子等は、今まで、その両親が誰のために働いているのを見ていたのか? 彼等の収穫を待ちかねて、何の思い遣りも、容赦もなく米の俵を運び去ってしまうのは如何なる人種であるのか? 実世間のことを少しずつ見聞して、大人の生活が分りかけて来た彼等男の子等の胸は、両親に対する同情と、常に自分等よりもずっとよけいな衣類や食物を持っていて、異った様子をし、異った言葉で話す者共へ対しての憎悪と猜疑(さいぎ)で充ち満ちていたのであろう。 俺らが大事の両親に辛い思いをさせ涙をこぼさせるのは、あのいつでもその耳触りの好い声を出して、スベスベした着物を着て、多勢の者にチヤホヤ云われている者共ではないか? 親切らしい言葉の裏には伏兵のあることを、いつとはなく半分直覚的に注入され、「町の人あ油断がなんねえぞ」と云われ云われしている彼等であろうもの、いきなり私が現れて、優しい言葉を掛けたからとて私を信じ得る筈はない。 彼等の頭には先ず第一に僻(ひが)みが閃いた。「またうめえこと云ってけつかる!」 で、一時も早くこの小づらの憎い侵入者を駆逐するために、「おめえの世話にはなんねえぞーッ!」と叫んだのであった。 彼等はもう、いわゆる親切は単に親切でないということを知っている。 貧乏はどれほど辛いかを知り、その両親へ対して生々しい愛情、一かたまりになって敵に当ろうとする一方の反抗心によって強められた、切なる同情を感じているのである。 朧気(おぼろげ)ながら、真の生活に触れようとしている彼等に比して、私の心は何という単純なことであろう! 何という臆病に、贅沢にふくれ上っていることであったろう! 私はまちがっていたのだ。彼等総ての貧しい人々の群に対して、自分は誤っていた。 私は親切ではあった。けれども幾分の自尊と彼等に対する侮蔑とを持っていたのである。そして、自分自身が彼等から離れ、遠のいた者であるのを思えば思うほど一種の安心と誇り――極く極く小さな気のつかないほどのものではあったが――を感じていたということを偽れようか? 自分を彼等よりは、立派だと思ったことは、ただの一度もなかったか? もちろん、私は意識しながら傲慢な行為をするほど愚かな心事を持っているとは思わないけれども、長い間の習慣のようになって、理由のない卑下や丁寧を何でもなく見ていたということは恐ろしい。 私共と彼等とは、生きるために作られた人間であるということに何の差があろう? まして、我々が幾分なりとも、物質上の苦痛のない生活をなし得る、痛ましい基(もとい)となって、彼等は貧しく醜く生きているのを思えばどうして侮ることが出来よう! どうして彼等の疲れた眼差しに高ぶった瞥見(べっけん)を報い得よう! 私共は、彼等の正直な誠意ある同情者であらねばならなかったのである。 世の中は不平等である。天才が現れれば、より多くの白痴が生れなければならない。豊饒(ほうじょう)な一群を作ろうには、より多くの群が、饑餓の境にただよって生き死にをしなければならないことは確かである。 世が不平等であるからこそ――富者と貧者は合することの出来ない平行線であるからこそ、私共は彼等の同情者であらなければならない。 金持が出来る一方では気の毒な貧乏人が出るのは、宇宙の力である。どれほど富み栄えている者も、貧しい者に対して、尊大であるべき何の権利も持たないのである。 かようにして、私は私自身に誓った。 私は思い返した。 自分と彼等との間の、あの厭わしい溝は速くおおい埋めて、美しい花園をきっと栄えさせて見せる!        四 私は、自分の生活の改革が、非常に必要であるのを感じた。そして、いろいろな思いに満たされながら、自分の今日までの境遇を顧みたのである。 私共の先代は、このK村の開拓者であった。首都から百里以上も隔り、山々に取り囲まれた小村は、同じ福島県に属している村落の中でも貧しい部に入っている。 明治初年に、私共の祖父が自分の半生を捧げて、開墾したこの新開地は、諸国からの移住民で、一村を作られたのである。南の者も、北の者も新しく開けた土地という名に誘惑されて、幸福を夢想しながら、故国を去って集って来た。けれども、ここでも哀れな彼等は、思うような成功が出来ないばかりか、前よりも、ひどい苦労をしなければならなくなっても、そのときはもう年も取り、よそに移る勇気も失せて仕方なし町の小作の一生を終るのである。それ故彼等は昔も今も相変らず貧しい。 そればかりか近頃では、小一里離れているK町が、岩越線の分岐点となってから、めっきりすべての有様が異って来たので、この村も少からず影響を蒙(こうむ)った。そして、だんだんと農民の心に滲(し)み込んで来る、都会風の鋭い利害関係の念と彼等が子供の時分から持っている種々の性癖が混合して、毎日の生活がより遽(あわただ)しく、滞りがちになって来たのである。 村の状態は決して工合が好いとはいえなかった。長い間保って来た状態から、次の新しい状態に移ろうとする境の不調和が、全体を非常に貧しく落付かなくしているのである。 けれども祖父はもう十七八年前に亡くなって、ちょうど移住者もそろそろ村に落着いて来、生活が少しずつ、楽になったときの様子ほか見ていない。 彼は、大体に満足して、村の高処(たかみ)に家を建て、自分等夫婦はそこに住んで、田地の世話を焼いたり、好きな詩を作ったりして世を終った。 それで、後に残った祖母も、故人の志を守って彼の遺した家に住み、田地を監視し、変遷する世から遠ざかって暮しているのである。 一年中東京にいた私は、夏になるとK村の祖母の家に行くのを習慣にしていた。そして、二月ほどの間東京では想像もつかないような生活をしているのである。 私は村中の殆どすべての者に知られている。東京のお嬢様が来なすったと云って、野菜だの果物だのを持って来る者に対して、土産物を一つ一つ配ってやらなければならない。朝から小作男の愚痴を聞き、年貢米を負けてやる相談にのる。そして、かれこれ云うのが面倒なので、さっさと祖母にすすめて許してやると、大変慈悲深い有難い者のように私共を賞めたてる。お世辞を云う。 私は皆にちやほやされながら、朝夕二度の畑廻りをしたり、池の慈姑(くわい)を掘ったり、持山を一日遊び廻ったり、すっかり地主の馬鹿なお孫さんの生活をしていた。誰からも、干渉がましいこと一つ云われず、存分に拡がっていたのである。 それでも私は、尊(たっと)そうにされていたことなどを思うのは、今の私にとっては真(まこと)に恥しい。我ながら厭になる。 何としてもどうにかして、村人の少しなりとも利益(ため)になる自分にしなければならない! それで、私は心のうちに種々の計画を立てた。そして、土地の開墾などということは――もちろんそこが人間の生活すべきところとして適当でありまた、栄える希望もあるところならばよいけれども――冬が長く、地質も悪いようなところへ、貧しい一群を作ったとしても、やはり非常に尊いことなのであろうかなどというような疑問がしきりに起ったのである。 開拓者自身は、或る程度まで自分の希望を満たし、喜ばされ、なおその村の歴史上の人物として称揚されるけれども、はかない移住民として、彼の事業の最後の最も必要な条件を充たしてくれた、沢山の貧しい者共は、どのような報いを得ているか? 開墾者にとっては、いなければならなかった彼等でありながら、二十年近い今日まで彼等はただ同じように貧乏なだけである。年中貧しく忘れられて死んで行くだけである。 私は、祖父の時代からの沢山の貧しい者に対して、どうしても何かしなければならない。今日まで、すべきことは沢山あったのに、臆病な自分が見ない振りをして来たのだというような気の済まなさが、農民に対する自分の心を、非常に謙譲なものにしたのである。 甚助の子が、私にいたずらをした次の日であった。平常より早く目を覚まし、畑地を一廻りして来た私はほのぼのと天地を包んでいる薔薇色の靄(もや)や、裸の足の上に朝露をはね上げて、生々としている雑草の肌触り、作物や樹木の朝明けの薫りなどに、どのくらい慰められたことであろう! 非常に愉快な心持になって、女中に笑われながら、大炉に焚火(たきび)をしたり、いりもしない野菜を抜いて来たりしていると、東側の土間に一人の女が訪ねて来た。それは、甚助の女房であった。 私に来てくれと云うので、出て見ると働き着を着て大変にボサボサな髪をした彼女は裸足で立っている。 女は、私の顔を見ると、「お早うござりやす。昨日(きんのう)は、はあ俺(お)ら家(げ)の餓鬼共が飛んでもねえ御無礼を致しやしたそうでなえ。おわびに出やした。これ! こけえ出てわび云うもんだぞ――」と、云いながら手を後に伸ばすと、広い背のかげから、思いがけず男の子が引き出された。 彼は黙って下を向いている。赤面もせず、ウジウジもせず、ちっとも母親にたよるような様子をしないでつくねんと立っている。 女は、子供の方へ複雑な流し目をくれながら、しきりに繰返し繰返し勘弁してくれとか、自分等の子達は畜生同様なのだから、どうぞこらしめにうんと擲ってやってくれなどとまで云った。 けれども私は、人にあまりあやまられたりすることは大嫌いである。自分の前にすべてを投げ出したようにしていろいろ云われると、仕舞いには、自分が恥しくなって来る。何だか、いかにも自分が暴君じみているように思われて、いつも母の云う「いくじなしのお前」になり終(おお)せてしまう。 今も、その癖が出たとともに、もうどの子が何をしたとか、憎らしいとかいうことは出来るだけ忘れようとつとめ、また実際気にもならなくなっているので、そんなにされることはよけいいやであった。 で、私が口を酸(すっぱ)くして叱るのをやめろと云っても、彼女(かれ)の方ではそれをあてこすりだと思っているとみえて、だんだん子供にひどくする。「食うてばかりけつかってからに、碌(ろく)なことーしでかさねえ奴だら。これ! わびしな。勘弁してやっとよ、何とか云いなてば」と、子供の腕を掴んで、小突(こづ)いたり何かしても、子供の方でもまた強情なだんまりを守っている。 私には、甚助の女房がどんな心持でいるかよく分った。分っただけに、そんな謂(い)わば芝居を見ているのは辛い。 私の云うことなどには耳もかさずに、怒鳴っていた彼女は、「これ! どうしたんだ? う? おわびしねえつむりなんけ?」と云うと、いきなり大きな掌で、頸骨が折れただろうと思うほど急に子供の首を突き曲げた。 そして、「どうぞ御免なして下さりやせ」と云うや否や、「行っとれ!」と叫んで突飛ばした。 私は息がつまるくらいびっくりしてしまった。けれども、当の母親は満足らしく笑いながら小腰をかがめて、「お暇潰(ひまだ)れでござりやした」と畑へ出て行った。 下女は彼女の後姿を見送りながら、「甚助さん家(げ)のおっかあは利口もんでやすなりえ、ちゃんと先々のことー考(かん)げえてる」と嘲笑った。        五 村の四辻に多勢人立ちがしている。 子供等や、鍬を担いだ男女、馬を牽いた他所村の者共まで、賤(いや)しい笑いをたたえて口々に罵り騒いでいる真中には、両手に魚を一切ずつ握った男が、ニヤニヤしながら足を内輪にして立っているのである。 肩の所に大きな鍵裂(かぎざき)のある女物の着物を着て、細紐で止めただけでズルズルと下った合せ目からは、細い脛(すね)がのぞいている。 延びたなりで屑糸のような髪には、木の葉や藁切れがブラ下り、下瞼に半円の袋が下って、青白い大きな目玉がこぼれそうに突出ている。紫色の唇を押しあげて、黄色い縞のある反っ歯が見え、鼻の両側の溝には腫物(はれもの)が出来て、そこら一体に赤く地腫れさせている。 身動きする毎に、魚の臭いや何やら彼やらがごったになって、胸が悪くなるような臭気をあたりにまき散らす。彼は「善馬鹿」という気違いなのである。もうかれこれ五六年前に、気が変になってからはこの村にある家へはよりつかずに、村中を廻って歩いて、行く先き先きで筵(むしろ)を一枚貰ってはその上に寝て暮しているのである。 どうかして気に入ったところがあると、幾日でも追い立てられるまでは、木蔭などにぼんやりすわって、犬の蚤を取ってやったり、自分がすわったまま手の届くだけ草を一本のこさず抜いたりしている。 犬がむしょうに好きで、あばれることなどはちっともないので、村の者共は彼の姿を見かけさえすると捕えて、罪なわるさをするのであった。 そのときも彼はどこかへ四日も行ってやっと帰って来たところなのである。彼は大変疲れたような気がしていた。すぐそこにころがりたいような心持でここまで来ると、友達の犬に見つかって、早速顔中を舐(な)め廻された。それを彼はいかにも嬉しそうにして、だまって犬の顔を見ているところへ、「善馬鹿! けえったんかあ」と叫びながら五六人の子供等が馳けて来た。そして、たちまち彼の体は暇でいたずら好きの者共に囲まれてしまったのである。 皆はてんでに勝手な悪口や戯言(じょうだん)を彼にあびせながら、手に持っている魚を突っついたり、犬をけしかけたりした。「う! 穢(うだ)て。あげえ犬の舐めてる魚あまた善馬鹿が食うんだぞ。ペッ! ペッ! 狂犬病さおっかかったらどうすっぺ」「ひとー馬鹿(こけ)にしてけつかる。もうとうに狂犬病さかかってっとよ! この上へ掛るにゃ命が二ついらあ」「わはははは。ほんによ。うめえや」「おっととととと」 人々は急に笑い出した。 下等な笑声の渦巻の下を這うようにして、善馬鹿の低い甘ったるい、「へへへへへ!」という声が飛びはなれて不快に響き渡った。「厭(や)んなことしてけつかる」「そんだら行(え)げよ。おめえにいて貰わんとええとよ。フフフフフ」「や! 鮭が落ちんぞ。馬鹿!」「ははははは」 集っている者共は、下等な好奇心に動かされて、互に突き合ったり打ち合ったりして喚きながら、暫くの間大きくなったり、小さくなったりしていた。 けれども、だんだん人数も減って来ると、前よりもっといやな顔をした善馬鹿が、握った鮭を落しそうにしてよろけながら、道傍の樫の大木の蔭まで来ると、赤ん坊のようにドサンと仰向けに寝た。そして、大口を開(あ)いて、鼻をグーグー鳴らしながら寝込んでしまった。 犬がそろそろと首を伸して、彼の手に持たせたまま片端から鮭を食べ始めると、子供等は彼のした下等な身振りの真似をしたりしながら、しきりに彼を起しにかかったのである。 一人の子は「狐のしっぽ」で鼻の穴をくすぐった。 蹴ろうが怒鳴ろうが、ゆさりともしないので、図に乗った子供達は善馬鹿を裸体(はだか)にし始めた。彼等は掛声をかけながら、だんだん肌脱ぎにさせたとき、いつの間にかそこにおって、様子を見ていた若い者がいきなり、「そげえなことーするでねえぞ。天道様あ罰(ばち)いお下しなさんぞ」と真面目に口を出した。 皆はびっくりして、いたずらの手を止めて男の顔を見ていた。すると、中でも一番頭株らしい十四五の子は、口を尖(とんが)らして、理窟をこね出した。「わりゃあ朝っぱらから、おっかあに怒鳴られてけつかる癖にして、俺らの世話焼けるんけ? う?」「おめえあの人知ってるんけ?」 一人の子がヒソヒソときくと、急にこの子は得意そうな顔になって、一層冷笑的な口吻で叫んだ。「うん、知ってっとも!」「水車屋(くるまや)の新さんてだなあ、おめえは。そんで北海道から、食えなくなって、おっかあんげへ戻って来たんだって、こんねえだおめえのおっかあがいってたぞ。いくじのねえ奴だて……」 皆は声をそろえて笑った。 けれども、新さんは別に顔色も変えずに、「考(かんげ)えてからするもんだぞ」と云いながら行ってしまった。 それから一しきり、子供達は腹の癒(い)えるほど妙な新さんを罵ったけれども、もう一旦やめたいたずらはまたやる気にもなれず、肌ぬぎにした善馬鹿を、各自(めいめい)が、「俺らの知ったこっちゃねーえぞ!」と叫びながら一足ずつ蹴りつけて、ちりぢりばらばらに走(か)けて行ってしまった。        六 今年六十八になると自分では云っている善馬鹿のおふくろは、孫と一緒に或る農家の納屋のような所を借りて住んでいる。 家賃を払わないで済むかわり、まるで豚小屋同然な所で、年中蚤や南京虫の巣になっている。 それでもまだあの狒々婆(ひひばあ)さま――彼女は顔中皺だらけの上に白髪を振りかぶり、胸から腰が曲って何かする様子はまるで狒々なので皆が彼女の通称にしている――にはよすぎるというほど、善馬鹿の一族は、どれもこれも人間らしいのはいなかった。 善馬鹿が、まだあんなにならないで一人前の百姓で働いていた時分に出来た、たった独りの男の子は、これもまたほんとうの白痴である。 女房が愛想をつかして、どこかへ逃げ出してしまってからは、善馬鹿とその子を両手に抱えて、おふくろばかりが辛い目を見ているのである。 もう十一にもなりながら、その子は何の言葉も知らないし、体も育たない。五つ六つの子ぐらいほかない胴の上に、人なみの二倍もあるような開いた頭がのっているので、細い頸はその重みで年中フラフラと落付いたことがない。そして、年中豆腐ばっかり食べて、ほかの物はどれほど美味(おい)しいものであろうが見向きもしなかった。 彼は、自分の唯一の食料を、「たふ」ということだけを知っているので、村の者達は皆何かの祟(たた)りに違いないと云っている。 何でもよほど前のことだけれども、町へ大変御利益(ごりやく)のある女の祈祷者が来たことがあった。そのとき、狒々婆も白痴の孫を連れて行って見てもらうとその女が云うには、幾十代か前の祖先が馬の皮剥ぎを商売にしていたことがあって、その剥がれた馬の怨霊(おんりょう)の仕業なのだから、十円出せば祈り伏せてやるとのことだったそうだけれども、婆にその金の出せよう筈はない。それで、払い落してもらうことは出来ず、またもうそれっきり医者にもかけず、自分でさえ出来るだけは忘れるしがくをしていた。 このような有様で、狒々婆はいやでも応でも食うだけのことはしなければならないので、他家の手伝いや洗濯などをして廻っている。そして、三度の食事は皆どこかですませて、自分の家へはただ眠るだけに帰るので、村中からいやしめられて、何ぞといっては悪い例にばかり引き出されていた。 可哀そうがられるために、自分の年も二つ三つは多く云っているとさえ噂されているのである。 私は、たださえ貧乏な村人のおかげで、ようようどうやら露命をつないでいる婆が気の毒であった。境遇上そうでもしなければ外に生きようがないのだから、ただ馬鹿にしたり酷(ひど)く云ったりすることは出来ない。もうよぼよぼになって先が見えているのに、朝から晩まで他人の家を経廻(へめぐ)って、気がねな飯を食わなければならないのを思うと可哀そうになる。 で、私は出来るだけ婆に用を云いつけて、食事などもさせ、ちょいちょい古い着物や何かをやった。彼女は私に対して好くは思っているらしいけれども、ひどく貧乏で、恥も外聞もない慾張りな様子が少からず私には気持悪かった。 食べる物でも、膳にのせてやった物ばかりでなく、残り物があったらどうせ腐るのだからくれろと、ぐんぐん持って行く。そんなときに、若しやらないなどと云おうものなら、もうすっかり不機嫌になってポンポンろくに挨拶もしないで帰ってしまうのである。新しい着物でも着ていると、一つ一つ引っぱってみないでは置かない。 そんなことがほんとにたまらなく厭であったけれども、私は、貧しい者のうちに入って行こうとしながら、品振(ひんぶ)っている自分を叱り叱りしてようよう馴れるまでに堪えたのである。 善馬鹿のおふくろが、今までより屡々(しばしば)出入りするようになると共に、だんだん村中の貧しい中でも貧しい者共に接する機会が多く与えられるようになった。 親父は酒飲みで、後妻は酌婦上りの女で、娘は三年前から肺病で、もう到底助かる見込みはないと云うような桶屋の家族。 中気(ちゅうき)で腰の立たない男と聾の夫婦。 それ等の、絶えず愚痴をこぼし、みじめに暗い者の上に私はそろそろと自分のかすかな同情を濺(そそ)ぎはじめたのである。 もとより私のすることは実に小さいことばかりである。私が力一杯振りしぼってしたことであっても、世の中のことに混れば、どうなったか分らなくなるようなものであるのは、自分でも知っている。 けれども、私は愉快であった。 自分は彼等のことを思っているのだということだけでも、私はかなりの快さを感じていたほどである。 毎日毎日を私は、新しく見出した仕事に没頭して、満足しながら過していたのである。 けれども、たった一つ私にはほんとに辛いことがあった。それは、善馬鹿の子の顔を見ることである。誰も遊び相手もなく、道傍の木になどよりかかりながらしょんぼりと佇んでいる様子を見ると、ほんとに私は苦しめられた。 何とか云ってやりたい、どうにかしてやりたい。私はほんとにそう思う。 が、彼の痩せた体や、妙に陰惨な表情をした醜い顔を見ると、何もしないうちにもう、堪らない妙な心持になって来る。 彼の眼つきはすっかり私を恐れさせる。私は、彼の傍を落付いて通ることさえ出来ないのであった。 何だか今にも飛付いて頸を締められそうな気がする。そして、コソコソと出来るだけ彼の目から避けて通り過ぎながら、心のうちには自分が何か彼にしなければならないという感情と、この上もない気味悪さが混乱した、大嵐が吹いているのであった。 万一どんなか方法によってこの白痴だと思われている子のうちから、何かの輝きが見出される筈であるのを、傍の者が放擲(ほうてき)してしまったばかりで、一生闇の世界で終ってしまうようなことがあれば、ほんとに恐ろしいことである。 今まで死なないところを見れば、どこかに生きる力は持っているのだ。 十一年保っていた命の力は大きいものである。ましてここいらの、ほんとに人間を生長させるには不適当なようなすべての状態にある所では殊にそうである。 空想ではあろうけれども、私は彼の霊と通っている何かが必ず一つはあるだろうということを思い、それに対しての彼は聰明なのじゃあないかなどと思った。 彼の親父は人間の仲間では気違いである。けれども犬と彼とはどれほど仲よく互に心を感じ合っていることか。 白痴の心は私にとっては謎である。分らなければ分らないほど、私は何かありそうに、どうにかなりそうに思わずにはいられなかったのである。        七 まあ何という素晴らしい。 朝だ! はてしない大空の紺碧の拡がり、山々の柔かな銀青色の連り。 靄(もや)が彼方の耕地の末でオパール色に輝いている。 あらゆる木々の葉が笑いさざめき歌っている上を、愛嬌者の露が何という美しさで飾っていることだろう。御覧! お前の大好きなお天道様は、どんなに見事に光り輝いていらっしゃるか! ほんとに立派なお姿でいらっしゃる。 私は、昨日も今日も同じに、円く燦(きらめ)き渡って動いていらっしゃるのを見ると、堪らなく嬉しくなって来る。  「お早うございます、御天道様!  いつも御機嫌が好さそうでいらっしゃいますね。  私もおかげさまで、こうして達者でお目に掛れるのは有難う存じます。  どうぞ今日もまたよろしくお願い致します。  私のりっぱなお天道様!」 風は、木々の葉の露を払い落し、咽(むせ)ぶようなすがすがしい薫りをはらんで、むこうの空から吹いて来る。 森の木々には小鳥がさえずり、家禽の朝の歌は家々の広場から響いて来る。 道傍のくさむらの中には、蛇いちごが赤く実り、野薔薇の小さい花が傍の灌木の茂みに差しかかって、小虫が露にぬれながら這っている。 桑の若葉の葉触(ず)れの音。 勇ましく飛び立つ野鳥の群。 すべては目醒め動いている。 何という好い朝だろう! 私は、喜びに心を躍らせながら歩いて行った。畑地を越え、草道を通り、暫くすると私は村にただ一つの小学校のそばに出た。 そこではもう授業が開始されていて、狭い粗末な教室の中には、小さく色の黒い子供が僅かずつつまっているのが、外から見える。 私は誰一人いない庭の芝草の上に坐りながら自分の小学校時代を思い出した。種々の思い出が、沢山な友達の面影や教師の様子などをはっきりと思い浮ばせたのにつれて、ちょうど四年ぐらいの時分、ここへ来るとよくこの学校のオルガンを借りたことを思い出した。 あそこいらの部屋らしかったと思いながら、一人の子供が立ったきり答に窮してぼんやり黒板を見ている教室の中を眺めていた。 すると、だんだん記憶がよみがえってくるにつれて、最初に自分がオルガンを借りたときの様子がありありと心に帰ってきたのである。 私はそのとき、白い透き通るリボンで鉢巻のようにし、うす緑色の着物を着ていた。 外国にいた父から送ってくれた譜本を持って、小学校に行った。そして、たった独りいたまだ若い先生にオルガンを貸して下さいと頼んだのである。 今でも思い出す顔の丸い、目の小さい人の好さそうなまだ二十三四ぐらいだった教師は、私の様子をジロジロ見下しながら、きっぱりと貸せませんと云った。 誰か一人に貸すと、他の者にたのまれたとき断れなくなる。そうすると一時間も経たない内にオルガン一台ぐらいめちゃめちゃにされてしまうのだからと、いろいろ理由を説明して拒絶したけれども私はきかなかった。 私は黙って立っていた。 先生もだまって立っていた。 そして暫くの間立っていた先生はやがて少し腹を立てたような声で、「一体あなたはどこの人なんです?」と云った。「私? 岸田の者だわ……」 たった十ばかりだった私はそのとき何と思ったのだろう!「岸田の者だわ……」 私はどのくらい落付いて自信あるらしく云ったことだろう! 名を聞けばきっと貸すということを明かに思って、随分とのしかかった心持で微笑さえしたではないか?「あ! そうですか。じゃあかまいません。さあお上りなさい」と、導かれてどういう満足でもってその鍵盤に指を置いたか! 今になって私はその正直だった若い教師を非常に気の毒に思うと同時に、私自身の態度の心持を堪らなく恥しくすまなく感じない訳には行かない。 小さい、ものも分らない私にまで、自分の理由のある出言を撤回したあの教師が、あの若さでありながらふだんからどのくらい、自己を枉(ま)げることに馴らされていたかと思うと、ほんとに堪らない。 若し今の私がその教師だったら? 私はどうしたってききはしない。ましてそんな人を呑んでかかるような態度を見たら、どのくらい怒るか分らない。かえって叱って叱って、叱りとばして追い帰すだろうのに――。 私は涙がこぼれそうになった。 自分は欠点だらけな人間だけれども、そんな恥しい思い出にせめられるのは情ない。 重く沈んだ心持になって、むこうの窓を眺めていると、子供達の頭の波をのり越えて、一つの顔が自分を見ているのに気が付いた。 その顔は、殆ど四角に近いほど顎骨が突出て、赤くムクムクと肥っている。 非常に無邪気な感じを与える峯の太い鼻。睫毛(まつげ)をすっかり抜いたような瞼がピチピチとしている眼は、ふくれ上った眼蓋(まぶた)と盛り上った頬に挾まれて、さも窮屈そうに並んでいる。 私は、正直そうなどちらかといえば愚直だといえるほどの顔をまじまじ眺めていると、益々あの自分の我儘に己を枉げてくれた教師と非常に似ているように思えて来た。 で、私は立ち上った。そして、微笑を浮べながら丁寧なお辞儀をした。 私は満足した。けれども、若者は非常にまごついたらしかった。妙な顔をして、大いそぎで窓わくのそばから離れて、彼方に見えなくなってしまったのである。 彼は私がふざけたのだと思ったかもしれない。 けれども、これで、今もなおどこかの空の下で今この同じ日の光りを浴びながら生きているあの日の若い教師に対して、自分はしなければならなかったものを、ようやく果たしたような気がした。 私はまた幾分か心が安らかになった。そして元来た道を戻って、小川の所へ行って見た。いつも誰かが魚をすくっているそこに今日は甚助の子供達が来ていた。 子供達は熱心にしていたけれども、流れの工合が悪かったと見えて、網に掛るものは塵(ごみ)ばっかりである。 暫くだまっていた私はフト、「ちっともとれないのね」と云った。 そのとき、初めて私がいるのに気が付いたらしい子供達は皆ニヤニヤしながら、顔を見合っていたが、中の一人が、おかしい訛のある調子で、「ちっともとれねえのね」と口真似をした。 このいたずらはすっかり私を喜ばせた。 彼等がそんなことをするくらい私に、馴染(なじ)んで来たのかと思うと嬉しかったので、私はしきりにほめた。 子供達は、私の笑う顔を薄笑いして見ていたが、急に持って来た鍋や網をとりあげると、何かしめし合せて調子を合せると一時に、「ほいと! ほいと! ほいとおーっ!」と叫んだ。 そして崩れるように笑うと、岸の粘土(ねばつち)に深くついた馬の足跡にすべり込みながら、サッサと馳けて行ってしまったのである。 私は、何が何だか分らなかったけれども、ぼんやり川面(かわづら)をながめながら、非常に生々と快く響いた彼等の合唱を心のうちで繰返した。「ほいと! ほいと! ほいとおーっ!」 私は小声で口誦(くちずさ)みながら家に帰った。 そして誰もいない自分の書斎に坐ると、あの子等のしたように大きな口をあけて叫んで見た。「ほいと! ほいと! ほいとおーっ!」 ところへ、祖母が珍らしく妙に不機嫌な顔をして入って来て云った。「お前は一体何を云っているの? そんな大きな年をして馬鹿をおしでない」 私はちっとも知らなかった。「ほいと」というのは「乞食」を指す方言であったのだ。        八 この村の農民共は、子供の教育などということをちっとも考えていない。子供等は生み落されたまま、自然に大きくなって男になり女になりして行くのである。 もちろん彼等だって子供は可愛い。けれども、すべて単純な感情に支配されている彼等は、子供を育てるにも、可愛いとなると舐殺(なめころ)しかねないほど真暗になって可愛がる。 が、若し何か気に入らないことや、憎いことをしでもしようものなら、彼等はほんとに可愛さあまって憎さが百倍になってしまう。擲(なぐ)る蹴る罵るくらいはあたりまえで、ひどくなると傷まで負わせて平気である。 そんなときは、子供だなどという気持はなくただ憎らしい、ただ腹が立つばかりなのである。 それ故、子供等はよほど健康な生れ附きでないと、大抵は十にならない内に死ぬかどうかしてしまう。 どんな木の実でも草の実でも、食べたい放題食べ、炎天で裸身(はだか)になっていようと、冬の最中に水をあびようと、くしゃみ一つしない人間が育って行くのである。 病気になれば、医者にかけるより先ずおまじないをするので、腐った水をのまされたり、何だか分らない丸薬を呑まされたりして、親達の迷信の人身御供(ひとみごくう)に上るものは決してすくなくない。 体は丈夫に育っても、親達がその日暮しに迫られているので、子供を学校という暇つぶしな所へはなかなかやられない。 女の子は早くから母親の代りをして家のことをとりしきってしなければならず、男の子は弟達の世話や畑の小仕事に使われる。 小作の親達は、子供等が小作の境界(きょうがい)から脱けられるだけの力をつけてやれないので、小作の子は小作で終ってしまうのが、定りのようになっているのである。 うざうざいる子供等は、だんだん衰えて来る親達に代って、地主共の食膳を肥すべく育っているようなものである。 そのような様子なので、少し普通でない性格を持った子は堕ちるなら堕ちる所へさっさと堕ちて、少し大きくなればどっか好きな所へ飛び出してしまう。 まして低能や白痴などはまるで顧みられない。村中の悪太郎の慰み物になっているより外ないのである。 それゆえ善馬鹿とその子等も、村の者が笑いのたねにこそすれ、心配してやるなどということは夢にも思わない。 善馬鹿の、名もない白痴の子は、豆腐を食べては子供等に馬の糞を押しつけられたり、髪が延びている所へ藁切れを結びつけられたりしているよりほかないのである。 だんだん日数が経って、少しずつ自分の願いが叶いそうになって来るにつれて私は益々、白痴の子のことが気になってたまらなくなった。 それで、私はどうにかして彼に近づこうとした。けれども、それはなかなかな仕事で、私の変に臆病な心持が、どうしても彼の傍に私の足を止めて置かせない。四五度遣りかけてはやめ遣りかけてはやめして、とうとうある日の夕方、彼のかたわらに私は立ちどまった。 大変なことでもするように、私の胸はドキドキした。私は、人がかたわらへよっても見向きもしない子供の顔を見ながら、何をどう云って見ようかということを散々迷った。 けれども、どんなことを云ったら、子供の心を引くことが出来るか分らなかったので、四苦八苦してようよう、「どうしているの?」と云った。 この一句が唇をはなれないうちに、私はもう自分のやりそこないに気が付いた。 どんな人でも、ぼんやりと、目にも心にも何にもたしかな物が写っていないとき、「どうしているの?」と云われたら恐らく、答えに窮するにきまっている。 私は困ったことをしたと思いながら様子を見ていると、彼は暫くたってからのろのろと、顔を私の方に向けた。そして、非常に突出した、瞬きをすることの少い目玉を据えて、私を見ているような位置になった。 私も彼を見ていた。私はほんとに注意して、観ていたのである。 そうすると、だんだん彼の顔付が凄くなって、仕舞いには、「彼の感じ」がそろそろと私の顔に乗り移って来たような気持がして来た。 もう、私は意地も我慢もなくなった。そして、一散走りに家へ帰ると、力一杯顔を洗い、鏡を見つめて、ようよう気が休まったのである。 最初の試みは、私の例の幻覚ですっかり失敗してしまった。けれども、それから二度目三度目になると少しずつ彼に馴れて来た。 が、やはりだまったまま一緒に立っているか、何か云って彼の注意力をためして見るばかりで、一向進むことはない。 私は彼の囲りを、堂々廻りしているような工合であった。 善馬鹿の子に対しては、全く何も出来なかったけれども、他のことは少しずつ好い方に向いて行った。 足の裏の腫物のために悩んでいた百姓は、町の医者に掛って癒った。 桶屋の娘へは、ときどき牛乳だの魚だのを持たせてやった。 そして、ほんとに下らないことではあるが、癒った男が畑に出ているのを見たり、甚助の子供が、遣った着物を着ているのを見たりすることは、むしょうに嬉しかった。歩き出しの子供が、面白さに夜眠ることも忘れて歩きたがる通りに、私も一人でも自分の何かしてやることの出来る者が殖えれば殖えるほど、元気が付いた。 また実際、どれだけしてやったらそれで好いという見越しはつかないほど、いろいろな物が乏しく足らぬ勝であったのだ。 私は、自分の出来るだけのことを尽そうとした。 けれども、私は「自分のもの」という一銭の金も一粒の米も持っていないので、誰に何を一つやろうにも一々祖母にたのんで出してもらわなければならない。 それが、私のしようとすることが多くなればなるほど屡々になり、随ってだんだんたのむのが苦痛になって来る。 が、然しそれは仕方がなかった。私はほんとに、無尽な財産がほしかった。そして、この村中を驚くほど調った、或る程度まで楽な者の集りにして、貧しい者は人間だと思わないような者共の前に、突きつけてやったらと思わない訳には行かなかったのである。        九 いろいろの新しい経験が、私の心を喜ばせたり、驚かせたりしている間に、たゆみない時の力は、せっせと真夏のすべての様子を育て始めた。 日光は著しく熱くなり、往還にたまった白い塵は、益々厚くなって一吹き風が渡る毎に、灰色の渦巻を起す。 麦焼きの煙が、青く活き活きした大空に立ちのぼり、輝かしい焔の上を飛び交う麦束や、赤く火照(ほて)った幾つもの顔が、畑地のあちらこちらに眺められた。 前の池には、水浴をする子供等の群が絶えず、力強い日光のみなぎり渡る水面からは、日焼けのした腕や足が激しい水音を立てて出入し、鋭い叫び声に混ってバシャバシャ水のはねる音が遠くまで響き渡る。 森林は緑深く、山並みは明るく、稲妻は農民共を喜ばせながら、毎夕変化の多い雲間から、山の峯々を縫う。(稲妻の多いのは豊年のしるしだと彼等は云っている。)そして、家のあたりの耕地は美しい盛りになるのである。 総ての作物は殆ど実った。 私の書斎から見えるだけの畑地にも、豆、玉蜀黍(とうもろこし)、胡麻、瓜その他が皆熟れて、蕎麦(そば)の花のまぶしい銀色の上に、流れて行く雲の影が照ったり曇ったりした。 食べられるようになった杏(あんず)、無花果(いちじく)などの果樹畑のそばから、ゆるい傾斜になった南瓜(かぼちゃ)の畑は、大きな葉かげに赤い大きな実が美しく、馬鈴薯は、収穫時になったのである。 二人の小作男は、俵と三本鍬と「もっこ」とを持って、朝早くから集った。 葉のしなびかかった茎を抜き、その後を三本鍬で起して行く。 背の低い、片目の男が、深く差し込んだ鍬をソーット上の方へ持ちあげて引くと、新しい土にしっとりと包まれた大小の実が踊るように転がり出す。 それにつれて、思いがけず掘り出された、小さい螻共(けらども)は、滑稽なあわて方をして、男達の股引に這い上ったり、さかさになって軟かい泥の中に、飛び込んだりした。 私も裸足になり裾をからげて、一生懸命に薯掘りを始めた。 割合に風の涼しい日だったので、仕事は大変面白かった。 泥の塊りを手の中で揉んでは、出て来る薯を一つ一つもっこのなかへ投げて行くと、どうかした拍子に恐ろしく妙な物を、手のうちにまるめ込んでしまった。 私は思わず大声をあげた。止められない力で、グニャッとしたものをまるめると、押し潰されてとび出したドロドロに滑らかな、腐った薯が、手一杯についてしまったのである。 青黄色い粘液から、胸の悪くなるような臭いが立って、たまらない心持になるので、私は大急ぎで、サクサクな泥の中に両手を突込んで、揉み落そうとした。 けれども、前からの土がそのドロドロですっかり固まりついたので、なかなかこするぐらいでは落ちようともしない。私は、もううんざりして、泣き出しそうにしていると、笑いながら馳けつけて来た男が、木の切れを横にして、茶椀の葛湯(くずゆ)をはがすように掻き落してくれた。「大丈夫でやす、お嬢様。命に関わるこたあありゃせん」 私の周囲には、家の者だのそばの畑にいた小作共まで集って、笑っていたのである。 ちょいちょいした物が収穫時になって来たので、私共は毎日割合に農民的な生活をした。 取れた物を小作に分けてやったり、漬けたり乾したり、俵につめたりにせわしかった。 けれども、それにつれてほんとにいやなことも起って来た。 ちっとも気の付かないうちに、畑泥棒に入られることである。 もちろんこんなことは、毎年のことである。決して珍らしいことではないが、皆の気持を悪くさせた。 盗まれて行く物は少しばかりの物であるけれども、自分等の尽した面倒だの愛情などを、取って行かれるのがよけい腹立たしかったのである。 で、一日掛りで、一番よく無くなる南瓜に一つ一つ、大きな大きな番号をつけた。 ふくれ返った赤ら顔の上一杯に、「八」とか「十一」とか筆太に書かれて、ごろっとしている姿は実に見物だった。けれども、皆無駄骨になって、翌朝になれば、中でも大きい方のが無くなっていたりした。 下女等は一番口惜しがって、ちょっとでも畑地の中にウロウロしている者には、誰彼なしに、怒鳴りつけたり、小石をぶつけたりした。 正直な彼女は、坐るときはいつも畑地に向いて張番をしていた。 そんなだったので、私などでさえ夜ちょっと気晴らしに歩いて、うっかり畑に立ちどまっていたりすると大きな声で、「だんだあ! ぶっぱたくぞーッ」と叱られたことさえあった。 ところが或る非常に靄の濃い朝であった。 多分四時頃であったろう。私は、例の通り何も知らずに寝込んでいると、低いながら只事でない声で、「早くお起き。よ! ちょっとお起き!」と云う祖母の声に呼び醒された。 私はびっくりして飛び起きた。まだよく目が開かないで、よろよろしながら、「何!?[#「!?」は横1文字、1-8-78] え? どうしたの?」と云う私を引っぱって祖母は、雨戸に切ってある硝子窓の前に立たせた。 初めの間は何にも見えなかったが、だんだん目が確かになって来ると、露で曇った硝子越しに、一箇(つ)の人影が南瓜畑の中で動いているのが見える。「オヤ!」 額をピッタリ押しつけて見ていると、どうも盗って行くものを選んでいるらしく、体が延びたり曲ったりしている。「もう朝だというのに。まあ何て大胆な!」 暫くすると、体は延びきりになって、小路の方へ出て来た。手には大きな丸い物を持っている。 南瓜泥棒は、歩き出した。そして、もう少しで畑から出てしまう所へ、スタスタともう一つの人影が近寄って行った。それが祖母であるのは一目で分った。 私は、ハッとした。一体何をどうしようというのだろう? 私は大急ぎで寝間着を脱いだ。そして、出て行って見ると、それはまたどうしたことだ! 私が何ともいえない心持になって、立ちどまってしまったのは、決して無理ではない。 赤地に白縞のある西洋南瓜を前にころがして、うなだれて立っているのは、かの甚助じゃあないか! 私は、自分の眼が信じられなかった。また信じたくなかったけれども、悲しい哉それは間違いようもない甚助だ。 私は、おずおず彼の顔を見た。そして、その平気らしい様子に一層びっくりしたのである。 ほんとうに何でもなさそうに彼はただ立っている。ただ頭を下げているだけなのである。 だまって、祖母の怒った顔を馬鹿にしたように上目で見ている。 私は恐ろしい心持がした。彼はそうやって立っている。が、私共はこれから一体どうしようというのだろう? 祖母も私も彼に何か云おうとしていることだけは確かだと思った。 しかも、さも何でも権利を持っているように、またさもそれを振り廻して見たそうにして立っている自分等に気が付いた。 私共はきっと何か云うのだろう。何か悪事だといわれていることをしている者を見つけた者が、誰でもする通りの、妙に慰むようにのろのろと、叱ったり、おどしたりするのだろう。 けれども、彼は私共に見られたくないところを見つけられた。それだけでも十分ではないか? この上何を云うに及ぼう? 千人が千人云い古した言葉を、クドクドと繰返して、荒立った心持になって見たところで互の心には何が遺(のこ)るだろう。やはり持ち古された感じが、さほどの効果もなく喰い入るばかりである。 私のすることはただ一つだ。 何から先に云って好いか分らないようにしている祖母を、わきに引きよせて、私は一生懸命にたのんだ。「どうぞそのまんまお帰しなさいまし。その方が好い」「だって……お前!」「いいえ! それで好いんだから。きっと好いにきまっているんだから早くそうなさいまし。よ。早く!」 祖母は不平らしかったけれども私の頼みを聴いてくれた。「それを持ってお帰り。けれどもこんなことは、もう二度とおしでない」と云っただけであった。
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